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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


  ◆◇ くちつぐむ歌姫 ―ver.B…Dear― ◇◆


 独り暮らしの人間にとって、料理なんて手間でしかない。
 ことに、いまは街に出掛ければ幾らでも、安価な夕食が転がっている。自分だけの食事製作にいくら時間を使ったとしても、口に放り込むのは一瞬。
 だから、気付くのが遅くなってしまった。
 もし、透己がもう少し器用だったら、もっと気付くのが遅れたかも知れなかったけれど。


「痛ッ」
 大きめに切ったじゃがいも。細かくスライス出来なかった玉葱。無残に粉砕された人参。
 そんなものが転がるまないたを前に、新見透己は小さく、悲鳴をあげた。
 使い慣れない包丁で、指先を切ったよう。そんなマンガみたいなこと、絶対しないと思っていただけに、少しばかりショックだ。
「……もう」
 舌打ちをして、指を持ち上げる。すっぱりと削がれた指の皮。ぱくぱくと口をあける赤い傷口。
 ――透己が異変に気付いたのは、そのときだった。
「嘘」
 ぽつん、と呟いた言葉に、ひやりと腹の底が冷たくなる。
「なんで、血が出ないの?」
 ぱっくりと開いた、指先の傷。いつもならあれよあれよと云う間に鮮やかな血が溢れだすはず。
 なのに、肉の赤い色は見える。だけど、そこから零れる液体は、一滴も出てこない。ほんの少し濡れているのは、水道の水のせい。
 反射的に、透己は背後を振り返る。
 狭い、ワンルームのアパート。壁に掛けられた制服。足元に転がるのは薄い革の学生鞄。
 先日、学校で拾ったもの。音が出なくなったそれを哀れんで、透己はそっと、鞄のなかに仕舞い込んだ。
 嫌な予感がなかったわけではない。呪術に関わるものの匂いを、それは確かに発していた。だけど、壊れて放り投げられたそれのくすんだ色が、なんだか透己に似ているように思えたのだ。
 家から放り出されて、独りで暮らしている小娘。いま、ここから消え失せても、誰も気付かない。
 そんな感傷が、透己にそれを拾わせた。
「こんなことになるなんてね……」
 一滴たりとも血の流れない傷をひらひらと振って、透己は独りごちた。
 気持ちが悪いと思う。でも別に、このままでも構わないと思う。身体中の血がそうやって、どこぞに消えたか固まって腐っていくのか。想像すれば、胸が悪くはなっても、心配はされない。
 だが、なにかの力が発しているのなら、そこには意思がある。歪められて、撓められた心が。
「取り敢えず、音楽室かな……」
 透己の嫌いな、女っぽい女教師の姿を、思い浮かべる。心霊現象全てを忌避する彼女に、こんな話を聞かせればさぞ、怯えるに違いない。意地悪な、気分転換にもなるだろう。
 ましてや、この代物を拾ったのは、音楽室でのことなのだ。彼女とて、無関係ではいさせない。
 気を取り直して包丁を握り、透己はうっすら唇を歪めた。我ながら、根性が曲がっている。
「でも、ほんのちょっと愉しみかも」

    ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 鹿沼・デルフェスが好きなもののひとつに、夕暮れ時の学校があげられる。
 昼間の生徒たちの暴力的な喧騒はすでになく、でも、微かなひとのざわめきや、落書きされた壁や床に、彼ら彼女らの発した感情の余韻だけが残っている。デルフェスが馴染んだアンティークショップの凝った空気とは違う、底に熱を宿した風情。
 特別得意ではないのに、好きなもの。
 デルフェス自身とは隔絶されているゆえに、仰ぎ見るかのごとく好んでしまうのかも知れない。ついつい、細々とした用を云い訳に、茶飲み友達の音楽教師・響カスミの許を訪れてしまう。
 今日も今日とて、少しばかり店には珍しい、曰くのないまっさらなフルートを手に、ドレスの裾を揺らして神聖都学園の音楽室を訪れた。
「カスミ様? いらっしゃいますの?」
 薄く開いた扉を押して、そっと、薄赤い光に満ちた音楽室に滑り込む。
「鹿沼さん……」
 ほっとした顔で、カスミが振り返った。
 その手には、ぼろぼろになったフルートが握り締められている。まるで、瞬間接着剤で貼り付けられているみたい。なにかがおかしい。
 すでに彼女は半泣きだ。艶っぽい眸に、子供じみた大粒の涙が浮かんでいた。
「カスミ様?」
 デルフェスが、小首を傾げる。
 そこには、少しばかり奇妙な光景が繰り広げられていた。
 カスミの向かい合わせに、細身の、でも肩に力を入れて仁王立ちになった少女が、ひとり。右手には、プラスティック製カッターが安っぽく光る。
 真っ黒な髪にそぐわない、ぎょっとするほど色素の淡い双眸には見覚えがあった。
「透己様?」
 以前ひょんなことで知り合った神聖都学園の女生徒・新見透己だ。
 透己の方も僅かに目を見開いて、気持ち微かにバツが悪そうな顔をしている。
「また、代わりにこのひとに話を聞いて貰えば好いんですか? センセイ」
 それでも教師なんですか、と言外に嘲って、透己が唇を歪める。
 躊躇ったようにカスミは視線を明後日に向けて、それから、縋るような目でデルフェスを見詰めた。
「……お話を、聞かせて頂けますかしら? 透己様。カスミ様の代わりではなく、わたくしに興味がございますの」
 救いの手をデルフェスが差し出す。本泣き寸前の顔で、カスミは退場。薄暮の音楽室に残ったのは、デルフェスと透己のふたりだけだ。
「カスミ様を、余り苛めないで下さいませ。誰にでも苦手なものはありますわ」
「別に、苛めたつもりはありません。ただ、相談に乗って貰いたかっただけなんですけど」
 しれっと、透己は云う。
 デルフェスの手の中には、カスミから押し付けられた傷だらけのフルート。デルフェスにこれを手渡した瞬間――逆に云うならばこれを手から離した瞬間、デルフェスは本当にカスミが泣き出すかと思った。それくらい、深い安堵の表情を浮かべた。
 どうやら話の焦点はこの、哀れなほど年代ものの楽器であるらしい。
「このフルートが、どうかされたのですか?」
「少しばかり……見て貰えますか?」
 手品師のように、片手のカッターを閃かせる。ちきちきちき、と軽い音を立てて、透己は刃を出してみせた。
「そのフルートを、好く見ていて下さい」
 透己は抜き身の刃を柔らかい腕の内側に押し当てる。そのまま無造作に、す……っと刃を引いた。
 他愛もなく皮膚に吸い込まれる刃。するすると、裂けていく肌。
「透己様!」
「見て下さい。血が、出ないでしょう? そして、フルートも」
 咎めるように名を呼んだデルフェスを、ごく冷静に透己はいなす。確かに、噴き出すはずの血は一滴も溢れない。ぱっくりと傷口は不気味に開いたまま。そして、フルートの銀色の肌も彼女が腕を切り裂いたと同時、すっと、赤い線が走った。
 否――無数に入った傷のひとつが、赤い軌跡を残し、修復された。
 触れてみてもささやかな凹凸すらなし。細い亀裂は埋まり、代わりに蜘蛛の糸のように深紅が絡み付いている。
 透己が傷を得て、フルートは代わりに傷を癒した。溢れるはずの血は、どこに行ったのか。答えは簡単。
「……透己様の血で、修復される楽器、ですか」
「多分」
 カッターを仕舞い、透己が頷く。
「別に、それならそれでも、構いません。拾ったのはあたしだから、あたしを食い物にして育つのも好い。でも、なにも知らないままでは座りが悪いのも、本当。だから、調べてくれませんか?」
 動揺の色も見せず、薄い色の眸と同じ感情の薄さで、透己は囁いた。
 デルフェスは無言で、手の中のフルートを見下ろす。
 触れてみて、気付いたことがひとつ。
 このフルートの素材は、デルフェス自身を構成するのと、同じ。この楽器は、真銀によって練り上げられた世にも稀なる代物だ。
 真銀を傷付けることができるものなど、そうそうこの世に転がってはいまい。
 ならば――。
「この件、お預かり致しますわ。透己様」
 デルフェスは、ひっそりと微笑んだ。


 薄暗い室内に、緩やかな紫煙が立ち昇る。
「つまんないフルートと引き換えに、珍しいものを持ち込んだね、デルフェス」
 煙管を片手に、デルフェスとこの店の主人である碧摩蓮がにやりと笑う。
 いつも、蓮はそんな顔をしている。仮面のようでもあり、なにもかもを面白がって、愉しんで生きているようでもあり、ただ――全てを小馬鹿にして、紗に構えているだけにも思える。
 それでも、彼女は不思議と魅力的な女だった。なによりも、デルフェスを凍える闇から拾い上げた恩人だ。
「わかりますか? マスター」
「あんた、あたしを馬鹿にしているのかい?」
「いいえ」
 生真面目に、デルフェスは首を振る。余りの素直な反応に、蓮は肩透かし。肩を竦めて、ただ茶を強請った。
 デルフェスがティーセットを扱う間に、蓮は煙管を深紅の唇に挟んでフルートをためつすがめつしている。
 しっかり葉が開くのを待って、ティーカップに薄赤い液体を注ぐ。ふわ、と湯気と共に芳香が漂った。
 ――美味しい紅茶の入れ方は、誰に習ったのだろうか。
 マスターの傍らにカップを置いて、デルフェスは考える。
 紅茶の入れ方、掃除の仕方。それに、こうして息を吸い息を吐く、生き方自体。
 全て、目の前の美女に教わった。そんな感情があることさえ、デルフェス自身知らなかったのに。
 真銀の冷たい身体には、いま、なにかが宿っているのだろうか?
「マスター」
「なんだい?」
 煙管とフルートを纏めて置いて、蓮は紅茶をひとくち、含んで目を細める。
「なんでわたくしを拾って下さったのですか?」
「内緒だよ」
 子供じみた仕草で、蓮は舌を出す。
「そんなの、聞いたら有難みが失せるだろ。さて」
 ティーカップをソーサーに戻して、蓮はフルートをまた手に取る。
「ほら、ご覧。デルフェス」
 蓮が、一番端のキーの影になった部分を指差す。
 デルフェスは身を屈めて覗き込んだ。
 アルファベットを過剰に揺らがせくねらせ潰したような、奇妙なサインがそこにある。
 デルフェスたち呪物を扱う者にとっては、馴染みのある代物。
 ――希代の魔術師の名。
「……マスター。これはただの楽器ではないのですね」
 にやにや、蓮は笑っている。生徒が答えを出すのを待つ、根性悪の教師みたいだ。
「このフルート、あんたと“同じ”だろう? どんな馬鹿力なら、こんな傷を付けられるんだろう。ねえ、ミスリル製のお姫様?」
 唄うように揶揄うように、蓮がさえずる。デルフェスは苦笑するしかない。
「おそらく……この欠損は初めから意図して付けられたものですわ。この素材は確かに真銀。曇りはフェイクです。まして、容易くひび割れるとは思いません。唄うためにかたちづくられたのに、唄えない楽器。そういう矛盾から生まれる意思を、作り手は求めたのだと思います」
 ひとの手によって生った、生命なき品。そこに意思と命を宿らせるのが、呪術者の悲願。ならば、この血を吸う楽器は、製作者の意に沿った物だろう。
 ――では、真銀で練られた人形に、作り手はなにを求めたのだろうか。
「デルフェス」
 片目を瞑って、蓮が頷く。ティーカップの縁を、深紅に塗られた爪でなぞる。
「もうすぐ、全部傷口は塞がりそうかい」
「ええ。もうすぐ、完全に修復が終わりますわ」
「そうしたら、このフルートもただのフルート。めでたしめでたし。……魔術師が作り上げた楽器が、そんなに単純かねえ?」
「……なにか、裏があると思われますの?」
「さあて」
 まるで木刀でも扱うように、蓮はフルートを振り回す。最後に、デルフェスの鼻先に末端を突き付けて、にやりと笑った。
「まあ、結果をお愉しみに、って奴だね」
「愉しんでばかりですわね、マスターは」
 デルフェスは目を細めて、そっとフルートを受け取った。


 昨日と同じ時刻、同じ場所で。
 音楽教師・響カスミは情けない声でぼやく。
「なあんで、こんなのことになっちゃったのかしら……」
 その手には、まるで血管のように赤い色を絡み付かせた件のフルート。
「ありがとうございます。カスミ様」
 怪奇現象嫌いのカスミを宥めすかし、約束を取り付けたデルフェスは深く深く、こうべを垂れる。
 ――修復の終わったフルートを、ただの呪物としないために、誰かの手で奏でて貰いたい。
 デルフェスの頭のなかに浮かんだ楽師は、まずこの美女だった。
 曰くありげな代物に好んで触れたがる人間なら、幾らでもいる。それこそ、アンティークショップに顔を出す誰彼に頼めば、なんの労も要らない。
 でもデルフェスは、そういう輩にこのフルートを与えたくなかった。
 ただの楽器として扱う、そんな人間に吹いて貰いたかった。
 摺り合わさった歪みの狭間に生まれた意思ならば、せめて、それぐらいの幸福があっても好いと思う。
 カスミを騙すことができず、全てを話した。最初、カスミは抵抗したもののデルフェスの必死の様に折れて、いまの状況に至る訳だ。
 覚悟を決めたカスミは、とっとと全てを終わらせると云わんばかりに潔く、フルートに唇を寄せる。
 顔色がやや青いのは、ご愛嬌だ。
 長い睫毛が、白い肌に陰を落とす。
 デルフェスはぎゅっと、胸元で両手を握り締める。どきどき、胸が震える。紛い物の鼓動が、指先まで響く。
 ふわりと、驚くほどか細い、掠れた音色が染み込んで来る。
 耳を清ませる。どんな微かな音も、聞き逃さないように。
 まるで、生まれたばかりの子供の吐息を、拾い上げるように。
 涼やかな音ではない。美しい音でもない。それでも、軋む心が音色となり、その軋みが聴き手の心を掻き毟る。そんな音に聴こえた。
 カスミが奏でたのは、ごく他愛もない曲だった。デルフェスも好く知る、ありふれた曲。だけど、それで好かった。
「ありがとうございます。カスミ様」
 優雅な仕草でデルフェスはドレスを摘み、腰を折る。
 小さく、カスミは首を振った。するりと、フルートの冷たい肌を撫でる。その指に、嫌悪感はもう存在しなかった。
「好い、フルートね。悪かったわ」
 少しの強がりと、両手一杯の実感が籠もったカスミの言葉に、にっこりとデルフェスは微笑んだ。
 音楽室から出て行くカスミを見送って、デルフェスは後ろの扉から出て行こうとする。
 と、そこに見知った顔を見付けた。
「透己様? ……どうなされたの?」
 ドアに手を掛けたまま、制服姿の透己は凍り付いたように不自然に動きを止めている。睫毛一本さえ、そよがない。
「透己様?」
 そっと、肩に触れる。途端、呪縛から醒めたように全身で透己が息をついた。
「……ぶはッ!」
「どうなさいましたの?」
「どうもこうも……あのフルートの音、聴きに来たんです。なのに、ほんの少し耳にした瞬間、動けなくなっちゃった。まるで、メデューサに睨まれたみたいに」
 はあ、と透己は大きく、肩を震わせる。
「あのフルート、まずいかもしれないです。あの音を聴くと、石になっちゃう感じ」
「換石の術?」
「カンセキ?」
「……換石ですわ」
 デルフェスは、己の持つ能力を、口ずさむ。透己はいっそ無邪気に頷いた。
「好くわからないけれど、そんな感じです。……で、その問題物件は?」
「あ……」
 ぱっと、無駄と知りながらデルフェスは空っぽの両手を見比べる。フルートはカスミが持ったまま行ってしまった。
「取り返さないと……」
「まずいと思います。あのセンセイが、お気軽にどっかでご披露でもしたら大問題です」
 僅かに面白がるように、透己が云う。
「また、あのセンセイの怪奇現象嫌いに拍車が掛かるでしょうね。こんな、変な楽器を自分が吹いてたって気付いたら」
「透己様!」
 デルフェスの咎めに、透己はふい、とそっぽを向く。
「いっそ、そういうのもありだと思いません? あのセンセイには」
「透己様ったら止めてくださいませ。もう……大変ですわ!」
 ドレスの裾に気を付けながら、精一杯のスピードでデルフェスは音楽室を飛び出した。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2181 / 鹿沼・デルフェス / 女性 / 463歳 / アンティークショップ・レンの店員 】

【 NPC1859 / 新見・透己 / 女性 / 16歳 / 高校生 】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、カツラギカヤです。不束なライターに再びのご発注、ありがとうございました。
他の方もご依頼を頂いていたのですが、プレイングを読ませて頂き、おひとりでの物語の方が宜しいかな、と思い、このような次第となりました。
頂いたプレイングとは、かなり違う面があるかと思います。ちょっとでも予想外を感じて頂けた方が嬉しいな、と思い、手を加えさせて頂きました。拙い点ばかりかと思いますが、如何でしょうか? 少しでも愉しんで頂ければ、幸いです。
繰り返しになりますが、この度はご発注、ありがとうございました。また機会がございましたら、宜しくお願い致します。