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<東京怪談ノベル(シングル)>


hoky-poky

 日常的に愛用する黒スーツが、葬儀帰りではない事を主張するような臙脂のタイを手に、藍原和馬は支給の制服を下げればそれだけで一杯になる狭いロッカーの扉の裏に嵌め込まれた小さな鏡を覗き込むようにして、結び目の位置を作っていた。
「今日はデートっスか?」
和馬のシフトと入れ替り、デリバリーピザの厨房に入る青年は、邪推に笑いかけてあ、と呟く。
「シャワー浴びずにデートはないっスよね。俺もここんバイトの後はなんか自分が旨そうで……」
匂いが移っていまいかと、くん、と着替えたばかりの制服の袖を嗅ぐ、彼にお先にとだけ声を欠けて、和馬は通用口へと向かう通路に出た。
 複数の店舗が一階ずつを使用する小さなビルは、従業員の通用口まで暖房を入れる配慮まではなく、廊下に出た途端、扉のない出入り口から忍び込む冷気に肌が泡立つ、ついでに鼻の奥がむず痒く、和馬は三つばかり、続けたくしゃみにずず、と鼻を啜った。
「あ〜ぁ、俺ってば大もて」
一に誉められ二に貶され、三に惚れられ、と、その数から前兆を読む古めかしい俗信を言って、ついでとばかりにもひとつくしゃんと付け足す。
「続けてじゃないからノーカウント……」
因みに四つ夜風に風邪を引く、で俗信は締められる為、誰が聞いている訳でもないのに風邪を引いた訳じゃない、と意思表示をして和馬は戸外へと出た。
 冬の冴えた大気は、空気の濁った都会の空に細々とした星の光も凍てつかせ、針のように地表に届かせる。
 ビルの合間、見上げる星空に思わずオリオンを探してふらふらと、左右に蛇行する和馬に、不意に声がかかった。
「お兄さん」
呼称としては一般的すぎて、そうと呼び掛ければ自覚のある人間ならまず振り向く……例にも洩れず声の方向を振り向いた和馬は、『辻占』と書かれた古風に行灯めいた和紙の灯りを見る。
 その光りを受けて、紅を引いた女の唇がニィと笑いを形作るのに、和馬は下唇を突き出して不審も顕わな表情を作った。
「そんな顔してると、イイ男が台無しだよお兄さん」
女……目深くフードを被って目元を見せず、水晶の玉を両の手でくるりくるりと撫でるようにする様は最早説明を要しない程にその職の明らかな、そしてこの上なく胡散臭そうな女占い師である。
「アタシはここらで商売をしていてね、ここで会ったも何かの縁……」
喉で低く笑う占い師に、和馬はカクンと首を傾げた。
「あっそ」
口上を最後まで聞く事すらせず遮って、和馬はそのままカツカツと靴の踵を鳴らして大股に歩き去る。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!」
占い師は思わぬ健脚で以て和馬の前に回り込み、両手を広げて小路の出口を塞いだ……水晶玉を置いた台は、首から紐で直接下げられているようで、走った勢いにぐらつきながらもしっかと占い師のオプションとしての役割を果たしている。
 低い声は商売用に作っていたようで、慌てた呼び掛けの落ち着きのない高さに、存外に年若いのだと判じさせた。
「ちょっと待ってよ! 占い師に声かけられといてシカトしたら呪われるって知らないの?」
「知らない」
便利なんだか不便なんだか、少なくとも肩が凝りそうなその仕様を内心感心しつつも、にべもなく返した和馬に、占い師はうふふと笑って肩を揺らした。ついでに見台も揺れた。
「知らないなら教えてあげるわ、呪いは怖いのよ〜。呪われたくなかったら占わせ……イヤ、待て待て待ってッ!」
我関せず、とそのまま歩き出そうとする和馬を、占い師は必死で押さえる。
「一つ! 一つだけ無料で占ったあげるから! 当ててみせるから! 合ってたら占わせてお願いィッ!」
あまりにも必死なその様子と、小路から抜けた繁華街に行き交う人々の視線が無遠慮に注がれるのに、和馬は折れざるを得ず、結んだばかりのタイに指をかけて緩めた。
「……当たったらな」
妥協案に乗ってやれば、胸の前に手を組んでいた占い師はパァッと破顔し、慌てて元の顔を取り繕って一つ咳払いをすると、おもむろに指を一本立てた。
「お兄さん……恋人いるでしょ?!」
居るか居ないか居ないか居るか。占いというより、ただの二者択一である。
 とはいえ。
 世間一般的に恋人というのはあんなコトやこんなコトをとうに済ませて……というか日常的に行って然るべきの間柄で、そうとなるには相思相愛であるコトが両者の間で自覚されているべきで、そんな間柄になりたくないかと問われればなりたくないと即答出来るはずもなく、かといってなりたいのかと聞かれれば素直にはいそうですと言うには抵抗が……。
 などと特定の一人、を想定して駆け巡る思考があまりにも不自然な沈黙を醸すのに、占い師はニィと笑って請け負った。
「占って上げるわよ? 恋愛運も」


 そして早々に和馬は後悔していた。
 元の路地の奥に引っ張り込まれ、占い師が腰掛けていた椅子が取り残されていた位置まで戻ったまではいいのだが。
「キェェエ〜ッ! ハァァッ!」
水晶占いという代物はなんというか……こう静けさに心を鎮めて水鏡に映るが如き神託を水晶の内に読み取るというようなイメージが一般的だろうが、何処の密教の祈祷かと思わせる奇声が響く様に、神秘性は欠片もない。
「……よし!」
そしてピタリと動きを止めた占い師が自信を持って小さくガッツポーズを作るのに、和馬は思わず腰を浮かせる。
「出たのか?」
結果を期待する気持ちが三分の一、残る全ては解放に対する安堵に表情を輝かせた和馬に、占い師は爽やかに額の汗を拭った。
「漸くあったまった!」
「寒かったのかよ!」
奇怪な動きと叫びの有酸素運動に血の巡りも良く動きも滑らかに、占い師はビシリと和馬に指を突きつけた。
「あなたの顔を見れば全て解ります……仕事の帰りでしょう。職業はピザ職人!」
冷凍の生地に注文のあった具を乗せ、オーブンに入れてスタートボタンをぽちっとな。押せば自動で出来上がるピザを捌くだけの、それを職人と称すれば本場イタリアあたりからクレームが殺到するに違いない。
 どうやら顔相見のつもりだったらしい占い師の腹がぐぅ、と鳴るのに、和馬は見台に肘を付き……かけてその加重が彼女の両肩にかかる事実を思い出して遠慮する。
「あぁ、腹減ってると鼻よく効くようになるもんな」
出掛けの同僚の一言を思い出しての和馬の呟きに、占い師は気まずげにこそこそと見台の下……どうやら収納スペースになっているらしい其処に手を入れた。
「おかしいわね……年齢が一世紀近いなんてそんなのある筈ないじゃない。鈍ったかしら……」
などという呟きつつ、占い師はひょいと顔を上げると、覗くのは口元だけだが自信満々の笑顔を向けた。
「じゃぁ……、好きな一本を引いて下さい!」
「水晶はどうしたんだよ!」
ザッ、と差し出されたのは筮竹。東西チャンポンの節操の無さに呆れつつも一本を抓んだ和馬に、占い師は視線を下に……どう見ても何か文献と照らし合わせている様子で、ぎこちなく筮竹を選り分けていく。
 そのとろくさい動きをいらいらと見ていた和馬だが、占い師がふぅ……と重い息をついて台の上に竹の束を置くのに思わず身構えてしまう。
「……悪い卦でも出たのか?」
声に緊張を滲ませる和馬に、占い師は彼が選び出した一本をくるりと返してその先を示して見せた。
「大吉ですって♪」
「筮竹はどうしたーッ!」
悉く肩透かしな占いに、思わず叫んだ和馬を誰も責めはしまい。
 当然な和馬の怒りを、占い師はまぁまぁと両手で宥めると、これまた見台の下に頭を突っ込む。
「呪いだなんてそんな非科学的なコトあるハズないじゃない、てか狼ってナニよ。日本狼なんかとっくの昔に絶滅してるってのに、現代日本で生存してたらそっちのが非科学的じゃないのよ……」
ぶつぶつと不満げな声でお次に引っ張り出されたのは魔法瓶と……何故だかティーセットが二客。
 自分と和馬の前に据えたそれに、コポポと順に紅茶を注ぐ。
「遠慮せずにどうぞ♪」
勧められてそう言えばヨーロッパに紅茶占いというのがあったかと、暖かな湯気に誘われて持ち手の細さと薄さに意外と上物と思しきカップを取り上げた。
 魔法瓶で保温されていた割りには水色も澄んで香りも良く、渋みもない……紅茶専門店でバイトをしていた経験を無駄な所で活かした感心に、和馬はストレートの紅茶をくいと飲み干した。
「じゃ、見料は七万八千二百円というコトで」
その機を見計らってか、突然占い師が手を差し出して告げた金額に、和馬は嚥下しかけていた琥珀の液体を勢いよく吹き出した。
「バ……ッ、な……!」
ゲホゲホと咳き込んで涙目に、和馬は口元を袖で強くぐいと引いて拭う。
「何の料金だ! 見料ったってちっとも観てねえだろがどっからその微妙な金額は出た!」
「七万四千四百二十六円に税込み四捨五入の値段よ! お茶代はサービスしてあげてんだから破格でしょ、破格!」
 さぁ払え、いざ払えと突き出される手に和馬は椅子を蹴立てて立ち上がった。
 女性に優しく、野郎に厳しくがモットーだが、事態はその自戒を越えている……金が絡めば尚更だ。
「冗談じゃねぇ!」
和馬は蹴立てた椅子を転がすように占い師の足下にやって、そのまま後も見ずに駆け出す。
「誰かーッ、飲み逃げよ捕まえてーッ!」
占い師はしっかりと足をとられたらしく、盛大に転げた思しき破砕音と、助力を乞う声が背を追ってくる。
 最後に飲ませた紅茶は成る程その為だったのか、と奇妙な感心をしつつ、和馬は占い師の声に応じる者が出るより早く、猛スピードで人混みに紛れ込んだ……しばらくここらをうろつかない方が身の為か。明日には一身上の都合でバイトを辞める旨、ピザ屋に連絡をしなければと思いつつ。


 それからしばらくして。
 界隈で占いはイマイチだが、とても美味しい紅茶をサービスしてくれる辻占いが若者を中心に人気を博したと言う。
 その火付けとなった噂を誰が言い出したのか、知る者は居ない。