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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


ベイス・シャドウズ来日


■序■

 2005年1月某日。

 シルクハットに黒の礼服という前時代的な風貌の紳士が、月刊アトラス編集部を、ふらりと訪れたのだった。美貌の紳士で、年の頃は30代だろうか。きっちりと整えられた髭に、肩よりも長い髪、瞳とは、闇のような黒だ。彼は碇麗香に優雅なふるまいで挨拶をすると、編集部の片隅にある応接室のドアをノックした。
 中に居たのは幻想怪奇小説作家のリチャード・レイと、その助手蔵木みさとであった。ふたりの顔を見るなり、美貌の紳士は、ふむと眉を上げた。
「失敬、ミスター・レイでいらっしゃるかな」
「ええ」
「ツァンラ=バアという名に心当たりは?」
「あの、失礼ですが――」
「私はベイス・シャドウズ」
 リチャード・レイが、息を呑んだ。
 正確に言えば、シャドウズを名乗った紳士が、『ツァンラ=バア』の名を出した時点で、彼は顔色を変えていたのだが。リチャード・レイは、ベイス・シャドウズと、ツァンラ=バアという名を知っていた。

 リチャード・レイのもとに、ツァンラ=バアと名乗る魔術師からの手紙が届いたのは、年の暮れであった。ツァンラはレイと会うために、昨年末に来日したらしい。
 しかし、ツァンラは未だにレイの前に現れず、シャドウズへの連絡も絶たれてしまったのだ。ツァンラの親友であるシャドウズは、魔術師の安否を確かめるべく、住み慣れた英国を離れたのであった。
「彼女は、きみに会う理由をその手紙に記していたかね? ミスター・レイ」
「いえ、詳しくは。ただ、わたしに託したいものがあると」
「それこそ、『鋳型』なのだよ」
 シャドウズは肩をすくめた。レイの瞳が、ぎらりと紫の光を帯びる。
「だいぶ前にダニッチで手に入れたと聞いている。私はそれがどういったものなのかよく知らないが、その『鋳型』なるものが関係している異変が、この日本で群発しているらしいね。――彼女が死ぬことはないが、恐怖にとらわれておかしくなっていやしないか、私は気が気ではないのだよ。何しろ、それはそれは付き合いの長い友人であるから」
「……その、『鋳型』というのは……」
「見せてもらったのはただ一度きり、それもだいぶ前だ。しかし、忘れることなど出来はしない。あの『鋳型』は……『鍵』の鋳型であったのだよ。真鍮のような、鉛のような、得体の知れない金属で出来ていた……」
 シャドウズの目を覗きこみ、レイは眉をひそめる。
 影の紳士の瞳には光がなく、ただ、漆黒の闇だけが――影だけがあった。
 リチャード・レイが知っているのは、この男と、この男の親友が、とある筋では名の知れた探究者であるということ。霧が渦巻く英国の首都に住み着き、邪なる神やその眷属どもが引き起こす事件を、好奇心の赴くままに見つめ続ける『目』でしかないということだ。好事家を自称するふたりが、自ら動いた――よほどのことなのだ。
 思いを彼方に馳せていたのは、レイだけではなかった。
 シャドウズもまた我に返り、レイの目を見つめ返す。
「ツァンラの居場所は皆目見当がつかないし、どのような姿になっているかもわからない。きみは優秀な協力者を何人も持っていると聞き及んでいるよ。どうかツァンラを探し出し、『鋳型』を預かってくれはしないかね。もちろん、礼はしよう」
 言ってから、彼は口元をようやくゆるめた。
「……やれやれ。この私が、依頼を持ち込む立場になるとはね。いやはや、これだから、この世に興味は尽きないのだよ――」


■黒髪の魔術師(1)■

 光月羽澄が東京の中で見たのは、リチャード・レイという作家によく似た人物だった。レイはまったく、頭の先からつま先まで灰色の男で、灰色の東京に溶け込んでいるようで少しも馴染んでいない、そんな矛盾した存在である。彼女が見紛ったのも、その人物が、レイのような佇まいであったからか。
 調達屋『胡弓堂』でバイトをしている羽澄は、その日の使いの仕事を終えて、店に戻るところであった。夕刻の人込みの中に、彼女は、見知った顔と、『灰色』を見出した気がしたのだった。
 だからこそ彼女は、その白人の少女を、灰色の紳士と見紛うなどという有り得ない失態を犯したのだ。
 ――どこをどうしたら、レイさんとこの子を見間違うのよ。
 声をかけてみて初めて、羽澄は黒髪の白人の少女がリチャード・レイではないことに気がついた始末だった。
「……ごめんね、人違いだったわ」
「いえ」
 少女はぎこちなく微笑んだ。返答は英語だった。年の頃は羽澄よりもだいぶ年下なのだろうが、言葉と笑みには、歳に不釣合いな落ち着きがあった。
 不可思議な少女はそのまま再び歩き始め、羽澄はそこに立ち尽くしていた。


■好事家の視線■

「ふうむ!」
 レイの要請にすぐさま応えた者が、4名あった。応接室に集ったのは、長い赤髪の青年、長い黒髪の青年、冴えた青の目の女、小柄な眼鏡の男だった。応接室のソファに腰かけていた影色の紳士は、面子を眺めて、苦笑じみた含み笑いを漏らす。彼は足を組みかえてレイを見やった。
「なるほど、確かにきみは、多くの協力者を持っているようだ。しかもきわめて面白い」
 顔色の悪さだけがその美貌に影をさす、態度の大きい紳士だ。彼は気まぐれのように立ち上がる。
「ベイス・シャドウズです。本日はどうぞよろしく」
「田中緋玻よ」
 青い目の女が名乗った。
「九尾桐伯です」
 黒の長髪の青年が名乗る。彼だけが、紳士的に、依頼人と握手をした。
「羅火じゃ」
 赤の長髪の青年が名乗り、
「星間信人と申します。お会いできて光栄です」
 小柄な眼鏡の男が名乗って、
「四宮……灯火と申します……」
 随分と下のほうから、人数分には見合わない挨拶があった。
 シャドウズが片眉を上げて足元に目を落とす。そこには、確かにされまでそこに居なかったはずの、和装の少女が立っていた。
「……?」
「今日も急に現れたわね」
「お話は……途中からですが……伺っておりました。初めての地で……迷うのは……あまりにお気の毒です。わたくしも……お手伝いいたします……」
 緋玻が苦笑して、灯火と名乗る少女の傍らに立った。
「見かけは子供だけど、その辺の記者よりはよっぽど頼りになるわ」
「ふむ! ご安心を、ミズ・タナカ。見た目ほどあてにならないものはないと、親友に教えられているものでね」
「黒曜石の指輪じゃな」
 不意に、シャドウズの薬指を指して、羅火が口をへの字に曲げた。
「噂に聞いたことがあるぞ。神とやらに喰われて、魂と影だけになってしもうた愚か者のことをな。『真実を映す』黒曜石に力を借りているとも聞いた」
「しいっ!」
 シャドウズは笑って人差し指を唇にあて、羅火に向かって手を合わせた。
「それ以上褒め称えないでくれたまえ。照れてしまうから」
「そうですよ、羅火さん。愚者というのは秘められた叡智を持つ者であり――神の祝福を受けたものなのですから」
 眼鏡を直しながらうそぶく信人に、影の紳士は小首を傾げた。


■黒髪の魔術師(2)■

 結局、羽澄はその少女を追っていた。
 少女の足取りを辿るのは、夕刻の人込みの中であっても、容易かった。灰色と見紛う、その異質な魂の振動と『ぶれ』は、まるで道標のようであったから。


■影とヒトガタ■

 灯火は、レイ宛に届いたツァンラ=バアの手紙を手にした。灯火には読めない文字で書かれた手紙は、何の変哲もない便箋にしたためられていた。蒼い目が見つめる中に、ツァンラ=バアのこころは浮かび上がってくる――
「ご無事……です。生きて……東京に、いらっしゃるようです……見えるのは…… それだけ、ですが……」
「ほう、ものに触れるだけで過去や未来を垣間見るとは。話には聞いていたが、実際に使い手の方を見るのは初めてだよ」
「まあ、このアトラス編集部に出入りされる方は、大概出来ると思いますよ」
「本当かね! それは恐ろしい」
 嬉しげにアトラスの現状を誇張する桐伯だったが、シャドウズは無邪気にその言葉を鵜呑みにすると、漆黒の目を見開いて驚き、可笑しげに笑ってみせた。
「それでは、ここに集まっていただいた皆さんも、人捜しなぞはお手の物というわけだね」
「そうでもないわ。あたしとコイツなんかは荒事担当だもの」
 緋玻がコイツと呼び、露骨に指差したのは、羅火だ。それまで睨むような視線をシャドウズに送っていた羅火は、突然の無礼に、虚を突かれた。短気な彼だったが、怒る余裕もなかった。
「た、……確かにそうじゃが、人捜しくらいは出来るぞ」
「僕も、風にひとの行き先を尋ねることは出来ます。ましてチァンラさんは、一風変わった魂をお持ちの方のようですからね。捜索は容易でしょう」
 信人のことばに、シャドウズがぴくりと顔を上げた。彼は、緋玻から手渡された『ヒトガタ』なるものに、ツァンラの名をしたためているところだ。
ツァンラ=バアが女性であり、探求者であり、シャドウズの無二の親友であること以外、彼は協力者たちに何も話してはいないはずだった。しかし、信人は多くを知っている素振りであった。シャドウズの深淵色の瞳は、いよいよ不審の光を放つ。
 桐伯がそんなシャドウズに耳打ちする。
「日本にもあやしい人間というものはあるのです」
「だろうね。まさに東洋の神秘だ」
「シャドウズさんもツァンラさんも、日本は初めてなのですか?」
「実はそうなのだよ。――これで、よかったかな。ツァンラの名は」
 桐伯と会話を交わしながら、シャドウズは名を書き入れたヒトガタを緋玻に返した。受け取った緋玻は一瞬思わず目を疑ったが、
「……ああ、神聖文字ね」
 そう言って溜息をついた。シャドウズはしてやったりといった面持ちで、小さく笑った。
「いかにも。彼女はエジプト人でね」
「……地図帳……でございます。お待たせ……致しました」
 応接室の空気が束の間ゆがみ、灯火が音もなく戻ってきた。手には、彼女の身体がすっぽり隠れてしまうほど大きな、日本大地図を抱えていた。
「ありがと、灯火ちゃん。……さてと、やれるだけやってみましょうか」
 荒事が担当、と自負していた緋玻がヒトガタをつまむ。彼女はまじないのことばを呟いて、ふっとヒトガタに息を吹きかけた。
 信人が応接室の窓を開ける。東京の、かすれた風が室内に呼び込まれた。風はデスクに置かれた地図帳のページをめくり、紙のヒトガタを舞い上がらせた。ヒトガタはやがて、開かれた東京の地図に降り立つと、頼りない足取りだが、確かにひとりでに動いた。誰もが無言でヒトガタの動きを見守る。
「あ」
 誰かと誰かが、同時に声を上げた。
 地図の一点で倒れたヒトガタは、ぱっと燃え上がり、消え失せてしまったのだ。しかし、そこにいた全員が、ヒトガタの煙の中に影を見た。
 黒髪の、少女の姿が――煙の中に浮かび上がっていたのだ。
「ふむ、ヒトガタが燃えた地点は……」
 信人が眼鏡を直し、近眼者特有のしかめっ面で、一部が焦げた地図を見つめた。
「東京駅、のようですね」
「駅じゃと?」
 地図の焦げ目と桐伯の言葉を受けて、羅火が口をへの字に曲げる。
「わしの『目』は、まるきりちがう方向を向いておるぞ」
「僕も少しおかしいと思っていたところですよ。風は……そうですね……新宿駅の方角から吹いてきていたような……」
「あたしが見立てた『式』だもの、あんまり信用しないほうがいいかもしれないわ。……書かれた名前だって、あたしが読めない文字だったし」
 緋玻がじろりとシャドウズを睨む。当のシャドウズは、まったくこまった様相を見せず、興味深げに焦げた地図に目を落としていた。
「では、二手に分かれましょうか。東京駅と新宿駅へ」
「どちらにも、行ってみたいところではあるがね」
 シャドウズはうっすらと笑って、窓に目をやった。
 日が暮れていた。


■新宿駅■

 この街は、ガラスや鏡が多いね、とシャドウズは呟いた。

 灯火の力で駅(正確には、新宿駅の近く)にやって来たのは、桐伯、信人、そしてシャドウズだった。桐伯のいうリチャード・“うっかり”・レイは東京駅へ向かい、しっかり者の蔵木みさとはアトラス編集部に残ることになった。ツァンラ=バアからいつ連絡が入ってもいいようにと、一縷の望みのようなものをかけていたのだ。
「星間さん、風は何か教えてくれますか?」
「相変わらず、このあたりで渦巻いていますよ。さて……どちらに行ったものか……」
 とは言うものの、信人は駅の中をまっすぐに歩いた。風は構内を確かに駆け抜け、桐伯の髪をもてあそんでいる。桐伯は何も言わなかったが、表情は厳しかった。彼は言わば、信人を監視していた。
 桐伯と信人の後ろを行くのは、シャドウズと灯火だ。影色の紳士は時折、音もなく歩く灯火に目を落としては、頷いたり、唸ったりしていた。彼は灯火の肌が生物のものではないことを知り、そもそも灯火が人間ではないことを知ったのだ。
 灯火もシャドウズの視線には気がついて、時折、大きな蒼の目を紳士に向けるのだった。
 ――不思議な……お方です。まるで、気配だけで……出来ているかのよう……。
 灯火は、意志で動いている。気配を持たずとも、強い想いは彼女を喋らせ、歩かせる。シャドウズは、灯火と似ているようでまったく異質な、奇妙な存在だった。彼の深淵色の瞳を見つめているうちに、灯火のその好奇心が首をもたげてきていた。
彼女が口を開こうとしたそのとき(「人形が動くというのは珍しいでしょうか」)、信人が足を止め、桐伯を見上げた。桐伯もまた立ち止まっており、紅い目をすがめて、耳をそばだてていたのだ。
「この……鈴の音は……」


■CALL■

三下からまわされてきた電話には、応接室で留守をあずかる蔵木みさとが応対した。シャドウズとレイ、そして頼れる協力者たちが出かけてから間もなく、光月羽澄から連絡があった。内容を聞いて初めて、蔵木みさとは、これこそが「入れ違い」というものなのだと知ることになる――。
「光月さん!」
 ぱっと目を輝かせてから、みさとはすぐにこまった顔になった。
「あの、先生でしたら、大事な用件で、緋玻さんと羅火さんと一緒に、出かけちゃったところです」
『大事な条件って……もしかして、人を捜してるとか?』
「さすが光月さん! そうなんですよ。九尾さんに灯火ちゃんに……星間さんにも、協力してもらってるんです。深刻みたいなんです」
『大丈夫。すぐ解決するわ』
「ほんとですか?」
『……レイさんが捜してるひと、いま私の目の前で紅茶飲んでるもの』
「え!!」


■黒髪の魔術師(3)■

 彼女たちとは、新宿駅前の喫茶店で合流した。ベイス・シャドウズが苦笑している。
 桐伯が聞き取った鈴の音は、羽澄がまとっているものに他ならなかったのだ。シャドウズは安否を気にかけていた親友とめぐり合うことになった。
「ツァンラ=バア! まさしくきみなのだな。またしても抱けない身体ではないか、なんということだ」
「しばらく会わないうちに少し下品になりましたか、シャドウズ?」
 黒髪の少女は冷めた目でシャドウズを見上げたあと、協力者一行に深々と頭を下げたのだった。
「ご心配をおかけしました。お蔭様でレイ氏ともお会い出来そうです。縁というものの偉大さを知りました」
「或いは、世間が狭いだけなのかもしれないよ」
「しかし、何故、連絡をお断ちに?」
 桐伯の問いに、魔術師は頷いた。
「わたくしが『鋳型』を持っていたことは、シャドウズから説明があったと思います。その『鋳型』を持ち運んでいる間、どうにも、見られているような感覚がありましてね。この東京は、いま、次元の軸が不安定であるように思います。あの 『鋳型』こそは、次元を歪めてしまうもの。しばらく様子を見ようと思っていたのです」
「それで……何か、実際に異変は?」
「行く先々で、見たこともない怪異に遭遇しました。危害は加えてこようとしないのですが、『鋳型』にひかれているようでしたね」
 見たこともない怪異。
 ツァンラの言葉に、シャドウズが眉をひそめた。
「きみが知らない怪異だというのか。きみは歩く怪異事典なのだよ?」
「しかし、ミスター・シャドウズ。あなたは先ほど仰いましたよ……世間は狭いものなのだと」
 信人が喉の奥で笑みを転がすと、懐から一枚の写真を取り出し、ツァンラに差し出した。
「ツァンラさん。あなたが見たものは、『これ』ではありませんか」

 写真に写っているのは、芹沢門吉という狂人が作り上げた、陸人目の人間だった。


■邂逅、新宿駅前にて■

 紅茶が揃ってからも、ツァンラに対する問いはあとを絶たない。特に熱心に質疑を繰り返したのは、九尾桐伯と、星間信人であった。灯火と羽澄は、じっと黙って、やり取りに耳を傾けている。ただ聞いているだけでも、その流れるような会話は、実に不可思議で、興味深いものだった。見た目は10歳の白人の少女が、まるで臆することもなく、ふたりの質問に答えていたのだ。シャドウズは頬杖をついて、やはり興味深げに話に聞き入っているのだった。
「今から100年以上まえの話になりますが、芹沢門吉という研究者が、日本からイギリスへ発っているのです。ご存知ありませんか」
「いえ……」
「ふむ。芹沢博士は、少なくとも、6本の『鍵』を所有していました。彼が手がけ、完成した人造人間は6体……複製の『鍵』を与え、何かを計画していたようです」
「人造人間を完成させること自体が目的ではなく、あくまで礎にすぎなかったということでしょうか」
「ツァンラさん、あなたがお会いした人造人間こそ、真なる目的のために生かされ続けている存在なのですよ。おそらくは」
「……『鋳型』で鍵を作りましたか、ツァンラさん?」
 信人の話に、桐伯が便乗した。その問いに、ツァンラはすぐさまかぶりを振った。
「いいえ。正確に言えば、作ろうとして、失敗したのです」
「失敗」
「銀での鋳造を何度か試みましたが……銀が冷える頃には、鋳型の中から鍵が消滅しているのです。<銀の鍵>は、1本でいいということなのでしょう。しかし、そのドクター・セリザワは――」
「彼が鍵の複製に使ったのは、錫でした」
「ツァンラさん、その鋳型は、ダニッチで入手されたそうですが?」
「はい、店じまいをする予定の骨董品屋で。店主は、アーカムの黒人男性から10ドルで買い取ったものだと仰っていました」
「アーカム――」
 一行はしずまりかえった。信人だけが、余裕の笑みで、紅茶に手をつけていた。

 羽澄が何気なく、ガラスごしの新宿を見やって、息を呑んだ。
 ガラスには、ベイス・シャドウズがうつっていない――
いや、異状はそれだけではない。
「みんな、見て」
 彼女の言葉に、シャドウズ以外の全員が従った。

 新宿は眠ることもなく、多くの人間を抱えているはずなのだ。
 だと言うのにいまは、『彼』の他に、誰の姿もない。

「夢と 現の 境界は/輝く 月色の 鍵が知る」

 ツァンラ=バアが、顔をしかめた。
「『鋳型』はここにはない……だというのに……何故、現れた」
「……縁に……惹かれたのでしょう」
 灯火が疑問に答え、まばたきをした。
 変わり果てた姿の人造人間の前に、うっすらと、陽炎のように見える人影がある。リチャード・レイ、赤髪の羅火、田中緋玻の姿だ。
 桐伯がわずかに眉をひそめ、片耳をふさいだ。次元が傾き、歪む音がする。
 ガラスの向こうで、陸號が手を伸ばした。
「鍵を――
 鍵を――
   ――門を――
         閉めてくださ・い――――………………」

 灯火の蒼の目が、きらりと冴えた光を放つ。


■門と鍵穴■

 強い、細い手が、3人の背を引っ張ったのだ。田中緋玻、羅火、リチャード・レイの姿が確かな現実のものになり、喫茶店の中につぎつぎに転がった。羅火は悪態をつきながらも、抱えていたものをけして離そうとはしなかった。
「痛ッ……あ、ああ、灯火ちゃんね。妙にタイミングが良すぎるけど、おかげで助かっ――」
 乱れる髪を押さえながら起き上がった緋玻が、言葉を飲み下した。
「――まだ、助かってなかったわ」
「同じ刻に……同時に存在しておるというか! 生意気な!」

「シャドウズ」
「なんだね、ツァンラ」
「あなたが見守っているだけで、怪異が最期を迎えるのなら――」

「見守って下さい」


「『門』でもあって、『鍵穴』でもあるんだわ」
 陸號の背後に現れた暗黒をみつめ、羽澄が呆然と呟いた。
「門の向こう側にいるのは……誰?」
 人造人間の胸が開き、漆黒の空間が現れた。ぼんやりとした、どこへ続くとも知れぬ階段も見えた。そしてその暗黒から、出し抜けに、男の腕が伸びてきたのである。
 人間の男の腕に間違いはなかった。肌は黄色で、皺は多かったが、老いさらばえているわけではない。陸號が煙を吐きながら膝をつくと、暗黒の中からのびた手が、冷たい冬のアスファルトを掻いた。
 そうして、どこからか、呻くような声がした――。
「鍵を――
 鍵を――
   ――門を――
         開けるのだ――――………………」
 鬱々とした暗い声は、初老の男のもの。
 星間信人が渇いた笑い声を上げた。
「面白い。どなたかあの腕を引っ張って差し上げては? あの方こそ、『門』を超えた、数少ない人間のひとりなのですよ!」
「わしはごめんじゃ。――おい! わしを見るな、つぎはぎめ!」
「陸號!」
 緋玻が怒鳴ると、戸惑ったように、跪く陸號の動きが止まった。
 腕はあがき続けたが、人造人間は動かなかった。
「あなたの背、腕、帽子、胸にある印を、思い出してください」
 桐伯の囁きがあり、緋玻が動いた。懐から、一枚のコピー用紙を取り出したのだ。奇妙な文様が描かれたその紙を、緋玻は灯火に投げ渡す。
「陸號に渡して!」
「……はい」
 蒼い光とともに、<コスの印>は行く――
 人造人間陸號は、受け取ったのだろうか。
 ともかく、シャドウズとツァンラ=バアが見つめる新宿に、人間たちが、もどってきた。


■また、いつか会いましょう■

 『鋳型』はやはりアトラス編集部にある目が見張っているべきだと、好事家は笑っていた。封印があろうがなかろうが、怪異は次元を歪めてやってくる。今度、いつまた引き寄せられてくるか、わかったものではないのだ。今は羅火が、たとえくすぐられても落とさない覚悟でしっかり抱えているのだが。
 その後ろでは、信人がしきりに、『鋳型』を使って鍵を鋳造することを、レイにすすめているのだった。銀で造ることは出来ないようだが、錫ならば――。レイは紫の目を伏せて、無髯の顎を撫でながら黙りこんでいた。その様子を見ていないふりをして、シャドウズが笑う。
「われわれの手には余るものだよ。まあ、要するに、押しつけるのだがね。そこらに捨て置くよりはましだろう?」
「ええ……まあ……」
「もう、イギリスに帰るんですか?」
 羽澄の声と表情は、少し不満げなものだった。少女の姿のツァンラは、せっせと帰り支度をすすめていたからだ。
「ミスター・ジェフティ。新作を心待ちにしておりますよ。『霧をまとうもの』の続編を、特に」
 特にひきとめようともしなかったのは、信人ただひとり。そして彼のその別れの挨拶は、シャドウズとツァンラの動きを一瞬にして、完全に封じ込めた。シャドウズとツァンラは無言で目を見合わせ、発言を拒否した。
しかし、もっとこの好事家ふたりと話したいと思っていたのは、何も羽澄だけではない。桐伯も笑って、近くの回転寿司屋を指差した。
「夕食をご一緒にいかがですか? レイさんが奢っていただけるそうなので」
「え?!」
「なに、本当か? わしはいつも30皿は食うが、いいのじゃな? いいと言え!」
 『鋳型』を振りかざしてレイに迫る羅火を見て、シャドウズがくすりと微笑んだ。
「ほう、日本人は本当にスシが好きなようだね」
「もちろん。毎日食べるものなのです。いわば主食ですよ」
「ちょっと、あなた、なんでそんなしょうもない嘘を……」
 にこにことしたその表情で、何の含みもないように見える嘘をつく桐伯を、緋玻は半ば恐ろしいものを見るような目で見つめた。
「……すばらしい。近代化が進んでいると聞きましたが、文化はきちんと受け継がれているのですね。エジプトと同じです」
「エジプトか。いいね、ツァンラ。また行くとしようか」
「ええ。まずは、スシを食べて、イギリスに戻ってからですね」
「よろしい!」
 シャドウズは、言いながらひょいと身を屈めた。その視線に合わせたのは、ずっと彼の礼服に触れて、首を傾げている灯火がいたからだ。
「何か私の服から見えたかね、ミズ・シノミヤ?」
「……いいえ……ただ、影だけが――」
「ああ、そうとも。影しか、見えないだろうね」
 笑って、彼は灯火を抱き上げた。
 その光景を見つめる者たちは、見てしまった。
 喫茶店のガラスにうつる、宙に浮く灯火を――
 地面に張りついた、灯火を抱きかかえている男の、影を。
 信人が、ほう、と口元を歪める。ベイス・シャドウズという男は、どこにもいなかったのだ。だが確かに、彼らはその日、豪勢な食事をともにした。




 <了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー】
【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1538/人造六面王・羅火/男/428/何でも屋兼用心棒】
【2240/田中・緋玻/女/900/翻訳家】
【3041/四宮・灯火/女/1/人形】

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               ライター通信
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 モロクっちです。この依頼が2005年初依頼となりますね。今年もよろしくお願いします!
 さて、今回はタイトルからも示すとおり、ライター的に遊ばせていただきました。お付き合いして下さったことに深く感謝致します。それと同時に凄く感激・光栄です。皆さん、読んで下さっていたんだ……(涙)。
 「good!」「excellent!」の一言を書けたので満足です。このふたりは、特にご要望がなければもう東京怪談の世界には登場しません。
 内容のほうは、当初の予定よりも、<ドリームランド編>に大きく関与するものとなりました。参加者の皆さんが、これまでのシリーズに関わってきて下さっている方ばかりでしたので。もうひとつ、物語が前進しております。

 それでは、また、お会いしましょう。