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<東京怪談ノベル(シングル)>


紅い記憶
「……っ!!」
イツルが激痛によって目を覚ましたのは、まだ夜明け前。
背中の古傷が何故か今になってまた開き、シャツは血で紅く染まっていた。

「またあの…夢か……。」
痛みをこらえるように、イツルは頭を抱える。額には汗が滲んでいる。

何度も何度も、昔から繰り返し見るあの夢。
今でも頭にこびりついて離れない過去の記憶。
真っ赤に染まった視界と愛しい人の悲痛な叫び声、そして妹の泣き声――。



イツルは至って普通の、幸せな家庭に生まれた。
優しい父親と穏やかな母親、それに二つ年下の妹。
穏やかで幸せな毎日を送っていた、そんな毎日が変わってしまう事なんて疑いもしなかった。当然毎日続くものだと思っていた。
なのに――。

世界は一変したのだ。
笑い声の変わりに聞こえてくるのは、沢山の悲鳴。
小さかったイツルには、なにがどうなったのか到底理解できるわけがない。
イツルの街で、大量虐殺が始まったのだ。

昨日まで微笑みかけてくれていた人が、変わり果てた姿で横になっている。
地面は紅く染まり、空はどんよりと濁っていた。
いつもなら心地よい風も、今運んでくるのは血のにおいだけ…。
父と繋いだ手には、痛いほど力が込められていた。
妹を抱きしめた母と4人で、イツル達は必死で逃げた。
ただひたすらに走った、目的地もないまま走り続けていた。


死んでいく人達の姿が視界を横切っては消えていく、目の前が紅く染まっていくのを呆然と見ていたが、だんだんとイツルの心が恐怖に浸食されていった。
怖い、怖い、怖い。
助けて、誰か、怖いよ。
声に出すことも出来ず、知らぬうちに眼から溢れてくる涙を拭うことも出来ず、イツルは走り続けた。


その時、何かが切り裂かれる音を聞いた。
「……お母さん?」
足が止まったかと思うと、母は妹を抱きしめたまま、どさりと地面に崩れ落ちる。
その後ろで、此方を見ていたその血で染まったイキモノは、笑っているように見えた。
もう動かない母の腕の中で、妹は咳ききったように泣き出した。

父は母の腕から妹を取り上げると、イツルに抱かせた。
「逃げろイツル、早く!!」
「い……いやだ…お父さんも一緒に……!!!」
「行くんだイツル!お前達は必ず生きるんだ!!」


最後に見たのは、母をしっかりと抱きしめた父の、あまりにも悲しい笑顔。
「生きろ!!」
泣き叫ぶ妹を抱きしめ、イツルは背を向け走りだした。
刃が彼の小さな背中をかすめ激痛に眩暈を覚えたが、歩みを止めては行けない。護らなければ……何があっても妹を。
死にたくない、怖い、勿論そう言う思いもあった。けれどそれ以上に強かったのは、何があっても生きなければという思い。
父との約束を果たすため、イツルは泣きながらも前だけを見て走った。
振り返れば、二度と走れなくなるような気がして…。



この事件で生き残ったのは、たった二人だけ――。




護りたかった、愛しい人達を、あたたかくて幸せな日々を。
けれどあの日、妹を護るだけで精一杯、結局みんな死んでしまった。
大人達は哀れみ、妹を護ったイツルを誉めた。芸能界では悲劇の名子役なんて言われて、世間から騒がれたこともあった。
けれどイツルの中に残ったのは、忘れられない悲しい記憶と、どうしようもないやりきれなさ…。
子供だった自分に、他に一体何が出来た?いや出来るわけがなかった。
そんなことは頭では解っていたけれど、心が許してはくれなかった。無力だった自分を悔やまずにはいられないのだ。



大きく開いた背中の傷が、痛みを増していく。
忘れる事なんて出来ない、この先もきっとずっと――。
瞼の裏には、二度とは帰らぬあのあたたかな日々と両親の笑顔。

けれどどんなに辛くても苦しくても、イツルは父との約束を守り続ける。


「生きるよ、何があっても……必ず。」



ぽつりぽつりと窓の外で雨の滴り落ちる音に混じって、記憶の中の妹の泣き声が聞こえるような気がした。



Fin...