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羽ばたきます。
年、明けて。カーニンガム邸はいつにも益して騒がしい。使用人の多くは正月休みを取って、屋敷に働く人の数は常より大分少ない筈なのだが、その減った使用人の数だけ、否それ以上の人数の来訪者があったのである。邸の主、セレスティ・カーニンガムの公私それぞれ、多くの友人知人が次から次へと引切りなしに、新年の挨拶に訪れている。
それも、昼食の時間帯となると一旦退けて、食後にゆったり、窓外を眺め乍ら、セレスティはティータイムを愉しんでいた。どの窓から外を覗いても、豊かな緑に花々が迎えてくれる。数日前に降り積もった雪影を葉裏に隠して、庭園は薄い蒼空の下今日も伸び伸びとしている。
「セレスティ様、午後はどうなさいますか?」
その庭の創造主であるガードナー、モーリス・ラジアルは、セレスティの傍ら、共にテーブルについて、客の持ち込んだ正月らしい品々を物色していた。中には正月遊びをしようと、羽子板や百人一首の類を持ち込んだ者まで居て、向こうには獅子舞に使用する獅子頭が転がっている。部屋数も、庭の広さも、東京に存在するのが俄には信じ難いほどを有する邸のことである。遊び場処にはちょうど良いと、先程までちょっとしたお祭り騒ぎであった。今も近処の子供たちの何人か、庭で凧揚げをしている姿が見える。
「……少し、休憩を長く取りましょう。客人への対応で、皆さんも疲れているでしょうから」
微笑んでセレスティは答える。車椅子を操作して、室の壁の一面に設えられた書架の前、手許に近い一冊に触れた。自分も休憩に、読書でもしようかと思ったが、この部屋の本は最近読んでしまったものばかりだった。部屋を移そうと、車輪の向きを変える。
「モーリスも、急ぎの仕事がないのなら、休んでいて構いませんよ」
「セレスティ様は何方へ?」
「読書を――慥か、南端の部屋に、この前買い揃ったばかりの全集がありましたね。それに掛かろうかと。私直接の対面が必要な方や、親しくしている方の来訪があれば、遠慮なく呼びに来て下さい」
言い乍ら、部屋を出てゆく。
モーリスは「畏まりました」と応じて、その旨執事に伝えておこうと、管理室を目指す。途中、行き交った使用人へ、主に新しいお茶をお運びするよう託けた。
***
セレスティは目的の部屋の前に車椅子を停め、室の鍵を開ける。指紋法で開錠されると、主の開け易いようにやや低めに設置された把手を回し、扉を開いた。
途端。
「え……?」
部屋の中から何かが飛び出す。
セレスティは慌てて振り向いたが、既に「何か」の気配は何処にも見当たらない。整然と扉の並ぶ長い廊下が続くばかりである。
今のは何だったのか、と不思議に思い乍ら、面を戻す。そしてまた、驚いた。
「……此処は、私の許可がないと、入れない部屋だったかと思うのですが……」
内部は、右手に何列かの書棚があって、セレスティの個人的な書庫として使用されている部屋である。書棚はちょうど室の真ン中辺りで途切れ、左の半分のスペースにはテーブルセットが置かれており、快適な読書空間で――あった筈だ。少なくとも、去年の暮れに此処を利用した時までは。
その左半分のスペースは、セレスティの記憶と大きく違っていた。どのようなサイズの本も読み易いようにと大きく造られた机の上には、書籍に花瓶に絵画に、そして何が入っているのか大小様々な箱が積み上げられている。そればかりではない。机上に積まれている、とセレスティが判ったのは、日頃此処を訪れているからであり、この部屋の間取り、家具の配置を知らぬ人物が見たのなら、其処に机があったことに気付かなかったであろう。机は、埋もれていた。部屋の床が見えぬほど、そして壁が見えぬほどに、天井近くまで堆く積まれた品々が圧倒する。
セレスティは暫し呆然と密な空間の気配を探っていたが、不意に自分以外に人気の無い空間へ、部下の名を喚んだ。「――モーリス!」
その声に呼応し、間を置かずセレスティの傍に先刻別れたばかりの金髪翠眸の男が姿を現す。転移が完了し切らぬ裡に、
「今すぐ敷地内を、結界に」
***
「主様、これは……?」
よもやこんな場処に物置はあるまい、と思い乍ら、池田屋兎月は仕事着のまま、室の入り口に立ち尽くした。南の部屋にお茶の用意をと聞き、菓子の希望を訊きに来て、この光景に出逢ったのである。雑多な品々の前には、セレスティとモーリスが、とりあえず手前に積まれていた品を手に、話をしているところだった。
「誰かさんの収納庫、となっていたようですね」
セレスティは兎月を振り返りそう答えて、微かに苦笑してみせた。
「誰かさん、ですか?」
「見当はついています。鍵の掛かった部屋に、こんなに大量の品物を持ち込める人物と云ったら――一人しか思い当たらない」
溜息を吐いて、モーリスが手にした箱を玩ぶ。中身はオルゴールだった。
兎月はその人物が思い浮かばずに、問いを重ねようとすると、部屋の片隅からバサリ、本の落ちたような音が響く。中には微妙なバランスを保って積まれていたものもある。崩れるのか、思って、モーリスは素早くセレスティを背に庇い、視線を走らせた。併し、そうではなかった。部屋の隅、其処に空間の歪みがある。異空間の向こうから、ひょいと数冊の書物を手にした、少年の腕が覗いた。
「マリオン!」
鋭く名を呼ぶ声がモーリスの口から発せられる。
それに空間の狭間から突き出た腕はびくりと反応して、すぐに元の空間へ戻ろうとした。
だが。
「――予想通り、でしたね」
見す見す逃すモーリスではない。
いつの間にか空間の歪みの場処に立ったモーリスは、その少年の手頸をしっかりと捕らえていた。そのまま引っ張れば、果たしてリンスター財閥所有の美術品を一手に引き受ける研究者――と云っても外見は少年と称しても障らぬあどけなさなのだが、マリオン・バーガンディ、その人である。
マリオンは文字通り悪戯が見付かって、モーリスへやや反抗的な眼差しを向けたが、頸を廻らしセレスティの穏やかな表情にぶつかると、急にしゅんとなる。
「どういうことか、説明して頂けますか?」
セレスティの言葉にも、素直に頷いた。
モーリスに時折ツッコミを入れられ乍ら、マリオンが語ったことには、大体次のようなことである。
自宅にも研究所にも未整理の骨董品が山とあり、到頭それらの保管スペースは埋まってしまった。そこでセレスティの屋敷の一部屋を借りて、入り切らぬ品々の置き場処としたのである。
但し、一部屋を借りて、の前には「勝手に」と云う註が付く。
「だって、此処ならスペースも空いているし、いいと思ったのです。ちゃんと鍵も掛けておいたのですよ」
上目遣いにセレスティを見て、マリオンは口を尖らせた。
「鍵を掛けておいた、ではなく、鍵は掛けられていた、でしょう。まったく、主のプライベートスペースを何だと思っているのか」
溜息を吐き乍らモーリスが言うのへ、「モーリスさんのお部屋ではありませんし」とかマリオンは思ったが、口には出さなかった。どんな嫌みが返ってくるか分かったものではない。
セレスティは大方の事情が呑み込めて、相変わらずの部下たちの遣り取りをのんびり観察している。その後ろに控えている兎月は、退室し損ねてどうするか、と悩んでいたが、当初のこの部屋の訪問理由を思い出した。
「……あの、主様」
「はい? 何でしょう」
マリオンへ説教しているようなモーリスだが。それをセレスティはどうこうする気はないらしい。ならば問題ないかと思って声を掛けた兎月へ、やはりセレスティは変わらぬ微笑のままに応えを返した。
「わたくしめ、此方へお茶をお運びするよう仰せ付かったのでございますが……」
ちらりと部屋へ視線を投げる。ティータイムどころか読書に落ち着けるスペースすらない。如何致しますか、と困惑げな眼差しで尋ねると、セレスティは愉しげに頸を傾いだ。
「兎月くん、キミは九十九神ですね」
「はい」
「お仲間と、逢ってみたくはありませんか?」
「仲間、と申しますと」セレスティの突然の申し出の意味が分かり兼ねた。「わたくしめと同じ、九十九神にございますか」
「ええ、きっと、そうだと思いますよ。――ねえ、モーリス?」
セレスティが振り向いたのへ釣られて庭師に視線を戻すと、
「時代や場処、形態を問わず抛り込まれたようですからね。その中にひとつふたつ、そう云ったものがあっても不思議ではないでしょう」
モーリスもセレスティに同意する。
その後ろでマリオンは顔を真ッ赤に染めてモーリスを睨め付けていた。何があったのだろうと兎月は頸を傾げたが、セレスティがこの部屋へ入室した際の出来事を語り始めたのでそれは謎のままとなった。――ナニ、でなかったことだけは一応附記しておく。
「――そう云うことでしたから」
説明を終えると、セレスティは部屋をぐるりと眺めるように頸を廻らし、最後に兎月へと戻す。
「この部屋から出て行ってしまったのは、九十九神憑きの何かだったと思うのですよ」
改めて言葉にしてそう結論付けると、マリオンは肩を窄めた。大まかにさえ分類せずに放置していたのだ。その中にどうやら、意思を持った何かが混ざっていたらしい。
「九十九神……」
どこか嬉しそうに繰り返したのは、自身が絵皿に宿ると云う九十九神である兎月だ。その様子を見て、セレスティは頷くと、
「余りに素早い動きでしたので、その九十九神の姿は判別できませんでした。だからこそ、気になっているのです」
読書もお茶も、休憩は暫しお預けに。
「共に捜して――下さいますね?」
***
「そんなに……大きな物ではなかったと思います。床の上を進んできたようではありませんでしたから……文字通り、部屋の中から飛び出してきたのです。ですから少なくとも、宙を飛べたり、跳ねたりできる形状なのではと。
色は私の眼のことですし、咄嗟のことで気配も十分に探れなかったので分かりません。
只、風の、空気の動きがそう大きくはなかったので、やはり小さな、重さも余り無いものでしょうね」
セレスティのその証言を元に、各々、九十九神捜索が始まった。
***
カーニンガム邸の敷地内にはモーリスの結界が張られている。空にも有効なので、屋敷の屋根より高くは、たとい飛行能力を持つものであっても通過は不可能だ。結界自体は通常の人間には作用しない。四人は安心して敷地内のみを捜し歩けば良い。
セレスティがそれぞれに簡単な担当場処を割り当てると、そこで解散となった。部屋の片付けを命じられたマリオンだけを残して――。
「マリオン?」
またしても、部屋を去ったと思われたモーリスの呼び声に、びくりと背を震わせるマリオン。
「何を、しているのかな……?」
これ以上ないほどの甘く囁くような声音の先、マリオンは空間に手を掲げた体勢で硬直した。その指の先で、空間はぐにゃりと歪みを見せている。今まさに其処へ、別の空間を繋ごうとしていたところだった。
つまり、逃亡を目論んでいたらしい。
「違うのですよ」まだモーリスは何も言っていないのが、マリオンはそう反論した。「とりあえず、この品たちを別の場処に移そうと思ったのです」
モーリスはまた大きく嘆息してから、部屋の扉に触れた。僅かに空間にぶれが生じ、マリオンの前にあった歪みは消滅する。新たな結界――部屋を檻の内に入れたのだ。マリオンは「あ!」と叫んで悔しそうに一応先輩に当たる男を振り返った。252歳と云う年齢差のせいか、モーリスの結果内で空間を開くのは容易ではない。
「また別の九十九神でも出てきて、逃げ出されては困りますからね」
勝ち誇った笑みを浮かべて、骨董と共に後輩を檻に閉じ込めたモーリスは、悠々と部屋を出て行った。
――最近、頓にモーリスさんが意地悪なような気がします。
モーリスが退室して後は、暫く悔しげに脹れッ面だったマリオンだが、元来ひとつの感情がそう長くは続かぬ性分である。大人しく積まれた品々の分類に取り掛かった。……
それも、やはりすぐに厭きるのが常であるのだが。
***
「――此処にも、いらっしゃいませんね」
軽い吐息して、セレスティは室の扉を閉めた。
セレスティの担当は、二階である。視力の弱いセレスティだが、感覚で――特に水分を含んだ大気中故に、水の気配に依って視覚より余程詳しくを知り、調べることができる。廊下には動くものの存在は感じられなかった。ならば室内かと、一室々々、こうして巡っているのだ。部屋数はホテル並みとは云えないまでも、空いている部屋が多いのは事実だ。
(マリオンも、言って下されば専用の部屋を用意するのですがね)
口許の微笑を深くして、また隣の部屋を開ける。客人用のベッドルームだった。
マリオンの懐古趣味からの骨董好きは、セレスティも知っている。併し彼はどうにも厭き易い性格で、手に入れたものへの執着は早々に失ってしまうことが多いらしい。
(対してモーリスは……)
室内に水の気で以て九十九神の在処を捜し乍ら、部下たちを思う。モーリスは、手に入れたものへも、未だ手の届かぬものへも、同様に接しているように窺える。接する、の意味は様々変換できるが、ここでは措いておく。
「この部屋も、以上は無し」
確かめて、次なる部屋へ。ふと窓の外から話し声がして、セレスティは耳を澄ます。庭に居た子供たちと、兎月が話をしているようだった。彼の担当は庭だ。凧を高く揚げる方法を、兎月から教えて貰っているらしい。成程この日本に永くある兎月なら、昔乍らの子供遊びにも詳しいだろう。
「……今年も、良い年となりそうですね」
心暖まる新年の遣り取りに、天つ人の如き微笑みを降らして、セレスティは次の扉を開けた。
***
その庭では、主に会話を聴かれていたことなど露知らぬ兎月が、子供たちから解放されて、九十九神捜索に戻っていた。表の広い庭の方では、早速兎月に伝授された方法で、空高く凧を遊ばせる子供たちの笑声が響いている。
裏庭へ廻り、兎月は有能な庭師の手で最上に整えられた庭の間を、まだ見ぬ同じ九十九の神たる仲間を捜し、歩き回る。枝の間、葉の陰、樹を見上げ、時には屋敷の外壁や窓にその姿がないかと眼を凝らす。視線は上から段々と下へ向かい、地面をうろうろと捜すことになる。低木の枝下などには、まだ雪も残り、屈んでいても捜索は困難だ。兎月は辺りを見渡し人目がないのを確かめて、獣形を取った。後ろに撫で付けた青髪も、涼しげな青眸も、冬の清まし気にさらり解けて、一瞬で青年の姿はその場から消え失せる。其処には代わりに一羽の白兎が、周囲をきょろきょろと探って、低木の集まった辺りへ跳ねていった。
***
邸の一階を、のんびりした足取りで巡るのはモーリスだ。はっきり云って、やる気はまったく感じられなかった。セレスティから命じられなければ放置、或いは乱暴な方法で仕留めることも厭わぬ男である。今も、もし屋敷を破壊するような相手ならば、少々手荒なことは仕方ないとは思っているが、
(九十九神と云うことですし、それでは兎月くんが悲しみますからね)
そんな理由で、一応は穏便に済まそうと云う気のようだ。
訪れる客に出逢う度に、至って和やかな挨拶を交わしうっかり相手を魅了し乍ら、モーリスがそっと溜息したのは、捜す相手に対してではなく、その元兇となったマリオンへである。要らぬ苦労をさせられたと、新年早々の捜索劇にげんなりし始めている。尤も、そう頑張っているわけではなかったので、疲れ自体は殆ど無いのだが。
(セレスティ様も、何だ彼だ云い乍ら、マリオンを甘やかしているように思えますし)
さっきだって、部屋があんなことになっていなければ、セレスティとまたティータイムを一緒に寛ごうかとも思っていたのだ。――段々、嫉妬染みてきている。
モーリスはセレスティと同様、一室ずつ部屋々々を巡って、捜索の済んだ部屋にはその都度、マリオンの居た部屋と同じに、新たな檻を創造していった。後から部屋に九十九神が入り込まないようにするためだ。
一階すべての部屋を捜索し終えて、上の階のセレスティと合流しようと階段を昇る途中、
「きゃあ!」
短い女性の悲鳴が上から聞こえてきた。
モーリスが駆け付けると、使用人の女が二階への踊り場に尻餅をついている。床にはリネンが散らばって、転んで落としたものだろう。モーリスが声を掛けようとすると、女は二階を指差して「あれ……」驚愕の表情のままに訴えた。その先を辿る。
――居た。
階下から悲鳴を聞いた使用人が上がってくるのを見て、モーリスは躊躇うことなく二階へ。今しも廊下へ消えようとする、宙に浮かんだ白い九十九神を追う。二階。担当はセレスティだ。名を一度高く呼ぶ。奥の扉が開いた。
「セレスティ様!」
相手にはそれで瞬時に伝わった。廊下は障害物など無い広い場処だ。セレスティは傍に置かれていた花瓶の水を手許に呼び寄せ、薄い水の壁を作り出す。それで九十九神を包み込んで捕獲しようと云うのだ。モーリスは走り乍ら、小さな不可視の檻を創造する。相手は小さい。空中をひらりひらりと舞うように進むそれは、細長く薄い形状に見えた。素早い上に、動きがふらふら頼りないために、狙いが定まり難い。
九十九神はモーリスから逃れるようにして、反対側の廊下――セレスティの方へと進み来る。モーリスが進行方向を予想して檻に囲む。躱された。透かさずセレスティが薄い水の壁を展開する。
と。
ちょうどセレスティの前、扉のひとつが開いた。執務室だ。九十九神は逃げ道を見付けたとばかり、ひらりと横方に滑り込むようにして室に入る。「うわっ」中より人の声。セレスティの水も九十九神を追って室内に向かった。
――ぱしゃ、ん。
捕まえたか。車椅子のセレスティと、走ってきたモーリスは、同時に室内を覗く。
「あ、あの……」
執務室には、頭から水を被り、途方に暮れた若い秘書の姿があった。
***
一方。
「部屋から出られないと、何もできないのです」
そう云うことにして、読書に興じている者が居る。云うまでもない。マリオンである。
片付けは結局、あの後五分ほどで厭きて、手近にあった皿の納められた桐箱を開けてみたり、一向に解けない不可視の檻の室内を、恨めしげに眺めたりしている。
部屋は、惨状を呈している。
堆く積まれた列の幾つかが崩れているのだった。崩れた拍子に周りの品々がどんどん巻き込まれて、其処此処で「ガシャンッ」「パリンッ」「ビリリ」などと聴こえてきたが、
(……後でモーリスさんに直して貰うからいいのです)
とりあえず今だけは気にしないことにした。
こんな様子であるから、部屋から九十九神憑きの何かが逃げ出したと云われても、皆目見当がつかない。手に入れた際に、それなりのチェックをした筈だが、その時に気付かなかったと云うことは、その後――マリオンの手に渡って後に意思を持ち始めたものかもしれない。尤も、詳しく調べもせず此処へ抛り込んだ物も、あるにはあるのだが。
様々思いを巡らしてはみたが、退屈は紛れない。室内には疾うに厭き切っている。併し意地悪な先輩の手に依る結界は、そう簡単に解けるものではない。せめて、とマリオンは窓に近付いて、庭を眺めた。庭も、意地悪な先輩の手に依るものだと云うことを思い出した。
窓からも離れようとすると、外に話し声がある。子供の声のようだ。
――見て見て、ウサギー!
――あ、ホントだ。
――俺にも触らせろよー。
(兎さん?)
マリオンの眸が見る見る輝きを益してゆく。
急いで窓辺に戻ると、数人の子供たちが裏庭に集まっている。よくよく見ると、その中の一人が、確かに青い眸を持つ真ッ白な兎を抱いている。
(可愛い……!)
マリオンは試しに窓を開けてみる、開いた。部屋から出ようと云う意思がなければ大丈夫なのか。指先ぐらいなら問題なかったのかもしれない。
「ねえ、君たち」
突然の声に子供たちはびっくりして振り向く。
「その兎さんは、私の飼っている兎さんなのです。返してくれるかな?」
邸の中では年少に見られるマリオンだが、それでも外見は18歳程度である。相手は小学生、立派な「お兄さん」である上に、この屋敷の内部の人間からそう云われれば、素直に応じると云うものだ。
果たして難なく白兎を子供たちから受け取って、ご満悦のマリオンである。部屋に招き入れて、腕の中の兎を覗き込むと、心做しか不安そうで、大人しくしている。マリオンは兎のやわらかな毛を撫でて、抱き上げて頬に添わせもして、すっかりお気に入り。
さて、その白兎こと、兎月の心中はと云うと、
(また、見付かってしまいました……)
青褪めていた。
獣形で裏庭をうろうろと兎月は、真面目に、同類の心細さを我がことのように心配し乍ら、夢中で捜索していた。夢中になり過ぎた。そして、唐突にひょいっと、子供たちに捕獲されてしまったのである。五感に優れ、特に聴覚には自信を持つ自分が、いともあっさりと、子供に見付かり捕まったのだ。
(池田屋兎月、一生の不覚――!)
因みに、既に何度も、兎月は獣形の姿で目撃されたり捕獲されたりしているが、もう少し危機感を持った方が良いのかもしれない。
そんなことを思いつつ、マリオンに撫でられ続けている兎月であった。
そこへ、
「マリオン、九十九神が見付かりましたよ」
そう言って、モーリスが室へ戻ってくる。部屋を覗いた瞬間に、あからさまに眉を顰めた。辛うじて物置だった室内が、破片まで散乱する酷い有様、云いたいことはたくさんあったが、今は優先すべき事項があった。モーリスはマリオンへ視線を向けて――「おや」微笑んだ。兎月の姿を見付けたからだ。
「兎月くんは、どうして此方へ?」
問うと、白兎の兎月は、小さく頸を左右に動かしている。モーリスは不思議に思ったが、
「兎月さん? さっきの料理人の方ですか? 此方には来ていませんよ」
頸を傾げてマリオンが応えたので、一切を了解した。マリオンはまだ兎月がこの白兎であることを知らないのだ。
「そうでした。――それよりマリオン、早く執務室の方へ」
モーリスは指を鳴らし、一時的に室の結界を解くと、マリオンと兎月とを伴って、セレスティへ合流した。
***
執務室。
先程、九十九神がこの部屋へ侵入した直後に、モーリスが結界を作り出したお蔭で、この部屋からは逃げ出してはいない筈だ。
「何処に居るのですか?」
「分かりませんか?」
室内を見廻すマリオンへ、セレスティは問い返す。マリオンの腕の中に兎月を見て、セレスティは一旦彼から兎を預かった。物言いたげに見上げてくる兎月へ、セレスティは頷き、床へ下ろす。兎月は室内をひょこひょこと歩き出した。訊いているのだ。家具に、机に椅子たちに。仲間の居場処を。『此方』『其方へ』『そうそう、其処に』
「香炉さ〜ん、硯さ〜ん、伊万里さ〜ん、肖像画さ〜ん、ランプさ〜ん」
マリオンの方は、何やら部屋の彼方此方へ呼び掛けている。
「……何ですか、それは」
「だって、名前も、姿も分かりませんから」
適当に品物名を連ねているらしい。伊万里さんは、伊万里焼のことである。
「セレスティ様とモーリスさんは、ご存知なんですか? 九十九神さんが、この部屋の何処に居るのか」
同時に頷く二人に、自分も探し出すぞと意気込んだマリオンだが、不意に机の方から、物音がする。もしや、思って振り向いたが、机上に居るのは白兎。兎が、トントンと、机で脚を鳴らしている。セレスティが、眼を細め微笑んだ。
「――分かりませんか?」繰り返す。
マリオンは今一度机を振り向いた。
セレスティが普段執務に当てる机の上には、白兎と、電話と、小さな花瓶に、ペンスタンド。それに書類らしき紙の束と封筒が脇に置かれている。
「……あ」
間違い探しのように。
その光景の中にひとつ、不自然なものを見付けた。
「私も、私の秘書も、あのような姿になるまで使い込んだりはしませんね」
言い置いて、セレスティは車椅子を進める。マリオンと共に机へ近付いた。そうして兎月の眼の前、ペンスタンドへ手を伸ばす。
ふわり。
セレスティが触れようとすると、それは宙へ浮かび上がり。背後で動くモーリスを止めて、セレスティは無言のまま、九十九神へ手を差し伸べた。
暫く。
九十九神は、宙に浮き静止していたが、やがてゆっくりと舞い降りてきて、するりとセレスティの手に収まる。
それは、一枚の真白き羽根。
羽根、とは云うものの、処々の羽毛が抜け落ち、永い時を渡るものの由、変色箇処も見られる。先端の、一番重要と思われたインクのための切れ目も削れて、本来の用途――ペンとしての機能は期待できなかった。
「戻しましょうか?――『在るべき姿』に」
「ええ。でもその前に、声が……」
聴こえないのですよ、とセレスティは掌の羽根に視線を落とす。兎月と同じ九十九神ならば、意思があるのならば、話ができるのではないかと思ったが、此方の声に応えは無い。
「私が、ちゃんとした場処に保管しておかなかったせいでしょうか……?」
マリオンの問いに、セレスティは兎の姿のままの兎月をそっと窺う。兎月は頸を振った。
「……いいえ、どうやら違うようですよ。このままで、大丈夫なようです」
セレスティの目配せに、兎月は大きく頸を縦に振る。同じ九十九神として、近い気配には敏感、その兎月が大丈夫だと云うのなら、きっと。
「でも、何だか喋れないと云うのは、ちょっと寂しい気がするのです」
「マリオンは、話がしてみたいのですか?」
「勿論!」
「それならば……それならばきっと、いつかこの羽根が、言葉を紡ぐこともあるでしょう」
兎月の反応を待たず、セレスティは言って、指先に羽根を辿る。
「――モーリス」
そうして、部下へ「外側」のみの修復を命じ、セレスティは白兎を抱いた。マリオンがまたその毛並みを撫でると、兎月は小刻みに耳を震わせる。
「そう云えば、兎月さん、戻ってきてませんね」マリオンの言葉に、本人はセレスティの腕の中でまた震えた。「お茶の用意をして貰おうと思うのです」
さすがに能力を使用しているからか、モーリスからの小言は飛んで来なかった。視線だけが、ちらりとマリオンを見下ろす。それにセレスティは小さな笑い声を立てて、
「マリオン、部屋の片付けは終わったのですか?」
「……だって、疲れましたし」
今度こそ、モーリスは呆れ果てた声でマリオンの名を呼んだ。
***
翌日。
点け放しにしておいたテレビには、正月特番でインタビューを受ける各界の著名人が、次々と同じようなコメントを残し乍ら、陽気に笑っている姿が映っていた。セレスティはその中に、知人を見付けては手を止め、ラジオのようにして聴いている。
――今年は酉年ですからね、
――羽ばたける年にしたいものです。
セレスティの手には、モーリスが完璧な姿に戻した羽根ペンが握られている。曇りない白の羽根の元、優美な文字が記されてゆく。
「羽ばたけるように、ですか……キミに羽ばたいて貰っては、困りますけどね?」
セレスティが微笑み語り掛けると、羽根は羽ばたく代わり、その書風に添うように、ひとつ、そよめいた。
<了>
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
┃┗┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳┛┃
┗━┛★あけましておめでとうPCパーティノベル★┗━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【3334/池田屋・兎月(いけだや・うづき)/男性/155歳/料理人・九十九神】
【4164/マリオン・バーガンディ/男性/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長】
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■ ライター通信 ■
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黒猫は大好きです。
こんにちは、この度はご依頼ありがとうございます。ライターの香方瑛里です。
お正月早々に、お屋敷内での九十九神捜しのお話でしたが、何だかまた別の部分を多く書いてしまったような気も致します……でも兎さんとのやり取りはどうしても入れたかったんです……。
お任せ頂いた九十九神ですが、酉年ということで、こういうことに。安易ですみません。
書いている私自身はとても楽しかったのですが、肝心の皆様にも少しでもお楽しみ頂ける部分がありましたら嬉しいです。
それでは、またお逢いできる機会を楽しみにしています。
――今年が皆様にとって、良き一年となりますよう。
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