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<PCシナリオノベル(シングル)>


□■□■ 水に揺れる花嫁 ■□■□



 草間が応接セットにどっかりと腰掛け、珍しく脚で稼いだ情報のファイルをテーブルにばら撒くのを見止めたシュライン・エマは、黙ってコーヒーメーカーのスイッチを入れた。助手を雇わずに一人で出掛けたと思ったら、随分な顔をして――。沸騰したのを確認し、そろそろ茶渋が濃くなっているカップにブラックのままでそそぐ。差し出せば見もせずに受け取って、彼は息を吐いた。

 依頼が舞い込んだのは昨日のこと。青白い顔で眼の下に濃い隈を作った女性は、アポも取らずに事務所へと訪ねて来た。もっとも、事前に予告してくる依頼人の方が珍しいのがこの興信所なので、そこにそれほどの不都合は無い。内容に比べたら、そんなものはまるで不都合ではない。
 彼女の言うことには、最近借りることにしたマンションの部屋に――女性の幽霊が出る、とのこと。寝苦しく夢見が悪いので調べてみた所、どうやらその部屋で以前に殺人事件があったらしい。式を目前に控えた新婦が、浴槽で花嫁衣裳を着せられて死んでいた。犯人は新郎と目されたが、彼もまた無実を訴えて獄中自殺――。
 そしてそれを知った翌日から、夢には彼女が現れるようになった。

「随分な顔ね、武彦さん。大方ノイローゼだろー、なんて言ってた癖に」
「ああ――久し振りにマトモな依頼かと思ったんだが、とんだ食わせ物だった。見ろよ、シュライン」
「ん?」

 示された書類は、司法解剖の報告書である。例の花嫁のものなのだろう、コピーのそれは写真が潰れていた。それは幸いだが、彼はこんなものを何処のコネで手に入れたのだろう。本人は取っ付き辛い印象をもたれるが、案外と交友関係は広い。
 見れば、致命傷になったのは首の傷とのこと。浴槽で死んだのならば溺死だろうと踏んでいたのだが、どうやら違ったらしい――左から右に、薙がれた傷。そこまで読み進めたのを見計らったように、草間が言葉を続ける。

「獄中自殺した婚約者ってのは、右利きだ。右利きの人間が正面から相手を切り付ける場合、右から左に切りつけるのが自然だろう? だが被害者は逆だ、左から右に傷が走っている。その写真じゃ潰れちまってるが、見た所後ろから切られたものじゃなかった――」
「つまり、犯人は左利きの別人である可能性があるのね?」
「ああ。おまけに、凶器に使われた果物ナイフはバスタブに沈められていたらしいから、これは指紋を誤魔化すためだったと見れないこともない。大体風呂に沈めておきながら失血死だぜ? おかしいところだらけだ」
「誤認逮捕の可能性、か――確かに面倒ね、五年前の事件だったかしら? 警察も今更だと言うだろうし、内々に済ませ――るのも、冤罪で死んだお婿さんが可哀想か」
「その花嫁、もしかしたら自分を殺した真犯人を告発したいのかもな――シュライン、手伝え」
「あら、勿論そのつもりよ。結婚目前で殺されるなんて酷い話、放っておけないもの」

■□■□■

 部屋の中は、綺麗に片付けられていた。
 都内のワンルームマンションなのでそれほど広くは無いが、やはり家具が無いと閑散として広々としている印象がある。依頼人は荷物の殆どを運び出して、もう引越しの手続きを取っているとの事だった。現在の彼女は興信所に寝泊りしている。正直粗末な仮眠室なのだが、大分顔色は戻っていた。よほど辛かったのだろう――免疫がなければ、確かに過酷だ。

 草間は別行動として、警察に再調査を働き掛けている。だが切っ掛けが心霊現象である手前、向こうの腰はただでさえ重いものが更に重量を増しているだろう。その辺りのことは彼に任せよう、面倒だし。
 シュラインは眼を閉じ、耳を澄ます。周囲の部屋の生活音が僅かに響くだけで、この空間から発生している音は無いように思えるが――相手は夢にしか干渉出来ないと言うのだから、案外と力が弱いのかもしれない。

「って言うのも、妙ね――犯人を恨んでいるなら、もっと力が強いはずだし。告発はしたくても、恨んではいない……中々、複雑ね。女心って本当に迷宮みたいで、アリアドネの糸もあんまり役に立たないもの、なのかしら」

 苦笑して、彼女は問題のバスルームに向かう。ユニットバスなので面積はそれなりにあるが、バスタブ自体は小振りな方に見えた。そう、ちょっとした棺桶のような――連想して、不謹慎すぎると肩を竦める。この場所に人が沈められ、死んでいた。そう思うだけで、ただのバスタブが妙に不気味に見える。人死にがあった部屋なのだから内装を変えはしただろうが、この場所で命が一つ不条理に奪われたという現実は変わらない。どんなに上っ面を変えた所で、染み付いてしまった穢れは取れない。
 眼を閉じて数秒の黙祷を捧げ、シュラインはまた部屋に戻る。そこには家具がない。が、完全と言うわけではなく、一つだけ残されているものがある――ベッドに腰掛け、彼女は溜息を吐いた。

「あんまりこういうのは良くないんだけれど、まあ、なるべく早くしてあげなくちゃだからね……」

 苦笑して、彼女は毛布にぽすりと倒れ込む。
 眠りは何故か、ひどく早く訪れた。

■□■□■

 不快感が纏わり付く、深海に沈められてでもいるような。海藻が身体中に張り巡らされ、がんじがらめにされる。気持ちが悪い、気持が悪い。真っ暗な闇が見える、病みが見える――眼を凝らせば、僅かに光を発する透明が確認出来た。水の糸、水の髪の毛。眼を通した捜査資料によれば、被害者は長い髪を水面にゆらめかせていたとのこと。発見者は、妹――身体が浮遊する感覚にも、ゆっくりと慣れていく。
 本来、こういった事件において自分の身体を使った実験をするのは危険である。そういった能力に長けたものでもいない限り、草間も勿論それを勧めない。どころか、禁止する。当たり前のことだが、夢という――比較的弱い思念にしか干渉の出来ない相手と会話をするためには、そういった綱渡りも必要なのだろうと彼女は思っている。思うだけで言葉には出さない。怒られる事は判っているからだ。

 眼が闇に慣れるのを待ち、彼女は声を掛けようとする。だが声が出なかった――いや、正確には、自分の声が聞こえない。水のざわめきは確認できるのに、自分の声帯が振動していることも判るのに、自分の声はしない。何故だろう、訝れば、前方にぼやけた像が現れる。

 ゆらゆらと揺れる水面に映したようなそれには、鮮明さが殆ど無かった。
 だがシュラインは、それを凝視する。
 それは、光景。
 赤い、光景。

 部屋が見える。家具があって一瞬分からないが、マンションの部屋だ。作りつけのクローゼットの前には真白なドレスが掛けられている、それを取る手が見える。うっとりと自分の身体に当てて、ぎゅぅっと抱き締める。
 場面が切り替わると、姿見あった。そこにはドレスを纏った視点の保持者、おそらくは被害者である彼女が映っている。焦点はドレスに合っているのでその表情は曖昧だが、微笑んでいるようだった。振り向く、その焦点は、果物ナイフに合わせられて。銀色。金色。

 そして闇が消えていく――

「待、ッ――」

 声は届かず、彼女は覚醒した。

■□■□■

「っと。警察連中を動かすのは骨が折れそうだな――当時の捜査員は転勤やらで各地にばらけてるらしい。また集めてやり直すのも面倒だし、不祥事は明るみに出したくないそうだ」
「…………」
「シュライン?」
「え? あ、何、武彦さん」
「上の空だな、何かあったか?」
「ううん、何も――」

 あの様子なら、顔見知りの犯行ということなのだろう。ショックで相手を覚えていないのか、だからこちらに探させようとしているのか。まったく幽霊からの同時依頼なんてゾッとしないが、これも仕事である。
 ドレスを見せるほどに親しい相手、と言うことになるが――それでは範囲が些か広すぎる、もう少し狭めて行かなければなるまい。自分一人で考え込んでいるのが良くないのだろうか。落ち合った喫茶店の奥のテーブル、シュラインは草間がコーヒーカップを置いたタイミングを狙って、声を掛ける。そんな彼女の前にあるのもブラックのコーヒーだ、癖は案外移る。

「ねぇ武彦さん。ドレスの事なのだけれど、それは生前死後どちらに着せられたものなの?」
「……所見によれば、血液の染みからして生前と見られているな」
「あのマンション、ワンルームなのよね。つまり、着替えるとしたら同じ部屋でするしかないの。となると相手は同性、つまり女性って事になるわ。部屋の中なら死体の持ち運びも出来るし、汚れた服は被害者のもので代えれば良いし」
「ふむ。結婚式に招待されていた連中のリストも手に入れたから、その中から事件当日に上京している女性を辿れば、線は掴めるかもな――」
「多分、随分親しい間柄だと思うわ。だって、式がそう遠くないんだから、疎遠な人にはきっと見せないし――同じ部屋で着替えるのも抵抗があるはずよ。その中で左利き、もしくは両利きの女性――ちなみにリスト、どんな感じ?」
「こんな感じ」

 …………。
 分厚かった。

「……もう少し絞り込むとすれば、そうだな。むしろ日常的に側にいた人間、と言う可能性が高いだろう。遠方にいるのなら、恨みを買うことも売ることも無いだろうからな」
「それもそう、か。ストーカーや付き纏っている人間の気配って言うのは? 新郎新婦二人に言えることなのだけれど」
「無い、な。両方の親が事前に相手の身辺調査はしてあったらしいが、綺麗なもんだ。男の方は花嫁の家族とも上手くやっていたらしいし」
「家族? ……ご両親だけじゃない、のかしら。血縁、他には?」
「ああ、妹が一人いるな――男は一人っ子だ。この妹が結構懐いていたらしい。年子で、顔立ちもそれなりに近かったとか――」

 ずるり。
 シュラインの背に悪寒が走る、それは垂らした髪の一部が襟足を撫でた所為だった。だが、そんな感触はいつものことである。何故今だけ悪寒を感じるほどに気持ち悪く感じるのか――抜け髪か、一筋落ちる。それはコーヒーカップに落ちた、瞬間、飛び出す。

「ッ!?」
「きゃあぁぁッ!?」
「な、――――」

 その水分を吸い取るように、髪が膨脹した。そして同時に飛び出したそれが、カウンターへと飛ぶ。そこには排水溝がある、流れて――まさか。

「シュライン、お前憑かれてたな!?」
「ッそんな気配全然なかったのに――」
「元々波動が弱いんだ、そこを逆手に取られた! 急ぐぞ、あのタイミングで動いたって事は、十中八九妹ってのが犯人だと思って良い!!」

 カウンターに伝票と名刺を置き、草間が走る。シュラインも後に続いた、停めてあった車に乗り込み、アクセルを吹かす。助手席に置かれていた資料に、彼女は眼を通す――妹。その面立ちは、確かに生前の被害者とよく似ている。写真に写った左手の中指には、金のリングが光っていた。右手には三つ、左手には一つ――

「武彦さん、多分この妹さん、矯正された左利きよ」
「どうして判る?」
「利き手にリングを付けるなんて煩わしいじゃない、箸やペンぐらいなら良いけれど、日常、もしくはもっと複雑な動作をするとき――それに精密な作業をするときは、本来の利き手の方が勝手が良いの。それにこのリング、多分夢の中で見たわ。果物ナイフの奥に、ちらっと、金色が――」
「シュライン」
「え?」
「お前、自分から憑かれたな」
「…………」
「説教は後だ、急ぐぞ。彼女より先に――」

■□■□■

 道路交通法のありがたい条文を無視して路肩駐車し、住宅街の一角に向かう。家の前には初老の夫婦が呆然としていた、二人を退け、草間とシュラインは家に入る。玄関には水が広がり、その元は、ダイニングらしかった。靴も脱がずに上がり込み、途中滑り掛けながらも到達したダイニングには――

 キッチンから溢れた水で、柱が生まれていた。
 否、それは人の形をしている。
 二つの、人の形。
 そして、その前に、一人の女性が蹲っていた。

「あなた、ッ」
「待て、シュライン」

 咄嗟に駆け寄ろうとしたシュラインの腕を草間が掴む。彼を見れば、眼鏡の奥の眼は細められていた。妙に落ち着いた空気をしている、こんな事態に――と、彼が、微笑む。それは、二つの水柱に向けられていた。

「どうも、な。甘いらしい――」
「武彦さん?」
「この二人、犯人が判ったのに、どうにも恨み切れないらしいな。大切な妹だってんだろう、ここまで派手にぶちまけといて、まったく人が良いったら」
「う、うらんで、ないぃ……?」
「そうだ、二人はあんたを恨んじゃいない。でもどうしようもないから、取り敢えず目の前に現れてみたってんだよ。どうこうするつもりはない――」
「むしろ、どうしたら良いのか判らない、ってところか。まったく本当に、良心的な幽霊ね」
「あ、あたし、姉さんのこと殺してッ……彼のことも、殺しちゃって――あたし、だって姉さんがいなきゃあたしの方に来てくれるってッそう思って!!」

 水の人形が、そっと彼女に手を伸ばす。
 ぎゅっと、抱き締めるように。
 そっと、頭を撫でるように。

「――夫婦とちぎる家のうち、
 わが主もともにいたまいて
 父なるかみの御旨に成れる
 祝いのむしろ祝しませ」

 シュラインは、歌う。

「……賛美歌430番、か。まあ結婚式ではよく聞くな――」

「愛のいしずえかたく据え、
 平和のはしらなおく立て、
 かみのみめぐみ常に覆えば
 さいわい家に絶えざらなん

 ――――アーメン」

 ふわり。
 水柱の持っていたぼんやりとした輪郭が、急にはっきりとしたものになる。花嫁と花婿、ドレスのレースまでも細やかに、形作られる。長い髪をベールに隠した彼女は笑う、そして、傍らの彼に寄り添う。純白の婚礼衣装は、赤い染みなど一点も無い。あるはずだった光景、打ち砕かれてしまった情景――水のブーケが、投げ渡される。受け取る寸前でそれは霧になり、草間とシュラインを包む。
 そして。
 二人は、消えた。

■□■□■

 翌日、新聞の片隅には、五年前の殺人事件の犯人が突然自首してきた――との記事が出ていた。記事としての扱いは小さい、なんといっても殆ど無名の事件なのだし。結局あの後は何も言わずに出て来てしまったが、彼女は自分の罪と向かい合うことを決めたらしい。人呪わば穴二つ、それを思い知ったということなのだろう。してしまわなければ、後悔はできない。まったく因果だ――

「シュライン。危ない事はするなと言っているだろうが、今回はまだ良かったが、これで悪霊だったらどうしてたつもりだ? 言っておくが、俺は除霊だのにはまったく明るくないぞ。ふんじばって寺に連れて行くのが精々なんだからな」
「はいはい、はーいはいはい」
「ちゃんと聞け」
「聞いてるわよ。それより、喫茶店から請求書来てるわよ? 迷惑料付きで」
「……………………」

 電話が鳴る。
 今日も働くぞ、と草間が脱力した。
 手伝うわ、とシュラインは笑った。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 ご依頼頂きありがとうございました、早速納品させて頂きます、哉色ですっ。新年明けましておめでとうございます……遅ッ。新年一週間経ちましておめでとうございます。
 ホラーのはずがどうもホラーになりきれず、いつものパターンになってしまった感じですが、こんな感じに納まりました。今年もこんな感じにまったりとしたストーリー展開になる予定ですが、お付き合い頂けますればと思います。それでは、少しでもお楽しみ頂けて居る事を願いつつ…失礼致しますっ。