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<PCシナリオノベル(シングル)>


裁きの日

「ヤや……イヤや……」
ピュン・フーの胸元から溢れる鮮紅色ばかりが世界に唯一つの色であるかのように、目を惹き付けて離さず、その、意味を理解する事を拒否して、箕耶上総は首を横に振った。
 五指は根本の銀のリングまでをその胸元に埋め、赤に染まって滑るように輝きを失う、それに思わず手を伸ばす。
「何、してんねや……ッ」
肘に手をかけて強く力を込めれば、胸に沈む手は意外と容易に、引き抜けた。
 それと同時に、背に張る巨大な皮翼は軋むような音を立てて撓み、惑い暴れる動きで、その根本を支えて背から伸びる、太い骨格がめきめきと肉を割りながら自重に折れ、もう片翼もまた骨から歪んで地に倒れる。
 再び、血肉を得ようとしていた死霊が、黄泉に追い落とされる断末魔の叫びが宙を渦巻くが為す術ははなく、じりと灰と化していく皮翼と共に消えていく。
 ピュン・フーの胸の傷から溢れる血は止まらず、鮮血に色味の薄い肌を染めた手を強く握り、腕の間に割り込むようにして上総は黒い姿をかき抱いた。
「何、してんねや……」
震える問いに答えはなく、煩いまでの自らの鼓動を打ち消すように、上総は声を張り上げた。
「死んだら許さへん言うたやろ…? なぁ、何してん…?!」
自らの打つような叱声に、涙が零れ落ちる。
 頬を濡らして止め処ない涙にしゃくりあげ、上総はピュン・フーの肩口に目元を擦りつけて泣き惑う。
 許さない、許せない。
 まだ、ピュン・フーを『幸せ』にしていない。自分が、自分こそが幸せにしてやりたいのだと……。
 心に強い誓いも願いももぎ取って、死を。選んだのがピュン・フー自身だなどと、認められる筈がない。
 自分を置いて逝くなどと。
「ぅ……ぇ……ッ」
嗚咽に震える肩に不意に手が添えられて、上総は驚きにしゃくり上げた。
「ピュ、フー……ッ?」
爪は変わらずに硬質に伸び、上総に死を与えるには充分に鋭利だ……が、掌は柔らかく肩に乗せられて、ぽんぽんと宥める優しさで軽く叩く。
「上総、あんま泣いたら目ン玉溶けちまうぞ」
ハッと顔を上げれば、赤く染まった月のような瞳が確かな意思を持って至近に上総を見つめ、笑みさえ浮かべて細められるのに、くしゃりと顔が歪む。
「ピュン・フー……ッ!」
「痛い痛い痛い痛い、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッ」
思わず抱き付いて押し倒した上総に、実際洒落になってない訴えにピュン・フーの悲鳴に、慌てて飛び退ける。
「うわ〜ん、しっかりしぃや、ピュン〜ッ!」
動揺のあまりか、ピュン・フーのコートの襟首を掴んでがくがくと揺さぶる上総は、どう見ても止めを刺しているようにしか見えない。
「死なんとってピュン〜ッ!」
地についた片肘で上体の体重を支え、軽い咳を吐き出しながらも手を伸ばしてピュン・フーは、胸の上に泣き伏せる上総の髪を撫でた。
「だからピュン・フーだっつって……って上総、泣くなって、な?」
飽きずに主張しつつ、困ったような声と手の重みとに涙が止まらずに居る上総に、ピュン・フーはしばし黙して……ふと、笑いの気配を吐息に零す。
「なぁ、上総。今幸せ?」
「そんなワケが……あるハズないやん!」
喪失の痛みは胸を締め付け、苦しいばかり……その原因が、死の淵で問うにはあまりに呑気で、上総は身を上げて今度こそ胸倉を掴みかからん勢いで激昂した。
「俺はピュンが好きやて言うとるやろ?! それを……それをなんやの、俺んコトばっかり気にして俺ん気持ちは考えんと! キライやら、一緒におりたないやら……嘘ばっか、ゆうて……ッ!」
声涙倶に下り、新たな涙を頬に伝わせながらも、上総はピュン・フーが上体を起こそうとする動きに背に手を添え、体重を支えてやる。
「ピュンががおらんかったら、幸せなハズないんや」
涙を片手の袖口でごしごしと強く拭う上総に、ピュン・フーは心底申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「や、なんかで死んだヤツに泣けるのは幸せだとかなんとかいうのを読んだ覚えがあって……ホントにそうかな、と」
「まだ死んどらん! それをなんでそんな嬉しそうに聞くねん! 不謹慎やろ!」
微妙に焦点のずれている上総の大目玉に、ピュン・フーは苦笑を浮かべて軽く肩を竦めた。
「や、間際って結構下らないコトまで思い出すモンだな、とか」
その一言に、あからさま頬を膨らませた上総が拳を固めるのに、何かしらの失言を理解したピュン・フーは中空に視線を彷徨わせた。
「あ〜……、その、悪かった」
怒りを鎮める妙案は思いつかなかったのか。
 素直に首だけでぺこりと頭を下げるピュン・フーに、上総は膨れっ面を解いて、溜息と共に肩の力を抜いた。
「……ピュンらしすぎて、怒っとられんわ。まぁ其処にも惚れとんねんけど」
 目線を下げれば否応なく、その胸を抉る赤が目を惹きつけながらも、正視に耐えぬ痛みを鮮やかに流し続けている。
 人で、ない。だからこそ未だこうして言葉を交わせているだろう事は、上総にも理解った。
 だが、それも長くはないだろうとも、思う。
 確かに痛みを感じているだろう事をいつもより動きの少ない所作に判じ、上総は胸の傷口から視線を引き剥がし、ピュン・フーの真紅い瞳を真っ直ぐに見据えた。
「なぁ、ピュン。俺、神様とか運命とか全然信じとらんかってん」
不意に話題が変わるのにピュン・フーは僅かに首を傾げて見せ、それに先を促されて上総は続ける。
「神様がおるんやったら、なんでおとんとおかんが死なんならんかったんか聞きたかったし、運命があるんやったらなんで俺は一人ぽっちでおんねやろて、ずっと思とった……でもどっちも確認でけへんし、やから神様はおらんし、そんなん運命やらないて」
まるで拗ねた子供のような、それだとは自分でも思うが言いながらも生地での思い出がふつふつと胸の蘇って上総は自然と口の端が上がるのを自覚する。
「けどなぁ、今やったら……解んねや。俺が一人でおったんは、ピュンと一緒におる為やて。しやったら、神さんでも運命でもどっちでもえぇ。信じたる」
哀しみも確かにあった。けれどそれも喜びに連なって溢れ、上総を構成する想いの全てが、今この目の前の存在に帰結する。
 ピュン・フーと共に在る、ただそれだけの願いすら叶わぬのならば、上総はこれ以降の自らの生に、意味を見出せない。
 深まる微笑みにつられて、眦から新たな涙が零れて落ちた。
「……なぁ、一緒に連れて逝って?」
共に在る、ただそれだけが。
 それが一番の幸せ。
 呟きで、上総はピュン・フーの唇を塞いだ。
 唇に感じる吐息はほとんどないが、硝子の冷たさを想起させる体温の低さは、いつか水の蒼を背景に交わした口付けを思い出して、上総は微笑んだ。
「ピュン・フー、愛してる」
自らの熱を分け与えようとするかのように、強く深く口付けながら、上総はピュン・フーの手に触れた。
 厚みはあまり感じられない、筋張った甲に続いて長く細い指の間に、自らの手を絡めるようにして持ち上げてそして、その鋭利さを保つ切っ先を自らの胸へと導く。
 共に在る、それが一番の幸せだと、彼も思ってくれれば嬉しいのだけれど。
 爪の先端が肌に触れた。ぷつりと弾ける痛みに眉一つ動かさずに、上総は左の胸……ピュン・フーと同じその位置に刃物以上に容易く肌に、肉にと沈み込む爪の存在を激しさを増す苦痛で感じ取る。
 ピュン・フーの唇が自分の名を刻もうとする、それを宥めるように舐めて上総は痛みにも関わらず笑む。
 一緒に逝って。あの世でも。生まれ変わっても、ずっと。傍に居て『幸せ』って必ず言わせてみせるから。
 その想いだけで、死を忌避する本能をねじ伏せて更に深く……同じく心臓まで達する傷で繋ごうとしていた絆は不意に、何かに行き当たったかのような抵抗に止まった。
「上総」
触れた唇が名を呼び、確かな笑いを刻むのを訝しく思う間もなく、絡めた指が強く握り返されて命に致らないまま凶器が引き戻されようとした。
 意図を察して一息に、胸を突こうと込めた力は、傷を広げるようにく、と動いた爪の動きに弾けた激痛に萎え、意思に反して上がる苦痛の叫びはピュン・フーの唇に吸い込まれ、不満の声は舌に絡め取られる。
 ゆっくりと引き抜かれる爪に胸の咲く痛みと、蹂躙するような、けれど丁寧な口付けが引き出す快さと、真逆の感覚を同時に与えられ、痙攣するように強張る上総の背を、ピュン・フーが手を添え支えた。
 そして至近、真紅の瞳が、捕食者の色で上総の意識を捉える。
「一緒に死んでも、俺と上総は絶対に同じ場所に行けねーよ」
麻痺したように動かない身体と思考、その片隅で何故、と弾けた問いを読み取ったかのように、外そうともしない眼差しが赤く微笑んだ。
「魂がないヤツは、何処にも行けねーの……上総、死ぬだけ損じゃん?」
言い聞かせるようにピュン・フーは、これだけは自由に上総の眼から零れる涙を舌先で掬うようにして舐め取り、眦に口付けてそして。
「忘れちまいな」
自分の事など。その、想いも何もかもを、捨て去ってしまえと、ピュン・フーは明るい口調で残酷に告げる。
「初めて会った日は暑かったよな」
その日の空の、濃い青と日差しに透ける葉の緑が、記憶から零れて落ちた。
「上総、作業服でうろうろしててさ。俺の顔、髪でしばいたの覚えてるか?」
笑いを含んだ声に、夏の昼間、熱に全てが濃縮されるような風景の記憶から、ぽかりと人一人の輪郭が切り取られて欠ける。
 ひとつ、ひとつ。
 深い夜の冷えた風が頬を撫でる感触、胸に甘く拡がる想い、確かな喜び、そして痛み。
 ピュン・フーが静かに、そして楽しげに語る毎、交わした言葉が、想い出が、共有した時間が全て剥落するように消えて行く。
 瞬きすらせずに注がれる視線の真紅が、意識を塗り潰していくようで、上総は震えて動かぬ手を懸命に挙げて、胸の傷に自らの爪を立ててその痛みに縋った。
「ヤ、や……ピュン……フーッ」
絞り出す声に、ピュン・フーは仄かに笑う。
「そう、それが」
そしてもう一度、上総の胸の痛みを雪ぐように丹念に長い時間をかけて、深く深く口付けて後、ピュン・フーは無慈悲に告げた。
「ピュン・フーが、俺の名前」
言葉と同時に残った最後の一つまでも。縋る、全てを奪い取られた上総の身体から力が抜け、頽れる。
 その身を支えた腕が誰の物であるのか……虚ろに開いた瞳に黒い輪郭はぼやけて捉えられず、抗しきれない眠気に意識が呑み込まれる瞬間、耳元で誰かの囁きを、聞いた気がした。


 味気ない白、で統一された個室、特有の消毒液と薬の匂いにはもう鼻が麻痺しているが、開け放した窓から濃い緑を渡って吹き込む風の薫りに蘇るように匂って、上総はくしゅんと小さくくしゃみをした。
「やァネ、上総、風邪?」
「あ、ステラ」
ココンと軽く病室の扉を指で叩いた金髪翠眼の美女の姿に、上総は丸めていた背を伸ばした。
「ココは完全看護ダケド。入院期間が伸びても知らないわヨ〜」
言葉尻を下げて脅すようなステラ・R・西尾に、上総は脅えたふりで肩を竦める。
「いやや、職も家も今から探さんならん天涯孤独でかわいそな青少年をそんなイジメんとってぇな〜」
台詞は惨めっぽいが明るい笑いがそれを裏切る。
 入院生活はまさしく三食昼寝付……しかも治療費は無料、生活保障までついているというある意味美味しい事態に陥っていたのは一週間前だ。
 集中治療室、と呼ばれる場所で意識を取り戻した時はパニックを起こしたものの、事故に巻き込まれて一時的な記憶の混乱を来しているだけとの説明にほっと胸を撫で下ろし、心臓に達する寸前だったという傷の治療としばらくの生活を見させて欲しい、とどうやら事故の担当だったらしいヒゲのオジサンに平身低頭頼み込まれて、そのまま悠々自適の入院生活を堪能している次第である……のだが、若い身空で屋根の下から一歩も外に出ず、籠もっていたら気分が滅入る。
 どうせならいっそ引き籠もればイイジャナイ、とゲーム機と時間のかかる新作RPGとをどっさり差し入れてくれたのが、担当者の細君であるというステラだ……どう見ても40は過ぎてる夫君との年齢差とか国籍とか、ツッコミ所は多々あれど、朗らかな彼女の付き合い易い人柄と見目麗しい美貌に遠慮無く親しくさせて頂いている次第である。
 上総は手でステラを招いた。
「それはそうとして、ステラここんダンジョン解る?」
手元のコントローラーから、部屋の端のテレビへと伸びるコードに視線を向けてステラは「ま」と口を開いた。
「ズルイわ上総もうこんなトコロまで! 追い抜かれちゃったジャナイ、ズルイズルイズルイ〜ッ」
ちなみにどちらが先にクリア出来るかを競っているのだが。
 日中暇を持て余している上総と、仕事に出ているステラとではプレイ時間に差が出るのは道理、と解っていながらもステラは口惜しがる。
「モウ、上総はゲーム禁止! 目が悪くなっチャウ!」
まさしくとってつけた理由にコントローラーを取り上げられそうになって、上総は慌てて身体の後ろに隠す。
「あ、それとそれともいっこ質問!」
慌てる上総を、コントローラーのコードを掴んだまま、ステラはじとりと見る。
「ナニ?」
年甲斐なく拗ねるステラに、上総はぽりぽりと頬を掻いて照れたように問うた。
「ユエ、ってなんや聞いたコトある?」
「……ナンデ?」
動きを止めたステラに、苦し紛れに向けた問いの説明を求められると思っていなかったようで、上総はしどろもどろな答えに応じた動きを交える。
「え〜と……なんやふと思い出したゆうか、夢に見たような気ぃするゆうか。特に意味はないんやけど、いつ聞いたかワカラへんから余計に気になるってなんかあらへん?」
本当にふと気になっただけ、という彼の主張に納得したのか、ステラはコードを手離した。
「知ってるワヨ。こう見えてステラサンは欧米人ですカラ!」
こう見えて、というよりどっからどう見ても立派な西洋人であるステラは豊満な胸を得意げに張った。
「ユエって、中国語で月の意味ヨ」
「てか、欧米関係ないやん!」
遠慮無くツッコんだ関西人は、アレ?と呟いて目元に手をやった。
「……ドシタノ上総。傷が痛む?」
気遣うステラの問いに、自身が困惑したように、上総は深く息を吐き出した。
「や、なんや……どしたんやろ、涙が出て来て、止まらんねん」
 前触れなく、溢れた涙は頬を伝い、シーツに落ちてパタパタと乾いた音を立てる。
「ゴミでも入ったんかいな……」
止まらぬ涙を誤魔化して、上総は照笑いに目元を袖口で拭った。
「ユエかぁ……ええな。なんかキレェやな」
「そうネ」
上総の言葉に応じたステラが、寝台の端に腰をかけて宥めるように髪を撫でる。
「キレイな、名前やな」
 月、という言葉に思い浮かんだのは何故か、昇って直ぐ、赤く色づいた満月。
 それがひどく懐かしいようで切なく、胸が締め付けられるような情景に思えて、上総は吐き出す息に独言のような響きで、もう一度繰り返した呟きを乗せた。
「ホンマに、キレイや」