コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Pudding rather than praise

 段飛ばしで歩道橋を駆け上がるにはリクルートスーツのスカートは少々タイトで、村上涼はいつもなら二段の歩幅を一段飛ばしに抑えて一路、草間興信所へと向かっていた。
 かっちりとしたスーツ姿は馴染みの興信所を訪う為のそれではなく、とある企業の面接の帰り道である為だ……踊り場でまさしく踊るように、くるりと回転して踵を鳴らして麗しい涼のご機嫌は、決して面接官の反応に手応えを感じた為ではない。
 時刻は正午を少し回って程よい空腹を覚えるあたり、面接会場が近いのをこれ幸いとばかり、涼は朝からコンビニで求めた昼食、お弁当にお茶、そしてデザートを予め草間興信所の冷蔵庫に入れておいたのだ。
 カツに勝つ、をかけて宮崎産の最高級黒豚を使ったカツレツ弁当、最近なんとなくハマッているゴーヤ茶、そしてデザートはふわふわ苺のクリーム・プディング。
 都心に乱立するコンビニエンスストアは商戦激しく、個性を重視した商品で如何に顧客の気持ちを掴むかに執心し、殊、季節限定のデザートにかけては変遷目まぐるしい限りで一度逃せばもう出会えない、そんな勝負心で消費者に挑む。
 今回の挑戦は年が明ければ春とばかりに、苺をメインにした攻勢が始まっており、涼はその心意気やよてとばかりに勝負を受けて、主食を選び出すより倍の時間をかけて、今年最初の限定デザートを選び出したのだ。
 ふわふわ苺のクリーム・プディング……パフェグラスのようなプラスチック容器には、苺の種子がぷつぷつと生地に混じった愛らしいピンクとクリームの白が層を作り、上には形良く盛られた生クリームの頂点に大きな苺が埋まるように鮮やかな赤を主張して、見目の良さに味もまた期待大の代物だった。
 涼には最早、終わった面接は遠い過去、空腹を満たせる感謝と至福の期待に足取りも軽く、建付けの悪い草間興信所の扉を開いて、そして、凍り付いた。
「おう、お帰り。どうだった?」
品は良いのだろうが、古すぎる興信所の応接セットで、所長の草間武彦はいらっしゃいとも言わずに涼を迎える。
 そしてその、差し向かいに涼を見たのは冴木紫。
 テーブルに散乱する、おにぎりの空き袋と、プラスチックのスプーンと、内側に白とピンクのクリームをこびり付かせたパフェグラス型の容器……紫の口元に運ばれるのは、大きく赤く、瑞々しい果実。
「ナニ、またダメだった?」
草間の問いに対する涼の沈黙を否ととって、紫は素っ気なく言い当て苺をまるごと口に放り込んだ。
「あーッ!」
真っ直ぐに人差し指をを突きつけた涼の叫びに、紫は親指についたクリームをペロリと舐め取って事も無げに言う。
「ごちそうさまでした。おいしかったわよ?」
ふわふわ苺のクリーム・プディングの変わり果てた姿に、涼は言葉をなくして立ち尽くした。


 常に不特定多数の関係者が出入りする草間興信所、備品である冷蔵庫は勝手知ったる誰なりとが使用する為、トラブルを避ける為のいくつかのルールがでかでかと注意書きで記されている。

 一、氏名を明記された食品は私物に付、これ、何人たりとて食すべからず

堂々第一位の注意には、ただし、消費期限の切れた品については適用されない、という注釈がつくのだが、これはこの際関係ない。
 凍り付いた涼に、紫は肩を竦め、組んだ両手を片膝にかけ、背筋を伸ばしながら事も無げだ。
「名前書いてなかったじゃない」
悪びれない紫の言い分に、涼は朝の記憶を反芻する。
 口を結んだコンビニの袋に、油性マジックで濃くしっかりと確かに両面に。
『村上涼・食べたら殺す』と明記しておいたのだ。
 涼は奥にある炊事場に足を向け、カパリと冷蔵庫の扉を開いた……其処には結び目を解かれたビニール袋が、少しへたって中段に置かれていた。
 弁当とお茶は無事である……意図して、デザートだけを奪った紫の所業に、涼は袋の拠れに隠れて分断された文字を無感動に読み上げた。
「……殺す」
呟きに宣告して、涼は薄いショルダーバックからすらりと……でこぼこと釘の打ち込まれた金属バットを取り出した。物理的にどうとかいうのは、草間興信所に於いては今更な事象なので敢えて問わずに胸に秘めておく事。
 苛烈さのあまりに静かな涼の怒りと本気とに、食後の一服を楽しもうとしていた草間は慌てて仲裁に入った。
「ちょっと待てお前等! プリン一つにいきり立たんでもいいだろう? 涼が食ってる間に、新しいのを紫が買ってくれば……」
掲示される妥協策に、紫はゴソゴソとパンツスーツのポケットを探ってテーブルの上に広げた……中身はコンビニのレシートと、18円。
 それが、今の紫の全財産。明日から、否、今夜からどうして暮らすというのだろうか。
「ないとこからは取れないでしょ」
羞恥も何も突き抜けた、ある意味境地に至って胸を張ってふんぞり返る紫の鼻先を、ぶんと上から下へ、風を切る音が抜けて容器の残骸を叩き潰した。
「私はね……今日という日を、プリンを食べるその為だけに生きてきたのよ……」
そんなならば午後から何をして生きるのだろう、涼の主張は疑問と哀しみに満ちている。
「ここでプリンが冷たく冷えて、私の事を待っていてくれると思うからこそ、面接の時間に遅れそうになっても、部屋を間違えて社長室を強襲しても耐えられたのよ……」
実際に耐え難かったのは、面接官と社長ではかったかと思われる……多分、また、ダメだろう。
「それを食べたのよ、キミは……大事な」
金属バットはす……とゆっくりと上がって再び、眼前で静止する。それを冷静な目で眺めた紫は、据わりきった涼の目に眼差しを向けた。
 交わされる、黒と青の眼差しは冴えた感情に、互いを見つめている。
「私のプリンをーッ!」
 涼の叫びが開始の合図であった。
 迷いなく水平に振られたバットが、凶悪な釘で肌を裂き、頭蓋骨を陥没させようかという勢いを紫はソファの下に身を滑らせる事で避け、動きを予想していた涼の足が胴を狙う踏み込みを足払いが阻む。
 涼は倒れる勢いすらも無駄にせず、バットの頭で突き込む動きに乗せるが、させじと紫は手を伸ばした位置に在った、厚いプラスチック製のファイルで攻撃を受け流して綴じられていた書類を床にばらまいた。
 飛び散る書類に視界を阻まれ、涼はバットでそれを払い除けた勢いに壁を叩くが、その一瞬の間に見失った紫の姿を求めて首を巡らせれば正に髪一筋の僅差で頭の横を分厚いファイルが通過し、壁にぶちあたってまた中身が散乱する。
 草間のデスクの向こう側、何冊ものファイル……基、重量に充分すぎる攻撃力を持った飛び道具を抱えた紫がじり、と動くのに警戒して同じ、速度と動きとで位置を保ち、相手の次の攻撃を読もうとする涼。
 縄張りを争う肉食獣の闘争めいた動きに挟まれて、草間はとうに頭を抱えている……紫が妙な食い気を起こさなければ、涼がプリン本体に名前が記していれば、草間とて見咎めて止めただろう……草間が詮無くもしもの世界に旅立っている間にも、最早返らぬプリンに捧げる実りのない闘争は続き、固形物を粉砕するバット、舞い散る書類に事務所は荒廃の度を深め行く。
「……もういい」
頭から手を離して、草間はぽつりと呟いた。
 その声には涼と紫が手を止めてしまう程に重みがあって、思わず二人は草間を注視する。
「もういい、お前等。好きなだけやってろ」
突き放す程に強くはないが、奨励というには投げ遣りで。
 草間はデスクの横に転がる椅子、その背にかけてあった上着を取り上げると、無言で事務所を出て行った。何故だか手に、煙草のカートンをひとつ掴み。
「……元はと言えば紫が悪いんでしょ」
「涼が凶器を持ち出したからじゃない」
涼と紫は顔を見合わせて、責任の所在を互いに押しつける。
 扉が閉じる瞬間、肩越しに室内を……暴れる野獣、もとい淑女を見遣った草間の眼差しは、猛る彼女等を鎮めてしまうほどに哀愁に満ちたものだった。


 なけなしの良心が流石に痛んだのか、自らが荒らした室内をせっせと片付け、補修する涼と紫の元へ、再び草間が姿を見せたのは僅か1時間後の事だった。
 持って出た煙草を吸い切るまでは戻って来ないだろうと推測していただけに、不意の帰宅に目を丸くする、涼に草間はビニール袋を差し出した……中を覗けば、入っていたのは三つがワンパックに入ったカスタードプディング。
「同じヤツを探したんだが、もう明日にならないと入荷がないそうだ。スマンがこれで堪えてくれ」
そして、この時節に――草間を始め、紫には特に――贅沢品としかいいようのない、ハウス栽培の苺が一パック。
 馴染みの煙草屋のおばあさんを拝み倒して肩を揉み、1カートンを換金してもらって作った現金で買ってきた、草間の労はその胸の内に秘められるのみだが、涼と紫はその行為に感じ入っていた……喩え動機が迷惑だから止めてくれ、であったとしても。
「ありがと、草間さん。プリンは頂くけど、苺は妹さんと食べて?」
幸か不幸か、不在にしている草間の義妹……必然、義兄の甲斐性のなさに貧しさを強いられても、掃除をしていれば幸せそうな健気な少女というには大戦経験者である彼女への気遣いを見せ、涼は草間に苺を返す。
「そうそう、この寒空にそんな高級品を食べたら口が曲がっちゃうわ」
口汚い……というより命汚い風情の紫ですらも遠慮を示して、草間を思わぬ形で労う。
 涼は紫にプリンを渡し、紫は涼にもスプーンを出し……と、先までの殺気だった空気が嘘のような二人に、草間は己の采配の妙を自讃した。
 食べ物の恨みは食べ物で雪ぐべし。
 成果が形になれば、半分以上残っている事務所の片付けの苦も減ずるというものだ。
 向かい合ってソファに腰掛け、プリンを食べながら談笑する彼女等に安堵と満足の息を吐く……草間の直線上、テーブルの真上。
 3−2=1。
 単純すぎる程に明解な結果に一つ、残されたプリンが新たな戦端を開く事を、今の草間が知る由もなかった。