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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


 Five seconds




 たとえばそれは、メルヘンの世界にはとても不似合いに思う。
 たとえば自分も、メルヘンの世界には大概不似合いであった。
 だが――。
 自分にはメルヘンの世界に溶け込もうという意気があるのではないか。
 ウェバー・ゲイルは両腕に抱えている巨大なクマのぬいぐるみを見下ろしながら思った。いくら自分があっち側の世界に近くとも、この巨大なクマのぬいぐるみがある限り自分はメルヘンの世界の住人だ。
 あれらとは一緒にしてもらっては困るのである。
 ――と、ふと隣に座っていた1人の女の子がウェバーの黄色いジャケットの裾を小さな手でぎゅっと握った。その小さな体をこれ以上出来ないくらい小さくして、女の子は恐怖と戦っていた。
 ウェバーはその手に自分の手を重ねた。女の子の手はまるで血の気がひいたように冷たくて、ウェバーは何とかしてやりたくなる。
 女の子より大きいのではという巨大なクマのぬいぐるみの手を掴んで、ウェバーは女の子の頭を優しく撫でてやった。
「大丈夫だよ」
 こんな事はすぐに終わる。こんな事はそう長くは続かない。
 女の子がウェバーを見上げて恐怖に引きつらせていた頬を少しだけ緩めて微笑んだ。小さく頷く女の子にウェバーは巨大なクマのぬいぐるみを抱えさせる。
「ちょっとの間だけおじちゃんの代わりに、テディちゃんを預かっててくれないかな」
 目尻を下げ優しい顔を作ってそう言うと、女の子は少しだけ使命感に燃えた顔つきになって頷いた。
 ウェバーはそれを頼もしそうに見やって女の子に背を向けると立ち上がる。
 『この』状況で。
 それは何かを決意した顔だった。
 ライフルを手にした男が自分の胸にピタリと照準を合わせ構えたが、ウェバーは動じた風もない。
 まるで堺の商人がやるような揉み手で彼はゆっくりライフルを持った男――仮の名をアレッキュ君1号と名づけよう――に近づいた。ちなみに、アレッキュ君とは、ウェバーが昔見たアニメに出てくる、赤茶けた肌に彫りの深い顔立ちで口髭をはやしたアラブ人っぽい顔のキャラクターの名前であった。そのライフルの男が、あまりにそれに似ていたので、そう名付けたのである。後ろの1号は、他にもライフルを持った男達が何人かいて、皆一様に似たような顔をしていたから、とりあえず順番に付けたものだった。1号、2号、三郎・・・・・・。例えば、奴らには奴らの本当の名前がある筈だったが、そこは全くの無視である。
 アレッキュ君1号は怪訝に首を傾げつつも、威嚇するような声で、
「トマレ!!」
 と、怒鳴った。
 しかしウェバーは止まらなかった。反抗の意思はない、とでもいう風に揉み手を離して手の平を見せるように広げる。そして彼はアレッキュ君1号に「やぁ」と気さくに声をかけたのだった。
「こんな話を知ってるかい? ある日1人の牧師の元へ1通の手紙が届いたんだ。だが封筒の中には便箋が1枚。そこには『バカ』としか書かれていなかった。それで牧師は日曜日の説教の時、その話をした・・・・・・」
 そこでウェバーは言葉を切り微妙な間を作りつつ1号くんの顔にずずずいっと自分の顔を近づけた。
「『手紙の内容を書いて名前を書き忘れる人は時々いますが、この前、手紙の内容を書き忘れて名前だけ書いてきた人がいました』ってね!」
 渾身の一撃、とでも言わんばかりに力の入ったウェバーのアメリカンジョークは、しかし彼が考えてるような大爆笑にはならなかった。
 だが、いつものような冷たい視線を浴びせられる事もなかった。
 アレッキュ君1号は舌足らずの早口で、壊れたプレーヤーのようにがなりたてたのである。
 ウェバーの知らない言葉で。
 たぶんアラビア語とか、そんな感じだ。
 どうやらアレッキュ君たちには日本語が通じなかったようである。
 怒鳴り散らしながらアレッキュ君1号は、持っていたライフルのストックでウェバーの側頭部を殴打した。
 ウェバーは薄れゆく意識の中でぼんやり思った。

 ―――そういえば、あいつはどこへ行ったんだ?


 【あいつ・・・】


 事の起こりは・・・・・・もしかしたら今朝食べた賞味期限切れのコンビニ弁当から始まってるのかもしれない。
 世の中は偶然の産物だ。だが人は偶然と偶然が重なった時、そこに運命を感じてしまう事がある。あくまで一つ一つは偶然だった筈なのに、結果がそれを必然にしてしまうのだ。それまで不連続だった偶然は、今やなるべくしてなったという事を証明しようとしているかの如く。因果応報。空に唾吐けば自分にかかるという具合だ。何やら話しがおかしくなってきた。話を元に戻そう。
 とにかく、偶然だ。
 たまたま偶然深町加門は道端でド派手な黄色と出くわした。
 それを発見した瞬間、出来るだけかかわりあいになりたくないという本能が彼の踵を返させたが、若干、間に合わなかった。
 ド派手な黄色いジャケットを着た男は、満面の笑顔で声をかけてきて、他人のフリも許さないと言わんばかりに肩をガシッと掴んできたのである。勿論、他人のフリも許さない、とは加門の勝手な言いがかりだろう。彼は心底嬉しそうだったから。
 そのまま、娘さんへのプレゼントを買うんだとかでデパートのおもちゃ売り場に連行された。
 はっきり言って浮いている。子ども達のおとぎの国だ。メルヘンの世界だ。それでなくとも子どもも動物も大嫌いな加門にとって、子どもの甲高い声がこだまして、動物のぬいぐるみが山高く積み上げられたその場所は、苦痛以外のなにものでもなかったろう。どうにもこうにも居心地が悪いったらない。
「どっちのクマさんが可愛いかなぁ?」
 などと、クマに顔を隠して「やぁ」と片手をあげてる男に、加門は軽い眩暈と頭痛と、それから腹痛を覚えた。
 そういえば前の日に買ったコンビニ弁当は、今朝には賞味期限が切れていた事を思い出す。ファンヒーターの傍に置いていた事も、もしかしたら敗因かもしれない。
「悪い、便所行ってくる」
 出来れば子どものいないトイレが良かったから、加門はわざわざ下の階のトイレを使った。――それもまた偶然だった。
 加門がトイレから出ると、そこには誰もいなかった。
 まるで自分が1人だけ取り残されたような空っぽぶりである。
 照明はかろうじて点いていたが、エレベータは止まり、デパートの従業員どころか警備員の姿さえ見当たらない。
「うーん・・・・・・」
 デパートの閉店時間までトイレの住人だった、なんて笑い話にもならないだろう、加門は時計を見た。絶対5分も経ってない筈だ。これが実は12時間後なんてのもありえない。そこだけは絶対の自信がある。何と言っても自分の腹時計が鳴っていないからだ。
 しかし客も従業員も警備員すらいない理由はすぐに判明した。
 上の階からもの凄い爆音と共に、片側の窓が一斉に割れ落ちたのだろう破片が、加門のいたフロアから見えたからである。
「!?」
 上の階で何かあったのか。
 それはもう、もの凄いことが。
 誰もいない、誰も駆けつける気配がない。つまりは誰も来れない、近づけない。
 だから考えられる選択肢もそう多くはない。
 すぐ上の階は加門の嫌いなおとぎの国だ。メルヘンの世界だ。
 世論的に見て、子ども達を人質にとるというのは、いろんな意味で有効なことである。小さければ小さいほど同情心を煽れるからだ。5歳ぐらいが最も都合がいいだろうか。泣き叫ぶ小さな女の子を見てしまったら、恐怖に怯える男の子を見てしまったら、人は対策をたてる時間を惜しんで犯人の言う事を聞いてしまうかもしれない。
 たかだかトイレに入ってた10分の間に何があったのか。
 加門は肩をすくめて天井を仰いだ。
「しゃーねーなー」
 これも性分なのだ。
 トイレの構造は熟知している。
 伊達に15分も篭っていたわけではない。
 何げに時間がのびている事も気にしてはいけない。
 加門はフロアから使えそうなものを掻き集めて一番奥のトイレの個室の窓から外へ出た。このまま真上にあがれば上の階のトイレの個室の窓から入れる。
 そうすれば、たとえトイレに見張りがいたとしてもすぐに気付かれることはないだろう。
 予想は的中した。
 しかしただ一つ、そこには問題があった。
 窓には中から鍵がかかっていたのである。


 ******


 中にいた2人には、この時点での外の状況は皆目わからなかったが、それは、あるテロ組織によるデパートジャックだった。
 奴らはたった12人という少数で、子どもが最も多いフロア――おもちゃ売り場をものの数秒で占拠してしまったのである。他のフロアの人間はすぐに避難したが、結局人質にとられた大半が子どもとその母親になってしまった。平日の昼間という事もあって数は少なかったが、それでも従業員含め70人ほどである。彼らは、おもちゃ売り場の一角に集められた。
 人質との交換条件は国際指名手配を受け最近逮捕された組織の幹部ら10人の釈放。
 それは日本だけの問題ではなくすぐには受け入れられるような内容ではなかったが、『子ども』を全面に押し出されるということは意外に効果的に働いたようで偉いさん方は右往左往しつつもすぐに対策を練り、1時間後には70人の内40人の人質が解放されるという、日本にしては珍しくスピーディーな偉業を成し遂げていた。

 かくして、事件発生から1時間あまりが過ぎようとしていた。

 こんこんと何かが額を打つのにウェバーはぼんやりと目を開けた。額をつついている物体にゆっくり焦点を合わせる。ライフルのグリップエンドが見えた。それからライフルを持つ手を辿って男を見上げた。
 意識が浮上してくると共に記憶もよみがえる。
 突然、銃を持った男達が現れて、奴らはたった1人の子どもを人質にこのフロアをあっという間にのっとったんだった。
 そんな事を逐一反芻するように思い出して、ウェバーはぼやけた男の顔に焦点を合わせつつ思った。
 ――あれ? アレッキュ君じゃない。
 フードを目深に被っているので、にわかに判別は難しかったが、ウェバーは本能的にそれを感じた。男はアレッキュ君1号ではない。2号でも三郎でも、いや、アレッキュ君ですらないのである。
 肌は赤茶けていない。無精髭らしいものはうっすら見えるが口髭ははやしていない。顔は全体的にのっぺりとしていて、どちらかといえば日本人顔に見える。
 しかもかなりよく知ってる顔のような気がする。
「お? まだ生きてやがったのか」
 と、人の顔をライフルのグリップでツンツンつついていた男が、舌打ちでもするように小さく呟いた。
 日本語だった。しかも流暢だ。交渉役か何かだろうか。
 男がつまらなそうに背を向ける。
 何かがばさりと落ちたので、ウェバーは転がったまま顔だけそちらに向けた。

 −Hunter License Card−
 name:Kamon Fukamachi

 そこだけがかろうじて読み取れた。
 カードケースを落とした事に気づいたらしい男が、慌ててそれを拾いに戻ってくる。
 目が合った。
 ウェバーがニヤリと意味ありげな笑みを見せると、男は一瞬すっとぼけるように明後日の方に視線を走らせウェバーに1枚の紙切れを投げると、何事もなかったかのような素振りでその場を離れていく。
 男――加門が投げたのはこのデパートのフロアの案内図だった。
 ところどころに○印が付いている。
 目だけで追える範囲を振り返ってみると、銃を持った連中が立っていた。恐らくこの印は、奴らのいる場所だろう。全部で○は11個ある。
 それから矢印が引かれていた。たぶんこの状況で最も生存率の高い脱出経路だろう。とはいえ、マシ、というレベルだろうが。
 なにぶん人質の数が多すぎる。
 そう思ってウェバーがそちらの方を向くと、自分が倒れる前より確実に数が減っていた。無意識に奥歯を噛み締めたのは、こみ上げてくる何かを押さえ込むためだ。
 今は頭に血を昇らせている場合ではない。
 静まり返ったフロアに、不安そうな人々の息遣いだけが聞こえている。
 ウェバーは人質から2mほど離れたその場所に転がったまま、高い天井を見上げた。
 あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
 こんな事はすぐに終わる。
 そう言葉にはしなかったけれど、心の中であの女の子と約束した筈だったのに。
 さっさと終わらせてやろう。
 その方法を考えよう。
 ウェバーはもう一度フロア内をゆっくり思い出しながら胸に手をやった。
 どうやら奴らは自分の身体検査まではしなかったらしい。さすがは法治国家の信頼度。相棒のS&Wマグナムを確認してウェバーはわずかに身じろいだ。
 ――加門。気付いてくれよ・・・・・・。
「わぁ!!」
 大声をあげてウェバーは突然起き上がった。まるで今、目が覚めたと言わんばかりの顔つきを取り繕う。
 その瞬間、誰もいない売り場の陳列棚の上にあったおもちゃの山が突然崩れ落ちた。
 神経を尖らせていた連中が驚いたように機関銃を誰もいないおもちゃの山にぶっ放す。
 人質らは悲鳴をあげそうになって、皆、自分の口を手で押さえ、或いは子どもを抱きしめた。
 程なくして、おもちゃのなだれも終わり、機関銃の轟音も止み、静寂が戻ってくる。
 アレッキュ君リーダーが、アレッキュ君2号に目配せした。
 アレッキュ君2号が慎重になだれを起こした周辺を確認しに行く。
「ぎゃっ!」
 ウェバーが小さく悲鳴をあげて指差した。
 その瞬間、彼の指差す先にあるベビー用品の棚が突然倒れた。
 アレッキュ君2号が驚いて、びくっと一瞬体を竦ませ手にしていたライフルを連射する。
 勿論、誰もいない。
 何かいるわけでもない。
 謎のポルターガイストにアレッキュ君たちがイライラとし始めた。
 三郎と四郎もそちらへ向かう。
 ――気付け、加門!
 ウェバーは内心で念を送った。
 その念が通じたのか、敵の姿に変装していた加門もそちらへ向かう。
 ウェバーが胸の中に握っていたS&Wマグナムの銃口からは硝煙があがっていた。サイレンサー付きの拳銃を更にジャケットで覆って音を出来るだけ殺し、ついでに自分の大声でカモフラージュまでしたのである。
 撃ったのは2発。
 1発目は棚の上のおもちゃを狙った。
 2発目はベビー用品売り場の陳列棚だ。
 後は加門次第だ。
 などと、ちょっと他力本願なことを考えながらウェバーは時を数えるように目を閉じた。



 ウェバーの様子がおかしい事に、最初、加門は全然気づかなかった。
 おもちゃが突然落ちた事に、純粋にびっくりしたからである。
 悔しくも、とは後の話しだが、その時は本気でビビッてしまっていた。
 しかし、それが2回続いて、漸く何かあると気付いたのである。とはいえ、何かある、と思っただけでウェバーの真意は全く察していなかった。
 調べにいくようにそちらへ足を踏み入れて、その場所がどういう位置かやっと加門は理解した。
 そこは、他の連中からは丁度死角になっていたのだ。
 加門はこれ幸いと、そこを調べにきた連中を順に倒していく。
 加門を敵だと気付いていないバカ共は、のこのこと加門に背中を見せたから、加門がその頸部に手刀を叩き込むのは簡単だった。
 あっという間に床にアレッキュ君2〜6号までの5体のバカが並んだ。
 ちなみにアレッキュ君1号は加門が1時間にも及ぶ格闘の末、何とか窓を開ける事に成功したトイレにて、ものの数秒で完膚なきまでに叩きのめし追いはぎをさせてもらっている。
 というわけで残りは後6人。
 この調子で奴らをここへ誘い出し、数を減らしていけば形勢逆転だ。
 ちょろい、ちょろい。
 なんて気の緩みが彼に隙を作らせてしまった。
 ジャキン、という金属音と共に銃口が後頭部にあてがわれたのを感じて加門は頬を引きつらせつつ手をあげたのだった。



 銃をつきつけられながら棚から顔を出した加門にウェバーは言葉を失った。
 ――何やってんだ!?
 とは、口には出さなかったが内心では大絶叫である。
 後6人。単純計算すれば、1人頭3人。
 それは勿論、倒せない数じゃない。
 だが、人質を危険な目に合わせるわけにもいかないだろう、子どもが半分を占めているのだ。
 それ以上に、見せしめに加門の処刑も考えられる。
 ウェバーはとにかく頭をフル回転させた。普段使ったことがないくらいの勢いで。
 たとえば、奴らの注意を別に向けさせる方法を考えてみる。ポルターガイストはもう使えない。かと言って、こうなったビルでは警報システムも役に立たないだろう。恐らくはスプリンクラーも作動しない。犯人の気を逆撫でするような事態を極力避ける為、そういったものは切られている筈だ。
 次にアレッキュ君リーダーをおさえる事を考えてみる。だが、銃を持つ動作から推測して、奴らはある程度の訓練を受けた組織の者達と思われた。これが確信犯なら死も厭わないだろう、死なばもろともじゃダメだった。
 S&W M19コンバットマグナムの装弾数は6発。さっき2発撃ったから、残りは4発だ。今回は日本という場所柄、予備の弾は持ち歩いていない。
 残りは5人。加門を捕らえているアレッキュ君7号は数に入れなくていいだろう。加門が何とかすればいい。万一何とか出来なかった時は、骨くらい拾ってやる。
 アレッキュ君リーダーは窓の傍に立っている。そして階段の手前のエレベータホールにアレッキュ君8号。それからエスカレータの傍にアレッキュ君9号。そして人質を監視しているのがアレッキュ君10号だ。随分と人手不足になったものである。
 アレッキュ君リーダーのすぐ傍にいたアレッキュ君サブリーダーが加門と7号の傍に近寄った。
 7号が加門をサブリーダーの前に突き出し、その後頭部をライフルのストックで殴打する。
 加門が前のめりに倒れた瞬間、ウェバーは反射的に立ち上がって走り出していた。
 考えるよりも先に体が動く。
 最初の1発は加門たちのいる傍の棚を狙った。
 走りながらアレッキュ君10号の利き腕に1発。子ども達の目の前では、それがどうしても限界で、巨大なクマを抱えている女の子にフロア案内図を握らせると、ウェバーは振り返りざま階段へ向けて1発撃った。階段の傍にいた8号を仕留める。
 倒れる棚に下敷きになるまいと動いた7号の膝頭に加門が蹴りを入れているのを視界の隅におさめながら、ウェバーはエスカレータの前に立っていた9号を撃つ。
「行け!!」
 ウェバーが大声を張り上げた。
 フロアの案内図の意図を察してくれただろうか、人質達が一斉に立ち上がり走り出す。
 加門は倒れた棚の隙間から出て、サブリーダーと対峙していた。
 後1発。
 そして後1人。
 そう思って振り返った先で、アレッキュ君リーダーは手榴弾の安全ピンを抜いていた。
「!?」

【1秒】
 殆ど反射的にウェバーはリーダーの額を狙った。
 投げられなかった手榴弾は、その手からゆっくりと転げ落ちる。
「伏せろ!!」

【2秒】
 ウェバーは大声で叫びながら持っていたM19を手榴弾に向かって床を滑らせるように投げていた。少しでも手榴弾を遠ざける為だ。
 加門も同様に伏せながら、ウェバーの言葉を無視して逃げ惑う連中に向けて、傍にあったアレッキュ君7号のライフルを投げる。
「全員伏せろ!!」

【3秒】
 もう一度怒鳴りながら逃げ惑う人々の最後尾にいた女の子に覆い被さるようにしてウェバーは自らも伏せた。
 逃げる事に必死になっていた人々の先頭が、加門の投げたライフルに足を取られて転ぶ。

【4秒】
 後は将棋倒しのようになったが、それでも『マシ』だったろう。

【5秒】
 手榴弾は爆発した。


 ******


 デパート正面入口の5段ほどある階段のきざはしに腰掛けて、加門は煙草に火を点けた。
 目の前には、パトカーやら救急車やらが何台も止まっている。その向こうには野次馬と報道陣がつめかけていた。
 事情聴取とやらを後回しにしてもらっての一服だ。
 煙で肺を満たして、一気に吐き出す。
 口からだけでなく、鼻からも。
 それを呆れたように見やって、ウェバーは加門に背を向けた。
 巨大なクマのぬいぐるみを抱えた女の子が駆けて来る。
「はい」
 そう言って、女の子はぬいぐるみをウェバーに差し出した。
 ウェバーは目尻を下げて女の子の視線までかがむと、女の子の頭を撫でてやる。
「それは、お嬢ちゃんにあげよう。今日は頑張ったね」
「うん」
 女の子は、少しだけはにかむみたいに笑って踵を返すと、母親の元へ駆けて行った。
 その背を見送りながらウェバーは何ともいえない安堵の息を吐き出した。
 人質に死者はいない。
 将棋倒しで怪我をした者を除けば、死傷者はいなかったのである。

 対人型の手榴弾は爆発すると火を吹くのではなく爆風をもたらす。それにより、外側のケースが壊れ金属片が高速で四散するのだ。そしてこの金属片が人を殺す。
 床で爆発した場合、金属片は放射状に飛び散るため、3m以上離れて地面に伏せていれば、まず金属片で致命傷を受ける事はなかった。

「で、あんたさ、あのクマのぬいぐるみの代金払ったのかよ?」
 加門が煙草を靴でもみ消しながら立ち上がった。
「あ・・・・・・」
 ウェバーがあんぐり口を開ける。
 払っていれば今頃あのぬいぐるみは過剰包装されていたに違いない。
「火事場泥棒ってやつか?」
 ニヤニヤしながら加門がウェバーの頬を肘で小突いた。
「後で払うよ」
 嫌そうにそっぽを向いてウェバーは空を見上げる。
 青かった空は、既に夕焼けで赤く染まっていた。





 ■END■