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人喰い【第一部】
風すらピクリとも動かない、耳の奥が痛くなるほどに静かな夜だった。
家々から漏れる灯りがアスファルトを照らす道を、残業帰りのOLは疲れたような足取りで歩いていた。手に持ったコンビニの袋には、先ほど買ったばかりの暖かいおでんが入っている。早く帰って、さっさと食べて、ぐっすり寝よう。そう思って、彼女が足を速めたとき、ふと聞きなれない音を聞いた。
「ん?」
思わず立ち止まって、辺りを見回す。その音は学生の頃に聞いた、吹奏楽部が部活動をしていた音楽室から流れる、一音だけのフルートの音にそっくりだった。何処かの家で誰かフルートの練習でもしているのだろうか。それにしてはやけにハッキリと耳に届いた。まるですぐ近くで吹いているような……そう、部活動中の音楽室の前を通ったときのように。
そんなことを思い出して、彼女は何気なく後ろを振り向き、目を見開いた。
五メートルほど離れた場所で、それは真っ赤な目を爛々と輝かせて彼女を見ていた。勇猛な獅子を思い起こさせる、茶色の毛に包まれたがっしりとした身体から伸びる尾の先には、まるで毬栗のように鋭い針がびっしりと飛び出している。そして顔は、その身体にはアンバランスなほど小さく、人間の男の顔をしていた。髭を生やした老人のようなその顔がニタリと笑って口を開いたとき、彼女はそこに三列に並んだ鋭い歯を見る。その間から、フルートの音のような流麗な音が出ているのだ。
彼女がそれに気づいた瞬間、生暖かい風が彼女の身体全身にぶつかり、彼女の意識は途切れた。
「これで五人目……」
道路の真ん中に落ちていたコンビニの袋を拾い上げながら、水嶋未葛(みずしま・みくず)は憎々しげに呟く。その後ろでは佐々公彦(ささ・きみひこ)がやる気なさそうに立っていた。
「……で? どうすんの?」
「あたしたちだけじゃ、また逃げられる」
公彦の問いに、未葛がコンビニの袋の中身を覗き込みつつ答える。おでんはまだ湯気を立てていた。
「しょうがない。久しぶりに草間さんとこに頼ろうか」
そう言って未葛は軽く肩を竦めて、溜息を吐いた。
「マンティコア? それって、身体がライオンで、顔が人で、尻尾にサソリの毒針を持っているっていう、キメラよね?」
「はい。よくご存知で」
シュライン・エマの言葉ににっこりと笑ってそう答えた未葛を、草間興信所に集まった能力者たちが見つめた。未葛の隣では、公彦がソファに身体を預けて目を瞑っている。
「へぇ。近年まれに見る大物だね。で、発生原因の目星は?」
シュラインの言葉に、壁に寄りかかって話を聞いていた岬・鏡花(みさき・きょうか)が疑問を口にした。それに未葛はちょっと苦笑して、翔子を振り返る。
「随分と昔のことなんですけどね。この街でマンティコアを作り出そうとした人物がいたらしいんです。でもそのとき作られたマンティコアは生きて生まれては来なかった。失敗作を庭に埋めたその人物は、更なる研究を続けているうちに病気で死んでしまいましてね。その研究のことは忘れ去られていたんですが、何の因果か……そのとき死んでいた筈のマンティコアが生き返っちゃったんですよ」
「全く、傍迷惑な話ですねぇ」
未葛の説明に、蜂須賀・大六(はちすか・だいろく)が大げさに眉を顰めた。それをチラリと横目で見ながら、天城・凰華(あまぎ・おうか)が先を促す。
「で? 僕たちは何をすればいいんだ?」
「マンティコアを消滅して頂きます。その為にはまず、周りに被害が出ないように結界を張って、その中に押し込む必要がありますけど」
その言葉に、シュラインが周りを見渡して、集まった能力者の顔を見つめた。
「この中で結界を張れる方は?」
「あ、はい、張れます。あまり長い時間は無理ですけど」
そう言って控えめに手を上げたのは空木崎・辰一(うつぎざき・しんいち)だった。他の能力者たちはシュラインと目が合うと一様に首を横に振ったり、肩を竦めたりする。それに対し、モーリス・ラジアルがにこやかに笑って答えた。
「広範囲の結界は作れませんが、閉じ込めることはできます」
「私は囮となって、相手を誘き寄せたいと思います。この手の化物は、私の専門ですから」
モーリスに続いてそう言った水上・操(みなかみ・みさお)に、シュラインは頷く。そうして口元に指を当てて考え込んだかと思うと、はっきりとした目で未葛を見た。
「そうね……では水上さんに囮をして頂いて、モーリスさんと空木崎さんで結界を張って下さい。私と岬さんで結界周辺の道路を封鎖するから、蜂須賀さんは結界を張る二人の護衛を、天城さんは水上さんの……」
「その話、僕も混ぜてくれません?」
と、突然、若い男の声がかかる。全員の目が興信所のドアに向かうと、そこに銀髪の少年が楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。
「キミは?」
「僕は犀刃・リノック(さいふぁ・―)。残念ながら結界は張れないけど、それでも何かの役には立つと思いますよ?」
問うた未葛にそう言って笑いかけたリノックは、部屋の隅に押しやられていた草間・武彦(くさま・たけひこ)に向かってにこにこと笑いかける。
「暇だったんで寒中見舞いに来たんですけど、また厄介な依頼をされちゃってるんですね」
「ほっとけ」
「じゃあ、蜂須賀さんに二人の護衛を、天城さんと犀刃さんに水上さんの護衛をお願いしていいかしら?」
シュラインの言葉に、能力者たちが頷いた。
***********
人気のない道路。そこに、ガコンという鈍い音が響いた。
「これでよしっと」
ぱんぱんっと両手を叩いたシュラインは、『工事中』と書かれた看板を見下ろして軽く息を吐く。それをバイクの上から見ていた鏡花は、にっと皮肉気に笑った。
「工事中ねぇ……」
「こうでもしないとね」
翔子の言葉に、シュラインが苦笑して振り向く。
「あとは相手が囮に食い付いてくれることを祈るだけかな」
「そうね。それじゃなくても早めに見つけたいわ」
「じゃ、周りを巡回しますか」
そう言って鏡花がシュラインにヘルメットを渡した。シュラインはそれを受け取って、バイクの後ろに跨る。ブォンッという音と共に、タイヤがアスファルトを擦り、バイクが闇の道を進んでいく。
「範囲が特定できないってのが痛いね」
「この街以外にはまだ出ていないことだけが救いだわ」
バイクで周辺を回りながら、シュラインと鏡花が眉を顰めた。相手の姿がはっきりしていても、場所が特定できないのは難しい。
けれど、長い間巡回する必要は無かった。囮である操がいる場所に近づいたとき、二人を生暖かい風と、産毛が逆立つような感覚が襲う。それに鏡花がシュラインを振り返り、シュラインが強く頷いた。
「来たわね」
***********
「行くわよ、前鬼」
呟いて、操がブレスレットを外す。すると、ブレスレットは美しい長刀へと変化し、操は刀を構えた。と同時に、マンティコアが目にも止まらぬ速さで向かってくる。操はそれをギリギリで交わし、マンティコアの肩口に浅く斬り付けた。
甲高い声がして、マンティコアの牙が操を襲う。操が後ろに飛んで避けると、目の端に無数の針が生えた尻尾が見えた。瞬間、青い光が視界いっぱいに広がる。
「有難う御座います」
「思ったより早いな」
尻尾から操を助けたのは、凰華の能力で氷を纏った槍だった。律儀にお礼を言う操だが、凰華から帰ってきた答えは操に対するものではなく、マンティコアに対するものだった。それに、操は小さく頷く。
「これだけ早いと、さっさと追い詰めないとこっちが辛くなりますよ」
言って、リノックがマンティコアに向かって小石を投げる。と、小石は途中で炎に変わり、マンティコアの顔を焦がした。マンティコアが熱さに身を捩り、結界を張る予定の公園とは逆の方向に走り出す。
「……こっちじゃない」
それに公彦が、腕を大きく振り上げて、マンティコアの目の前にピコピコハンマーを叩き付けた。微かなピコンッという音と共に、ドォンッという大きな音がして、マンティコアが驚いて方向を変える。
「結界の準備は出来てますよ! さっさと追い詰めなさい!」
上空でそんな声がした途端、空を飛んで逃げようとコウモリのような羽を出したマンティコアに、無数の蜂型戦闘機が襲いかかった。羽を貫かれ、マンティコアがドタリと地面に落ちる。
「こっちよ!」
追いついてきた鏡花のバイクに乗ったシュラインが叫んで、卵型に口を開いた。その奥から、フルートのような音色が響き、マンティコアがぴくりと動く。
その音を仲間だと思ったのか、マンティコアが鏡花の運転するバイクに近づいた。バイクはそれを見計らって再び発進し、マンティコアがそれを追う形になる。
「このまま行ければ……!」
鏡花が呟いて、ハンドルを握る手に力を入れた。するとマンティコアが一足飛びにバイクに接近し、シュラインに牙を向ける。それを鏡花が装甲重視型に強化変身した腕で振り払い、バイクの速度を上げた。
「一気に追い詰めろ!」
凰華が叫んで、槍を振り下ろす。ガィンと鈍い音がして、一瞬先にマンティコアの足があった場所のアスファルトに槍が突き刺さった。
「知能はあまり高くないみたいですね」
リノックがのんびり言って、マンティコアが別の道に入らないよう、道路を変化させて壁を作る。
「化け物はいつ何時進化するか判りません。油断致しませんよう」
操も、マンティコアを挑発するかのようにヒットアンドアウェイを繰り返し、マンティコアに傷を付けながら公園へと誘導していく。
そして、マンティコアを追って走る公彦の目に、公園が見えた。
「来ました」
「準備はいい? 空木崎さん」
「大丈夫です!」
「モーリスさん、宜しく!」
「お任せを」
頷くモーリスの横を、猛スピードでバイクが通り抜ける。
「かなり早いから気を付けて!」
鏡花の言葉に、モーリスが目に力を込めた。マンティコアを視界に収めた一瞬に檻を作って閉じ込める。それが出来れば。
だが、前方数メートル先に見えたマンティコアが、一瞬で目の前まで接近してきて、モーリスは思わず身構えた。
ギィンッと音がして、モーリスに迫っていた毒針が弾かれる。
「天城さん!」
振り向いた先で、凰華が腕を抑えて眉を顰めていた。そこには鈍く光る毒針が刺さっている。
「今治療を……!」
「構うな! それよりさっさとあいつを捕まえろ!」
凰華の叫びに、モーリスがマンティコアを振り返る。だが、視界に入れて檻を作ろうとした瞬間、何度も逃げられてしまう。
「早すぎる……せめて一瞬でいいから足止めが出来れば……」
「判りました」
「Einverstanden」
苦々しく呟いたモーリスの横を、操とリノックが頷きながら駆け抜けた。
「羽を狙いなさい!」
飛んで逃げようとして羽を出したマンティコアに向かって、蜂須賀の指示で手下たちが一斉に銃を撃つ。羽をズタズタにされ、その衝撃にマンティコアがよろめく。それを狙って、操が高く跳躍し、もう片方のブレスレットを外した。
「後鬼! 行きなさい!」
叫んで、操がブレスレットの変化した短刀を、マンティコアの足に向かって投げ飛ばす。短刀は、マンティコアの足の甲に深く突き刺さり、地面に縫い付けた。あまりの痛さに悶え、足を引き抜こうとするマンティコアに、リノックが近づく。
「逃がしはしませんよ」
リノックの言葉と同時に、マンティコアの周りに生えていた草が変化する。長く伸び、まるで蔦のようになった草が、マンティコアの身体を縛り上げた。
「今だ!」
苦しげに暴れ、蔦を引きちぎるマンティコアを、モーリスが視界に納める。瞬間、マンティコアの頭上に銀色に光る檻が現れ、マンティコアを閉じ込めた。
「今度はあたしたちの番ね! 行くよ、空木崎さん!」
「はいっ!」
暴れるマンティコアに、檻がガタガタと揺れる。それを睨みつけながら、未葛が親指の皮膚を噛み千切り、宙に円を描いた。
「来い! 白都!」
未葛の声に反応するかのように円が白く光って、そこから真っ白な虎が現れる。虎は未葛に甘えるように擦り寄り、喉を鳴らした。
「いい子ね、白都。全力で結界を張る! あたしのことは気にするな! 行け!」
その命に、白都の身体が白く輝き、一つの光の玉となる。光の玉は公園の木に張られた五つの符に向かって走り、線を描いた。それは五芒星となり、マンティコアをその中心に閉じ込める。だが、次の瞬間、五芒星が不安定に歪んだ。
「力が強過ぎて、コントロールが効かないんですね?」
その様子を見て、空木崎が五枚の符を取り出す。ぎゅっと拳を握り、力強い目で、歪む五芒星とマンティコアを見つめた。
「僕の力で安定させます……! 幽世の大神、哀れみ給い恵み給え、幸魂奇魂、守り給い、幸い給え!」
空木崎の手から、五枚の符が飛ぶ。それが、光の屈折点となっている木に張られた符に重なると、歪んでいた五芒星が綺麗に安定した。すると、モーリスの檻が消え、マンティコアが苦しそうに蹲る。
「閉じ……込めたのか?」
荒い息を吐きつつ、凰華が呟いたとき、凰華の目の前が真っ暗闇に染まった。慌ててモーリスが近寄る。
「天城さん! ……全く、無茶をする……」
「ホントにねぇ」
モーリスの腕に倒れこんだ凰華に、モーリスが溜息を吐くと、鏡花とシュラインが心配そうに覗き込んできた。モーリスが凰華に治療を施しているその横で、操とリノックが蹲るマンティコアを見つめる。
「でも、本番はこれからですよ」
デーモンから飛び降りた蜂須賀がそう言って、リノックの横に並んだ。
そう、本番はこれから……
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0852/岬・鏡花/女性/22歳/特殊機関員】
【4634/天城・凰華/女性/20歳/生物学者・退魔師】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3461/水上・操/女性/18歳/神社の巫女さん兼退魔師】
【0630/蜂須賀・大六/男性/28歳/街のチンピラでデーモン使いの殺し屋】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【2029/空木崎・辰一/男性/28歳/溜息坂神社宮司】
【1565/犀刃・リノック/男性/18歳/魔導学生】
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ライター通信
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どうも、こんにちわ、緑奈緑と申します。
今回は『人喰い』の第一部に参加頂き、まことに有難う御座いました。
締め切りギリギリで大分焦ったのですが、その割には良いものが出来たのではないかと自負しております(笑)。
「*******」で区切られている部分は、PCさまによって違いますので、宜しければ他PCさまのものも読んで頂けたりすると、更に楽しめるかと…思います、多分。
第二部は二月の中旬頃を予定しておりますので、もし二部にもご参加下さる方は是非我がクリショや異界をチェック宜しくお願い致します(笑)。
シュライン・エマさま
PCとして憧れの存在であるシュラインさまに参加して頂いて、凄く嬉しかったです!せっかくなので参謀として作戦を立てて頂きました。楽しんで頂けていたら幸いです!
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