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クマ×熊×くま
たまに彼は夢を見る。
不思議な色に溢れた異世界の夢。
やわらかで心地よい、それは優しい時間が存在する場所―――
*
「セレスティ様。来年はクマさんのぬいぐるみを集めたいです」
「え?」
それは年の暮れの出来事。
アンティークドールたちの棲まう部屋で開かれたアフタヌーンティの時間。
リンスター財閥の美術品管理を一手に引き受ける少年の姿をした元キュレイターは、優雅な調度品と人形たちに囲まれたこの部屋で、唐突にそれを口にした。
セレスティ・カーニンガムは、ほんの少し目を丸くして、それからティーカップをテーブルに置きつつ穏やかに微笑んで首を傾げる。
「どうしたんですか、マリオン?随分と唐突ですね」
「あ、す、すみません」
マリオン・バーガンディはくるくるとよく動く表情を慌てて止める。そうして何とか落ち着くと、改めて自分の主を見上げるのだ。
「……でも、あの……なんだか今言わなくちゃって思ってしまって……クマさんってホントにすごくいいなって思ったらつい。あの、テディベアって可愛いですよね?」
「ええ……それはよく分かっていますけどね」
微笑んで、セレスティはすぅっと視線を周囲に巡らせる。
アンティークドールが穏やかに微笑みかけるガラス戸の棚。その中のひとつにずらりと並ぶのは毎年世界中で限定発売されるシュタイフ社やそれに追随するテディベアたちだ。
テディハーマン、ディーンズ、チルターンにメリソート。会社別に並べられたコレクションがどれもつぶらな瞳をこちらに向けている。
由来は第26代アメリカ大統領の愛称から付けられたもの。これにまつわる小さなエピソードは大統領という立場から見れば少々可愛らしく、かつ、実にアメリカらしいと思える。
誕生の瞬間に居合わせていたらさぞかし面白かっただろうと、セレスティはひそかに思うのだ。
本来ならば『テディベア』と呼べるのはシュタイフ社製だけなのだが、今はもっと一般的で広義に使われてもいる。
各社が競うように発表する職人の誇りをかけた最高級のぬいぐるみは、歴史的、芸術的価値も当然高い。
生誕から百年を迎えた今も、彼らの可愛らしさはまったくもって衰えることを知らない。むしろ常に新しい魅力を自分達に与えてくれる。
そして。
彼らは皆、主にマリオンに望まれ、愛されてここにいる。
「貴方がこの子達がどんなに好きかというのは、毛艶の良さや内側から溢れてくる心地よい想いの流れからも充分伝わってきますよ。本当によく面倒を見てくださってますね」
ガラス戸に並んでいるクマの中で、第一次世界大戦時の連合軍のユニフォームを着た子が目に止まる。
「このクマが生まれてから随分と立ちますが、マリオンの管理が行き届いていますからね。色褪せを心配する必要もないくらいです」
「あ、有難うございます」
微かに頬を染めて、マリオンが照れながらもはにかんだ笑みで礼を口にする。
「でも、セレスティ様。ここにいる子達はたしかにすごく可愛いんですけど、あの森のクマさんたちに会ったらもっともっと良いなって思えるようになるんですよ。歌って踊って騒いで、それはもうとても楽しそうでもふもふしてて、ぎゅっとすると優しい香りもしてきて」
今にもこの扉を開けかねない勢いで語る彼に、セレスティは穏やかな微笑を浮かべて耳を傾ける。
「郵便事情も面白かったんですよ。風船みたいなものがふわ〜って空に広がっていて」
猫のようにくるりと大きな目をしながら、彼はめいっぱい冒険譚を披露する。彼の肩に止まった紅茶色の小鳥が、まるで相槌をうつようにコロロンとさえずった。
水面のように揺れる空。森を泳ぐ魚に、小川の中を飛ぶ小鳥。虹色の池に櫓の立つ丘。花柄、ストライプ、水玉、チェック……色とりどり大小さまざまなクマたちが大きな森に鮮やかな彩りを与える。
「電話や郵便事情もすごく面白かったんですよ。まるでオモチャ箱か絵本のようで」
「随分と賑やかな冒険だったんですねぇ」
「はい、すごく賑やかで可愛くて!それでクマさん達がもっともっと好きになって。セレスティ様もきっと大好きになれると思います!」
彼が冒険から戻ってからすぐに、ここのコレクションが数体増えたのは言うまでもない。
それでも足りないのだと彼は訴えるのだ。
もっともっといろんなテディベアに出会いたい。もっと個性豊かな彼らを眺めたい。その欲求は膨れ上がってなかなか収まりそうもなかった。
アンティークチェアにゆったりと腰掛けて、それからセレスティは思案する素振りも見せずに頷いてみせる。
「分かりました。では来年はテディベア捕獲強化の年にしましょうか」
百年分のクマ達を年代別に並べた光景は、思い描くだけで壮観だ。
大小さまざま、趣向も様々なクマたちをずらりと集めてミュージアムを作ったら、可愛い恋人をそこに招待しようか。
彼女はきっと気に入るだろう。
そして、その世界の中心に立って微笑む彼女はさぞかし素敵に違いない。
「そのための部屋を作る必要もありますねぇ」
「ミュージアム、作らせていただけるんですか?」
パッとマリオンの顔が輝く。
「この部屋じゃなくて専用の?」
「世界にどれだけのテディベアがいると思ってるんですか、マリオン?集めるからには手を抜かないようにしなくては」
くすりと笑う財閥総帥の目には、久しぶりに好奇心の色が強く現れている。
「では。では、ええと……ハロッズのクリスマスベアを初めから全て揃えてもいいんですか?」
「そうですね……あのコラボレーションは確かに秀逸ですし。いいですね。ハロッズにまつわるエピソードにちなんでというのがまた趣があります」
「ですよね?ですよね?じゃあ、決まりというコトで。どうしてもっと早くに気付かなかったのかなってホントに悔しかったので」
心底残念そうに軽く唇を噛むマリオンを観ていると、ほんの少し申し訳ないと言う気持ちになる。
コレクションが始まった当時から見かけてはいたのだ。手に入れようと思えば発売当日に赴くことだって出来ただろう。
ただ、あの頃の自分にはクマ達を集めてみようなどとは考えもつかなかっただけだ。
惜しいことをしたかもしれない。けれど……
「確かに少々出遅れてしまったことは否めませんが……こうして長い時を経て、もう一度邂逅を果たすために動く時間というのも実に楽しいものですよ、マリオン」
「あ、そっか。そういう考え方も出来るんですね」
ポンっと納得したように両手を打ち合わせる。
「ええとええと……あの……さらにお願いしてもいいですか?」
合わせた手を胸の前で組み、おねだりをするように首を傾げてこちらを見上げてきた。
「おや、今度はなんでしょう?」
「今は色々な会社からアンティークベアの復刻版が出てますけど、出来れば私は当時のものが欲しいんです」
上目遣いでセレスティの表情を伺う彼に、笑みが深くなる。
「では各方面にお願いして回らないといけませんね」
レプリカでも限定発売が主流となっている中で、果たしてどこから手を伸ばすべきか。コネクションはどこから攻めるのが効果的だろうか。
条件は厳しくなるが、その分手に入れた時の喜びは格段に上がる。
セレスティは既に頭の中で緻密な計画を練りはじめていた。
蒐集すること自体に意義はない。
自分にとっても、骨董蒐集は数ある趣味の中でもかなり上位に位置するものだ。
各時代の各背景を閉じ込めたアンティークたちはどれも、懐かしく優雅な当時の空気を思い出させてくれる。
「あ、そういえば知ってらっしゃいますか、セレスティ様?日本の伊豆や那須にはテディベア・ミュージアムが立ってるんですよ。以前興信所の方に写真を見せて頂いたんですが、結婚式で記念撮影をしてるといったシチュエーションもあって、もうもうソレが本当に可愛くて」
「それは実に興味深いですね」
テディベアはそのコスチュームの多用さでも目を楽しませてくれる。
ふかふかの身体にぎゅっと抱きつくのはとても気持ちがいいけれど、色々なファッションと、ドールハウスのようなミニチュア家具を並べてシチュエーションを作れたら、もっと素敵だろう。
マリオンが管理しているアンティーク家具から、似合いのものをいくつかピックアップしてもらおうか。
「しかもですよ、セレスティ様。そこにテディガールがいるんですよ。あのボブ・ヘンダーソン英国陸軍大佐最愛の!」
「日本の方が落札したと言う話は聞いていましたが、なるほど……ソレはぜひとも訪問したくなりますね」
「ですよね!?」
今にも手を握りそうな勢いで、彼は嬉しそうに笑う。
そうしてマリオンは、セレスティがサンドイッチを口にして紅茶を含む間、キラキラとした目でクマ達を眺めていた。
なんとなく。
そう、なんとなく、彼にテディベアが重なって見えた。
思わず笑みをこぼしてしまう。
やわらかなブラウンで彩られた小さな元キュレイターの頭の上で、紅茶色の小鳥が小さく鳴いた。
「セレスティ様?」
自分の視線に気付いて、彼がきょとんとした顔で首を傾げる。
「私の顔に何かついてますか?」
「ああ、いえ、すみません……ちょっと思い出していたんですよ」
くすくすと笑って、たった今考えていたことをはぐらかすようにすっとガラス戸の向こう側に座るぬいぐるみの一体を指差してみせる。
「懐かしいなと思っていたんですよ……この子はマリオンがはじめて私の屋敷に来てくれた頃に生まれたんです」
「へえ」
主の意図を知ってか知らずか、惹かれるように指し示されたテディベアの一体に近付いて覗き込む。
「そう聞くとなんだか愛着がさらに増してしまいそうです……あ!この子はセレスティ様と初めてイギリスから日本へ行ったときに買った子ですよね?」
そして今度は、嬉しそうにこちらを振り返る。
「飛行機を手配して、初めての旅行でしたね」
「それから、こっちのクマは……」
刻まれた記憶たち。
優しい思い出。
各社で違う毛皮の手触り。違う顔。違う衣装。どこの何が一番好きだとか、あのデザインはやはり独特のものであるとか、セレスティとマリオンのクマ談義は果てしなく続く。
そして、紅茶もサンドイッチもお茶菓子も充分に楽しんだ後、
「これからウィットニーへ行きましょう、セレスティ様」
「これから、ですか?」
「はい、これから!今日はお食事会のご予定しか入っていないと伺ってます。行きましょう?」
彼は猫のような目をして、またしても唐突な提案を披露して見せた。
勢いづいた彼を止められるはずもなく、セレスティは笑って頷いた。
イギリスのテディベア専門店へ。
その時。
こつこつと誰かが向こう側から扉を叩いている。
小さく小さく微かな音。
コツコツ…コツコツコツコツ……
廊下に続く部屋の入り口からではない。
お茶菓子などが乗せられたワゴンの中から聞こえてくるのである。
しかも彼の小鳥が応えるようにコツコツとくちばしでつついている。
「マリオン?」
「はい」
「お客様のようなのですが」
「え」
「しかもどうやら貴方の大好きな方々のようですよ」
「え?―――あ!」
促されるままに慌ててワゴンの扉を開けたマリオンの顔に、驚きと喜びの色がはじけた。
「こんばんは、マリオンさん。年末のご挨拶に参りました!」
そこには大きな風呂敷包みを抱えた茶色のクマのぬいぐるみがにっこり笑ってギュムッと収まっていた。
テディベアコレクション蒐集の旅の始まりは、あとほんの少しだけ先延ばしされるだろう。
そんな年の暮れの午後の出来事。
END
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