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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


stepfamily

 石和夏菜は、義兄である水城司が自宅とは別に持つマンションに於いて、感じる違和感に首を傾げた。
 マンションに置かれた仕事関係の多量の資料と多少の娯楽用品、そして最低限の生活用品、という配分に、仕事と娯楽の入り込む隙のない浴室には必然、物が少なくなるのだが。
「歯ブラシが増えてるの……」
半身を映す鏡の脇、洗面道具を収納するスペースに立てられた歯ブラシは透明な青と……ピンク。
 脱衣所の隅の洗面台で小さく、けれどもこの上ない存在感を放つそれに、夏菜は反対の方向に首を傾けた。
 先程、食器棚にも赤と青の揃いのマグカップが新調されているのにも気付いたばかりである。
「そういえば……」
は、と顎を上げる動きの鋭さに、ポニーテールの黒髪が揺れる。
「今月の星占いでお兄ちゃん、ラッキーカラーがピンクだった!」
……常人ならばここで下衆の勘繰りを働かせる事だろうが、何しろ相手は夏菜である。
 彼女の義兄が、恋愛漫画を主に掲載された少女誌の『ラヴラヴ☆ラッキー星占い!』の託宣を気にして赤い小物を買いそろえたというのなら、それはそれなりに笑いを誘うネタだが。
「真実は得てしてこんなものだ」
ある麗らかな日曜日……マンションに掃除に訪れた夏菜を迎えたのは、ラフなスタイルで休日をくつろぐ兄、司と。
 男物のシャツとスウェット―この場合は当然、兄のワードローブである―を身に着けた村上涼の姿であった。


「涼お姉さま……?」
肩掛けの鞄をその場にとさりと落として、夏菜は言い訳の聞かない状況に完膚無きまでに凍り付いた涼を見つめた。
 口元で傾けた、形で止まったマグカップは先に新調されていた揃いの品……当然、片方は司が現在進行形で使用している。
「まあそういうことだ」
夏菜が説明を求めるより先、年頃の少女に生々しい現況のみから察しろという司の意図に反発したのは何故だか涼だった。
「何がそういうことなのよ!」
たった一人残された家族の元に朝っぱらから女が転がり込んでいるのは親しく付き合っては居るものの、否、親しいお付き合いが家族ぐるみと呼ばれる質のものだからこそ、スタンスを破ったこの状況は裏切りに等しいと、些か穿ちすぎた涼の見解は後ろめたさに後押しされているに相違ない。
 が、どうにか誤解を解かなければとの焦りで頭が一杯になった涼に、冷静な思考を望むべくもなかった。
「そ……そうそう、新作RPGを借りにね?! 近くに寄っただけなのよ!」
「こんな朝早くから来たの?」
苦しい言い訳に小首を傾げた夏菜の無邪気なツッコミが入り、涼はぐぅ、と詰まるがめげずに続ける。
「え〜と……、来たのは昨日の夜なんだけどね?! 攻略情報を交換してたらついつい興が乗って終電を逃したから泊めて貰った、イヤ、泊まってやったのよ仕方なく!」
「だから涼お姉さま、お兄ちゃんの服を着てるの?」
ひょこん、と首が反対側に倒されて、入れられたくなかった箇所へのツッコミをくらって心中、あいたたたと呻く涼。
「そ、そう、寝間着までストックしてなかったの!」
「他の物はストックがあるの?」
ざくざくと墓穴を掘る涼を面白げに見守りつつ、マグカップの中身をゆっくりと飲み干した司はさらりと会話に割り込んだ。
「深夜にいい汗もかいたしな」
「そう! だから着替えもなくって……って、ちょっと司! 夏菜ちゃんを前になんて事を……ッ!」
満面に朱を昇らせてあたふたと、腕で謎の動きを描いた涼は人差し指を唇にあてて「シーッ! シーッ!」とジェスチャー……というより爬虫類の威嚇音めいた音で司に沈黙を求める。
 涼の奇行に、夏菜がじっと司を見つめる、その視線に余裕の微笑みで彼は同じ言を繰り返した。
「まあ、そういうことだ」
「司ーッ!」
涼の絶叫に司は片手で耳を塞ぎ、鼓膜が破れる寸前でその音波攻撃を防ぐ。
 涼の狼狽と司の落ち着きと、好対照とも言える反応を前に、夏菜はゆっくりと胸の前に手を組む……引き結んだ口元と、大きく開かれた眼の澄んだ緑に晒されて、涼が一歩後ろに退く。
「か、夏菜ちゃん……?」
両親を喪って互いがただ一人残された家族である為か、夏菜の司に対する依存は立派なブラザーコンプレックスの域である……司もまた夏菜を愛しんでいるのが如実に解るだけに、血の繋がりがないとはいえ、幼い頃から重ねた兄妹の時間に他人である自分が割り込むのは場違いな気がして、涼はこの関係を彼女にだけは秘しておきたかったのが本心である……と、いう割りにあまりにうかつだが。
 胸の前で組まれた手が震え、夏菜の大きな瞳にじわりと涙が滲むのに、涼はいたたまれなさのあまり、その場で頭を抱えてゴメンナサイと百も繰り返せば時が巻き戻せはしないかと思考して危うく実行に移しそうになる……のを止めたのは他ならぬ夏菜の声であった。
「すごい……涼お姉さまホントにお姉さまになるのね!」
バンザイ!と天に突き上げられた両手の勢いに、思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ涼は呆気に取られて夏菜を見上げる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
興奮の面持ちで兄に走り寄った夏菜は、その勢いを殺さぬまま司に抱き付いた。
「スゴイお兄ちゃん! 涼お姉さまがホントのお姉さまになるなんて夢みたい! これからずっと一緒なのね? 家族が一人、増えるのね?!」
「か、夏菜ちゃん……?」
年頃の少女には無体な事実を突きつけた、思いはその当人によって打ち砕かれる。
「ううん、一人だけじゃない、これからもっと家族が増えるのね! スゴイ、夏菜が叔母さんなのよ! お兄ちゃんと涼お姉さまの赤ちゃんならきっと可愛いの!」
「ちょっと待って夏菜ちゃん違うのよ!」
突っ走る所の騒ぎじゃない、成層圏を離脱して木星衛生タイタンに生命誕生の起源までを求める勢いの夏菜を、涼は大気圏内に連れ戻そうと躍起になる。
「あ、そうなのね……涼お姉さま、ゴメンナサイなの」
涼の制止に落ち着いたのか、司に抱き付いてその肩口にぐりぐりと頭を擦りつけて押さえ切れぬ喜びを現していた夏菜は兄の膝の上から下りた。
 ほっとした涼は、諦めずに誤解を――この場合、既成事実があるという意味では真実なのだが――解こうと言いだしかけた台詞を遮られる。
「お式が先なのね! 涼お姉さまが夏菜の義理のお姉さまになるのよね……アレ? でもホントのお姉さま? が、義理? ううん、どっちでもいいわ、お兄ちゃん、お兄ちゃんは紋付き袴が似合うと思うなの!」
「俺は何でも似合うが、村上嬢には白無垢よりもウェディングドレスが映えると思うが。夏菜にはヴェールを持って欲しいしな」
「……キレイなのー」
男物のシャツとスウェットを身に着けてノーメイク、髪もぼさぼさな涼に年頃の少女らしい想像力の逞しさで、純白のドレスを重ねたと思しき夏菜の、うっとりとした言に涼はぶるぶると首を振った。
 冗談じゃない。想像も出来ない。真っ赤な絨毯を敷き詰めたヴァージン・ロードの先に黒のタキシードで身を包んだ司の腕に、白いレースの手袋に包まれた手を滑り込ませるなどと……!
 出来ないと言ったわりに、脳裏に浮かぶ状況は妙にリアルで、涼はふと、動かした目線が司とかち合って、その全てを吸い込むような瞳の黒が笑いを形作るのに感情を爆発させる。
「違うったら違ーうッ!」
あまりにも強い否定の叫びに、新婚旅行の行き先まで思いが及んでいた夏菜がきょとんと動きを止める。
「違うったら絶対違うわよ敵よこいつは!」
一息に言い切って、ビシリと指を突きつける涼に、司が軽く眉を上げた。
「何がどう違うんだ?」
心外な、とでも言うような司の発言に、却って頭に血が上った涼ははくはくと口を開閉させるのみで言いたい事が声にならない。
「……涼お姉さま?」
夏菜の喜びに水を注すようで気が進まないが、ここではっきりさせておかないと事態は済し崩しになる……専ら済し崩しにコトに雪崩れ込まれる事の多い自らを正しく認識し、心を鬼に律して涼は最後の砦、というよりも背水の陣を守る為に夏菜に向き直った。
「いい? 夏菜ちゃん。私とキミのお兄さんとは言うなればそう……敵同士の間柄なのよ」
「俺がモンタギューで村上嬢がキャピレットだ」
横様から司が仇同士の代名詞を例に挙げ、涼はうっかりと頷いてしまう。
「そう、まるでロミオとジュリエット……ってなんで世紀の悲恋を当て嵌めなきゃならないのよ!」
「お兄ちゃん、涼お姉さま……そうだったの?」
そして涼が気を取られている間に、すっかり間に受けている夏菜。
「大丈夫なの! 夏菜は二人を祝福してるなの! だからどんな障害もへっちゃらなの!」
ぎゅっと両手を握られて真摯な瞳で応援され、涼は更に逃げ場をなくした。
「違うってばだから! こうなったら司の悪行を洗いざらい……ッ!」
ぶちまけようとした涼だが、夏菜の向こう……シン、と冷気を纏って威圧する、司の眼光に声を呑む。もしバラしたら……殺されはしなくても、かなりな目に遭わされる事は想像に難くない。
 再び声を無くした涼に首を傾げ、夏菜が背後を振り向けばいつものように優しい司の微笑みがある。
 それにニコリと微笑んで「あ」と一声を発すると、夏菜は涼の両手を掴んだまま玄関へ向かって歩き出した。
「一番大事なコト忘れてた! お兄ちゃんったら駄目じゃない、ちゃんとパパとママの墓前に報告しないと」
「あぁ、そうだった。よく気付いたな、偉いな、夏菜は」
立ち上がった司にくしゃくしゃと髪を撫でられて、えへへと嬉しげに笑う夏菜に、涼は一人戦々恐々と抗う。
「ちょっと待ってちょっと待って!」
しっかと握られた夏菜の手を振り解けずに、制止も効かない。重ねて言うが涼は寝起きのままだ……玄関へ連行され、ラフ、とはいえ外出するに難のない服装の司がドアノブに手をかけるのに思わず叫ぶ。
「何処にでも行くから! せめて着替えさせてーッ!」
乙女の誇りをかけた承諾を、夏菜は心から、司は腹黒く、血が繋がらないながらも確かな兄妹の団結を明示して、涼の覚悟を歓迎した彼等は全く同時に彼女に笑顔を向けた。
「やっぱりキミは敵よ敵ーッ!」
主に司に向けた腹立ち紛れの叫びは、贔屓目に見ても負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。



 整然と並んだ墓石の間を、迷いなく進む夏菜の後ろにつき、司と涼は並んで歩く。
 ドミノ倒しが出来そうね、と不遜な思考に不機嫌を誤魔化して、ちらりと傍らの横顔を見上げれば察しよく視線が動くのに慌てて正面に向き直る。
 弾むような足取りで先を行く夏菜の手には、お供えの菓子類が入った包みが、司の手には手桶一杯に汲まれた水と掃除道具が握られている……そして、涼の手には一抱えもある手向けの花が。
「……済まなかったな」
不意の謝罪に顔を上げるが、司の眼差しは正面に据えられたままだ。
「……何がよ」
せいぜいの不満を示して、けれど夏菜の耳に入る事がないように気遣った涼の声の低さに司は笑って、けれど返した問いへの答えではない言を吐く。
「安心させてやってくれ」
それは夏菜か、鬼籍に在る両親に対してか……対象を明確にしない司に、涼は深く息を吐き出した。
「……いい? 私にとってキミは敵なの。忘れないでね」
飽きる程に繰り返された宣言を、司は竦めた肩で受け止める。
「それに、ちゃんと申し込んで貰ってもないのに自惚れるほど、上等な女じゃないのよ私は」
そう言って、涼は一歩を大きく踏み出した。
 歩幅を変えない司を容易に追い抜いて、石和の墓所の前で足を止めた夏菜に向かう、背を。
 見詰めて司は、この好機を渡りに船とばかりに過ぎた強引さへの内省を、顔には出さぬまま、一つ頷いて見せた。
「了解した」


 血の繋がらない妹と兄と。それに姉が加わるのはもう少し先の話になりそうである。