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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


調査コードネーム:Go! Go! セントウ!
執筆ライター  :階アトリ
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1〜

------<オープニング>--------------------------------------

 新年早々、威勢良く興信所の扉を開けた依頼人は、矍鑠としたご老人だった。名前は佐倉・重三(さくら・じゅうぞう)。
「……と、いうわけよ。ああ、美味え。茶と風呂は熱ィのが一番だな」
 応接机で一通りの話をすると、重三老人は零が運んできた熱々の焙じ茶を一口すすり、満足げに笑った。
 因みに、草間には湯呑みを持ち上げることすらままならない熱さである。湯気を立てる湯呑みを脇に寄せ、草間は腕を組んだ。渋い顔をしている。
 彼がこういう顔をする時というのは、決まっている。持ち込まれた依頼に、怪奇現象だの幽霊だのが関わっていた時、だ。
 今回は幽霊だった。
 重三老人の稼業は銭湯。しかし家に風呂があって当たり前という時勢の流れに押され、数年前から営業を停止しているそうだ。来月には、ついに銭湯の施設そのものを取り壊す予定なのだが――そこに、幽霊が出るのだという。
「では、ご依頼の内容は、その幽霊たちを銭湯から追い払いたい、ということでよろしいですか?」
 草間は溜息を吐いた。お払いのエキスパートになら心当たりがある。けして草間興信所は霊能者斡旋所ではないのだが。
 しかし、重三老人は素っ頓狂な声を上げて頭を振った。
「はあ? お前さん、いってえ何聞いてたんでえ?」
「はあ?」
 草間も素っ頓狂な声を上げた。
「幽霊っつってもな、未練も何もねえ大往生した奴らばっかりだ。一昨年逝っちまった隣の婆さんとか、去年逝っちまった向かいのジジイとか、みいんな近所の爺さん婆さんでな。昔うちの、『さくら湯』の客だった奴らなのよ」
「はあ」
「そいつらが、夜な夜なわんさか出て来てな。湯ぅ入れろー湯ぅ入れろーって、うるせえんだ」
「……」
 ちょっと想像してみて、草間はうーんと唸った。顔見知りの幽霊がわんさか。それはヘビーだ。
「多分、風呂がなくなっちまうまえに、最後にもう一風呂浴びてえんだろうよ。ありがてえ話だ。だから一日だけでいいから、浴槽に湯を入れてえんだ。しかし、いかんせんもう、ワシの体がついていかねえ」
 重三は悔しげに膝を叩いた。ソファの脇には、杖が立てかけてある。杖に頼らねば歩けないほど、膝が悪いのだ。
「もう二年もほったらかしだからな。掃除もしねえといけねえ。息子や孫どもは、幽霊が怖いってんで、手伝えっつっても逃げやがる。ここなら、幽霊でもオバケでも平気だって奴らを集められるって噂を聞いたから、わざわざ来たんだ」
 なるほど、と頷いた草間に、重三は真剣な目を向けた。 
「人手を集めてもらえねえか?」


------<集合>------------------------------


 高い煙突のある、絵に描いたような下町の銭湯。
 長く使われず、活気のなかったその場所に、この日は早朝から人が集まっていた。
「これは、かなり掃除のし甲斐がありそうね」
 玄関から浴場まで見渡して、腕まくりをしたのはシュライン・エマ。長い黒髪は邪魔にならないように纏めて、エプロン装着というやる気満々の格好だ。
 気合が入るのもさもありなん、流石、二年も放置されていただけあって、銭湯の中はどこもかしこも埃だらけ、黴だらけ。その上、床や浴場の壁の傷みも目立つ。
「……汚れているの以外は、昔のままデスネエ」
 呟いて、ジュジュ・ミュージーが薄く笑みを浮かべた。それは、懐かしむような穏やかな――彼女には珍しい表情だ。髪を纏め、冬だというのにランニングと短パンという装備だけでもやる気が測れようというものだが、その上に、ジュジュは鉢巻まで締めている。
「あの……幽霊さんたち、もういらっしゃってます、か?」
 長身の体躯を縮めながら、おずおずと入り口から入ってきたのは、シオン・レ・ハイ。銭湯は好きだし、お爺さんやお婆さんの幽霊さんに喜んでもらえたら、と手伝いにやって来た彼だが、一応、幽霊は怖いと思っている方だ。
「いや。いねーみたいだぜ、まだ」
 高校生にして僧侶である菱・賢(ひし・まさる)が、そんなシオンを中へと手招く。幽霊たちはまだ来ていないし、悪い霊じゃない気配がしているから安心しろと言われて、シオンはホッとした表情で緊張を解いた。
「爺さん婆さんたちが安心して往生できるように、とことんやってやろうぜ!」
「そうですねえ」
 パシン、と拳で掌を鳴らした賢に、シオンが頷いて同意した。
「ええと、お掃除だけでも、煙突にお風呂場でしょう? 着替える場所に……、それから玄関周辺も綺麗にしておかなくちゃ、お客さんも来にくいですよね」
 要・掃除個所を思いつく限り挙げて指折り数えたのは、海原・みなも(うなばら・みなも)だ。良い経験になるだろうと手伝いに参加したみなもは、さっきから物珍しげに銭湯の中を見て回っている。
「銭湯って、こんな風になってるんですね。初めて入りました」
 中学生ながら数多のアルバイト歴があり、客商売の場所には慣れているみなもだが、銭湯は初経験なのだった。
「僕も初めてです。これがニッポンの銭湯……」
 のんびり、おっとりとした口調でみなもに追従したのは、フレイ・アストラス。詰襟の服と、胸に下げられた十字架とが、この銀色の髪の青年の、修道会への所属を示している。
 そんな彼と銭湯。ミスマッチに思われるかもしれないが、見聞を広げるため、という目標を掲げて日本に居ついているフレイにとって、「失われつつある日本の風景」に触れられる機会は見逃せないものだったのだった。
「わあ。うわあ……! 本体だけじゃなくて鍵も、皆木でできてるんですねえ」
 古式ゆかしい木札でできた鍵が気に入ったのか、フレイは用もなくロッカーの扉を開けたり閉めたりしている。 
「ほとんど利用した事がないから、私も憧れだったんですよね、銭湯」
 みなも、フレイの二人に加え、もう一人物珍しげにキョロキョロしている少女がいる。初瀬・日和(はつせ・ひより)だ。
 壁に貼られた古いポスターを眺めたり、番台の中を覗きこんでみたり。見ることばかりに忙しくて、足元がかなりお留守になっている。
「おい、そこ! 躓くなよ」
 日和の行く先、古びた脱衣所の床板が少し捲れているのを見つけて、日和の連れである少年、羽角・悠宇(はすみ・ゆう)が注意を促す。しかしそれは一歩遅く、日和は見事に爪先を引っ掛けた。
「きゃ!」
「ったく、お約束通りだな、日和は」
 悠宇に腕を掴まれたおかげで、日和は間一髪、つんのめっただけで済んだ。
「こりゃ、営繕作業もやっとかねえと危ねえな」
 浴室をよく見ると、そこも痛んでタイルの剥がれた個所がぽつぽつあるようだった。仕事は山盛り。
 銭湯の最後の営業日の手伝いとは、日和もまた色んな事をやりたがるなぁ……と思いつつ彼女についてきた悠宇だったが、来たからには徹底的にやるつもりである。
 少し遅れて、草間と依頼人が入ってきた。
「おー。たくさん集まったなあ。……なんだ、これなら俺は帰ってもいいんじゃ……イテテ」
 総勢八名。集まった人数を見て、うっかり呟いた草間は、セリフの途中で顔を歪め、口をつぐんだ。
「人手はいくらあっても良いんだから。丁度、今日は他に依頼もないし、武彦さんも手伝ってって、言っておいたでしょう?」
「わかりました、俺も誠心誠意お手伝いさせていただきます」
 後ろから草間の背中を抓った手を離し、にっこりと、シュラインが笑った。
「これだけ集まりゃ、なんとかなりそうだ。ありがてえこった。お若え方々、よろしく頼む!」
 一人一人の顔を見回し、重三が言った。その手には、開店までにこなすべき仕事をリストアップしたメモが握られている。


------<只今開店準備中>------------------------------


 分担を決め、作業開始から数時間。
 さくら湯は着々と、営業当時の姿を取り戻していっていた。杖をついて見回り、ああだこうだと指示を飛ばしながら、重三老人はその様子に目を細くしている。
 担当個所の掃除を一番最初に終えたのは、男湯担当の菱・海原コンビだった。
「掃除なんざ、普段、寺でやってるから手慣れたモンだぜ」
 と言う賢に、水を自由に操るみなもが組み合わさったのだから、当然と言えば当然の結果かもしれない。
 天井から浴槽から、男湯は全てピカピカ。壁画の傷みが激しいので、似顔絵等を描くのが趣味だと言うシオンに、塗り直しは任せた。
「早えな。近頃の若えのも、やるもんだ」
 タイルの輝く浴場を見て目を丸くした重三に、みなもが歩み寄る。
「次はどうしましょう?」
 みなもに次の仕事を申し渡してから重三が脱衣所に出ると、響いていた木槌の音が止んだ。
 悠宇が立ち上がって、入ってきた重三を振り向く。
「床はこれでいいかな?」 
「おう。支障ねえ」
 悠宇の担当は修理だった。玄関から、男湯女湯の脱衣所にかけて、床板の浮いていた場所を接着剤と木槌で平らにした。これで人が躓くことはなくなっただろう。その丁寧な仕事を見て、重三が少々申し訳なさそうな顔をした。
「もっと荒くてよかったんだぜ。どうせ今日一日のことだし、来月には取り壊しなんだからな」
 何を言っているんだか、と悠宇が笑い飛ばす。
「確かに最後の営業かもしれないけど、でもその分気持ちよく入ってもらって帰ってもらいたいんだろ、お客さんにさ。俺だけじゃなく、みんなそう思って来てるんだと思うぜ」
 それに、亡くなってからもこだわりをもたれるほどの思い出の場所なら、最後まできれいにしていたって罰はあたらないだろ。悠宇に言われて、重三が苦笑した。
「そうだな。手伝ってくれようって兄ちゃんたちに、失礼なこと言っちまった。すまねえ」
 照れ臭そうに頭を掻いた重三の背後で、ブーン、と低くモーター音がした。ドリンクやアイスの展示販売用の、レトロな冷凍庫と冷蔵庫にスイッチが入ったのだ。
「うん、どっちもちゃんと動くみたい。よかったわ」
 庫内温度がぐんぐん下がるのを確認し、シュラインがにっこり笑う。番台の前で埃だらけになっていた冷凍庫と冷蔵庫は、彼女の手によってガラス戸が輝くほどきれいになっていた。
 販売物については、重三のメモを元にシュラインが業者に発注を入れたので、午後には届けられることになっている。
 玄関周りから脱衣所は掃除も終わっている。後は裏の物置から備品を出してくれば、ここの準備は完了だった。
「よし。タオルや籠とかの細かい備品は足りてるか? 爺さん」
「ああ、タオルは業者に発注済みだ。籠も確認してあるから心配ねえ。さっき、青い髪の嬢ちゃんと威勢のいい小僧が取りに……」
 悠宇の問いに重三が答えたとき、
「すみません、開けてくださーい」
 測ったようなタイミングで、玄関から声がした。シュラインが引き戸を開けてやると、大きなダンボール箱を抱えてよたよたと、みなもが入ってくる。同じ大きさの箱を、二個積み上げて抱えた賢がそれに続いた。
 ダンボールの中身は、プラスチック製の脱衣籠。厳重に封をして仕舞ってあったようだが、出してみると微かな埃っぽさは否めない。
「これ、少し綺麗にしてから棚に入れたほうが良さそうね」
「そうですね」
 シュラインとみなもが、濡れ布巾を手に脱衣籠を拭きにかかった。
 籠は二人に任せ、再び外に出ようとする賢に、悠宇が声をかける。
「まだ出す物があるのか? こっち終わったから、俺も行くぜ」
「ああ。ドライヤー、って書いてある箱と……あと、何かすげえデカイのがあったんだけど。爺さん、あれも出すのか?」
 賢の問いに、重三がニヤリと笑った。
「ああ、そりゃあマッサージ椅子だな。しこたま重えから、腰抜かさねえように頑張れよ」
 男子二人、顔を見合わせ、気合を入れて物置に向かうのであった。
 一方、女湯サイドの浴場では、まだ掃除が続いている。
 男湯よりも多少広くできているということもあるのだが、原因は他にもあった。
 一心不乱にタイルの目地を磨き上げていたジュジュが、手を止めた。そこには、一度誰かが掃除をしたらしき、痕跡はあるのだが。
 ジュジュの、感情の見え難いとろんとした目に、ちらりとだが、剣呑な光が見える。視線の先には、鼻歌など歌いながら、あっちにこっちにとデッキブラシを動かしているフレイが居た。
「……ちょっと待つ。ユーの掃除、荒すぎネ」
「はい?」
 鼻歌を止めて、フレイが振り向いた。本人、至って真面目に掃除していたつもりである。しかし、結果のほうが全く追いついていないのだった。
「ここもそこも、全然落ちてないヨ! 結局、二度手間ネ!」
「そ、そうですか?」
「ミーが一人でやった方がマシ! ユーは他の仕事を貰うが良いヨ!」
 エセアメリカン口調の美女に、フレイは脱衣所のほうへと追い出されてしまった。
「チラシ、刷って来ましたよー!」
 そこへ、宣伝担当の日和が、草間と共に紙の束を抱えて戻ってきた。
 『『さくら湯』一日だけの再開! どうぞご来店下さい!!』――興信所のコピー機をフル活用して出来上がったチラシには、大きな見出しと地図、入浴料やサービスについての案内が書いてある。
 隅っこに入っている、手ぬぐいを頭に乗せた人がお風呂に浸かっているイラストは一枚一枚水彩ペンで、ほっぺたを丸くピンク色に塗ってあって、いかにも手作りのチラシ、という暖かみを醸し出している。
「あら。可愛い絵を描いたのね」
「いえ、それ、悠宇くんが描いてくれたんです。私は、色を塗っただけで……」
 イラストを見たシュラインに褒められて、しかし日和は恥ずかしそうに、微かに頬を染めた。
 昨日のことだ。
 チラシなんか作ると良いと思うの。と、日和は放課後寄ったカフェの机にノートを広げて悠宇に見せた。そこには、チラシのレイアウトが何ページにも渡って描かれていた。
 流石、音楽畑とは言え芸術家。レイアウトはわかりやすく、かつ美しかった。欠点はただ一つ。添えられた日和手描きのイラストに、絵心が全く感じられないという点だ。
 日和…明日、その絵は人に見せるなよ…フォローする人の仕事が増えるだろ…。渋い顔をして、悠宇は言ったものだ。ぶつぶつ言いつつも、日和に代わって描いてくれたわけだが。
「配る場所は決まってる?」
「はい。えーと、これ、半分は近所の新聞社に持って行くんです。ジュジュさんが、夕刊に入れてもらえるように手配してくださってるそうなので」
 日和のいらえに、シュラインは少し目を丸くした。チラシを新聞に挟んでもらうとなると、いくらかお金もかかっているのではないだろうか。ジュジュは随分と手回しが良い。この銭湯に何か思い入れでもあるのかもしれなかった。
「残りは近所の商店街と駅前で配るんですけど。どなたか、手の空いた方がいらしたら一緒に来てくれると嬉しいです」
 確かに、手分けして配るには、草間と日和だけでは苦しい。生憎、シュラインは飲み物と備品の業者が納品に来るのを待っているところなので銭湯に留まらねばならないが、丁度目の前にヒマそうなのが居た。
「じゃ、彼も一緒に」
「あ! 何かお仕事ありますか?」
 あぶれて途方に暮れているフレイを手招くと、顔を輝かせて駆け寄ってきた。これで三人。一箇所に二人として、あと一人くらい欲しいかな、と日和が思っていると、
「はいはーい、私もご一緒します! チラシ配りなら、経験豊富です。達人ですよ! おまかせ下さい!」
 壁画修復を追えたシオンが、高く挙手して男湯から出てきた。
「華麗なこのステップで、受け取って頂けるまで逃がしません!」
 やる気満々で披露する、怪しい脚捌きがチラシ配りに向いているかどうかは……微妙だ。しかしシオンのステップは、道行く人々を足止めすることには大いに成功し、一緒に組んだフレイがその隙を見てチラシを渡すという、共同作業を可能にした。
 因みに、日和・草間コンビは極めて真っ当に、笑顔と会釈で道行く人にチラシを手渡した。見た目、行動ともにインパクト大、しかし少々怪しげなシオン・フレイ組とどちらが効果的だったかは、神のみぞ知る。
 日和たち四人が街で奔走している頃、開店準備は最終段階に入っていた。
「女湯、掃除終了ヨ」
 額に汗を浮かべ、ジュジュが浴場から出てきた。
「こっちも準備完了です!」
 脱衣所から、みなもの声がする。男湯女湯共、ドライヤーや、賢と悠宇が苦労して運んできたマッサージ椅子もきちんと拭いて設置して、ほんの数時間前までがらんとしていたのが嘘のようだ。
 あとは、湯を張るだけ。
「ここからは、佐倉さんにお任せしないとね。さくら湯らしい湯船は佐倉さんしか出来ないもの」
「おう! 任せときな! ボイラーならさっき入れて来たところよ!」
 シュラインに促されて、重三老人は胸を張った。膝の痛みが消えるほど興奮しているのか、杖を放り出す勢いだ。が。
「……っと。あともう一仕事頼みてえんだが」
 申し訳なさそうに、重三は頭を掻き掻き言った。
「久しぶりでカンが狂ってたみてえでなあ。あったぶんで足りると思ってたんだが、足りそうにねえんだ。薪が。ちっと割ってもらえねえか?」
 古い銭湯だけあって、いまだに薪ボイラーのさくら湯なのだった。


------<さくら湯オープン>------------------------------

 夕刻。
 予定通りに、さくら湯の暖簾が上がった。
 チラシと呼び込みの効果で、客足は上々。子供の頃に利用していたという親が子供を伴ってくる家族連れが多い。
 正座が膝にきついということもあって、重三は番台ではなく玄関脇のソファから、温まって出てゆく客たちの様子を見守っていた。
「今出てったのは、差し向いの坊主だな。きれいな嫁さんもらって、子供もあんなに大きくなったんだなあ」 暖かいお茶を持ってきた日和に向かって、重三はしみじみと語っている。
「嬢ちゃんくれえの歳だと、内風呂が壊れた時くれえしか銭湯なんか行った事ねえんだろう?」
「そうですね。すみません」
 申し訳なさそうな日和に、重三が笑った。時代の流れだ、仕方ねえ、と。
 さて、番台は手伝いに来た中から希望者で持ち回り……ということに決まったのだが、ちょっとした小競合いが繰り広げられている。
「何でだよ、次は俺だろ!」
 上がろうとしたところを蹴落とされ、順番を飛ばされた賢が吠えた。
「ユーは駄目ネ!」
 ドテラを着込んで番台に座ったジュジュは取り合わない。
「だから、何で駄目なんだよ!」
 賢の肩を、ぽん、と叩いたのはフレイだ。
「貴方の瞳に下心が見えます」
 優しげな顔立ちのフレイに、にっこりと笑いながら言われると、図星を指された方としては非常に居心地が悪い。番台とは即ち、女性用脱衣所にも目が届いてしまう場所である。それを密かに楽しみにしていなかったとは、言い切れない賢は、う、と一声うめいて退散した。
「いらっしゃいませー! さくら湯、一日だけの復活オープンですー!」
 玄関前に出ると、法被を羽織ったみなもが呼び込みをしている(彼女は男湯側の脱衣所が見えてしまうという理由で、赤面しながら番台は辞退し、呼び込みと女湯のこまごまとした仕事を引き受けた)。
 そろそろ夕日の色が空から消えようかという、黄昏時だ。
「おー。湯ぅが入ったんじゃなあ」
「久しぶりねえ」
「久しぶりじゃあ」
 ざわざわと囁きあいながら、夕闇の中に突然現われた集団に、みなもが息を飲んで、賢を振り向いた。
「い、いらっしゃいましたあ……!」
 暗く見える影一つ一つ、人間の形をしている。玄関の明かりの中に入れば、うっすら半透明ながら容貌がはっきりと見えるほど、存在感のある……幽霊。話に聞く通り、高齢者ばかりの集団だ。
 霊視はほぼできないみなもにこれだけしっかり見えているということは、普通の人にも見えるであろうことが予測された。
「いいか。爺さん婆さん、自分が仏さんだってことを忘れるなよ」
 幽霊たちが玄関の暖簾を潜る前に、賢は彼らを引き止めて諭す。
「他の客をおどかさないように、気合入れて、できるだけ生前のままの姿で……って、そこ! 脚! 脚!!」
「おー、スマンスマン」
 脚が透明になりかけているのを賢に指摘された爺さんが、笑いながら脚を顕した。恨みがあるわけでもなく、ただ風呂に入りたいという理由であの世から出てきた爺さん婆さんたちは呑気なものである。
 ぞろぞろと入ってきた霊の集団を見て、重三が顔を輝かせて立ち上がった。
「来たか!」
「来たよ」
「無理言って悪かったなあ、重三さん」
「佐倉の爺さん、番台に座っとくれよ」
 嬉しそうな幽霊達に囲まれて、重三も顔をくしゃくしゃにしている。
「そうしてえんだが、番台はちぃと膝がきつくてなあ。それに腰が冷えていけねえんだ」
 残念そうな重三に、シュラインが毛布を差し出した。
「懐かしい方たちがいらっしゃってる間だけでも、駄目かしら。番台に座椅子を置いて、足元に湯たんぽも入れてみたんだけど」
「それだけじゃねえ。今日は準備したあんたらがここの主役だ。ワシが出たんじゃ、まるでトンビに油揚げだ」
 重三が渋い顔で躊躇していると、番台に居たジュジュが降りてきた。
「ミーたちはこの席を借りてるだけネ」
 丁度良いタイミングで、ボイラー室で風呂焚きをしていた悠宇が奥から出てきた。
「おい。薪が足りなくなったんだ。誰か一緒に薪割りしてくれねえかな」
「丁度良いネ。ミーが行くヨ。番台、誰もいなくなっちゃうネー」
 ジュジュは悠宇と一緒にボイラー室に引っ込んでしまう。
「……ありがてえ。じゃあ、そうさせてもらうか」
 シュラインから毛布を受け取り、重三が番台に上がった。
「仏さんから金取ろうなんて思わねえから、存分に入っていきな!」
 それは不思議な光景だった。さくら湯の建物に入ってから、幽霊たちの姿がどんどん不透明に、ついには、見た目には生きている人間とさほど変わらないほどの質感を帯びていく。このさくら湯という場所に思い入れがある故であろう。
 しかし、体がないことには変わりがない。上品な白髪の老婦人が、女湯の暖簾を動かしもせず通り抜けたのを発見して、日和が慌てて駆け寄った。
「素通りしちゃ、他の方がびっくりしちゃいますよ。扉なんかも私が開けますから、おっしゃってくださいね」
「おや、すまないねえ」
 日和に浴場への扉を開けてもらって、老婦人は目を細くする。
「ああ、さくら湯だよ。おやおや、娘が来てる。孫と一緒だ。驚かさないようにしなくちゃねえ。あの子が小さかった頃は、まだ家族でここに通ってたよ。あの子も懐かしくて来たんだねえ。嬉しいねえ」
 しわしわの両手を合わせて、老婦人は湯気の中に入っていった。
 一方男湯では、風呂に浸かったシオンと、いかにも江戸っ子な爺さんとの世間話が繰り広げられている。
「一日の疲れが癒されますねえ。良いですねえ。頑張って壁画を描いた甲斐もありました」
「ほー。こりゃ、お前さんが描いたのかい?」
「そうなんです。力作なんですが、如何でしょう!」
 瞳を輝かせ、シオンは自作品の感想を催促する。爺さんは顎を擦りながら壁画を仰ぎ見た。
「ワシは好きだな、一富士二鷹三茄子。めでてえ絵柄で」
 壁には、富士山となすと鷹が、湯気の雫に濡れて燦然と輝いている。もともとは富士山の絵だったのを、修復の際に「どこかで見たことがあるから」と、シオンがなすと鷹を付け足したのだ。富士山の山腹には、山登りをするウサギさんがいたりもする。
「あのウサギなんか、ハイカラでいいじゃねえか。お前さん、筆が達者だね」
 ハイカラ、という明治大正の香りがする言葉を迷い無く口にする爺さんは、実はというかやはりというか、幽霊である。おどろおどろしさのカケラもない。こんな幽霊となら後で記念撮影も良いかもしれないと、シオンは湯に浸かりながら考えている。
 と、そこにフレイが浴場を見回りにやってきた。
「お湯が減っているようなので、足しますねー」
 言うなり、フレイのひねったのは熱湯の栓。オンリー。足し湯をする時は、隣にある水の栓も同時にひねって、温度調節をする必要があると重三に聞いたのをすっかり忘れている。
 幸い、すぐ近くに居たのは幽霊客だったので何の反応もなかったが、ややあって、一番近くにいた生身の客が湯船から立ち上がった。
「こら、これ以上熱くしねえでいいんだよ!」
「あわわわ、す、すみませんー」
 あわてて、フレイは水の栓をひねった。今度は冷水が勢いよく出て、冷たいとクレームが出る。
 トラブルといえばこれくらいで、客入りは上々だったのだから、さくら湯最後の営業は、成功したと言えるだろう。


------<営業終わって>------------------------------


 暖簾を下ろした後は、営業を手伝いに来た全員で湯船に浸かった。
 もちろん、男湯女湯に別れて。
 女湯では――
「ふう。いいわね、広いお風呂」
 ゆったりとくつろぎながら、シュラインは吐息で湯気を揺らした。
「泳げそうですよね。……お、泳ぎませんけども!」
 広々とした浴槽に張られた、たっぷりのお湯。一瞬人魚の血が騒いでしまったのか、みなもは慌てて小さく首を振った。
「壁の絵もきれいだし。良い経験になりました」
 男湯と違って破損のなかった女湯の壁画。「さくら」湯の名にふさわしく、桜吹雪の描かれた壁を見上げ、みなもはうっとりと目を細くした。
「こうやって、浸かりながらお話できるのも、銭湯ならではですね」
 気分を出すためなのか、日和は手ぬぐいを小さく折りたたんで頭の上に乗せている。
「……良いお湯デスネエー」
 華奢な身体で薪割りまでこなしたジュジュは、目を細めてお湯を味わっていた。
 ちなみに、湯船には白い入浴剤が入っていて不透明なので、女性四人の入浴シーンを想像しても無駄である。ミルク成分配合でお肌にも良い。
 生きているお客様は全員引き上げてしまったが、幽霊のお客様たちは営業の最後まで付き合うつもりなのか、まだいる。
 まったり、一日の疲れを癒している女湯に対して、男湯は――
「フジヤマ、ゲイシャ! そしてセントウ。ニッポンですねえ」
 湯船に浸かり、壁画の富士山を眺めながら、フレイは満足げににこにこしている。フジヤマはともかく、ゲイシャは今の状況に何の関係もない。
 隣にいた草間は一瞬説明しようかと思ったが、芸者の何たるかから説明せねばならないであろう予感がしたので、やめた。
 と、風呂から上がったシオンの挙動が怪しい。
「うわわ、シオンさん! シオンさん、気をつけて! しっかり!」
 がたーんかぽーん、と風呂桶の山を崩す盛大な音に、フレイの悲鳴が重なった。
「コーヒー牛乳……湯上りのコーヒー牛乳を……!」
 うわごとのように呟きながら、フラフラと脱衣所に向かうシオンは、真っ赤にのぼせている。幽霊につきあって、一時間近くも湯に浸かっていたのだから、当然の結果だ。
「いやー、ワシらは死んどるから、なーんぼ浸かっておっても、のぼせやせんがなあ」
 しわしわの顔をもっとしわしわにして、幽霊の爺さんが笑った。
 フレイが支えたのでは共倒れになりそうなので、草間がシオンに肩を貸した。ハダカのつきあいってやつですね、などという息も絶え絶えなシオンの呟きに微妙な表情をしつつ。
「ちょっと、すごい音がしたけど、大丈夫なの?」
 女湯から、シュラインの声がした。女湯と男湯の間は壁一枚で仕切られ、その上が天井から1Mほど空いているので、大きな声を出せば会話ができるのだ。
「大丈夫だぞーっ」
 甲高い、小さな男の子の声が、シュラインに答えた。浴場では声がよく響くのが面白いのか、キャッキャと笑っている。
 湯船の中で飛び跳ねている男の子の肩を、賢があわてて捕まえた。
「こら、あんまりうるさくすると近所迷惑になるだろ。それに転ぶと大変だから暴れない!」
「はあい。オフロって楽しいな、賢ー」
 叱られて、大人しく湯船の中の段に腰掛けた男の子のお尻には、タヌキの尻尾が生えている。この子の正体は、相変わらず化けるのが下手な、賢の馴染みの子ダヌキ。幽霊も入ってんだからタヌキが入って悪いことはねえ、と、重三老人は快く子ダヌキを風呂に入れることを了解してくれた。最初は暖かい水に浸かることを怖がった子ダヌキだったが、すぐに慣れ、すっかり風呂を楽しんでいるようだ。
「悠宇くん、そっちの壁画は何? こっちの壁の絵は、桜なの」
 壁の向こうから、日和の声がした。
 力仕事で疲れた筋肉を湯船の中でほぐしていた悠宇は、シオン作の壁画を見上げ、迷った末、
「……富士山」
 とだけ答えた。 


 風呂上りは、各々好きな飲み物を取って乾杯。重三老人のおごりである。
「お風呂上りはコーヒー牛乳派なの」
 と言うシュラインにならって、それが日本の風習なら、とフレイもコーヒー牛乳を取った。
「お風呂上りのコーヒー牛乳。しかも二本目とは、贅沢の極みですねえ」
 のぼせている間にも一本、重三からもらっていたシオンは盆と正月が一緒に来たような顔をしている。
「じゃ、俺もコーヒー牛に……」
 取ろうとした賢の鼻先で、冷蔵庫が閉まった。戸を閉めたのは重三だ。
「店番してる間に盗み飲みするような奴にゃやらねえよ」
「ば、バレてたか!」
 バツの悪そうな賢に、重三は笑いながらコーヒー牛乳を差し出した。
「冗談だ。どうせ売れ残りだからな、ンなケチ臭えこた言わねえ。もう一本やるよ。そのかわり、タヌキの坊主に半分わけてやるんだぞ」
 乾杯とお疲れ様が、さくら湯中に響き渡る。
「ありがとうな。……この銭湯も、最後に一仕事できて喜んでるだろうよ」
 しみじみと呟いた重三に、そうだねえ、そうだなあ、と、幽霊達が唱和した。
 今日一日の賑やかさで忘れかけていたが、来月にはこの建物は取り壊されるのだ。
 しんみりなりかけたところに、シオンがつとめて明るい声を出した。
「あのう。どうですか、幽霊のみなさんもご一緒に、記念撮影!」
 手には、どこからともなく出してきた三脚とカメラがあった。
 生身の人間は、重三を含め10人。その二倍ほどの幽霊達が一緒に映りこむ、心霊集合写真である。
 フラッシュが焚かれた後、急速に、幽霊達の存在感が薄れていった。
 さくら湯に彼らが入ってきた時とは逆に、どんどん、姿が薄れ、透明になってゆく。 
 ワシらは、そろそろ帰るなあ。
 良い湯だったよ。
 ありがとうなあ。
 次は盆かなあ。
 重三爺さんも、早いとここっちに来いよ。
 笑い、さざめく声を残して、幽霊達は消えてしまった。
「ケッ、何言いやがんでえ。こちとらまだまだ長生きするつもりよォ!」
 重三の皺だらけの顔が、泣き笑いの形に崩れる。
 じゃあ、まだまだあっちじゃ会えねえなあ、と。遠くから小さく、答える声が聞こえた気がした。



                                      END




 
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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0585/ジュジュ・ミュージー(ジュジュ・ミュージー)/21歳/女性/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
【3356/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/42歳/男性/びんぼーにん(食住)+α】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/13歳/女性/中学生】
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/16歳/女性/高校生】
【3525/羽角・悠宇(はすみ・ゆう)/16歳/男性/高校生】
【3070/菱・賢(ひし・まさる)/16歳/男性/高校生兼僧兵】
【4443/フレイ・アストラス(ふれい・あすとらす)/20歳/男性/フリーター兼退魔士】


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          ライター通信         
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 こんにちは。担当ライター、階アトリです。
 新年初の依頼モノですが、やっぱり期日ギリギリの納品、申し訳ありません。

 今回は、一名様を除いて個別部分はナシになっています。
 謎やバトルなどはなく、みんなでどんな風にお風呂を整えて行くか…ということに主眼を置きましたので、全員の行動を全員が把握できるようにしてみました。
 寒い毎日なので、せめてゲームノベルの中でくらい、ぬくぬくとお風呂に入っていただこうという企画でした。
 PC様同士のプレイングの兼ね合いで、PCさんの行う作業の時期を全て開店当日とさせていただいております(前日までに用意、というものなどについても、当日にさせていただきました)。

>初瀬・日和 さま、羽角・悠宇 さま
 いつもお世話になっております。
 今回、あまり二人一緒に行動……という風にならないようにさせていただいてみました。悠宇くんは力仕事、日和さんは宣伝作業ということで。
 優しい心遣いの溢れる台詞を、毎回ありがとうございます。特に今回は、メンタルな部分を多く描きたい作品だったので、描写の足がかりにさせていただきました。ありがとうございました!

 ほのぼのワイワイ、楽しく書かせて頂きました。
 ご参加の皆様にも楽しんでいただけましたら、幸いです。
 ご意見ご感想、またご不満などございましたら、ファンメールにてご連絡くださいませ。
 次回の参考にさせていただきます。
 では、失礼します。