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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


元気薬


 くしゅん、というくしゃみが朝一番に、部屋一杯に響き渡った。
 藤井・葛(ふじい かずら)はさらりとした黒髪を靡かせ、翠の目でくしゃみの主を見つめた。
「どうした、風邪か?」
 くしゃみの主である藤井・蘭(ふじい らん)はほんのりと赤くなっている頬をし、大きな銀の目にうっすらと涙を浮かべながら「えへへ」と笑った。
「なんだか、寒いの」
「寒い?」
 蘭の言葉に偽りが無いという証拠に、体をぎゅっと縮こまらせている。どことなく、顔色もよくない。頬は赤いのに、全体的に青白いのだ。
 葛はストーブに表示されている室内温度を見た。室温、20度。特に寒いと思う室温では、決して無い。それなのに蘭はずっと「寒いのー」と言いながら、コタツの中にもぐりこんでしまった。寒い寒い、と連発して。暖かな室内の、暖かなコタツへと逃げ込むかのようだ。
「蘭」
 葛は蘭を呼び、柔らかな緑の髪をくしゃりとさせて額に手を当てた。
「……熱があるな」
 蘭の額から感じた体温は、確かに熱かった。子どもだから体温が高い、という言葉だけでは説明の出来ないような体温だ。
「熱なの?」
「そう、熱が出ているんだ。お布団で寝なさい」
「お布団?」
 蘭はぶるっと身震いをし、コタツの中で縮こまった。コタツから出て、布団に移動するのが嫌なのだろう。
(まあ、何かを食べさせてからの方がいいか)
 葛はぐっとコタツから離れようとしない蘭を見て、一つ苦笑する。
「蘭、その前にご飯だ。コタツで食べればいいから」
「別に、食べたくないのー」
 蘭はそう言い、しょんぼりとして下を向いた。いつもならばご飯と聞いて喜ぶというのに。
「少しでも食べないと、元気にならないから。大丈夫、ちゃんと食べられるものを作るから」
 葛はそう言い、台所へと向かった。小さな土鍋を取り出し、米をといで水を多めに入れる。それを火にかけ、冷蔵庫から卵を取り出してといておいた。
「きっと、これだけだったら食欲も湧かないだろうからな」
 葛は小さく呟くと、冷蔵庫から昨日作っていたプリンを取り出した。本当ならば、今日のおやつに出そうと思っていたものだ。葛はそれをお皿に盛り、みかんやバナナ、林檎などのフルーツを食べやすい大きさに切って、同じように盛り付けた。
「プリンなら、きっと食べるだろうからな」
(ビタミンも、摂った方がいいし)
 土鍋が煮えてきたのを確認し、葛はそっと溶き卵を入れる。塩で味付けすると、美味しそうな香りが漂ってきた。久々に作ったとは思えぬほどの、上出来だ。
 葛は一口だけ味見をしてそれが美味しい事を確認し、お盆に乗せてコタツへと持っていった。
「蘭、ご飯だ」
「別に食べたくないのー……」
「少しでもいいし、食べられるだけでもいいから」
 葛はそう言い、蘭を起こしてそっと上着をかけてやった。そして蘭の前ににゃんじろー柄のお椀に盛ったお粥と、同じくにゃんじろー柄のスプーンを置いてやる。
 蘭の好きなアニメの柄のものならば、少しは食べたくなる気持ちが出てくるのでは、という思いからである。
「……これ、なぁに?」
「お粥だよ。ほら、一口でもいいから食べてごらん」
 葛の言葉に、蘭は渋々といった様子でスプーンを取った。じっと、にゃんじろー柄を見つめながら。
「ほら、にゃんじろーも食べろって」
「うー」
 蘭は真っ赤な顔でしばし悩んでから、少しだけスプーンにとってお粥を口へと運んだ。にゃんじろー効果もあるのかもしれない。熱い為に、ふうふうと冷ましてから。
「……どうだ?」
「おいしいのー……」
 柔らかく優しい味のお粥は、蘭の口の中にふんわりと溶けて行ったようだった。葛はほっと安心する。
「ほら、食べられるだけで良いから食べなさい」
 蘭はこっくりと頷き、はふはふとお粥を食べ始めた。胃は空っぽの筈なのだから、一度食べ始めると食べられるものなのだ。とはいっても、体が受け付けるのはいつもよりも少ない量なのだが。
「ごちそうさまなのー」
 案の定、蘭が食べたのはお椀一杯だけであった。それでも、何も食べないよりはいい。葛はにこ、と笑って蘭の頭をなでた。
「よく食べたな、偉いぞ」
「えへへー」
 照れたように笑う顔も、いつもよりも元気が無い。葛は少しだけ不安になる自らの気持ちを抑え、再び微笑む。
「ほら、偉いからご褒美だ。……食べられるかな?」
 葛が蘭の前に、プリンを置いた。いつもとは違い、様々なフルーツに囲まれている。蘭の目が、ぱあ、と輝く。
「食べるのー!」
 蘭はお粥を食べていたスプーンをぎゅっと握り直し、プリンに取り掛かった。時々フルーツを口にしながら。
 結局、お粥の時とは全く比べ物にならないほどの短時間で、プリンはなくなってしまった。葛はほっと安心する。
「ごちそうさまなのー」
 蘭は再び手を合わせ、コタツに手を突っ込む。食べ物を食べたお陰か、多少は元気が出たようだった。
「ほら、蘭。お布団に行こう」
「えー」
 心から嫌そうな蘭に、葛は上着でぎゅっとくるみこんでやる。
「ほら、大丈夫だろ?行こう」
「あったかいのー」
 蘭はそう言い、言われた通りにコタツから出て布団に向かった。コタツから出た一瞬は寒かったようだが、すぐに布団に到達してもぐりこめば、温かかった。
「あ、右を下にするんだぞ?」
「はい、なの」
「……と、薬を飲まないとね」
 葛はそう呟き、薬と水を取りに向かった。コップに水を入れ、薬と一緒に蘭が寝ている所まで戻ると、布団の中に蘭が潜り込んでしまっていた。布団の山が出来上がっている。葛は思わず笑ってしまいそうになるのを我慢し、一つ咳払いをしてから布団をぽんぽんと叩く。
「蘭、どうしたんだ?」
「お薬、いやなのー」
 山から声が響く。葛はぷっと吹き出し、再びぽんぽんと叩く。
「ちゃんと飲まないと、元気になれないぞ?」
「でも、やなのー」
 蘭の声に、葛は苦笑する。
「でも、あまり長引くとお医者さんの所に行かないといけなくなるぞ」
「お医者さん?お医者さんって、なあに?」
 蘭の声に、葛は悪戯っぽく笑う。
「そうだな……お注射とかするかもね。針をぶすっと腕に刺す奴」
「……お注射、やなのー!」
 ぐぐぐ、と再び布団の山が動いた。葛は再びぷっと吹き出した。薬は嫌だが、注射はもっといやなのだと思い、どうしたらいいのか悩んでいるのが手に取るように分かるからだ。
「ほら、蘭。お薬飲んで、元気になろう?」
 葛が優しく言うと、蘭はそっと布団から顔を出した。頬はまだ赤い。
「そしたら、お注射はない?」
「ないよ」
 きっぱりという葛に、蘭はゆっくりと起き上がった。水の入ったコップと薬を受け取り、ぐいっと飲み込む。飲み込んだ後、うえーっという顔をするのも忘れない。目には涙がうっすらと溜まってもいた。
「よしよし、よく頑張ったな」
 葛は蘭からコップを受け取る。蘭は嫌な顔をしたまま、口を開いている。口の中が苦いのかもしれない。葛は苦笑し、その開いたままになっている口にぽいと何かを入れてやった。入れられた蘭はそれをきっかけに口を閉じ、味を確かめてからにこっと笑う。
「甘いのー」
「蘭が頑張ったから、ご褒美。コンペイトウだよ」
 葛はそう言うと、蘭をゆっくりと布団に寝かせた。額にぺたりと張るタイプの熱を冷ますシートを張ってやり、優しく頭をなでてやる。
「コンペイトウを食べ終わったら、ゆっくりと寝なさい。そうしたら、絶対に元気になれるから」
「あのね、持ち主さん。僕ね、気付いたの」
 蘭はそう言い、にこっと笑う。
「風邪には風邪薬でね、僕にはコンペイトウなの」
「……薬が?」
「そうなの。元気になれる薬なの」
 葛はくすりと笑って「そうだな」と言いながら蘭の頭をなでてやり、しっかりと布団をかけてやった。
「持ち主さん、どこかに行っちゃうの?」
 部屋を出ようとした葛に、蘭は不安そうに話し掛ける。葛は首を振り、微笑む。
「大丈夫だ。今日は、ずっと傍にいるからな。……ここのドアも開けておくし。だから、安心しなさい」
 葛はそう言い、出ていきかけたドアを開け放つ。繋がった空間に、蘭はほっとした表情を見せた。
「お昼は何か食べたいものでもあるか?」
「……ううん」
「そうか……」
 葛が考え込んでいると、蘭ははっと思いついたように顔を輝かせる。
「持ち主さん、僕、またプリン食べたいのー」
「プリン?」
「またね、いっぱいフルーツがあってね……」
「さっき食べたような?」
「そうなのー」
 嬉しそうに頷く蘭に、葛はくすりと笑いを漏らす。余程気に入ってくれたようだ。ならば、食べさせておく方が良さそうだ。
「分かった。……プリンを美味しく食べる為にも、しっかりと寝ておくんだぞ」
「はいなのー」
 蘭はそう言い、じっと葛を見送った。その後もずっと開け放たれたドアを見ていた。普段ならば閉ざされた空間になってしまう筈の部屋が、繋がっている感じをずっと与えつづけている。
 ドアが、開いているから。
 蘭はそっと微笑んだ。開いているドアを、じっと見つめて。
「そうだ、蘭。お昼はうどんなら食べられるんじゃ……」
 葛ははっと気付いて、蘭に尋ねる為にドアを覗いた。が、答えは返ってこなかった。蘭は小さく「ふにゃ」と言いながら、目を閉じて笑いながら眠っていたから。
「そっか……寝たんだ」
 葛はそっと微笑み、再び頭を撫でてから布団をもう一度かけなおしてやった。
「早くよくなるんだぞ」
 ふに、と小さく蘭が答えた。きっと寝言だっただろうけれども。
 葛は蘭を起こさないようにそっと部屋を後にした。早く元気な声が聞こえる事を、心から祈りながら。

<元気になる薬を用意しつつ・了>