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新年あけまして、二倍のおめでとうを
「あけましておめでとうございますなのでぇす!」
「ちょっと待てっ!!」
年が明けてから二日目。
その瞬間、年末年始の激務によって、ソファの上でうとうとと眠りかけていたこの『草間(くさま)興信所』の主、草間 武彦(たけひこ)は、まるで悪い夢でも見ていたかのように、反射的に飛び起きていた。
……おいおいおいおいちょっと待て!
「くさまのおぢちゃ!」
「俺は何も聞こえないぞおおおおおおおおおおおっ!」
いやもう、神様仏様、何でもいいからとにかく幻聴だってコトにしておいてくれ……!
何やらどこからか、可愛らしい声が自分の名前を呼んでいた。しかし、武彦がいくら辺りを見回してみても、その声の主はどこにも見あたらない。
だが武彦には、この声に嫌というほど聞き覚えがあった。
「年明け早々厄介事を持ち込むのはやめてくれっ! 俺はもう借金取りに追われて疲れてるんだっ!」
「あら、武彦さん、どうしたの?」
さっきまで寝ていたのに?――と、不意に興信所の奥から顔を出したのは、切れ長の目をした中性的な容貌の女性、シュライン・エマであった。
「あっ、しゅらいんしゃん!」
「あらぁ」
謎の声に唐突に呼びつけられても、しかしシュラインは喜びを顔に浮かべ、すぐにテーブルの方へと駆け寄って行くのみであった。
「あっ、あっ、」
テーブルに向かって身を屈めたシュラインから、現実を見たくない! といわんばかりに武彦が視線を逸らす。
そうしてシュラインが、テーブルに向かい、
「あけましておめでとうございます、八重(やえ)ちゃん」
――否、テーブルの上にいる小さな影に向かって丁寧に頭を下げると、
「いつから来ていたのかしら?」
「ついさっきなのでぇす♪ あけましておめでとうございますなのでぇす」
声の主、露樹(つゆき) 八重も、丁寧に頭を下げて挨拶をした。
――小さな人形ほどの大きさの少女であった。黒いローブに、胸元の金の懐中時計。赤い瞳が楽しそうに、シュラインをじっと見上げている。
「この魔性のチビッコめっ!! 一体何の用なんだっ!!」
「あら」
今直ぐにでも暴れ出しそうな武彦の言葉に、八重とシュラインとはふ、とお互いに見つめあうと、
「「今日は、」」
「八重ちゃんのお誕生日じゃない」
「あたしのおたんじょうびなのでぇす!」
武彦は見事に、ソファの上から転げ落ちた。
興信所には、年明け早々様々な人々が挨拶にやって来る。
八重が現れたあの後すぐにも、幾人かがこの興信所を訪れていた。或いは新年の挨拶に、或いは八重の誕生日を祝いに。
「何か持ってきますね、兄さん、シュラインさん」
唐突に混み合ってきた事務所の中を見回し、先ほど片付けたばかりのテーブルの上に何も無いのを見て言ったのは、今まで台所を整理していた草間の妹、草間 零(れい)であった。
零は、どこか楽しそうに、既に大騒ぎを始めた興信所内の人達を一瞥すると、急いで台所へと消えて行く。
テーブルの上で既に八重はお腹が空いていたのか、
「ところで、おせちはないでぇすか?」
「丁度さっき、昨日から出しっぱなしだったのを片付けたばかりだったのよ。今零ちゃんがつめなおして持って来てくれるはずだから」
私も後から、お菓子や他の料理を探してみようと思っているのだけれど。
シュラインが付け加えると、八重はじぃ……とあらぬ方向に視線を向け、
「あのかがみもちが、おいしそうなのでぇす」
「駄目よあれは駄目っ!」
ぱっと両手を広げ、反射的に鏡餅の前に立ちふさがったシュラインの代わりに、
「八重ちゃん、鏡餅は駄目でも、これじゃあ駄目かしら?」
八重の気を引くと、何やらポケットから取り出したのは、眼鏡の奥から青い瞳で微笑みかけてきた女性、綾和泉 汐耶(あやいずみ せきや)であった。
汐耶から八重へと手渡されたのは、小さな、カードのようなものであった。合計で五枚あるカードの一枚一枚には、『ケーキワンホール』と汐耶の字で記されている。
「けーき、でぇすか?」
「一枚で、ワンホールね。好きな時で構わないわよ」
「わあっ……♪ ありがとうなのでぇす!」
「喜んでもらえて何よりね」
汐耶は優しい笑顔で答えると、さて、とすっくと立ち上がる。
「それから、私から八重ちゃんには、もう一つプレゼントね。今からケーキを焼こうと思っていて」
「そうなのでぇすかっ? わあい、せきやしゃんのけーきっ!」
「この前付き合ってもらったお礼も含めて、ね」
妹の誕生日の前に、色々とケーキの感想をくれたお礼ね。
ぴょこぴょことその場に跳ねる八重に手を振り、汐耶はシュラインに一言断ると、材料を手に零のいる台所へと向かう。
その時には既に、八重は次なる目標を見つけて話しかけていた。
「くさまのおぢちゃは、なにをくれるでぇすか?」
きらきらと瞳を輝かせ、見上げてきた八重に、
「これで我慢してくれ……」
武彦はポケットからチロルチョコを一つ取り出し、どこか投げやりな様子で八重の前に置いた。
「ちろるちょこ……」
じぃ……と凝視すると、八重は包みの乱れたチョコレートを、うんしょ、と両手で持ち上げる。
自分を見つめ、沈黙する武彦を見上げると、
「えへへ……ありがとうなのでぇす」
もしかして、あたしのおたんじょーび、おぼえていてくれたんでぇすか?
「何っ?!」
珍しく素直に頭を下げた八重に、武彦は一体何が起こったんだ! と言わんばかりにぎょっとして身を引いた。
「不条理妖精がっ!」
素直に、お礼を言っただとっ?!
「やばいぞ俺、今年はまともな年になりそうだ……!」
今年早々、いきなり人間らしい扱いをしてもらえた! と、涙を流して喜ぶ武彦に、
「……電気も水道も止められるかも知れないという昨今なのに、人間らしい扱い、今年はまともな年、ねえ」
「シュライン……」
シュラインが密やかに、冷たい声で囁きかけた。
シュラインは、何かに怯える武彦はそのままに、一転して八重には優しい笑顔を浮かべると、
「八重ちゃん、私からもプレゼントがあるのよ」
「ぷれぜんとでぇすかっ!」
「ええ」
にっこり微笑んで、八重の目の前に小さな包みを差し出した。
「……あけてみていぃでぇすか?」
「勿論」
いそいそと八重が包みを開いた。その中から出てきたのは、
……わあ、
「わあ、おざぶとんなのでぇす!」
八重は早速その上に正座すると、ふかふかなのでぇす、とぽむぽむ座布団を叩いて見せる。
「どう? 座り心地は、悪くないかしら?」
「とってもきもちいーのでぇす! しゅらいんしゃん、ありがとうなのでぇす♪」
「いいえ、どういたしまして」
忍び笑いで答えると、シュラインはさて、と、料理の準備をしに行くべく、その場に立ち上がった。
しかし。
来客を知らせる、古びたブザーの音が鳴ったのは、その時のことであった。
「はぁい?」
シュラインが答えると、丁寧に玄関の戸が開けられる。
そうして、
「どうも、あけましておめでとうございます」
玄関前の床に正座をすると、深々と頭を下げたのは、一人の少女――久良木(くらき) アゲハであった。
赤と黒の布地に、大きく鮮やかな朱雀の刺繍が少し派手気味な着物。それとは対照的に、白い肌と銀の髪が、その着物によく映えていた。
「いえいえ、こちらこそあけましておめでとうございます」
シュラインは丁寧に頭を下げると、さ、入って入って、とアゲハを中に招き入れる。
「新年のご挨拶を、と思いまして。あ、お重も持ってきたんですよ」
あれ、でも、テーブルの上にリボンとか、お人形さんとか……?
八重が貰った贈り物の包みのリボンや、八重自身を見て小首を傾げるアゲハへと、
「今日は彼女の――八重ちゃんのお誕生日なのよ」
シュラインが、テーブルの上の八重を視線で示し、ひっそりと耳打ちをする。
「だから、そのお祝いやら何やらで、これから随分と賑わう予定なのだけれど」
「なるほど、そうだったんですね!」
へぇ、可愛い……! と、武彦から貰ったチロルチョコの包みを剥いていた八重に近寄ると、アゲハはぺこりと頭を下げた。
「あけましておめでとうございます。それから、お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとうなのでぇす!」
片手を挙げて、元気に八重が挨拶を返す。
それからすぐに、八重ははっとアゲハの手元を見ると、
「ところで、そのてにもっているものはなんなんでぇすか?」
「あ、これですか?」
アゲハは風呂敷に包まれている重詰を軽く持ち上げ、八重へと微笑みかける。
「お重です。折角のお正月だから、って」
家の人に、そうやって言われたので。
アゲハはテーブルの上に五段重ねの重詰を置き、風呂敷の結び目を丁寧に解く。
「さあ、皆さん、遠慮せずに食べてくださいね」
だが。
「……お重?」
「……あれ?」
伊達巻き。
重詰の一段目にびっしりと詰っていたのは、黄色に渦巻きの美しい、伊達巻き――のみであった。他の料理は、どこにも見当たらない。
やれやれ、全く騒がしくなったな……とソファの上で溜息を吐いていた武彦が、その中身にぎょっと目を見張った。
アゲハは戸惑ったままで、一段目を取り上げ、二段目の中身をそっと覗き込む。
途端、
「見なかったことにします」
この上ない笑顔で一段目を元の場所に戻すと、さあ、皆さん食べてくださいね――と、もう一度周囲に重詰を勧めて見せた。
本当は、何で、どうしてっ?! と騒ぎ出したい気分でもあったのだ。勿論この事態は、アゲハが自主的に引き起こしたものではなかったのだから。
ネタにされたっ?! 私っ?! ってゆーか家の人ならやりかねないしっ……!
それでも、
駄目駄目、新年のご挨拶に来ておいて、急にそんな、大騒ぎしちゃあ……。
「――もしかして二段目も全部伊達巻きだったのか?」
武彦の冷たい一言に、ぎくり、とアゲハが身を竦ませる。
「参の重と与の重と五の重は?」
これ以上見たくありません……と言わんばかりのアゲハの代わりに下の段を覗き込んだのは、丁度テーブルの上に、零と共に詰めなおした御節や自分で作って持って来ていた揚げ等の料理を運んできていた汐耶であった。
汐耶は手早く中身を確かめると、
「大丈夫よ。代わりに、五の重に口取りと祝い肴が入っているもの」
まあ、酢の物は無いみたいだけど。
「あっ、本当ですかっ?!」
慌ててアゲハも、参、与、五の重の中身を覗き込み、
「あぁ、良かったぁ……」
あからさまにほっと安堵して見せた。
本来であれば重詰には、地方ごとに多少の違いはあるものの、壱の重には『口取り』として前菜、そうして『祝い肴』として海老などが、弐の重には『酢の物』が、参の重には『焼き物』が、与の重には『煮物』が、そうして、五の重には『控え』として、何も詰められていないか予備の料理が詰められているのが基本であった。
「でもこれじゃあ、余地が無いですね……」
「今時五の重がある方が、珍しいような気もするのだけれど」
「余地が無い? 何の話だ?」
「五の重には、元々何も入れないのが普通だったんですよ。現在が最高で満杯な状態ではなくて、もっともっと繁栄する余地がありますように――って」
汐耶の言葉に、ふぅん、と武彦が頷いた。
「意味の無いことが好きだったんだな、昔の人間は」
「意味の無いことではありません。気持ちの問題です」
台所から戻って来ていた零が、ぽつり、と洩らしたところに、
「ちなみにそれぞれの料理とその数は、奇数が基本なんですよ。仏教で陽数と呼ばれる、おめでたい数ですね」
「へぇ……物知りなんですね!」
馬鹿にしたものでもないのよ、と、更に説明を加えた汐耶に、感動しましたっ! と、アゲハが満面の笑顔を向ける。
その様子をぼんやりと見つめながら、武彦は何気無く、煙草を口に咥えていた。
――途端。
「あー、オタバコは体に良くないのでっす」
めっ、と武彦から煙草を取り上げたのは、神宮路 馨麗(じんぐうじ きょうり)――まだ小さな、巫女装束姿の少女であった。
「あっ、こら、返せ!」
「ね、シオンさんもそう思わないですか?」
「でも、武彦さんですから……」
苦笑して答えたのは、先ほどから馨麗と談笑を続けていた、いかにも気さくそうな中年の男性、シオン・レ・ハイであった。
「でも、煙草が良くないのは本当のことですからね」
私も煙は、苦手なもので。
「そうですよっ、シオンさんはシンシなんですから、もっと言ってくださいなのです! タバコを吸うと、ハイガンになって死んでしまうっててれびで見たのですねえ」
「微妙に耳年増になってないか? お前……」
「そんなことないのです」
武彦の指摘にもめげず、馨麗は一向に、武彦に煙草を返そうとしなかった。
仕方無しに、諦めた武彦が煙草を箱ごと持って立ち上がり、一本取り出して咥えると火を点ける。
「あーっ、ずるいっ! ずるいのでっす!」
「これなら届かないだろうからな」
意地悪く笑った武彦に、馨麗が飛び跳ねながら抗議をする。
シオンはそんな二人の様子を、微笑まし気に見つめていたが、不意にテーブルの上の八重の方を振り返った。
……そうでした。
「あの、八重さん」
「なんでぇすか?」
シュラインから貰った座布団の上に立ち、御節を見回しては、どれからたべたらいーですかねぇ……とじゅるり、と感動していた八重が、シオンに向かって小首を傾げる。
シオンは持参した荷物をテーブルの上に乗せると、その中からまず、小さなマスコットを取り出した。
「お誕生日、おめでとうございます。……実はこの前、ヘッドドレスとパニエをせがまれてしまいましてね。何分お金が……ということで、手作りになってしまったのですが」
八重より一回りほど小さなマスコットは、垂れ耳に大きな赤い瞳が愛らしい、兎を模したものであった。
わあいっ♪ とマスコットに抱きついた八重の前に、シオンは次々と袋からお菓子を取り出して置いてゆく。それから、最後に一つ、
「開けてみてください」
少し大きめの箱を八重の前に置く。
八重は無言のままに頷くと、シオンの手も借りながら、その箱を開けて中身を引っ張り出した。
そこにあったのは、
「わああああ……!」
鏡餅の形をした、二段重ねのケーキであった。そのてっ辺には、蜜柑の代わりに半分の桃が添えられている。
「甘い物がお好きとのことですので」
……三週間分の食費、ということは内緒にして。
「こんなにたぁくさん、ありがとうなのでぇす!」
「いえいえ、どう致しまして」
この笑顔に、何だか癒されますねぇ……。
普段から公園で、子ども達の姿を見ているのが好きなシオンにとって、八重の無邪気な喜びはこの上なく嬉しく感じられるものであった。
「しおんしゃん、たべてもいぃでぇすか?」
「勿論ですとも!」
「あ、……すみません、でもちょっとその前に」
八重が早速ケーキにかぶりつこうとしていた時、ふ、と彼女に話しかけたのは、機会を伺っていた、金色の瞳に懐古趣味なスーツの青年、マリオン・バーガンディであった。
「私からもプレゼントがあるのですよ」
マリオンはにっこりと微笑むと、テーブルの上の物を簡単に寄せてから、目を閉じてください、と八重に小さく囁きかける。
八重が目を閉じたのを確認すると、マリオンはやおら、静かに虚空を人差し指で示した。
途端。
「シオンさん、宜しければ手伝ってくださりますか?」
「え?」
「こちらに来てください」
周囲の光景が、ぐにゃりと、歪んだ――皆がそう思った途端、全く異質な世界が、丁度人三人が並んで通れるほどの大きさになって、姿を見せていた。
まるで、全く異なる絵を無理やり切り貼りしたかのような光景に、招かれたシオンも、思わず絶句してしまう。
「……あの、」
「大丈夫ですって、死にませんから」
ですから少し、手伝ってくださいね?
私一人では重いですし、丁寧に運びたいものですから、と、既にその空間の中に入り込んだマリオンが手招きをする。
渋々、おっかなびっくり、と言った様子で、シオンが間も無く、その空間に足を踏み入れる。
「あっ、そういえば、ちょっと隙間があるので、気をつけてくださいね? 落ちたら大変なことになりま――、」
「あぁああああああああああああぁああっ?!」
足がっ! 足が消えてるっ?!
丁度、電車とそのホームの隙間のような場所に見事足を挟めたシオンが、真っ青な顔で自分の足下を見下ろしていた。
「シオン兄さんっ! 大丈夫ですかっ?!」
傍にいたアゲハが、慌ててシオンの足を隙間から引っ張り出す。
マリオンはそんな二人の様子をくすり、と意地悪く微笑んで見つめながら、もう一度、いまだ驚きの余韻がとれないでいたシオンを呼びつけた。
――それから、暫く。
「ほら、シオンさん、頑張ってくださいね? 丁寧に置かないと、崩れちゃいますから」
こここここれは大変ですね……!
ぶつぶつ呟くシオンに続き、別空間の奥から、マリオンがのんびりと興信所に戻ってくる。
先頭をきるシオンの手には、両手を大きく広げてやっと直径に届くほどの、大きなケーキが持たれていた。微妙なバランスを保ちながら、シオンが緊張した面持ちでテーブルの上にケーキを添える。
「お疲れさまです」
別空間――実のところ、主人の屋敷の台所であったのだが――への入り口を塞いだマリオンが、満足気にシオンに向かって微笑みかけた。
そうして、まだ目を閉じていた八重へ、もういいですよ、と再び囁きかける。
と、
「うわああああああぁあ……」
瞳を開いた八重の口が、開いたまま塞がらなくなる。
「どうですか? 気にいっていただけると嬉しいのですが……」
私と、それから、これを作ってくださったお屋敷の料理人さんと。
マリオンが、手の平にちょこん、と八重を乗せてケーキを一望させれば、八重はそこに広がる大きな世界に、暫くの間何も言うことができずにいた。
ばらのおはなのさいたなまくりぃむのそーげん、おおきなおやま……いちごはなんだかおうちみたいなのでぇす……。
胸の前に手を組んだまま、じぃ、と沈黙する八重の姿に、マリオンは忍び笑いを洩らす。
「おや、私にも、わけてくださいね?」
「もっちろんなのでぇす! ほんとうにおいしそうなのでぇすねぇ……でもまりおんしゃん、もしかして、あのおはなもたべれるんでぇすか?」
「ええ、食用の薔薇ですからね。あっと、それから、私からの贈り物はもう一つ。これはついでです」
八重をテーブルの上に置くと、マリオンはどこからともなく、小さなビニールの包みを取り出した。
折角の、お誕生日ですから。
それぞれがHappy Birthday≠フアルファベットを一文字ずつ模った十三本の色とりどりの蝋燭が、その中には入っていた。
「おもしろいのでぇす」
「あら、それは丁度良かったわ」
不意に、二人のやり取りを見守っていたシュラインがにっこりと微笑むと、
「丁度、八重ちゃんの年齢分、蝋燭を立ててみたいと思っていたのよ」
「九百本以上になるのにか……?」
がっくりと肩を落とした武彦に、シュラインがいいじゃない、と言葉を返す。
「まあ、さすがにこのケーキの上だけじゃあ収まらないでしょうから、他のケーキも借りて、ね」
「それは面白そうなのでっす! きょーりもお手伝いするです!」
はいはーいっ♪ と手を挙げて、馨麗がちょこん、と飛び跳ねる。
「ぎねすにちょーせん?」
「うーんと……無理だと思うわ」
「むむぅ……」
シュラインの言葉に暫し悩んだ後、
……それでもま、いーのですっ。
面白そうだからよしとするのですねぇ〜、と、馨麗がシュラインに蝋燭のある場所を問うた。
『ハッピーバースディ ディア 八重ちゃ〜ん♪ ハッピーバースディ トゥ ユ〜♪』
全員で歌い終わったその時、シオンが年末の祝い事続きの際に余していたクラッカーを、景気良く鳴らした。
八重が、汐耶の手の平の上で照れたように笑う。
「えへへ……ありがとうなのでぇす」
「さ、早く蝋燭消して歩かないとね。蝋が垂れてきちゃうわよ」
それじゃあどこから行きましょうかね、と汐耶が周囲を見回せば、そこにはテーブルの至る所に立てられた蝋燭が見て取れる。
合計九百本を超える蝋燭は、各々が持ち寄ったケーキの上に立てても、まだまだ余ってしまったのだ。仕方無しに、アゲハの持ってきた伊達巻きの上に立てたり、余った分を各々が手に持つことによって、ようやく全てが立てられることとなったのだが。
それじゃあまず、と、汐耶が自分から向かって右の人物の所に、八重を連れて行く。
「いやあ、お誕生日とは本当にめでたいですねっ! おめでとうございます!」
「ありがとうなのでぇす」
シオンが手に持つ蝋燭の火を、吹き消した。
「おめでとうございます。今年も良い年になると良いですね」
「あたしもそうなるとうれしいのでぇす!」
マリオンが手に持つ蝋燭の火を、一吹き。
「おめでとう、八重ちゃん。今年も宜しくね」
「こちらこそよろしくなのでぇす」
にっこりと、シュラインの手にする蝋燭の火を一吹き。
「あー……今年は少しは大人しくなってくれ」
武彦が言い終わる前に、蝋燭の火を吹き消す。
「おめでとうございます」
「ありがとうなのでぇす♪」
丁寧に頭を下げた零の蝋燭の火を一吹き。
「おめでとうございますなのでっす! 賑やかなお誕生日になって、きょーりも楽しいのですっ!」
「あたしもたのしいのでぇす!」
いぇいっ、とブイサインをして、馨麗の手に持つ蝋燭の火を吹き消した。
「本当に、おめでとうございます。今年も元気一杯に過ごしてくださいね」
「はいでぇす!」
最後に、アゲハが手にする蝋燭を一吹きした。
それからは、八重は皆が見守る中で、テーブルの上の料理に所狭しと立てられた蝋燭を、汐耶の助けを借りながら吹き消してゆく。
そうして最後に、伊達巻きに立てられた蝋燭の火が吹き消された後。
「八重ちゃん、お誕生日おめでとう」
ケーキの上の蝋燭から、こっそりと火をもらっていた汐耶が、最後の一本を八重の前に差し出した。
八重は、にんまりと笑顔を浮かべると、
「せきやしゃんも、ありがとうなのでぇす♪」
ふーっと、蝋燭の火を吹き消した。
その瞬間、自然と興信所内に拍手の音が溢れかえる。
――しかし。
それが今後の驚くべき展開への火蓋を切っていたことには、シュラインや武彦、汐耶しか気がついていなかった。
シュラインがケーキを切り分けて配り、全員で乾杯! と各々の飲み物を掲げた、その瞬間の話であった。
早速テーブルの上の料理が、待っていました、とばかりに、とてつもない速さでその場から消え始めたのは。
原因は、八重。
八重はその小さな体のどこに収めているのか、凄まじい勢いで、数々の料理に飛び込むかのようにかぶりついてゆく。
「それにしても、随分とケーキばっかり集まってしまいましたね」
そんな中でもふと、テーブルの上を見つめながら、馨麗が持って来ていた甘酒を片手にしたシオンが、のんびりと言い放つ。
しかし、その横で、
「いいえ、大丈夫よ」
揺るぎの無い確信を持って言ったのは、汐耶であった。
「すぐに無くなるわ」
八重ちゃんの食べっぷりって言ったら……凄いんだから。
「もう五ホールくらいあっても、まだまだだわ」
「そんなにっ?!」
「あの小さな体に、どうしてあれだけの量が入るのかは、私も結構不思議に思っているのですけれどもね」
まあでも、そんなこと……今更、という気もするのだけど。
汐耶はそこで、さて、と立ち上がると、台所へと戻って行った。
その横で、汐耶の言葉を聞いていたマリオンが、ぽつり、と呟く。
「本当に、すぐに無くなってしまいそうなのです」
少しだけ驚いた様子で、屋敷の料理人が作ってくれた、あのケーキをフォークでつつく。
……あんなに小さいのに?
とてつもない勢いで減っていったケーキや料理の殆どは、確かに、テーブルの上の八重によって食べられてしまっていた。
凄いですね。あれだけ食べられたら、世界の美味しい物を全部制覇できそうなのです。
美味しいもの――そういえば昨日はガレット・デ・ロワを食べたのでした、と、色々と思い返しているマリオンの横で、
「それにしても、癒されるわあ……」
ふぅ……と溜息を吐いたのは、シュラインであった。
あの食べっぷり。嬉しそうな顔。
やっと年末年始の疲れが吹っ飛んでいくかのようだわぁ……。
台所の食料は密やかに隠しておいたものの、御節やお菓子を八重の前へといそいそと運んできていたシュラインが、うっとりと笑顔を浮かべる。
しかし武彦がぽつり、と、
「くそ、テーブルだのソファだのカーペットだの汚されるんじゃあ、」
「どうせ片付けるのは、武彦さんじゃあないでしょうに」
いつも私にやらせているくせに――まあ尤も、
「シュライン……俺に散々手伝わせておいて、それはないだろ」
「自分の事務所くらいきちんと片付けて当然。手伝わせてるんじゃなくて、当然のことをしてもらっているまでだわ」
……っと、もうこれ以上愚痴には付き合ってられないわね。
突き放したように言うと、シュラインはすっくと立ち上がり、すぐそこでアゲハや馨麗を呼びつけてお年玉を渡す。
丁度その時、
「ん……良い香りがするのです」
マリオンが、気を利かせて自分で持って来ていた葉から淹れられた紅茶を手にしながら、不意に興信所の中に充ち始めた甘い香りに瞳を細めていた。
暫くして、台所から汐耶が戻ってくる。
「後は焼いて冷まして、デコレーションするだけ、ね。八重ちゃん、もうちょっと待っていてくれるかしら?」
「はいでぇす!」
マリオンの持参したケーキにかぶりつきながら、素早く八重が返事をした。
していたエプロンを外した汐耶が、ふと、マリオンの隣に腰掛ける。
「どうやら、上手くいっているようですね」
香りで、何となくわかるのです。
汐耶さんもきっとお料理が上手なんでしょうね、と、微笑んだマリオンに、
「それでも私は、洋菓子はあまり得意ではないんですよ」
「でも八重さんは、あんなに楽しみにしていらっしゃりますよ?」
八重と汐耶の様子を見ていれば、普段から二人の間に親交があることは、マリオンにもよくわかる。
……八重さんだって、汐耶さんのケーキ、食べたことがあるでしょうに。
視線で問うたマリオンに、汐耶が視線を再び八重に移して答えた。
「そうしてもらえると、やっぱり何だか嬉しいのですけれどもね」
甘い物を目の前にした時の八重ちゃんは、本当に嬉しそうで。
こっちまで嬉しくなってきちゃうものね、と、汐耶はそっと瞳を細める。
「それにしても、確かに良い光景ですね」
うんうん、と感動したように頷きながら、傍にいたシオンも八重から視線を逸らせずにいた。
汐耶達の言うとおり、
――本当に嬉しそうな笑顔は、こちらの心まで和ませてくれますからね。
どこかあの子に似ています、と、『子ども銀行』のあの少女のことを思い返す。
せがまれてソフトクリームを買って渡した時の、あの嬉しそうな笑顔。
これだから、断れないんですよねえ。
おかげで家計は火の車なわけだが。
でも、喜びはお金じゃあ買えませんからねえ……。
シオンは遠く遠く幸せそうに一息吐くと、そのままうっかりと、
「ん――あっ、」
……手にしていたケーキの皿を取り落とした。
刹那。
「あああああああああああああああああああああっ?!」
飛んで来た武彦が、シオンの首根っこを掴んでがくがくと激しく揺さぶった。
「どうしてくれるんだっ?! 片付けるのが大変だってあれほど言ったじゃないかっ?! ってゆーか勿体ないっ! 食べ物は粗末にするなっ!」
「……どうせ兄さんは、片付けないじゃないですか」
早速雑巾を手にしてやって来ていた零が、泡を吹くシオンにも構わずに、騒ぐ武彦に冷たく言い放った。
――折角お正月なんですし、羽根突でもやりませんか? 持ってきたんです。
興信所でのどんちゃん騒ぎも一段落した頃、玄関に置いておいた少し大きめの鞄を指差して、全員に向かって提案したのはアゲハであった。
そうして今、全員は上着を身に纏い、一月の空の下、所は変わり興信所近くの公園で、思い思いの時間を過ごしていた。
「それにしても、新年早々まるであま〜いスイーツの持ち寄りのようだっただなんて、……これもこれで、新年らしくて良かったのです」
正直、少しばかり日本料理には飽きてきちゃっていたところでしたし。
ベンチの上にちょこん、と腰掛けながら、マリオンが幸せそうに息を吐く。
その隣で、同じくふぅ……と息を吐くと、シオンはいつの間にか始めていた編み物の手を止め、腹の上にそっと手を置いた。
「そうですね。私も御節やケーキを沢山頂いて、久々にお腹一杯に……」
最近も、ちょっと貯金しすぎてしまって、お金が無かったものですから。
苦笑するシオンには気付かずに、マリオンがええ、と頷いて、
「でも、まだまだみたいですよ? 汐耶さんが、ケーキを作っていらっしゃったみたいですしね」
帰ったら、今度はそちらも食べられそうですね。
「でもこれじゃあ私達、何だか食べに来てるみたいですね?」
「そんなことありませんよ。あくまでもメインは、お誕生日なのです」
でも、甘い物があると、やっぱり幸せなのです……。
にんまりと笑顔を浮かべると、マリオンは何気無く、カンコンと飛び交う羽根突の羽根へと視線を廻らせた。
アゲハが持ってきた羽根突の一式は、現在武彦と馨麗に、興信所の中から発掘した羽根突の一式――ただし羽根と片方の羽子板は小さかったが――は、アゲハと八重とに使われていた。
羽根を打ち合う二組の姿を少し遠巻きに見つめながら、汐耶がふ、と、言葉を洩らす。
「早く春が来れば良いわね」
まあ、冬も悪くはないのだけれど。
元々羽根突は、陰陽道に通じる秘儀の一つであったとされる。『強くしごいてこする』の意味を持つ羽子板で、『酉』を意味する羽根を強く打ち合う。これによって陰陽五気の関係から、冬を打ち負かし、春を呼ぶことができるとされた。
「ほぉら、草間さんっ! そんなんじゃあ、春なんて来ないのでっす! きちんと金気を打ち砕かないとならないのでっす!」
『酉』は、金気を意味する。春が来るためには、木気を呼び込まなくてはならないのだ。
金気は木気の敵なんですねえ。
陰陽道とは係わりの深い馨麗が、考えながら、勢いよく羽子板で羽根を打った。
「俺は嫌だって言ったんだ! 何で俺が羽根突なん――うぁわああっ?!」
「ほーら、よそ見するからいけないんですねえ。もうこれはきょーりの勝ちですねえ〜」
いい加減二十回も羽根を落とされた馨麗が、そろそろ飽きたのです、と言わんばかりに武彦にはたはたと駆け寄った。
馨麗は無言のままに武彦に屈むように指示をすると、
「アゲハさん、確か墨がありましたよねえ?」
「そうです! きちんと持ってきたんですよ!」
丁度八重との小規模な羽根突を終えたアゲハが、馨麗の言葉に頷いた。
「ほら、これです!」
傍に置いてあった荷物から筆と墨とを取り出すと、アゲハはそのまま少し考え込んでしまう。
「もしかして、描いちゃうんですか? 武彦兄さんの顔に?」
「冗談! 俺は嫌だからなっ!!」
「でも、武彦兄さんは負けたんですよね?」
「……何の話だ」
「嘘はいけないのです! 知らん振りもだめでっす!」
馨麗はんしょっ、と墨の蓋を開けると、その中にたっぷりと筆を浸した。
それから嫌がる武彦の顔に容赦無く、暫くぐるりぐるりと落書きを続け――、
「ぷ……草間さん……」
「おい……もうそろそろ勘弁してくれないか……?」
「ダメなのですねえ〜。まだまだげーじゅつはバクハツしていないのでっす!」
噴出した後更に、向かって右の目の周りをぐるりと一囲み、クチベニ〜♪ と言わんばかりに口周りを一囲み。馨麗は唐突に武彦から距離を置くと、うーん、と遠くから見つめて一言、
「ぱぶろ・でぃえご・ほせ、」
暫く延々と指を折りながら、これが一人の人間の名前だとは思えないほどに名前を連ねたその後、
「……るいす・い・ぴかそさんには、まだまだかなわないのですねぇ」
少しだけ息を切らせながら、馨麗がぷぅ、と頬を膨らませる。
「素直にピカソって言えよ」
「寿限無寿限無みたいなのですねえ。きょーりは、そんなながーい名前をつけられても、きっと覚えられないのです」
再び馨麗は武彦に駆け寄ると、その顔にぐるぐると落書きを始めた。
――それから、更に暫く。
「さてとっ」
馨麗は武彦の顔に散々落書きをしてようやく満足したのか、墨の無くなった筆をぴこぴこと振りながら、にんまりと微笑んだ。
「上出来なのですねえ」
馨麗が武彦の前から離れた瞬間、それを見ていた八重やアゲハが大きく噴出した。
汐耶やシオンも、笑い出しそうになるのを必死に堪えて武彦から目を逸らす。
「兄さん……、」
「……おやおや」
「全く……」
零とマリオンとシュラインが、驚きと呆れにそれぞれ溜息を吐いた。
それから、暫く。
武彦が散々周囲から馬鹿にされ、馨麗も馨麗で遊びには満足した頃。
「皆さんは、まだ羽根突をするですかっ?」
不意に馨麗が、手を挙げた。
「何か、他にやりたいことでもあるんですか?」
膝を折って問うてきたアゲハに、馨麗は両手を大きく広げて見せると、
「だってまだ、きょーりはまだ、露樹さんに誕生日ぷれぜんとをしていないのですねえ〜」
「えっ、きょーりしゃんは、あたしになにかくれるんでぇすかっ?」
よじ登った武彦の顔に、どこからともなく取り出した小さな筆でまだまだ落書きをしていた八重が、馨麗の方を振り返る。
「えへへ……」
照れたように笑った馨麗が、不意に瞳に、真剣な光を浮かべて空を見上げた。
大きく息を吸い込んで、小声で囁く。
「――緋皇」
その瞬間、まるで空に大きな雲が立ち籠めたかのように。皆が空を見上げる一瞬前、公園を大きな影が包み込んだ。
やがてその影は、徐々に大きさを増し、天を仰ぐ人々の間に風を呼び込んだ。
そうして天から降りて来たのは、その大きな体に言い様も無い高貴さを纏った、大きな鳥であった。
皆の驚きの中で、馨麗はいーこいーことその鳥の――緋皇の頭を撫でながら、
「今年は酉年なのでっす♪ それにちなんで、露樹さんにはお空の旅のぷれぜんとなのでっす!」
颯爽と、緋皇の背に乗り、皆を招き寄せる。
「おそらのたび、でぇすかっ?」
「皆で楽しめれば良いのですねえ〜。皆さんも、緋皇に乗ってくださいです。……あ、シオンさん、怖がらなくても、食べたりしないから大丈夫なのです!」
緋皇の嘴の先で、物珍しそうに目をぱちくりさせていたシオンに、馨麗が笑顔を向ける。
「はあ……、」
シオンが頷いた、その瞬間、
「ややややややややあやあああああっぱりっ! わ、私のことは、食べても美味しくないですよっ?!」
よく通る鳴き声と共に、口を大きく開いた緋皇に、彼は慌ててその場から飛び退いて転びそうになる。
緋皇の、何もかもを見透かすかのような視線が、シオンをじっと凝視していた。
「でも馨麗ちゃん、落ちたりはしないのかしらね?」
「大丈夫なのです〜。緋皇はとっても、頭のいーこ、なのですっ」
緋皇の背を撫でながら、緋皇の上に乗ってきた汐耶の問に、馨麗は自信満々に頷いて見せた。
その横で、
「おい……本当に大丈夫なんだろうな……?」
「まあ、馨麗ちゃんもああ言っていることだし」
予め、武彦が羽根突で負ことを予測していたのか、持って来ていたウエイトティッシュで彼の顔を拭きながら、シュラインが一つ頷く。
「でもまだ子どもだぞ? いくらなんでも、」
「まあ、携帯電話の電波も通じるでしょうし。何かあったら、レスキューでも呼ぶしか。……まあ、零ちゃんもいるし」
「それで間に合うのか? おい……」
「まあ、私もいますしね」
すごいですねえ……、と、緋皇の体を撫でながら、感心していたマリオンが不意に顔を上げる。
「いざとなってもどうにかなりますから、あまり心配はしないで、空の旅を楽しみましょう!」
もし何か起これば、地上に空間を繋げばよいだけのこと。
マリオンの笑顔に、それでも武彦は不安を払拭しきることはできなかったが、
「それでは、出発なのでっす!」
わーい、と手を挙げた馨麗に、武彦としても覚悟を決めざるを得なかった。
その瞬間、緋皇が両翼を大きく羽ばたかせる。
「シオンさん、行くですよ〜!」
「わわっ、ちょおおおおっと待ってくださいよおおおおおおっ!!」
砂煙を上げて浮き上がった緋皇の首に必死にしがみついたシオンが、あっという間に宙ぶらりんになる。
振り子のように左右に振れるシオンはそのままに、緋皇はあっという間にアパートの屋根を越え、マンションの屋上を越え、ビルを超えて空を舞う。
「いやあああああああっ?! おちっ、落ちるううううぅううううううっ?!」
助けてください! と涙を流していたシオンを、零が渋々引き上げた。
「……ふむ、シオンさんは、シンシじゃあないんですか?」
馨麗の言葉に、シオンはさらり、と髪をかき上がると、
「ふっ――ハイですねっ!」
シオン的にはイエスの返事と鮫と『高い』とをかけたつもりであったのだが、誰もそれには気付いていなかった。
「あぁっ!」
「ああっ、シオンさんが泣いたっ?!」
背を丸くして縮こまったシオンの背をアゲハが擦っていたが、他の人々は、高くから見下ろす東京の景色に夢中になっていたのか、全くその様子に気がついていなかった。
「たまにはこういうのも、良いですね」
まるで気球に乗っているみたいで。
尤も、やっぱりスピードはもっともっと欲しいですけどね……と、マリオンがぽつりと付け加える。
しかし、マリオンのそんな言葉には気付かずに、
「なんだかとってもいーきぶんなのでぇす!」
汐耶の手の平の上で、お〜……と周囲をぐるり見回していたのは、八重であった。緩やかな緋皇の羽ばたきに、体に当たる少し冷たい風が心地良い。
「どうですかあ?」
「とってもたのしいのでぇす!」
馨麗の問いかけに、八重が小さな手でぱちぱちと拍手をした。
……きょーはほんとうに、たのしいいちにちなのでぇす。
だって、
「ひとりでおそらをとぶときとは、ぜんぜんちがうかんじなのでぇすねえ。こういうおそらのたびもたのしいでぇすし、それに、でぇすよ、」
八重は得意気に人差し指をおっ立てると、
「かえってからも、まだせきやしゃんのけーきがまっているでぇすよ♪」
「そうね。帰ったらクリームを塗って、デコレーションしなくちゃね」
また食べ物の話……と緩んだ空気の中で、汐耶が答えた。
八重ははぁい、と汐耶の方を振り返って手を挙げると、
「あたしもやるでぇす!」
「駄目よ」
汐耶はくすりと笑うと、
「だって八重ちゃん、デコレーションする前に全部食べちゃうじゃない」
それもそうかも、と頷いた全員に、そんなことありませんでぇすよ! と、八重がぷんすかと抗議をした。
Finis
■□ I caratteri. 〜登場人物 □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。
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<PC>
★ 露樹 八重 〈Yae Tsuyuki〉
整理番号:1009 性別:女 年齢:910歳
職業:時計屋主人兼マスコット
★ シュラン・エマ
整理番号:0086 性別:女 年齢:26歳
職業:翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
★ 綾和泉 汐耶 〈Sekiya Ayaizumi〉
整理番号:1449 性別:女 年齢:23歳
職業:司書
★ シオン・レ・ハイ
整理番号:3356 性別:男 年齢:42歳
職業:びんぼーにん(食住)+α
★ 久良木 アゲハ 〈- Kuraki〉
整理番号:3806 性別:女 年齢:16歳
職業:高校生
★ マリオン・バーガンディ
整理番号:4164 性別:男 年齢:275歳
職業:元キュレーター・研究者・研究所所長
★ 神宮路 馨麗 〈Kyouri Zinguzu〉
整理番号:4575 性別:女 年齢:6歳
職業:次期巫女長
<NPC>
☆ 草間 武彦 〈Takehiko Kusama〉
性別:男 年齢:30歳
職業:草間興信所所長、探偵
☆ 草間 零 〈Rei Kusama〉
性別:女 年齢:不明
職業:草間興信所の探偵見習い
■□ Dalla scrivente. 〜ライター通信 □■ ゜。。°† ゜。。°★ ゜。。°† ゜。。
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まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注をくださりまして、本当にありがとうございました。
早速ですが、八重ちゃんにはお誕生日おめでとうございました♪ 貴重な一日を書かせて頂けて、とても嬉しく感じております。
ちなみに微妙に、今回七名様で書かせていただきましたが、六名様以上の受注は初めてだったなぁ……と、『登場人物』を整理していて初めて気がつきました。
少々ごちゃごちゃとしてしまったかも知れませんが、少しでもお楽しみ頂けますと嬉しく思います。
それでは、今回はこの辺で失礼致します。何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやってくださいませ。
又どこかでお会いできます事を祈りつつ……。
02 febbraio 2005
Grazie per la vostra lettura !
Lina Umizuki
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