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あちこちどーちゅーき 〜狐の嫁入り〜
「……あれ?雨だ」
桐苑・敦己は、投げようとしたコインにぽつりと散った水滴を見て、そう呟いた。此の侭獣道を進んで日暮れ前までに森を抜けられるか、其れとも国道に出て道を沿い直すか。其れを決めようとコインを投げ掛けた、正に其の時だった。
可笑しいな、さっきまでは綺麗に晴れていたのに──そう思って空を見上げると、矢張り空は綺麗に晴れ上がったままであった。だが、コインに落ちた水滴と同じものが、空を見上げた敦己の顔をぱたぱたと叩く。違いない、雨だ。
「狐の嫁入り、かぁ」
コインをポケットに仕舞い、何処か雨宿り出来る場所は無いかと辺りを見回す。大木が在れば其の下で休めるし、無ければ先程見つけた国道へ出る細道の場所まで戻って、適当な屋根を見付けるだけだ。だけれど森の中で狐の嫁入りとは情緒が在る、出来れば此の侭森の中で遣り過ごして、又歩きたい物だけれど──そう考え掛けた時。
「もし、御通し下さいませな」
鈴の音を振るような、軽やかな声が敦己の肩を叩いた。
ああいけない、つい考え事に熱中してしまったか。そんなことを思いながら、敦己は声が聞こえた方に振り返る。此処の麓(ふもと)の人なら、雨宿り出来る場所も聞けるだろう。
「すみません、此処らで雨宿り……出来る……場所?」
振り返った先には、声に相応しい年若い女性が居るものと思っていたのに。
そう思い込んでいた自分の目に映った物に、敦己の問い掛けは中途半端なものとなって口から零れ落ちた。
振り返った敦己の視界に映ったもの──其れは、何とも煌びやかな行列だった。
自分に声を掛けたらしい先頭の少女は、赤い番傘をさして、豪奢な着物を纏っている。其の後ろには矢張り一目で贅沢と判る着物を来た屈強そうな男達、そうして──白無垢に包まれたとんでもない美女と、其の手を引く礼装の年老いた男性。其の服装で、一目で結婚式の嫁と父親だと判る。其の後ろには、黒塗りの箱を捧げ持った稚児達が、ちょろちょろと美女の後ろを歩いていた。
「御方様の嫁入り行列で御座いますよ。さあ、さあ、御退きなさいまし」
敦己は聞いて、小さく眩暈がした。
御方様の嫁入り行列?そしたら此れは狐の嫁入り行列だというのか。否、そんな事が在る筈が無い。緩く頭を振って、敦己は其の考えを追い払った。だけども、だったらこの行列は何だと言うのだ。何かの見世物だろうか、でもこんな森の中を通る筈が無い。では、矢張り──?
「……ええと、少し構いませんか。此れから何処へ行かれるのです?」
ええい、少しの間、狐に化かされてやろうじゃないか。そう決めて、敦己は先頭の少女にそう尋ねた。自分の所為で足並みが止まってしまっている行列を見遣りながら、狐が化けているにしては大した物だと感心する。
まるで、江戸時代か何かの将軍様の嫁入り行列じゃないか。実物を見た事が無いから、言い切れないけれども。
「虹の向こうの、神様の祠へ嫁ぎに参るので御座います。だから、虹の消えないうちに辿り着かなければならないのです」
番傘をくるりと回して、少女ははきはきとした口調で答えた。まだ幼さが残る顔には、ほんのりと化粧がしてある。紅が挿された唇が言葉を紡ぐ度、此れじゃあ狐に化かされる人が出るのもしょうがないな、と敦己は思った。
す、と少女は言葉に合わせて敦己の向こう側、空を指差した。
何時の間にか、雨は上がっている。雨の上がった其の空には、大きな虹がぼんやりと霞んで掛かっていた。
敦己も振り返り、其の虹を眩しそうに見詰めた。成程、確かにこの虹は直ぐに消えてしまいそうだ。少女が急いてしまうのも判る。
「其れじゃあ、貴方達は急がねばならないのですね。其れは失礼。どうぞ、跳ね返る泥に気を付けて」
言って、敦己は獣道の端に寄った。多少泥濘(ぬかる)んだ地面、花嫁の白無垢を見ながらそう付け加える。其れに気付いたのか、花嫁はちらと顔を上げ、にこりと敦己に微笑んだ。熟した其の艶やかな微笑みは、矢張り人間にしか思えない──だからこそ、狐に化かされる人が今も昔も居るのだろう。
「有難う御座います。貴方も、道々御気を付けて」
少女は軽く頭を下げると、ころりころりと下駄を転がしながら、ゆっくり獣道を進み始めた。先頭の少女が進むに連れて、後方もゆるりと進み始める。
敦己は行列が過ぎるのを見送りながら、ちら、と空に視線を遣った。この行列が行き着くまでに、虹が消えなければ良いのだけれど。
視線を戻して、行列を後姿を見遣る。
其処に見得たものに、敦己は思わずくす、と笑いを零してしまった。
──油断をしたのか、其れともあのままだったのか。
行列に加わっている者達全員の後姿に、ふっさりとした狐の尻尾が見えた。
矢張りあれは、狐だったのだ。
晴れ上がった空を見詰めて、敦己は小さく、だけれど満足そうに息を吐いた。
■■ 狐の嫁入り・了 ■■
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