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<東京怪談ノベル(シングル)>


忘れない










かつて、共に夢を語った者が居た。
音楽家とスポーツ選手、夢見ていたのは御互い全く別の道。
だけどボクの一向に巧くならないベースの練習を飽きもせずに見ていたのは彼だけだったし、逆に一向にレギュラーのとれない彼の練習に付き合ったのもボクだけだった。

夢とは程遠い場所に居たのに。
彼と過ごした時間はとても楽しくて、胸の中で何時までも輝き続ける宝物だ。

其れなのに。
其れなのに、キミは逝ってしまった。
呆気ないほどあっさりと、夢を果たす事も無く──

山口・さなは、くしゃりと訃報を握り潰した。





「……先輩」

黒と白で統一された葬式会場。糊の利いたスーツに身を包んださなに声を掛けたのは、同じくぱりっとしたスーツを着込んだ草間・武彦だった。何時もよれた印象しかない彼も、この日ばかりはきちんとしたスーツに身を包んで畏まっている。
呼ばれたさなは、後輩に軽く手を振り返して答えた。

「やっぱりキミも来てたんだね。……はは、当り前か」

自分の言葉に自嘲するように笑って、さなはゆっくりと手を下ろした。何時もの『「imp」のベーシスト・Sana』である彼なら、絶対に見せないような表情だ。居た堪れなくなって、武彦は言葉を詰まらせた。

彼──さなの親友であった男の、葬式。其れは彼がもう確実にこの世に居ない事を示す事であり、最後の別れの事でもある。武彦は知っていた。後輩として、二人の共通の友人として、ずっと見てきた。高校時代、二人が共に支えあって進んできた道を。

「先輩は──御別れ、済ませましたか」

聞いて、武彦はちらと棺桶の方を見遣った。二人が離している場所よりも少し遠い場所、親族や友人らに囲まれている其の柩は、やけに白く清々しく見える。周りが黒のスーツや着物ばかりだからであろうか、余計にだ。其れが酷く武彦の胸を掻き乱して、何とも言え無い気持ちになった。
少しだけ交友があった後輩に過ぎない自分が、こんな思いをするのだから──さなはもっと、気持ちを取り乱しているのだろうか。其れとも、其れすら通り越して、凪いだ海のような穏やかな気持ちなのだろうか。少しだけ曇った其の表情からは、どちらとも伺えない。

「……うん、さっきね。────ねぇ、草間。少しだけ、ボクの話、聞いてくれるかな」

さなは顔を上げ、少しだけ悲しそうに微笑んだ。陽を翳したら、雪のように儚く融けてしまいそうな程の悲しい笑顔。武彦は、ゆっくりと神妙に頷いた。

「高校時代、ボクとあいつがツーカーだったのは知ってるだろ?」

ぽつりぽつりと、さなが喋り出す。
少しざわめく会場が、酷く無粋に思えた。

「ボクの巧くならないベースを辛抱強く聞いてくれたのはあいつで、レギュラーになれないあいつの練習に付き合ったのはボクだった」
「……ええ」

武彦は頷く。放課後、毎日のように音楽室からは下手なベースの音が聞こえ、グラウンドの隅には二人きりで練習をする姿を見たのを覚えている。数年以上前の話だが、今日は妙に鮮やかに思い出せる。
さなはゆっくりと瞼を下ろし、そうしてゆっくりと息を吐いた。思い出すように。取り戻すように。何かを、埋めるように。

「卒業式のときにね。ボクとあいつは、必ず夢を果たそうって励まし合って別れたんだ。──其れを、思い出して」

呟き終えた唇が、微かに震える。さなの閉じられた瞼からは、じんわりと涙が滲んだ。滲んだかと思えば、其の涙は綺麗な大粒の形を為して、ぽろぽろと頬を零れ落ち始める。頬を伝い顎を伝い、涙は真新しいスーツに染みを作った。
武彦は何も言わない。只黙ってさなの話を聞き、泣く様子を揶揄(からか)いもせず真剣に見詰めていた。

やがて、ゆっくりとさなの瞼が押し上げられる。まだ零れ落ちる涙を拭おうともせず、さなは泣きながら微笑んだ。

「夢を果たせなかったあいつと、あいつの思い出は、残らずボクが持って行こうと思うんだ。……絶対に、忘れない為に」

武彦は無言でハンカチを差し出した。紺色の無地の其れを、さなは有難うと言って頬に押し当てる。
だが、涙は止まらなかった。流れる涙を押さえるようにぎゅうと強く目を瞑ると、さなの喉奥からは、ひしゃがれたような嗚咽が漏れた。

「忘れ、ない……っ……、絶対、絶対に……!」



どうかキミが、安らかで在れますように。
ボクがキミを、忘れないように。





■■ 忘れない・了 ■■