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<東京怪談・PCゲームノベル>


□■□■ 愛すべき殺人鬼の右手<2> ■□■□


「はん。零まで連れて行かれたとなると、中々に敵は侮れないねぇ――」

 碧摩蓮は他人事のように、集めたカードを眺めながら呟く。のらりくらりとした彼女の様子に小さく舌打ちをしながら、草間は煙草のフィルターを噛んだ。キセルを取った蓮が、ニヤリとした笑みを彼に向ける。

「情けないじゃないか怪奇探偵の色男。残念ながらあたしだって、そういう『呪うためだけに作られた』アイテムなんて、悪趣味すぎて持ち合わせは無いよ」
「何か情報ぐらいあるだろう。お前はそういう『道具』の事なら、よく知っているはずだからな」
「ふん。まあ、間違っちゃいない。でもあたしにゃ言うことなんてないね」
「おい――」

 ひゅ、と、草間の言葉を遮るように蓮がカードを投げ渡す。彼はそれを受け取り、表を見た。複雑な文様と、見ようによっては人の顔とも取れるような、フラクタルの――頭が痛くなる。

「囚人の手、ってことは、その主がいるはずだろう? 最近墓を暴かれた男の魂を封じたカードさ」
「……誰、だ?」

 ふふ。
 蓮は笑う。

「エドガー・ゲイン」

■神山/セレスティ/七枷■

「どうでした? セレスティさん」

 興信所の応接セット、自分で入れたコーヒーに口を付けながら寛いでいた神山隼人は、携帯電話を片手にゆったりと脚を進めてくるセレスティ・カーニンガムに声を掛けた。その表情にはどことなく浮かない気配が見える。隼人と同じようにソファに腰掛けていた七枷誠は、指先で遺留品の外套を遊ばせていた。裏地に描かれた魔法陣が廃ビルや呪符に見られたものと同一であることを確認し、メモ帳にそれを写す。その動作を空気で感じながら、セレスティは苦笑混じりの溜息を吐いて見せた。

「中々に難しいようですね――どうやら偽名で購入されたもののようです。発注が特殊だったのでお店の方が覚えていて下さったのですが。今は私の手の者が、似顔絵を元に探索中です」
「それは、例のビルのオーナーとは別人の可能性があるということですか?」
「そうですね。集まっているメンバーの一人といったところでしょうか」
「発注が特殊と言うと、どういう意味なんです? 見たところ魔法陣以外には妙な所は無いように思いますけれど」

 誠は訊ねながら顔を上げる。セレスティは彼の手から外套を取り、そっと表面を撫でる。

「見ての通りこれは革製のコートなのですが、使用されているのは山羊革です。その材料に付いての注文があったようで」
「山羊、ですか?」
「ええ。何でも、処女の雌山羊の皮と限定したそうで――妙な客だと、覚えられていたようです」
「処女の雌山羊ですか、それはまた微妙な拘りをお持ちのようですね」

 隼人が苦笑する。山羊というのはキリスト教にとって、神の祝福を外れた動物だ。必然反キリスト教である黒ミサとは縁が深い。悪魔の頭領とされるバフォメットも、その姿が山羊の頭の男であるとされているのは、そういう所以であった。名前は異教の預言者を貶めたものであると言うのだから、何かを蹴落とさなくては布教が出来ないという姿が後ろに透けて見える。戦う宗教らしさだ。
 処女の動物を革製品に選ぶ事はたまにある。三味線などは処女の雌猫の皮を使うが、それは雌の方が毛並みが良く、交尾による傷も付いていないから、という現実的に商品としての観点からの拘りだ。だが草食動物ならばそれは関係はない、ただ、呪術的な意味合いがある。穢れていない、穢れた動物。儀式に絶好の清浄だ。

 セレスティの手から外套を再び渡された誠は、模写の続きを始める。癖のある筆記体は酷く読みづらいが、呪符そのものを持ち歩くのにも抵抗はあった。見張られている可能性が無いでもない、用心に越した事は無いのだから。
 呪術云々には興味も知識も薄い。ただ、現状では一刻も早く三下と零――と言うか、零を助け出すことが先決だろう。儀式で犠牲になるのは大概若い女性という先入観も手伝ってか、どうもあのデフォルト泣き顔男に危険が迫っているという実感は湧かない。ぱたん、と手帳を閉じ、彼は外套を広げてみた。

「身長は多分セレスティさんぐらいだな……体格もそれほどのもんじゃない。なながやられたのも電撃の所為だしな、物理的な力はなさそうだが」
「精神的な力はありそう、ですね」

 こつん、とセレスティが杖を鳴らしたところで、事務所の片隅にあったファックスが音を立てた。資料の伝達が速く出来るようにとセレスティが持参したものである。なんてったって興信所はまだ黒電話――吐き出された資料を受けるために隼人が立ち上がり、用紙を眺める。細かい文字がびっしりと、三枚に渡って綴られていた。

「多分、手の者からの調査報告ですね。申し訳ございませんが、読み上げて頂くことは出来ますか、神山さん」
「ええ、構いませんよ。拾い読みになりますが――調査報告1、外套購入者。都内に住む無職男性。支払いは別人物の口座からの引き落としになっている。関係は不明、血縁者ではない模様。口座持ち主に関しては目下調査中。報告2、ビル所有者。先日のリストにあった宗教団体との関係性は見られず。ただし、個人的に何かを崇拝している節はあり。海外のマジックショップから様々な物品を購入している。また、主催する秘密クラブがあるようだが、詳細は不明。報告3、エドガー・ゲインの墓」

 セレスティが小さく顔を上げる。

「一ヶ月から一週間程度の間に、掘り起こされた形跡あり。夜に遺体の確認を秘密裏に行う予定。現在、近辺に訪れた可能性のある日本人観光客を調査中――との、ことです」
「そうですか……纏めることは、容易いようですね」
「外套を購入した男が、秘密クラブという名目で集まった悪魔崇拝団体の悪魔役。多分魔術師。支払いをしたのはビルのオーナーで、実質のパトロンはそいつか」
「そしてメンバーの数名が渡航して、墓荒しを行った。ゲインの事件は確かにある種悪魔的でしたからね、人間の尊厳を踏みにじるという行為は、常人には中々難しいものです。人の皮を剥ぎ、骨を削り、日用品に加工する。動物を扱うようには、出来ない」
「つまり、それほど凶悪な魂が欲しかったと言う所ですか。メンバーの数などは、まだ結果が出ていませんか?」
「……ざっと読む限りは、まだのようですね。さて、どうしましょうか?」

 隼人がおどけて肩を竦めると、誠が外套をソファに広げた。そして不意にシャツの胸ポケットから取り出したカッターナイフで、自分の指を切りつける。深かったのかとろとろと、量を持って溢れてくるそれを、ぐッと革の布地に押し付け――そして、止まる。

「帰巣本能が強いもので犬以外、何か思い当たるものってありますか?」
「帰巣本能ですか? 回遊魚のそれは少し違いますが、そうですね、鳥などは巣箱を設置すると戻って行きますが」
「ああ、じゃあそれが丁度良いな」

 セレスティの答えに誠の指が動く。ワードマスターである彼が使役するのはもっぱら『音』、言霊だが、血に宿る呪力を書き写すことで、無機物への意味付けも可能になるのだ。すすす、と血を途切れさせないように幾度か線を引く動作をすると、そこには血文字で『鳥』という言葉が生まれた。
 新たな意味を与えられた黒い外套はビクリと、胎動のように震える。指先を軽く舐めて消毒をした誠は、窓に寄って硝子の扉を開く。暗い夜がぼんやりと広がる、東京が映っていた。
 外套の鳥は吸い寄せられるように向かっていく。誠はふと一瞬宙を見て、考えるような素振りを見せた。

「天の衣は空を駆る、ほつれを知らぬ天衣は翼を内包する、地の衣の浮遊を最大限に伸ばせ――この背に翼を、『命じる』」
「誠君? どこへ行くのです」
「カードで辿れるのは、海外に向かったグループだろうからな。ななを襲った連中を追うならこっちの方が確実だ、外套に主を追わせる。無理な戦闘はしない」

 窓を抜けて外套が飛び出していく、それを追って誠が続く。言霊を与えられたシャツがふわりと彼の身体を持ち上げて行った。セレスティと隼人はそれを眺め、苦笑を見合わせる。傀儡を使い、違法レベルの出力を持つスタンガンを持つ。そんな相手と接触して無理でない戦闘を行えるほどに器用な人間は、そうそう居ないだろう。
 隼人はトンッと窓枠に脚を掛け、その場からセレスティを振り返る。

「私も彼と一緒に行きます。辿り着いた場所が、もしも私の使い魔の居る場所と同じようならご連絡しますよ。三下君に『眼』を付けていたので、大雑把な場所も判っていますしね」
「そうですか、ではお気を付けて」
「ええ、ごきげんよう」

 隼人が飛び立ち遠ざかっていく気配を感じてから、セレスティは内ポケットに入れていたカードを取り出す。草間が碧摩蓮から預かってきたという、魂の封じ込められたカードの一枚だ。配られたそれから発せられる気配を辿って、他の調査員達は歩き回っている。
 ぼんやりとした光だけを感じる眼を完全に閉じて、彼はカードの表面に触れた。カサカサとした油絵の具のような手触りと、濃厚な魂の気配が感じられる。そこに記されているのが情報ならば、流れとして読み取ることが出来るだろう。手を持っているのは確かに海外に向かったグループもしれないが、どちらにしろ、目的地には繋がる。

 残光か、瞼の裏に広がるのは極彩色。閉じた眼を指で押した時に見えるような、記憶の出来ない不可思議な光景。魂の情報が込められる風景。伸びてくるのは手、皺くちゃで爪が不健康そうに歪んだ黄色い手――伸びて、伸びて伸びて伸びて。

「ッ」

 セレスティは眼を開ける。

「――――忌まわしい、魂ですね……」

■ゼハール■

 そして、彼は、目覚めた。

「――成功、か? 高位の悪魔か――名前は、何と?」

 薄ボンヤリとした視界を、軽く眼を擦ることで明瞭なものにする。寝起きに質問攻めとは良い度胸だとぼんやり感じるが、今回の召喚師は目の前の男らしいのだから、我慢することにしよう。居住まいを正し腕に持った大鎌の刃を下に向け、彼は深々と一礼した。首輪から垂れた鎖が重い音を立てながら、シフォンのスカートに皺を寄せる。そろそろ血や毒の染みが増えてきたエプロンドレスを一瞬眺めてから、彼は男に向き直った。

「ゼハール、と申します。正確には悪魔ではなく堕天使に属する、矛盾と性欲を司るもの――魔を召喚されたと言う事は何か困り事でもございますこととお見受けいたしますが、望みはなんでございましょう、ご主人様」

 ボーイソプラノに近いがそれではない、男女の中間を行くような声音で彼が語り掛ければ、男はうむと頷いた。シャツの上からベストを着ている、身なりは良いが表情には野卑た印象の強い男。痩せこけた頬と目立つ無精髭、総合、美的評価は低い。好みじゃない、などと適当なことを考えながら、彼は男の答えを待つ。

「今は時間が無かったので簡単な儀式しか出来なかったが、これから大掛かりな召喚を行おうと思っている。生贄や魔具はそろったのだが、どうも邪魔者がいるようでな――そこに転がっている、眼鏡の男が居るだろう」

 術に使ったのだろう白木の杖で指された方向を見れば、そこには髪の長い少女が倒れていた。少女の眼は開いているが、虚ろで何も映されていない。何よりも、その額に魔力封じの札が貼られてあった。劇的に効いているという事は、リビングデッドなのだろうか。精巧な細工で一見そうとは判らないが。そして少女の影には、いかにもうだつの上がらないサラリーマンという様相の男が伸びている。ただのメガネ君とも取れるが、中々に顔の造形は良さそうだった。少々、美味そう。

「その男を追い駆けて、妙な連中が邪魔をしに来るだろう。それを徹底的に排除してもらいたい」
「殺傷も厭わないと?」
「推奨しよう」
「ならば」

 再度、彼は深く頭を垂れる。

「かしこまりました、ご主人様」

 僅かに口唇を舐め、彼はニヤリとした笑みを浮かべた。

■セヴン/鴉女■

「しかし、随分な装備だね、セヴン」

 半ば呆れた様子の鴉女麒麟の言葉に、ナパームグレネードの調整をしていたマシンドール・セヴンは常よりも少しだけきつい視線を上げる。

「これでもまだ足りないほどです鴉女様。相手の人数が未確認である以上、そして零様と三下様が人質に取られている以上、全力で行く覚悟をしなければなりません。少なくとも一個師団に挑むつもりでなければ、万全とは申せません」
「人間の一個師団にもオーバーだと思うよ」
「マシンドールの一個師団です」

 考えたくない風景だった。
 草間は咥えていた煙草を携帯用灰皿に押し付け、ぽんぽんとそんなセヴンの頭を撫でる。高電圧のショックから抜けた途端に装備の全てを引き摺り出して来た時は流石に頭に血が――オイルかもしれない――昇っているのを自覚していたようだが、それでも現状レベルの重装にまで抑えるのに随分な説得時間を要したように思う。
 それだけ自分や妹が想われているのだと考えれば、喜ぶべきことなのかもしれない。だが片っ端から通行人をスキャンして睨みを効かせるのは目立った、装備と共に。

「今回は耐電装甲も用意していますし、興信所の外ならばいくらでも銃火器の使用が出来ます。遅れや引けなど取りません、ご安心下さいませ、武彦様」
「……それも良いがな、なな」
「武彦様は御自分の身さえ守って下されば――いえ、それも私がお守りします。とにかく離れずに、特攻せずに、冷静に」
「なーな」

 ぽん、と頭に手を乗せられ、セヴンは言葉を止める。ぽんぽんと何度か叩かれて、それから、撫でられた。掌の温かさは熱感知センサーだけでなく、どこか違う場所からも感じられるような気がする。胸の奥の、辺りから。
 少し武骨でささくれ立った、分厚い手。煙草のニオイが染み付いている草間の手が、子供をあやすように彼女の頭部に触れる。実際は子供扱いなどされる時期が無かっただけに、それは少しだけ新鮮な心地だった。
 少しだけ、落ち着かされる。

「零を助けるのも、俺を守るのも良いだろうがな。その前に自分の身を労わっとけ――まだ病み上がりだ、無理や無茶はするな。お前が傷付けば零が悲しむし、俺も悲しい。……正直、倒れてるのを見た時にはゾッとしたぞ」
「武彦様――」
「俺も落ち着くが、お前も冷静にな」
「……了解、致しました」

 心配を、されている。大切な人達は自分を労わってくれている。それは、きっと喜ぶべきこと。
 だからこそ次は失敗などしないし、油断などしない。もしも零が無事でなかったら、その時はいくら草間の命令でも、冷静でいることが出来る保障は無い。残酷も残虐も引き受けるだろう、どうでも、どうにでも。
 それが、思いの形だから。

「……うん、判ったよ。ありかとうね、セレスティさん。一応病院の手配はしておいてくれた方が良いと思うよ、セヴンが結構加減効かないような気配だから――どんな重傷でも、命は助かるようにさ。一応今回はカメラマンが行方不明って時点で刑事事件だしね、被疑者死亡は面倒だろうから。……うん、それじゃあ。さてと」

 我関せずと言った様子で適当にカードからの気配を辿っていた麒麟は、携帯電話の終話ボタンを押してからセヴンと武彦に向き直った。気付いてか、二人も彼女の方を向く。くすくすと心底から楽しそうな笑いを漏らし、麒麟は少し通りを行った場所に佇んでいる、古そうなビルを指差した。昼間に検分をしたビルとその雰囲気は酷似している、人の気配の無さで。

「例のビルのオーナーが持ってる物件で、廃施設になっておきながら、このところ妙な電力消費があるところ――だってさ。あのビルが三下達の所為で使えなくなって、こっちに引っ越してきたのかな? ふふふ、楽しみだね、まったく楽しみだよ」
「……楽しみではありません、鴉女様」
「僕は楽しみで堪らないね。昼間程度の敵など面白くない。もっと知能と悪逆を持った者でなければ、僕の前に立つには詰まらなさ過ぎる」
「…………」
「零や三下のことは気にしなくたって平気だよ。こんな詰まらないステージで死ぬことは無いだろうし、死んだとしたら、結局どこかで死ぬ予定だったってだけだ。『死は定められ、時間は不定である』ってね」

 くくくっと酷薄に笑う麒麟は、腕を後ろに組みながらスキップでもしそうな様子で歩みを進めていた。セヴンはもう一度装備の確認をし、その後ろへ続く。引き結ばれた口元からは緊張と、警戒が滲み出していた。草間は二人の後ろで溜息を吐きながら、蓮に預けられたカードを眺めている。

 悪趣味を連想される、魂の欠片が、引き合っている。
 行く先に、それはある。

「――どうやって僕に害をなす? 超弩級の兵器か? 爵位級の悪魔か? 鏖殺によって肉を殺し、殲滅によって心を滅してみろ。それでも僕には足りはしないぞ」

 囁いて彼女は扉を開けた。
 セヴンがガトリングフレアを構える。
 錆び付いたドアの向こうには、大鎌を携えたメイドが佇んでいた。

「ようこそ、そしてさようなら、お客様」

 ゼハールはニィっと、その女性の顔を歪めて見せた。

■神山/七枷■

「まあ、ぶっちゃけた話、三下さんは安全だと思うんだがな――生贄になりそうにないタイプだし、あの人は。むしろ心配なのは零と、先に攫われたカメラマンって人か」
「おやおや誠さん、三下君だって充分に危ないと思いますよ? かの有名な同性愛者の魔術師アレイスター・クロウリーは、生贄に適しているのは純粋で穢れを知らない少年だと鼻息荒く豪語しています。彼はあれで可愛い顔をしていますしね」
「……今、すっごく嫌な想像が過ぎった……」
「奇遇ですね、私もです」

 はっはっはっはっは。
 乾いた声と引き攣った笑いを漏らしながら、二人は夜空を飛んでいた。前には外套がばさばさと羽ばたいているのが見える、どこに向かっているのか。たまに背の高いビルや送電線を避けながら、夜の街の上を進む。
 東京では星などめったに見えない。いつも薄雲のようにスモッグが掛かり、月ほどの自己主張が無ければ光など薙ぎ払われてしまう。だから空を見上げる者もそれほどはいない、かもしれない。見下ろす街は色とりどりのネオンに包まれている、自分の目線の高さの世界だけを知っていれば充分に生きていける。かも、しれない。
 夜風は少し冷たく、肌を包む。誠は僅かに身震いをした。

 手持ち無沙汰になってシャツのポケットに突っ込んでいた手帳を取り出せば、そこには簡単な魔法陣が写されている。形だけを複写したものだし、文字も読めはしないのだから、効力は無いだろう。隣を飛んでいる隼人を見れば、彼も回収した呪符を眺めていた。ふっと視線が合い、苦笑を交わす。

「俺はあまり魔術に明るくないんだが、神山さんはここから何か読み取れるのか?」
「いえ、これはひどくベーシックなサークルですからね……術式も師事も判りませんよ。召喚と言うのは、実力のある魔術師に掛かればただ円を描くだけでも事足りるものです。力の無い者だからこそ、聖なる名前やホーリーシンボル、様々の魔具に頼らなくてはならない。となると、これは中々シンプルな方ですね」
「と言う事は、それなりの知識や魔力のある人物、ってところか。この文字みたいなのは何が書いてあるんだ、呪文か何か?」
「聖なる名前ですね。歴史に残っている聖人達、どれもキリスト教におけるそれです。と、どうやら見付けたようですね?」

 前方に視線を戻せば、外套が羽ばたきをゆったりしたものに変えていた。段々と滑空し、高度を下げていく。つまりは目的地が近いと言うことだろう――誠はそっと、ペンを取る。咄嗟の応戦を言霊で出来るようにと。隼人はほんの少しだけ眼を細め、意識を集中させる。使い魔の気配は、近いようだった。
 前方のビル、ガラスが割れてぽっかりと開いた窓の中に外套が入っていく。室内に誰も居ないことを確認してから、二人もそれに続いた。

「――――――――」

 部屋はそれほど広くは無い、高校の教室程度のものだった。だが何も調度品が無い所為か、妙に閑散とした印象が強い。暗がりの中、ドアに向かってばさばさと体当たりを続ける外套に触れ、誠はそこから意味を取り去る。ただの外套に戻ったそれは、音を立てて落ちた。
 閉鎖された暗闇に眼が慣れると、まずは床に描かれた巨大な魔法陣が眼に映る。札に描かれていたものや昼間にビルで見たものとは異なり、複雑な文様が幾つも連ねられていた。何か、高位の霊体を召喚でもしたのか――トラップの類でないことを確認してから、隼人はそっと脚を下ろす。誠もそれに倣い、とんっと靴を鳴らした。

「……読み解けますか?」
「少し時間は掛かりますがね。何か、召喚された後のようです。サークルは穢れているようですし」
「そう――」

 びく、ッと誠の肩が震えるのに、隼人もまた視線を追った。明かりの無い暗い部屋、一番に影の濃い部屋の片隅。そこには黒い布が掛けられた『何か』が置かれていた。頂点のように三つ、何か丸い形が浮かんで見える。それは、まるで、人の頭部。
 三人。行方不明のカメラマンと、零と、三下と、数は合っている。誠はゆっくりとそれに近付く――隼人は、すんっと空気のニオイに気付く。サークルの真ん中辺りには染みが付いていた、黒ずんだそれは見覚えのある有機の色をしている。生臭いようなニオイが、冷たい夜気に混じっていた。誠が指先を布に掛ける、ハッと、隼人は手を伸ばした。

「誠さん、見ては――」
「ッ、!!」

 出てきたのは、血塗れの男だった。

 頭部からの出血が顔の全体を染め、脱色された髪も赤黒くなっている。額には十字の傷が口を開き、白い頭蓋骨が僅かに覗いていた。死臭に誘われてか黒く小さな蝿がびっしりと眼球を多い、口からも何匹かが出てきている。眼はカッと見開かれ、だが、生命は無い。全ての力を持って伸ばしたような顔。顎は開き、眼は零れそうなほどに。皮膚は裂かれた場所から入り込んだ虫が食い荒らしてか、ボロボロの状態だった。
 見れば服は裂かれ、腹がやはり十字に裂かれている。飛び出した内臓にも虫が張り付いていた。誠は思わずその身体にもう一度布を被せ、そして、気付く。足元から見覚えのあるウサギの顔がはみ出していた。ツギハギだらけの、汚れた、ウサギ――零がいつも持ち歩いている。
 布の反対側を捲る、そこには、零と三下がいた。

「零さん、三下君!」
「おい、生きてるか? おい、三下さん! 零!!」

 隼人は二人を布の中から引き出し、硬い床の上に寝かせた。三下はどうやらただ気絶しているだけのようだが、零は額に札を貼られている。薄っすらと開いた眼が虚空を見ていた。ただ剥がすだけでは零の魂を痛めることになるだろう、口の中で小さく呪文を呟き、彼は札に触れる。ぱらりと羊皮紙のそれは落ちた。

「、――ぁ」
「零さん? 判りますか、零さん?」
「かみやま、さん……まこと、さん? ッななさん、三下さんッ!!」
「は、はひッ編集長!!」
「何でそこで起きるんだあんたは」

 零と一緒に飛び起きた三下に、誠と隼人は顔を見合わせて息を吐いた。もう一人は明らかに死後時間が経っている様子だったが、二人はどうやら無事らしい。隼人はそれとなく二人の様子を伺うが、別段目立った術痕は無いようだった。ともかく無事と言うことらしい、ほぅっと、溜息を漏らす。

「……三下さん、何かされた覚えはありませんか?」
「い、いいえ、僕は興信所で殴られてからずっと……は、そうです、ここはッ!?」
「例の団体の隠れ家、と言うか、根城の一つと言ったところだろうな。残された外套を追って来たところだ、ともかく無事なら良かった」
「じゃ、じゃあ、ここに彼――あの、カメラマンの人も?」
「…………」

 誠はちらりと隼人を見る、彼は、小さく頷いた。三下はその様子に首を傾げる。
 頭数は既に揃っていて、一人、死んでいた。多分先ほどの死体がそのカメラマンだと言うことなのだろう、それを伝えるのも見せるのも、気が引ける。

「それよりも、まずはこのサークルを解体しなくてはいけませんね。お三方、少し下がっていて頂けますか?」

 隼人は話を逸らすようにそう言って立ち上がる。誠は零と三下の手を引き、なるべく例の黒布から遠い方の壁へと下がった。寝起きだった二人もようやく床一杯に描かれたサークルに気付き、眼を見開く。チョークで白く描かれた、様々なホーリーシンボルと沢山の名前。その真ん中には祭壇の跡と思しき、赤黒い染みが広がっている。

「臆病……強欲、違うか。嫉妬。矛盾……それほど凝った儀式ではない、な。急いでいたのか、だが何かが召喚されたのは確かと見て良い――」

 ブツブツと呟きながら、彼はとんッとサークルの真ん中に手を付く。コンクリートの冷えた感触と同時に、刻み付けられた情報が流れ込んで来るのを感じた。スゥと眼を眇め、低く呟くのは異国の旋律――外法の呪文。

「何が召喚されたのかは知らんが、どうも……この騒ぎはその所為と見て、良いのか?」
「騒ぎ、ですか?」
「そ、そういえば、何かやけに揺れますね、このビル……さっきから何か破壊音も近付いて来るような気配もありましゅし」
「ち……まったく」

 誠はメモ帳のページを破き、ひらひらと辺りに散らす。

「樹木として風を阻んだ栄えの木霊が宿るのならば、ここに来る害の全てを阻むも道理。樹の心を忘れぬのならば、ここでその巨木の魂を解放しろ――『命じる』、ここに森を」

 ドアが蹴破られ、閃光が走る。ゴォンという爆音が響き、ガトリングフレアが断続的に火を噴く――が、誠の言霊によって木まで戻されたメモ用紙が連なり、それを阻んだ。一瞬相手が怯むのに、零が突撃する。

「ななさん!!」
「れ、零様! ご無事で!!」
「はい、良かった、ななさんッ……」

 セヴンは零を抱き締め、満面の笑みを浮かべた。

「……いやあ、サークル粉砕してしまいましたね」
「良いのか、それ」
「まあ、無効にはなったと思いますから、良いのでは?」
「……そういうものなのか」

■セヴン■

「まあ、二人は先に行きなよ」
「鴉女様……?」
「うん。これは随分面白そうな相手だから、僕が引き受けるって言ってるんだ。ふふふとても楽しみだ、彼かな、彼女かな? ほら、早く」

 麒麟によって強引に内部へと走らされた草間とセヴンは、中で二手に分かれていた。それほど広くは無いが、ビルだけあって単純なフロアの面積は大きい。草間は下から、セヴンは上から家捜しを進めることになった。
 十三階建ての屋上から見て、スキャンで手早く生体反応を感知する。生活感がある様子を見付ければ徹底的にフロアを破壊し、見通しを良くしてから生体反応を伺う。死んでいるならそれで良い、生きているのなら、それは薙ぎ払う。どちらにしろ、誰一人も無事で済ますつもりはない。

 ナパームグレネードで見通しを良くしたフロアの中、彼女は辺りを見回した。人の気配も動く者の気配も無いのをスキャンで確認する、が、そこでドアに気付く。どうやら手洗い場のようだが、外壁に面しているためにドアの破壊が出来なかったらしい。警戒の為にアンテナを張りながら、ドアを蹴破る。
 立ち上ってくるのは、生臭い腐臭だった。ハンドガンのトリガーに指を掛けながら個室のドアを蹴ると、そこには折り重ねられた三つの死体がある。どれも若い女性のものだったことに、セヴンは眉を顰めた。若い、女性。零。
 見知った顔が無いことを確認してから、些か急ぎ足でフロアを下りる。不意に聴覚センサーに人間の声が引っ掛かり、彼女は一旦停止した。見れば僅かにだが、光が漏れている。身体を屈めてギリギリまで近付けば、話し声が聞き取れた。

「――しかし連中、追って来るか?」
「追って来たところで、あの堕天使がどうにかしてくれるだろう。我々はここで儀式の準備をしていれば良い」
「次こそは高位の悪魔を」
「魔王でも良いな。この都市から始めて、ゆっくりと世界を覆いつくす混沌を」
「世界に一つの異界都市だからな、ここは。キリスト教の勢力も届くまい、福音など何の事もないな」
「まずは自然災害から――」
「生贄はあの二人で」
「もう少し多くても」

 下らない、と、電子頭脳のどこかで回答が出される。
 信じるのは勝手だろう、それを他人に伝染させるのも勝手だろう。だが、と彼女は思う。
 人を殺す。良いだろう。悪魔を崇拝する。勝手にすれば良い。黒ミサも墓荒らしも、関係ない。関係の無い所でするのならば、何でもどうとでもなる。
 だが連中は、彼女の領域に踏み込んだ。
 大切な人を巻き込み、大切な人を奪っていった。

 グレネードを握り締め、彼女は一気に踏み込む。

「な、ッ」
「チッ、あの時のマシンドールか!」

 見た顔と知らない顔、総勢は十二人、全員が黒いローブをすっぽりと被っていた。一気に全員のロックは難しい、彼女は悪趣味な祭壇を目掛けてグレネードを放った。着弾と同時にそれは弾け飛び、一気に火が燃え広がる。集まっていた連中は、壁際に散る――三人ほど固まった方へ、彼女はハンドガンを打ち込んだ。胴体ではなく脚を狙い、動きを止めるだけに留める。札を出そうとした肘を打ち抜き、それからくるりと踵を返した。
 向かってくるのは屈強な男である。だが物理的な体躯のサイズなど、彼女にはまるで関係が無かった。肩口のパーツを掴まれ、宙吊りにされる――だが、彼女はただ回路を接続するだけで良い。

「ッがぁあぁああ!?」

 放電ユニットの瞬間電圧は三百万ボルトに達する。並の人間では筋肉組織のたんぱく質が焼き切れるだけではすまないだろう、床に落とされた彼女は腕を痙攣させる男の顔面を容赦なく蹴り飛ばした。歯の折れる音、そして鼻の軟骨が粉砕する感触が信号として伝わってくる。
 残り八人、カウントしながら彼女は部屋の隅に固まっている四人を睨む。どうやら女性らしい、怯えてはいるようだが、だからと言って放置は出来ない。真上の天井にガトリングフレアを打ち込めば、悲鳴を上げて下敷きになった。避けなかったということは戦闘能力はないのだろうか、ロックオンはしながら、次の敵に向かう。呪文を唱える二人の男に一足飛びで距離を詰め、一人をハンドガンの銃底で殴り、もう一人は延髄に蹴りを入れる。カウントは、二まで減った。じり、と彼女は距離を詰める。

 先に向かってきたのは女性の術師だった。見覚えのある札を出し、それを空中にばら撒く。短い呪文の詠唱と同時に、それらは彼女に向かってきた。銃で受ければ、ピリッとした感覚が僅かに伝わる――どうやら雷撃のようだが、耐電装甲の前では大した脅威でもない。同じ轍を踏むほどに、愚かではない。
 床を蹴って飛び掛り、呪文の詠唱が出来ないようにその口に銃を突っ込む。がくんッとした感触からして、無理な開口に顎が外れたことを悟る。念のために床に叩き付けて骨を砕き、四肢の関節の骨を粉砕しておいた。そして残るのは、唯一見覚えのある、あの男。

「質問をしておきます」
「お手上げなどしないがな」
「そんな選択肢を与えるつもりは最初からありません。零様と三下様――攫った二人は何処に居る」

 セヴンはガトリングフレアを構え、男を見据えた。
 相手も虎の子の電撃が効かないことに対して些かの焦りを感じているらしい。前回と同時にこちらの装備を見せる展開とはなってしまったが、ここまで圧倒的な武力に対して咄嗟に取れる反抗など、ほぼありえないに等しい。それこそ悪魔に頼るしか。
 だが祭壇は粉砕され、サークルも既に踏み荒らされている。どんな道理もなく、結果などはっきりしていた。それでも投降などさせない、これは報復なのだから。

「言え。お二人はどこにいる」
「さあ――どこでくたばって居るかな?」

 挑発するような言葉にセヴンは一気に踏み込んだ。グレネードを一気に投げ付ける。跳躍によってそれをかわされるが、飛び退くということは、それ以上の行動を制限されるということだった。ガトリングの断続的な音が響く、だが、打ち抜かれたのはローブだけだった。彼女はセンサーを熱感知に切り替える、いかんせん人数が多い。アラートにより顔を上げれば、天井から男が降ってくる。

「ッく」

 プレートの放電で応戦しようとするも、頭に手を付かれる。グッと押されてバランスが崩れるのを踏み止まれば、男の背中がドアに逃げるのが見えた。チッと舌打ちをして、彼女は追う。グレネードで壁を崩し、ハンドガンで足元を狙う――しかし、当たらない。

――――逃がすわけには。

 ガトリングを構え、彼女はその脚を吹き飛ばした。
 悲鳴が響く。
 頭を踏みつけ、銃を、押し当てた。

「言え、零様達はどこだ!?」
「ご、がぁあ、脚、ぃい俺の脚ぃい!!」
「黙れ!!」
「よ、四階、だッ四階の、会議室――」

 彼女は階段に走った。

■ゼハール/鴉女■

「さて、そんなわけで僕は二人を行かせちゃったわけなんだけれど、良いのかな? キミは」
「ええ、追って殺せば良いだけの事ですから」

 一種可憐な笑みを浮かべたゼハールが、手にした大鎌をぐるりと軽やかに回転させた。いかにも重厚そうなそれをカラーガードか何かのように扱う様子は、細腕には似合わない。その矛盾が面白く、麒麟はクスクスと笑いを漏らしていた。面白い、面白い。
 退屈せずに済みそうな、敵。
 赤い眼を細めて彼女はくくくっと笑いを漏らす。つられるように、ゼハールも笑いを漏らした。一頻りそれが響き、コンクリートの壁に囲まれた場の空気を揺らす――そして、始まりは突然だった。

 ゼハールはスカートを翻し、一気に踏み込む。麒麟もまたワンピースの裾を脚に纏わり付かせながら脚を突き出していた。大鎌から発せられる毒気のようなものには気付きながら、それでも、二人とも笑みを絶やしてはいない。引き攣ったように口元を大きく開き、眼を大きく開けて、笑い出しそうな表情で居た。

 大きく振り被られた鎌からは、強い瘴気が発せられていた。臓器の全てを溶かし人を破裂させるほどの毒気を持つそれを、麒麟は平気で吸い込む。程度の弱いものならば取り扱う商品からたまに発せられることもあるが、これほど純度――濃度の高いものを吸うのは始めてだった。見掛けない嗜好品にありつけたような心地で、彼女は笑う。鎌の柄を腕で受け、その部分から熱を伝導させた。じゅぅっと毒の焼ける音が響くが、ゼハールは平気で鎌を掴んでいる。この程度の熱には耐えられるらしい、人外も伊達ではないか――離れようとした所で、鎌が引き寄せられる。腕が、切断される。

 ぺろりと舌なめずりをして、ゼハールは散った血を眺めた。赤い色が、麒麟の白い腕に散っていく。肉の断面からは一瞬遅れて血が滲み出し、そして、一気に飛び散った。四肢の一本が、失われる。反対側も、と彼は鎌を引き寄せる――このぐらいの少女ならば、失血性のショックで気絶をしてもおかしくはないだろう。倒れた腹を引き裂いて、瘴気で溶け始めた内臓を見て、弾け飛ぶまで観察をするのも良い。白い肌にぶちまけられる赤い血はきっと綺麗だろう。きっと甘美だろう。死んだ肌を踏みつけて蹂躙して、もっともっともっと残虐を。

 だがゼハールの予想に反して、麒麟の様子は落ち着いたものだった。腕の切断などなかったことのように残った腕で彼の首から垂れる鎖を掴み、グッと力任せに引き寄せる。鎌を振る反作用でバランスが偏っていたその身体は簡単に前のめりに崩れ、さらに、踏み出した足の下には麒麟の腕が落ちていた。ぐにゃりとするそれを踏んだ所為で完全に体勢は崩れる、そしてその鳩尾に容赦の無い膝蹴りが入った。
 げほッと咳き込んだその喉にも熱が伝わる、首輪の鎖が溶け出していた。革の部分はブスブスと煙を立てている、二撃目の膝に跳ね飛ばされ、ゼハールは一気に壁際まで転げる。鉄の融点は1535℃――それほどまでの高熱を操れるのだとしたら、只者では、ない。数度咳き込んでから顔を上げれば、麒麟はぷらぷらと手を振っていた。

「まったく失敗だったね、熱を持った物に触ったら火傷するに決まっているのにさ。うっかり自爆だよ、少し痛い。さてと」

 足元の細い腕を広い、彼女は溜息を吐く。肘からばっさりと切断されたそれは、早くも変色が始まっていた。蒼く黒く赤く、死の色になっていく――切断面は瘴気に寄る腐食で、だらりと皮膚が垂れていた。麒麟は溜息を吐き、そんな自分の腕を観察する。

「切るのは良いけれど、もう少し綺麗にして欲しいものだよ。切断面がこれじゃあずれるじゃないか」
「ず、れる?」
「よっと」

 拾った腕の角度を合わせながら、彼女は切断面同士を触れ合わせた。腐食部分が脱皮でもするようにずるりと抜け落ち、じわじわと、傷が消えていく――遠目にもその様子は判って、その異様さも、判った。リジェネート、神の摂理に反する再生。ぞくりとゼハールの背筋が震える、それは、恐怖ではなく歓喜によって。

「さて続きを始めようか。しかし、キミはどうすれば死ぬだろうね。僕を殺せるほどの圧倒を、キミが所持しているとは思えないのだけれど――その毒の霧、瘴気なのかな? 内臓がどれだけ痛めつけられようと、四肢を轢断されようと、僕は死ぬことなど無いよ」
「ふ、ふふ……それはまた、素晴らしい能力をお持ちですのね。とてもとても楽しゅうございますわ、只人なんて瘴気に当てられたら数分と持ちませんもの。魔界ならいざ知らず、この人の世でそのような方に巡り合えるなんて。異界都市とはよく言ったものですわ」
「まったくだよ、人外跳梁跋扈、素晴らしい都市だね」
「それでは再び、参ります」
「どうぞ、メイドさん。ワンピース代は高くつくんだよ」

 ゼハールは鎌を振り上げ、眷属である大蛇を召喚する。グリフォンの翼を持つそれに乗って飛び上がれば、簡単に天井を突き抜けられた。麒麟はクスクス笑いながらその様子を眺め、蛇の尾までも自分の能力――温度を操れる領域の限界点まで抜けたことを確認してから、辺りの温度をを一気に上昇させる。コンクリートはゆがみ、タイルは変形して仰け反っていた。だが上ではその様子など判らないだろう、ゼハールは、蛇の頭部を蹴り付けて一気に降下する。二人は違う顔に同じ表情を浮かべ相対していた、やがて、ゼハールは麒麟の領域に到達する――

 エプロンドレスは発火点を向かえ、肺腑に入り込む空気は灼熱を持っていた。喉が焼け付く、だが彼は笑っている。彼女も笑っている。鎌は僅かに色を変えてすらいた、首から垂れる鎖はチョコレートか飴細工のようにとろりと柔らかである。思いっきりに振り下ろした鎌は、麒麟の肩口を完全に捕らえ、そしてその左腕を肩から完全に切り離した。
 ゼハールは燃え盛る自身の服を眺めながら溜息を吐き、麒麟の肩が腕を接続する様子を眺める。麒麟は次のアクションに移らないそんな彼の様子を訝り、首を傾げた。ゼハールは煉獄の結界の中で、肩を竦める。

「残念ですが、おしまいですわ」
「何を言っている? まだキミも僕も死んでいない」
「召喚サークルが壊されてしまいましたの。私にはもう、命令を聞く必要が無くなってしまいましたわ。それにご主人様もどうやら完全に意思を喪失してしまったようですし」
「あらら、それはまた、尻切れトンボ」
「本当、楽しかったのですけれどね」

 ふぅ、と溜息を吐いて。
 二人は苦笑を浮かべ合い、肩を竦めた。

■セレスティ■

「そうですか――判りました」

 手の者からの報告の電話を切ったセレスティは、応接セットのソファーからデスクに向かっている草間を見上げた。

「例の、エドガー・ゲインの墓の調査が終わったそうです。確かに死体の両手首が切断され、持ち出されていたと」
「まあ、そうだろうな。しかしあのビルから見付かった死体の数、中々のものだったぞ……連中、一体何人を『生贄』にしてきたんだかな」
「さて、それは、首謀者の顎が治るまで判りませんね」

 一晩が明け、日常が戻っているかに思える昼下がりのことだった。外堀を埋める様々な調査結果の報告にと興信所にやって来たセレスティは、疲れ切った様子の草間を眺め、苦笑する。
 セヴンによって片付けられた連中は、セレスティが懇意にしている病院に収容されていた。零と三下も、大事を取ってそこに入院している。収容と入院の違いは、まあ、一般病棟と特別警戒病棟の違いだった。セヴンが家事をしてくれているのでそれほどの不都合は無いらしいが、草間はやはり疲れている。

「ったく……零を探してて見付けるのが全部腐乱死体だってんじゃ、不安にさせられたぞ」
「無事で良かったじゃありませんか。例のカメラマンの方は、残念でしたが……碇さんに報告はされたのですか?」
「簡単にはな。今から詳しい報告書を作るところだ――ったく、調査料ちゃんと払ってくれんだろうなあいつ」
「足りないようでしたらこちらからもお出ししますよ、中々興味深い事件でしたし。ただ、気になっていることが少し――あるのですが」
「……なんだ?」

 草間が居住まいを正す気配に、セレスティもまた背筋を伸ばす。指先で杖の上部に取り付けられた飾りをいじりながら、ほんの少し暗い表情で、話を切り出した。

「例のビルは財閥で押収し、現在調査をしているのですが……見付かって、いないんです」
「見付かってない?」
「見付かるべきものが一つ、いえ、二つでしょうか。祭壇の設えてあった部屋に突入したのはななさんでしたね。随分と散らかされていましたが、見付かるべきものは、殆ど見付かっています。水晶玉や白木の杖、ホーリーシンボル、祭壇……ですが」

 彼は一旦言葉を切る。

「肝心の、栄光の手が見付かっていません。墓から持ち出されたのは一対二つのはずですが、そのどちらも。魂の気配を追って辿り着いたのがあのビルなので、彼らは海外に行ったグループと合流は果たしているはずなのですが、どこにもないのです。勿論収容された彼らのボディチェックはしましたし、所持品は全て預かっているのですが、やはり誰の持ち物からも」
「……魂の気配を追うことは?」
「やってみましたが、ビルのどこかというところまでしか。目下探索中なので、その点は、気を付けて下さい――くれぐれも。もしも彼らの仲間が潜んでいるとすれば、まず狙われるのは、草間さん。貴方です」
「だろう、な――麗香の奴。迷惑料はキッチリ貰うぞ」

 草間の言葉にセレスティは苦笑し、事務所を辞した。

 次の朝。
 セレスティは従僕に起こされる。いつもの起床時間よりも大分早く、何事かと訊ねるが、彼は答えずにただ電話を差し出した。銀色のトレイの上に乗せられた受話器を取った彼は、急いで外出の支度を始める。向かう先は、草間興信所。そして、途中でアトラス編集部とアンティークショップ・レンにも電話を入れた。
 早朝の事だったが、彼女達はすぐに対応をしてくれる。アポを取らずに向かうのは不躾だと承知だったが、彼も、少し急いでいた。そして焦っていた。電話にはそれだけの暴力があった。

 病院から、収容されていた結社の人間が十二人、一人残らず消えたという報告には。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

3590 / 七枷誠          /  十七歳 / 男性 / 高校二年生・ワードマスター
2263 / 神山隼人         / 九九九歳 / 男性 / 便利屋
4410 / マシンドール・セヴン   / 二十八歳 / 女性 / スタンダード機構体
2667 / 鴉女麒麟         /  十七歳 / 女性 / 骨董商
1883 / セレスティ・カーニンガム / 七二五歳 / 男性 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
4563 / ゼハール         /  十五歳 / 男性 / 堕天使・殺人鬼・戦闘狂

<受付順>


■□■□■ 配布アイテム ■□■□■

これが勝利への鍵だ!
☆蓮のカード(全員)

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 大変お待たせ致しました、『愛すべき殺人鬼の右手<2>』をお送り致します、哉色ですっ。今回も激しく長ったるくなりました……お疲れさまでございました。
 ほぼ序章状態の秘密結社編でしたが、第三話からは殺人鬼編に移行致します。果たして『手』がどこに行ってしまったのか、これから何をするつもりなのか、と。内容が濃いので全編通してこんな長さになりそうですが、お付き合い頂ければ幸いと思います。
 グロ描写微妙にて失礼しました…。