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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『電脳の女神と白衣の女神が出逢った日』


 早朝の澄んだ汚れの無い空気の中をリンファ・スタンリーは歩いていた。
 家路へとつくその足をふと止めたのは、24時間営業のファミレスの窓際の席についている数藤恵那を見つけたからだ。
 彼女はとても眠そうな顔をして、コーヒーを飲んでいた。
 その恵那の様子にくすっと笑いながらリンファは肩を竦める。
 そして彼女は家へと向けていた足をファミレスへと向けた。
 自動ドアが開いて、やはりどこか眠そうにしているボーイが「いらっしゃいませ」と声だけは元気にかけてくる。
「おはよう、恵那クン」
 どこかからかうような口調で言ってやるリンファ。
 眠そうな目を向けてきた恵那は銀糸ような髪の下にある褐色の美貌に浮かんだどこか悪戯っぽい笑みに、ちょっと眉根を寄せた。
「リンファ。どうしてここに? 珍しいじゃない」
「まあ、ちょっと野望用で。恵那クンは?」
 肩を竦めて、リンファは恵那の前の席に座った。脱いだコートは隣の椅子に置いて、足を組んで、テーブルに頬杖をつく。
「随分と眠そうだけど?」
「ついさっきまで手術をしていたの」
「それは、お疲れ様だったね」
 わずかに目を見開いて意味ありげな苦笑を浮かべたリンファに恵那は訝しげに眉根を寄せるがそれも数秒。彼女は大きく溜息を吐いて愚痴った。
「暴力団同士の抗争って奴なのかしら? 中国人とそれと日本人の銃創をこさえた瀕死の三人がうちの病院に運ばれてきたのよ。それでその三人を同時に手術」
「それはそれは。この平和な日本でもそんな事があるのね」
 リンファは恵那があくびをしている前でちろりと舌を出した。
「どうかした、リンファ?」
「いいえ、別に」
 注文を取りに来たボーイにリンファはブラックコーヒーとパンケーキを注文した。
 そしてお疲れの恵那の顔を見て微苦笑を浮かべながら眼鏡のブリッジを人差し指の先で押し上げると、コートのポケットから取り出した幾つかの飴玉をテーブルの上に並べる。
「疲れてる時は甘い物がいいのよ」
 ウインクするリンファに恵那は苦笑した。
「そうね。じゃあ、お一つ頂こうかしら?」
 すらりとした細く長い指で飴玉一個つまみあげて、包み紙を剥がした飴玉を口に放り込む。
「甘い」
「それは、メロンの味だからね」
 二人で笑いあう。
「だけどこの飴玉はどうしたの? まさかいつも持ち歩いているとか?」
 悪戯っぽくそう笑って訊いてきた恵那にリンファはまさか、と笑う。そして、その飴玉の中の一つをつまみあげて、誇らしげに言う。
「これは私の今回の依頼料」
 そして驚いたように目を見開く恵那にくすくすと笑う。
「何よ、その意外そうな顔は? 失敬ね」
「ごめん。ごめん。だけどそのお客さんはよっぽどあなた好みのお客だったのね。あのリンファ・スタンリーに飴玉で依頼を受けさせたんだから」
「好み…そうね。とても私好みのいい客だったわ。なんせ心が震えて、鳥肌が立ったんだから」
 頬杖つきながらにこりと笑うリンファに恵那はくすりと笑った。
「変わらないわね、あなたのそういう所は。私と出会った時もそうだった」
「そう? だけどそれはあなたも一緒でしょう、恵那クン? 救急指定病院でもないのに、銃創の患者を受け入れて、朝まで長時間の手術をして。しかも警察の護衛つきとはいえ、仲間や敵対者が乗り込んできて、また乱闘騒ぎとなるかもしれない。なるほど、恵那クンの所にその患者たちが来たのはあちこちの病院をたらい回しとなった結果なんだろうね。自分の前にある命は、例えそれがどのようなモノでも見捨てない、それは恵那クンの医者としてのスタイルでしょう?」
 片方の肩だけを竦めて笑うリンファに恵那も微笑んだ。
 そう、二人が出会い、こういう関係となったのも、そのお互いのスタイルがあったから。



 ――――――――――――――――――
【恵那】


「ダメだわ、わからない」
 がん、と叩かれたデスクの上から微妙なバランスで積み重ねられていた医学書の山が崩れ倒れた。
 それを拾い上げもせずに数藤恵那は前髪を苛だたしげにくしゃっと掻きあげた。
 ノートパソコンの画面に映し出されているカルテを睨みつけて、恵那は舌打ちする。キーボードを叩き、昨日の夕方、彼女が運ばれてきてからオーダーした検査の数々の結果や彼女の病歴、体のデーターなどに今一度目を通すが、しかしこれといった病歴も何かにアレルギーを持っている訳でも無い。
 恵那は溜息を吐き、院長室から彼女が入っている病室へと向った。ベッドの上の彼女は痛々しいぐらいに様々な機械に繋がれていて、心臓の動きを絶えずグラフ化している機械に表示されているその心臓の様子は明らかに異常であった。彼女の華奢な体だって、絶えず痙攣しているためにベッドに拘束具で縛られている。早く何とかしなければ彼女の心臓は破裂するだろう。
「でも一体どうして?」
 最新の医学でも彼女のその容態は解明できない。そして恵那の持つ力【魔眼】ですらも。
 だったらどうすればいいと言うのよ?
 彼女のベッドの脇に置かれたカートの上には、写真立てがあって、その木製のフレームの中にある写真に写っている彼女は新婚の旦那と共にとても満ち溢れた幸せそうな笑みを浮かべていた。
 アメリカでは旦那の精液が原因でアレルギー性のショック症状になったクランケの病例があった。もちろん、その可能性も考えて恵那は旦那の精液も調べさせたが、しかし彼女にアレルギー反応を出させる結果は見られなかった。
 完全に手詰まりだ。
「突発性の異常が彼女に出たのか、それとも何かのウイルス? ウイルスであるなら、それを突き止めなければ第二第三の犠牲者が出る。だけど同じ家に居るのに彼女の旦那にはそれが認められない。だったら先天性のモノか?」
 恵那は首を横に振る。
「いやいや。彼女の家族に確認取ったじゃない。彼女の家系にはそういう病歴を持つ人はいなかった。だったら、やっぱり突発性の……」
 ならば彼女を救う手立ては無いのか?
 高い知能を誇る恵那。しかしさしもの彼女の思考も今はとりとめもなく同じ事を考えるばかり。時間は、無駄に過ぎ去っていく。
 目の前でどんどん弱っていく患者に何もしてあげられない自分に歯がゆさと怒りを覚えて、恵那は下唇を噛み締めた。切れた下唇から血が滲み、口の中に血の味が広がる。
 手立ては無い?
 それは本当に?
 瞼を閉じていた恵那が、その閉じていた瞼を開いた。そして鋭く細められていた彼女の瞳にはある強い意志が宿っていた。そう、消そうとしても決して消えない炎を凝縮したような意志の光。
 そして恵那はベッドの上の患者に微笑むのだ。
「待ってて。今、助けてあげるから」
 写真の中だけの笑み、過去の笑み。それが遠い昔の干渉のためだけの物には私がさせない。またあなたに笑みを浮かべさせてあげるから、だからあなたもがんばって。負けないで。
 恵那は、早足で自分の部屋へと舞い戻ると、受話器を取り上げた。



 ――――――――――――――――――
【リンファ】


 都内某所にある廃ビル。
 人に使われない建物はこうも傷むものなのかという感じでその建物の外見は荒みきっていた。
 しかしそこは確かに廃ビルのはずなのであるが、人が出入りしている形跡があるのだ。窓硝子が割れていたり、窓枠だけであったり、風に飛ばされてきたビニール袋などが転がっている廊下。だがその風景は最上階の廊下では見られなかった。そして確かにそこには人の気配が在るのだ。
 最上階の部屋の玄関のドアの向こう、そこに広がる空間。そう、そこには確かに人が住んでいた。
 廃ビルのはずなのに電気がきている。それが何よりもの証拠なのだ。
 その部屋にはいくつものパソコンが置かれていた。そしてそのパソコンの全てを操ってひとりの女性が凄まじいスピードで情報処理をこなしていく。彼女の動きは明らかに極めている、という風であった。
 細いデザインの眼鏡のレンズの奥にある瞳と指の動きはバラバラだ。指の動きが先を行き、視線はその結果に向けられている。
 部屋にあるパソコンのすべての画面がブラックアウト。そしてその一瞬後に画面には膨大な人の名前と数字が表示されていく。
 銀髪で褐色の肌の女性はくすっと口許だけで不敵に笑うと、Enterキーを叩いた。そしてMOを取り出すと、そのMOに白のルージュが塗られた唇を当てる。
「やれやれ。これでまた退屈になっちゃったわね」
 何人もの政治家が辞職に追い込まれる事が必至な情報でさえも彼女は然したる難も無く得られた。ではこの彼女の退屈を紛らわせられるモノが果たしてこの世に存在するのであろうか?
 何度目かの溜息を彼女が吐いた時、しかし女性の溜息しか聞こえなかった部屋に携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 何年か前のスパイ映画のテーマ曲であるその着信音に女性は唇の端を吊り上げて、携帯電話の通話ボタンを押した。ちなみにこの瞬間にこの携帯電話の電話番号は切り捨てられていて、再びこの相手がリダイヤルボタンを押してももうこの女性の携帯電話には繋がらない。新たな電話番号と端末が接続されているからだ。そういう事でさえも彼女はあらゆる携帯電話の会社のホストコンピューターに進入して可能にしてしまっているのだ。もちろん、彼女は電話もメールもし放題だ。
『……もしもし。繋がったの?』
 携帯電話の向こうから聞こえてきたのは女性の声であった。彼女の経験から言って高学歴で社会的にも高位の者である事がそのしゃべり方から推測できた。
 彼女は足を組み替えて、嘲笑を形作っていた唇を動かす。
「あなたはどこにこの電話が繋がっていると想うのかしら?」
 一瞬の、間。そして電話の向こうの彼女が言った。
『情報屋よ。裏社会では名が知れ渡っている情報屋。情報が買いたいの』
 間は…彼女が要した覚悟の時間はほんの一瞬だった。その選択の時間にも、電話から聞こえる彼女の声にも、彼女が置かれている切羽詰った様子が感じられた。
 犯罪…殺人を犯す者は実はもう既に失敗している者である。つまり殺人とは、その者を殺さなければならないところまで自分が追い詰められているのだから。
 だから彼女に言わせれば殺人などは愚の骨頂なのだ。
 ではこの携帯電話の向こうの女性は?
 とても高い知性を感じさせる彼女。自分に電話をかけてきながら、しかしこの電話の向こうの女性はまったく隙を見せていない。なかなか食えない相手なのだ。それを彼女は面白いと想った。故に彼女は、
「OK。では、詳しい話を聞きたいからこちらから指定する場所に来てもらえるかしら?」
 と伝えた。



 +++


 彼女の指定した場所は森林公園であった。
 周りを森に囲まれ、湖があるとても美しい場所だ。
 彼女はその公園に走るハイキングコースにあるベンチに腰を下ろして、電話をかけてきた女性を待っていた。
 そして彼女は細いデザインの眼鏡のブリッジを人差し指の先で押し上げて、小首を傾げる。
「こんにちは」
 彼女にはわかった。自分の前に立った女性があの彼女だと。
 年の頃は自分と同じぐらい。黒髪に縁取られた美貌にはやはり一片の隙も無いクールな表情が浮かんでいて、瞳には揺らぎない意志の光が宿っている。
「あなたが情報屋ね?」
「ええ」
 女性は彼女にこくりと頷いた。
「で、あなたは何の情報が欲しいのかしら? 自分でやれるだけの力と意志、覚悟を持つあなたが、私を頼ってくる理由とは何?」
 風が吹き、周りの樹木の枝が擦れあって、それは一つの楽曲となって、彼女らがいる空間を満たした。
「患者がいるのよ。原因不明の病気に犯された」
 そして女性はその患者についての説明をした。
「なるほどね。それは大変だわ」
 彼女は組んだ足を組み替えながら気だるそうに肩を竦める。
「依頼は受けてもいいわ。ただし高額よ? しかし果たしてあなたにそこまでやる義理はあるのかしらね。まず普通の人間には私への依頼料は払いきれない」
 つまりは病気を治した患者に女性がその情報料を上乗せした治療費を請求しても、その元手は取れない、と彼女は言ったのだが、しかし女性はふっと笑いながら首を横に振った。
「別に患者に依頼料を請求するつもりはないわ。これは私が勝手にやってるのですもの」
「なぜそんなに真剣なのかしら? 他人のために。金でないのなら、その理由とは何?」
 真っ直ぐに彼女は女性の緑の瞳を見、女性は彼女の青の瞳を見つめる。
「私は救えるかもしれない命を、ただ散らすのが嫌なだけよ。正義感とか義務感とかじゃない。ただ私は救える者は救いたい。ただそれだけなのよ」
 それを聞いた彼女はやれやれと肩を竦めるとベンチから立ち上がった。そして眼鏡を外して、女性に微笑む。
「この依頼、確かにお受けしたわ。このリンファ・スタンリーが」
「ありがとう。私は数藤恵那。私にできる事があるのなら、私も協力する」
「ええ」
 リンファと恵那は握手をした。



 ――――――――――――――――――
【恵那】


 そこは明らかに廃ビルであった。
 しかし前を歩くリンファは何の躊躇いも無くその廃ビルの中に足を踏み入れ、エレベーターのボタンを押して、ケージを呼び寄せたのだ。
「廃ビルなのに電気が通っているの?」
 驚く恵那にリンファは肩を竦めて、「入って」と促した。彼女の驚きを面白がっている声で。
 ちーん、とチャイムが鳴って、ケージから降りて、そしてその最上階のビルの部屋に入る。
 その部屋だけは、これまで見てきた廃ビルとはまったく別の空間かと思えるほどに整えられた部屋であった。
 いくつものパソコンは使い主の使い勝手だけを考えて配置されていて、椅子にリンファが座ったその姿を見て、恵那はそこがリンファのためだけに作られた空間である事を確信した。
 幾つもあるキーボード。その全てのキーボードのキーを彼女の指が魔法のような鮮やかさで叩く。
 なるほどリンファのスキルは確かに驚異的だった。しかし恵那は眉根を寄せる。リンファは一体何を調べているというのであろうか? 彼女は恵那が持ってきた患者のカルテを見るなりふんと鼻を鳴らすと、恵那をここに連れてきて、そしてパソコンのキーを叩き始めたのだ。
(リンファはカルテを見て鼻を鳴らした。かつて同じような症例があったというの? いやいやそんな訳は無い。確かに私は過去の症例もすべて彼女の病状に照らし合わせた。無かったのよ、彼女と同じ症例なんてどこにも。彼女は間違いなくこれまで一例も報告されていない病気に犯されているの。ではリンファは一体カルテを見て何に気付いたというのよ? 私の知らない何の情報を彼女は持っているというの)
 キーを叩いていた指が止まった。そしてリンファが恵那に顎をしゃくった。
 恵那はパソコンの画面に視線をやって、そして絶句した。
「これは、彼女の症状と同じ。だけど待ってよ。彼女と同じ症状はまだ報告されていない……ちょっと、待って。これは何なの? これはどこの……」
 パソコンの画面に表示されているドイツ語で書かれた研究報告書は確かにあの患者の症状と一致していた。
 しかしそれは医学界のコンピューターに登録されたモノではない。
 ではそれは一体?
 顔色の悪い恵那はリンファを睨むように見た。
「それは中国のやっていた研究よ」
「中国の?」
「そう、中国の。中国が研究していた細菌兵器。ほら、数年前にSARSってあったでしょう? あれは中国が極秘裏に開発していた細菌兵器がバイオハザードによって外に漏れて、起きてしまった騒ぎだったの。初めて確認された患者もそれ関係者だったでしょう? テレビ番組でもそれを扱ったのがあったのだけど見なかった? そのせいか中国はSARSの研究を放棄。それに携わっていた研究者も全て極秘裏に殺した。だけどそれを免れた人物が居て、そして彼は自分が生き延びるためにその情報の全てをネットに流したの。SARS開発の一環として生まれた細菌兵器の情報と一緒にね。その細菌兵器は闇市場で全て売買されたわ」
 恵那は髪を掻きあげて舌打ちする。
「それの解毒剤は? 解毒剤もあるの?」
「うん。あるわよ」
 頷くリンファの胸元を恵那は鷲掴んで、そして自分の鼻の頭がくっつぐらいに顔を近づけて、問いただす。
「じゃあ、その解毒剤。その解毒剤の情報を探して。お金はいくらでも払うから」
 金切り声で叫ぶ恵那の唇にリンファは右手の人差し指をあてた。
「それよりも犯人から奪った方が早くない? 解毒剤を」
「え? 犯人って……」
 恵那は愕然とする。そう、細菌兵器である以上彼女にそれを使った人物は居るのだ。
「それが誰かもあなたにはわかっているの?」
 そう問う恵那にリンファは笑った。とても酷薄に。
「それはもう恵那クンにもわかっているはずでしょう? カルテにも書かれている。彼女は車の運転中に発作を起こして事故を起こし、あなたの病院に運ばれたって」



 +++


「つまり、それをやれるのあなたしかいないのよ」
「どういう事だ?」
 犯人は自分の前に立つリンファと恵那に押し殺した声で言う。
「この細菌は密閉された空間でしか活動できないのよ。しかもその時間はわずか5分前後。細菌に犯された体に反応が出るのは感染後3分以内。だったらもう考えられるのはこの細菌兵器は車に仕込んであったとしか考えられないわ」
 犯人は付き合いきれない、と院長室を出て行こうとするがしかし、その院長室のドアの鍵はいつの間にか施錠されていた。
 犯人は恵那を睨みつける。
「うちの看護婦に外から鍵をかけさせました。外からしか開けられないわ」
「どういうつもりだ!!!」
「どういうつもりもなにも……」
 そして恵那は薄く笑いながら院長室のエアコンを入れた。
 どんどん気温が下がっていく部屋にはエアコンの音しか響かない。恵那もリンファも、犯人も黙っている。しかしその表情は違っていた。恵那とリンファは薄笑いを。そして犯人は真っ青な顔で震えている。
 そうして犯人は二人を睨みつける。完全にイッた眼で。
「貴様ら、まさか…」
「ビンゴ。この院長室のエアコンには彼女の車のエアコンに仕掛けられていた物を仕掛けたわ。そう、細菌兵器は彼女の車のエアコンに仕掛けられていた。あなたなら彼女が暑がりで、この時期に車に乗る時は必ずクーラーを入れる事は知っていて当然だもの」
「じょ、冗談じゃない」
 犯人はがんがんとドアを叩き、蹴り始める。
 その犯人に恵那は言う。
「私が電話で外に連絡しない限り開かない。さあ、認めなさい。自分が犯人だと」
「貴様ぁーーーー」
 犯人は恵那に襲いかかる。犯人の手が恵那の胸元を乱暴に掴んで、しかし恵那は逆にその犯人の手を両手で掴んで、わずかに左足から右足に重心移動させて両の手首を捻らせて、
「あぎゃぁ」
 恵那は犯人を投げ飛ばしたのだ。
 そして恵那は犯人の腹に片足を乗せて言う。
「さあ、もう直にあなたもそして私たちも細菌によって発病するわ。それが嫌だったら、認めなさい。彼女の旦那であるあなたが犯人だと。そしてその細菌兵器と一緒に買った解毒剤もこちらに渡しなさい」
「細菌兵器は解毒剤とセットで売るのが常識。あなたが隠し持ってるのはわかってるわ」
 リンファも銀糸のような前髪を右手の人差し指で掻きあげながら小首を傾げて、彼の腹の上に乱暴に片足を乗せて、踏み躙る。
 恵那は笑った。
「ほら、早くしないと、もうチアノーゼが出始めたわよ」
 彼は大きく目を見開いた。そして悲鳴のような声で言った。
「俺の家の部屋の机、1番目の引き出しにある」
 そう彼が言った瞬間に恵那は走り出し、白衣のポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込んで、部屋から出て行った。
 それを見送ってリンファはクーラーをリモコンで切る。
「さてと、じゃあ、あなたは警察に行こうか?」
「ま、待ってくれ、解毒剤を、俺にも」
 そう震える声で言う彼にリンファは笑う。ものすごく意地悪く。
「ああ、その事なら安心していいよ。全部嘘だから。この部屋のエアコンに細菌兵器なんて仕込んでなんかいないよ」



 事件の真相はこうであった。
 IT企業の社長である彼は取引先の社長の娘と恋仲となり、その彼女を妊娠させて、妻が邪魔者となったのだ。
 だから彼は妻を原因不明の病気で殺すためにその細菌兵器をネットで買い、犯行に及んだのだ。
 最初は恵那もそれを信じられなかった。彼女は写真の中の二人を、ずっと妻に付き添っている彼を見ていたから。
 しかしその彼女にリンファはネットに残っていた旦那が細菌兵器を買った証拠を取り出して、見せたのだった。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「あの時は最高だったわね、あの犯人の顔」
「そうね。ああ、でもできる事なら、一発彼の頬にビンタをあげたかった」
 悔しがる恵那にリンファは肩を竦める。
「恵那クンは彼を充分に痛めつけたじゃない。恵那クンに投げ飛ばされたあれで彼、肩を脱臼して、鎖骨と肋骨も折れていたんでしょう? 確か肩の脱臼は癖になるって聞くけど」
「まあね。でも彼女の分も殴ってやりたかったのよ」
 ひらひらと手を振る恵那。
 リンファはくすくすと笑う。
「それで彼女はその後どうなのよ?」
 するとそれまでひどく悔しそうな表情をしていた恵那が綺麗に微笑んだ。
「元気よ。今は体も完全に回復して、オーストラリアに留学してるわ。また新しい人生を歩むためにね」
「そう。それは良かったね」
 そしてリンファと恵那はコーヒーを飲みつつパンケーキを食べて、とりとめもない雑談をして、恵那の病院が始まる2時間前になると、二人同時に席を立ち、レジを済ませて店の外に出た。
「さてと、これからまた私は病院に戻るわ」
 病院に戻って熱いシャワーを宿直室で浴びて、お泊りセット(車の荷台にある旅行鞄にはいつでも病院に泊まりこめるように服と下着、ちょっとした物が詰め込まれている。)に入れてある衣服に着替えをして、いつも通りに診察をするのだ。
 うーんと伸びをする恵那。
 その横で眼鏡のブリッジを押し上げながらリンファは笑う。
「それはお疲れ様。私はこれからうちに帰って熱いシャワーを浴びたら一眠りするわ。ぐっすりとね」
 意地悪くウインクしながら笑うリンファに恵那は意地悪ね、と舌を出して彼女もまたくすくすと笑った。
 そして二人は互いに背を向け合って、そこを後にした。



 ― fin ―



 ++ライターより++



 こんにちは、リンファ・スタンリーさま。
 こんにちは、数藤恵那さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 ご依頼ありがとうございました。^^


 今回のお話は前回やらせていただいたリンファさんのお話のすぐ後にあったお話です。^^
 恵那さんの愚痴を聞きつつ、舌を出すリンファさんの描写を書くのがなんとも楽しく。^^
 そしてお互いに変わらない、と、過去の出逢った頃の話に流れるシーンも個人的には好きな雰囲気だったりします。


 リンファさま
 BUイラスト完成おめでとうございます。^^ とても綺麗なイラストですね。設定文を読みながら想像していたリンファさんのお姿をこうして絵にして見られるのはとても嬉しく。^^
 イラストに見合う、PLさまのイメージに添うリンファさんを頑張って描写したのですが、どうですか? 少しでもPLさまのイメージに添う事ができていたら嬉しい限りです。
 でも本当に高い知識とスキルを持って、ネットを活用して、悪を懲らしめるリンファさんは書いていると楽しいし、すっきりとします。^^


 恵那さま
 前回は助けられなかった患者への想いを書かせていただき、とても楽しかったのですが、今回は患者を救うために手立てを厭わず、そして犯人を追い詰める彼女を描けて本当に嬉しかったです。^^
 やはりとても心優しく気高いお医者さまである恵那さんを書けるのは楽しいです。
 一番好きな設定は亡くなった患者さんの好きな物を嗜んで供養する、というのですがやっぱり恵那さんが患者を救えるシーンは書いていて嬉しいですね。^^
 でもまた患者さんの好きな物を嗜んで供養する恵那さんも書きたいかな。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。