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<PCシナリオノベル(シングル)>


裁きの日

 再びに血肉を得る筈であった死霊の群が、寸前でその肉が溶け流れて行く様に聞き苦しい絶望と末期の悲鳴を上げて暴れる。
 その場に頽れて膝を付いたピュン・フーを見下ろし、久我義雅は淡々と、声を放った。
「こんな術を私に使わせる君が少し憎らしいね」
足下に転がるシルバーカラーの携帯電話に、細い紐で付けられたストラップ……ピュン・フー自身を模して作られたマスコットの生地が裂け、浸る赤を吸い込んで奇妙に生々しい赤い綿の間から、二つに割れた銀の鈴が覗いている。
 形を似せ、呪を込めて……施したのは、形代の術。
 意思なきとはいえ彼自身の手で義雅に加えられた危害は、術を介してマスコットへ、畢竟、それと見立てた彼自身へと返るように、そうとしたのは他ならぬ義雅自身だ。
 ピュン・フーの左胸に赤く、肉を覗かせて深い致命傷は義雅の胸を貫いた筈の傷。
 必然とも言える結果は、術を仕掛けた時点で想定されていた事……それと相反して、使わないで済めばいいと抱いていた願いは今更、虚しい言い訳でしかない。
 巨大な皮翼が軋んで撓み、細身の身体はその巨きさを支えるには滑稽にすら見える……惑い暴れる皮翼の動きに、その根本を支えてピュン・フーの背から伸びる骨格がめきめきと肉を割りながら自重に折れ、もう片翼もまた骨から歪んで地に倒れる。
 痛みの声も、息継ぎすらも許さない急激な変化はまた唐突に静まって、穴に落ち込むように訪れた静寂に、自らの呼吸さえも耳につく。
「ピュン・フー」
地に膝を付き、項垂れて動かない青年の黒髪に触れて、義雅は静かにその名を呼んだ。
 触れれば薄く……本当に、僅かにだがまだ彼が呼吸を続けている事が解る。
 足下に拡がる血だまりに躊躇せず、義雅はその場に片膝をついて、血の気を失って白いピュン・フーの顔を覗き込んだ。
 手を伸ばして頬に手を添え、肌の薄さに青いような瞼を指で撫ぜ、口の端に流れる血の筋を拭う。
 左の胸に赤く咲く、痛みの花を見詰めて義雅は嘆息した。
「私の幸せを奪うのはいつも、その幸せそのものだ」
傍らに在りたいと強い願いを抱く人間程、自分を置いて不帰となり、守りたいと言う願いすら彼の岸に届かぬまま流れ行く。
「君もまた、こうして私の幸せを奪うのだね、ピュン・フー」
呼び掛けは独言に近く、返る声を期待しないその筈が。
「それって俺のせいか?」
前触れなくぽかりと目を開き、異論を唱えるピュン・フーに動じる事なく、義雅は目元で微笑んだ。
「そうだよ、知らなかったのかい?」
不吉な月のその色に酷似して赤い、瞳を取り戻し、確かに焦点を結ぶ、真紅を義雅は覗き込む。
「誘ったの義雅じゃん……」
責任の所在を問うて、不満げに口を尖らせるピュン・フーの頭をぽんぽんと叩くのみで義雅は答えない。
「……義雅、ずっこい」
ピュン・フーは義雅の手から逃れるように、地に手をつく動きに上体を下げた。
 傾ぐ身体を支える、手と手の間を繋ぐ鎖が間を張って妨げるのに、地に着いた腕の肘を掌で掴むようにして真っ直ぐに保つ。
 それだけの動きに、ひどく疲れたような深い息を吐いて、ピュン・フーはふと、義雅に問うた。
「義雅、今幸せ?」
いつもの問いならいつものように。交わそうとして義雅は、項垂れた位置にも垣間見えるピュン・フーの口元が刻む微笑みに、沈黙する。
 遍く生命は陰と陽、その概念の狭間に存在し、どちらに依るかによりその質は変わる……その身であれ、心であれ、絶えず揺れ動く事で保たれる律。
 陰中の陽であれ、陽中の陰であれ、必ずその裡に相反する素を抱えて生然るべき、それが肉体を保持したまま急速に陰へと傾き、内なる闇の質の純度が高まっていくのが理解る。
 人としての意識は呑まれて消えるだろう……これが彼の最期の問いになる事を確信しつつ、久我を、束ねる長として、意識が消え去らぬ内に肉体を排除すべきだと、当然のような判断を下している。
「どしたんだよ義雅。もしかして腹痛い?」
それもどうかという案じ方でピュン・フーは、答えず、動かぬ義雅を見上げた。
「いい年してんのに、脱いだりすっから冷えんだぜ、ホラちゃんと着とけよ」
はだけたままのシャツを指して言う……自らの方が重篤な怪我人、というよりも立派な瀕死状態の癖に人にかまける余裕があるのではなく、意識を失う事すら出来ずに居るのだ。
 身を苛んでいるだろう痛みと、変化とを確かなに認識しながらただ受容れる、ピュン・フーの有り様に義雅は溜息をついた。
「ピュン・フー……君はあまり頭がよくないね」
とうとう疑惑を断定され、ピュン・フーがぐらりと傾ぐ。
 折れた皮翼に均衡が取れない為か、その姿勢から倒れまいと堪えるのが精一杯で動けないピュン・フーの肩に、義雅は手を添えて支えてやる。
「言っただろう、人を救えるのは本人自身だけだと。そして私の幸せを奪うのはいつも……」
救済と幸福は、決して同義ではない。
 並び立たぬ、想いならば祈りよりも願いを。そうとして、見送って来た人々の想い出の多さにまた一つ息を吐く。
「君だね」
「俺かよ!」
責任の所在を問う、当初の会話に戻る。
 けれど義雅の咎める言葉と裏腹に、幾度も髪を撫でる手にピュン・フーは軽く眉を上げた。
「……義雅ってば、意外と寂しがりんぼ?」
それは礼儀ならずとも、年齢を半世紀も過ぎた男性を称して相応しい言葉ではない。
 否定も肯定もしかねて沈黙する義雅に、ニ、と笑いかけて、ピュン・フーはその手を差し出した。
「そりゃ、悪いコトした、な」
請われて掌を強く握り、ピュン・フーの体重を支えてやれば、確かに自らの足で……痛みに僅か顔を顰めつつも立ち上がる。
「でもいいじゃん、ホラあの赤毛のにーちゃんとかも居るし」
「あの子はあの子で楽しいけれどもね。君は君で可愛いんだよ」
断言する義雅に、ピュン・フーは肩を震わせて笑いかけ、「痛てて」と呟いて胸を押さえた。
「う〜、悪ぃけど、そろそろみてぇ」
苦笑混じりに間近な死を見詰めるピュン・フーに、義雅は断定的に問う。
「君も私を置いて、逝くのだね」
ほんの一秒でも過去が決して変わらないように、未だにピュン・フーが、彼としての意識を保っている事自体が奇跡に近いのだと、重ねた経験と過去の知識が諦めを促す。
 最早時は残されていないと知りながらも、果敢無い願いを抱かずにいられない。
 愛しい者と共に、在る幸い。
 どれも長く続かく事はなく、たった一瞬の救いの為に幾度、幸いを失ったかは知れない……けれど。
「けれど私は幸いを失っても、この痛みごと、愛しいと思うよ」
痛みと称しながらも穏やかに微笑んで。
 告げる義雅に、ピュン・フーは肩の力を抜いた。
「ゴメンな」
謝罪は義雅の中に想いを残す事に向けてかそれとも、共にあった時を惜しんでか。
「ステラ、居んだろ?」
ピュン・フーは、瞼を閉じて背後に呼び掛ける。
「……ハァイ」
その声に応じて、遠目にもその起伏に富んだボディラインにそうと見分けられる、ステラ・R・西尾が木立の間から姿を現わした。


「そろそろお開きにして帰ろうぜ」
遊びの終わりを告げて明るい口調で、ピュン・フーが促す。
「俺もお迎え来てるし」
そうステラに足を向けようとしたピュン・フーの手首を掴んで、義雅は動きを阻んだ。
「帰る必要はないよ」
腕を引き寄せれば容易く蹌踉めき、均衡を失うピュン・フーの肩を義雅抱いて支える。
「彼の事は任せて貰おうか」
ステラに、そして『IO2』に向けての義雅の宣言に、他ならぬピュン・フーが問い返す。
「何言ってんだよ義雅。荷物になるだけだぜ?」
呆れを含んだ口調に、義雅は穏やかな笑みを向けた。
「解ってるよ」
対するピュン・フーは不満げに鼻を鳴らす。
「持って帰っても仕方ねーだろ。多分腐りはしねーけど、かさばるし」
「うちは広いから大丈夫だよ」
久我本宅は『うち』などという可愛く称せる規模ではない。
「俺の身体、取り扱い要免許だけど」
「私は上手だからね。大丈夫」
不毛と言ってはあまりに不毛な言い合いを見かねてか、ステラが軽く手を挙げて発言の許可を求めるのに、ピュン・フーと義雅は同時に頷く。
「ピュン・フーは元より『IO2』の預かりですノ……ジーン・キャリアの技術だけでは成し得ない希有な成功例ですのよ。ですからその子を返して下さいな」
小首を傾げて可愛く、強請る口調でステラは義雅に理解を求める。が、義雅はその説明にゆっくりと首を横に振った。
 物分かりの悪い、というよりも理解する気の毛頭無い義雅に、ステラはどう説明したものか悩んで瞼を揉む。
「テイクアウトなさっても、生ゴミに出せませんわヨ? ヴァンパイア・ジーンの生命力は旺盛ですから、統括する意識がなくなれば個々の細胞は遺伝子の維持の為に必要とする一定の栄養を求めテ……他者へのコピーは不可能だけれど、闇雲に人を襲うクリーチャー、は久我様のお手を患わせるだけですワ」
「て、コトだから義雅」
ステラの説明の後を受けて肯定し、足を踏み出そうとするピュン・フーの、腰を抱いて義雅は更に動きを封じて耳元に囁いた。
「一緒においで、ピュン・フー」
同時にふ、と吹きかけた息にぞわりと鳥肌を立てて動きを止めたピュン・フーに満足げに、義雅はステラへと向いた。
「……陰陽の調和は崩させないよ」
闇へと傾けて存在の質を塗り替える、本来の生を歪めて玩ぶ行為は如何なる大儀を翳しても許される事ではない。
「趣味ならまた、話は別だけどね」
義雅のこっそりとした呟きは幸いにして耳に届かなかったのか、ステラは緑眼に憂いを込めて眉を顰めた。
「旦那サマと仲良くして下さってる方ニ、こんなコトをするのは心苦しいんですけれども……」
沈痛の面持ちで、ステラは腿につけたホルスターから取り上げた銃を義雅に向けた。
「彼の死は、肉体がヴァンパイア・ジーンオンリーになった事を示すコト。如何なる状況にあっても『IO2』はこれを回収する義務と責任がありますの」
実力行使も辞さないと、態度で示してみせるステラに、けれど義雅は動じずに告げた。
「それは『IO2』の、『久我』に対する意識の表明と見て取っていいのかな?」
「久我様こそ。世界の『IO2』の公務の執行を妨害するのハ、賢い方法とは思われませんワ?」
「てか俺の意志は無視かよ」
ひんやりと体感温度の下がる遣り取りに入った茶々は黙殺される。
「……それは別としても、私の秘書は優秀でね。私に危害を加える者が居ると見れば容赦しない」
言葉の終わりにざくりと、ステラの数歩前の地面に一本の矢が突き立った。
 光を放つような……否、自体が光で構成されたそれは、まさしく威嚇の意に放たれている。
「お引き取り、願えるかな?」
ステラは矢が放たれたと思しき方向を横眼に探るが、人影を確かめる事は出来ない。
 陰陽の旧家である久我家。政財界に張る根も深く、その当主に類を及ぼしたとあれば日本で動き難くなるのは必然である……そも、勝ち目は薄いのだ。
「……解りましたワ」
ステラは銃口を天へと向けて肩を落とした。
「後程、正式に場を設けさせて頂きます。それまでは彼はお任せ致しますわネ」
それでも諦めた訳ではない、としてステラは肩にかかる金の髪を手で払い除けた。
「……デモ、久我様。また私のお茶の誘いには応じて頂けるのカシラ?」
「それは是非。御夫君にも、おでんの屋台に案内して貰えるのを楽しみにしていると、伝えて貰えるかな?」
プライベートでの付き合いを覗かせて答える義雅に、ステラはあからさまにホッとした笑顔を浮かべた。
「ヨカッタ、折角オトモダチになれたのに、こんなコトで遊べなくなるのハ寂しいですモノ」
そしてすっかり話の輪から外されて不満げなピュン・フーに、ステラは笑みを向けた……その眦には涙が浮かび、胸の前で組まれた手が震えている。
「それじゃ、ピュン・フーいいコにして可愛がって貰うのヨ? 幸せにネ?」
言いたい事だけ言うと、ステラはクッと涙を振り切るようにしてそのまま乙女走りで駆け去っていく……。
「……俺にどうしろって?」
「いい子にしていればいいんじゃないかな」
意見を求めて真っ直ぐに視線を向けるピュン・フーに、義雅は顔を背けてそう答えた。


 車窓に街の灯が流れて消える。
 ほとんど振動を感じない車内、ゆったりと広い後部座席のソファに深く座り、窓に頭の重みを預けるピュン・フーの瞳の赤を硝子越しに見ながら、義雅は帰路へとついていた。
「後の始末はちゃんとしろよ」
「私も本職だからね。大丈夫だよ」
「面白がって放っとくなよ」
「我慢するよ」
くどい程に念を押すピュン・フーに義雅は苦笑する。
「余程信用がないのかな……少なくとも、あちらよりは大切にするつもりだけれど?」
「専門家に任しといた方が安心なのは、当たり前じゃん」
憮然とするピュン・フーに義雅は微笑んだ。
「ならそんな身体に、ならなければよかったろうに」
否定ではなく問う響きで、伸ばした手で頬を撫でる義雅をピュン・フーがじろりと横目に睨んで、そしてふ、とひとつ息を吐いて背もたれに体重を預けた。
「……十の時にお袋が死んでさ。だからって家庭のある親父の世話にはなりたくねーし、でも日本じゃ就学年齢のガキを雇うようなのってヤバいトコしかねーじゃん?『IO2』から話が来たのは渡りに船だったんだよ」
選択を強いられたそれを淡々と、悔いも嘆きもなく告げる。
「お袋の遺言が幸せになれ、だったから色々と頑張ってみたケド」
頑張り方が間違っているような気がしなくもないが、飄々としてみせて懸命なのは確かで、義雅は無言でその髪を撫でた。
「人間と違うモンになって……死も身近に置いてもみたけど、俺には不幸がなんなのかも、よくわかんねェままだったから」
声は呟くように、多分、彼にとってただ一つの心残りを語る。
『IO2』に求めた資料に、吸血鬼の遺伝子に適合を見せる、それが遺伝的な物かそれとも突然変異的に生じた特性なのかを記した論文の所在は明記されていた。
 秘文書扱いに閲覧は出来なかったが、概略に記された彼の両親……日本で別の家庭を持つ父と、香港で彼を育てた母と間に私生児として生まれている。
 国籍を選択出来るよう、認知を受ける為に訪れた日本で母を亡くし、父に身を寄せる事さえしなかった彼が、一般的に不幸と称するだろう境遇乍ら、解らないと首を傾げるのに義雅はピュン・フーを引き寄せて肩に頭を凭れかけさせた。
「本当に君は……」
善も悪もなくただ一途なばかりに。
 肩に感じる重みに意識を向ける。
「……君の、幸せは何だったんだろうね」
呼吸はあるかなしかに静かで、うと、と閉じた瞼の色は薄くて青白く……ふ、とかかる重みが軽くなった。
 それは向けた問いに返る答えが、永久に返らない事を示す。
 喪われるのは魂だけではない……生きて残された者達が受け手のないままに放つ想いと願いと。
 虚空に放たれて散じ消え行く、祈りと呼ばれるそれを。
 悼んでゆっくりと、義雅は瞼を閉じた。