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雪の振る中を走り抜けていくタクシーが、長い長い道のりの後、一軒の館の前に止まる。
「はい、着きましたよ」
「ありがと!」
自動的に開いた扉を身体をするりと滑らせてくぐり、彼女は外へと出た。
白いヒールのある靴が滑るかと、恐る恐るだった動きは、元気なジャンプへと変わる。
氷の欠片も無い茶色の石畳に、少女が足を揃えた時、扉はまた閉じて車は走り去っていった。
「あ、みあおちゃーん。いらっしゃい!」
流れる金色の髪の少女が、手を振る向こうには、銀の髪の小さな淑女が出迎えてくれた男性に向けて優雅にお辞儀をしていた。
「本日は、お招き下さいましてありがとうございます」
外は数年ぶりの大雪。気温は少なくともマイナスを指している筈だが、部屋の中はまるで春のようだった。
コートを脱いで白いモスリンのドレスになってもまったく寒くは無い。
「みあおちゃん、今日のドレス素敵ね」
招待主の娘が直々に手を取り迎えたお客に、エスコート役の男性は軽く会釈をすると黙って去っていった。
「うん、お姉さんが選んでくれたの」
「お姉さんや、お母さん、何か言ってた? お正月にお招きしちゃって怒ってなかったかな。一緒に来てもらっても良かったのに」
気遣うような不安を灯す友達の顔を見て、みあおはワザと大きく首を降った。
「そんなこと、無いよ。大丈夫! よくお礼を言ってねって言ってたし、それに‥‥」
言葉を止めたみあおの顔を蒼い瞳が覗き込む。
「それに? どうしたの?」
「ううん! 何でもない。みあおも楽しみだったから! 今日はよろしくね」
「うん! 向こうでみんな待ってるよ」
(「折角の本当の家族団らんを邪魔しちゃいけないもんね」)
本当に続くはずだった言葉を飲み込んで、みあおは少女の手を取って広いパーティ会場を駆け出した。
受取ったソーダ水は水色でふと、みあおは大事な人の事を思い出した。
(「お姉さん、今頃お父さんとお母さんに甘えてるのかなあ?」)
今は、家にいるはずの姉の、いや義姉の顔が思い浮ぶ。今日の事を話したときのあの寂しそうな顔を。
『今、なんて言ったの? みあお?』
『お友達がね。新年を一緒に過ごしませんか? って誘ってくれたの。だから、みあおは今年の大晦日も、お正月も、お友達のおうちですごします!』
『ちょっと、みあお! 折角、お父様もお母様も帰ってくるのに。みあおってば!』
あの時、自分はワザと聞こえないフリをして、部屋に戻ったっけ。スキップして、楽しそうに‥‥するフリをして。
『‥‥ふう、ごめんなさい。お姉さん』
吐き出した深い吐息は、苦しいほどに重かった。
(「後で、お姉さんは、そんなに行きたいならいいわ。おめかしして行きなさい。ってドレスを用意してくれたけど、いつものニコニコ笑顔じゃなかった。でも、きっと今は笑ってるよね。お父さんやお母さんと」)
義姉が嫌いでここに来たわけではない。決して無い。
‥‥もう一人の血の繋がらない姉との約束があったのだ。
『たまには、本当の親子水入らずの時を作ってあげましょう』
彼女の言うとおり、五人家族と思われている海原家は本当は三人家族。
自分と、姉。
「おとうさん」も「おかあさん」も二人の(しかもやっかいな過去と力を持つ)娘を養女とし、本当の娘とまったく分け隔てなく育ててくれている。
本当の家族でないことなど忘れてしまいそうなほどに‥‥。
「みあおちゃん、どうしたの? つまらない?」
思いにふけるみあおにホスト役の友達が声をかけた。心配そうな顔‥‥これ以上曇らせてはならない。
「そんなことないよ。大丈夫。心配かけてゴメンね」
(「きっと、お姉さんもお父さんも、お母さんも楽しんでる。みあおも楽しまなくっちゃ!」)
自分に言い聞かせるように、みあおは笑顔を作る。その笑顔は完璧で誰も奥に潜む思いを気づくことは無かったのだった。
「それにしても、凄いおうちだねえ〜」
今更ながらにみあおは首をくるりと回し、感嘆の息をついた。
豪邸という言葉を例えどんなに陳腐でも使わなければならないほどに、そこは完璧な豪邸だった。
白い壁に金と銀で、華やかな、でもセンスの良い装飾が完璧な黄金率で連ねられている。
天井にはダイヤモンドを散りばめたかのごときシャンデリア。
12月、季節分類上真冬と呼ばれ、花や植物たちの眠りの時期に、ここだけはそんなことは忘れられたかのように花が咲き乱れ、惜しげもなく飾られていた。
中世風の室内にそぐわないものは、全て隠され、でも完全なセントラルヒーティングは部屋の隅々までを暖めている。
「お嬢様方、お飲み物はいかがですか?」
「今はいいわ。ありがとう」
小さな主人の言葉に数倍以上年上の男性は恭しく頭を下げ退室する。
「ねえ、あれって羊さん?」
「みあおちゃん、それを言うなら羊じゃなくて執事だよ」
「メイドさんもいっぱいいるね」
豪奢な部屋、たくさんの料理。洗練された音楽、沢山の使用人。
超一流のセレブリティ達が集まるフランス大富豪のニューイヤーパーティ。
大人達が大人達の会話を楽しむように、小学生は小学生同士、大人達のミニチュアのように料理と飲み物。音楽と友達との会話を優雅に楽しんでいた。
子供達なりに‥‥だ。
「今年はいろいろ面白かったね」
と話す。遠足、お祭り、運動会いろいろなことが思い出される。
「来年はどんなことがあるかな?」
ほんの少し大きくなった自分が見る世界はどんなのだろうか?
いろいろな、いろいろなことがあった。世界でも身の回りでも。
大人は、これからの世界情勢に悲観的なものを持つのかもしれない。
でも、子供達は未来を見つめている。
「大丈夫、きっと楽しい年になるよ!」
みあおの言葉を否定するものは誰もいなかった。
フッ!
部屋中の電気が消される。
「ワッ! どうしたの?」
「大丈夫。新年のカウントダウンが始まるだけだから」
室内の中央の一際大きなアドベントキャンドルの周囲だけが、ぼんやりと照らされる。
(「もうすぐ、今年も終わり。来年も、お父さん、お母さん、お姉さん達。そして、みんなに幸せがありますように!」)
みあおはそっと目を閉じた。
カウントダウンが聞こえてくる。
「5・4・3・2・1! Happy New Year!」
「BONNE ANNEE!!」
キャンドルに炎が灯ると同時に、部屋中が弾けるような光に包まれた。
シャンパンと、クラッカーの賑やかな音。おめでとうの歓声とキスの嵐。
まず家族に。そして親戚に。
「おめでとう!」「良い年を!」「新年おめでとう!」
抱き合い、キスをしあい、新しい年を喜びと共に迎える。
その中で、彼女も喜びを感じなかった訳ではない。
ただ、喧騒の中からそっと外れ、テラスから外を見つめていた。
自分で選んでここに来た。だが、家族と微笑む友人達に、彼女達を見つめるときにどうしても心に生まれたものがあったのだ。
それは‥‥寂しさ。騒音の中、静寂の泉にいるような悲しいまでの虚無にも似た思いだった。
ちらちらと舞い散る白い雪を、ひとひら、手にとってキスをする。遠い誰かに向かって‥‥
「新年おめでとう‥‥」
「お風邪を召します。どうぞ中へ」
羊、もとい執事が肩にかけてくれたショールを前で閉じてみあおは室内へと戻った。
中では金の冠を被った美しい‥‥ケーキが登場している。
「みあおちゃん、どこに行ってたの? あれはね、ガレット・デ・ロワっていうの新年のお菓子なんだよ。はい!」
そう言うとフランス人形のような少女は、純白の皿に乗ったケーキを友達に差し出した。
ナイフで一切れ切り取り、口に入れると
カチン!
硬い感触が歯に届いた。ゆっくりと指先がつまんだものは‥‥
「これ‥?」
「あ、いいな! みあおちゃんに当たったんだ。それが当たった人は良いことがあるんだよ。あげる♪」
パイに添えられていた金の冠を頭に被せられ、みあおは照れたように笑う。
拍手と共に自分の手元にやってきた手のひらサイズの小さな陶器の人形をみあおはギュッと握り締めた。
(「お姉さんにあげようかな? いいお土産ができちゃった」)
ハンカチに包んだ人形を胸に抱いた時、みあおには見えた気がした。
それは‥‥微笑む家族の肖像。
どんな豪華なパーティよりも、きっと楽しい時間。
「ただいま!」
みあおはそう言って家に帰る。
「おかえりなさい!」
家族がそう言って家族を迎える。
そして、お互いが笑顔を返す。
宝石も、キャンドルも叶わぬ、見ているものが幸せになるような、新年最初の最高の笑顔で‥‥。
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