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<あけましておめでとうパーティノベル・2005>


年明けに、小さな記念日と楽しみとを添えて

「やあユリウス。あけましたおめでとうだな」
「はいはい、あけましておめでとうございます、誠司(せいじ)」
 新年の始まりは、どこにでも等しく訪れる。
 東京のとあるカトリック教会にも、今日は、年明けのミサに参列すべく、多くの人々が集まってきていた。その教会の玄関先に立ち、今は親友でもある大竹(おおたけ) 誠司と言葉を交わしているのは、ユリウス・アレッサンドロ――この教会の司祭でもあり、一応は教皇庁の高位聖職者である枢機卿の身分にある神父であった。
「ま、年賀状は帰ったら見てみるけど。お前からのが一日に届いてたらそれこそカミノキセキとやらだよな。……そう言えば住所、きちんと学校宛から水上(みなかみ)先生のアパート宛にしてくれたか?」
「ええ、まあ。しっかし本当に面倒でしたねえ、年賀状。全く、どなたがこういう風習をお考えになったのやら――あ、色羽(いろは)さんも、あけましておめでとうございます……おや?」
 見慣れた少女――親友の想い人でもある清水(しみず) 色羽の隣に立つ陰に、ユリウスの言葉が、ふ、と止った。
「匡乃(きょうの)さんではありませんか。これはまた……随分と意外な方が」
「あけましておめでとうございます、ユリウスさん。意外だとは、そんなことはありませんよ? 常日頃から様々なことを学んでおくのは、教師としての務めでもありますからね」
 微笑んで頭を下げたのは、今日は珍しくスーツではなくラフめの服装のよく似合った、綾和泉(あやいずみ) 匡乃であった。
「ああ、綾和泉さんとは、さっきそこでお会いしたんです」
 色羽が微笑んで、ユリウスに簡単に説明をする。
「それはそれは、新年早々随分な偶然で」
「そうですね。僕も少し驚いてしまったのですけれども。でも、清水さんもお元気そうで、何よりですよ」
 二重の意味で、良い意味で驚きましたからね。
 匡乃がユリウスに向かって、二人を視線で指し示した丁度その時であった。
 匡乃の方を向いていたユリウスに、穏かな声がかけられたのは。
「どうも、あけましておめでとうございます」
「はい、あけましておめでとうございます」
 しかしその声音は、反射的に答えたユリウスにとって、聞き覚えのあるものであった。
 思わず、その声の主の足下から顔までを見上げて、ユリウスが絶句する。
 ……はい?
「せ……セレスティさん……?」
「本日は、ご一緒させていただこうかと思いまして。――あ、匡乃さんに、誠司さん、それから、色羽さんにも、あけましておめでとうございます」
 そこに立っていたのは、銀細工の杖を片手にしたスーツ姿の青年、セレスティ・カーニンガムであった。
 洗練された立ち振る舞いに、ユリウスは知らず微苦笑を浮かべると、
「いえ……それは構いませんけれども、突然いらっしゃるものですから、吃驚しましたよ」
「それはどうもすみませんでした。けれども参列は自由だと伺っておりましたので」
 新年早々、荘厳な気持ちになるのも、良いと思いまして。
 去年は神社、今年は教会。それでも、一番大切なのは、気持ちだと思いますから。
 正式なおミサに参列させていただくのは初めてであるような気もしますが、と、微笑んだセレスへと、
「いえ、そうなんですけれどもねえ。と申しますか、参列なさる方が一々ご連絡をくださっていましたら、私としても面倒ごとが増えるだけですからね」
 いえまあ、ですから参列は自由だと、それはそうなのですけれども。
 ユリウスが困ったように、頬に手を当てる。
 ……ですが、不意をつかれたと言いましょうか、何と申し上げましょうかね、
「――もしかして、いけませんでしたか?」
「いえ、全くもってそのようなことはないのですけれども……」
 そのようなことを言われてしまうと、逆に、何と言えばよいのか、色々と言葉にしにくくてならなかった。
「むしろこれからも来てくださって、全くもって、大いに、結構なわけではあるのですけれども、」
「そうですか。それは良かったです」
 セレスの気品溢れる微笑に、ユリウスが密やかに溜息を吐く。
 その、この方には、勝てないと申しましょうか、……、
「ところで」
 セレスはユリウスのそんな内心を知っているのか知らないのか、傍にいた金色の瞳の青年、マリオン・バーガンディを小声で呼び寄せると、
「今日はガレット・デ・ロワをお持ち致しましてね。少し早くはありますが」
 セレスの言葉を受けて、あけましておめでとうございます、の挨拶と共に、マリオンがユリウスに一つの箱を差し出した。
「はあ、それはそれは……さすがセレスティさん、お洒落でいらっしゃる」
 ガレット・デ・ロワ。
 フランスの言葉で『王様のお菓子』を意味するパイ・ケーキは、一月六日、すなわち、キリスト公現の日のためのお菓子でもある。
 先ほどとは一転、明るい笑顔でケーキの箱を受取ったユリウスに、セレスはひっそりと、
「しかし、さすがに教会にいらっしゃっている方全員でお分けになることはできないでしょうから、後ほど落ち着いてからでも、皆さんで食べてくださいね」
「その時は、是非ともフェーヴ、誰に当ったのか、教えていただきたいところですね」
 っと、その前にまずは、あけましておめでとうございます、ですね。
 不意に、背で一括りに纏められた金髪が印象的な青年、モーリス・ラジアルが、ユリウスの後ろからその肩に手を置いて顔を出す。
 モーリスの言葉にある通り、このパイ・ケーキの中には、フェーヴと呼ばれる陶磁器でできた人形が一つ紛れている。お菓子の名前の通り、切り分けられ、配られたケーキの中に、フェーヴが入っていれば、
「当れば一日、王様、女王様なわけですからね」 
 しかもその一年が、良い年になるとも言われているわけですからね。
 ユリウスさんの運が勝つのか、はたまた、晶(あきら)さんや麗花(れいか)さんの運がそれに打ち勝つのか。……まあ、いずれにしても、面白そうではありますけれども。
「そうですね、折角のイベントになりそうですし、機会がありましたら、是非とも結末はお教え致しますよ」
「ああ、それから」
 ユリウスの言葉に頷いた後、ふ、とモーリスが、何やら手元の小さな立方体を持ち上げて見せた。
「今日は色々と、記念にデジカメで撮影させていただいても宜しかったですか?」
「はい? 記念って、何のです?」
 ……おや、それは当然、
「折角の機会ですからね。さすがに新年くらいは、猊下≠熕^面目にお仕事をなさっているでしょうから」
「それって、ごく当たり前のことではありませんか。記念だなんて、そんな……、」
「珍しいことがあれば、そう考えるのは当然のことだと思いませんか?」
「珍しいことって……」
 私だって、聖職者なんですよ……?
 ユリウスが、どこか悲しそうにモーリスから視線を逸らした。
 そんな二人のやり取りを見つめながら、
「羨ましいのです……」
 ぽつり、と呟いたのは、セレスの傍に立っていたマリオンであった。
 実は今の今まで少々不機嫌であった――要するにここに来る際、新年早々マリオンの大好きな車の運転を、モーリスにされてしまったからであったのだが――マリオンは、すっかりと機嫌を直したかのように笑顔を浮かべると、
「さくっとしたパイ生地、中にはふわっとしたアーモンドクリームのケーキ……」
「私達も、帰ってから食べることに致しましょう。屋敷には、腕利きの料理人さんもいらっしゃることですしね」
「本当ですかっ?! わあ……!」
「まあ、入っているのは、フェーヴの代わりにソラマメかも知れませんが」
 元々パイ・ケーキの中には、ローマ時代の風習に則り、フェーヴの代わりにソラマメが入れられるものであった。
 ……ちょっと古風な、料理人さんですからね。
「それもそれで、良いと思うのですよ。それにしても……楽しみなのです」
 どこかうっとりと、マリオンが胸の前で手を合わせた。
 と、丁度その時、教会の奥から小走りに神父が駆け寄ってくる。
「猊下っ! そろそろ準備なさってくださいっ!」
 ぎくり、と身を竦ませたユリウスに向かって叫んだのは、この教会の主任司祭でもある遠藤(えんどう) 晶であった。
 おや……とその姿に気付いたモーリスが、
「神父様、あけましておめでとうございます。……その後はお変わり無く?」
「その後?」
 ん? と立ち止まった晶に、モーリスが悪戯っぽく笑いかけた。 
「若い頃の姿も、良かったですのにね」
「あの……何の話です?」
「いえ、こちらの話ですので、お気になさらずに。今日は、お邪魔致しておりますよ」
 新年早々、荘厳な気持ちにもなれそうですし、ですから、是非参列させていただこうと思いまして。
 モーリスは軽く手を振ると、晶に向かって少し頭を下げた。
 ……まあ、それはともあれ、少々残念だといえば残念ではありますが。
 折角夢の中でお会いしましたのにね、と、暫く前の、夢とその中の学校とを舞台とした異界事件の一つを思い返す。
 ま、仕方ありませんか。
 モーリスが苦笑した頃、晶は既にユリウスのローマンカラーの首根っこを引っつかみ、彼を控え室まで連行し始めていた。

「全く、いい加減に少しは時計を見て行動してくださいっ! 遅れたらどうするおつもりですかっ!」
「……五分や十分大丈夫ですよ。折角の年始なんですもの、のんびりといきましょう? ね? 晶神父?」
「駄目です」
 きっぱりと断言して、ユリウスを引き摺る晶は控え室の戸を開く。
「連れて来ましたよ、猊下を。――さ、猊下も急いで準備なさってください」
「おやおや、ブルーノ君も、裕介(ゆうすけ)君も、本当にお疲れ様です」
 さり気なく晶の小言を無視して、ユリウスは部屋の中で、ミサの手伝いを務める侍者の子ども達の着替えや相手に勤しんでいた少年と青年とに声をかけた。
「いいえっ、ユリウス様こそ、お疲れ様です」
 穏やかに笑って答えたのは、群青色の瞳に優しさの光を宿している小柄な少年、ブルーノ・Mであった。
「こんな風に、ミサ祭儀の直前まで、教会にいらした皆様との交流を大切になさるだなんて……」
 さすが枢機卿猊下でいらっしゃるのです、と、感動したかのように溜息を吐いたブルーノへと、
「ところでブルーノさんは、猊下について、どう思っているんですか?」
 半ば呆れ気味ながらに問うたのは、この教会のシスターでもある星月(ほしづく) 麗花であった。
「どう、ですか?」
「ええ」
 強く頷いた麗花に、ブルーノは暫しの間、うーん、と考え込むと、
「ユリウス様は、皆様が仰るほど、悪い方でいらっしゃらないと思います」
 真顔のままで、自分の言葉に頷いた。
「聖庁でも、時折ユリウス様の噂は耳にしておりましたけれど、」
「――嫌な予感がしますねえ」
 ブルーノと麗花とのやり取りを聞いていたユリウスが、少しばかり苦く呟いた。
 聖庁で。
 決して自分のことを良く思っていないであろう枢機卿達の集う場所で、自分が良いように言われているはずもない。事実、教皇庁にいる友人からは、良からぬ話もかなり聞いていた。
 しかしブルーノは、そんなユリウスの内心には気付くはずもなく、
「でも僕は、とっても甘党で本当にユーモラスなお方なんだなぁ、と思って、お話を聞いておりました!」
「あまとう……ゆーもらす……」
 そのあまりにも、様々な意味で微妙過ぎる表現に、裕介や麗花や晶が一斉に吹き出した。――ただし晶は、ユリウスに背を向けて必死に誤魔化していたが。
「猊下、聖下は随分と物事をよく見ることのできる子を、こちらに派遣なさったようですね」
 表情を戻した晶が、ブルーノの肩をぽむり、と叩きながら、どこか勝ち誇った視線でユリウスを見据えた。
 そのまま晶は、ブルーノの耳元へ唇を寄せると、
「ブルーノ君、君ね、もっと言ってやってくれ給え。猊下は少々のことで、へこたれたりするようなお方ではないのでね」
「晶神父。全部聞えてますよ?」
「おおっと、そろそろカズラを持ってまいりますよ――猊下」
 猊下、と無駄に強調すると、晶はそそくさと、祭服の一番上になる服をとりに、隣の部屋へと去って行った。
 ユリウスは、大きなため息と共に近くの椅子に腰掛けると、
「やれ、裕介君。皆さん酷くていらっしゃると、そうお思いになりません?」
「えっ、あの、いや、……それは、」
「僕、何か失礼なことを申し上げましたかっ?!」
 しかし途端、口篭った裕介の代わりに、勢いよく駆け寄って来たのは、ブルーノであった。
「あの、その……すみませんっ!」
「あ――いえ、あの、ブルーノ君?」
「僕、そんなつもりはなかったんです……本当のことを申し上げただけでっ!」
「いやあの、本当のことって……それは、まあ、」
「この非礼は、どうお詫びしましたらっ!」
「ええっと……――すみません、私が悪かったです……」
 がっくりと項垂れたユリウスの反応に、あれ……と、ブルーノはその場に立ち尽くしてしまう。
 ユリウス様……? あっ、もしかして僕、また何かいけないことを言っちゃったんじゃあ……!
 再び顔を青くしたブルーノに、しかし今度は、傍にいた青年が――長い髪を纏める白色のリボンが特徴でもある田中(たなか) 裕介が助け舟を出した。
「大丈夫ですよ、ブルーノ君。先生は、そのようなことを気にかけたりはなさりませんから」
 むしろ先生は、ちょっとブルーノ君の反応に、困っていらっしゃるんですよ。
 人をからかうのが好きなユリウスではあったが、逆に、ブルーノのように根っから純粋な相手には弱いことを、裕介は付き合いの長さからよく知っていた。
「それって、僕がいると迷惑ってことじゃあ……」
「いえ、そういうことではなくて、ですね」
 何と説明すればいいのでしょうかね。
 またも慌て始めたブルーノに、裕介は小首を傾げて考え込んでしまう。 
 しかし、悩む裕介の思考は、突如として聞こえてきた麗花の叫び声によって停止させられていた。
「お願いだから動かないでっ! 帯が結べないじゃない……」
「まあまあ麗花さん、落ち着いてください。時間はまだありますから」
「え?」
 裕介に窘められ、時計の方を振り返った麗花が絶句する。
 確かに、ミサの開始時刻までは、まだ三十分ほどの時間が残されていた。
「……あら、私ったらつい。だって猊下がここにいるんですもの。てっきり後五分くらいしか無いと思って」
 適当に誤魔化し笑いを浮かべると、私ったらやあですねぇ、と、裕介を軽く突き飛ばす。
 小さな少女の腰帯を結びながら、麗花がぶつぶつと独り言を続けた。
「そうそう、そういえば、遠藤神父がいるんだもの……。ついこの前までは猊下ったら、ミサの開始時刻ぎりぎりまで準備はしてくれないし、時には遅刻したりって、」
「麗花さん、その先はきっと思い出さない方が幸せですよ」
 苦笑して、裕介が言う。
「……それもそうよね」
 すんなりと頷くと、麗花は裕介に近くにいた小さな少女を押し付けて、自分は別の少年の所へと向かって行く。
「さて、お着替えしましょうね」
 裕介は少女に笑いかけてから、彼女が手に持っていた侍祭服を受け取った。
 しかし、裕介が少女にその服を着せようとした、その時、 
「ねーねー」
 少女は、じぃ、と屈んだ裕介を見上げると、
「れーかとゆーすけは、どういうカンケーなの?」
「はあ、どういう……ですか?」
 少し裕介があれやこれやと悩んでいると、あー! と何かを思いついたのか、少女は不意に得意気な表情で、
「わかった! オトナナカンケイなんだ!」
「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおおっ?!」
 瞬時に男の子の着替えの手伝いを放棄した麗花が、慌てて駆け寄ってくる。
「いいいい今何て言ったのよっ?! ってゆーか言葉の意味わかって言って――!」
「ひるめろなの!」
「いやああああああああああああああああっ?!」
 両手で頭を抱えて、麗花が悶絶する――直前で意識は取り戻したが。
 少女はきょとーん、と、麗花を見据えると、
「じゃあれーかは、ゆーすけのこときらい?」
「……へ?」
 不意を突かれたように、麗花はぴたりと黙り込んだ。
 そのまま動くことを忘れてしまったかのように、目を大きく見開いたまま呆然と立ち尽くしてしまう。
「だっ、」
「んー」
「だあって!」
 麗花は両手を大きく広げると、
「別にそんなの、どうでもいいことじゃないっ!」
「よくない!」
 子どもだけあってか、少女はかたくなに首を横に振る。
「すきなの、きらいなの、どっちなのっ?!」
「そんなのどうでもいいじゃないのっ!」
「よくない!」
「いいのよっ!」
「……子どもの喧嘩みたいですね」
 裕介は、二人に聞こえないように囁いて微苦笑を浮かべると、
「私は、麗花さんのことが好きなんですよ?」
 不意に、少女の頭を柔らかく撫でた。
「麗花さんも、私のことを好きでいてくだされば良いのですが」
「……冗談!」
 照れたようにそっぽを向いた麗花が、だらしなく腰元に帯をぶら下げた少年の方へと戻って行く。
「なんでそんなこと、」
「いけませんか?」
「子どもの前で馬鹿みたいなことを聞かないでください!!」
「ぶー、わたしもうこどもじゃないもーん!」
 ぶーたれる少女に、まだピーマン食べられないくせに、と意地悪を言うと、それ以上麗花は裕介の方を振り返ろうとしなかった。 


 よく調律されたパイプオルガンの音色が聖堂の空気を震わせ、そこに参列者達の歌声が調和してゆく。
 入祭唱。
 ミサの始まりを告げる歌声の中、十字架を掲げた少年侍祭を先頭にした司祭団が聖堂入りして暫く、
「……それにしても、あー、笑いが止まらない」
 硝子張りの聖堂の二階から、その様子を――とりわけ、祭服を身に纏い、厳かに歩む親友の姿を――遠巻きにしていた誠司が、今にも噴出しそうな様相で後ろを振り返っていた。
「真面目なユリウスなんて気色悪いったらありゃしない、なあ清水?」
「あたしは別に……」
 そうは、思わないのだけれど。
 下の階ではミサの最中であるというのにも関わらず、大騒ぎする小さな子ども達の相手をしながら、色羽が中途半端な答えを返す。
 ここからは、長椅子に腰掛ける参列者達の姿も、祭壇に立つ司祭達の姿もよく見通せる。まだミサの意味が理解できない子ども達や、事情により参列できない人々にとっては、絶好の場所でもあった。
 と、
『あー!』
 子ども達の興味が入り口の方に惹かれたのにつられ、誠司と色羽とも思わずそちらを振り返る。
 そこにいたのは、 
「おや、田中さんもこちらで見物を?」
 入り口から姿を現した青年は――裕介は誠司の問いかけに軽く頷き、
「ええ、まあ……」
 一応元とはいえ、ロシア正教の人間ですから、と、どこか曖昧に頷くと、颯爽と硝子の方へと歩み寄り、手すりの上に手を組んで窓越しに聖堂の様子を眺め始める。
〈ご起立ください〉
 ふ、と何気なくここまで聞えてくるのは、聖堂の片隅でマイクに向かって参列者に指示を出している、麗花の声音であった。
 ずっとそちらの方を見つめながら、裕介が思わず溜息を吐く。
 ……麗花さん。
「田中さん」
 その背に向かって、にんまりと意地悪く笑った誠司が、
「実はそう言いながらも、星月さんを見ていたかっただけじゃあ、」
「そうかも知れませんね」
「え」
 あっさりと認められ、誠司の方が興ざめしてしまった。
 それにはた、と、我に返った様に気がついた裕介が、慌てて後ろを振り返る。
 ……っと、冗談に真面目に返してしまってはいけませんよね。
「ところで、お二人はなぜここに?」
 麗花の様子をちらり、と気にしながらも、話題転換、と言わんばかりに、裕介が二人に向かって話をふる。
「あたしはあれです……高い所からの方が、色々と見ることができると思って」
「ああ、俺は、あれですよほら、ユリウスがそんなコトしてるの目の前で見て、笑わない自信がありませんからね」
 どーせ俺は神様なんて信じてませんし? と、色羽に続いて答えた誠司が、足元にしがみ付いてきた子どもの頭を撫でながら笑う。
「真面目なユリウスなんて……あぁ、見てて気色悪い」
 それこそ、神様仏様、そんなのユリウスじゃありません。
「先生、それって言いすぎじゃあ……?」
「あ、いーのいーの。どうせ相手はユリウスなんだし」
 きょとん、と問うてきた色羽にはたはたと手を振って見せると、誠司は今にも噴出しそうな様相のままで、硝子の方へと視線を遣った。
「それにしてもあのユリウスのヤツ、普段はあーんなにオンチなクセしてさ」
 騒ぐ子ども達の頭を撫でながらも、すっかり麗花の方ばかりを見遣っている裕介をちらりちらりと気にしながらも、
「慣れというのは、怖いもので……、」
 誠司が二重の意味で溜息を吐いた。

 ――慣れというのは、怖いものですね。
 立ち上がり、周囲の人々がオルガンの音色に合わせて歌うのを聞きながら、内心呟いていたのは匡乃であった。
『♪天のいと高き所には、神に栄光。地上には、善意の人々に平安あれ――♪』
 Gloria、すなわち、栄光の賛歌で穏かに盛り上がる歌声の中には、ユリウスのものも混じっている。
 匡乃も匡乃で、カラオケのマイクを握らせれば桜の花も散って行くほどのユリウスの音感の無さは、嫌でもよく知っていた。
 しかし、
「……大したことないのです」
 セレスやモーリスから話を聞かされていたのか、もっとオンチだと思っていましたのに、期待はずれなのです、とマリオンがぽつりと呟いた、その通りであった。
 セレスは席に腰掛けたそのままで瞳を閉ざして歌を聴き、ブルーノも胸に手を添えて慣れた歌を歌いあげてゆく。
『♪父の右に座し給う主よ、我らをあわれみ給え。主のみ聖なり、主のみ王なり――♪』
 やはり前の方の席には誰もあまり座りたいとは思わないものなのか、セレスとモーリス、マリオン、そうして、匡乃とブルーノとは、今、祭壇の目の前の席でミサの只中にいた。
 ちなみにモーリスやマリオンは、時折デジカメを取り出しては、祭壇付近や自分達の周辺を映像の中におさめていた。
 なるべく、フラッシュはお控えくださいね。
 セレスの一言もあってフラッシュは殆ど使っていなかったが、それでもこの距離からであれば、ユリウス達についてもはっきりとした写真を撮ることができる。
 さぞ、面白いアルバムができそうですね。
 くすり、と心の中で意地悪く笑ったモーリスが、賛歌の終りと共に椅子に腰掛け、手を合わせたユリウスの姿をデジカメにおさめた。
 そうこうしている内に、暫く。
 聖書の朗読やアレルヤ唱、晶によって強制終了させられたうとうととする参列者続出のユリウスの長い話、信仰宣言に共同祈願や奉納祈願、感謝の賛歌、奉献等が終った頃。
 両手を広げて、ユリウスが一番基本的な挨拶を、起立していた参列者に投げかける。
「主の平和が、いつも皆さんと共に」
『また、司祭と共に』
「平和の挨拶を交わしましょう」
 ユリウスの言葉にあわせて、ブルーノが、まずは匡乃の手をとり、にっこりと笑顔を浮かべて見せた。
「主の平和」
 思わず軽く会釈して微笑んだ匡乃に、ブルーノはもう一度頭を下げてから、後ろと後ろ左右、そうして、セレスとモーリス、マリオンにも同じように挨拶をする。
 匡乃が見れば、周囲もブルーノと同じように、お互いに挨拶を交わしていた。
 そうして、平和の挨拶も交わし終わり、司祭によるホスチア、すなわち、種無しパンの分割、平和の賛歌、信仰宣言がなされたその後、
〈なお、御聖体を授かることができるのは、カトリックの洗礼を受けた方のみです。洗礼を受けていない方も、列に従って進み出て、祝福を受けることができます〉
 麗花の声音で放送が入ったのとほぼ時を同じくして、数名の信者が前の方から参列者を祭壇に向かうように並べ出す。
「さ、行きましょう、皆様も是非!」
 席から立ち上がったブルーノが、匡乃達に列を示して笑いかける。
 一瞬四人は顔を見合わせたが、それでもブルーノの後に続き、オルガンに合わせて歌われる歌の中、祭壇へと続く列にゆっくりと加わった。
 ユリウスと晶とが二人がかりで聖体拝領と祝福とを行っているらしく、列は二つになっていた。その列の一方を歩きながら、
 ――そういえば、
 ふと、マリオンが何かを思い出す。
 そういえば、年明け早々良くないことがあったのです……。
 マリオンは教会に来るとなった時、新年早々、二人を乗せてドライブできると信じていたのにも関わらず、
 ……モーリスったら、酷いのです。
 マリオンの運転は危険ですから、だなんて。何も、セレスティ様の前で、そんなコト言わなくたっていいのです。
 一人、また一人と流れて行く人々の列の中で、マリオンがぷぅ、と頬を膨らませる。
 私の運転が危ないだなんて、モーリスも失礼なのです。私はモーリスよりよほど正確に運転していますのに……!
 その後ろでは、セレスとモーリスとが、マリオンの雰囲気に少しばかり不吉なものを感じ取っていた。
 二人とも、何もマリオンの運転の正確さを疑っているわけではないのだ。疑っている部分があるとすれば、マリオンの運転のスピードに関してであった。時に、新幹線と車で並べば闘争心を燃やすことさえあるマリオンの姿には、二人でなくとも恐怖心を煽られて当然、というものがある。
 やがて、匡乃が晶から頭に手を置かれて祝福され、ブルーノがユリウスから聖体となった薄いパンを受取って祭壇に向かって十字を印したその後、マリオンがユリウスと向き合った。
 マリオンは瞳を閉ざし、両手をそっと合わせると、ユリウスの祝福の言葉も聴かずに心の底からお祈りをする。
 今年は二人を乗せて、一緒にドライブできますように……。
 その後ろで、セレスとモーリスとが無言のままに言葉を交わしていた。
 ――やはりマリオン、何かお祈りでもしているようですけれど。
 嫌な予感がしますね、とお互いに小さく頷いた頃、マリオンと、その隣で晶から聖体を受取っていた白いヴェールを被った女性とが席に戻って行く。
 まず、ユリウスの前に歩み出たのが、セレスであった。
 軽く頭を下げるセレスの肩から、糸の様な銀髪がするりと零れ落ちる。
 ……猊下もやはり、聖職者でいらっしゃったのですね。
 思わず微笑んだセレスの意図が、しかしユリウスにはよくわからない。
「あー……、」
 こほんっ、と気まずそうに一つ咳をすると、渋々、と言わんばかりにユリウスが祝福の言葉を小声で口にする。
 その隣では、同じくモーリスに祝福を授ける晶が、どこか不思議な心地を拭いきれずにいた。
 ――やっぱりこの人、どっかで見たことあるような……。
 そうこうしている内に祝福も終り、セレスとモーリスとが並んで席へと戻る。
「しかし本当に、猊下≠烽ィ仕事をなさるのですね」
 モーリスが、席に着くなり、デジカメをユリウスに向けた。
「さぞやよい記念になることでしょう」
「そうですね。確かに珍しい光景ではあります」
 納得した匡乃が、次々と祭壇の方へと流れて行く人の列を眺めて呟いた。
 その先には、珍しく真面目に仕事に従事するユリウスと。
 ……ふむ、
「ユリウス様は、普段はおミサをお挙げにならないんですか?」
「いえ、そういうことではないようですけれども」
 いくつか続く歌を歌う合間に、ブルーノがそっと匡乃に問いかけた。
 匡乃は思わず微苦笑を浮かべると、
「普段は遊んでばかりいらっしゃるような印象がありますからね、ユリウスさんって」
 事実そうなんでしょうけれど。
「えっ……そう、なんですか?」
「きっとあなたも、もう少しユリウスさんと付き合えばおわかりになると思いますよ?」
 事実星月さんや遠藤さんも、かなり大変な思いをしていらっしゃるようですし。
 心の中で付け加えた匡乃の言葉に、ブルーノはそうなんですかぁ……と、ユリウスの方へと視線を移した。
 確かに時々のんびりとした方だなぁとは思いますけれど、
 ……そんなに、猊下がお仕事をなさっていると、珍しいんですか?
 モーリスやマリオンがカメラを向けているのを尻目に、不思議な心地で、ブルーノは再び歌を口にした。


 ミサが終るなり、やれ、祭服は面倒ですねえ……と早速着替えて教会の玄関に出てきていたユリウスからよく目につく場所で、モーリスは、匡乃や色羽、誠司をつかまえて、こう言い放った。
 ――私達は、これからお茶会をするつもりなんですよ。是非宜しければ、皆さんもいらっしゃりませんか?
「いやあ、これは都合が良かったですねえ」
 そうして現在。
 セレス、モーリス、マリオンを始めとする三人は当然のこと、招かれた匡乃や色羽、誠司、そうして、私も行きます、とユリウスが自己主張したその時に、是非、とセレスから誘われたブルーノと裕介と麗花とは、セレスが予め予約していた、静かなティールームまでやって来ていた。ちなみに晶はこの誘いを断り、教会に残っている。
「丁度信徒会の都合で、今年は年明けのお茶会は明日になっているんですよね。いつもは一日に行っているのですけれども」
 ユリウスが紅茶を片手に話し始めたのは、全員に茶が運ばれ、茶請けも一通り出揃った頃であった。
 その横で、緑茶を手にした麗花が、むすりと冷ややかな視線でユリウスを睨み付けている。
「こうして、明日も含めますと、新年早々二度も連続でお茶会があるだなんて、本当に幸せ過ぎますね。今年は、本当に良い一年になりそうですよ」
「ユリウス様は、今年は忙しくしていらっしゃったんですか?」
「ええ、それはとても」
「暇で暇で、毎日お菓子屋さんの食べ歩きに、本屋での立ち読みに、友人知人の所にお菓子を漁りに行ったりしなくてはならないほどだったそうです」
 ブルーノの言葉に、憮然と麗花が言い放った。
 全く、麗花さんはそういう意地悪ばかり……とぶつりくさりとごねながら、ユリウスが手近な所にあったクッキーへと手を伸ばした、その時であった。
「そういえば、ユリウスさん」
 セレスは紅茶をソーサーの上に置き、穏かな微笑をユリウスへと向けると、
「是非、こちらの松重ねもお食べになってくださいね」
 見目美しい和菓子を手で示しながら、言葉を続けた。
「ちなみに私としましては、こちらの福梅もお勧めなのですけれども」
「……はあ、」
 曖昧に頷いたユリウスが、少しばかり気まずそうにテーブルの上を見回した。
 ――そこには、ケーキやクッキー、チョコレートなどは勿論のこと、セレスの口にした通り、松重ねや福梅などといった、彩り豊かな和菓子も多種類準備されている。
 和洋折衷。
 それが、今回セレスの予約したティールームの区分であった。
 和菓子は嫌いなんです、と、戸惑うユリウスの気に気づいているのかいないのか、ふと、モーリがそういえば、と、とある和菓子を手で示し、それを皆へと勧めて見せる。
「辻占を皆で食べましょうか。ね、ユリウスさんも是非」
「つじうら、ですか?」
 和菓子というものは、とっても綺麗で、面白いんですねえ。
 松重ねを手元の皿に移し、じっと様々な角度から見つめていたブルーノが、聞きなれない単語にはっとして顔を上げた。
「ええ。中に占いの札が入っているお菓子でしてね」
 説明を加えたセレスへと、
「あのいえセレスティさん、私和菓子はちょっ、」
「好き嫌いはいけませんよ?――冗談はともあれ、お召し上がりいただけますと、私としても嬉しいのですが」
「……では頂きます……、」
「僕は是非頂きます!」
 肩を落としたユリウスと、好奇心に瞳を輝かせたブルーノとが、辻占に手を伸ばす。花を思わせる煎餅皮は、赤白黄緑、と鮮やかな様子で、菓子受けの上に咲き乱れていた。
 それに続き、それぞれが、セレスの勧めに従って、思い思いの辻占を手にする。
 元々袋のように形作られていた煎餅皮を手で開くと、そこから、一枚の紙が姿を現した。
 反射的に中身を読み上げて、ユリウスが小首を傾げて見せる。
「『うそはたから』……?」
「おやまあ、強ち辻占も、嘘八百とは言えないようですね」
 ユリウスさんに、ぴったりな言葉ではありませんか。
 くすりと笑ったモーリスに、ユリウスがすかさず抗議をしようとした、その時、
「『やれやれよい事』、ですか」
 僕のところには随分とわかりやすい札が来ました。
 読み上げて、満足そうに微笑んだのはブルーノであった。
 ブルーノはそのまま札を丁寧に畳み、ポケットの中にそっと忍ばせる。
 と、
「あれ、麗花さん?」
 ふと、何気無く周囲を見回したブルーノの目に、何やら辻占の札を持ったまま沈黙している麗花の姿が留まった。
 麗花は、ブルーノの問いかけにも気付かずに、じっと自分の持つ札を見つめていた。その様子に気がついた裕介が、麗花さん? と後ろから彼女に声をかける。
 そうして、気がついた。
 ――くちをすうて下んせ
 麗花の札に書かれていた、その一文に。
 途端麗花は頬を真っ赤に染めると、じろり、と、気まずそうに固まっている裕介を睨みつける。
「……そういえば」
 その様子に、セレスは自分の占い札を丁寧に畳みながら、
「辻占は、遊郭での遊びにも用いられていたそうですよ、江戸時代には。そのような流れを汲むお菓子ですからね」
 多少艶かしい札が入っていても、不思議ではありませんでしょう。
 セレスが白い煎餅皮を口にした途端、しかし裕介は、麗花によって頬に紅葉模様を刻まれ、その衝撃でカーペットの上に突っ伏していた。
 季節外れの紅葉ですねえ……と、マリオンが少しばかり感動したかのように、裕介の倒れている場所を覗き込んだ。
 それから、暫く。様々な地域の菓子を囲んでのお茶会は、和やかな雰囲気の中で過ぎてゆく。
 マリオンが写真を撮っては誰にも気付かれないように何かを企んでいるかのような笑顔を浮かべたり、匡乃は匡乃でユリウスをミサについて質問攻めにしたりと、各々が思い思いに時間を過ごしてゆき――、
「そういえば大竹先生? 何か良い情報は、お持ちでないのですか?」
 その中で、もう新しい年を迎えたわけですしね、と、誠司にこう問いかけていたのは、匡乃であった。
 或いはそろそろ、来年度勤めるべき予備校を考え始めても良い時期なのだ。生徒の受験期間を目の前にして、多少気が早くはあるのかも知れないが、
 やはり僕だって、どうせ教えるのであれば、学ぶ気のある良い生徒を教えたいわけですからね。 
「情報って、生徒のですか?」
 早速察した誠司が、暫しの間考え込んだ。
「今年はですねえ……どうなんでしょうね。まあ、俺の生徒達は皆していいヤツばっかりですけれど」
 でも、綾和泉先生が聞いているのは、そういうことじゃあないだろうし、
 ……噂、かあ。
 うーん、と誠司は首を捻ると、
「ともあれ、正直な所、最近はそういう話よりも、教育課程についての話の方を多く聞きますからねえ」
「来年からは、センター試験にリスニングが導入されて……ですとか?」
「そうそう、いやもう、本当時代ですよねえ。俺達の時代じゃあ、考えられなかったコトですからね」
 ――ん、あれ、センター?
「そういえば綾和泉先生、」
 ふ、と、違和感を感じた誠司が、匡乃に問いかける。
「予備校は?」
 予備校の教師たるもの、センター試験が目前に迫っているこの日々、休みなどなかなか取ることができないはずであった。
「ああ」
 匡乃は一つ頷くと、
「そこはまあ、要領良く、ですね」
 僕にだって、勉強することは必要なことですし?
 教師たるもの、常日頃から、色々と学んでおきませんと、と、匡乃が少しばかり、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それに、アレですよ」
「アレ?」
「清水さんは、高校時代、どういう授業の時に寝ないで起きていられましたか?」
「ええっと、」
 何の前触れもなく、話を振られて驚いていた色羽ではあったが、
「んと、美術とか、家庭科とか、んー、国語とか英語とかも起きていられた、かなあ……」
 松重ねをぱくりと一口した後、指折り数えながら、緑茶を口にした。
「理系の教科はどうでした?」
「理系はあ……、」
 色羽はちらり、と誠司の方を見遣り、
「ほとんど余計な話の時しか、起きてなかった、かな……」
 だって、数式とか、カガクシキとか見てても、つまんないですし。
 先生の前でこーいうこと言うのも難だけど、と、溜息を吐く代わりに、緑茶をもう一口する。
 しかし、匡乃はそこで、まるで数式の回答を導いて見せた時のように、もう一度ことを整理・説明する。
「今清水さんが仰ってくださった通り、ですよ。たまには面白い話でもお勉強≠オておきませんと、教え子の皆さんに授業中寝られてしまっては、どうにもならないわけですからね」
 受験期間の息抜きとしても、今回のミサについては、面白おかしく聞いてもらえそうですし。
 付け加えた匡乃に、誠司が思わず、そうですか……? と問い掛ける。
 匡乃はええ、とすかさず頷くと、
「怠け者が回心して真面目になる話は、いつの時代でも面白おかしく語られているものですよ」
「はあ……、」
 頷きながらも、どうも誠司には、匡乃がどれくらい本気でいるのか、ということが理解できずにいた。
 誠司が戸惑いながらリーフパイに手を伸ばしたその時、
「……まあ、僕自身も色々と興味がありましてね。ミサですとか、何ですとかには」
 異文化との交流ですよ、と、匡乃がティーカップを持ち上げる。
「自分から近づかなければ、いつまでも知ることのできないものですからね」
 ですから、折角の機会に、と思いまして。
 丁度そういう気になったものですから、と、匡乃は紅茶を一口、静かに息を吐いた。
「まあ、確かにそうではありますよね。――まあ俺も、ユリウスに出会う前には、全然教会になんて来なかったわけで、」
「誠司、そこにありますカステラを取っていただけると嬉しいのですが」
 誠司が話し始めた丁度その時、ユリウスがその話を遮り、誠司に皿を手渡して笑いかける。
 何て間合いの悪いヤツ、と口篭った誠司から皿を受取るユリウスの姿を何気無く眺めながら、
「本当にユリウスさんは、甘い物が好きなんですね?」
 ケーキの上の苺を、最初に食べるべきか、後に食べるべきか、とこっそり悩んでいたマリオンが小首を傾げて問いかけた。
「えぇ、それはもう。これが無くては、生きる楽しみが減ってしまいますからねえ」
 お互いに顔を見合わせて頷くと、にんまりと微笑み合う。
 ――と、 
「ユリウスさん、マリオン」
 不意に呼びかけられた二人が、反射的にブイサインをしてモーリスの方を振り返る。
 その瞬間、モーリスの手にするカメラが、ほんの小さな音をたてた。
「良い笑顔ですよ」
 カメラの液晶画面で今の写真を確認した後、モーリスがカメラを掲げて微笑んだ。
「今日のお写真は、後でアルバムにして差し上げますね」
 尤も、おミサ中のお写真も含めて、ですが。
「おや、気がきいていらっしゃるのですねえ」
「ユリウスさんが真面目にお仕事をなさっていた折角の記念日ですから」
 当然でしょう。
 何か物言いた気なユリウスには気付かぬふりで、さらにモーリスが言葉を続ける。
「それにしてもマリオンも、ユリウスさんも、よくお食べになりますね」
「そうですかね? まだまだいけますよ――ねえ、マリオンさん?」
 ふ〜ん、とモーリスに対してそっぽを向いていたマリオンに、すぐに立ち直っていたユリウスが問いかける。
「あ、そういえばもう、モーリスさんは宜しいので? あまり食べていらっしゃらないようですが」
「折角ですが、私は結構ですよ。もう大分、色々と頂きましたのでね」
「モーリスの代わりに私がいただくので、大丈夫ですよ」
「マリオンは本当に、甘いものが好きなんですね?」
 優しく問いかけたモーリスに、しかしマリオンはまたもぷい、とそっぽを向いてみせる。
 やれやれ、とモーリスは小さく溜息を吐くと、モーリスは不意にもう一度カメラを、ガトーショコラを取ろうとしたマリオンに向けた。
「マリオン?」
 その瞬間マリオンは、わ〜い、と言わんばかりの笑顔をカメラへと向ける。
 モーリスは先ほどと同じように、カメラの液晶画面で今の写真を確認すると、
「ふむ、良い笑顔ですよ」
「ふんっ」
 つーん、とマリオンは、モーリスに背を向けた。

 ――丁度、その頃。
「うわ吃驚したっ?!」
「驚かせてしまいましたか?」
 ティールームの外では、いつの間にか部屋を抜け出していた麗花と、その後を追って彼女が帰って来るのを待っていた裕介とが顔を合わせていた。
 盛り上がる皆とは、壁一枚を違えた静かな場所。控えめな様子で置かれた椅子の上に腰掛けていた裕介が、麗花の姿を見て立ち上がる。
「ちょっと田中さん! 脅かさないでくださいよ! どうしてこんな所に、」
「いえ、少々お話がありましてね」
 二人きりで、お話しておきたいことが。
 裕介は微苦笑を浮かべると、まあ、まずは座ってください、と、麗花に自分の隣の席を勧める。
「……そんなに長いお話になるんですか?」
「多分、そうでもありませんけれど」
「じゃあ、別に立ったままでも、」
「まあ、とにかく」
 勧められて、渋々、といった感じで麗花が椅子に腰を下ろした。その隣に、あまり距離も置かずに、裕介が腰を下ろす。
 麗花が驚いたように、裕介の顔を見遣った。
 裕介も裕介で、麗花の瞳をじっと覗き込む。
「麗花さん」
「なっ……何ですかっ」
 膝の上で手を握り締めた麗花へと、
「今度、ご両親にお会いしたいのですが」
「はい? そんなの、勝手に里帰りでも何でもすればいいじゃあ……」
「違います」
 裕介は至極真面目な面持ちで、しっかりと言葉を続けて聞かせる。
「麗花さんの、ですよ」
「……はぁっ?!」
「いけませんか?」
 いいいいい、いけませんかって、
「何で……?」
 呆然唖然としてしまい、上手く声が出てこない。麗花はぽかん、と裕介に問いかけると、瞬きすらも忘れたように裕介のことをじっと見据えていた。
「私は、麗花さんのことを特別だ、と思っていますから。自分のような者もいるのだと、是非ご挨拶くらいはしておきたいと思いまして」
 ……単純に言えば、交際を申し込むために、なのでしょうけれども。
 気が、早い。
 周囲からはそう言われてしまうかも知れないが、裕介には裕介の考えがあってのことであった。
 後は、麗花さんの返事次第ですね。
 ここで嫌、と言われてしまえば、また別の方法を考えるまでのこと。
 ――やがて。
 黙りこんでいた麗花が、慌てたように裕介から視線を逸らした。
「……そんなの、どうぞご自由に!」
「いいんですか?」
「ただし!」
 あまりにもすぐさま了承が出たことに驚く裕介へと、麗花は語調を強めると、
「お父さんに何言われても知りませんからっ」
「お父さん、ですか」
「それでもよければ、ご自由にっ! 私は田中さんがどうなっても知りませんけれどっ」
「いえいえ、それはよかったですよ」
 裕介が、安堵したように笑顔を浮かべる。
 そっぽを向いてしまった麗花との距離を、気付かれないように詰めてから、
「私はもっと、麗花さんのことを知りたいと思ってます」
 そういう意味でも、ですね。
 裕介は後ろからそっと麗花を抱きしめると、その耳元で静かに囁きかけた。
 

Finis



 ■□ I caratteri. 〜登場人物  □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。
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<PC>

★ セレスティ・カーニンガム
整理番号:1883 性別:男 年齢:725歳
職業:財閥総帥・占い師・水霊使い

★ 田中 裕介 〈Yusuke Tanaka〉
整理番号:1098 性別:男 年齢:18歳 
職業:孤児院のお手伝い兼何でも屋

★ 綾和泉 匡乃 〈Kyohno Ayaizumi〉
整理番号:1537 性別:男 年齢:27歳
職業:予備校講師

★ モーリス・ラジアル
整理番号:2318 性別:男 年齢:527歳
職業:ガードナー・医師・調和者

★ ブルーノ・M
整理番号:3948 性別:男 年齢:2歳
職業:聖霊騎士

★ マリオン・バーガンディ
整理番号:4164 性別:男 年齢:275歳
職業:元キュレーター・研究者・研究所所長


<NPC>

☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳
職業:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト

☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳 
職業:見習いシスター兼死霊使い(ネクロマンサー)

☆ 大竹 誠司 〈Seiji Ohtake〉
性別:男 年齢:26歳
職業:高校化学教師

☆ 清水 色羽 〈Iroha Shimizu〉
性別:女 年齢:22歳
職業:アマチュア画家

☆ 遠藤 晶 〈Akira Endou〉
性別:男 年齢:56歳
職業:教会主任司祭兼『旧教宗教紛争研究会』会長



 ■□ Dalla scrivente. 〜ライター通信 □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。
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 まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注をくださりまして、本当にありがとうございました。

 今回は大変お待たせしてしまいまして、申し訳ございませんでした。私情により、急遽数日間、こそこそとお江戸まで出向いていたのでございます。ただでさえいつもギリギリで書かせていただいておりますのに、このようなことが起こってしまいますと、本格的に対応のしようが無いのは、非常に宜しくないことであると思っております。思ってはいるのです、が……、
 ――いつも余裕を持って納品しようと致しましても、どうしてギリギリまでかかってしまうのでございましょう。それだけヘタれているということなのかしら、と心の中で密やかに思いつつ、それ以上に、皆様には本当に申し訳ございませんでした。
 お届けするのは遅くなってしまいましたが、それでも、少しでも楽しんで頂けますと嬉しく思います。

 それでは、今回はこの辺で失礼致します。何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやってくださいませ。
 色々とご迷惑をおかけしてしまいまして、繰り返しになってしまいますが、申し訳ございませんでした。

 宜しければ、又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。

09 febbraio 2005
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki