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<PCシナリオノベル(シングル)>


裁きの日

 爛れた組織に突き入れた指は、それでも強固に感じる筋肉の間を縫って、指先に固く感じた金属の抵抗を力だけでそのまま貫けば、腕を染め上げた赤が乾いて冷えた外気に奪われて行く。
 せめてその熱を逃すまいと、背までを突き通った掌を握り込んで、大上隆之介は力が籠もって固い関節をぎしりと慣らした。
 力任せに肉を裂き、命を屠るこの手応えを……自分が知っているのは、何故だ。
「……ッ、ゥ…………」
血で、染め上げたような赤い月を呆然と見上げていた隆之介は耳元に聞く痛みには、と我に返った。
「ピュン・フー……ッ!」
大丈夫か、と問うにも問えず、ただ名を呼ぶのみ、膝立ちに肩を抱えるようにしてピュン・フーの身体の重みを支えて、腕を引き抜く。
 血にしとどに濡れても艶を増すのみで、赤を目立たせぬ黒……その姿の意図を初めて察する。
 だが、陽に晒される機会の少なげな肌に刷く赤は暗色を背景にしてか鮮烈さを増し、その胸に半ばまでを埋めた隆之介の腕に添えられた手、五指の全てに銀の指輪を嵌めた手に映る色と、鮮血の香が濃く鼻を擽り、隆之介は眩暈を覚えて緩くを首を横に振った。
 生きた肉の持つ暖かさに、流れる血の香りに、命を摘む、言葉にならない祈りの声に。己が既視感を覚える筈がないと。
 けれど人に有り得ざる力でピュン・フーの胸を貫いたのは確かに自分の腕、相互しない意識と肉体の感覚がぴたりと合わさって初めて、己を見出した思いが確かに胸の内、ある。
「隆……、介」
掠れて途切れる声が名前を呼んで、隆之介はもう一度強く頭を振って思いを打ち払うと、肩を抱いた手に力を込める。
「ピュンピュン……」
労りも謝罪も的はずれで、かける言葉を見失う隆之介だが、ピュン・フーは瀕死にしてはやけにはっきりとした主張をやってのけた。
「ピュンピュンゆーな」
きっぱりとした物言いがあまりにいつも通りで、隆之介は思わず失笑する。
 血は流れ続けている。
 胸の傷は元より、巨大な皮翼は怨霊機が破壊された事による影響か、溶け崩れる死霊達に血肉ごと巻かれて破れ、見るも無惨な有様で骨格ばかりが強調されて、そればかりを見れば黒い化石のようだ。
「隆之介、やっぱ普通じゃねぇなぁ」
そしてしみじみと、軽い咳と共に吐き出された言葉に、隆之介は下唇を噛み締めた。
 人並み外れた治癒能力、意に添わず特化する五感……本来の意識と食い違う身体を持て余し、日常の端々で、欠けた記憶を意識して不安を覚えた事は多々あれ、恐怖を覚えた事は、終ぞない。
 大上隆之介。
 その名を得てからの人生しかない自分。
 それ以前、違う名を持った筈の、違う様を生きていた自分が背から覆い被さって彼の、立ち位置を奪ってしまうような感覚にぞ、と肌が泡立った。
「隆之介」
そしてまた呼ばれた名に思いに沈む意識が引き上げられると同時、あまりに近い位置にピュン・フーの黒髪があるのにぎょっとする間もなく、口の端に湿った暖かさを感じ取る。
「あんま噛むと、切れっぞ、其処」
目元で笑って、舌を見せ……口の端を舐めたピュン・フーに、隆之介は「ばっ……!」鹿野郎、と罵倒を続けかけるのを堪えてごしごしと触れた箇所をシャツの袖で擦った。
「仕方ねーじゃん、動かねーんだもん、腕」
ね? と可愛く小首を傾げて顎で示す、身体の脇に投げ出された片腕はぴくりとも動かない。
「こっちの手は元気じゃねーか!」
隆之介がビシリと指差した手をわきわきと開閉して、悪戯……というよりはセクハラ、の成功に笑った流れでピュン・フーは自然に問うた。
「隆之介、今幸せ?」
それがあまりにいつも通りの笑みで、声で。向けられるのに隆之介は口をへの字に曲げた。
「……っかやろう……何、呑気な事言ってやがる」
歪む表情を誤魔化して、もう一度ピュン・フーの肩を抱き、震えそうになる声に喝を入れて張る。
「……こんな幸せあるわけないだろ!」
そしてその肩口に額をあてれば、無事な片手がぽんぽんと、宥めるように背を叩く感触に長く息を吐き出して気持ちを落ち着けようとする。
 これが最後。
 これがピュン・フーの、最期の問いだ。それは憶測ですらなく、それを為した隆之介自身が……多分、経験で以て知っている、事実。
 その確信を受容れて、隆之介はせめて悔いを残さぬよう、ピュン・フーが自分に向ける期待を裏切らぬよう、必死に思いと言葉を探す。
「でも……そうだな。……幸せかどうかはわかんねーけど、ピュンピュンと会えて楽しかったぜ?」
「ピュンピュンゆーなっての」
予想の通り、飽かずに入るツッコミに少し笑って隆之介は続けた。
「楽しかった……って、そう思える事は幸せなんじゃねーか?」
自らの想いの裏付けを求めると同時に、ピュン・フー自身にも問うている。
 幸せか。隆之介と共にした時間は、楽しかったか、と。
「結局幸か不幸かなんて本人の気持ち次第だろ? 他人に不幸だ言われても俺は幸せだ! って本気で思えれば……それはそれで幸せって事でいいんじゃね?」
同意を待つ、しばしの沈黙に隆之介は流れ行く命を感じ取る。
 血は地に流れ、それを清めるのはそれを流した者の血でしかなく……損なわれた命への贖いは命で、それ以上の魂を用いて初めて鎮まるモノ、生から死へ死から生への流転、輪廻を押し進める為に生きとし生ける、全ての命は相身互いに肉を喰み、輪は廻る……。
 いつか誰かに聞いたのか、それとも自らの思考なのか……まるで白昼夢のように映像と言葉とか脳裏を巡り、隆之介はその思考の流れから強引に自我を引き剥がした。
 そしてピュン・フーの沈黙の長さに気付く。
「……ピュン、ピュン……?」
触れた肩に、掌に感じていた呼吸のあまりの静けさに恐る恐る、呼び掛ける。
「ピュンピュンゆーな!」
「うわぁっ?!」
打てば響いたその事に驚いて、隆之介が思わず身を離して上げた声に、ピュン・フーは崩れかけた均衡を咄嗟についた片手でどうにか保つ。
「ったく……俺の通り名はピュン・フーで一括りだっつってるだろ。ピュンくんもフーちゃんもピュンピュンも不可!」
相変わらずも健在な主張をしつつも、最早その身体を支える力は残っていないのか、ぐらりと傾ぐ身体を咄嗟に支えた隆之介に体重を預けたまま、ピュン・フーはその紅い瞳で真っ直ぐに視線を合わせて来る。
「じゃなきゃ、ユエって呼んでもいい」
「欠片もピュン・フーにひっかかってねーじゃん!」
当然な隆之介の意見に、ピュン・フーはひらひらと片手を振った。
「通り名の変形じゃねーって。お袋がつけてくれた、俺の名前……月って書いてそう読むの」
「あ……そうか」
思わず、綴りから何か特殊な読み方に発展するのかも知れない、と考えてけれどスペルが解らないと煩悶しかけた所で与えられた答えに、些か拍子抜けな気分で隆之介はその意を受け取った。
「そうか。ユエか」
あまり馴染みのない言葉を確かめるように、舌にその名を乗せればピュン・フーが……ユエ、が微かに笑う。
「……すっげ久しぶりに聞くせいか、恥ずかしいな、なんか」
「照れるなよ。言ってるこっちが恥ずかしくなる」
向けられた眼差しが眠たげな瞬きに途切れがちになる。
 胸の傷は普通ならば致死、自覚せずに訪れる筈の永の眠りが、漸くその生に下りてきたのだと知れた。
 生半可でない苦痛を抱えて、そして笑ってみせるユエの、最期に居合わせたその事を、隆之介は改めて自覚して、微笑んだ。
「なぁユエ。楽しかったな」
何が、とは言わずに断定的な同意を求める……それにユエは少し笑って隆之介の肩に頭を預けた。
「楽しかったな、隆之介」
笑みを含んで隆之介の名を呼んだ、声を最期に。
 ピュン・フーはその、呼吸を止めた。


「お疲れサマ」
そうかけられた声と、視界に入り込んだ金のきらめきに隆之介は目の焦点を合わせた。
「……ステラちゃん」
『IO2』に所属するステラ・R・西尾の、その名を呼べば明らかな安堵の表情を浮かべる。
「ヒューの身柄はこちらで拘束したカラ安心してネ……ソレカラ、彼をこちらに」
彼、と言われて直ぐに意識が向かず、数拍の間を置いて漸く、隆之介はピュン・フーの……未だ抱いたままであった、ユエの亡骸の事だと思い至った。
「あぁ、そうか」
呟きながらも動かない、隆之介の意を別に汲んでか、ステラは少し悲しげに秀眉を下げる。
「ピュン・フーは元々『IO2』の預かりなノ……如何なる状況にあっても『IO2』はこれを回収する義務と責任があるカラ、どうしても、連れて帰らないとイケナイのよ」
連れて、帰るというステラの言葉に隆之介は彼女の顔をまじと見た。
 真っ直ぐな視線にステラは「イヤン」と可愛く照れかけるが、それを許す状況ではないと、小さな咳払いに誤魔化して隆之介の眼に視線を合わせた。
「ジーン・キャリアは、個としての概念の死だけでは細胞単位の生命活動を停止させる事が出来ないノ……特に、ピュン・フーはヴァンパイア・ジーンとの適合率が高かったカラ、きちんとした処置を施さないとイケナイの。解って……ネ?」
隆之介の沈黙を拒否と取ったのか、ステラがその遺骸の引き渡しを求める理由を口にする……が、隆之介には何処か遠い認識に、思考を揺さぶるまでに到らない。
 手足が重い……否、軽いのか。
 不用意に身体を動かせばそれだけでユエの亡骸を損なってしまいそうで、魂のない身体を離して肩にかかる重みを失えば、ただ座っている均衡すら保てない気がして。
 その躊躇に、隆之介に指一本すら動かせない。
 自覚した力は溢れるようなそれではないが、芯に、確かに通ったその靱さはあまりに強固で、その扱いを持て余す。
「ネェ、隆之介」
沈黙したままの隆之介に、ステラは静かに呼び掛けた。
「組織に反したりトカ、イロイロあったけれど」
誰を指しての言葉かは直ぐに解った。
 瞬きをした隆之介に、ステラは仄かに笑う。
「ピュン・フーと遊ぶノ、私は大好きだったワ」
組織に属するからには、表だって言えないだろう言を明かした、ステラの翠の瞳が潤んだ。
「イイ子だったわよネ、隆之介」
子供のような仕草でステラは掌で目元を拭うが、それでも溢れる涙に隆之介は無意識に手を上げた。
 指の背で、透明な雫を掬ってピュン・フーの頬を撫でる。
 暖かな涙に、固まりかけた血が溶けて滲み、指の腹で少し擦ればその下に肌の色が覗く。
「人妻泣かせるなんて、百年早ェぞ、ユエ」
返る事のない軽口に、隆之介は大きく息を吐き出して空を見上げた。
 天へと昇る月の色はその赤を脱して、澄んだ銀の光りを地表に注ぎ始めている。
 その、彼の瞳を偲ぶ事すら許さぬ色に向けて、隆之介は声の限りに吼きを上げた。