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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


初夢咄


 夢を見た。それが本当に夢であるのか夢でないのかは判断し難いものでは在ったが、それを夢であると認識するのは容易な事でもあった。


 チュンチュン、と雀の鳴く声が庭先でした。ぼんやりとした頭で窓の方を見ると、日の光が差していた。朝なのだ、という漠然とした思いが駆け巡っていく。
「……夢、か」
 ぽつり、と守崎・北斗(もりさき ほくと)は呟いた。青の目は相変わらずぼんやりと窓を見つめている。窓から零れる、光を。
「新年早々……あれか」
 再びぽつりと呟く。大きく息を吐き出し、ごしごしと目を擦った。
 年が明け、一番に見る夢が初夢なのだという。一日から二日にかけ、または二日から三日にかけて見るものなのだという。一富士二鷹三茄子、とよく言うものの、北斗が見たのは全く違うものであった。富士山は出てこないし、鷹も飛んでは来なかった。茄子なんて出てくる気配すら見せなかった。
「多少、茄子とは似てないとも言えねーけどよ」
 出てきたのは、茸であった。なるほど、茄子と似ているといえば似ているだろう。だが、それは茸が普通の茸であれば、という話である。
 その茸は単なる普通の茸ではない。スーパーマーケットで売られているような、プラスチックのパックに入っている茸ならば茄子も似ていると認めるかもしれない。
 しかし、北斗が夢で見たのは傘の赤い、胴体の真っ白な大きな茸。ふにふにと動き、人語を解し、興奮すると火の粉の胞子を飛ばしてくる。茄子もそれでは似ていないと言い張るだろう。似ているといわれたならば、もの凄い勢いで首(?)を横に振ることだろう。
 尤も、それが一つ二つ出てきたというのならばまだ可愛げもあるというものだ。例え、茄子に似てないにしても。大きな茸は考えようによっては、可愛らしい姿に見えるかもしれない。だが、出てきたのは膨大な数の茸。そうなってしまえば、可愛いという言葉はどうしても出てこない。
「兄貴だったら、狂喜乱舞なんだろーけど」
 北斗は兄である守崎・啓斗(もりさき けいと)を思って呟く。あの緑の目を爛々と光らせ、口元には恐ろしさを感じるような微笑を携え、投網を投げつける様が簡単に目に浮かんでくるようだ。合言葉は勿論「黒字生活費」。ぶつぶつと合言葉を唱えつつ、心底嬉しそうに捕獲し続けるに違いない。北斗はぶるりと身震いする。
「……お、俺が見て良かったかもしんねー」
 北斗はぽつりと呟き、ぐしゃりと頭を掻く。啓斗と同じ、茶色の髪。だが、思考までは同じにはならぬ事を、北斗は嫌というほど分かっている。その一端が、茸に対する思いだ。
(なにせ、兄貴は捕獲・増殖・市場へ出荷という三段階の野望をあの茸に抱いてっからなぁ……)
 服を着替えながら、北斗はぼんやりと考える。北斗が茸に対して思うのは、単なる興味と多大な食欲。しかし、興味はさておいて食欲は別に茸でなくても満たされる事はできるのだ。
「そのうち、茸魔人とか言われちゃったりしてなー」
 ははは、と笑いながら北斗は悪戯っぽく笑った。だが、だんだん考えれば考えるほどそれが単なる冗談では終わりそうに無いような気がしてきた。
「……本当に、言われたらどうしよう」
 冗談は心配へと変貌した。もしも本当に、自分の兄が茸魔人と他人から言われたら。自分は自動的に茸魔人の弟、という名目になる。勿論、それ以前に自分の兄が茸魔人と呼ばれるのはなんとしてでも避けたい事態である。
「……兄貴……」
 北斗はぽつりと呟き、大きな溜息をついた。最近図書館に通っているという啓斗が借りてきているランナップに、一抹の不安を覚えながら。


 着替えて廊下に出ると、同じように啓斗も着替えて廊下に出てきていた。
「おはよう、北斗」
「はよ、兄貴」
 互いに挨拶をかわしあうと、居間へと向かった。正月ではなくなったのだから、明けましておめでとうだとかいう、特別な挨拶は何もいらない。
「北斗、餅は何個だ?」
 台所から雑煮の鍋に火をかけながら、啓斗は尋ねた。北斗は居間のちゃぶ台に箸や湯飲みを出しながら「5個」と答えた。
「……は?」
「だから、5個」
「そんなに餅を食べるのか?餅は腹で膨れるんだぞ?」
「んな事知ってるっつーの!俺、何歳だと思ってるんだよ?」
「同い年だろう?」
「あははーそう言う意味じゃねーっつーの」
「……北斗?」
 冷たい響きを持った問いかけに、北斗はごほんと咳払いをする。
「うん、大丈夫だって。ちゃんと完食すっから」
「分かった」
 一先ず落ち着いた響に戻った啓斗に、北斗は息をつく。兄の躾は時として厳しい。否、厳しすぎるような気がする。本人に言わせれば、まだ序の口なのだろうが。
 雑煮の用意が出来、ちゃぶ台におせちの残りが登場し、湯飲みに茶を入れ、揃って「いただきます」を言い合った。
「そう言えば、北斗。何か夢は見たか?」
 雑煮を食べながら、啓斗は北斗に尋ねた。北斗は「来たな」と思いつつ、口の中の餅を飲み込みながら小さく「へへ」と笑う。
「なんだかさ、茸に囲まれる夢だった」
「ほう?」
 北斗の言葉に、啓斗が興味を示した。北斗はずずず、と雑煮の汁を啜りながら続ける。
「それがさ、あのでっかい茸がものすっごい数でいてさ。そいつらに俺、囲まれてさー」
「ほうほう」
「何処を見ても、茸!って感じだった」
 啓斗はカタン、と箸を置き、遠くを見つめながらうっとりとする。
「羨ましい……」
 啓斗は心の中で思う。それだけいれば、投網を投げつけて捕獲し、市場に売りさばく事も容易であろうと。そうして、この火の車と化した家計も潤う事間違い無しだと。
「それはやはり……目指せ増殖!という事なんだろうな」
「……そう言う訳じゃねーと思うぞ、兄貴」
 一応、北斗は突っ込んでおいた。啓斗の目は完全に何かにとらわれてしまっている。赤い傘の白い体の、巨大茸に。ぐっと拳を握っている辺り、今年の抱負は茸関連なのかもしれない。
「そういや、そういう兄貴はどうだったんだよ?」
 北斗は4個目の餅に食らいつきながら、啓斗に尋ねた。啓斗は置いていた箸を手に取り、再び雑煮の椀を手にしながら小さく溜息をつく。
「ん……まあ……」
 言葉を濁す啓斗に、北斗は小首を傾げる。
「夢見が悪かったのかよ?」
「悪いというか……まあ、いつもの事なんだけど」
 啓斗はそう言い、ずず、と雑煮の汁を啜る。
「真っ白だった」
 ぽつり、と呟くように啓斗は続けた。北斗は啓斗の言葉に「ああ」と納得しながら苦笑する。
「そういや、兄貴はあんまし夢を見ねーんだよな」
 北斗の言葉に、啓斗はこっくりと頷く。
「つまんねーな、それも」
 北斗はそう言い、5個目の餅に突入する。啓斗は苦笑しながら「慣れた」と答えた。啓斗は暫く黙り、雑煮の椀を見つめ、それからそっと口を開く。
「なあ……」
「ん?」
 5個目の餅を口の中で噛み締めながら、北斗が聞き返す。
「もし、俺が……」
 啓斗はそう言いかけ、黙った。長いような、実際にしてみれば短い、沈黙があった。外から聞こえる初詣に向かう人々の声が聞こえてくるまでに、守崎家の居間はしんと静まり返っていた。そうして北斗が次の言葉を促そうとしたその瞬間、啓斗は「やめた」と言う。
「正月早々すっきりしない事いうの、やめた」
「あんだよー」
「いいじゃないか。……俺、もう一杯雑煮を食べよう」
 啓斗はそう言い、雑煮をよそいに台所へと向かった。北斗はその様子を見ながら、ぽつりと「なんか変」と呟いた。
(兄貴、おっかしーな)
 おかしいという事は分かる。変という事も分かる。だが、どうしてそのような事になっているのかは、全く分からない。
(言葉を、くれていないから)
 きっと、啓斗は夢を見たのだ。真っ白だといっていたが、それは本当に真っ白だったのだろうか?周りが全て白で包まれ、白で埋め尽くされているのだろうか?白、というのは抽象的な言葉にしか過ぎず、本当ならばもっと別の……。
(別の、何だ?)
 北斗の思考は、そこで止まってしまった。結局は分からないのだから。夢を見たと言っていた啓斗の、真っ白な夢を見たという啓斗の、その本当の夢を。実際に啓斗の見た夢を、北斗は知らないのだ。
(まあいいや。しばらく、様子を見るか)
 北斗は小さく溜息をつき、雑煮の椀をぐいっと持ち上げて汁を全て飲み込む。
 台所にいる啓斗は、何をしているのかなかなか帰ってこなかった。雑煮の汁を、温めなおしているのかもしれない。若しくは、全く別の事をしているのかもしれない。思考回路を巡らせているのかもしれない。
 いずれにしろ、北斗には分からなかった。変わらないはずの日常に、何かが起きそうな気がするといった漠然とした予感がするというだけしか、全く以って分からなかったのだった。


 夢を見た。
(そう、夢だ)
 それが本当に夢であるのか夢でないのかは判断し難いものでは在ったが、それを夢であると認識するのは容易な事でもあった。
(あれは夢では無い筈がない)
 胸が苦しいほど締め付けられようとも、体が引き裂かれんばかりに辛くとも、傷を作ってしまうのではないかと思うほど強く拳を握り締めたとしても。
(夢以外の何者でもあるはずが無い)
 単なる夢にしか過ぎないのだ。
(そうでなければ、俺はこうして在るわけが無く)
 夢か現か幻か。その境界線がどれだけ曖昧なものだとしても。
(そう……あれは夢だ)
 夢は夢として確固たる地位を築き上げているままなのだ。
「あれは、夢だ」
 そう、確認すれば良いだけだ。現の世界で、声に出してしまえば良い。あれは夢なのだと。これこそが確証たる所以、夢である明らかな証拠。
(ああ……それなのに、どうして)
 初夢はその一年を象徴するのだとか言われているが、それでも単なる夢でしかない。
(こんなにも)
 ぎゅっと握り締められた拳は、強い力のまま。
(胸が……)
 一年は始まる。賽は投げられた。スタートラインは通り過ぎた。
「あれは夢、だ……!」
 声に出した言葉も、いつしか闇が飲み込んでしまう事だろう。それが何とも口惜しく思えてしまう。ただの一筋の光も差し込まぬ闇を、憎らしいと思ってしまう。
 仕方の無い事だと、ただそれだけの言葉では終わらせたくは無かった。少なくとも、今この瞬間だけでも。
 ただ、この瞬間だけでも。

<初夢に一抹の不安を抱え込み・了>