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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


巻き戻し

 もしも過去へ戻れる階段があるなら、どこまで降りていくだろう。
 私立神聖都学園にはその「もしも」があった。中学校校舎の裏側にある二階建ての用具倉庫、外壁に取りつけられている金属製の回り階段を下りていくと、戻りたいと願った時間へさかのぼれるらしい。

 気がつくと屍月鎖姫は、見覚えのある小道を歩いていた。両側に背の高い大木が立ち並び、早朝には小鳥のさえずりが聞こえるお気に入りだった道である。
 あの鳥の声は懐かしい。あれはごく限られた地域にしか生息しない独特な鳥で、この時代からから二百年後にはもう、絶滅してしまう運命の鳥なのだ。失われゆくものに対してはなぜか懐かしさ、愛しさが芽生える。
 町の中心から西へ向かう細い道、この道をあの切り株のところから左へ曲がる。小川にかかる橋を越えてさらに歩くと、あの子の家に着くのだ。
「僕、ちゃんと覚えているじゃない」
機嫌よく口笛を吹きながら、鎖姫はスキップを踏む。花束でも携えていれば、匂いを思い切り胸に吸いこみたい気分だった。
 大好きな、大好きだった彼女の家が見えてくる。藁葺きの屋根に土壁という素朴な作りの、こぢんまりとした一軒屋。朝に訪ねていくと、彼女は大抵食事を終えたばかりで食器を洗っている。
「おは・・・・・・」
「もう来るなって言ったでしょう」
入口のドアを開くと、挨拶をするより先に彼女の不機嫌な声が飛んできた。今日もやっぱり、タライに水を張って皿を洗っていた。予想が当たり、鎖姫は口元が緩む。
 朝一番にぶつけられるセリフも、昔と同じだった。なぜだかわからないけれど、彼女は鎖姫の気配が読めるらしく、警戒して待っているのだ。だから彼女に関してばかりは、不意打ちという手段がまったく通用しない。
「おはよう」
しかし鎖姫はめげることなく、あらためて朝の挨拶を終えた。こうすることで彼女は睨むけれど、鎖姫は幸福なのだった。
 やっぱり彼女は怒った顔が一番可愛い、と鎖姫は思う。

「いつも思うんだけど、どうして君は僕の来るのがわかるの?」
「なんとなくよ、なんとなく」
あんたが近づいてくると背中の辺りがぞくっとするの。それが言いようもなく不快な気持ちにさせるのだと、彼女は皿洗いを続行しながら早口で答えた。鎖姫は隣で皿拭きを手伝いながら、
「もしかすると運命かもしれないね」
と言ってみた。すると彼女は冗談じゃないとばかりに
「そんな呪われた運命、こっちからお断り」
きっぱりと宣言されてしまった。まるで磁石のようだ。鎖姫のほうからどんなに近寄っていっても、それが急であればあるほど彼女は反発して離れていく。しかも振り子のように心が戻ってくることは、決してない。
 彼女に対しては恋の駆け引きなんてものも成り立たない。こっちがつれなくしてみれば、少しは意識するかと思ったこともあったのだけれど、彼女はこれ幸いとばかりに鎖姫を空気のように扱った。
 好きな子に対して嫌がらせをすることが最上の楽しみである鎖姫にとって、これは面白くなかった。だから、彼女に対しては徹底的につきまとうことでしか好意を形にできなかったのである。
「でも、少しやりすぎだったかもね」
かつての自分を冷静に見つめなおすと、反省したくなる点もあった。
 どんなに好きな食べ物だって、毎日三食繰り返していると食傷する。まして、大嫌いな相手が四六時中目の前をうろうろしているのだから、彼女の不快は溜まる一方である。顔を見るたび怒鳴りつけたくなるのも無理はない。
 それがわかっていたのなら、どうして自分はまたこの家に足を運んだのだろうか、と鎖姫は自問する。答えのわかっている自問を、鎖姫はときどきする。己の中にある感情に説明をつけておかないと、ついつい先延ばしにしてしまう悪い癖があるからだ。
 この悪い癖が、鎖姫を巻き戻しの階段へ向かわせたのである。

 鎖姫がじっと見つめているのに気づいたのか、彼女は皿洗いの手を止めてこっちを睨みかえしてきた。金色の瞳に薄い影が落ち、眉間のところに皺が刻まれている。
「やっぱり、可愛いね」
相手が怒っているときに気を削ぐような一言を吐いてしまうのが、また油を注ぐことになるのだがついつい鎖姫の口は滑りやすい。
「あんたは・・・・・・もう、帰って!」
帰らないと水をかけるわよ、とまで言われてしまう。しかし、鎖姫は怯まなかった。
「駄目だよ。今日は僕、君に言わなくちゃいけないことがあるんだから。それを言うまでは帰れないんだ」
「じゃ、さっさと言いなさい」
言ったらさっさと帰りなさい、と彼女は壁にたてかけてあった箒で鎖姫を出入り口へ追いやる。まるで埃扱い、いや埃よりひどい扱いだった。
「ちゃんと聞いてよ」
「聞くわよ」
ドアの前に立った鎖姫は背筋をぴんと伸ばして立つと、彼女の姿をあらためて目に焼きつけるかの如く上から下までじっくりと見つめた。その目が普段と違って真剣味を帯びていたから、さすがに彼女も困惑に似た表情を浮かべた。
「なんなのよ」
やめてよ、と言われてもやめない。自分の心がよしと言うまで、鎖姫は彼女の指先、耳の形、髪の毛のはねた具合といった細かい部分まで脳裏に刻んだ。これから先もずっと、彼女の姿を覚えていられるようにと。

「あのね」
ようやく、鎖姫は本題を切り出した。
「嫌われてるのは、充分わかってたんだよ」
それでも君が好きだったんだ。ごめんねと、謝ろうとした。
 昔もずっと、この言葉を言わなくてはと考えていたのだ。彼女に会って、嫌われた夜にはいつも反省していた。明日こそあの子に謝って、優しくしてやろうと思ったのだ。なのにあの頃の鎖姫はやっぱり優柔不断で、ものごとを先延ばしにする性格で、反省の心が彼女に通じることは永遠になかった。
 今度こそは伝えられる、と思った。けれど彼女は金色の目を激しく燃やし、鎖姫の言葉を先んじて厳しく遮った。
「今更謝ったりなんかしたら、許さないわよ」
「だけど・・・・・・」
「謝ったら、この先一生、絶対口きいてやらないんだから」
彼女は決して鎖姫の謝罪を受け容れようとはしなかった。恐らく、鎖姫が謝ったら、仕方ないわねとかなんとか言って、受け容れてしまう自分が頭に浮かんだのに違いない。
 和解をしてしまったら、その時点で二人の間に繋がっていたものがぷっつりと途切れてしまうような気がした。鎖姫は一方的に彼女へつきまとい、彼女はそんな鎖姫を憎む。その感情は、互いが両端を握る見えない鎖からぴりぴりと伝わってくる。
 愛情ばかりが人を繋いでいるわけではない。憎しみの感情でさえも、縁なのである。
 そのとき、鎖姫は彼女が見たことのない表情をしているのに気づいた。決して、自分に好意を抱いている表情ではないのだけれど、怒っているわけでもなく、でも、可愛いのだった。表情に含まれている彼女の感情と、どうしてそんな彼女を可愛いと感じているのだろうかと、鎖姫は考えた。結局前者についてはわからなかったが、後者は説明が思い当たった。

「あの子が、僕のことを考えてくれているから可愛いんだ」
普段は怒っているときしか僕のこと考えてくれていないんだ、と思うとちょっと可笑しくもあった。だが、鎖姫はそんな彼女との何気ない日常が再び蘇ったことに、言いようのない懐かしさと愛しさを覚えるのだった。
 こんな一日をまた、繰り返したい。そう思っているからこそこれから先長い時間、鎖姫は彼女を探しつづける運命に身を投じるのである。
「それじゃ僕、今日はもう帰るよ」
「・・・・・・そう。そうね」
鎖姫がまた、普段どおり軽薄な表情に戻ったので、彼女は少しほっとしたようだった。瞳にも強気な感情が蘇った。
「また逢おうね」
「なに馬鹿なこといってるのよ。あんたはどうせ、来るなっていってもまた明日も無理矢理押しかけてくるんでしょう」
ところがそうはいかないんだよ、と鎖姫は心の中だけで呟いた。顔は笑ったままだった。
 彼女は今日の午後、馬の暴走に巻き込まれて帰らぬ人となるのである。これは運命なので、どうしようもないのだった。今日一日は外へ出ないで、と彼女に忠告したところで彼女は鎖姫の言葉など従わないだろうし、それに運命は帰られない。
 もう、逢えないんだよとは言わない。
「じゃあね」
と、鎖姫は小さく手を振った。最後まで、彼女はさよならとは言わなかった。

 金色の瞳を、鎖姫は九百年も探しつづけている。彼女の生まれ変わりに目印はそれだけだと、信じていた。けれど今日、もう一つ見つけた。
「僕があの子を見つけられるように、あの子も僕を見つけられる」
どんなに生まれ変わっても、彼女の握る鎖の一端は鎖姫に繋がっている。そしてその鎖は相変わらず、ぴりぴりとした感覚を鎖姫に送りつづけているのだ。
 きっと彼女は、生まれ変わった姿で出会っても鎖姫を憎むのだろう。初対面で既に、眉間に皺を寄せる可愛らしい表情を会得しているに違いない。
「きっとまた、逢えるよ」
信じていれば本当に逢えるよと、鎖姫は繰り返した。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2562/ 屍月鎖姫/男性/920歳/鍵師

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
今回、鎖姫さまの大好きだった「あの子」をどんな子にするか
一番考えたのですが(性別から)結局、飄々とした鎖姫さまに
反発する勝気な少女、という感じになりました。
鎖姫さまと「あの子」の関係を書いていると人間は
運命の赤い糸のみに結び付けられているのではないのだと思いました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。