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■−Keep In Mind−■
「わわっ」
ネットカフェ備え付けの飲み物を取ろうと立ち上がった瀬名雫は、頭にごつんと誰かの肘が当たって文句を言おうと振り向いた。
「あ、すまん」
言って見下ろし、こちらも驚いたように目をぱちくりさせたのは、草間武彦である。
「草間さん? なんでこんなとこいんの?」
武彦の手には、多分書類が入っているのだろう、やや膨らんだバッグがある。
はあ、と武彦はため息をつき、雫の隣の席に着いた。
「興信所に持ち込まれた依頼でね」
武彦の話は、こうだった。
なんでもない一般人の家で、赤ん坊が生まれたその1〜3ヶ月以内に、その家族は昼夜構わず惨殺されており、残されているのはどの惨殺された家庭も同じくして無事な赤ん坊とつけっぱなしのパソコンが動いている、ということなのだが。
「ふうん、つまり赤ん坊とパソコンだけが『生きている』わけなんだ」
「そ。だからネット関係でなんか調べられないかってね」
「事務所のパソコンは?」
「こんな時に限って故障、修理中」
深いため息を煙草の煙と共に吐き出す、武彦。
隣で、カタカタと雫がキーボードをたたき出したのを見て、ちらりと目を遣り、仰天した。
「勝手に依頼出すなって!」
「なんでー? 仲間がいれば早く解決するよ?」
メールを打ち終えた雫は、にこりとそう言う。再びため息をついた武彦は、仕方なく、もう片方の手に持っていたコーヒーを「礼」として渡し、興信所に戻って行った。
果たして、雫の「草間興信所からのお願い」メールを見る人間の中で、協力してくれる者がくるだろうか。
■調査結果■
雫が依頼メールを出して参加表明を出したのは、シュライン・エマ、ジュジュ・ミュージー、セレスティ・カーニンガムだった。
その中でも、裏情報網を使って惨殺された家族の資料を集めてきていたジュジュは、苛ついたように眉を顰め、資料を何度もめくっては閉じ、また気になるようにめくっては苛々と閉じていた。
「連絡収集場所・集合場所は、やはり依頼を出された草間興信所、ここがいいかと思いますが、パソコンが修理中でここにないのは少々面倒ですね」
セレスティが、シュラインの淹れてきたお茶を受け取り、「ありがとうございます」と微笑む。
「ジュジュさん、少し休んだほうが。もうここに来て一時間もその書類とにらめっこよ」
そう言い、ジュジュにもお茶を差し出したが、受け取る手が挙がってこなかったため、仕方なくテーブルの上に置いた。バサッと、十数回目に閉じられた資料の束が、置かれたお茶の脇に捨てるように放られる。
「それ、お前の裏情報を使って調べてきた奴だろ? 何そんなにさっきから苛ついてんだ」
武彦が、所長の椅子にどっかり腰掛けながら、パソコンのないなんともいえない心許なさを覚えつつ、声をかけてみる。
ジュジュは、はぁとため息をつき、天井を見上げる。
「ドコ読んでも同じ。仲良く暮らしていた家族がある日突然、夜になって殺される。凶器はナシ。でも致命傷となった傷跡から刃物の類と推測。同じなのはつけっぱなしのパソコンと、生まれたばかりの赤ん坊───これじゃ裏情報っていえないくらい意味ない。情報が少な過ぎるのヨ!」
言って、シュラインの淹れてくれたお茶をようやく飲む。
そこでシュラインは、ちらりと武彦を見る。
「武彦さん……これ、本当に赤ん坊がいる家だけに起こっているのかしら?」
「どういうことだ?」
武彦が目を細めると、彼女は改めて彼に向き直る。
「反対に、赤ん坊がいる家でパソコン起動時に事件が起きた場合、何らかの力で赤ん坊のみ助けられてる……ということはないのかって、気になったの」
「ふむ……」
「赤ん坊とパソコンの符号ばかりが取り上げられ目立ってるだけで、赤ん坊がいない家庭の惨殺事件はあるか、各惨殺事件の場所、子供が生まれた産婦人科に殺害方法等確認したいのだけれど」
「それはいい考えかもしれませんね───事件は複数に起こっているんですよね」
ゆったりとお茶を飲んでいたセレスティが、何か考え込みながら湯飲みを置く。
そして、向かい側に座っている機嫌の悪いジュジュに声をかけた。
「ジュジュさん。その資料では、全て犯行時刻、若しくは一家の死亡時刻は同じでしょうか?」
「同じだヨ」
「では、場所や環境等はどうなっています?」
「一定範囲内、ココも範囲に入ってるヨ。環境は、さっき言ったトオリ、共通点は『仲のいい家庭で赤ん坊が生まれて1〜3ヶ月以内』の家のみだネ。ミーの推測、外れた」
それもあって苛ついていたのか、と武彦は納得が行く。
「因みにどんな推測を立ててたんだ? ジュジュ」
「パソコンのネットを伝ってデーモン等霊的殺人犯が出現して家族を惨殺。赤ん坊が無事なのは明確な意識・思考を持つ人間のみ襲うカラ」
その仮説が当たっていれば、ちゃんとした対策も練ってきていたのだ。それが全部駄目になった。
「まだ全て外れた、という確信もありませんし、ここはひとつ、私にも調べさせて下さい」
と言うセレスティは、「現場に残っていた赤ん坊とパソコンから同じなのはこの生きている」という点に重きを置いていた。
被害にあった家族の現場の一つ、最初の場所を訪ねてみたいと言う。
「ちょっと見せてもらえる?」
シュラインのほうも、ジュジュの資料が気になるようだ。彼女が頷くのを確認し、「ありがとう」と言ってから、目を通してみる。
職業柄や今までの経験上、嫌でも資料や報告書を読むのは早くなってしまっている彼女である。熟読した後、
「場所を選ばず各個襲われているのではなく、家に家族が全員いる状態の時に犯行は行われているようね。私も、セレスティさんと同じ意見。赤ん坊が助かった最初のケースがどんな状況だったのか、誰のパソコンで何をするために開いていたか、オンラインだった場合繋げてた先、サイトなどはどこか……知りたかったけど、半分は分かったわね、このジュジュさんの情報で」
と、こちらもジュジュに確認を取ってからセレスティに資料を渡す。
「赤ん坊がいない家庭での惨殺事件はないわね、その資料を見る限り」
「動いていたパソコンがオンラインだったこと、そしてサイトの名前まで書いてありますね。大分絞り込めませんか?」
シュラインの言葉を引き継いで、セレスティ。
「なんてサイトだ?」
武彦が尋ねると、
「『赤ちゃんの旅路』っていう素人サイトだヨ」
と、ジュジュ。
また事件に似合わない和やかなサイトだな、と武彦が呟くのを聞いて、セレスティは資料をジュジュに返し、ステッキを持って立ち上がる。
「地域範囲もあるようですし、私は自宅のパソコンから調べたいことを調べてみます。分かったことはプリントアウトしてこちらにFAXで送りますので」
「ミーはネットカフェからやるだけやってみるヨ」
ジュジュも立ち上がり、苛立ちを振り切るように逸早く出て行った。
「私はさっき言ったとおり、まずは最初の被害にあった赤ん坊が生まれた産婦人科を当たってみるわ」
「ああ、じゃ俺も行く」
他意なく立ち上がった武彦に、セレスティとシュラインの視線が注がれる。
「な、なんだよ」
「お二人は恋人同士ですから口は挟みませんが、ご結婚前に事件調査ついでにご確認ですか?」
にっこりと言うセレスティに、たちまちシュラインが赤くなる。
「セレスティさん、私は真面目よ」
武彦も視線をあちこち泳がせた。
「お、俺だってそんなつもりは毛頭ない! 俺だけここにいたって仕方がないだろうが! かといってネットはジュジュやお前に任せたほうが早いだろうし、直接人間から聞くほうが元来の俺の性格に」
「武彦さん」
ため息をつくシュラインに、何故か小声になる武彦。
「まだ話し途中だ」
「もうセレスティさん、行っちゃったわよ」
武彦が言い訳に聴こえてしまいそうな力説をしている間に、いつの間にかセレスティは忽然といなくなっていた。
■赤ん坊の声と殺人犯の顔■
若いお二人をからかうのは実に楽しいですね、と心の中で笑みがこみ上げてくるのを堪えながら、セレスティは自室に入る。パソコンを起動し、まず、その「事件があった時に開かれていたサイト」、「赤ちゃんの旅路」を開いてみる。サイトのアドレスは資料を見て覚えてきていたので、検索する必要はなかった。
特にこれといって、「不審」な感じはしない。至って普通の、むしろ見ていて本当に和やかな気分になる穏やかなサイトである。赤ん坊を産むための過程や、赤ん坊の母体での成長過程等が事細かに、だが必要以上にグロテスクではなく丁寧に記されている。
能力で読み取ってもみたが、特に「おかしな点」はない。セレスティは男だが、初めての出産を控えた妊婦がこのサイトを見たら、どんなにか安心して出産に臨むことが出来るだろうと感じるほどだった。
次に、ジュジュの資料にあった「事件が起こっている範囲」を明確にするため、地図を出す。クリックを繰り返し、都内の一部を充分なほど拡大すると、プリントアウトし、確実に記憶に忠実に残っている範囲を赤いマジックで大きく囲んだ。草間興信所は、マークの左端辺りである。
「ちょうど中心から円形の範囲で行われているようですね、犯罪は」
となると、この中心にある家が一番最初にあった被害と考えるのが妥当だが───と、指で追いつつ中心の家に書かれた苗字を資料の記憶と照らし合わせてみる。
矢代(やしろ)、と書かれている。
「苗字、照合───ですね」
微笑み、セレスティは地図と簡単な報告書、それと念の為サイトを一通りプリントアウトし、それを草間興信所宛てにFAXした。
◇
当然のことだが、平日の産婦人科は女性達で溢れ返っていた。
二人はそんな中、他の患者達の好奇心溢れる視線を受け止めつつ、なんとなく咳払いを繰り返していたのだが、やがて「エマさん、シュライン・エマさん。お入りください」との看護婦の声に、二人同時に立ち上がる。
「本当」ならば女性しか入らないことになっているのだが、シュライン達の場合は目的が違う。一緒に入っていくと、ベテランの域なのだろう、初老の医者が目を丸くした。
「悪いですね、いくら恋人やご夫婦でも男性の方は……」
それを聞き、
「結婚はまだしていません!」
「結婚はこれからだ!」
と、妙にむきになって声がだぶるシュラインと武彦。また待合室でのように赤くなって咳払いをし、シュラインが事情を手短に説明した。こんな時、実際に「強い」のはやっぱり女だな、と思いながら武彦は見ていたが、
「そうですねえ……最初の被害者、といいますか、惨殺事件が始まったのは考えてみれば私があの赤ん坊を取り上げた時からですね」
聞くと、最初に被害に遭った家の苗字は、ジュジュの資料にあったとおり「矢代家」である。殺害方法はというと、団欒を楽しんでいた家族一人一人に襲い掛かり、身体中を包丁でめった刺しにしたということだ。
「おかしいわよね」
聞くだけ聞いて待合室に戻ったシュラインは、玄関に向かう武彦の背を見つめる。
「確かにな。矢代家以降に起きている惨殺事件でも同じ殺害方法なら、ジュジュの資料にも載っているはずだ。でもジュジュは確かに、『凶器はなし』と言っていた」
同じく考え込みながら玄関へ向かうシュラインは、ふと、「最近騒がれている連続一家惨殺事件の……」とニュースが耳に入ってきて、思わずテレビを振り返っていた。
「……武彦さん」
「ん?」
テレビに釘付けになっているシュラインを不審に思い、武彦も戻ってくる。そして同じようにテレビを見、「マジか」とぽつりと呟いた。
◇
手近なネットカフェに入ったジュジュは、だが席に着く前に足を止めることになった。
通りすがった父親に抱かれた赤ん坊、その「赤ん坊」から確かに聴こえたのだ───「わすれないで」と、頭の中に直接。
赤ん坊が喋るわけはない。空耳かと思ったジュジュは、その赤ん坊が抱っこされたままネットカフェから出て行くのをじっと見て暫くすると、やっと足を動かした。その耳にまた、今度は別の、はっきりとした人間の声───定員がカウンターの向こうで見ていたテレビから流れてくるニュースが入ってくる。
『この一家惨殺事件は、つい先ほどの犯人の自首により幕を下ろしたわけですが、犯人は最初の矢代一家以降の犯行は認めておらず、警察側では徹底した取調べを行う模様です』
がばっとカウンターにしがみつくようにテレビを見たジュジュに、店員が驚く。
「お、お客様、何か」
「静かにシテ!」
「は、はい」
ジュジュの剣幕に恐れをなした店員は、また元のようにテレビを見ながら作業を続ける。
ハッと彼女は、ぐちゃぐちゃになってしまった資料の束を取り出し、あるページに辿り着くとそこで手を止める。
奇遇なことに、このネットカフェは一番最初に起きた事件現場、矢代家のすぐ近くだ。気付けば歩いて5メートルとない。目と鼻の先である。
先ほどの赤ん坊の「言葉」、そして今現在の時刻を確認する───もうすぐ、夜だ。新婚家庭では、早いところでは既に一家団欒そろって、という時間。
急いで持ってきたマイクセットを取り出し、店員に見られないよう『矢代一家のパソコン』に侵入をはかるため、『テレホン・セックス』を使って犯人の足取りを追跡しようとする。
『テレホン・セックス』は実質数ミクロンだが、電脳世界ではエネルギー体になので、相手を追い出すくらいはできる。だが、この場所で追い出してもジュジュが困る。今は追跡のみだ。
するとふと、ジュジュの使っていたパソコン画面いっぱいに、0の数字だけを使った「赤ん坊の顔」が現れた。
「!」
───わすれないで───
経験上「危険信号」だと判断し、ジュジュはデーモンを戻す。急いでパソコンも終了させ、ネットカフェを出たところで───、
「また一家惨殺事件だ!」
「なんでだ!? 犯人は捕まったばかりじゃないか!」
騒ぐ人々と、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。───今、一人で動いても危ない。そう判断したジュジュは、「集合場所」と最初に決めた草間興信所に向かっていた。
◇
草間興信所に最後にセレスティが到着し、武彦が彼から送られてきていたものに目を通し終え、ジュジュとシュラインが見た「ニュース」が同じものであり、また、ジュジュの見たという0で「作成」された赤ん坊の顔の話等をすると、武彦は立ち上がった。
「警察が捕まえた犯人は矢代一家のみ惨殺。動機は『むしゃくしゃしていて離婚したばかりだったから誰でもよかった』とのこと───ジュジュが聞いた『赤ん坊からの声』、そして『赤ん坊の顔』。
───セレスティやシュラインの言っていた通り、その一番最初に被害に遭った矢代家に行ってみるか。ジュジュにその『赤ん坊の顔』を再現してももらいたい」
「ワカッタ」
ジュジュが頷くと、産婦人科の病院にいる間にセレスティから携帯メールを受け取っていたシュラインが、どこかに電話をかけていてやっと受話器を置く。
「セレスティさん、警察の人。協力してくれるそうよ」
「すみません、ご無理を言いまして」
セレスティは「やりたいこと」があった。
それは、「つらい思いをした赤ん坊には可哀想だとは思うが、出来ればその家族の赤ちゃんと動いていたというパソコンの、起こった時間に近い状況を作り、両者の変化を確かめてみたい」とのことだった。
「でも、なんで0数字だったんだろウ」
小首を傾げるジュジュに、シュラインが「色々な意味に取れるわね」と考え込む。
「0は『一番最初の未来溢れる数字』、即ち赤ん坊のこととも取れますね」
セレスティのその推測は、多分当たっている。武彦が一応、知り合いの刑事や記者に頼んでおいた「自首してきた殺人犯の顔写真」をFAXで送ってもらうと、皆にも回した。
30歳前後、といったところで、これといった特徴は特にない。どこにでもいそうなサラリーマン風の男である。
「武彦さん、矢代家の保護されていた赤ちゃん、警察の方が連れてきてくれるそうよ」
鳴った電話を取り、少し相手と話をして切ってから、シュラインが伝える。
「よし」
武彦は、再び外出の準備を始めた。
「行くか」
三人は三様に頷いた。
■覚えているから■
警察から赤ん坊を受け取り、彼らには家の中の「再現」をしてもらった後、家の外で警備してもらうことにした。
「ジュジュさんの言う霊的犯人や、シュラインさんの言う何らかの力で赤ん坊のみ助けられている、そして私の推測の一つ、外へと侵食するような存在だが子供には手を出さないというような何か、この三つのどれかが当たりだとしたら、彼ら一般の警察はヘタをしたら殺されます。ここからは私達だけで」
セレスティの言葉に、武彦にシュライン、ジュジュは頷く。
生まれて4ヶ月だという女の赤ん坊、「矢代・恩(やしろ・めぐみ)」は惨殺事件の一連とはひとつ、凶器云々とはまた別のことがあった。
「もうすぐ生まれるって時に殺された母体の中にいて、母体が殺された直後になんとかあのお医者さんが取り上げたのよね」
あの後、もう一度電話して確認したシュラインが赤ん坊、矢代恩を見る。何も知らず、くうくうとベッドの上で眠っている。
「母体がない分、セレスティ、ユーの言う『再現』は確実には出来ないけど、得るものはあると思う。パソコン、つけるヨ」
武彦の知り合いの刑事の伝手で、なんとか家具等も当時の「その夜」のものに再現してある。
武彦が頷いたので、ジュジュはデスクトップ型パソコンに向かい、「赤ちゃんの旅路」のサイトを開いた。続けて、マウスを動かし、数字で、ネットカフェで見た「赤ん坊の顔」を描いていく。
「そっくりね」
出来上がったそれを見て、シュライン。セレスティもジュジュが作成したその赤ん坊の顔を見た後、矢代恩を振り返った。───いつの間にか、目をぱっちりと開いている。
「反応したかな」
独り言のように言う、武彦。
その時。
ジュジュだけではなく、全員の頭の中に直接聴こえた───「わすれないで」───という女性の声が。
「今度のほうがハッキリしてる」
ジュジュが言う。そして立ち上がろうとした瞬間、突如。本当に突然に、パソコンから伸びてきた「細い腕」、その手に両腕を掴まれた。
「「「「!」」」」
咄嗟にジュジュは身体を後ろに引き、「腕の主」そのものをそのまま引っ張り出した。
するりと出てきたのは、まだ若い、15〜6歳の女の子だった。
ジュジュの腕を離し、ゆらゆらとパソコンの上に漂っている。
「武彦さん」
振り向いたシュラインは、小さく息を呑んだ。赤ん坊、矢代恩のほうもまた、呼応するかのようにベッドの上に浮いている。
<わすれないで───>
赤ん坊と霊体の女性が、同時に同じ言葉を「呟く」。
「何を忘れないでいればいいの?」
悪い霊とは感じられない。今までの経験でそれを感じ取ると、シュラインは呼びかけてみた。援助するように、セレスティが、「母親である少女の名前は矢代・多恵(やしろ・たえ)です」と小声で言う。
もう一度、シュラインが声をかける。
「多恵さん。何を忘れられたくないの?」
すると、初めて、自分の赤ん坊の恩だけを見ていた霊体となった多恵は、シュラインのほうを向いた。セレスティはそろそろと入り口近くまで身を引き、ようやく調査を終えて主の元へ辿り着いた自分の部下から調査書を受け取り、下がるように言う。部下が下がっていくと、邪魔をしないよう「矢代家の調査書」に素早く目を通した。電気は「再現」のおかげでつけっ放しになっていたので、読みにくいことはない。
そしてそれをジュジュに渡し、彼女が読み終えると次にそれは武彦に渡った。
多恵はじっとシュラインを見ていたが、ぼんやりと口を開く。
<わたしが、生きていたということ───わすれられたくない>
「誰に忘れられたくないの?」
言ってから、多恵が沈黙すると共にシュラインは自分を愚かだと思った。誰だって、「自分が生きていたこと」を忘れられたくないに決まっている。一人でも多くの人に、自分という存在がいたのだと、覚えていてほしいに決まっている───特に、身内の者や愛し愛する人間に対してならば。
「シュラインさん」
セレスティは、殆ど誰にも届かないような声で彼女を呼んだ。シュラインは異常なまでに耳がいい。他の者には聴こえなくても、シュラインには聴こえるだろう。実際ぴくりと彼女がわずかに動く。
「誰が忘れても私達が覚えているから───という台詞をお願いできますか?」
ジュジュや武彦には聴こえていない。無論、多恵や赤ん坊にもだ。
シュラインはゆっくり多恵に歩み寄り、間近まで来て立ち止まってから、静かに言った。
「誰が忘れても、私達が覚えているわ」
多恵が、涙を流した。
<本当に……?>
「本当よ」
<誰も……その言葉を言ってくれなかったの……みんなに覚えていてほしかっただけ……わたしという存在が確かに生きていた、ってこと……>
「もう忘れない。ここにいる誰もがあなたが生きていたということ、そしてあなたが生前持っていた楽しい思い出やそういう『記憶』、私達が忘れないわ」
続けるセレスティの言葉の通りにシュラインは話したのだが、多恵はその後半部分を聞くや否や、すぅっと自分の娘、矢代恩を抱きしめるようにし───ウソのように消えた。
途端に、ベッドにふわりと「誰かに寝かせられるかのように」落ちる、矢代恩。何故か、楽しそうにキャッキャと笑っていた。
◇
それ以降、ぱったりと一家連続殺人事件はなくなった。
シュラインの台詞はセレスティの考案したものだったと聞かされた武彦とジュジュは納得したのだが、シュラインはお茶を汲みながら、後から聞かされた「矢代一家惨殺事件・それに関する調査書」の内容を聞き、なんともいえないため息をついた。
「ジュジュさん、よくあの時、堪えましたね」
そのお茶を飲みながら、セレスティが微笑む。ジュジュはまだ不完全燃焼といった顔をしていたが、その言葉にそっぽを向く。
「多恵に文句言いたかったケド、あんな調査書を見せられたら言えない。それに、結果的にこれ以上孤児が増えるのがやんだからいいヨ」
矢代一家惨殺事件と、それに関する調査書をかいつまんで書くと、こういうことだった。
矢代家は至って普通の、平々凡々とした一家だった。温和な母親、時には厳しいが優しい父親。16歳になったとたんに妊娠・結婚した娘の学校の先輩でもあった18歳の青年が婿養子に来ても、多少それまでに一般的な揉め事はあったものの、両親と多恵の弟は暖かく「新しい家族」として迎え入れた。
だが、赤ん坊も順調に育っている時、多恵が「治らない心臓の病気」にかかっていたことが分かった。家族はつとめて多恵に知られぬよう振る舞い、夜に起きてきた時に両親のその話を立ち聞きしてしまった多恵はそれを知られぬまいと明るく振舞った。時折夜に泣く優しい夫に「大丈夫よ」と逆に宥めるほどだった。
そんな多恵だからこそ、精神的に参っていってしまった。
死ぬとはどういうことだろう。自分が今まで生きてきた軌跡すらなくなってしまいそうだ。夫だってまだ若い、自分が死んだら他の女性とまた恋に落ちるかもしれない。自分が生きていなかったら、自分の「生きた記憶」は誰が覚えていてくれるのだろう───?
そんなつらい日々を送ってはいたが、赤ん坊のためにと、毎晩のように家事を終えると「赤ちゃんの旅路」のサイトを開いては出産や育児の勉強をしていた。
そんな、時だった。
妙にしんとした家の中の様子がどこかおかしいと気付いた多恵が椅子から立ち上がった時、包丁を持った犯人が襲い掛かってきた。幾度、刺されただろう。犯人が逃げていった後、ぼんやりと多恵は思った。
───わたしの赤ちゃん……わたしの生きた記憶……わすれないで───
そしてその最期の強烈な想いがお腹の中にいた矢代恩にも伝わり、そんな状態のままで彼女はこの世に奇蹟的に生まれ出た。
保護されてはいたものの、母親のその強烈な思念を「覚えていた」矢代恩が、自分達一家が住んでいた家を中心に、生まれる赤ん坊達を「通じて」事件を起こしていたのだった。
「色々な意味で、つらいわ」
他に言葉が見つからない。シュラインはそう言い、自分も、お茶を手に取った。
「母子の強い想いが起こした哀しい事件、か───」
武彦は、お茶を飲みながら窓の外を見る。
連続一家惨殺事件は本当に幕を下ろしはしたが、誰の胸にも色々な感慨が残っていた。
───恩。きっと女の子だから、名前は恩がいいな。
───五体満足で心身ともに健康に恵まれて、でも与えられた恩は忘れないの。
───忘れないで───わたしが、生きてきた証。
───忘れないで───わたしが、生きてきた、───記憶を。
《完》
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
0585/ジュジュ・ミュージー (ジュジュ・ミュージー)/女性/21歳/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)
1883/セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、東圭真喜愛(とうこ まきと)です。
今回、ライターとしてこの物語を書かせていただきました。去年の7月20日まで約一年ほど、身体の不調や父の死去等で仕事を休ませて頂いていたのですが、これからは、身体と相談しながら、確実に、そしていいものを作っていくよう心がけていこうと思っています。覚えていて下さった方々からは、暖かいお迎えのお言葉、本当に嬉しく思いますv また、HPもOMC用のものがリンクされましたので、ご参照くださればと思います(大したものはありませんが;)。
さて今回ですが、この元ネタを辿るとわたしが10代の頃に遡ります。15〜6歳の時だったとは思うのですが、記憶が定かではなく; ただ、「死」というものから来る色々な人間達、そしてその「死」を迎えることが分かっていながらそれまで生を貫くということ。人が生きてきた証、遺して行くもの。そんなものを書きたくてサンプルにしてみました。
今回はいつもよりも少し淡々となった話になったと思いますが、皆様のプレイングを合わせて考え、また、サンプルからしてもあまり起伏のない話になるだろうなと思いましたので、あえて「わざと派手な部分を作る」ということはしませんでした。全体的に皆さん少しずつ「当たり」な部分がありましたので、非常に筆が進めやすかったです。
また、今回は御三方とも文章を統一させて頂きました。
■シュライン・エマ様:いつもご参加、有り難うございますv 着眼点、特に病院を当たってみる、という部分はさすがだな、と思いました。最後、多恵に呼びかけをするのはこの面子ではシュラインさんだろうなと判断しましたのですが、如何でしたでしょうか。また、産婦人科の場面では、わたしのノベルではシュラインさんと草間氏は「結婚の約束をしているが精神面肉体面共に純粋な関係」という微妙なものにしておりますので、あんな感じになりました。
■ジュジュ・ミュージー様:いつもご参加、有り難うございますv 霊的犯人、という推測は半分ほど当たりでした。実際、多恵が悪霊等の類でしたらジュジュさんの考えていた対策も実現し、物語にも張りが出来たとは思うのですが、今回はこのようにとどめてみました。如何でしたでしょうか。
■セレスティ・カーニンガム様:いつもご参加、有り難うございますv 一番最初の状態を「再現」してみる、というのは大変助かりました。赤ん坊には気の毒とのことでしたが、実際「会ったことのない母子」が対面でき、謎も解くことができ、まさに一石二鳥といった感じでした。多恵に対する「呼びかけ」の内容を考案、というのはやはり、調査書を取り寄せて読んだセレスティさんならやるだろうと思いましてそうしてみましたが、如何でしたでしょうか。
「夢」と「命」、そして「愛情」はわたしの全ての作品のテーマと言っても過言ではありません。今回はその全てを入れ込むことが出来て、本当にライター冥利に尽きます。本当にありがとうございます。このノベルを書いて、改めてわたし自身、今までのわたしの「生きた記憶」、「人が生き、死ぬということ」を考えるものとなりましたが、皆さんも少しでもそんなことを思っていただけたらこれ以上になく幸せですv
なにはともあれ、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからも魂を込めて頑張って書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
2005/01/22 Makito Touko
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