コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<あけましておめでとうパーティノベル・2005>


新年の汚れ、新年のうちに


「あー」
 真っ黒に汚れた雑巾を手に、彼は溜息のような咆哮を上げる。弱々しい怒号は、しんと静まりかえった倉庫を、……揺るがすはずもなかった。
 骨董品屋『神影』は寒い。古ぶるしい建物は、すきま風こそなかったが、暖房設備が化石化しており、何とか売り場を暖めるだけで精一杯だ。いま、藍原和馬という獣混じりの男が居る倉庫の中は、屋外とさほども変わらない気温だった。
「なんで俺は新年会の前に倉庫の掃除なんかしてるんだろうか。あー、何て説明的な独り言だ。そうとも、自業自得ってわけなのさ。俺のバカヤロウ!」
 和馬の説明的な独白の通り、いまから30分後には、『神影』で新年会が開かれる予定だった。草間興信所やアトラス編集部で、さりげなく和馬が告知した、知人数名が集まるばかりのささやかなものだ。そして和馬は、己の師であり、この『神影』の店主でもある女から言いつけられていたことを、この新年会の日まで忘れていたのだった。厳しく言いつけられていたのは、『神影』の倉庫の大掃除だった。店主はまた長い旅に出ているが、一月中にはきっと戻ってくる。出かける前と何ら変わらない状態の倉庫を見たとき、和馬は一体どんな技をかけられたものか、皆目見当がつかなかった。
 がるるる、と唸りながら、和馬は雑巾をバケツに突っ込んだ。バケツの中の水は、この中に飛び込めば心臓麻痺は間違いなしと思われるほどに冷たかった。思わず彼は、きゃいんと悲鳴のようなものを上げ、全身の毛を逆立てることになった。
「うおお……嘘だろ。汲んできたときはぬるま湯だったってェのに……」
 師には悪いが、と和馬は師の私室に侵入し、浴室から湯をもらってきたのである。このおんぼろの店の中、まともな環境が整っているのは店主の私室くらいのものなのだ。
「……取り替えてくるか……」
 力仕事はさほど苦ではない。和馬はバケツをぞんざいに持ち上げた。
 取っ手が取れた。
 ばっしゃん。
「ガオー!!!」
 一瞬にして堪忍袋の緒が切れた和馬は、獣のするどい牙と爪をあらわにし、バケツだったもの(取っ手のないプラスチックの桶をどうしてバケツと呼べようか)を叩き飛ばした。バケツは汚れた水を撒き散らしながら倉庫内を舞い、棚に激突し、真っ二つに割れた。
 割れたものは、バケツだったもの(取っ手もなく、桶の部分が真っ二つになった物体をどうしてバケツと呼べようか)だけではなかった。棚に並べられていた大きめの瓶がひとつ床に落ち、粉々になったのである。中に入っていた白銀色の液体が、きらきらときらめきながら床に飛び散った。その他、あやしげな彫像や、白鷹の剥製、古書、いろいろなものも仲良く床に落ちていく。
「……あー……」
 和馬は弱々しい咆哮(人はそれを溜息という)を上げ、肩を落とし、倉庫の奥から金属製のバケツを掘り出すと、再び師の私室に入ったのだった。
 雑巾で、まずはこぼれた白銀の液体を拭き取る。得体の知れない液体だったが、雑巾が溶けたり焦げたり奇妙なものに変形したりはしなかったので、和馬は思い切って豪快に拭いていった。
 そうして懸命に掃除をしているときだ――店のほうから、声がしたのだった。
「ごめんくださーい、羽澄ですー」
「あら、誰もいないの?」
「藍原さん! おせち持ってきたわよー」
 和馬は倉庫の中で思わず飛び上がった。『神影』の店先にはすでに、新年会に呼んだメンツが揃っているらしい。
「早ッ!」
 和馬は驚きながらも倉庫から飛び出す。
いや、飛び出そうとした。
倉庫の入り口に、果たして、3人の来賓の姿があったのだった。
「……ちいっす」
 片手を上げて挨拶をする和馬の姿は、すっかり埃にまみれていた。その上、彼の後ろに広がる倉庫の光景は――混沌としていたのである。

 そして、白銀色の液体が、3人の女性の視線を避けるかのように――あたかも意志を持っているかのように――かすかな音をたてながら収束し、混沌の中へと沁みこんでいった。

「……倉庫で何してたの?」
「……掃除よね、藍原さん」
「片付けかもしれないけど」
「両方だよ」
 和馬が招いたのは、光月羽澄、シュライン・エマ、黒澤早百合。旧年、依頼やら騒動やらでいろいろと世話になっていた。和馬は実にさまざまな知人に声をかけたが、集まったのはたまたまこの女性3名。
 ――ハーレムじゃん、俺!
 という状態になったのは、けして意図的な結果ではなかった。
 ――まー、ハーレムったって、シュラインさんと羽澄ちゃんにゃ、もうお相手がいるんだけどさ。
「あ、ちゃんと最低限の用意はしてくれたのね」
 シュラインが目を細めて、店の真ん中に据え置かれたテーブルと椅子を見た。テーブルの上には、異国のテーブルクロスが敷かれていたし、人数分の箸や小皿も並んでいた。
「私たち、いろいろ持ってきたわ。食べるものは充分あるはずよ」
 早百合がまぶしい笑顔で、風呂敷に包んだおせちを和馬に見せた。シュラインと羽澄も、手に提げていた紙袋や、酒瓶などを心持ち持ち上げて、にこにこした。
「藍原さん、お酒好きでしょ。私とシュラインさん、美味しいお酒持ってきたの」
「……いやあ、はっは、本当に申し訳ない! 料理の用意とか、俺はぜんぜんやってなかった。ピザでも頼もうかって考えてたとこだ!」
「用意は女衆に任せて、藍原さんはとりあえず着替えてきたら?」
 羽澄が苦笑しながら、埃まみれの和馬の背を押した。その後ろでは、羽澄の言葉を受ける前に、早百合とシュラインが新年会の支度を始めていた。

 着替えを手に、和馬は恐ろしい冷え込みぶりの倉庫の中へとんぼ返りした――
「……?」
 すん、と臭いを嗅いで、和馬は首を傾げる。彼の獣の嗅覚がとらえたのは、何か、奇妙な臭いだった。不快なものではないが、ただものではないような……とにかく、奇妙な臭いだ。
「まア、さっきなんかヘンな水ぶちまけちまったしな……」
 それにしても、寒い。
 和馬はそそくさと着替えると、店に戻った。
 しかし店の中にも、何か異様な臭いが漂っていたのである。

「く、黒澤さん……」
「こ、これ……」
 シュラインと羽澄は絶句。『それ』を指すふたりの指は、ふるふると小刻みに震えているというおやくそく。
「え? うちのおせちよ。いつもは会社の子に作ってもらってるんだけど、今日はお呼ばれだから、自分で作ってみたの!」
 うふ! と小首を傾げる早百合の横から、着替えた和馬がテーブルの上を覗きこんだ。
「……なんじゃこりゃアアアア!!」
 それは至高の名台詞。今使わねばいつ使うか、そうさな、真っ赤に染まった自分の手を見るとき以外にないだろう。
「だから、おせちよ! おせち料理! 黒豆に、栗きんとんに、煮海老に、だし巻き……定番どころは揃ってるわよー」
 黒澤早百合がおせちだと言い張る物体は、外宇宙から飛来した究極生物の死骸を年末年始の間じゅう大鍋で煮込み、煮込んで、煮込んだ挙句、獅子舞に食わせて吐き出させたかのような代物と言ってもけして過言ではなかった。失言ではあるかもしれないが。
 しかし、早百合の嬉しそうで幸せそうな笑顔から、他の3人は瞬時に悟った。
『彼女はマジだ!!』
 と。
 黒澤早百合は、べつに毒殺するためにこの物体(どうしておせちと呼べようか)を作ったわけではないのだ。彼女は純然たる好意のもと、はじめからおせちを作るつもりで、この物体を作り出したのである。
 羽澄もシュラインも、誰かがおせちを持っていくだろうと考えていて、料理らしいものは持ってきていなかった。羽澄は頂き物の高級神酒を持ってきたきりで、シュラインが持ってきたのもワインとブランデーだ。シュラインは他にガレット・デ・ロアというフランス菓子も作って持ってきていたが、これは甘いアーモンドクリームたっぷりのパイで、空きっ腹にはこたえる代物だった。
 どうしよう、と羽澄とシュラインは青い顔で目配せをした。店の奥には簡素なキッチンもあることだし、材料があればすぐにでも間に合わせを作ることができる。しかし、早百合はマジなのだ――傷つくだろうし、怒るかもしれない。『おせち』はしっかり4人分あるとみられた。
「さ、藍原さん、食べてみて! このタコのスライス、頑張ってうすーく切ってみたの! 酢醤油はかけておいたから! ね!」
「あ……おおおうう……」
 早百合がうすーく切ったと言い張るタコの足は、深淵の眠れる神の触手の如く、丸のまま重箱からはみ出していた。早百合に箸を持たされ、語尾にはぁとのついたことばに促されて、和馬は青褪めながらタコの足に箸をのばす――
 絶体絶命!
 シュラインと羽澄は目をそむけた!


 やつが和馬を救ったのだ。しかしやつにとっては不本意だったのかもしれない。


 倉庫で物音がするよりも先に、聴覚がするどいシュラインと羽澄は、さっと視線を動かしていた。聴覚が鋭いのは藍原和馬とてそうなのだが、彼は現在聞き耳を立てられる状況にはない。
 誰もいないはずの雑多な倉庫で、大げさな音がした――
 そして、店内に向かって、古い彫像の首が投げ込まれたのだった。
「ああ! ちょっと?!」
「あぶない!」
「うごッ!!」
「あーっ?! 藍原さん!!」
 羽澄が投擲されたものをひらりとかわし、シュラインが危ういところで避けたため、飛んできた彫像の首は和馬の側頭部を直撃した。
「い……いってェエ……」
「何か出てくるわ! ――倉庫から!」
 常人ならば卒倒しているか死んでいるかだろうが、幸い和馬は常人ではなかったため、打ち身を負った側頭部をかばいながら、シュラインが指す方向を睨んだ。
 倉庫の中から、シュラインの言葉を待っていたかのようなタイミングで現れた影がある――
 ゆらりゆらりとよろめく、巨大な影だ。首を失った彫像の腕や、箒、モップ、鷹の剥製の翼を背に負い、木彫りの面をいくつも持つもの。古ぶるしい骨董品の集合体。レギオンの隙間からのぞくのは、不可思議な明滅を繰り返す白銀色のゲル。
 白銀色を見たとき、あっ、と和馬が声を上げた。
「掃除してるときに……落としちまったんだ。瓶の中に入ってた……あの液だな!」
「魂も何も持ってないようね。液体ゴーレムって言ったところかしら」
 蠢く物体を睨む早百合が、箸を持ったまま呟いた。
「もしかしたら、ホムンクルスの材料かも」
「とりあえず、その類のものは置いてあっても不思議じゃないわね」
「おっきなナメクジが這ってるような音がすると思ったら……これだったの」
「あー! あーあー! 師匠に怒られるー!」
 骨董品が、動いている。
 和馬は悲痛な泣き声を上げた。


 倉庫から這い出し、何を求めているのか、何も望みはしていないのか、とりあえず暴れだしそうな様相の骨董品たち――かれらは、新年会の会場にそれ以上踏み込むことは出来なかった。羽澄が張った音のボーダーラインが、骨董品の動きを封じ込めたのだ。
 責任は――瓶を落として割ってしまった和馬ひとりが負うことにした。それが妥当だった。
「ったく……とりあえず、貴重品は返してもらうぜ、ちくしょう!」
 椅子を蹴倒して、振動の中に飛び込んだ和馬は、牙を剥いていた。狼の腕が白銀色のゲルを抉り、中に取り込まれていた石のチェス盤を引っ張り出す。これは貴重なものなのだと、店主が以前自慢していた記憶があったのだ。和馬はさらに記憶を手繰ると、ゲルの中で浮き沈みしている赤い宝玉や、赤兎馬に乗った呂布の彫像、心霊写真しか印刷しようとしないプリンタ、とにかく店主が貴重だと言っていたはずのものたちを救出していった。
「はいはい、こっち」
「はーい、そっち」
 狼の腕が抉り出し、後ろに次々と放り投げていく骨董品を、羽澄とシュラインが体よく受け止め、店の隅に並べていく。
 しかし、不意に和馬の、黒の剛毛が覆う腕の動きが、びしと止まった。
 ぐるるるるる――
 和馬は唸り声を上げようとしていた。
 だが、それすらかなわない。
 白銀色のものは、和馬の足と尾をとらえ、喉を締め上げていた。
 ――クソ……あと……あれだ……。
 箒とモップの向こうにある、壊れてしまったはずなのに動き続けている柱時計。あれは貴重なものなのだ。それさえ取り返してしまえば、あとは好きなようにこのゲルを叩きのめせる……。
 ぐぅルルルっ!!
 白銀色のゲルは、和馬の腕に食らいついた。冷めた、熱い痛みを和馬は感じた。液体は意志を持ち、和馬の腕が美味いということに気づいてしまったようなのだ。剛毛が溶け、肉が消化されていく――和馬は、喉の奥で呻き声を上げた。
「藍原さん!」
「やめなさい! ゴーレム!」
 シュラインや羽澄の叫び声をもさえぎり、早百合の怒号が店内に響きわたった。
 彼女は、テーブルの上にあった物体を投げていた。重箱に入った危険な物体は、和馬の頭をかすめ、白銀色のゲルの中にめり込んだ。
 そして、
 ……。


「ほほほ! 私の料理、死ぬほど美味しかったということかしら!」
「……」
「……」
「……藍原さん、着替えてきたら?」
「そうそう余分な着替えなんて持ってきてないって。……寒ィ、痛ェ、怒られる……」
 白銀色の液体はどどめ色に変貌し、力なく『神影』の床に這いつくばっていた。おまけに、すでに乾いてきている箇所もある。どうやら、深刻な食中りにより、かりそめの命を失ったらしかった。
 ぼろぼろになったスーツの姿で、和馬はがっくりと肩を落とす。確か、この白銀色の液体だったもの(どうしてこの色を白銀色と呼べようか)も、貴重なものだと店主が言っていたような気がするのだ。腕の傷などは大した問題ではない。それどころではない。
「俺は……俺はいったいどうすれば……!!」
「まずは片付けよ。ああ、ついでに掃除もしましょ。いい機会だし。――羽澄ちゃん、こういう瓶類は隅っこにまとめて置いた方がいいわよね?」
 そう言いながらも、シュラインはすでにてきぱきと動いている。倉庫の中には羽澄が入って、彼女もまたてきぱきとものを移動させていた。
「……やっぱりそうスか、掃除スか。はあ……すまんね、皆さん。お客だってのに。力自慢の野郎がもの運ぶの担当しますわ」
「いいのよ。新年早々、あーいうのを相手に出来て、草間興信所で働く身としちゃ、幸先いいって言えるのかもしれないわ」
「骨董品倉庫の片付けなんて、私にとっては日課だから。気にしないで、和馬さん」
「……私、これでも力あるほうなの。4人で力を合わせればすぐ終わるし、何たって女ばっかりだから、前よりも整理できるんじゃないかしら? ……ま、私はまず、おせちを作り直すことにするわ」
 意気揚々と、どどめ色の死骸から重箱を拾い上げる早百合のことば。
 なにィ!! とばかりに、他の3人が凍りついたのは言うまでもない。凍りついた拍子に、シュラインと羽澄が、手にしていた古い瓶を――落とした。

『彼女はマジだッ!!!』




<了>

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1533/藍原・和馬/男/920/フリーター(何でも屋)】
【2098/黒澤・早百合/女/29/暗殺組織の首領】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
               ライター通信
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 あけましておめでとうございます! モロクっちです。大変お待たせしました……。
 そして、ギャグになりました(笑)。
 いえ、戦闘シーンはそれなりにシリアスに書いたつもりだったのですが、全体的なテイストがコテコテのコメディで、全然中和できてないんですよね。筋金入りのギャグは久し振りで、楽しく書かせていただきました。皆さんも、楽しんでいただけたら幸いです。
 しかし、両手に余る華状態なのに、藍原さまはひたすら不幸……。

 今年も、モロクっちをよろしくお願いいたします。こんな感じのも書けますので(笑)。
 それでは!