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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


冬の闘争
 いささか暖房の効きすぎた草間興信所の乱雑な事務所から、小銭だけを持って外に出ると冷たい冬の空気が火照った頬を冷やしてゆく。近くだからと油断して上着を羽織ってこなかったことを少しだけ後悔しつつも、村上・涼(むらかみ・りょう)は白い息を吐きながら、古びた自動販売機を目指し歩き出そうとした。
「あーコーヒーでもタダ飲みしようと思ってきたってのに、バイトはないわコーヒー切らしてるわ外は寒いわ仕事は見つかんないわで凹むわー。せめてコーヒーくらいおごってくれるヤツでもいればいいのにこーゆー日に限って誰もいないし、世間は弱者に冷たすぎるわよ絶対」
 そもそもの始まりはといえば、いつものごとく何社かの面接を終え、そしていつものごとく全く手ごたえが感じられないといった涼の日常より始まった。仕事が決まらなければいずれ食うに困るのは目に見えている。ならば当然働かねばならない。もはやバイトの内容を選んでいる場合ではないという切羽詰った理由と、ただでコーヒーと茶菓子の一つも頂こうという理由から、涼が駆け込んだ先はすでに知り合いの間で溜まり場と化しつつある場所。
 すなわち、草間興信所だった。
「しかし無用心よね。まあ盗まれるものなんもないだろうけど。コーヒーすらなかったことだし」
 期待を込めて訪れた興信所は無人だった。ならば好都合と勝手にコーヒーでも淹れるかと台所を見れば肝心のブツが切れているという徹底具合だ。おそらく家主は買出しにでも出かけたのだろう。
 そして、現在に至る。
 ぶつぶつと独り言をもらしながら、ふと視線を上げる。
 目標である自動販売機の前にたたずむスーツの背中は、見間違えようもない──知りすぎるほどに見知った人物のもの。
 ふむ、と涼は距離を置いたままで両腕を組んだ。
 まあ出入りしているところが同じなのだから、ここで会うということもあるだろう。たまたまこちらは興信所に先に立ち寄ったのであり、向こうはこれから興信所に向かうといったところなのだろう。
「ふ……」
 無防備な背中に、思わず涼の口から不敵な笑みがもれた。
 彼が自分に対しこれほどに無防備な背中をさらすことがあっただろうか──否。ない。あの水城・司 (みなしろ・つかさ)なる男は日ごろ至極無害そうに見えるし穏やかそうだが、それが真実の姿でないことを涼は嫌というほど知り抜いていた。
「ふふ……ふ」
 こらえきれない笑みを漏らしながら、涼は全力で駆け出していた。足音に気づいた司がくるりと振り返る。だがおそらく涼の目的には気づいていない。
「日ごろの恨み特と思い知るがいいんだわぁぁ、こんのザル頭!!!!」
 彼女が物騒な台詞を叫びつつ、何をやらかしたのかと言えば。
 答えは至極簡単かつ古来より使い古された嫌がらせだった。
「やあ。偶然だね」
 缶コーヒーの購入ボタンに手を伸ばしかけていた司の挨拶をきっぱりと無視し、涼はばしりと、渾身の力を込めて、二段目一番右のボタンを力いっぱい叩き押したのである。
「ふふふふふ……やったわ。やったわよ私は!!!」
 ごろん、と音を立てて転がり出てきた問題のブツは、『おでん』。
 しかも数日前から興信所で噂になっていたのだが、おそらく業者の間違いなのだろう。冷たいお飲み物のラベルの貼られたところに見本が飾られたそれは当然冷たい。
「ああ。なるほど──そういうことか」
 だが対する司は全く動じた様子がない。さらに穏やかな、いつも通りの笑みである。これが涼の恐怖をふとかきたてた。
「じ、じゃそういうことだからまた今度」
「前から常々思っていたんだが、言ってみていいかな?」
 笑顔は崩れることがない。
「な、なによ」
「愛情というのは一方通行では片思いとなんら変わらないと、そう思ってね」
 ぴたりと、涼の動きが止まる。
 いつもかなり悪辣の悪戯をしたりはしているものの、今日に限って司がこんなことを言い出すその真意が涼には図りかねた。『おでん』がそれほどに逆鱗に触れたのだろうかなどとあれこれ考えてみるものの、やはり理解することはできない。だがこれはチャンスだ。
 さらに司の言葉は続く。よどむことなく。
「そして村上嬢の愛情表現が、今も見た通りかなり世間一般のそれとは違うのであれば、俺もまたそれに合わせた表現を学ばなければ村上嬢に片思いと同義の辛さを味わせているのではないかと──」
「いやそんなん本気で学ばなくていいから絶対──じゃ、そういうコトで!!!」
 びしり、と片手を上げると、涼は一目散に駆け出した。
 無論それが、司の報復を恐れての行動であるのはいうまでもない。
 だが、相手があの水城・司という、煮ても焼いても食えないであろう男であることを、後日涼は嫌というほど思い知ることになる。



 村上・涼という人物は基本的に単純なタイプである。同じ事柄に対していつまでも同じ怒りを維持することができないどころか、翌日あたりにはころりと忘れることも珍しくはない。
 そう、涼はすっかり忘れていたのだ。
「…………」
 草間興信所、来客用のソファでぴきりと硬直している涼の視線は、目の前のテーブルの上に置かれたとある品物に向けられていた。
 そこに置かれていたのは『おでん』と書かれた円筒形の物体である。そっと手を伸ばして触れてみると──冷たい。
 あの自動販売機の設定は昨日、きちんと『あたたかいお飲み物』に設定された筈だ。だとするとこれを涼の目の前に置いた人物──言うまでもなく司だ、はわざわざ暖かいこれを冷やしてもってくるという手間をかけたことになる。
(いやがらせよねいやがらせに違いないわよねってかもう決定よねっ!)
「で、これナニよ?」
「昨日言ったとおりだよ。これが村上嬢の愛ならば、俺もまた同じものを返さないわけにはいかないだろう?」
「何が愛だっていうのよ何が!!! あれは正真正銘嫌がらせで、今キミがやってるのも正真正銘の嫌がらせよ!!!」
「いや、それはありえないな──ところでそのミニスカートで机の上に脚を上げるのは控えた方がいい。俺以外に見せるものではないよ」
「キミに見せてる訳じゃないわよ別に!!! ってかそんな瑣末なことはどーでもいいのよ。ありえないってなによそれこそありえないわよ!」
 痴話喧嘩である。もっともそれを涼に告げたら、まず間違いなく棘バットの犠牲になるのは目に見えているためか、誰もそれを追及する人物はいないが、完全に痴話喧嘩である。
「ああ。だってそうだろう?」
「だから何がよ!??」
「簡単なことさ」
 涼とちょうど正面に置かれたソファに浅く腰掛けると、司は自分の両足の上に肘を置いて、手を組む。
 視線はまっすぐに、涼に向けたままで。
「村上嬢の俺に対する行動は、すべて愛情故だろう?」
「なっ……ば、ばっかじゃないのキミ!!! そんな能天気なことあるワケないじゃないの!!」
「うん。別にかまわないけれどね」
 やけに素直な司の言葉に、涼は拍子抜けしたようだ。
「どしたの、素直じゃない?」
「愛が通じないなら、やはり毎日こうして愛を届けるべきだと思ってね」
 おでん缶のふちを指で弾きながら、告げる司はやけに楽しそうだ。
「さては……毎日このイヤガラセを続ける気ねキミは!!??」
「イヤガラセなんてとんでもない。さっきから言ってるじゃないか──全ては、愛ゆえだよ」
「そんなワケあるかぁぁっ!!」


 こんなやりとりが数日にわたり繰り返されたのは言うまでもなく。
 そして最後には、とうとう冷たいおでん缶という凶器の前にか、あるいは司の執拗さにか、とにかく涼が敗れ去る結果になったということも言うまでもない。