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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


□■□■ マイスタージンガーの楽譜<前編> ■□■□


 蓮の手には、一冊の本があった。
 版型はA4、分厚い皮の表紙と、もっと分厚い本文。前方のページは茶色く日に焼け色褪せていたが、後方のページはまだ白く、真新しい様子だった。本と言うのは製造されたら一蓮托生に全てのページが運命を共にするのが常であるのだから、この様子は、ひどくおかしい。

 蓮がページを捲ると、ふわりと淡い光が生まれた。
 本の表紙に付けられている小さな水晶が発光している。
 そして新しいページが生まれ、新しい音が生まれる。
 本の中には、夥しい数の楽譜が記されていた。

「ん? これかい?」

 蓮は顔を上げて微笑む。いつものようにシニカルなそれが、客に向けられた。

「ニュルンベルクって町を知ってるかい? 何処の国だかは忘れちまったけれどね――その町では、何か一芸に秀でたものをマイスターって呼ぶんだよ。まあ、英語で言う所のマスターってやつかな。大工でもなんでもね。そのマイスターの試験ってのは、即興で歌を作ることなんだ――なんとも、面白いだろう?」

 水晶が光る。
 ページが、増える。

「即興だから、記録も出来ずにすぐ消えちまう。この本は、そういう歌が惜しいってんで生み出されたのさ。読んでみるかい? 今昔色んな歌の楽譜が載せられてる――だけど、こういうのは、あまり良くない」

 ぱたん、と蓮は本を閉じた。

「消えるからこそ、即興だからこそ、記憶されないからこそ、その歌には価値があると思わないかい? そんな尊いものを作れるからこその、マイスターだと思わないかい? だけどこの本と来たら、音を逃がしたくないと来てる。我侭でちょっと困ってるんだ。良けりゃ、この歌を解放しちゃくれないかい?」

■□■□■

「ドイツの親方制度ね、聞いたことがあるわ――どんな親方でも、必ずそこで即興の曲を作らなくてはならないの。翻訳の仕事をしている時にたまたまそんな表記があったから憶えていたのだけれど、面白いわよね、全然関係の無いことをさせるのって」

 シュライン・エマの言葉に、東條薫はふんと小さく鼻を鳴らす。レンの一室、埃を被ったアンティークドール達が見守る倉庫代わりの薄暗い部屋の中――小さなテーブルに置かれた分厚い本を見下ろして、彼らはいた。

「別に……良いと、思うんだけどなー……俺としては。綺麗なものを残したいって、そう思うなら、それは確かにそう……このお店だってそんな感じだと思うし」
「でも、それは消えるために生み出されるもの、ですよ。消えてしまうから尊くて、消えてしまうからこそ、素敵なものなんです。思いや夢、色々な思いを歌った、その時だけの――きらきらする、結晶みたいなもので」
「んー……でも、誰かが迷惑してる――訳じゃ、無いんだよ……なー」

 そうですけど、と小さく食い下がる初瀬日和は、笹倉小暮の眠そうな顔を見上げる。そこに何か複雑そうな思いが見て取れるが、小暮はただ首を傾げただけだった。ふぁ、と小さく欠伸が逃がされる――うーん、とシュラインが軽く息を吐く音が響いた。

 確かに小暮の言う通り、この本自体に害は無い。即興の歌が消えるのを惜しんでただそれを書き綴り、繋ぎとめているだけなのだ。歌ったマイスター達はこの本の存在など知らないだろうし、彼らにとっては、歌は消えている。だが現実には世界の片隅、この本の中にそれが残されて、こうして人の眼に触れ、記憶として残り続けているのだ。だからどうと言うわけではないが――やはり蓮の言葉通り、それは摂理に反する。消えるべきものを残すのは、上手く言い表せないようなしこりを心の中に産み出す。

「気に入らない本だな」

 低く呟いて、黙っていた薫が本を掴んだ。表紙に嵌められた水晶が淡く光り、またページが追加される。どこかで生まれた歌がまたこの中に記録されたのだろう、消えずに、届くことも無く――生温く。

「俺は役者だが、舞台は期間内に何度もやる。一ヶ月なら一ヶ月、一日に二度も三度も。合計すればリハーサルや練習なんかで何百回もこなしていることになるが、その一回一回がまったくの別物だと思っているな。同じ台本で同じ演出で、場所もセットも何もかも同じでも、全てが別物だ。その場限りの一本勝負、だからこそ、真剣だ」
「東條さん……」
「ビデオなんかに残されるのが嫌だって役者もいる。そういうものは、記憶に残るべきものだってな――思いってのは記録すべきものじゃない、かもしれない」

 ぱらぱらと本を捲れば、そこには短い即興の楽譜がいくつも収められている。音階は出鱈目で、単音のメロディーラインだけの拙いそれ。素人作りで歌詞もどことなく滑稽な空気を出している、様々な思い。この歌を聞いた人間たちは、或いは笑い、或いは泣いたのだろう。そして、彼らをたたえた。偉大なるマイスター、歌に想いを乗せる職人よ。この想いを練り上げた親方よ。
 同じではない、同じものは作れない、その場限りだからこそ生まれる想いが在る。それが何よりの価値だというのに、それを奪われてしまえば――過去から現在に至るまで、彼らの作り上げた全ての価値が、この本という中間地点で足止めされているように感じられなくも無い。美しいものを、だから取って置きたい。その思いが根本にあるのだとしたら、製作者には悪気は無いだろうし――勿論本とて、そうだろう。
 だからこその面倒か、と彼は小さく溜息を吐いた。

「そうね――なんて言うか。その一瞬一回きりだから、全ての思いを飲み込もうと思えるのかもしれないし。何度も聞けたんじゃ、気迫が薄れてしまうって言うか」
「でもー……その、マイスターって人たちの想いが、こうして残せているんなら……それはそれで、すごいものなんじゃないかと想う――けど、なぁ」

 んー、と小暮は煮え切らなそうにゆったりと首を傾げる。
 言葉は大切だ、どんな言葉も、色々な意味や効能を持っている。何気なく吐いた言葉が相手を傷付けてしまったり、または救うことが出来たり。それらは自分にとっては何の意味も無い言葉でありながら、相手にとってはそうでないもの。自分としては何気なく綴っただけでも、他人にとっては尊いもの。それは、この本も同じだ。
 例えばレンに寄る前、彼は級友と一緒に帰り道を歩いていた。相手は色々と話し掛けていた、どれも他愛の無い話題だったような気がする。国語の小テストを忘れていたとか、体育の時にこけた脚が痛いだとか、今日のドラマがバイトで見れないだとか。聞いているのか、と訊ねられて、寝惚け眼で返したら、強かに頭を殴られた。お前と話してるのは大仏に悩み相談するようなもんだ。
 全然聞いていなかったわけではない、ちゃんと憶えていることもあるのだし。ただ、相槌や意見を言うのが面倒だった。眠かった、とも言う。会話を怠けていた所為で彼はさっさと歩いていってしまい、寝惚けて歩いていた彼は、こうしてレンら辿り着いて――――。

「想い、とかって――形には、出来ないもの……だからー。こうやって残せているなら、それはそれで、ただ――すごいと、想う。んだ、よー。大切なものを残したいって気持ちは、悪くない……」
「でも、違うんです」
「日和ちゃん?」
「違う、んです」

 じっと何かを堪えるように、日和が視線を上げる。それは薫の手に持たれた本に向いていた――シュラインは日和の次の言葉を待つ。
 彼女の感覚としては、小暮の言うことももっともだと思う。大切なものは残したい――大切な言葉なら、残して置きたい。思い出とは色々なものと繋がっている、音に然り味に然りニオイに然り。だからこうやって音を記録することで、その時の感情を憶えておきたい、繋ぎとめておきたいという気持ちは共感できる。綺麗なものは、残して置きたい。
 だが、シャボン玉は残すことが出来ないし、昨日咲いた薔薇を一年間ずっと咲かせ続けることも出来ない。消えるからこそ機能する美しさというのもこの世の中にはあるのだろうと思う――そして、ここに記された歌たちの持つ美しさは、後者なのだろうとも。だが、残しておいて目立つ害が無いという点も、後者である。

 だが日和は違うという。何が、違うのか。彼女は困ったように眉を寄せ、そっと薫に向かって手を差し出した。彼はぽん、とその手に重い本を乗せる。水晶が嵌められた分厚い革表紙の本――日和はそれを眺め、少しだけ悲しそうに眉を寄せる。

「聞いたことがあるんです、この本のこと」
「……聞いたことが、あるー……って?」
「小さい頃、私に外国の歌を沢山教えて下さったお婆様が、仰っていて。お婆様のお父様と言う方が、奥様の作られる即興の歌を一つでも多く残して置きたいと思って作られたのだそうです。料理や買い物の最中になんとなく歌うようなちょっとした歌から、それこそマイスターの試験会場で歌うようなものまで」
「つまり……かなり個人的なものだった、ってことか。消えてしまうもの全てなんて大それた理由じゃなく」
「そう、です。だけど、蓮さんが言ってらしたように、小さくても矛盾は矛盾でした。やがて本の力が強くなって、様々な人々の歌や感情を飲み込んでしまうようになってしまったとか。作られた方は勿論それを嘆いていたのですけれど、どうしようも出来なくて――」
「つまり――歌に込められた気持ちが全部、そこに閉じ込められちゃった……感じー?」
「そう、です」

 日和は、ぎゅっと重い本を抱き締める。
 悲しそうな眼、皺くちゃの顔の老婆。色々な歌を教えてくれた彼女は、歌にまつわる色々な話を教えてくれた。ブレーメンの音楽隊も、ハーメルンの笛吹きも、本で読むより先に彼女が教えてくれた。そして、誰も知らない御伽噺として聞かせてくれた、自分の両親の話。
 まさか日本のこんな場所でその御伽噺に出会うとは思わなかった。だが、あの話が本当だとしたら、この本の中にあるのは音や歌詞、楽譜だけではない。その時伝えるはずだった全ての感情が閉じ込められていることに、なってしまう。それはさながら監獄のように、とても、狭苦しい場所に――ふんわりと優しい光を発しながら、本はまたページを増やす。どこかで誰かに感情が伝わらなかった証だった。

「……その話、もう少し詳しく聞かせてもらえるか」
「え?」
「即興ってのならこっちも扱う商売だからな、アドリブや劇なんかで。まずは演じる人間の性質を知らなければならない――婆さんの父親ってのがどんな人間だったか、その妻はどうだったのか。あんたが知ってる限り、憶えてる限り、イメージとして、手段は問わない。とにかく、教えてみろ」
「東條さん……? どうするつもり?」
「その、『造った奴』になってみようってんだよ。そうすれば色々と分かることも在るだろうからな――掛けられた魔法を解くことまでは、トレース出来るか判らんが」

 言って彼は上着を脱ぐ。ほんの少しの精神集中の為に眼を閉じ、再度、日和に同じ事を問うた。彼女は少し戸惑いながら話の詳しい内容を話し始める――シュラインは、仕事柄持ち歩いているペンと雑記帳をポケットから取り出した。埃を被った、商品なのか実用品なのか判らない机に向かう。小暮は首を傾げ、そんな彼女を背中から覗き込んだ。気付いたシュラインは苦笑をしてみせる、ペン先から生まれるのは――

「……ミミズの行進」
「ドイツ語よ。楽譜の中を見てみたんだけれど、どれもドイツ語の歌詞しか記されていないの。特定の言語だけに反応するのかもしれないから、東條さんの台本を作っているのよ……一応振り仮名と発音記号もつけておいた方が良いのかしら」
「ふーん……みんな、色々特技があるんだね……俺はドイツ語なんてバームクーヘンしか知らない……」
「…………。大概の人はそれか、フランクフルトって言うわね。メルヘンだってドイツ語よ? 正確な発音だと、メルヒェンって感じになるんだったかしら――向こうにはね、シュヴァルツヴァルトって言う大きな森があるの。日本語に訳すと『黒い森』ってそのままのネーミングなのだけれどね……ヘンゼルとグレーテルが捨てられたのも、そこなのよ」
「あー……あれって、ドイツの話だったんだ……」
「そうよ。童話に森が出てくるのは、その『黒い森』の影響が強いって言う話があるわね……眠れる森の美女とか、白雪姫とか。つぐみ髭の王様、なんてのもその種類かしら?」
「あー……暗い森の中には誰が居るのか判らなくて、だから、色んな魔女や小人が連想されるー……?」
「そうそう」

 会話を続けながら、シュラインはさらさらと簡単な台本を書き進めていく。幽霊作家をしていて語学が堪能である彼女だからこそ出来ることである。薫は日和から作り主の人物的な特徴を聞きながらイメージを固めているようだった。小暮は、なんとなく手持ち無沙汰に――本を眺める。

 そこに書かれているのは読めない言葉ばかりだった。活版印刷以前に作られたのか、楽譜も歌詞も手書きのような筆記体で記されてある。古いページも新しいページも、同じ筆跡でそれが続いていた。
 誰の字なのかは判らない。造り主である男の字なのかもしれないし、この本が自分で書いているのかもしれない。少なくとも造った本人の意思を離れて、この本は、自分の為に歌を集めているような気がする――思いを、集めているような気がする。閉じ込めて、いるような気がする。話を聞いた限りではそんな印象が何となく生まれていた。
 歌も自由に飛び回りたいだろうな、と、彼は本の表紙にある水晶を撫でた。冷たい。むず、と鼻が少しくすぐったくなる。

「とりあえず、魔法を解くのは専門じゃないから――何か方向を曲げる形にするのがベスト、かしらね?」
「そうだな。どんな内容になった?」
「んー、語り掛け……と言う感じかしら。歌じゃなくて違うものを溜め込んでいけば良いんじゃないのかな、と思って。何年何月何日何曜日何時何分に何処の誰が歌ったか、また聞いた人のうちのちにマイスターになった人名も繋ぎ書いていく……ってね。記録を見れば一度耳にした人はきっと鮮明に脳裏に曲が浮かぶはず、正確ではないかもだけど、その時の感動は変わらないと思うの」
「成る程な。じゃあ、ちょっと借りるぞ」

 薫はシュラインから手帳を預かり、壁の方を向いてブツブツと台詞の暗唱を始める。説明を一通り終えてほぅっと息を吐いていた日和は、鼻を押さえて何とも妙な顔をしている小暮に気付き、首を傾げた。本を手にしているようだが、読んでいる気配はなく、ただ、何かを堪えているような――

「小暮さん? あの、どうなさったんですか?」
「ぃ……ッくち!!」
「だ、だいじょ」
「くちっ、えくしッ、ふわ……くしゅッ! い、っくしゃんッ!!」
「あ、あわ、と、とりあえずティッシュを!」
「こ、小暮くん?」

 突然にくしゃみをし出した彼に、全員の視線が集まる。風邪は引いていない、はずだった。なのにどうして――ぞわぞわと悪寒が走る、くしゃみが止まらない。いつもの嫌な予感がする。嫌な、予感が。

「おい、どうした?」
「や、ばそぅ……」
「やばそうって、何が――」

 ぐら。
 ぐらぐらぐら。
 ぐらぐらぐらぐらぐら。

 不意に目の前が揺らぐ錯覚。全ての焦点が合わないイメージ。何かがずれて行く感覚。現実を掴んでいた指が抉じ開けられる触覚。襲い掛かる眩暈に、机やテーブルを掴もうとして、それが何処にも無いことに気付く。遠ざかる感覚に気付く。ぐらぐら、身体が揺れるわけではなく感覚が揺れて――脳自体が揺らされてでも居るような――

 本の水晶が光る、そして、彼らの姿が消えた。

 またやったねー、とアンティークドール達が話す。
 本当にねー、と日本人形が返した。
 どこにいったのかなー、と達磨が問う。
 あ、なんか遠そう、とキューピーが答えた。

■□■□■

「なんか、私前も同じ事にあの部屋で遭遇したような……」
「俺もそんな感じ、主に前回……」
「……何故かしら、私もそう思うわ……」
「どうでも良いが――ここは、何処なんだ」

 頭を抱えて起き上がる三人を見ながら、一足早く立ち上がって辺りを見回していた薫は我が目を疑っていた。
 空は青く、風は透明。遠くに見える森は黒いけれど、それはただ深すぎてのこと。近くに寄れば新緑が広がっているだろう。自然はまったく、妙な所など無い、が――周りの人工物は明らかなまでにおかしかった。否、おかしいというのも正しくはない。なんと言うか、自分達が良く知る情景と違い過ぎて――。

 石造りの街。
 レンガの敷かれた道。
 その真ん中に、彼らが倒れていた。
 人々は――彼らを取り囲んで、覗き込んでいた。

 辺りを観察して、シュラインは唖然とする。本で見たことのある風景と情景、そして、人々の衣服は妙に時代がかっていた。日和や小暮も、そのどこか古めかしい雰囲気に気付いたらしい。レンの古道具によって、その結界のうちに取り込まれる事はよくあったのだが、それにしたってこれは珍しい部類だろう――

「……ニュルンベルグ?」
「え!?」
「しかも十九世紀っぽい」
「そんな!!」



<<to be continued?>>

■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

3524 / 初瀬日和     /  十六歳 / 女性 / 高校生
0990 / 笹倉小暮     /  十七歳 / 男性 / 高校生
0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
4686 / 東條薫      / 二十一歳 / 男性 / 劇団員

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 初めまして、またはこんにちは、ライターの哉色と申しますっ。この度はご依頼頂きありがとうございました、いつもより大分ペースが落ちてしまいましたが、納品させて頂きます……も、申し訳ございませんでした; 今回は前後編なので、皆さん一緒と相成りましたっ。
 少々隊長…違う、体調を崩しているので、後編の提示は少し遅くなるかもしれませんが、お付き合い頂ければと思います。それでは失礼致しますっ。

 ちなみにPCゲーノベは一段落着きましたら二順目をまた募集する予定ですので、宜しければご参加下さいませっ(笑)