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『心が震えたから』
「ちぃぃ」
口から発せられたのは苛立たしげな舌打ちだった。
情熱的なタップを踏むように右足をアクセルとクラッチの上で躍らせる。ブレーキというモノはリンファ・スタンリーには無かった。
車は深夜の道を法廷速度を遥かに越えるスピードで走っていた。
助手席では今回の依頼人の父親が真っ青な顔で座席にしがみついている。
「いい。そうやってしっかりとつかまっていてよ。それからちゃんと口を硬く閉じておくこと。舌を噛んでも私は知らないからね」
言うが早いかリンファはサイドブレーキを引き、それと同時にハンドルにカウンターを叩き込むようにして乱暴にハンドルを回した。
サスペンションが悲鳴をあげるような甲高い音が深夜のゴーストタウンに響き渡り、アスファルトには焼けついたタイヤの跡が穿たれる。
強引に方向転換した車はさらにサイドに傷がつく事など気にせずにビルとビルとの間に滑り込んで、そのままその道を突っ切った。
リンファが運転する車をストーキングしていた数台の車は完全に置き去りにされた。
しかしリンファがルームランプに映るそれらを見て安心する事は無かった。
敵はICPOが全世界に指名手配しているテロリスト集団だ。リンファが運転する車の助手席に座る彼と彼と一緒に奪った情報を手に入れるためには手段を選ばないだろう。
「面白い」
リンファはぺろりと唇を舐めた。
緊張して喉に程よく渇きを覚える。その渇きを潤すための酒は……
きぃーっとブレーキ音が鳴り響いた。
ハイビームにされた車のヘッドライトが夜の帳を切り裂いて照らし出したのは、対戦車砲バズーカを担ぐ屈強な男だった。
「やれやれね」
そう呟くリンファの隣で男が「そんな」とうめく。
どうやら喉の渇きを潤せる勝利の美酒は、指先すらも触れられない遠い先にあるようだ。
――――――。
――――――――――――――――――
【START】
【T】
中華街でも一際目立つ中華店。
何度も料理雑誌にも載った有名な店だ。
その店にヒールの高い靴を履いた女性が足を踏み入れた。
濃紺の布に金の糸で精緻な龍の刺繍がされたチャイナ服に身を包むボーイが彼女に近寄り恭しく両手を出す。
彼女はその差し出された手に脱いだコートを渡した。
ボーイの目は女性の体に釘付けとなる。コートの下に彼女が着込んでいたのはアオザイだった。そのアオザイを着た彼女の体は女性らしい優雅な曲線を描いていて、身長も高くスタイルもいい彼女は充分にこの店の常連客である政財界の夫人や子女たちの美しさにも負けてはいなかった。
「オーナーはいらっしゃるかしら?」
女性の豊かな胸に目を釘付けにされていたボーイは彼女のその言葉に仕事を思い出し、今や日本中の貴婦人のハートを独り占めしている微笑みの貴公子と称される韓国俳優にも劣らない爽やかな笑みを浮かべてみせる。
「オーナーはいらっしゃいませんが、いかようなご用件でしょうか? 普段からオーナーは滅多にここにはいらっしゃらないのですよ?」
小首を傾げる彼女。揺れた銀糸のような前髪の下にある褐色の美貌に嫣然とした微笑を浮かべ、彼女は聞き分けの無い子どもに言い聞かせるように言った。
「それは変ね。彼が月に一回、この店に来ている事は間違い無いはずなのだけど? そして今月のその日は今日のはずよね」
細いデザインの眼鏡のレンズの奥にある青い瞳をわずかに細める。その瞳には怜悧な光が宿っている。
微笑みの貴公子は顔に浮かべた笑みは微塵も変えぬままに彼女に囁いた。
「お客様、失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
彼女はボーイに鷹揚に頷いてやってから、唇を動かした。
「リンファ・スタンリー。聞いてないかしら? あなたのお仲間の何人かを警察にお届けした者だけど」
さすがにリンファが言った事は彼の微笑みを崩した。しかしそれも一瞬の事。微笑みの貴公子はその転瞬後には笑みを取り戻している。
「これは失礼いたしました。なるほど、あなたがリンファ・スタンリーですか。あなたのお名前はよく存じております。あなたは有名人ですから」
「それは光栄ですわね。で、オーナーはいらっしゃるんでしょう?」
「はい。あなたならば話は別。オーナーもあなたには会いたがるはずです。少々ここにてお待ちを」
「ええ」
そして彼はしばし店の奥へと入っていって、戻ってきた時にはもうひとり別の男を連れていた。
接客業務は新しい男に任せて彼はリンファを連れて、エレベーターに入る。
エレベーターの表示ランプにあるのは3階までだが、しかしエレベーターは表示されていない2階と3階との間で止まった。
ちーん、と音が鳴り響き、エレベーターの扉が開く。ケージから出ると、もうそこは高級な絨毯が敷かれた部屋であった。
椅子に座っていた初老の男が立ち上がり、両手を広げて今の感情を態度で表現する。
「これはようこそ、リンファ・スタンリー。私がこの店のオーナーで、そして【龍頭】のボスだよ」
チャイナマフィア【龍頭】。中国人や韓国人の不法入国の手配から臓器、麻薬、銃火器の密売、多くの違法密入国人が犯す悪事を取り仕切る大本である。昨今ではピッキングや強盗、殺人をした者を中国に逃がす事もやっていて、【龍頭】によって日本に密入国し、数ヶ月間強盗殺人などによって荒稼ぎし、再び【龍頭】によって中国本国に戻る者もいるとか。日本警察も【龍頭】の動きを察してはいるが、【龍頭】が中国政府の高官に手回しをし、中国政府から日本政府への圧力がかかっているために容易に手出しができないのだ。またどうやら日本政府高官にも【龍頭】からの賄賂を受け取っている者もいるらしい。
中国という毒虫の毒は確実に日本内部を犯していた。
「こんばんは」
リンファは彼に嫣然と微笑んでやる。
「まさかあのリンファ・スタンリーがこんなにもお美しいお嬢さんだったとわね。驚きだよ」
「ええ、よく言われるわ」
さらりとそう言うリンファに彼はにやりと笑う。
「それで今日は? まさか我が店に食べに来たという訳ではないのでしょう?」
「ええ。今日はあなたに情報を買ってもらいに来たの」
「ほぉー。それはあなたが私の部下を警察に逮捕させたあの情報ですか?」
「そうね。それもあるわ。だけどそちらはタダでもいい。買ってもらいたいのはこちらの情報。で、いくらで買ってくれるのかしら?」
眼鏡のレンズの奥で怜悧な光を宿す瞳を細めるリンファ。
しかし彼はおもむろに大声で笑い出した。
「正気かね、君は? ここは【龍頭】の日本での本拠地なのだよ。君のようなお嬢さんが生きて帰れるとでも想うのか? 君が生きて出られるとしたら、大人しくその情報をこちらに渡す事だ。そう、情報の値段と言うのなら、それが君の命の値段だ」
リンファは肩を竦める。そして右手を軽く振って言った。
「つりあわないわね。ええ、ものすごく釣りあわないわ。【龍頭】如き潰せる情報とこのリンファ・スタンリーの命が同等ですって? ふん、馬鹿も休み休みに言って欲しいものだわ。私は本気になればアメリカ大統領の首だって飛ばせる女よ」
にぃっとリンファの怜貌に悪魔的な微笑が浮かぶ。
「ではどうだ? 君も【龍頭】に入らないかね? 待遇は私の右腕だ」
リンファは呆れたような鼻を鳴らした。
「興味は無いわ」
「興味が無い? 君は別に日本人ではないだろう? だったら共にこの日本をしゃぶりつくそうではないか。ちゃくちゃくと中国は日本を植民地にするための準備をしている。潜水艦も地下資源採掘もそのための布石。君の力は大いに我ら【龍頭】にも中国にも貢献する」
「だからさ、興味は無いって。あなたたちの世代の日本への恨みも、共産党体勢を維持するべくの今の中国のくだらない日本敵視もね」
「だったら何故我らの邪魔をする?」
押し殺した声を押し出すようにして言った彼にリンファはしかし両腕を開いて、喜劇女優のように大仰に肩を竦める。
「さあね」
そして彼女は右手の人差し指一本立てる。
「百億。それが私が掴んでいるあなた方【龍頭】を潰すための情報の値段。それを払ってくれるのなら情報を渡すわ。でも払われないのなら、その情報を公開する。そうなれば中国政府もあなた方を擁護は出来ず、結果あなた方は切り捨てられて、処刑されるでしょうね。さあ、どうしよう?」
おどけたようににやりと唇の片端を吊り上げるリンファ。
ボスはスーツの裏に吊ってあるホルスターから拳銃を抜き払い、その銃口をリンファに向ける。チャイナ服に身を包んでいた男も女も、一緒だ。人数分の銃口がリンファを狙う。
しかしリンファの銀糸のような前髪の下の褐色の美貌からは自信に満ち溢れた表情は消えない。それはそのまま彼女の自信なのか、それとも彼女が馬鹿なだけなのか?
「私がそんなにも馬鹿だと想う? もしも1時間以内に私が生きてこの店から出られなければ、私が持つ情報はすべて全世界のマスコミにリークされる事になっているわ。剣は私にあり、そしてその剣の切っ先はあなたの喉下に突きつけられているのよ」
勝敗は既に決していた。
「金の支払いはどうすればいい?」
【U】
朝、というにはもうだいぶ時間が過ぎていた。
リンファはベッドから起き上がり、寝癖がついた髪を指で梳きながら浴室へと向かい、そこで熱いシャワーを浴びて完全に眠気を追い払うと、昼少し前の番組を見ながらブランチをしていた。
右手でトーストを口に運びながら左手でキーボードを叩き、視線はテレビ画面とデスクトップの画面とをさ迷っている。
トーストを食べ終わると右手で頬杖ついて視線をデスクトップ画面に固定する。左手の指はプロピアニストの指のように軽やかにキーボードを叩き、最新鋭のハッキング対策のためのプロテクトを容易に解いて、とある企業の情報を引き出してしまう。もちろん、今彼女は株式市場をひっくり返すような情報を得たのだが、しかし……
「退屈ね」
リンファは溜息を吐いた。その情報はライバル会社の者なら喉から手が出るほどに欲する物であるのに、彼女は何の興味も抱かないのだ。
そう、リンファは退屈していた。
「はぁー、退屈だわ」
テーブルに突っ伏すリンファ。今日はおろしている彼女の銀髪が肩からさらりと落ちる。箸が転がっただけでも笑える年頃はとうに過ぎた。銀髪が肩からさらりと落ちただけでは笑えない。
リンファの溜息だけが広がる部屋にしかしチャイムの音が響き渡った。
右手で顔にかかる髪を掻きあげながら左手でキーボードを叩く。デスクトップ画面には玄関の映像が映し出され、チャイムを鳴らしている人物はどうやら小学校低学年ぐらいの女の子であった。
+++
「おば、お姉さんがリンファ・スタンリー?」
彼女は大きなどんぐり眼を見開いて尊敬したような眼差しで見てくる。
「あー、えっと、そうだけど、何かしら?」
リンファはちょっと微苦笑しながら頷いた。
「お願いがあるの」
「お願い?」
「うん。パパを、パパを探し出して欲しいの」
「パパを?」
小首を傾げるリンファに彼女はこくりと頷いた。
「そう、パパを。あのね、パパ、数週間前から行方不明なの。だからパパを探して欲しいの」
「あー、えっと、それは警察のお仕事」
リンファが面倒臭そうに言うとそれまで元気一杯だった彼女がしゅんと俯いた。
「行ったよ。警察にはもう行ったよ。でも警察は事件性がないと動かないんだって」
「それはそうね」
ふぅーっと溜息を吐くリンファ。前髪がふわりと額の上で踊る。
「だからおば…お姉さん、リンファ・スタンリーに頼もうと想ったの」
「なるほどね。でもね、お嬢ちゃん。私もプロ。プロはプロなりに高い報酬を払ってもらわないと動かない、っていう矜持もあるのよ。私を動かせるだけの依頼料をあなたに払えて?」
そう言うリンファの声には一切の温もりは無かった。それを彼女は非情とか非道だとは想わない。慈善事業をしている訳では無いのだ、自分は。
「あの、えっと、これ」
彼女は飴玉をオーバーオールのポケットから取り出した。両手一杯のイチゴ味やパイナップル味、メロン味の飴玉。
テーブルの上に広げられたそれにリンファは溜息を吐いた。
「悪いけどそれじゃあ、依頼は出来ないわね」
そう無碍も無くリンファは斬り捨てた。
女の子はしゅんとし、そしてそのままソファーの上で両足を抱えたまま動かなくなった。
動かない彼女にリンファは溜息を吐き、そしてそのままもう女の子は無視した。
時間だけが過ぎていく。
そして窓から差し込む橙色の光。その光にぴくりと肩を震わせ、女の子は視線を時計にやり、「あっ」と声をあげると、そのまま部屋を出て行った。
「ようやく諦めたか」
溜息混じりに呟き、そしてそれを見てリンファはものすごく嫌そうな顔をした。ソファーには彼女のポーチがあったのだ。
「忘れ物しないでよ」
しょうがないのでリンファはそれを拾い上げて、そして女の子の後を追った。ポーチには彼女の家の住所が書いてあったので、彼女の行き先は簡単にわかった。
彼女の家は県営の団地だ。その団地の最上階。
「でも団地にはエレベーターは無いのよね」
げっそりと呟くが、しかしどうやらリンファは7階まで階段を上らずとも済んだようだ。女の子は公園のブランコに乗っていた。
「やれやれ。お子様め」
リンファは公園に行こうとして、その足を止めた。
夕暮れ時の公園。遊んでいる子どもたち。
親が迎えに来て、友達に手を振って、家へと帰っていく。
母親と、父親と、手を繋いで。
ひとり、
またひとりと。
それを彼女はブランコに乗って、見送っている。
そして最後のひとり。
「どうして?」
呟くリンファ。その彼女に声がかけられる。
「父親を待っているんです」
後ろを振り向くと、そこにはリンファよりも少し上ぐらいの女性がいた。
「あなたは?」
彼女は自分の名前を名乗り、そして彼女が女の子にリンファの所へ行くようにと言ったらしい。
「あの子の家はね、父子家庭なのよ。いつもあーやってあの子が遊んでいると会社から帰ってきた父親が迎えに来て、一緒に帰っていたの」
リンファの視線の先で、女の子はブランコに乗っている。たった独りで。
そして……
どんなにリンファに邪険に扱われても泣かなかった子が……
「あーぁ、もう。本当に私は馬鹿だなー」
大仰に溜息を吐いて、リンファは公園に行って、そして声を押し殺して泣きじゃくる女の子が乗っているブランコの前でしゃがみこんで、彼女の目線の高さに自分の目を持ってくる。
「あ、おば…リンファさん」
「あなた、さっきもだったけど、私をおばさんと言いかけてるわよね。ったく」
「あ、えっと、ごめんなさい」
「いいわよ。そりゃあ8歳の子から見れば……」そして彼女はまあ、いいわ。と話を切り替える。
「ねえ、あなた、ぶどう味の飴玉、持っていないの?」
「え?」
不思議そうな顔をする彼女にリンファは優しく微笑む。
「ぶどう味の飴玉をくれるなら、あなたの依頼を請け負うわ」
優しく微笑むリンファに女の子は抱きついて、そして今度は感情のままに声をあげて泣きじゃくった。
【V】
人ひとり、完全に何の痕跡も残さずに消える事が果たしてできるものだろうか? 否。それは不可能だ。
どうしても人は歩いた道に足跡というものを残してしまう。たとえどのように細心の注意を払おうが。
リンファ・スタンリーは最高のハッカーだ。故に女の子の父親が勤める会社のコンピューターに入り込むなどお手の物。8時32分51秒に出社し、17時02分11秒で退社。だが、会社の前にあるコンビニの防犯カメラにはその時間に会社をあとにする彼氏の姿は録画されていなかった。
つまりそれは……
「会社からは出てはいないという事ね」
リンファは眼鏡のブリッジを押し上げながらにやりと笑う。彼女の顔がとても楽しそうなのは、この依頼がどうやらただの人探しでは終わらないようだからだ。
女の子の父親が勤める会社は表向きは善良な製薬会社だった。しかしその会社の会長は裏では世界規模で暗躍するテロリスト集団への補助金を支給する活動家であるのだ。かのイラク戦争にも一枚噛んでいるらしい。
そして日本のイラク自衛隊派遣延長並びに憲法改正に合わせて日本においてテロ行為を目論んでいるらしいのだ。
「被っていた羊の皮を脱ごうとしているわけだ。戦争の火種を作る気?」
リンファは口許に軽く握った拳をあてて目を細める。
「やれやれね。これは、潰し甲斐があるわ」
そしてリンファはあらゆる情報収集作業を行い、敵テロリストの情報を集めた。
【四】
「こんにちは。リンファ・スタンリーよ。お久しぶり」
リンファは甘やかな声で電話の向こうにいる男に語りかける。
「【龍頭】の情報なのだけど、お金を受け取ったので、そちらにお渡しするわ。ええ、そう。そうよ。それでその情報の保管場所は**製薬会社の**ビルよ。そう。そこにあなた方の情報を売ったの。破滅したくなければ、そこを潰す事ね」
+++
**製薬会社に匿名のメールが送られてきた。
メールの送り主は不明だ。それを特定する事はできなかった。それだけでそのメールを送ってきた者が只者ではない事がわかった。
そしてそのメールに書かれていた事は彼らの上層部の者でしか知り得ない事であった。
そちらで開発している細菌兵器の情報を狙ってチャイナマフィア【龍頭】が奇襲をしかけてくる。
蛇の道は蛇。彼らは裏のルートを使い【龍頭】の動向を探り、そして彼らがこのビルに向っている事が判明する。
上層部……つまりテロリストどもは一般の社員を直ちに帰し、地下室にて匿っていた国際指名手配されている同志たちの手も借りて、これを迎えうつ準備を整えた。
そして、そのビルは戦場となる。
テロリストとチャイナマフィア【龍頭】との。
「ちぃぃ。何が【龍頭】だ。我らにとってみればミミズの頭だ。格の違い見せてやれ。私服を肥やすために他国の人間を殺し、地下資源を奪い去り、サッカーチームが負ければ暴動を起こすくだらぬ中国の馬鹿どもに」
自分たちも細菌兵器によって多くの罪無き人たちを殺そうとしているのは忘れて、会長は叫んだ。
ビル内に響き渡るマシンガンの音。
血と硝煙の臭いが満たす。
そのビルから会長はそこで行われていた実験のデーター並びに拉致監禁していた科学者を緊急脱出用滑り台で脱出させた。テロリストの数人を護衛につけて。
+++
「ビンゴ」
リンファは勝ち誇ったような声を出した。6人組のテロリストどもと一緒にいるのは女の子の父親だ。
その彼らの前にリンファは車を止めて、そしてゆっくりとした足取りで彼らの前に歩み出る。
「彼をこちらに渡してもらえるかしら?」
優雅な笑みを銀糸のような前髪をさらりと揺らして傾げた褐色の美貌に浮かべる。
彼らのそれへの答えは銃口をリンファに照準する、だ。
6つの銃口に睨まれるリンファからはしかし、その笑みは消えなかった。それどころか彼女は唇の片端を吊り上げて、コートを脱ぎ始めたのだ。まさかストリップでもして命乞いをしようというのか?
いや、違った。
コートの下にあったそれにさしもの彼らも目を見開いた。
「正気か、この女?」
「あら、これはあなた方の専売特許かと想っていたけど? そう、あなた方の仲間だって、体に爆弾を括りつけて、テロをするじゃない」
アオザイを着たリンファの腰にはいくつもの爆弾が括りつけられていた。
「貴様も【龍頭】の者か?」
「冗談。私をあんな中国の馬鹿たちと一緒にしないで。私は彼を迎えに来たのよ。彼とその細菌兵器の情報をこちらに渡しなさい。さもなければ爆弾に火をつけるわ」
リンファは取り出したジッポの火を点けた。その目は本気だ。
「ちぃ。イカレタ女め」
両手に手錠をされた父親と細菌兵器の情報が入った鞄を彼らはリンファに渡した。
助手席に父親を乗せて、そしてリンファはエンジンをかけっ放しの車に乗り込んで、急発進させる。火が付いた爆弾を置き土産にして。
「くぅそ。冗談じゃない」
テロリストどもは死を覚悟した。だが爆弾は激しい光と煙を出しただけの紛い物だったのだ。あっかんべーをするリンファの人形が爆弾からびっくり箱の人形のように飛び出して、唖然とする彼らを嘲笑う。
そして小ばかにされた彼らは車に乗り込んで、リンファを追った。
【五】
バズーカの銃口に睨まれながらリンファと父親は車から出た。
「我々を馬鹿にするな」
「いいえ、馬鹿になどしていないわ」
上げていた両手を下ろし、腰に括りつけていた爆弾の一つを手に取り、もう片方の手でジッポを持つ。火を点けて。
「だからこうやって命を賭けているのだしね」
「ふん。何度もそんな玩具に騙されるものか」
テロリストはそう笑った。
しかしリンファはもう笑ってはいない。
「そう想うわよね。そう想わせる為の先ほどの玩具だとしたら?」
鋭い刃物の切っ先のような声でリンファが言った。
テロリストの顔から笑みが消え去る。
「貴様」
「悪いけど、私は案外この国を気に入っているの。だからチャイナマフィアもあなた方も潰したい訳。わかる?」
「ふざけろ。この国の政治屋どもは私服を肥やすために政治を私欲かし、アメリカ政府のご機嫌取りに躍起になっている。中には中国や北朝鮮とも繋がって、彼らには不利益になるような法改正には反対している売国奴もいる。そういう奴らが発展途上国にまた寄生し、そこに住む人たちを苦しめているのだ。俺の国も日本のNGO団体のせいで貧困に窮している。この国の政治屋が私服を越すために俺の村を潰し、ダムを造ったからだ。わかるか!!! そのダムのせいで俺の両親は死に、村の少女達が……まだ12、3歳の少女達が、日本や先進国のくだらぬ蛆虫どもに体を売っているんだ。だから我らはこの国を恨み、我らが味わった想いを味わせてやるのだ」
「なるほど。イラク戦争でもアメリカは大義名分を振りかざし行ったけど、その裏ではアメリカ兵が政府に命令されるままに文化的価値のある物を盗み、それらが裏市場に流れているし、また日本政府高官もそれに絡んでいるわね。だけどそれは上の政治屋どもでしょう? あなた方が敵視するのは日本国の住民ではない。政治屋よ。戦い方はいくらでもあるわ。失敗すればテロリスト。成功すれば革命家。やるんだったら確実に革命家になれる方の道を歩みなさい」
「ふん。知るか、そんな物は。俺は許せぬのだ、この国が。ここに住む人間が。さあ、それを寄越せ。その細菌兵器を使い、この国を潰し、次にアメリカを潰す」
リンファは溜息を吐いた。
「ひとつ、あなたに教えてあげるわ。おしゃべりな男は女には嫌われるわよ」
彼女がそう言った瞬間、バズーカを構える男の後頭部にICPOの者の銃口が当てられた。
リンファはジッポの火を消し、その底をテロリストに見せてやる。そこには赤く点滅するランプがあった。
「私たちの居場所はICPOにずっと伝わっていたのよ」
「おのれぇーーーー」
テロリストは叫んだ。彼がトリガーを引く前に、彼の頭はトマトのように後頭部からの銃弾で弾けるはずだ。
「ここであなたが死ねば、あなたはただの狂信者。だけどあなたが法の裁きを受ける場で、あなたを動かしたその信念を語れば、あるいは何かが変わるかもしれないし、あなたの意志は誰かがもっと上手い方法で受け継いでくれるかもしれない。あなたは失敗してしまったけど、でもその道は実はいくつもあって、そしてその道の先に……あなたが行きつけなかった先に行く者も必ず居る。さあ、どうするの、あなたは?」
テロリストはバズーカを足下に置き、両手をあげた。
【終】
「パパぁー」
女の子は父親に抱きつき、そしてリンファに泣きながらお礼を言った。
ICPOは父親にも事情聴取をしたいと申し出し、ICPOは彼と彼の娘の身の安全を約束した。
そしてリンファはそのICPOすらも煙に巻いて身を隠したのだ。
しかしその彼女の背に銃口が突きつけられた。
背後から香ってくる香水の香りには覚えがあった。あの公園で会った彼女だ。
「やっぱりあなたも裏の世界の人間だったのね」
「ええ、そうよ。だからリンファ・スタンリー。あなたの噂はたくさん聞いていたし、そしてあなたならやってくれると想った」
「じゃあ、私はあなたの期待に添えた訳だ」
「ええ、そう。テロリストと【龍頭】、まさか二つをぶつけて一網打尽にするとわね。あれならいかに腰の重いこの国の政治屋どもも動かざるを得ない」
「それでは終わらせないわ。明日にはネット中に【龍頭】の情報が溢れているから」
「なるほど。中国政府も大きな動きがあるわね。まあ、それはいいわ。それよりもそのあなたが持つ細菌兵器の情報を渡してくれるかしら。死にたくなければね」
リンファは肩を竦めた。
そして鞄を彼女に渡す。
「ありがとう。この細菌兵器は我が【明けの砂漠】が有効利用させていただくわ」
彼女はそのまま立ち去る。
そうしてひとりとなったリンファは大きく伸びをした。見上げた早朝の西の空には赤い星アンタレスを抱くさそり座がある。
そのさそり座を見ながらリンファはくすくすと笑うのだ。彼女に渡したのはまったくの偽物で、そしてそれをパソコンで開いた瞬間にウイルス検索システムにもかからないウイルスによってそのパソコンとそれと繋がっているすべてのパソコンはダメとなり、同時にそのパソコンの在りか、つまり彼女らの居場所はICPO並びに最寄の警察署に伝わるようにしてある。
リンファは報酬のぶどう味の飴玉を口に放り込み、そして鼻唄を歌いながら家路についた。
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、リンファ・スタンリーさま。
はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。^^
巨大組織をいくつも手玉にとって翻弄するリンファさん、いかがでしたでしょうか?
お気に召していただけてますと幸いです。
どうやら現時点ではリンファさんのノベルは草摩が初のようですから、だいぶ緊張いたしました。ですが書いてて本当に楽しかったです。^^
だいぶ草摩色が強いリンファさんになってしまい、テロリストに説教をさせてしまったのですが、本音ですね。戦う方法は武力以外にもいくつもあります。裏金をもらっていないと嘘つくような三流の政治屋ではなく、ちゃんとした正しい政治家となったり、文章を書いたり、唄を歌ったりと。そういう方法によって世界が平和になる道を歩んでもらいたいものです。
リンファさんの設定、とても面白いですね。^^ ものすごく魅力的なPCさんです。またよろしければ書かせてくださいませね。
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
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