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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


黄昏時の日記


*****


■某月某日

  瀬崎くんが突然南米から帰ってきて、僕が彼の自宅にお呼ばれすることになった。
  突然、こちらの都合も聞かずに呼びつけるというのは、実に彼らしく、おもしろい。
  もとより僕はさほど多忙でもないし、友人も少なく、
  予定もこれと言って入っていないのだから、さほど迷惑ではないのだけれども。
  だがトラブルに巻き込むのだけは勘弁してほしい。
  おもしろい人間なのだが、どうも、ひとが困ったり焦ったりする様を見て楽しんでいるようなきらいがある。
  ひとのことは言えないのだろうが、悪癖といえるだろうか。
  ともあれ疲れる一日だった。
  心に残る土産を有り難う、瀬崎くん。


*****


 半年ぶりに戻った自宅は、冷えきっていた。
 南米の蒸し暑さに慣れた身体では、こたえる寒さだ。
「それに僕は爬虫類のようなものだし……」
 謎のぼやきを思わずこぼすと、家主は、荷物を引きずってストーブの前に座りこんだ。
 古い木の匂いに包まれた、懐かしい佇まいの日本家屋――それが、瀬崎耀司の自宅である。成人し、考古学の博士号をとってからは、世界各地の秘境の遺跡調査や発掘にと飛び回り、この自宅で過ごす時間は少なくなっていた。
 古き良き日本家屋であるため、寒冷地の住宅とは造りがちがう。ストーブをフル稼働させても、底冷えする室内はなかなか暖まらなかった。耀司はしばらく無言でストーブにかじりついていたが、やがて、出国時よりも増えた荷物を鞄から出し始めたのだった。
 洗っていない衣類は洗濯機へ――あとで持っていくことにする。
 きっちりとたたんだ和服は箪笥へ――これも、あとで持っていくことにしよう。
 調査書の束と資料の山は書斎へ――あとで持っていくしかない。書斎はいちばん冷える。
「ん……おや……しまった、な……」
 眉をひそめ、耀司が鞄から最後に取り出したのは、異国の新聞紙に包まれた壷だ。
「何か忘れていると思ったんだ……これだったか」
 広げた荷物とストーブを前にして、耀司は居住まいを正した。壷は、遺跡付近のあやしげな市場で手に入れたものだ。50ペソで買い叩いたのである。遺跡の近くで売られてはいたが、さほど古いものでもなく、学術的な価値はほとんどなさそうに見られた。だが、こういった壷を見慣れているはずの耀司が見入り、金を払うほど、その壷には奇妙な魅力があったのだった。
 それはしかし、土産にするつもりで買ったのだ。基本的に独りで行動する耀司だが、友人も数は少ないながら、一応持っていた。
 奇妙であやしい壷を土産にされて喜ぶ、瀬崎耀司の友人――数多の人間がひしめくこの東京でも、この条件を満たせる者はとても少なかった。城ヶ崎由代くらいなものだろう。


「また最近連絡がつかなくなったと思ったら、今度はコロンビアか。きみも好きだねえ」
「おや、何かこの半年の間に、僕に用事でも出来ましたか?」
「まあ、力を借りれば楽に解決するかな、みたいな事故が何度か起きてね」
「僕を頼りにしていただけるとは、有り難い」
「……しかし、冷えるなあ。建物は人の生気を吸って『生きている』んだよ。あんまり留守ばっかりしちゃ、家もかわいそうだ」
 突然の招致にも、由代は快く応え、黄昏時に瀬崎邸を訪れた。底冷えのする居間で、由代は肩をすくめ、カソックじみたロングコートをしっかり着込んだままでいる。ストーブの火の大きさは『強』に設定してあり、耀司がスイッチを入れてから数時間経っていたが、依然として室内は冷えこんでいた。
「それで、『帰りがけに渡すつもりだったもの』って?」
「ああ、こちらに」
 耀司は空港からの帰り道、城ヶ崎邸に寄り道し、土産を渡して帰るつもりだったのだ。それが、疲れのせいもあったのだろうか、すっかり忘れてまっすぐ帰宅してしまったのである。ここで常人ならば「渡し忘れた」などということは伏せるところだが、耀司は由代に電話を入れて、正直にそこのところまで詳しく説明していた。
『どうも、お久し振りです。瀬崎です。コロンビアから今日帰ってきましてね……城ヶ崎さんにお土産があるのですが、はは、帰りがけに寄らせていただくつもりが、すっかり忘れてしまいましてね。取りに来ていただけますか?』
 城ヶ崎由代は瀬崎耀司の性格を知り尽くしており、また、一種の諦めもついていた。由代は苦笑交じりに承諾して、こうして瀬崎邸まで足を運んできたのである。きみはなかなか失礼だね、とはわざわざ口にしなかった。
 そうして由代が目の当たりにした土産は、なかなか耀司にしては気の利いたものだったのである。

 ほう、と由代は口元を吊り上げて微笑み、壷に舐めるような視線を送った。ある意味、熱い視線ともいえるだろうか。
「これは面白い。――うん、本当に面白い。これをもらってもいいのかい?」
「ええ、お土産ですから」
「インカ、アステカ……あの辺りの流れを汲んでいるね……面白い」
「3回『面白い』と言いましたよ、城ヶ崎さん。これが売られていた市場の近くで、新しい遺跡が発見されたのはご存知ですか?」
「あの辺りは管轄外でね。貴重な遺跡かい」
「ええ、とても。インカ、アステカの流れを汲むどころか、その流れの原点に位置するものといっても間違いはないでしょう。南米の古代史が塗り替えられるかもしれません」
「ほう! 面白い」
「4回目です」
 饒舌に会話を交わしながらも、由代はけして壷に触れようとはしなかった。
 茶褐色の石で出来た壷の表面には、びっしりと装飾が掘り込まれている。装飾というより、彫刻と呼べるほど手が込んでいた。蓋はなく、壷の中はきれいなもので、一筋のひびも入っていない美品である。
 耀司が笑みを浮かべて背後でたたずむ中、由代は壷を観察し続けた。
 由代の目には、彫刻や、茶褐色の石以外の何かが確かに映りこみ、彼の興味をとらえて離さない。
 やがて由代は、じろりと背後の耀司に視線を送った。
「瀬崎くん」
「はい?」
「きみ、わかってて買ってきたね?」
「……はあ?」
「きみのその左目、節穴ではないだろう。この壷、何か入ってるよ」
 冷えこんだ沈黙が流れ、耀司の笑みがゆっくりと大きくなった。

 壷の中は空だ。ひびひとつない内部には、水の一滴すら入れられた形跡がない。しかし由代にも耀司にも、見えるのだ。なみなみと湛えられた黒い水銀のようなもの。不可視であり、実体も持ってはいない黒い液体は、ぐるぐると変容する文様を浮かべては消し、透き通るように見せかけて、夜空のような漆黒をあらわしている。

「城ヶ崎さんなら、封印を解いて、中にいるものを支配出来るのではないかと思いましてね」
「土産は壷? 中身? どっちとも?」
「さあて。無事だったほうを」
「封印自体は……ふむ……解けると思うけれど、使役はどうかな。あの辺りの概念は、西洋魔術の理念と相性が悪くてね」
 ぼやきながらも、由代はようやく壷から距離をとった。
 すう、と手を上げる。
 彼が円を描けば、その軌跡が確かに虚空に残り、輝き、たちまちのうちに陣を描いた。魔法陣は薄蒼の光を伴って弾け、壷が、動いた。


 外は黄昏。
 耀司は、居間の明かりもつけてはいない。
 誰そ彼の刻、壷の彫刻がぎしりと蠢き、黒い水銀を吐き出した。やぶ睨みを禁じえない薄暗さの中、太陽の時代の悪霊が目を覚ます――


 全身の文身(いれずみ)、大仰な牙、皿のような目があった。ひとめで、南米の太陽の時代のものとわかる出で立ちだ。だがその姿も、水銀にうつる姿のように揺らいでいて、黄昏時の闇の中に滲んでいる。
 吐く息の臭気は、マラリアとペストで死んだ病人の体臭の如く。
 充血した目は、病に伏せる老人の潤みを抱く。
「――アンチャンチョ」
「ああ、『病魔』だね」
「詳しいではありませんか」
「管轄外だから、有名どころしか知らないよ。……ところで、どうするね、この悪霊は」
「土産です。お好きなように」
「今までの中でいちばんの無茶を言ってくれたね、瀬崎くん! 面白い!」
「……5回目ですよ」
 黄昏時の中に、赤紫の魔法陣が浮かび上がった。臭気と視線は、そのシジルに遮られ、跳ね飛んで、瀬崎邸の窓ガラスをつらぬき、庭の橘に突き刺さった。橘の葉は途端にしおれ、樹皮が剥がれ落ちた。
「やれやれ! 僕の『言葉』が通じるかどうか。瀬崎くん、少しは手伝ってくれたまえよ」
「ああ、はい」
 腕を組んで様子を見守っているばかりだった耀司が、由代の要請でようやく動いた。
 病魔の背後にまわると、その手を振り上げ、実体なきはずの悪霊をねじ伏せたのである。ふむ、と彼の笑みは相変わらず消えることがなかった。
「このまま喰ってしまうのもいいが……おまえは土産なのだよ……」
 ぐい、と腕に力を込める。悪霊は息を吐き散らし、耀司を跳ね除けようとしたが、耀司の腕はぴくともしなかった。むしろ彼はその悪臭を吸いこみ、ますます力をつけている。
 喰っているのだ、ほどほどに。
 びん、と新たなシジルが虚空に現れた。赤い光を放つ古い文字は、身動きの取れない悪霊の胸にはりつき、一層強い光を持った。右の手で描いたそのシジルを保ったままで、由代は左手を動かした。
「異なる理なりせば、汝の自我に直に語らん。テトラグラマトンを畏れよ、吾を畏れよ、我が心の闇に巣食え、なればこそ、汝、我が心に隷属せん」
 バリトンの声色の詠唱に、シジルの輝きは強さを増した。
「――『きみは僕のものだ』」
 ごう、ん。


 耀司は微笑みながら壷を手に取ると、今度こそといった面持ちで、由代に手渡した。由代もにこにこと満足顔で、壷を受け取る。
「いやあ、本当にいいものをもらったよ。使う機会はないだろうけど」
「喜んでいただけて幸いですよ」
「ミーハーかもしれないが、南米の古代史にも興味が沸いたね。今度ご教授願おうかな」
「それはもう、喜んで」
「きみのお手並み、しっかり拝見させてもらったよ。……いやあ、本当に面白かった」
 呼びつけられたのにも関わらず、由代は怒るどころか喜びながら、瀬崎耀司の家をあとにしていく。わざわざ玄関先まで友人を見送った耀司は、おや、と目を疑った。
 城ヶ崎由代の歩いた後には、草木一本生き残ってはいなかったのだ。かさかさとしおれていく緑をしばし見つめていた耀司だったが、突然拭いてきた冬の北風に肩をすくめ、そそくさと中に戻っていった。
 しかし、外も中も、相変わらず冷えていた。
 南米に戻りたい気分になった。



<了>