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<あけましておめでとうパーティノベル・2005>


The Hotel of Pleasure

●雪の呼び声
 重く沈む闇の中、吹き荒ぶ風と雪との中で、その人らは凍えていた。
 ゆうに前方百メートルは視界が塞がれている。ランタンに照らされた視界の中にある物といったら、雪と森だけだった。足元は雪に阻まれて地面を見ることが出来ない。誰もが無口になったまま彷徨っていた。
 なのに、何故か皆は決まった方向へと歩いていく。何処に行くか、それをまるで知っているかのような行動に、セレスティ・カーニンガムは眉を潜めて呟いた。
「何故、私たちは……歩いているのでしょうか?」
 まさしくその通りで、こんな雪の中を無目的に歩いていく必要などないのに、自分達はあてどなく歩いているのだった。足元の雪は深さが膝下ほどもある。もう、かれこれ一時間は歩きつづけているのではないのだろうか。いや、もしかしたらそれ以上だったかもしれない。すでに時間の感覚がおかしくなっていて、一体『いつ』このような場所へやってきたのかも分からなかった。
「さぁ?」
 田中・裕介はそう言うしかなかった。羽雄東・彩芽は黙っている。
「とにかく…暖かい所に…行きたいわ」
 上がる息を押さえるように、葛生・摩耶は何処となく艶かしい掠れるような声で言った。
 一応、皆は防寒具と言えるような物は着てはいるのだが、コートだけではこの寒さを凌ぐ事は出来ない。摩耶に至ってはパンプスを履いているのだ。爪先が悴んで痛くなってきたようで、いつしか、摩耶は重い溜息をついていた。
「暖かい所が何処なのかわかれば良いんでしょうがね」
 モーリス・ラジアルはシルクとフィッチリバーコートの前合わせを押さえ、少し前かがみになりながら歩いている。体温を自分の持つ再生能力で戻せばそれほどに寒くはないのだが、如何せん寒さを感じないわけではなかった。だが、ほかの者よりは楽な分、冷静に状況を観察している。
 そして、最大の謎は『何処』から歩いてきたのか?…ということだった。それに答えられるだけの記憶がモーリスの中にはない。かと言って、他に答えられる者もいなかった。
 いつまで歩けばたどり着くのか、何処へたどり着けばよいのかもわからない。とにかく前へ前へと歩いていく他は無かった。
「おや?」
 誰というでなく、口をついて出る声。
 ふと見れば遠くに大きな建物が見える。ペンションというには大きすぎ、ホテルというには階数が低い。だが、窓辺から零れるオレンジ色の灯火はとても暖かそうだ。
「あそこだ」
 祐介が言った。
 皆が頷く。
 何故という言葉さえ、誰の口からも出ない。
 そう――自分達はそこへ向かっていたのだ。
 何故でも、何処からでも、何時まででも構わない。ただ、そこが行き着く場所だった。無用な問いの言葉を発す者は誰もいない。
 そして、皆は館へと歩を進めた。

●The Hotel of Pleasure
 白い瀟洒な階段は、その建物の前にあり、裾野を広げるような形で皆を迎えていた。階段を上がりきれば、大きなガラスを嵌め込んだ扉が見える。外界を阻むかのようだ。まるで門のようなそれには、真鍮の飾りがついている。それはどうも引き戸のようになっているらしい。
「この人たちは……」
 彩芽が言った。
 それはある種の確信めいていて、問いになることはやはりない。その扉の前で一組の男女は微笑んで立っている。何処となく艶のある美貌と優雅な物腰のその人物達は、毛皮を着ている様子からすると待っていたかのような感がある。番人の用でもあり、ホステスのようでもあった。
 しっとりと落ち着いた声で、女が言った。
「いらっしゃいませ、モーリス・ラジアル様」
「どうして私の名を?」
 この場合、挨拶すべきは部下たる自分ではなく、主人の方ではないかと思う。しかし、どうやら違うらしい。かといって、モーリス以外のここにいる全ての者を拒んでいるようには見えなかった。疑念が微かに残るが、モーリスは問う事は避けた。
 少し首を傾け、人形のような笑顔を女は向ける。何か奇妙だ。
「呼び覚まされし願いと戯れの社交場でございますから、招かれた方のことは自ずとわかります」
「…と言うことは、私たちを待っていたということでしょうか?」
 セレスティは何となくそう思って訊ねる。もう、ここに向かっていた時から何の疑問を感じていなかった事から、自分がここに来る事は決まっていたのだろう。ならば、不思議に感じるほどのものでもない。しかし、確証というものが欲しくてセレスティは訊いてみた。
「そうですとも、セレスティ・カーニンガム様」
「私の名前もご存知なのですね」
「勿論でございます。私どもは……ナビゲーターとでも申しましょうか」
「ナビゲーター? では、案内をしてくださると?」
「はい。と言っても、行き着く先はご自身がお決めください」
「決めるって…何を?」
 彩芽はドキドキする胸を押さえて言った。
 こんな綺麗な男の人を、ここにいるセレスティやモーリスたちぐらいしか見たことはない。そう滅多に見れるものではないだろうと思っていた。なのに、こんな雪山の中に美しい華を咲かせていたのだ。胸が高鳴っても仕方ないというものだろう。
 祐介は女の方がメイド服を着ていないことに少しがっかりして眺めている。冷えたシャンパンなどが似合いそうな女が着るメイド服もなかなかではないかとは思うのだが、相手が着ているのは青いイブニングドレスだった。その選択は間違ってはいない。美しいとも思う。だが、趣味ではなかった。
 そして男が言った。
「ここは秘められたあなたとその姿に触れる場所。深遠に隠されたものが美しいなら、たとえ老婆でもその美しい本性を見せ、反対に醜いならその通りの姿になる」
「……怖いですね…自分を知らぬ人には」
 モーリスは笑った。
 成る程、そう言う事か。そんな笑みだ。
「そうでしょうね。きっと怖いはず。ですが、興味はございませんか? 自分の中の、この体という枷に隠されてしまった、見えぬ願いと己の姿を見たいとは思いませんか?」
「あら、面白そう」
 寒さで血の気の失せた摩耶の面に笑みが浮かぶ。この門番たる男の言葉に隠された意味がわかったらしい。
「私、楽しい事は大好きよ? 隠されたなんて余計にね」
「さすが葛生摩耶様でいらっしゃいます。楽しみ方はもうマスターしてらっしゃる」
「当然じゃないの。何事も楽しまなくっちゃ…人生は短いのよ」
「仰る通りでございます、葛生様」
 男の長めにカットした髪が嵐に嬲られて乱れる。頬に張り付く様も何処か艶かしい。摩耶がチロリと赤い舌を見せて、自分の乾いた唇を舐めた。
 品定めするように目を細める。
「良いわ…凄く良いわね。そういうの……イイわ…」
 摩耶は薄い笑みを浮かべた。
「どうでもいいんだけど」
 祐介が言った。
「寒いんだ」
 また言った。
 怒りにも似た祐介の視線が男に向けられる。いつもの優しさや温かみなど、この冬空の下に忘れてきてしまったかのような声だ。トントンと踏み固めた雪を爪先で蹴っている。本当に寒いのかもしれない。だが、そうはいっても、このような状況で感情を露にするような祐介だっただろうか。
 彩芽はそんな様子を見て困ったような視線を二人に向ける。ふと視線を外し、眼前にある家の明かりを彩芽は見た。とても眩しく、その暖かさに満たされたいと彩芽は心から願った。
「中に入れてもらえないかしら?」
 小さな声で彩芽は言う。
「少しここで休ませてはいただけませんか? 今、私たちは……どうも遭難しかかっているようです」
 セレスティの言葉を聞くと、女は嫣然と微笑んだ。
「えぇ、構いませんとも…呼ばれたのは貴方。呼ばれたのは私」
「呼ばれたのは私で貴女…ですか?」
 意味がわからなくて、セレスティは訊ねる。
 暖かい部屋と灯りがとても恋しい。胸の奥から衝動が込み上げてくる。セレスティは潤んだ瞳で二人を見上げた。自然と仕草が相手の心を誘い込もうと艶かしいものになる。
「お願いです…どうか…」
「まぁ…可愛らしい方。貴方が深遠に潜む貴方自身を欲するのでしたら、このドアをくぐる権利は発生いたしましょう」
「欲すれば…いいのですね」
 懇願するようなセレスティの様子にモーリスはふと笑みを浮かべた。

 そうだ。
 思うがまま。
 己に正直に。
 湖水に映る己を覗くように出会う、自分自身。

 目の前にある暖かさに飢え、普段の自分を忘れて渇望した祐介。誘いに乗った摩耶。細い声でいれて欲しいと頼んだ彩芽。そして…その美しい姿と本性そのままに誘いをかけたセレスティ。
 二人が挨拶すべき主人(セレスティ)にではなく、自分に挨拶したこと。内側に隠された欲望に素直に吐露し始めた皆を見、モーリスは理解した。
 ここは何処かと。
「ここだったんですね?」
「えぇ、そうです…モーリス様。The Hotel of Pleasure.望むがまま…お楽しみください」
 そういうと、男は皆に背を向けて歩き始めた。女も倣って中に入っていく。
「ま、待って……」
 セレスティは逡巡し、一同を見回した。モーリスは微笑んで頷く。
「中に入りましょう」
「良いのでしょうかね、モーリス」
「入らなければ凍えてしまいますよ」
「そう…ですね」
 セレスティは暫し黙り、そして外気の冷たさにその迷いも振り切り、階段を上がって扉を開けた。

●罪深き蜜よ 甘美なる願いよ
「これは……」
 セレスティはその建物の中を見回して溜息を吐くように言った。
「なかなかに見事ですね…セレスティ様…」
 モーリスは楽しげな様子で見回した。彩芽はほっと溜息を吐く。吹き抜けのラウンジは見事な細工を施した壁に大きなガラスを嵌め、雪が眺められるようになっていた。いたる所に置かれたベンジャミンの植木と白蘭のアレンジメントが、温室のような雰囲気を醸し出している。床はフローリングになっており、二十畳程のムートンの毛皮が敷かれていた。
 肩を抱きしめ、セレスティは震えている。
―― こう言う時、力強いあの方でしたら、私の冷えた身体を優しく暖めて下さるのでしょうか。
 ふと脳裏に浮かんだ言葉に少し笑みを浮かべ、無意識にあたりを見回した。豪奢なペンションと言った感じのそこは、都内有数のホテルの内観に匹敵する。とはいえ、まさかあの男が――塔乃院影盛がこんな所にいるはずがない。
 ふと顔を上げれば、白亜の支柱の横にある胡蝶蘭のアレンジメントが見えた。その前に背の高い男が二人が立っている。二人とも長髪の男だ。一人は膝丈まで。もう一人は腰までの長さ。
 日本人にしては背の高い二人には見覚えがある。今、思い浮かべた男とその弟…塔乃院兄弟だった。
「あ……塔乃院さ…ん…」
 震えは声を掠れさせる。それが甘い響きを伴って相手に届いた。
「…ん? あぁ、セレスティ…か」
「は…い…。こんな…所でお逢いすると…は…」
「まったくだな…」
 塔乃院は微かに苦笑したようで、そんな様子を隠さずに近付いてくる。弟の方は会釈をした後、ゆっくりと歩いてきた。瓜二つだが、性格が正反対の影盛の弟は、どこか線の細い感じのする穏やかな笑顔を向けている。
「あなたは…な、何故…ここ…に…?」
 セレスティは震えを止められず、ゆっくりと言った。
「そんなことはどうでも良いだろう。それよりどうした…雪まみれじゃないか」
 影盛はふと眉を顰め、怪訝な様子で言う。
「あ…はい」
――あぁ、相変わらずですね…
 セレスティは暖かいものが胸の奥で込み上げ、凍える体が倒れないように堪えつつ笑い返した。
「無理に喋るな。今、暖かいものでも用意する」
「は…い…。……ぁっ!」
 立っているのもやっとだったセレスティは、脚を縺れさせて影盛の腕に倒れ込む。
「わっ! 馬鹿野郎…無茶をするな…」
 倒れかかったセレスティを支えると、腕の中に抱き込んだ。元々、脚の弱いセレスティが長距離を歩行するのは困難を極める。それにこんな極限状態で体力が続くはずも無かった。立っているのも相当に辛かったに違いなく、それに気がつかなかった影盛は自責の思いから唇を噛んだ。
「大丈夫なのか、兄さん」
 小走りに近付いてきた影盛の弟――晃羅(あきら)は心配しているのか、セレスティの顔色から状態を察しようと見ていた。
「だい…じょうぶ…ですか…ら…」
「震えてるじゃないか! 兄さん、暖炉の方へ行ったほうがいい」
「あぁ、わかっている。それよりお前は他のゲストを」
「ゲスト?」
 セレスティは影盛の言葉に、心持い面を上げた。
 ゲストとは、『呼ばれた』人間のことだ。その言葉を使うのは、この場合、呼んだ側の人間しか使わないだろう。
「私たち…は…呼ばれた…のですか?」
 ふと湧いた疑問を投げかけてみる。
「呼んだのは…塔乃院さん…たちです…か?」
「あ…あぁ…なんだろうな。…そう、思っただけだ。俺はこんな所まで呼んだ憶えは無いな…」
 影盛は不透明な答えしか返さない。普段なら、歯切れの悪いことは言わないだろう彼がそう言うのだ。きっと彼も自分と同じ立場なのかもしれなかった。
「こんなところに呼ぶ必要なんか無いだろうしな」
「そう…ですね。…あ!」
 不意に横抱きにされてセレスティは声を上げた。それほど自分の身長は低い方ではない。しかし、相手は百九十センチを優に越える。難なくセレスティを抱き上げ、暖炉の方へと歩きはじめていた。
 そんな兄を眺め、溜息を吐くと、仕方なく晃羅は他のゲストの方へと歩いていった。

●雪花冠の姫君
 とりあえずおどおどしながら流れに身を任せ、彩芽はこの建物の中に入った。
 実はかなり戸惑っていたのだが、雪の中で独りぼっちというのも嫌なので、場違いな感じが否めないながらも暖だけは取りたいとここに来たのだった。
 濡れて冷たくなったコートはもう着ている意味をなさない。脱いで両手で抱えた。
――ど、ど、ど…どうしよう。私…いいのかな…ここにいて。
 ドキドキして心臓が口から飛び出しそうだ。
 高級ホテルとしか思えないような立派な建物に、品の良いアレンジメントと家具。柔らかな光を放つ間接照明の美しさに目を細めて眺めてしまう。
 彩芽は小説家にはなったものの、殆ど売れないので占いのメッカで占い師をしている。気が小さく、いろいろな事に動揺しやすい彩芽は、豪華な建物の中で一生懸命自分の場所を見出そうとしてた。
 先ほどから出迎えてくれた男性にときめいたり、反対に不安な自分を保とうと頑張ってみたり。普段の自分とは違う自分が見え隠れしていて、正直、彩芽は自分でも驚いていた。
――さっきの人…恰好良かった…。…いいなぁ…
 そんなことを思って彩芽は思わず下を向いてしまった。自分のことなんか、きっと誰も見てはいないだろう。でも、自分の心の中に芽生えてしまった感情に恥ずかしくなって俯いてしまった。
 泥だらけで雪まみれのみそっかす。なのに、素敵な男性を見てドキドキとかしてる。そんな自分が滑稽で、情けなくて涙が出そうだった。
 涙で滲んだ視界の向こう側は、暖炉へと向かう背の高い男の人が見える。誰かを抱えているようだが、それはセレスティなのだろう。銀色の長い髪が見えた。
――私…独りぼっち…かなぁ?
 つうんと鼻の奥が痛くなる。こうなったら涙が落ちるのはもう直ぐだった。悲しいから、恥ずかしいから、誰にも見られないようにこのフロアーの端っこに隠れよう。それまでここに居させてもらって、外が晴れたら帰り道を教えてもらって帰ればいいのだ。

 ほつん。
 一つ涙が落ちた。
 ぽっ、ぽとん。
 ふたつめ、みっつめの涙が落ちる。

 彩芽は唇を噛んだ。
 せり上がってくる哀しみに、声を上げて泣いてしまいそうだ。必死に堪えながら歩き始めると、とんっと柔らかい何かにぶつかった。
「……ぁ…」
 顔を上げれば、自分より二十センチ以上は背が高いだろう青年が立っている。その青年はにっこりと笑って言った。
「すみません、ぶつかったりして」
「……ぁ…ごめんな…さ…」
「おや? 君…泣いてるのですか?」
 優しげな声音と耳に心地良い発音がこの人物の内面を物語っているかのようだった。シンプルで仕立ての良いスーツをきっちりと着こなしている。
「…あ…の…。…わた…し…」
 目の前にある美貌の青年に、彩芽は気後れしてどんどん小さな声になっていった。
 侵しがたい容貌と雰囲気さえ纏っている青年は、心配そうにこちらを見つめている。
「何かあったんですか? 良ければ私に話してくれますか?」
「…あの、私が悪い…だけ…ですからっ…」
「え?」
 その青年は彩芽のたどたどしい言葉に眉を下げた。柔らかな笑みを微かな哀しみを添えて、苦笑に似た表情に変える。
「君は何も悪いことをしていないですよ? こんなに寒い思いをして…大変だったでしょう」
「でも…私…」
 そんな言葉を聞くと、涙は止まることなく幾つも零れてきた。
「いいから…こっちに来て下さい。そんなに濡れて…雪が殆ど溶けてしまっているではないですか」
「でもぉ…」
「風邪をひいてしまいますよ」
 彼は彩芽の手をとって、ゆっくりと歩き始める。そっと彩芽を連れて行く動作に、彩芽はまた涙を零した。彩芽を傷つけないように、彼は彼女の歩調に合わせて歩いていく。
 フロアの一番奥の扉を開け、青年は彩芽の手を引いて中に入っていく。泣いていた彩芽は何処に連れて行かれているのかわからない。青年が扉を閉める音を聞いて、初めて彩芽はあたりをしっかりと見た。
「ここ…どこですか?」
 どうやら個室のような所に連れてこられたらしいことに気がついて、彩芽は青年の方を見遣る。青年は備え付けのクロゼットの中から、バスタオルとドレスを数着出してきた。
「君が泣いているから…あそこにずっといたら恥ずかしいんじゃないかと思ってね。個室の方に移動したんだよ」
「個室?」
「そうだ…ここには幾つも個室がある。ホテルの部屋みたいなのがね。さぁ、お風呂でも入ってきたほうが良い」
「い、いいです…」
「何故? 風邪をひいてしまうよ?」
「だ、大丈夫です…から…」
 彩芽は頑なに首を振った。
――なんか…。私…子供みたい…
 気遣ってくれているのがわかっているのに、変な見栄が邪魔をする。いつもだったら、こんな風に声をかけてくれる人がいるわけでもない。
 困らせたくないのに、素直になれない。悔しくて仕方がなかった。彩芽は扉の方に向かって歩き始める。
「ま、待ってださい!」
 青年は彩芽の腕を掴むと、ぐいっと引き寄せた。
「離して…下さ…い…。私、帰り…ます…」
 やっとの思いで彩芽はそれだけ言った。
「帰るって…こんな吹雪の中を? 無茶ですよ!」
 青年は眉を下げる。
「こんな…ホテルみたいに綺麗な…ところ…似合わないし。…私、みっともなくて…」
「そんなことはありませんよ。だから…」
「私…私っ…こんなだから…。いつも…乗り遅れてるみたい…な…。ずっと、そんな…気持なの…」
「嫌なことでもあったんですか?」
「ずっと…ずっとよ。人と接するのも…苦手。なのに、仕事…そういうのだから…。嫌いなの」
「仕事が嫌いなんですか?」
「違うわ…。私、なの…嫌いって。本当は…もっと…素敵に…なりたい…の…」
「そう…ですか…」
 青年はそう言うと、小さな溜息を吐いた。
――もう、だめ…嫌われちゃった…かな?
 嫌われる事にも怯えて彩芽は俯いた。
――私が…悪い…の…
 何も言わない青年の様子に、彩芽はぎゅっと目を瞑った。歩き始めたらしい足音に、きっと嫌われたのだろうと思い、彩芽は溜息を吐く。
 遠くで水音が聞こえる。
 駄々をこねたみたいで恥ずかしくなっていると、また足音が聞こえてきた。そっと彩芽が瞳を開けると青年は自分の近くにいる。
 その刹那、青年は彩芽を軽々と抱き上げ、個室の奥へと歩き始めた。
「きゃぁ! な、なに…」
 青年は何も言わす、彩芽を抱き上げたまま歩き続ける。そして一つのドアの前に立ち、ドアを開けると中に入る。そこはバスルームだった。シャワーからはお湯が出ている。青年は無言のまま、彩芽を抱いて、熱いシャワーの降り注ぐバスタブへと歩を進めた。
「え!?」
「ダメです…」
「何…? きゃぁっ!」
 シャワーからの飛沫に思わず彩芽は目を瞑る。凍えきった体にシャワーが熱かった。青年は彩芽を降ろすと、温めようとするように抱きしめた。そのスリムな体からは想像できないほどに力強い。
「帰ってはだめだ…」
「どうし…て?」
「素敵になりたいんですよね?」
 そう言って青年は微笑み、熱い飛沫が彩芽にかかるように位置をずれる。肩を抱き、空いた手で何度も彩芽の頭を撫でた。
―― 夢…みたい…
「でも、私…。ここ…は…ティアラとか…そういう綺麗なものが…似合う…人が…いいと思うの…」
―― 暖かい…
 たどたどしく、自分の本当の気持ちを彩芽は伝えた。気がひけていると、そう言う感情を伝えるのに、上手くいくだろうかと恐れながら青年を見上げる。青年はそんな彩芽の様子にくすっと笑って、また頭を撫でた。
「ティアラなら…持っていたじゃないですか」
 彩芽の濡れた茶色がかった髪を指先で避けながら、青年は頬に触れる。
「え?」
「雪冠のお姫様」
「だって…」
「誰でも、女の子は自分の冠を持っているものですよ…。ただ、貴女のはお花じゃなかっただけではないですか」
「……う…ん。でも…お姫様…じゃない…わ」
「そうですか?」
「…うん…可愛くないと、思うし…」
「そんなことありませんよ。貴女は可愛い…」
 彩芽の細い背中を抱きしめると、青年は笑って言う。
「私ではだめですか? お姫様…」
 そんな言葉がくすぐったくて彩芽は笑った。
「私、お姫様…じゃ…ないわ。私は…彩芽です」
「あなたは彩芽さんと言うのですか?」
「は…い」
「私は総一郎です。…鷹村総一郎」
「総一郎さん…?」
「はい、何でしょう?」
「なんか…ちょっと…」
――恥ずかしいなぁ…
 彩芽はクスクスと笑った。
「彩芽さん…帰らないでください。私と…一緒にいてくれませんか?」
「どうして…かしら? 私なんて…」
「貴女は可愛いですよ、彩芽さん」
 にこりと微笑むと総一郎は彩芽を抱え上げ、バスタブから上がる。シャワーを止め、手近な所に置いてあったバスタオルを彩芽に掛けてやった。総一郎の方も濡れたスーツの上着を脱ぎ始める。もう一つのバスタオルを手に取り、濡れた髪を拭いた。
「総一郎さんも…濡れちゃいましたね」
「良いんですよ」
 小柄で細い彩芽の頬に総一郎がキスをする。小さなつくりの鼻梁に溜まった雫を総一郎は指で拭った。
「傍にいてください…彩芽さん」
―― 告白…みたい…
 素敵な男性とヴァージンロードを歩くこと。そんなささやかな願いを思い出して彩芽は苦笑した。
「…なんか…告白されてるみたいです」
「私では…だめですか?」
「え?」
「傍にいてください」
「あの…」
 相手の言葉に真っ赤になりながら、彩芽は何度も頷いた。
「私で…いいなら…」
「そうですか…よかった…」
 穏やかに微笑み、総一郎は言った。ぎゅっと抱きしめて彼女を放す。
「お互い濡れてしまったし、早く拭いてしまいましょう」
「そう…ですね…」
 互いに笑い合って二人は顔を拭いた。
 総一郎はシャツを脱いで脱衣所の籠に入れる。総一郎が脱ぎ始めたので、彩芽は真っ赤になって俯いてしまった。
「彩芽さんも風邪をひいてしまいますよ?」
「で、でも…」
「さぁ、早く」
 そういうと、総一郎は彩芽の着ていたセーターの端を掴み、ひょいと脱がしてしまった。
「あ、あのっ…」
「濡れた服を着たままではいられないでしょう?」
「はい…」
 恥ずかしがる彩芽に総一郎はバスローブを渡してやると、総一郎もバスローブを引っ掛けて腰帯を締めた。着ていたズボンなどを脱いで籠に入れる。もたもたと濡れた服と格闘している彩芽を見かね、苦笑した総一郎は彩芽を抱え上げた。
「きゃっ!」
「これでは本当に風邪をひいてしまうよ」
 そんなことを言いながら、総一郎は彩芽をベッドルームへと運んだ。柔らかな間接照明が穏やかな雰囲気を作り上げる空間にシンプルなダブルベッドが備え付けてあった。そこに彩芽を降ろすと、サイドテーブルに置いてあったカップを彩芽に渡す。
「あ、ありがとう…ございます。これ…何ですか?」
 紅茶らしき中身は透き通った赤色に染まっている。
「ブランデーティーですよ」
「なんか…夢…みたい…」
「夢?」
「はい。こんなにしてもらえるなんて…夢みたい…です。夢が覚めたら、泡みたいに消えちゃうの…」
 不意に瞳を曇らせて彩芽が言う。
「やだなぁ〜って…消えないと…いいな」
 ぽそりと言って、彩芽が俯く。
「夢…」
 総一郎は呟くと、ゆっくりと立ち上がる。ベッドルームにあるクロゼットを開け、白いドレスに付いている花柄のリボンを一つ取った。
 そして彩芽のほうへと歩いてくる。総一郎はベッドに座って言った。
「彩芽さん」
「はい?」
「手を出して」
「え?」
 小首を傾げ、彩芽は思わず手を出してしまった。総一郎はその左手の薬指にリボンを結ぶ。結び終わると優しく笑った。
「約束です…」
「約束?」
「また逢う約束です…今は指輪がないからね」
「私…」
「返事は次で…いいから」
 そう言って総一郎は彩芽を抱きしめる。
「…彩芽さん」
「総一郎さ…」
 不意の口付けに彩芽は目を瞬く。
「…んっ!」
 彩芽は総一郎の胸に抱き寄せられ、そのあと軽く触れ合う口付けを二人は何度も交わした。

●Confidential nature.
 モーリスはセレスティが影盛に連れて行かれたのを視認すると、手近なソファーに座ろうと歩き始めた。影盛とは知った仲ゆえに、放って置いたとしても、主人の身に危害が及ぶ事はない。ましてやこの建物の中のこと。それほど危険なことは起きるはずはなかった。
先ほどの一軒でこの建物の存在が何かを確認済みだ。ここほど安全で『快適な』場所はない。
 モーリスはニッと笑った。
 自分の思う通りなら、彼らはいるはず。
 モーリスはなんとなしに、スロープの方を見る。すると向こう側から草間武彦がやってきた。いつもの服ではなく、珍しくカジュアルな服を着ていた。隣には零がいる。零の方は総絞り染めの赤い振袖を着ていた。見立てからすると、表地でも150万円ぐらいはするだろう着物だ。
 その向うにあるカフェでは、遼と虎太郎が話し込んでいた。隣の席には見知らぬ少年達が話し込んでいる。一人は燃えるような赤い髪の少年で、もう一人は黒髪の少年だ。
 一番奥の席で話し込んでいる女達がいた。
 一人は黒髪の美女――紫祁音。前に写真で見たことがある。元呪禁官の女だ。
 その隣はおっとりした感じの女性だ。どうやら知った仲のようで、ずっと話し込んでいる。その二人にしきりに話し掛けているのは小学生ぐらいの女の子だ。ず「白姫はね〜…って思うの」と言った感じに、話に割り込もうととしている。どうやら、紫祁音の隣にいる女性は姉のようだ。白姫と言う名の少女の隣で、話に割り込むなと怒っている高校生ぐらいの少女がいた。彼女も姉なのだろう。そんなやり取りを見ている女性は何も言わずカップを傾けていた。
「元気な子がいますねぇ…」
 独りごちるとモーリスはコートを脱いでソファーの上に置いた。
 先ほどの艶めいた女と退廃的な男がこちらに向かって歩いてきたことに気がつき、そちらに顔を向ける。
「いかがですか、モーリス様?」
 男は言った。
「良いんじゃないかな…知り合いは来てるみたいだしね。あそこにいる…紫祁音って女性の隣にいる子たちは? 姉妹みたいだね」
「あぁ…彼女達ですか? 七継家のお嬢様方ですね。紫祁音様とお話中なのが、長女の摩耶様。お話に混ざろうとしてらっしゃるのが、四女の白姫様。先ほどからお叱りのお嬢様は、三女の梨音様。お茶をお飲みになっているのが次女の馨様です」
「なるほど…あそこにいるのは遼だね。前に一緒に…ね」
「えぇ、知っておりますよ。お声を掛けられますか?」
「いいや…今日はいいかな。友達がいるみたいだしね、話に夢中みたいだ」
「では、わたくしがお相手いたしましょうか?」
 男はそう言って微笑んだ。
 引き締まった体躯といい、中々に好みだったが、これだけ知り合いがいるとなるとあの子もここにいることだろう。
「見慣れた人達の方が良いでしょうしね…」
 そう言ってモーリスはセレスティ達の方を見た。
 あとで乱入して楽しむという手もありそうだ。セレスティも範囲に入っているあたりが自分らしい。
「そうですか」
 少し残念そうに男は笑うと、モーリスにタオルを渡して去って行った。
「さて…まずは初々しい方から楽しみましょうか…」
 モーリスは余裕の笑顔で言うとあたりを見回す。自分の勘が正しいなら、あの子はここにいる。ラウンジの方、暖炉、窓際と視線を向けると、吹き抜けのエントランスホールと二階部分の空間を繋いでいる階段にちょこんと座っている少年の姿が見えた。
 フリルのついたシャツと半ズボンの少年は長い銀髪を三つ編みにして後に垂らしていた。何処となくつまらなさそうに座り込んでいるのは気のせいだろうか。

―― やっぱり、いたね…

 うっすらと笑うと、モーリスはその少年の方に歩いていく。
「……如神君」
「わぁ〜〜〜、モーリス哥々だぁ♪」
 モーリスの声を聞いて顔を上げた少年は、知っている人物をそこに見出して、ぱあっと明るい表情になった。軽い動作で立ち上がると、小走りに走っていき、モーリスに抱きついた。
「哥々っ♪」
「今日も元気だね」
 モーリスは少年を抱き上げる。
「うんっ! あのね、ちょっとね…怖かったから、哥々に会えて嬉しいんだ」
「怖い?」
「ん〜〜〜っとね。…何だろう…むずむずするんだもん。…変だなぁ」
 困ったような表情を浮かべてモジモジしはじめる。
――へぇ…。むずむず…ね…
 ふと、淫を含んだ笑みを浮かべると、モーリスはいつもの人好きするような笑顔に変え、如神の頭を撫でた。
「私がいるから大丈夫だよ」
「本当?? わぁい、哥々大好きー♪」
 嬉しそうに笑うと、腕をモーリスの首に回して抱きしめ返し、額にキスした。
「お迎え歓迎とは嬉しいね…さて、私はびしょ濡れだからお風呂に入ろうかと思うんだけどね」
「哥々。こんな雪の中、何処に行ってたの?」
「君に会いに来たんだよ」
「俺に会いに? こんなに寒いのに?」
「そうだね…君が温めてくれるなら、ちょっとはマシになるかな?」
 無論、能力を使えば寒さなど気にもならないのだが、そこは演技をして少年の気を引いてみる。思った通り、如神はその演技に引っかかった。心配そうに見上げ、モーリスを温めようと抱きしめる。
「哥々〜ぉ……」
「大丈夫だから…お風呂に入ろう」
「うんっ! 背中洗ってあげるね」
「お願いするよ」
 モーリスは笑うと如神を下ろし、個室の一つへと入っていった。

 モーリスと如神は個室の一つに入ると服を脱いでベッドの上に置き、バスルームの方へと向かった。個室用のジャグジーにしては広めのバスルームで、すでにお湯は張ってある。
 如神はジャグジーにどぼんと飛び込むと、モーリスを手招いた。
「哥々、暖かいよ」
「今、行くよ」
「えへへ〜」
 チャプチャプとお湯で遊んでいた如神は、モーリスが湯船に入ってくると嬉しそうに笑った。
「ふぅ…」
 肩まで浸かったモーリスは、ふと息を吐いて安堵の声を漏らす。お湯がジャグジーの細かな泡に揺らされて心地良い感覚が広がる。
「ねぇ、哥々。お風呂、あわあわにしていい?」
「ん? バスソープを入れるのかい?」
「うん。ピンクと〜、青いのと、黄色いのがあるよ。ピンクは薔薇だって。青いのはクール…、黄色いのはカモミール」
「じゃぁ、カモミールにしようか」
「はぁい」
 そう言って如神はバスソープのポンプのキャップを外して押す。クリーム色のソープがジャグジーに入ると、細かい泡が立ち、水面上は泡だらけになった。
「わーい、あわあわだ♪ 哥々の背中洗ってあげるね」
「頼むよ、如神君」
 ボディブラシを掴むと、モーリスの背中をごしごしと洗い始める。
「痒いとこはな〜い?」
「んー、無いかな」
 そんな事を言いながら、モーリスはどうやって遊んであげようかと考える。ジャグジーなど色々できるではないか。丁度、泡もいっぱいだし、それに紛れてイイコトをしようとモーリスは薄い笑みを浮かべた。
「如神君」
「なぁに、哥々?」
「背中を洗ってあげよう」
「うんっ! ありがと」
 くるりんと背中を向けると、如神は背中に張り付いた長い銀髪を手で避ける。アルビノ特有の薄く白い肌が湯に温められて仄かな桜色に染まっていた。モーリスは傷つけないようにゆっくりとボディーブラシで背中を擦った。そして、相手が安心しきった所で、わざと強く擦る。
「あいたッ! 痛いよ、哥々っ」
「ごめんよ、如神君」
 少し赤くなった場所を指で拭い、モーリスはちょっと舌で舐めた。
「んっ!」
「何だい…如神君?」
「くすぐったいよぉ…」
 振り返って困ったように眉を下げる少年にモーリスは笑いかけた。
「じゃぁ、手で洗ってあげよう…こっちを向いて」
「う…うん…」
 モーリスはソープを手に取り、振り返った如神の痩せた胸を洗う。のぼせてしまったのか、くてんと力の抜けた少年の体をバスタブの縁に凭せ掛け、脚を曲げさせて膝の裏側やら背中を掌で洗ってゆく。その度にか細い声を上げるのを、愉悦の含んだ瞳でモーリスは見下ろした。
――良い反応ですねぇ……
 もの欲しそうな体の動きと潤んでいく視線に、もう頃合だと本能に訴えかけてきた。これ以上焦らして泣かせてしまうのも可哀想なので、モーリスはなすがままになっている少年を抱き上げる。
「哥々〜ぉ…」
「どうして欲しいんですか? わかっているよね、如神君?」
 こくんと頷くと、小さな声で呟く声が聞こえた。その声を聞くとモーリスは不敵な笑みを浮かべて見せた。

●Cynically with a smile.
 モーリスが如神と個室に移動した頃、葛生摩耶と田中祐介は己の願いを叶えるべく、丁度良い相手を探していた。
 だが、祐介の場合は違う。この建物の女性全員にその願いが向けられていた。零には気が付かなかったのか、その場には居なかったが、それ以外の女性に近付こうと歩いていく。
 摩耶はその祐介の様子にクスッと笑みを浮かべた。
――あら…こんな願いがこの人にあったのかしら? まあいいわ…現ならぬところだからこそと言うところね…
「ねぇ、あなた…私と組まない?」
「何?」
 冷めた瞳が摩耶の声で火が点いたかのようだ。欲望の色が瞳に踊る。
 摩耶は仕事柄、『肉体的な』快楽には年がら年中晒されてる故の慣れがある。割と余裕をもってこの現象を受け入れていたため、面白そうな対象とはつるんでみたいと思うのは普通の心情かもしれなかった。
「…そうね、いつもは奉仕する側だから、趣向を変えて…たまにはされる側に廻りたいわ」
「へぇ…」
「じゃぁ、組もうか…ただし、あそこに居る女の子達も一緒だけど?」
 祐介は七継姉妹の方を指差していった。
「もちろんOKよ。願いはわかっているわ……さぁ、行きましょう」
 二人は七継姉妹のいるカフェへと歩いていく。そこに居たはずの遼たちは消え、代わりに星月・麗花がそこにいた。
 彼女の姿を確認すると、祐介は暗い韻を含んだ声音で微かに笑う。
「こんばんは、お嬢さんたち?」
 葛生摩耶は笑って言った。
「あら、いらっしゃいませ」
「お客様ね、こんばんは〜♪」
 馨はにっこりと笑って返す。白姫も屈託無く笑って言った。
「私はゲストだけど、ご奉仕する側なの。あなたたちと同じね」
「そうなの?」
 白姫は小首を傾げる。
「ご奉仕する相手はこの人よ。それで…その衣装はダメだから、着替えてね」
「え〜、着替えるのぉ? 白姫、このスカート気に入ってるのにぃ」
 ぷーっと膨れて白姫が言った。
 それでも渋々と着替えに向かう。祐介は満足げな表情を浮かべた。 
「こんな所に突っ立ってても意味が無いな」
「あら、どうしたらいいのかしら…そうね、多分、こういうところだからBARぐらいはあると思うのよ」
「趣味じゃないな」
「そうね…こう、願ったら良いじゃないかしら? 古い洋館のような雰囲気のBAR…って、そうしたらあなたの願ってる衣装に合うと思うのよね」
「そう…だな」
「でしょ?」
「確かにな…」
 そんなことを話していると、七継姉妹達が着替えてきた。
 色は違えど、色とりどりのメイド服は可愛らしいデザインをしていた。切り替えが入り、スタイルの良い七継姉妹はとてもよく似合っていた。
 その姿を満足そうに眺め、祐介は何も言わずに歩き出す。
 無論、BARのある方向だ。
 何処にあるかは正確にはわからない。しかし、この建物のどこかに祐介の望むようなBARがあるのは分かっていた。
――楽しめそうだ……
 祐介は笑った。
 振り返れば麗花が後を付いてきている。どうも、メイド服が恥ずかしいようだった。
 皆が着替えてくるのを確認すると、葛生摩耶は七継姉妹達が着替えに入った場所に歩いていく。今度は自分が着替える番だ。
 摩耶はクスッと笑うと、楽しげに着替え室へと向かった。

「そこに座って…ちょっと上を見上げてみな」
 摩耶がそのそこに付いた時、そういう祐介の声が耳に届いてきた。
 簡素な洋館に似たBARの中で、祐介がソファーに座っている。地面に座り込んでいるのは馨だ。祐介の隣には麗花が座っている。
 真っ黒なロングのメイド服を来た紫祁音も立っていたが、葛生摩耶は彼女の事を知らないので、声を掛ける事も無かった。
 小首傾げて白姫は祐介を見上げる。
―― うむ…やはり、メイド服は見上げるアングルも良いな。
 祐介はご満悦だ。
 歩いてきた摩耶に気がついた祐介は摩耶を手招いた。
 どうやら祐介は自分の素直な感情に従っているようである。摩耶はおかしそうに苦笑してから微笑んだ。
「どうかしら…この服…似合う?」
 クック…と摩耶は喉奥で笑う。
 己の望む姿になれる場所。隠された願いが叶う場所。そんな願いの結晶はこのBARと付き従う女達…そしてそれに相応しい衣装。
 それを嗜虐的な視線で楽しむ男がここに居る。
 摩耶はわざと見上げるような視線を祐介に向けた。自分はそんな柄じゃない。そんなことはわかっているが、普段優しげな男が己の欲望に染まる姿を見るのは結構楽しいものだ。ちょっと興に乗ってやろうと、摩耶は祐介に近付いていく。
 緊張して硬くなった麗花に向かって、摩耶はにっこりと微笑んだ。そして、祐介に向かってメイドに相応しい視線で祐介を見つめる。
「ね…ご主人様。私に出来ることは無いかしら? どんなご奉仕もいたしますわよ」
「……」
 思わず【ご奉仕】の言葉に反応する祐介に向かって、摩耶はうっすらと唇を開いて笑った。
「どんな奉仕でも?」
「えぇ、もちろん。あなたの好きなだけね」
「そうか…では、おまえが『好きなだけ』奉仕することを許してやるよ」
 祐介の言葉に摩耶は微笑んだ。
 こうじゃなくっちゃいけない。奉仕すると言って喜ぶだけの男ではダメだ。とことんまで奉仕が何かを知り尽くして、相手に奉仕させて欲しいと懇願させなければ、一体、この服の意味が何処にあるというのだろうか。
 慎ましく全てを隠しこんだロングワンピースの下に、ご主人様への奉仕の心を秘めて、何か手伝わせて欲しいと言わしめるその服。心。そして……唇。
 清潔なエプロンのような、汚れない純な仕草で丁寧に奉仕する。そんな姿が望ましい。
 そして主人は奉仕する事をメイドたちに『許す』のだ。ここでほいほいと鼻の下を伸ばしているようでは、完璧な主人とは言えない。指一つ動かさず、メイドたちを動かし、操る主人こそが本当の主人。
 久々に摩耶は体の奥が疼くのを感じていた。

●遭難者たち
 時遅くして辿り着いた遭難者達は、そこが何処だか分からずにやってきた。人は出払っているのか出てくることは無い。しかし、寒さに負けてその建物に入ることにした。
 遅れてやってきたのは月見里・千里、上月・美笑、空狐・焔樹の三名だった。どこをどう彷徨ったか、気が付くと館の前に出ていて、どうやら入っても良さそうな感じがしていたために、三人は中に入ることにしたのだった。
 丁度、三人が着いた頃は、モーリスが銀髪の少年と部屋に向かっていた頃で、その後姿を焔樹が見かけたのだった。
―― また、何やら珍妙な宴を催しているようだな…まぁよい。それもまた一興…
 焔樹は別に驚くこともせず、じっくりとあたりを観察していた。3000歳を超え、通力を自在に操れる大神狐の焔樹にとって、何が起きようがあまり普段と変わることは無いのだった。
「何、あれ……」
「えー?」
 ふと、千里と美笑が暖炉の方を見れば、銀髪と黒髪の青年がソファーの上で鬩ぎ合っているではないか。
―― 同人ネタ、はっけ〜ん。しゅわるつはーけん〜…
 などと、寒いギャグを心の中で呟く千里と美笑だった。その相手が誰だか二人には分からなかったが、押さえ込まれている人間なら誰だかわかっている。リンスター財閥総帥、セレスティーだ。
 カフェの方を見ればメイド服を着た女性達を侍らせ、何処かへと向かう祐介の姿が見える。一緒にいるのは葛生摩耶だろう。
 中の惨状を見て、三人はしばらく人物観察しつつ、状況を考えた。
「不思議とここに出てきたことに疑問を感じないんだけど」
 千里がさらりと言った。
「モーリスもおるしのう」
「何も無かった所にいきなり建物が出てきたってことは、ここにいて良いと言うことじゃないかと思うの」
 美笑が横から言った。
「カップルの館のようだの…ラブホテルと言ったか…。ちと、違うようだが…意味は遠からずと」
「でしょうねぇ…」
 そんなことを言いながら、何やらムカムカとしてくる千里だった。
「ちょ〜〜〜っと、頭にくるのよね」
「どうして?」
 意味がわからず美笑は言った。しかし、それが千里にとっての逆鱗であり、地雷であるとは美笑は思っていなかった。冷えた瞳で観察していた千里の理性は、摂氏千度を越える勢いでぶっ飛び、不意に眉を顰めて千里は苦々しく言う。
「『何故』ですって? そう…なぜってね…フフッ……」
「ちーちゃん…怖い」
「おやおや…不穏だのう」
「カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんて、カップルなんてぇ……ぶっち壊〜〜す!!!」
 そう言うと、千里はカフェのカウンターへと向かって走っていった。大声で怒鳴っている。どうやら注文しているらしい。
「カンパリソーダと、モスコミュールと、ギムレットと、ホワイトレディーとホットココア・ラムを頂戴ッ!!!」
 随分とめちゃくちゃな注文だったが、店員は素直に「はい」と言って作り始めている。
「八つ当たり…」
 ぽそっと美笑は言った。
「身も蓋もない…言葉で追い詰めては逃げ場が無くなってしまう。言わぬがナントカだ」
 そのうちに千里は度の強い酒を煽って、いちゃついてるカップルを狙ってひたすらに邪魔をし、暴れまわりはじめる。
 焔樹と美笑はのんびりとその状況を眺めていた。
「可笑しな娘だな」
「いつもは元気だけど…何か変ね」
「フラレたか、何かしたのだろうな」
 その指摘も遠からずと言ったところだが、最悪な事にフラレたわけでもなくもっと悪い方向にいっているのだ。記憶喪失という無期限放置に耐えられるほど、千里の人生経験は多いほうではない。だが、焔樹はそのことを知っているわけではなかった。
「随分と酔うのが早いと思ったら…ウォッカなんぞ持っておる。まぁ、誰か止めるだろう」
 いつまでたっても記憶の戻らない彼氏への不満が、そのまま八つ当たりとして周囲に向いているのだから、止めようが無いと思っているらしかった。
 焔樹はふと周囲を見た。モーリスはいない。
――しかし、いつもモーリスが標的では面白くないな…モーリスの目の前であやつの主を誘惑してしまおうか。
 そんなことを考えたが、当のモーリスはそこにいないので、暖炉の前にあるソファーで寝転ぶセレスティの見える場所で、焔樹は観察する事にした。
――どういう反応をするか、楽しみだな…
 クスッと笑い、焔樹は移動する。
 美笑はその場所にいても仕方が無いので、受け付けみたいな場所が無いか探す事にした。見つかったのなら、一宿一飯の恩義ということで、滞在中は館の仕事の手伝いをしようと考えているのだ。美笑も歩き始め、カフェには千里だけが残された。

●Zapping
 酒を煽ってから、どのぐらいの時間が経っていたのだろう。
 ぐったりとカフェのカウチソファーに座り込んで、千里はぼんやりと周囲を見つめた。
――まだかなぁ…まだ、待たなきゃダメ?
 そんな言葉がグルグルと回る。テーブルの上には砕けたガラスが散らばっていた。何処となく感情の無い瞳で千里がそれを見つめる。
 痛そう。そんな言葉が浮かび上がる。
 試した事無いからわからない。そんな言葉も浮かんだ。酒の回った自分の体にそれが深く食い込んだら、きっと、このカフェは真っ赤に染まる。綺麗かもしれない。
――丁度、絨毯は白ね。
 躊躇いなど、この肌を通り過ぎてここには無い。止めるものは何も無いだろう。カップルばかりのこの場所で、自分は独り。隣には誰もいない。
 しこたま酒は飲んだし、お腹も空いていないし、とりあえず思い残す事は無い。あるのは――二三矢のことだけ。それも、いつ終わるかわからない。
――もういいかな?
 まつろわぬ思考のまま、千里はガラスの破片に手を伸ばした。
「馬鹿っ! 何やってるんだ!!」
――……え?
 振り返れば知らない青年が立っていた。燃えるように赤い髪が印象的だ。どこかで見たことがあると、微かに千里は思った。
――なぁんだ……二三矢じゃ…ないんだ……
 淡い期待が現実に打ちのめされ、不貞腐れたように千里は横を向いた。
「あんた…誰よぉ〜」
「俺か? 俺は獅子堂・綾」
「あやぁ〜? 変なの」
「……うるさい」
「あ〜、気にしてるんだぁ…名前の事」
 にま〜っと笑って千里が言った。
 どこかで見たことがあると思ったら、よく雑誌に出ているモデルの『アヤ』だ。
「あーや〜やん♪」
「酔ってるな」
「酔ってるわよォ〜。これがぁー、酔わずにいられますゥ? ずう〜っと、ずう〜っと待ってるのにさぁ……ちっとも思い出さないんだもん」
「酔うのと思い出すのが、どういう関係にあるんだ?」
 わからないらしいアヤは首を傾げて千里に言った。千里はそれを聞くと、先ほどまでへらへらと笑っていた表情を変え、じろりと綾を睨む。
「記憶喪失!」
「お前がか?」
「何であたしなのよっ! それに、『お前』なんて呼ばないでよ。あたしには月見里・千里っていう可愛らしい名前があるのよ」
「可愛らしい?」
 綾はくすりと笑う。その声に反応した千里は綾に突っかかった。
「ちょっとォ、なーに笑ってるのよ」
「いや、別に」
「ふんっだ! ムカつくわね」
「それで…何が記憶喪失なんだ?」
「…………二三矢」
 千里は呟くように言った。
 愛しい名前。
 結構――今は遠い名前。
「え?」
 アヤは顔を上げる。
「二三矢。記憶…ないの。彼氏よ……」
 くるりと振り返って千里は綾を見上げた。百八十センチ以上はありそうな綾を見上げるのは、結構、キツイ。それでも見上げた。睨んだ。

 ムカつくから。

「なんだ…そう言う事か」
――何よ、その目。優しそうじゃないの。
「先に言えよ」
――言ったわよ、バーカ!
 ぐっと拳を握って睨む。何にだか、どうしてだかわからないけど、負けてられないから、そうするしかなかった。
 背の高いアヤが背中を丸めて千里を覗き込む。
 千里は思わずテーブルの上のガラスの破片を掴んで投げつけた。
「…っ!」
 避けたアヤの手に紅い線が一筋。
 血だ。
 自分のしたことに、後悔の念が立って千里は黙る。静寂は二人の間に満ちた。
「………泣けよ」
 沈黙を破ったのは、アヤ。
「泣いちまえよ」
 憐憫というには言葉が足りない。そんな瞳で見つめ、ぽつりと呟いた。
「…………」
 千里は言葉が出なかった。
 喉奥に張り付いて出てこないような。何か言おうとしているのに、罵倒の言葉さえ出ない。しんと静かなカフェに、立ち枯れた樹のように、背を曲げて、アヤが千里を見つめている。
「自分に……怒ってるんだろ?」
「…………」
「すごく……悲しいんだろ?」
 ゆっくりと歩いて来ると、アヤは千里の隣にしゃがみ込んだ。未だ言葉無く、千里はアヤの方を見る。
 つと、冷たい千里の上に暖かいものが落ちた。
 瞼が焼けるように熱い。一つ落ちた後は止め処も無く落ち、千里の手を濡らす。滲むカフェの風景は雪明りを受けて、ぼんやりと輝いていた。その中に、アヤの髪だけが赫い。
 そっと、千里の首に腕を回して寄せ、しっかりと抱きしめれば、悲鳴にも似た千里の泣き声が耳に届く。
 悲しみが去らないなら、共に。
 アヤにできることはそれだけだった。

●Is it good to you?
 セレスティは塔乃院の胸に寄り添ったまま、ソファーの上で寝転んでいた。体は裸体に近く、腰にバスタオルを巻いているだけだ。あたりを行きかう人はいない。暖炉の前で、影盛の肌の暖かさだけを楽しんでいた。
 いつもの理知的な微笑を湛えた姿は為りを潜め、快楽に身を任せる姿だけが表に出ている。誰が通るともわからない場所で、このような姿はまずくはないだろうか。しかし、このフロアは誰一人おらず、静けさが支配している。だから、心置きなく自由に振舞うことができるのだ。
 影盛の方は服う全て脱ぐようなことはせず、黒シャツの前だけを肌蹴ている。
「セレスティ……服を着ないのか?」
「あなたが温めてくださるからいいのです」
「おまえなあ……」
「ふふっ…」
 ここに着いてから、セレスティは影盛と暖炉の前に来たが、寒いからと言って服を脱いでしまったのだ。実際のところ、濡れたコートは殆ど意味をなさなかったし、着ていたシルクのシャツは水を吸って肌に張り付き、体温を奪っていた。
 影盛は服を脱いだセレスティの体をバスタオルで拭いてやったのだが、それから一向にセレスティは服を着ない。
「誘っているようにしか見えんぞ」
 そう言うと、影盛はセレスティの腰に腕を回して引き寄せる。
「冷たいな…」
「温めてください」
「それだけで良いのか?」
「……意地悪な人ですね」
「馬鹿だな…それだけで済ますわけないだろうが」
「よかった……」
 言って、セレスティは嫣然と微笑む。
 冷えた銀髪を指で避け、影盛は神が創りたもうた存在の中で最高位にあるだろう人を眺める。青い瞳が淫蕩な意思を持ってこちらを見上げるのに、影盛は薄い笑みを浮かべた。
 細い体は女のものとは違う張りに満ちている。しなやかであっても、なよやかではない。危うい線とその存在感が引き付ける。
 指一つ動かさずに財界を動かし、長年培ってきた智慧と恵まれた美貌で支配する人を影盛は見つめた。
――贅沢な贄だな……
 自ら望んで堕落ちるというのだから面白い。どんな嬌態を見せるのか、とくと観察するのも良いだろう。影盛は笑った。
 影盛は目を細め、少し睨んでいるようなセレスティの視線を真っ向から受け止める。
「……何だ?」
 耳元で囁く影盛の声に甘さは無い。なのに、それだけで誘われてしまうのは何故だろうか。セレスティは手を伸ばし、影盛の首に腕を回そうとした。
「じらさない…で……」
 掠れる声で訴える。
 暖炉の中で踊る炎は、セレスティの髪に映り込んで赤く染め上げている。冷えた体と欲望に燻る心は新たなる熱を欲していた。
 影盛はセレスティの白い肌に紅い花を散らしていく、その度に身悶え、甘い声が上がった。静かなエントランスホールに響く自分の喘ぎ声にセレスティは追われ、頬は羞恥に染まる。
「鏡にでも映して見せてやったら…どうなるんだろうな?」
 影盛はセレスティの耳元で囁く。
「やめ…て…」
「止めていいのか?」
「……いや…で…す…」
「贅沢だな」
「私…は…生来、贅沢に…出来て…いるんです」
 セレスティは影盛を盗み見ると、口角を上げた。それを見ると、影盛は低く笑う。
「違いない…」
 そう言って笑い、ふと顔を上げれば、スロープの方からモーリスと少年がこちらの方に向かって歩いてくるのが見えた。何事かを思いついた影盛は楽しげに言う。
「従者がやって来たぞ…セレスティ」
「……え?」
「ほら…」
 腕を首の下に入れてセレスティを抱き起こすと、顎を掴んでセレスティの顔を歩いてくる従者の方に向けさせた。
「…っう……」
 うっすらと目を開けて見つめると、弱視の己の目にはぼやけて見えたが、モーリスの姿があるのがわかった。隣にいるのは如神だろう。長い銀髪が微かに見える。白い大きな服を着ているようだが、多分、モーリスのシャツを着ているのだろう。細い脚が見える。
「モーリス……」
「セレスティ様…随分と艶かしい姿ですね」
 愉悦に満ちた表情にモーリスは微笑んだ。いつもと違って淫蕩な様を見せる主人のなんと美しい事か。
――これならば楽しめそうですね……
 ふとそんなことを考えて、モーリスは楽しい想像をするのだった。その横で、不安げな表情で見つめる如神に気がつき、にっこりとモーリスは微笑む。
「あぁ、大丈夫だよ…如神君も一緒に楽しもう?」
「だ、だって……セレス大哥だよ?」
「大丈夫…楽しいことしましょう」
 セレスティはその声を聞き、クスッと笑って手招いた。
 眉を寄せて不安がる少年を抱き上げ、モーリスはセレスティの方へと歩いていく。
「混ぜていただきたいものですね…塔乃院さん?」
「影盛でかまわない…モーリス。そいつも一緒にか?」
「ご趣味が合えばよろしいのですが」
「俺はどちらでも構わない」
 影盛は笑って答えた。
 ソファーの方へ歩き、モーリスはセレスティの近くに如神を降ろす。
「哥々…っ」
「心配しないでいい……怖いことは無いよ」
モーリスはにやりと笑った

●饗宴
 その姿を眺めていた焔樹は、柱の所にあるカウチソファーに寝そべって観察していた。
 愛らしい鳴き声とセレスティの声を堪能しつつ、焔樹はバーボンを飲む。
 酒を飲む自分も饗宴を繰り広げる向うも、良い頃合だと思った時に、焔樹はその席を立ち上がった。グラスを片手に暖炉近くのソファーに近付いていくと、小休止中の四人が焔樹の方を見る。
「…焔樹」
「なんだ、モーリス。随分とお楽しみだ」
「おや…私はあなたのことを忘れたことはないですよ?」
「よく言う…」
 多分、忘れたことは無いのだろうが、忘れ得ない人間が他にもいることはわかっていた。だが、そんなことを口にするほど焔樹は野暮ではない。
 ソファーに近付いてくると、焔樹は如神とモーリスの座り、すらっと長い脚を組んだ。
「ねぇ〜、この人はだぁれ?」
「私か? 私は空狐・焔樹」
 小首を傾げて訊ねる少年に向かってにっこりと笑いかける。
 青銀の髪を持つ美麗な女性の出現に、如神の方は吃驚したようだ。肩に羽織っただけの大き目のシャツをかき合わせて恥ずかしそうにしている。
「こ、こんばんわぁ〜…えっと…えんじゅさ…ん…」
「おぉ、こんばんは…少年。焔樹で良いぞ。しかし、モーリス好みのようだの〜」
「えぇっ??」
 真っ赤になって俯く如神を見、楽しげに焔樹は笑った。
 不意に如神の腕を掴むと引き寄せる。その動作に吃驚した如神は、勢い余って焔樹の豊満な胸に顔を埋めてしまった。
「はう〜〜〜〜…むぐーっ」
「おやおや」
 何やら緊張してばたばたしている様子。焔樹は苦笑した。
「まだ女も知らんのか…」
「知りませんねぇ」
 モーリスはこの先の展開を考えて、ふと眉を下げる。どうやら可笑しな展開になったものだ。そんな事を考えていると、焔樹はふさふさとした尻尾を出して誘う。
「ほれほれ」
「わぁ〜〜〜〜♪ しっぽっ!」
 ぱたぱたと揺れる尻尾に嬉しげに纏わりつく。
「きゃーい♪」
「まだまだ幼いな」
「おねえさんの、しっぽ!」
「「気持ちよさそうですね〜」」
 思わずハモったセレスティとモーリスは顔を見合わせて笑う。
「名前は何と言うんだ?」
「俺はね、如神(るーしぇん)っていうんだよ」
「そうか……如神弟々」
「はぁ〜い」
 如神の頬を尻尾で撫でた焔樹は、ちょっと敏感そうな部分も撫で擦ってみた。
「わあ!」
――ほう、良い反応だ。仕込んであるようだな……
 楽しげな笑みを浮かべた焔樹は、セレスティと影盛の方に視線を向け、手招いて言う。
「皆で楽しんではどうか? 快楽も皆で甘受すればどこまでも続くというもの」
「あなたさえ、お嫌でなければ…焔樹さん」
「焔樹で構わぬよ…では、もう少し仕込んでやるとしようかの」
 そんな事を言って、焔樹はモーリスの方を見た。何よりも大切な主人と、可愛い声の夜啼き鳥に手を出してどんな反応をするのか楽しみだ。
 少し難しい顔をした後、愉悦を含んだ笑みを浮かべるモーリスの様子に、焔樹は苦笑するしかなかった。
 しかし、そんな事で怯むモーリスでもなく。視線を巡らし、誰かを探す。そうすると、遠くの方から迎え入れてくれた門番の男が現れ、こちらに歩いてきた。
「何か御用でしょうか、モーリス様」
 軽く会釈して微笑む。
「わかっているね?」
「勿論でございます」
 詳しく言わずとも通じるのか、その男はポケットから二つの首輪を出す。一つは飴色の、もう一つは緑色の首輪だ。少し細く出来ていて、一見するとゴシック趣味な若者が好みそうなアクセサリーにも見える。
 それを受け取ると、モーリスはにっこり笑った。
「プレゼントをあげるよ、焔樹」
「なんと言うか……モーリス。お前も好きだな…そういうものが。私にそれを付けるとして、もう一個は誰のだ? お前の主人につけるわけでもあるまいに」
「勿論、ここにいる如神君のですよ?」
「…ぇ? おれ…に?」
「そうだよ」
 モーリスはアルカイックスマイルで如神の戸惑いの言葉をやり過ごし、さっさと男からそれを受け取って少年に付けてしまった。
「やぁーだぁ〜、焔樹姐々…どうしよう」
「……さあね」
「似合うよ、如神君」
「むぅ〜〜〜」
 さあどうぞと焔樹に首輪を渡す男から仕方なく受け取ると、呆れ顔で焔樹はそれを付けた。
「アクセサリー代わりに受け取っておこう…財宝には飽きておるし。たまには…こいうのも…まぁ、モーリスだから許すか」
「嬉しいですねえ」
「……楽しませなかったら…好き放題させてもらうぞ」
「できますかね…」
「嫌な奴だ、お前は」
「お褒めに預かり、恐悦至極に存じ上げます」
「……二の句がつげんわ」
 そう言いつつも焔樹はおかしそうに笑い、饗宴の輪へと身を投じるのだった。

●そして君に花束を
 館に着いた美笑は、早速受付を探した。一宿一飯の恩義はきっちりと返しておきたい。…というか、この雪に閉ざされた館から出て行けるのはいつだろう。やや不安な気持が上がってくるが、そこは考えてもしかたない。ということで、滞在中は館の仕事の手伝いをする事に決めた。
 受付のような場所に行くと、美笑はそこにいた男性に声をかける。
「ここは泊まるのにおいくらなんですか?」
 美笑の唐突な質問に、男は首を傾げる。
「いいえ、ゲストの方に御代を頂くような事はしておりませんが」
「じゃぁ、ただで泊めてもらえるんですか?」
「勿論ですよ」
「でも、そういうわけにはいきません! 私、何かお手伝いします」
 ぐぐっと拳を握って主張する美笑の姿に、受付係の男は渋面になる。しかし、美笑の方も引く気はないようで、何度も「手伝います!」と言っていた。
 だが、メイド服は、過去にとある事件があったらしく、着るのを嫌がっていた。なので、いくつかある衣装の中から、大正モダン風な女給さんの衣装を選んだようだ。
 小豆色の袴に、白と紫の矢羽絣の着物、濃緋の前掛けをつけた美笑は、紅い襷がけをしてBARの方へ向かった。
 素人でも問題がないだろうお酌仕事をやり、テーブルの灰皿などを片付けて回る。この建物の中には幾つ物BARがあるらしく、あまり居ないのかと思っていた客は殆どBARにいたようだった。
 高級BARから、立ち飲み、和風、カフェ、コスプレ・BAR、居酒屋が一区画に集まり、賑やかな様相を見せている。宴会などもやっているらしいので、美笑は色々な店を手伝って回っていた。
 色々な人がいて楽しかったのだが、その気の緩みが後の不幸を呼ぶことになるとは美笑は思っていなかった。
「いよかんジュース二つお持ちしました。梅ハイはここでよろしいですか?」
 にっこりと笑って美笑は言った。
 美笑は居酒屋で注文の品を運ぶ。
 二十歳前後ぐらいのお兄さんたちが杯を上げている卓に美笑はジュースを持っていった。どうも妙な雰囲気なのだがそこは同人のネタにしようと、何も言わず笑って見ている。
「ねー、君も一緒にこっちに来なよ」
 酔っ払っているらしい青年が美笑に声を掛ける。
「わ、私…これもっていかなくっちゃ…」
「いいじゃんいいじゃん。…お仕事なんか放っといて、俺たちにご奉仕してくれよ」
 そう言ったあと、男達はケラケラと笑う。
 美笑は眉を顰めたが、近くにいた男に抱きとめられて逃げ場を失ってしまった。
「は、離して…」
「さあさあ、君も飲んで」
「い…いいです。や、やめっ……んんんっ!」
 いきなり口付けられたと思ったら、相手は口移しで酒を飲ます。相手は自分よりも背が高い。避ける事も出来ずに押さえ込まれ、強い酒を飲んでしまった。
「う〜〜…」
「いけるねぇ……もう一杯」
「やめ…て…くださ…」
「だめだめ」
 そう言うやいなや、男は口移しで酒を飲ませる。しかも、度数の高い酒を選んでは美笑に飲ませるのだった。
「うー……」
 酒の臭いと今まで働いてお腹がすいていたので急激に酒は回り、美笑はあまり時間がかからずに酔ってしまった。意識は少しはっきりしない。ここにいるのは危険だとは思っていても、体が上手く動かない。
「た、たすけ…て…」
「俺たちが介抱してやるからさ……」
「い…や…です…」
 美笑に男は手を伸ばしてくる。思わず美笑は目を瞑った。
「…?」
「あいてててっ! 何しやがる!」
「……え?」
 男の声に目を開ければ、背の高い青年が男の手を掴んでいた。
「…何やってるんだよ」
 青年は強い口調で言う。
「へ?」
 酔った男はぽかんと口を開けて相手を見た。
 これだけの美貌を持つ人間を見たことがあるだろうか。男は自分に腕を掴んでいる青年の顔をぼんやりと眺める。
「きれーだな…あんた」
「男に言われても嬉しくないな。…どけよ」
 そう言うと青年は腕を掴んだまま男を蹴り飛ばす。男のうめきも無視したまま、美笑の腰に腕を回して抱き起こした。
「大丈夫か? しっかりしろ」
「うう…ん…」
「仕方ないな」
「てめぇ! 何しやがるんだ!」
「痣で済まない怪我が欲しいなら、相手になる…」
 そう冷ややかに言うと、青年は男達を無視して背を向け、美笑を横抱きにしてその場を離れる。男達は気圧されたようでおってくる事は無かった。
 美笑は仕事中なのだが、このまま続行も無理だ。仕方なく、青年は手近な部屋に美笑を連れて行くことにしたようだった。
 適当な部屋の扉を開け、青年は美笑を抱えてベッドルームの方へと歩いていく。クリーム色の壁に間接照明の光が綺麗な部屋だ。花瓶にはカラーが生けてある。
 ベッドに美笑を寝かせると、青年は隣に座って美笑を見下ろした。慣れた様子で美笑の着物の前合わせに手を入れ、少し引っ張って隙間を空ける。顎を掴んで少し反らせると、顔を横に向けさせた。前掛けを外し、袴の紐を緩めるとぐいと掴んで引っ張り脱がせてしまう。
 美笑の方はといえば、気分が悪いのかなすがままだ。
「これでいいか…」
 青年は独りごちると、美笑の腰に手を入れて器用に帯を外す。
「吐くまではいかないみたいだな…」
「うぅ…ん…」
「急性アルコール中毒…の…初期…だな」
「…ぇ…ぁ…?」
 青年の声に気がついた美笑はそちらの方を見る。そして、自分の着物の惨状を見てもう一回青年を見た。
「ふにゃぁ……えち…」
「……馬鹿やろう」
 眉を顰めて青年は言ったが、ふと相好を崩す。笑うと八重歯が見え、冷たい雰囲気がどことなく優しい感じに見えた。
「もうちょっと、気をつけろよ」
「……ぬがせ…ました…ね…」
 じとーっと見、美笑が唸るように言った。
「帯がキツクて仕方が無いだろうに」
「……え・ち〜…ですぅ」
「区切って強調するな…」
 どうも恥ずかしいらしい青年は眉を顰めて美笑に言う。そして、こう切り替えした。
「ち・び」
「ちびじゃ…ないも〜…」
「ちびだろ? こんなにちっさい鼻してさ」
 そう言いつつ、美笑の鼻をむにっと抓んでみる。
「んむーっ」
「面白いな…」
「面白くな…いでぇー…す」
 美笑は自分の袴を掴んで、バシバシと相手を叩いた。青年は可笑しそうに笑って避けた。
「ワンちゃん…さん…は…いじわる」
「わ、ワンちゃん!?」
「そぉ…ですー…やえばぁー…わんちゃん」
「……う…」
 思わず青年は自分の口を押さえて美笑を見た。
「俺は…虎太郎だ。ワンちゃんじゃない」
「こたろー?」
「そうだよ」
「わたし…はぁ…みえみ…」
「みえみちゃんか………って、寝ちまったよ」
 はーっと溜息をつくと虎太郎は笑った。気持ち良さそうに眠る美笑の鼻を抓んで楽しげに見つめると、前髪を指で避けて額にキスを落とす。
「無防備に…寝るなよ。悪戯するぞ…コラ」
 そう言って一頻り笑い、虎太郎は美笑の隣に寝転がっていつまでも寝顔を見つめるのだった。

●追憶は彼方に

 The Hotel of Pleasure.
 私たちは快楽の僕
 貴方様の思うがまま
 奉仕する人形

 望むがまま…お楽しみください

 足りないというなら

 もう一度。

 再び、その手で扉を開けてお越しください……

 ■END■

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┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
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┗━┛★あけましておめでとうPCパーティノベル★┗━┛゜

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0165/月見里・千里/女/16歳/女子高校生
1098/田中・裕介/ 男 /18歳 /高校生兼何でも屋
1560/羽雄東・彩芽/女/29歳/売れない小説家兼モグリの占い師
1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い
1979/葛生・摩耶/女/ 20歳/泡姫
2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者
3001/上月・美笑/女/14歳/神室川学園中等部2年生
3484/空狐・焔樹/女/999歳/空狐
                 (以上8名)
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■         ライター通信          ■
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 あけしておめでとうございます、朧月幻尉です。
 今年もよろしくお願いいたします。

 新年早々、たくさんの発注を頂きまして、吃驚しております。
 異界ピンの方もございますし、スピードとクオリティーアップを目指す年にしようと思っております。

 今回はいわくつきの館と言うことで頑張ってみましたが、妖艶な雰囲気が出ていたら嬉しく思います。
 …でぇすが…皆様をこんなに怪しくして良かったのかと心配です。

 書いていて楽しかったのはメイドの話だったのですが、裕介さん…許して_| ̄|○<コラ;
 摩耶さんとの掛け合いが、ニヤリな感じでメイド服着て覗きに行きたいとか思ったのは秘密です(お;)

 セレ様、庭師殿…相変わらず妖艶です。ごちそうさまでした(まてまて;)
 また食ってやってください(おい;)

 羽雄東さまの話が一番気を使った憶えがあります。
 私が言いたかったことが伝わったらいいなと思って書いたのですが、気持がお手元に届きましたら幸いです。

 ちーちゃん、みえみんは頑張りましたv
 ホットなシリアスにしてみたのですが、どうでしょう(笑)
 お二人の今年の幸福をお祈り申し上げます。

 焔樹様、初参加ありがとうございます。
 もふもふふさふさがv<違います;
 冷静に見物している視線で実況生中継しているのを書いてみたいとか思ってしまいました。
 分散登場ですみませんでした。
 まとめ役に納まっておりますが、とても楽しかったです。

 それでは皆様の発展をお祈り申し上げます。 
 
 朧月幻尉 拝