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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


あなたのために。



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 三が日は完全休日の予定だったのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。

 セレスティ・カーニンガムは年末から年始にかけて、まさに引く手数多という風情であちこちと歩き回る羽目になっていた。財閥総帥としてではなく、私人としての付き合いの広さが彼を多忙にさせる。
 いや、セレスティ自らその多忙に飛び込んでいると言ったほうが正しいのかもしれない。あの興信所やら編集部やらアンティークショップやら、連れとともに連日様々な場所を訪れては騒ぎに付き合っていたのは、自分自身がそうしたかったからだ。

 だから「歩き回る羽目になった」だのと人の所為のように言うのは良くないような、でも実際自分は疲れたのだから少しくらい人の所為にしたっていい気もするような。いや。誰の所為でこうなったかなどというのは、この際別にどうでもいいことなのかもしれない。
 とにかく。元来人ならざる身であり、歩行に車椅子やステッキを必要とする彼にとって、やはりそういう挨拶回りというのは疲れる行動である。年末年始という節目で周りの人々の精神が高揚している時期なら尚更だ。

 というわけで二〇〇五年一月四日。疲労が限界に達したセレスティは、主治医曰く「人間工学的に計算し尽くされており身体への負担に関する心配など無用」という愛用のベッドでそれはもうぐっすりと眠りこけていた。
 ちなみに、現在の時刻は午後四時をゆうに過ぎてしまっている。



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 池田屋・兎月は、主に前もって言われていた『食事会』の準備に勤しんでいた。
 その『食事会』に誰を招待するのかは自分には特に伝えられていなかったが――そもそも誰かを招待するという話は何も言っていなかったが――用意する料理の量が主一人で食べるには多すぎる。ということは、いずれ誰か友人知人、果ては大事な人、とにかく誰かが来訪するのであろう。
 なお、その『食事会』のコンセプトは和洋中問わず、くだけた言い方をすればごちゃまぜということであったので、兎月は主が熱い食べ物が苦手なので舌に刺激の少ないものを選ぶことを心掛けた以外は、自らのお勧め料理に腕を振るうことに自分の持てる力を捧げることにした。

 今回は季節が季節ということで、まずは五段の重からなる御節を。
 重は昨年の暮れに兎月自らが選んだもので、落ち着いた色味もそうだが何よりも漆塗りの手触りがとても心地良かったことが購入の決め手となった。
 中身は御節料理の定番を揃えているのはもちろん、そのどれもが最高級の素材を使いつつ、且つ兎月独特のアレンジを加えた他に類を見ないものである。
 なお、五の重には何も入れられていない。天まで届くと伝えられる塔の如くに高みに昇りつめ、栄華の限りを得ているリンスターにとって、これ以上の繁栄など望む必要もないのかもしれないが、それでも五の重は空にしておくことにした。そうすることで、この御節を食べた者たち自身の繁栄に繋がるかもしれない、そういう思いが兎月の心にふとわき起こったからだ。

 御節の次は、各種料理のオンパレードである。
 冷製スープに、サーモンのタルタルや各種チーズ、生ハム、シーフードマリネ、ローストビーフといった前菜。また、少しだけ熱いものもということで、デュセスポテトを飾りにあしらった帆立のコキールと、オマール海老の香草焼きも用意することにした。
 オマール海老は主からのリクエストには入っていなかったが、久しぶりにブルターニュの特上ものが手に入ったので、少々熱くても是非食べていただきたいと思いメニューに加えた。

 そして主がいつも何よりも楽しみにしているのがデザートである。
 甘い蜜が溢れんばかりに含まれた林檎に、追熟期間を経てまさに食べごろになった洋梨。その他色とりどりの果実を生で、さらにタルトで。純度百パーセントのジュースにしてもいいかもしれない。
 また、主の特に好きなプディングは、スタンダードなカスタードだけでなく他にもカラメル、マロン、パンプキンを、さらに抹茶やライスといった変り種も用意してみた。



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 デザートといえば。最近主は和菓子を所望するようになった。
 元々甘いものは好きな主であったが、あくまでそれは洋風菓子の話であり、餡ものや練り切りといったいわゆる和菓子はあまり好んではいなかったように思う。
 しかしある日を境に、しきりに和菓子を、和菓子をと口にするようになった。いつからだったろう。

 いつからかは置いておくとして。兎月としては、主のその変化は嬉しい限りであった。
 料理を作るのは兎月にとっては限りなく楽しいものだが、特に和菓子の追求の楽しさといったら。
 まず、素材そのものを特に大事にするものであるから、いかにそれぞれの素材の良さを消すことなく、逆に調和させ素材そのものの魅力を最大限に引き出すことができるかが重要となる。それは調理人として実に挑戦のし甲斐があることである。
 それに、和が持つ独特の情緒溢れる色彩は、それらで一体何を表現しようかと考えるだけでも胸が躍り手を動かさずにいられないほどに美しい。そしてそういった表現も、まず素材あってのこと。素材を大切にするものだからこそ、日々精進、追求することが限りなく楽しく思えるのである。

 和菓子のことを考えているうちにふと思い出したことがある。兎月の本体は絵皿であるが、元は盛り付けのためのものではなく飾り皿であった。しかし流れに流れたある所で、菓子を乗せる器として何度か使われたことがあった。はっきりとした記憶として残ってはいないものの、皿である自分に乗っている上品な京菓子の類(だったと記憶している)が、食していた者にこれ以上ないくらい満ち足りた表情をさせていたことだけは、強く印象に残っている。
 自分が和菓子により強い思いを抱くのは、そのときの体験があるからかもしれない。

 ある日その話をこの屋敷の使用人の一人にしてみたところ、金髪の彼はこんなことを言った。
「成る程。兎月君がお皿になったら女体盛りならぬ兎月君盛りということになるわけですか。それは実に楽しそうなお話で。私もいつか味わってみたいものですよ」
 と、兎月にはいまいち意味の飲み込めない台詞を言うと、何やら妙に意味深な笑みを浮かべて去っていった。あれは何だったのだろうか……。

 と。そんなことを考えていたからすっかり手が止まってしまっているではないか。兎月はいかんいかんと気を引き締めて、主が「私は詳しくありませんから」と選択を兎月に一任した、各種和菓子の確認に取り掛かった。
 今回用意したのは色とりどりの上生菓子に餅菓子の類、それから干菓子、さらには兎月の技術と創造力を駆使して今回作り上げることに成功した、名のない菓子。
 その名のない菓子は、柔らかな雪の世界をそのまま閉じ込めてしまったような、淡く暖かい白色をしていた。力強く指でつまんでしまったら雪の晶のように消えてしまいそうなほど儚げなそれは、舌に乗せると不思議なほどにすうと溶けていき、そして和三盆糖特有のやさしい甘みがやがて口中に広がってくる。 ちょうど今年の元旦は関東も雪であったことから、淡雪のイメージにぴったりなその菓子をこの食事会のデザートのひとつに加えたいと思って兎月は研究を重ね、見事に作り上げたのであった。
 主様には、喜んでいただけるであろうか。



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 考え事をしているうちにふと主の顔を思い出した兎月であったが、そのときふと今晩の「食事会」は夕方六時からではなかったか、という記憶が思い出されてきた。
 そして壁に掛かっている時計を確認すると……五時四十五分。
 開始時刻まであと十五分しかない。たしかに昼頃に訪れた主の寝室からは「わたしは完全に熟睡中ですよ」とアピールするような心地良さそうな寝息が聞こえてきていたから、当分起きないだろうとは思っていた。しかしこれではお客人を待たせてしまうことになるのではなかろうか。兎月は不安になった。

 そのとき。背後でドアの開く音が聞こえてきたので、兎月はそちらへと振り返った。
 そこには皿の一件で的を射ていない話をしていた彼が立っていた。この屋敷の者たちの中では、彼が一番主と近しい筈である。そんな彼ならばきっと、主が今どうしているか知っているに違いない。兎月は早速彼に、主の現在の様子について尋ねようと思ったのだが、彼の発言に先を越されてタイミングを逃してしまった。
「おや、これはまた随分なご馳走ですねぇ。私もあやかりたかったものですよ、全く」
 彼は料理の類をざっと見回すと、それから近くにあった器を手に取り、兎月の顔を見た。
「今回は、兎月君盛りの登場はないのですか?」
 それから意味深な笑みを浮かべる。しかし兎月にとっては意味がわからない。
「わたくしめはよく存じませんが……おそらく、ない、のではと思われますが」
 そう返答すると、彼は「それは残念です」と一笑し、厨房から去ろうとした。

 その足がふと止まり、彼が振り返る。
「そうそう。あの方でしたら私がちゃんと起こしておきましたのでね。まだぼうとしていたようですが、ぼうとしているあの方から兎月君に言付かっていることがありましたからお伝えしておきます」
 彼はそう言うと、主からの伝言を一字一句漏らさず正確に、兎月へと伝えた。
「本日の『食事会』は私の部屋で行いますので料理は全て部屋まで運んでください。また、兎月くんは正装かそれに準ずる服装でいらしてください――以上、ぼうとしていたあなたの主様からの伝言です。あんな調子でしたから寝ぼけていただけかもしれませんが、まあそれでも一応お伝えしましたのでね。それでは私は失礼しますよ」
 彼は端正な顔の口許を少し上げて笑ってみせると、厨房から去っていった。



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 兎月は彼が運んでくれた伝言を頭の中で反芻する。
(……わたくしめが、正装?) 
 これはまた一体、どうしたことだろう。もしかすると、とんでもない客人のご来訪で、少しの失礼すら許されないとか……。
 例えば。本日のお客人は恰幅よろしくそれでいて眼光のやたら鋭い、成金趣味がありありと見える類の人物で、兎月を見るなりこう言うのだ。
「何じゃあその格好は! ワシの前にそんな汚れた服なんぞでよく姿を現せたものだな! ええい本日の食事会は打ち切りじゃ、打ち切りじゃあ!」
 獅子や大熊の如く、こう言うのだ。
 ……想像するだけで自分の体がしゅんと縮んでしまう。
 このとき兎月の脳裏を何となく「うさぎは寂しいと死んじゃうのよ」という言葉が過ぎったが、彼の心情を的確に表す言葉であったかどうかは極めて微妙である。
 とにかく。成金趣味の男に罵倒されてはたまらないので、兎月は慌てて自分の略礼装に身を包むと、部下の調理人の助けを借りて、火を通さなければならないもの以外の料理の数々を、セレスティの自室へと運んで行くことにした。



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「おや兎月君。ご苦労様です」
 失礼しますとこちらがドアを開ける前にドアを開け廊下を覗きこんできたのは、兎月の主、セレスティ・カーニンガムであった。その服装は、なんとガウン姿。兎月の瞳が驚きで丸くまる。
「あ、主様……そのようなお召し物では、お客人に失礼なのでは……?」
 兎月が開いた口が塞がらない状態でそう告げると、セレスティは一瞬きょとんとしていたが、やがてにこりと笑って言った。
「ああ。外からの客人など今回は呼んでいませんから、心配無用ですよ」
「それでは何故わたくしめに正装など」
「だって、お正月じゃないですか」
 そう言ってにこりと微笑む主。
 兎月は表情こそ平静を保っていたが、内心ではそれはもう心底安堵していた。「うさぎは寂しいと死んじゃうのよ」などという不穏な台詞などあっという間に彼の語彙から抜け出てしまう程に。
「それでは、お運びいたしますので、少々お待ちくださいませ」
 兎月はそう一礼すると、部下たちに的確に司令を与えていき、あっという間にテーブルセッティングを済ませた。それから部下たちに主に向かって一礼させ、それぞれの担当の場所へと戻らせた。



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 『食事会』における兎月の仕事はここで終わりではなく、むしろここからが本領発揮と言ってもいい。
 主の傍らで、料理ごとの名称はもちろん、具材や味つけについての説明、果てはそれらにまつわるちょっとした薀蓄など。主により一層食事を楽しんでいただけるよう、兎月は自分の持つ料理の腕だけではなく、知識も時間も全てを捧げるのである。
 そして主は、兎月のそんな心が報われるどころか、報われるなんて言葉では表現しきれぬほどに様々な礼や態度でもってそれに返してくれるのだ。

 第一に、食材の話にゆっくりと耳を傾け、興味のある事柄にはさらに言及し、ときには空き時間に書物やウェブで調べることすらあるということ。それは、主にとっては「おいしいですよ」という感情を伝える一つの手段なのだろう。美味しいものでなければ、個々の食材への興味など持たないだろうから。
 第二に、一品一品を無駄に残すことなく全て食べてくれること。ただ食べきるだけではなく、ほんの少し残ってしまった玉ねぎのかけらや、皿に広がったソースまで。主が食事をした後の食器は、洗う必要がないのではなかろうかというほどに綺麗なのだ。作り手としてこれ以上嬉しいことはない。
 第三に、主は料理にまつわる全ての事象を楽しむ。食器が変わるとすぐ気付いて兎月に尋ねてくれるし、色を捉えない目を持つにもかかわらず、食器や食材の色を兎月に聴いては、主の中で昇華する。きっと彼の心の中には、様々な料理や食器の持つ、時に鮮やかで、時に繊細で、時に深みがあり、時に大胆な色彩がはっきりと映っているのであろう。

 そう。主は自分の知る誰よりも、料理を楽しんでくれている。
 自分は、そんな主に少しでも尽くしたいと、より料理を楽しんで欲しいと切に願う。
 だから今日も、彼の傍らで様々なことを語りつづけるのだろう。

 回想しつつ満足感とこの主に仕えることができた自分の幸運を思い胸がいっぱいになっていた兎月であったが、しかし主が思いがけないことを言ってきた。
「さあ兎月君、そちらにお座りください」
 主が指しているのは、主の席の向かい側。兎月は一瞬何のことやら理解できず、ただ主の顔を凝視しているしかなかった。真意がわからない。
 少しばかり挙動不審だった兎月を見て、主がクスクスと微笑む。ややあって彼の口から紡がれたのは、兎月にとってより一層思いがけない台詞であった。
「本日の『お食事会』の来賓は、兎月くん。あなたなのですよ」
 主がにっこりと微笑む。兎月は内容が理解できず暫く固まっていたが、やがて、
「は、はい?」
 と、ワントーン上ずった声をあげると、また固まった。



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 暫く固まっていた兎月であったが、やがて少しばかり平常心を取り戻したらしく、セレスティのほうへと向き直ってきて言った。
「いえ、しかしわたくしめは食事を必要とせぬ身でございます。それは主様もご存知のはず」
「ええ、存じておりますよ。でもちゃんと食べられるではないですか」
「それはそうですが……しかしまたどうしてそのようなお戯れを」
 兎月がまるで理解できないといった声でそう言ったので、セレスティはにっこりと微笑んだ。
「けして、戯れなどではありませんよ」
 セレスティの持つ、汚れ無き真の笑顔であった。兎月は黙って、話の続きを待っている。

「ねえ兎月君。料理というものは本当に不思議なものですね……おいしいものを食べているときは、誰もが心に安らぎを得ます。心が満ち足りるという感覚を得ます。そして兎月君。あなたの料理はただ空腹を潤すだけではなく、寧ろ心に潤いを与えるもの。安らぎや暖かな心、たくさんの優しい心を食べた者に与える、そんな力を持っているものです。芸術、と言ってもいいかもしれません」
 兎月は黙ってセレスティの話に耳を傾けている。セレスティは、自分の口から紡がれる声が、いつもより随分優しい響きを帯びているような気がした。

「私が今兎月君に言ったことは、兎月君も理解していることでしょう。いえ、私などよりずっと理解していることと思います。だからこそ私は、たくさんの幸せな気持ちを得ることができたのですから」
 そう。他の誰よりも彼が理解しているはずなのに。それなのに自分だけが幸せの供給を得ることができるなんて間違っている。彼こそが、美味しい料理を美味しいと思うことで、幸せな気持ちを得なければならない。セレスティはそう思う。
 だからセレスティは、この場を用意したのである。

「兎月君。私は、私があなたからいただいた数え切れないほどの暖かな気持ちを、今、ここで感じていただきたいのです。私と共に食事をして、私と同じ気持ちを味わって欲しいと思うのです。そう思い、今日のこの席を用意したのですから……一緒に『お食事会』をしていただけますね?」

 セレスティが優しい微笑みを彼に向けると、兎月は俯いたままで小さく頷いた。
 ぽつり、ぽつりと、テーブルクロスに沁みているのは、彼の、涙であろうか。
 セレスティはそれには言及せず、テーブル上に並べられた数々の料理をぐるりと見回すと、にこりと笑って兎月に言った。

「では、まずはデザートからにしましょうか」

 兎月が椅子から盛大にずり落ちる音が、室内にこだました。



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2005.01.11 祥野名生