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■オープニング 〜誰が為に道はある。〜
なぜだ。
どうして、こんな事になってしまったのか分からない。
思いながら、松浦・大史(まつうら・ひろし)は走っていた。
2月初旬の深夜だった。翌日の0時ジャストに、何を思ったのか新作のゲームソフトがフライング販売されるとの情報を得て、その大型ゲームショップに向かっていたところだった。限定100個、それを逃せば正規の発売日まで指をくわえて待たねばならないとあって、気合の入り方も違っていた。
せめて、その情報が昨日入っていたなら、こんなに慌てずには済んだものを。
何はともあれ、彼は、全速力で走っていた。
そうして、・・・気が付けば。
何故だ、他にも走っている奴らがいる。同じ、この西向きの大通りを。
・・・まさか、・・・全員ゲーム狙いなのか?いやまさか。
・・・こんなに、大勢が?
「ありえねえだろ?」
■ゴンスケ、疾駆八苦(しっくはっく)する。
柴犬・ゴンスケ(しばいぬ・ごんすけ)は走っていた。
酷く冷え込む夜だった。余り雪の多くないこの街に、粉雪が散り敷くような寒さだった。寒さにはめっぽう強いゴンスケだったが、だからといって身に堪えない訳では無い。雪と戯れるのも楽しいけれど、夜が更けると心寂しくなるのも雪の日の常だ。
どこか、丁度良い今宵の宿は無いものか。
思いながらとことこと歩いていた。丁度其処へ、大通りをこちらから向こうへ走り去る影と遭遇した。
ついて行ってみよう。なんとなくそんな気になったのは、ごく自然の成り行きだった。人の走る方に人の集まる場所があると、長い旅の間にゴンスケは学んでいた。確か、この先には駅があったように思う。書類を手にしきりと時計を気にしているから、恐らく電車に乗るつもりか、もしくは待ち合わせに遅れたかだ。
ぐんと雪を蹴って、その背中に近づく。まだ向こうは気がついていない。
わん、と呼びかけるつもりで口を開きかけて。
ゴンスケは耳を立てた。まん丸の目を珍しくきつく細め、周囲をきょろきょろと見回してみる。気がつけば取り囲むように走る大勢の影の中に、一つ二つ見定めた気配。
ああ、この女の人と、それから、あっちの男の人と。
自分を含めて、3人。
・・・どうやら。
・・・迷い込んではいけない場所に、足を踏み入れてしまったらしい。
■旅は道連れ、道は犬連れ。
・・・おかしい。
何故だろう、いつまで経っても駅に辿り着けない。
駅に行こうと走っていた、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は首を傾げた。
駅まではそう遠く無かった筈だ。しかも、間違え様の無い一本道。思いながら、再び時計を見る。
「・・・23時、59分、ですって。」
そんな筈は無い。走るペースを少しだけ落としてシュライン・エマはもう一度時計を覗き込んだ。ちょっと前も同じ時間だった。何度も時計を見ているのだから、見間違えようもない。
だが秒針は動いている。時計は、狂っているようにも止まっているようにも見えない。
「・・・あれから1分経って無いなんて・・」
ありえない。絶対に。
訝しそうにゆっくりと数度瞬きして、それから目に留まる周囲を見回す。
おかしなものは、何も無い。だったらどうして。
「・・・・・」
『寒い夜だワン。』
不意に頭に放り込まれたような声に、目を見張る。周囲を見回すが、誰かが声をかけたふうもない。
『ここだ、ワン。』
ワン、って。
シュライン・エマは足下を見遣る。
すぐ横をちょこちょこと走る者に、シュライン・エマは目を向けた。もしかして。
「・・・柴犬君、あなたなの?」
そう問うと、柴犬はにこっと笑ったようだった。可愛らしい尾をぶんと振って、挨拶するようにクゥン、と鼻を鳴らす。
『柴犬君じゃないワン。ゴンスケ、だワン。』
どっちにしても、ただの犬でない事だけは確かだ。だが悪意はまったく感じられなかった。むしろ心地よい楽しい雰囲気だけが、その体から伝って来る。
それでも、一応、問うてみる。
「・・・ゴンスケ君の、所為?」
こんな事態に陥っている、原因は。
問いは心の中で投げる。それでも相手には伝わったようだった。
『・・・違うワン。』
少し間を置いて、ゴンスケはそう答えた。
何を物思うのか、周囲を走るほかの者を見遣る。きょろきょろ見回していた目を留めると、近い場所を走る男に、吠え掛かった。
「何、何だってんだよ!?」
裏返った男の叫び声が、夜に響く。
羊が群れを追うように、ゴンスケは男をシュライン・エマの側迄追いやった。
はた、と目が合う。
何と言おうか少しだけ考えて、シュライン・エマはこう口にした。
「・・・あなたも、終電?」
当たり障りが無いが、他に言う言葉も無い。
「や、俺は、ゲームソフトを・・・」
買いに来た、と言いかけて、声が小さくなる。深夜にゲームを購入に走っていると、言うのが気恥ずかしかったのかも知れなかった。
「・・・なのに、・・・いつまで経っても駅裏につかないんだよな。」
すぐ近所の筈なのに。迷う訳も無いってのに。
ぶつぶつと呟く。
どうやら、・・・彼もなのだ。何故か、目的地に辿り着けずにいるのだ。
シュライン・エマは顔を上げた。他にも走る者はいる。皆辿り着けないでいるのだろうか。それにしては、誰も不安そうな顔をしていない。辺りを見遣っている訳でも無い。
では。
自分達、だけなのか。
『・・・みんな、・・・近くにいた方が、安全だワン。』
こっそりと、ゴンスケがシュライン・エマだけに耳打ち・・・いや、以心伝心だから「心打ち」、か・・・した。
そうして、ゴンスケが二人の前を走る。二人を守るように。
どういう理由か分からず、・・・だが離れない方が良いのだろうとそう判断して、シュライン・エマは側に追いやられた男に、仕方なく話し掛けた。
「・・・名前は?」
名を問うたのは、・・・もし本当に何事か起こった時に、咄嗟に呼べるようにだ。
『ちょっと!』とか『危ない!』では、人間意外と反応できない。それなのに自分の名前だけは、意外と雑踏の中でも聞こえるものだと、そう知っているからだ。
「松浦。松浦大史。・・・お姉さんは?」
「・・・シュライン・エマ」
見も知らない者に名乗るのもどうかと思うが、自分が聞いた以上答えない訳にもいかない。
そう心で思うと、ゴンスケがクスリと笑ったような気がした。・・・どうやら、彼は松浦には『ただのワンコ』で通すつもりらしい。
「・・・どうして?」
心で尋ねる。
『・・・自分の頭で理解できないものにぶち当たると、・・・びっくり腰を抜かす人もいるワン。』
笑いながら、ゴンスケは答えた。
この街の人間は、総じて普通の人間より怪奇現象に強い。とはいえ、全員が全員、何もかもすんなり受け入れる訳じゃない事も、知っている。
『もしびっくりして逃げてっちゃったら、・・・危ないワン。』
何か。
ゴンスケが危ないと言う理由が、あるのだ。
自分達だけが、・・・この走り続ける集団の中で、違っている理由が。
一体何なのかしら、シュライン・エマは思う。
困ったように、・・・ゴンスケはその耳をぺたんと伏せて見せた。
■満ち足りず走り行く道。
そのときだった。
不意に、シュライン・エマの体が傾いだ。
倒れかけた足を立て直して、少し不愉快そうに顔を上げる。見ればその側を、女が一人通り過ぎようとしていた。倒れそうになるほど強く肩がぶつかったというのに、詫びの一つも無い。
「ちょっと、」
思わず、シュライン・エマは声をかけた。
その声に、・・・驚いたように、女は振り返った。
「・・・え?」
それは。
本当に、・・・とても驚いた表情だった。その事に、シュライン・エマは首を傾げる。
ぶつかったのはそちらなのだ。幾らなんでも、あれだけ強く当たったのだから、気づかない訳は無いだろう。なのに。
「・・・呼び止めたのは・・・貴方?」
本当に。
心底驚いた面持ちで、女はそう口にした。
「・・・呼び止められたのなんて、・・・何時以来、・・・だろう・・・。」
「・・・・・」
何を言っているのだろう。シュライン・エマは小さく呟いて。
そのシュライン・エマと女の間に、す、と、ゴンスケが割って入る。
『こんばんわ、だワン。』
ゴンスケは、女にそう呼びかけた。実にゆっくりと下を向いて、・・・女はゴンスケを見遣る。
「・・・こんばんわ。」
驚きもしない。この女も、怪異に慣れているのだとシュライン・エマは知った。
『・・・今、思いっきりぶつかったワン。』
「・・・そうだったの。・・・気付かなかった。」
気付かない訳は無いと思う。が、ゴンスケは、シュライン・エマにそう問い掛ける事をさせなかった。
『どうして、そんなに急いでるワン?』
ゴンスケの問いに、女は話し始める。言葉を選ぶように、・・・いや、忘れていた言葉を思い出すように、訥々と。
「急いで追わなければ、間に合わないから。」
私には、大事な務めがあった。それはとても大事で・・・そうして皆の為だった。
だけどどうしても、どうしても。
自分は、好きになった男と添い遂げたかった。その務めより、男の方が大事だった。
だから務めを放り出して、男の元へと走った。男は自分を見るなり、逃げようと言ってくれた。嬉しかった。だけど男と共に村を出る時、見つかって追われる身になった。男はその途端、自分一人を置いて逃げた。
それから、ずっと、男の後を追っている。
ぽつりぽつりと、女は口にした。止まる事もせず。
同じくその側を走りながら、ゴンスケとシュライン・エマはその話を聞いていた。
そうして。
「・・・そんな男、やめておきなさいな。」
嘆息交じりの言葉とともに、シュライン・エマは女を見る。
「別に走って追わなくても、・・・一緒に歩いてくれる人は、きっといるわ。」
ありきたりな言葉だ。でも、女は目を見張った。
本当に、誰も彼女に言ってやらなかったのか。たったこれだけの言葉を。
それはそれで不思議だった。
「そうして、・・・もっとゆっくり生きると良いわ。こんなふうに走り続けないで。」
『・・・そうだワン。』
ゴンスケが、同意する。
『一緒に笑って、一緒にご飯を食べれる者の方が、良いんだワン。』
女は、・・・少し笑った気がした。
「そうね。」
ふう、と肩で息をつく。頭に重いものを乗せていたような女の眉間の皺が、少しだけほぐれた。
「もう少し早く気づけば、・・・こんなふうに走らなくてすんだかも知れないわ。」
立ち止まれたのにね。
幾分自嘲気味に、だが随分と柔らかい顔つきで、女が笑う。
■黄泉路もまた一つの道
そうして、ずっと伏せたままの視線をシュライン・エマに向ける。途端、気づいたように口を開いた。
「・・・ああ、貴方達、まだ人間なのね。」
人間なのに、ここへ迷い込んでしまったのね。
やっぱり。
思いながら、シュライン・エマはゴンスケを見遣った。
『・・・人間の、通り道じゃないんだわん。』
やっぱり、そうだったのか。
自分と、松浦という男、この二人以外は。
この世の者ではないのだ。
ゴンスケは少し趣が違う気がする。他の連中に漂う、殺伐とした感じが無い。どこまでも物柔らかで、人懐こい印象だ。
「・・・貴方たち、ここにいちゃいけないわ。」
「・・・そうしたいんだけど、出られないの。いつまで経っても何処にも着かないし。」
告げると、女は考えるように俯いた。
それから、小さく、シュライン・エマに耳打ちする。耳に届いた不思議な言葉の羅列に、シュライン・エマは顔を顰めた。音感の良い彼女でなかったら、音を捉えきれないかもしれない、不思議な響きの言葉だった。
女が、ちらりとゴンスケを見る。
わかったというふうに、ゴンスケが頷いた。
シュライン・エマを見つけると、こんなふうに促す。
『他の連中の顔を、こっちに向けるんだワン。』
「・・・注目させるの?どうやって。」
『何か、強い光で、・・照らしてみれば良いんだワン。』
この世の者でないから、嫌いな筈だワン。
ゴンスケはそうアドバイスする。
光といっても・・。シュライン・エマは松浦を見遣った。一応聞いてみる。
「・・・何か、光るようなものを持っていないかしら。」
「・・・ヒカルモノ?」
怪訝そうに鸚鵡返しに返すと、松浦がポケットを探る。
「無いことは無いけど、何すんの?」
「・・・その辺の人を、照らしてみて貰えないかしら?」
「・・・訳わかんねーけど、・・」
言いながら。
松浦が取り出したのは、カメラつき携帯だった。
そのレンズを向こうに向け、言われるままに、松浦は、シャッターを切った。
稲光が走ったようにフラッシュが瞬き、・・・その先にいる者が、いっせいに、こちらを、向いた。
「わっ!!」
叫んだ松浦に、ゴンスケはワンと吠え掛かり、シュライン・エマは思わず舌打ちする。
何だって普通にしていられないのだろう。
振り向いた者の顔は。
目が一つきりのものもあり、三つ四つの者もあり、腕が蜘蛛のように生えたものもあり、一本足のものもあり。
確かに今さっきまでは人間に見えた。だが光に照らし出すと、それが明らかに人でない何かだと知れる。・・・全て鬼だ。鬼の集団。
「人間だ、」
「人間がいるぞ、」
「人の子が、」
口々に叫びながら、その異形のものは二人と一匹を取り囲んだ。
何故、こんなに多くの鬼が。口に仕掛けて、ふとシュライン・エマは気付く。
そうか。そうだった。
やっと合点がいって、・・・シュライン・エマは頭を抑えた。心配そうに、ゴンスケが小首を傾げる。
「・・・節分会。」
「あ?」
問い返したのは松浦だった。
「・・・昨日、いや、時間が経たないから今日かしら、節分会だわ。」
鬼が追われる日。
さて追われた鬼は、どの方向に向かって移動するか。
そうして、・・・自分達が走っていた道は、何処をどう向いていたか。
「・・・鬼門から入って、裏鬼門に抜けるんだわ。」
鬼の入り口が鬼門、つまり北東であるならば、・・・出てゆく先は裏鬼門、西南だ。
あの西向きの大通り、その先の駅が西だと漠然と知っていたあの道は、正確には西南へと向いていた。そのせいで、たまたま追われ逃げる鬼達の通り道と重なり合った。
高速道路のジャンクションを間違ったのと同じように、大通りを走っていた自分達は、何処かで鬼の道へと乗り換えてしまったのだ。
「何を血迷ったか、人間が。」
「我等の道に入り込むとは不届きな、」
食え食え食ってしまえ。
鬼どもはさらに詰め寄って来る。
シュライン・エマは身構えた。
「私達になんて、・・・どうかお構いなく。・・・そのまま一緒に、走ってお行きなさいな。」
うう、とゴンスケは唸り声をあげた。取り囲むように近寄ってきた鬼どもを、牙を見せて威嚇する。どうにもならなければ飛び掛かる心積もりだった。
なんてことだ、あの女は、彼らに偽りを教えたのだろうか。
あの女もきっと捕らえられ殺されて鬼になったのだ。そうして、やはり鬼であるから、人間はみなかたきだと思っているのだろうか。
その姿を探す。
少し離れた位置で、女がこちらを見遣っている。
先程一度きり告げられた呪文らしきものが、シュライン・エマの脳裏を掠める。そうして添え告げられた言葉。
「・・・・」
歌うように、と言われても。
どのように歌えば良いのかと、幾分思案しながらシュライン・エマはその意味の分からぬまじないを、そのまま口に出してみた。
『しのべやたんがん、さぁりやさぁそふ、まとはや、ささくり、たちばな』
途端。
「ほう、鬼八が贄か。」
「霜宮殿とな、」
そうとなれば、此方の男は贄を運ぶお役目、其方の犬鬼殿はその目付、ならば途中で食われぬよう、我等に牙を向くも道理。鬼どもはそれぞれ顔を見合わせると、得心がいったように頷き合う。
「・・・霜宮殿、って・・・」
何、と問いかけた松浦に向かって、ゴンスケはワンと一つ吠え掛かった。せっかく鬼どもが何かと間違い勘違いをしてくれているというのに、知らないと分かれば、人間の彼らは今度こそ頭から食われてしまう。
「見れば見るほど旨そうな女ではあるが、」
それでは食う訳にも連れて行く訳にも参るまいよと、言うなり鬼どもはどうと笑った。
「せいぜい、鬼八殿の腹を満たすが良い。」
ふいと体重が軽くなった。
「なに、」
「マジッ!?」
軽くなったのではない。走っていた筈の『道』が抜けたのだ。
道は唐突に真っ暗な落とし穴へと変わり、二人と一匹を奈落の底へと、・・・いや、奈落かどうかも分からない何処かへと向かって、追い落とした。
■道の先は、更に未知。
暗闇は何処までも暗闇で、それは酷く長い時間に思え。
落ちた瞬間と同じく、唐突に。
「え・・・」
足元には、道があった。
叩き付けられるでも無く、気がつけば見知らぬ場所に立っていた。
落とし穴の先は、濃く立ち込めた靄の奥で。
「・・・ここは?」
靄そのものがしんと冷えるような大気に、松浦は豪快にくしゃみをする。
「さぶ・・・」
とにかく、寒い。そうして、辺りは少しも見えない。
ゴンスケはシュライン・エマに寄り添った。少しでも暖かくしてやろうと思ったのだ。
その心遣いに微笑むと、シュライン・エマは座り込みゴンスケの首を抱いた。
「・・・・」
その時だった。
ゴンスケのみ耳がぴんと立ったのに、シュライン・エマは気付く。その視線は靄の向こうを向いていた。
ゆっくりと、そちらを向く。
薄ぼんやりした靄の向こうから、ふらりゆらりと何者かの影が現れた。
くんと鼻を鳴らしたゴンスケが、尾を振ってその影に近づいてゆく。足下でくんくんと鼻を鳴らして見せると、影はゆっくりとしゃがみこんで、ゴンスケの頭を嬉しそうに撫でた。
「おや、まあ、」
おそらく、そんなことを言ったと思う。
あらゆる言語を操るシュライン・エマをして、耳に馴染まない言葉だった。訛りが強いと言うだけでは、事足りないような方言だ。
しかしそれでも、ゴンスケが近づく以上人間であるのは確かだし、聞きなれない言葉が日本語であるのも間違いない。
影がゆっくりと近づいてくる。ぼやけた像が徐々に形を結んでゆく。現れ出たのは老婆だった。畑仕事にでもゆくのか、もんぺ姿に背負い籠をしょって、少し驚いた顔つきでこちらを見つめている。
「こんな朝早くに、どうやってこんな上まで参りに来なさった。」
参る?
老婆の言葉に、シュライン・エマと松浦は顔を見合わせた。
参るというからには、ここは神社仏閣の類なのだろうか。
「・・・ここは、一体。」
「一体って、あんたがた、」
皺の深い顔に似つかわしくない豊かな笑い声を立てながら、老婆は背後に目線を向けた。
それにそって、二人と一匹は目を向ける。
「お参りに来なさったんじゃ、ないのかい。」
指した先にある、古びた居住まいの社殿と注連縄。
傍らの看板らしきものに近づくと、松浦はその由来書きを口にした。
「・・高千穂、神社。」
「・・高千穂、ですって。」
高千穂というのは、九州は宮崎の高千穂か。天孫降臨伝説がある、山間の町の事か。
何故また、・・・そんな場所に。
『東京から西南なら、・・・南九州だワン。』
「・・・確かに。」
鬼の道、とはよく言ったものだ。
ほんの数十分走った積もりで、実は数百キロ先まで飛ばされてしまったらしい。そういえば時計はどうなったどうかと、シュライン・エマはさっきまで狂っていた自分の腕時計へと目をやった。時刻は午前6時前。朝靄に霞む周囲の景色を見る限り・・・おそらく、この時間は間違ってないだろう。本当にあの一瞬だけ、時間の流れがこの世と異なってしまったのだ。
ゴンスケの言葉に頷きながらも、シュライン・エマは頭に残る疑問を老婆にぶつけてみる。
「・・・つかぬ事を、尋ねるけど、」
「なんだね?」
「・・・こんなまじないを、知っている?」
自分達がここに降りる事が出来たのは、あの鬼になってしまった女のおかげだ。
彼女がおかしなまじないことばを教えてくれたおかげで、何かと勘違いして鬼達はここへ自分達を置いて行ったのだ。
どうして。
「そりゃ・・・鬼封じ唄、かね。」
「・・・鬼封じなの?」
「・・・知らないで口にしてたのかい、あんたがた。」
観光に来たのに、本当におかしな事を言う人達だね。言いながら、老婆は背中の背負子(しょいこ)を下ろした。あったかね、と一人呟きながら、籠の底をがさがさとかき回す。しばらくして、・・・くるんでいた紙切れからは野菜を取り出すと、その紙切れの方を、シュライン・エマの手に握らせる。
「菜っ葉巻くのに使ってたもんだから、しわしわだけどねえ。」
観光客なら、これくらい持って置くもんだよ。
呆れたように口にする老婆を尻目に、シュライン・エマと松浦、それにゴンスケは、その紙切れを覗き込んだ。
それは、白茶けた小さな観光マップだった。普通そんなものを野菜包むのに使わない気がするが、老婆にとっては広告の裏紙と大差ないのだろう。
「・・・やっぱ、ホントに宮崎なんだな。」
どーすんだよ、明日、バイトだってのに。
溜息混じりに、松浦が言った。それを無視して、シュライン・エマは文字の掠れたマップを読み取る。
読みにくくはあったが、それなりにマップの役目は果たしているようだ。近辺の観光地らしき場所の道程と、それから時節ごとのイベントが書き記されている。そのひとつに。
「・・・霜宮喜八。」
その名を、鬼どもは口にしていなかったか。
『霜宮殿』
それは。
高千穂神社の神事の一つ、猪掛祭についてだった。
昔、霜宮鬼八と呼ばれる鬼がこの近辺・・あららぎの里・・で災いをなしたため、退治された事。死してもなお生き返ろうとした事から、体を3つに分断してばらばらに埋葬し、祟りを祭った事。そうして、・・・昔は乙女を生贄にしていたが、ある時代より猪をささげるようになったという、伝承。
そういえば、彼らは自分に向かって『贄』と言った。
どうやら、・・・この鬼の生贄と間違われたのだ。それで、この神社に下ろされた。
『しのべやたんがん、さぁりやさぁそふ、まとはや、ささくり、たちばな』
もしかして、彼女は。
この鬼に捧げられた、生贄だったのか。
この呪文は、・・・鬼を封じる為の言葉。返せば、『今年も贄を捧げます。だから災いを為しませんように』と、宣言するための契約だったのでは無いか。
『多分、そういうことだワン。』
ゴンスケが、応じる。
シュライン・エマのそんな考えに気付くことなく、松浦は老婆に帰り方を尋ねていた。
「観光地だから、もう少ししたらハイヤーも集まる。乗って行けば帰れる。」
「・・・ハイヤーって、タクシーの事かよ、ばあちゃん。」
松浦がそう投げ返すと、老婆はやはり響きの良い声で笑った。その声を耳にしながら、松浦は一人と一匹の方へ振り返る。
「・・・俺は帰るけど、そっちはどうする?・・・お姉さん、と」
松浦は、ゴンスケと目を合わせた。
ゴンスケの視線がちらりとシュライン・エマを見遣る。その顔が笑ったような気がした。
『せっかくだから、少し遊んで行くわん。』
言ったか言わずか頭の裏側に届いたお誘いに、くすりとシュライン・エマは微笑んだ。
「・・・それは、いいわね。」
そう口にすると、ゴンスケが嬉しそうにぴょこんと跳ねた。
こんなところまで来てしまったのだ、今更慌てても仕方がない。武彦さんにだけは連絡を入れて、そうだ、今日起こった事をメモしておいて、・・それからしばし、降って沸いたバカンスを楽しむといこう。
「楽しんで、行きましょう。」
ここが高千穂だというなら、近くに温泉場もあれば観光地もある。この時期なら、うまくいけば夜神楽も楽しめるかもしれない。
そんな事を思いながら、シュライン・エマは一つ背伸びをした。
何時の間にか晴れた靄の向こうから、ゆっくりと朝陽が差し込んできた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2705/柴犬・ゴンスケ (しばいぬ・ごんすけ)/男性/305歳/旅柴犬
0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
NPC2203松浦・大史(まつうら・ひろし)/男性/19歳/大学生
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■ ライター通信 ■
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ライターKCOです!
の、納品がぎりぎりになってしまい、申し訳ございません。
節分の翌日、2/4に合わせる予定でしたが・・・果たして間に合うでしょうか・・・。
シュライン・エマ様:
2度目のご依頼、ありがとうございます!
長さが今回も長くなってしまい、誠にすみません・・・。プレイングを生かしきれてない部分があるかと思いますが、楽しんでいただけましたら幸いです。
ゴンスケ様:
はじめまして、よろしくお願いいたします。
柴犬様とあって、なかなかプレイングがむずかしかったですが・・・お気にめしていただければ幸いです。かわいらしい感じと、他プレイヤー様を守ろうという心意気が表現できていればよいのですけれど
それでは、また機会がありましたら。
もう一度お目にかかれれば、とても嬉しく思います。
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