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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 怨刀『紅刻』 〜終ノ刻〜
 
--OP--


 …分かち難く、その刀に憑いている少女の思念。
 
 白い髪と赤い虹彩をもち、幼少から奇行を示し、無邪気に語る予知夢を的中させた彼女。
 その存在に血族は慄いた。
 今は既に絶えた彼女の生家は、一帯の地主であり権力者であった。
 彼らは彼女の出生の事実さえ隠蔽し、幽閉。
 それを知り、正義感から唯一彼女を救おうと試みた青年は、彼女の実の父によって斬殺される。
 
 その凶行に用いられた刀こそが、『紅刻』。
 彼女の望みは同じ刀で自らの父を斬ること……とうに常世に亡き父を。
  
 それは、決して果たされぬ復讐――
 
  ***************
 
 蓮は、沈んでいた。
『紅刻』には幾重にも封印を施してある。
しかし保管庫の分厚い扉の向こうで、刀の放つ瘴気は日毎圧迫感を増し、店内を窒息しそうな重苦しさで満たしていく。
「どうにかしなけりゃねぇ……」
 ため息混じりに呟く。
 しかしどうやって?
 タイムスリップでもしない限り、少女の願いは果たされない。
 もはや商売どころでは無かった。
 蓮は『紅刻』の物理的破壊さえも辞さない覚悟でいる。しかし可能だろうか。
 最善の策は、能力者に少女の父を擬態、もしくは降霊してもらい、望みを叶えてやることだろうか……
 ともかく蓮一人の手に負えたものではない。
 
 

1.
 
 時間も、光も無い。
 少女の霊魂は今もまだ、鋼鉄の保管庫の中。
 既に自分の半身となった因縁の刀を、見えないその手で抱擁している。
 そして、“あの時”を終わりなく思い出していた。
 もう何度目だろう、あれからどれ位経ったのだろう、自問すらしない。
 ただ、反芻する――悲しみと憎悪の赴くままに、あの日をただ思い返す。
 
(あの人が、鍵を壊そうとしている。
 荒い息遣いが聞こえる。
「待ってろ。出るんだ、瑞江。逃げよう」
 あの声は忘れない。
 わたしは驚きに声も出せず、硬い金属音とあの青年の声が響く扉を見ている。
 出る?
 ここから、出る……出られる? 外へ? 
 私の触れたことの無い世界。小さな窓から見るだけだった外の世界に。
「出られるの……?」
 わたしは呟く。
 わたしの細く弱った足首には、錆びた鉄輪と鎖が伸びている。
 錠の破壊をあきらめたのか、あの人は扉に体当たりを食わせ始める。
「許されることじゃない。許されていいわけない」
 わたしには分からなかった。物心ついたときから此処にいる。
 出る?
 扉の向こうから彼の苦悶の呻きが漏れる。それでも扉への突進はやまない。
 蝶番が軋み、歪みだす。わたしはそれを呆然と見ている。
「出るんだ」
 金属片の弾け飛ぶ音。想像したこともない風景がそこにあった。
 扉が、開いている。
 嗅いだことのない空気が、蔵の中へなだれ込んでき、わたしの鼻腔を満たす。
 花の香り、陽の匂い、小鳥のさえずり。
 これが、外の世界の空気。
 この座敷牢の湿って埃っぽい空気とは似ても似つかない。
 しかし、
 眩しさに慣れだした目でわたしが救いの青年を見ようと瞼を開けた刹那。
 見えたのは――
 
 傷だらけで微笑みをたたえ手を差し伸べる青年と
 その背後で白刃を振りおろす
 父の姿――
 ユルサナイ……ユルサナイ)
 
 
 また保管庫の向こうでどす黒い瘴気が増したのを感じて、蓮は眉を寄せた。
 時計に眼をやる。そろそろ来る頃だ。
 冬の陽は落ちるのが早い。ランプを灯し、ティーポットを火にかけた。


2.

「遅くなりました、蓮さん」
 静かにドアベルを鳴らし、落ち着いた様子の女性が入ってくる。
 店内に満ちた気の禍々しさが予想以上だったのか、一瞬たじろいだ表情を見せる。
 淡い琥珀色のランプに照らされ、彼女の艶やかな黒髪には黄金色のエンジェル・リングが綺麗に一周して浮かんでいた。
 雨柳・凪砂(うりゅう・なぎさ)。
 この店では常連、と言っていい。
「これは……」
「ひどいもんだろ? まったく、商売あがったりさ。ともかく一息いれとくれよ。ミルクティーでいいかい?」
「いいえ、すぐにはじめることにします。お茶はその後で頂きますから」
 ポットを取りに立ち上がった蓮を、そう言って凪砂は制止した。
「すまないね」
「今の時点であたしにできるのは、ここに澱んだ瘴気の処理だけですし……」
 そう言うと同時に、彼女の足元の影が形を変え始める。
 やがて蹲る魔狼のシルエットとなったそれは、ゆっくりと立ち上がり店内の瘴気を喰らいだした。
 易々と飲み下し、そしてまた飽くことを知らぬように続ける、“フェンリルの影”。
 蓮は表情には出さないものの驚嘆の眼差しでそれを眺めていた。加速度的に店内の雰囲気が以前のものに近くなっていくのがわかる。
「こんなところ、でしょうか」
 魔狼の影が凪砂の足元へ吸い込まれるように引き、彼女の脚線のシルエットに戻る。
「礼を言うよ。たいしたもんだ。まあ座りなよ」
「お礼はフェンリルに言ってあげてください。……それに、根本的な解決にはなっていないです」
 そうだね、と言いながら蓮は凪砂の前にカップを置いた。
「もちろん他にも声をかけてある。元がキュレーターだから、あんたと話が合うかもしれないよ」
「それは、彼女に実の父親を斬らせる能力を持つ方、ということですか?」
 カップを口元に運びながら、凪砂は上目遣いに蓮を見た。
 眉をひそめている。
 かたん、とカップを置いて彼女は真剣な面持ちで語りだした。
「わたしには、それで事が済むと思えません。あの少女――瑞江さん、でしたか――を救おうとした人を斬り殺したのが、他ならぬ彼女自身の父親。その娘である自分を許せずに、刀に同化したまま暴走して、以前のように無差別に人を斬るようになる可能性だってあります。その可能性は、否めないんじゃないんですか?」
 蓮はいちいち頷きながら遮らずに聞いていた。
 言うことは言った、というサインのように、凪砂はカップを取り口元に運ぶ。
「あんたの言うことは、多分正しい。だからもうひとつ、保険もかけてある。ちょっと悪趣味な少年ではあるんだけどダイモーン使役に関しちゃかなり……」
 その時、蓮の言葉を遮って聞きなれない排気音が遠くから近づいて来、店の前に停まった。
 凪砂が小首を傾げてウィンドウの外を見ている。
「なんでしょう?」
「ご到着の、ようだねぇ」


3.

 古びたドアを注視する二人。ところが一向に入ってくる気配がしない。
「ただのお客さんじゃないですか? 店の雰囲気に気圧されて、中に入るか躊躇していらっしゃるとか」
「そりゃどうせ怪しい店だけどさ。でも、外車すっとばさせて来るって言ってたしねぇ、第一時間もピッタ」
「……こんばんは」
「うわ!」
 突然背後から聞こえた声に、凪砂と蓮は飛び上がった。
 いつからそこに立っていたのか、金色の瞳に優しげな光を湛えた小柄な青年が、二人を眺めている。
「普通に入ってきとくれよ、全く」
「驚きました……」
 くすくす、と笑って青年は明朗に語りだした。
「私の能力の紹介代わり、といったところですよ。マリオン・バーガンディです。宜しく。そちらは雨柳凪砂さん、ですね。はじめまして」
「えっ、あ、こちらこそ」
 凪砂は戸惑いの色を隠せない。
「その、どうしてあたしのことを?」
「ウチの系列会社の株主に、収集家の方がいると聞いておりまして、お名前だけは聞き及んでおりました」
 親の残した遺産の中に、大口とはいえないながらリンスター系列の株もあったことを、彼女は思い出した。
 マリオンは楽しげに、文字通り瞳を輝かせて店内の骨董・美術品を見回している。
「良い店ですね、蓮さん。今度は正式に、リンスターの人間として買い付けに来たいところですよ。それはそうと、例の刀は?」
「あたしの中の子が瘴気を喰らい尽くして、小康状態にはしておきましたが……手に取るにはまだ危険過ぎると思います」
「なるほど、それは残念」
 そう言って真剣な面持ちでマリオンは二人に向き直った。
 その瞳から美術愛好家の光は消えうせている。
「さて、先程ご覧に入れたように、私は空間の結合及び侵入が可能です。時間を越えた空間も例外ではありません」
 凪砂はそれを聞き、彼がここに着たその意味を瞬時に理解した。
「過去にさかのぼり介入して、あの刀で少女の父親を斬らせるつもりですか、マリオンさんは」
 抑えた静かな声色の内に、彼女が露骨な反感を表に出すまいとしているのがわかった。
 マリオンは、俯き加減で宙空を見つめ、黙って凪砂の言葉を聞いている。
「蓮さんにも言いましたけど、復讐を遂げさせて、それで解決するとあたしには思えません」
「そうかもしれませんが、これだけは言っておきます」
 そう言ってマリオンは、かすかな反発の色を宿している凪砂の黒曜石のような目を、真っ直ぐ見据えた。
「私は決して、復讐させることを前提にしていません。私なりに、考えもあります。その青年さえ救えばいい」
 凪砂の表情がわずかに緩む。
「そうですか……任せるしか、なさそうですね」
 では、と呟いてマリオンは自分の策を語り始めた。
「とりあえず、青年が殺される数十分前の空間に少女の霊を『紅刻』に憑依させたまま、私も一緒に侵入します」
「可能なんですか? 現場の蔵も移築されていますし、何年前の出来事かもわからないですし……」
「普段ならば時系列や場所のデータが必要ですが、今の少女の霊魂は憎しみのみで満たされていますから」
「そうか、こちらから持ちかければ、その空間まで案内してくれますね」
「その通りです。私の狙い通り上手く行くかはわかりませんが、ある所までは皆さんの協力が必要です」
 そのとき突然、電話のベルが鳴った。
 手を顎に当て、黙ってマリオンと凪砂のやりとりを聞いていた蓮が、受話器をとる。
 
 
4.
 
「“保険”が、すぐ着くそうだよ」
 受話器を置いてすぐ蓮が言った。
「小うるさいボディーガードを撒くのと、途中で面白い恨み言を言う霊を捕獲したんで、弄って楽しんでた、だとさ」
 凪砂の頬が引き攣る。
「な、なんというか変わった趣味の方なんですね」
「まあねぇ。とはいえダイモーン使役は一級品だし、今回みたいなケースに関しちゃあ適任だし、さっきあんたにも言ったように、完璧な保険と呼べちゃうほど有能なのは確かなのさ」
「ボディーガード、となると名家か財閥のご子息ですか」
 とマリオン。
「ああ、修善寺家の長男坊だよ。……おや、着たようだね」
 銀の髪のウェーブをなびかせ、両耳のピアスを揺らしながら彼がゆっくりとドアをくぐって来た。
 赤い瞳は切れ長で眉も薄く細いが、透き通るような白い肌と彫りの深い顔立ちのせいかさほど冷たい印象ではない。
 襟元が大きくデザインされた、鎖骨を覗かせるシャツとコットンセーターが、容姿と相まって中性的な雰囲気をかもし出している。
「遅刻かな、ボクは修善寺・美童(しゅぜんじ・びどう)」
 悪びれた様子はない。
 遅れた理由がアレなだけに蓮も肩をすくめただけだ。
「あんた達、説明してやっとくれよ。アタシは保管庫の鍵を取ってくる」


5.
 
「ふうん。やっぱりボクは非常要員かな。見学させてもらうとしますよ」
 凪砂とマリオンから経緯を聞いた後、美童はあっさりそう言い放った。
「ボクの『ソウル・ファッカー』の射程の距離云々以前に、時空間の向こう側じゃどうしようもないし。憎い、憎いの恨み言しか言わない霊なんていっぱい持ってるし珍しくもないから、食指が動かないな。コレクションとして持ち帰る気にもなりませんよ」
「そ、そういうものでしょうか……」
 霊障に対する価値観のあまりに違う美童を前にして、凪砂はどう反応してよいかわからない様子だ。
「いえ、美童さんにやってもらうことが、あります。というより寧ろ、必須です」
 マリオンは保管庫の扉を顎で示した。
「『紅刻』もろとも保管庫内の空間と時空間を結合させて、目的の過去にたどり着かなければならない。その時、私が『紅刻』に施してある封を解き、この手に持っている必要がある」
 凪砂が慌てて口を挟む。
「直接触れるのは危険すぎます。 あたしは『紅刻』が発していた澱んだ瘴気を一時的に喰らい尽くさせただけです」
「いや、大丈夫」
 美童が立ち上がる。
 IQ270を誇る彼の頭脳が、直感に近い速さで自らの役割に対する考察を終えていた。
 ゆっくりと視線をマリオンに向ける。
「要するにキミが封印を解く間、ボクが『ソウル・ファッカー』でその刀を抑えとけばいいんでしょう」
 マリオンは頷く。
「……ご名答だねぇ、さすが理解が早いじゃないか」
 蓮が鍵をじゃらつかせながら戻ってきた。
 美童はその言葉を内心鼻で笑いながら、キーを受け取る。
「じゃ、蓮さんは離れて朗報を待っててください。さあて、」
 美童は目を閉じ意識を集中させる。
 その銀髪が一瞬ざわついたかに見えた……と思うと、その傍らに彼の忠実なるデーモンが鎮座していた。
「行くとしますか」
 鍵を選びながら保管室へ歩を進める彼を、マリオンと凪砂が追う。


6.

 重い鉄の扉が、彼らの後ろで閉じられる。
 その音は気のせいか、外界への帰還を無慈悲に拒む判決のように響き、反響して遠くへ消えた。
 凪砂が浄化した直後であるにも関わらず、中にはやはり異様な気が漂っている。
 それが保管室の無機的で冷たい造りからくる印象でないことは明らかだ。
「トランクナンバー556、ここですね、『紅刻』の封じられているのは。尤もこの瘴気ですから、知らなくても分かってしまいますが」
「マリオンさん、これ」
 美童が投げてよこした鍵束を、マリオンはトランクを注視したままキャッチした。
「どうも」
「じゃ、『ソウル・ファッカー』で霊的能力を無効化する結界を張ります。ただし、こっちの――マリオンさんの空間結合の能力も遮断されるので、準備ができたら合図を下さい、解除します。タイミング勝負です」
「あたし達も一緒に行けないんですか?」
「空間を繋いでいる最中に振り落とされると、狭間に閉じ込められたまま時間の無い次元で彷徨い続けることになります」
 そう答えながら、マリオンはトランクを開けると『紅刻』を引っ張り出した。
 幾重にも貼られた護符をほどきながら続ける。
「大丈夫です、私一人で。……悪いようにはしません」
「でも……」
「危なくなったら、すぐに戻ってきますよ」
 やがて露になった刀の拵えが真新しい白木であったことに味気なさを覚えながら、ともかく。マリオンは『ソウル・ファッカー』で結界を巡らせている美童に眼で合図する。
 薄く艶のある唇から了解の笑みが返ってきた。
「では」
 言葉の終わらぬ内に、美童が舞う様な仕草でデーモンを収める。はじけるように消える結界。
「気をつけて……」
 凪砂の言葉は届かなかった。
 彼は既に先知れぬ空間へ飛びこみ、姿は無い。案内に携えているのは、憎悪と怨念を解放された『紅刻』。
 

7.
 
 陽光がさんさんと降り注いでいた。
 遠くにけぶる山々の新緑が、色素の薄い彼の眼には痛いほどに眩しい。
 眼を細めながら周囲を見渡して、マリオンはカラーの入ったグラスを用意しなかったことを後悔する。
 さらに目の前に白塗りの蔵があり、視界が確保できない。
 ご丁寧に忍び返しの施された塀と門が見える。
 それでここが少女の憎しみの原風景なのだ、と理解するのには充分だった。
 とりあえず家人に見られれば刀を持った暴漢か強盗ととられかねない。
 手近な植木の陰に駆け込む。
(さて、例の青年か彼女の父親を探さなければ)
 空間結合をこの呪物に任せた以上、惨劇が始まるまでの間はあまり無い筈だ。
(まずはその父親を探し出して――ワタシノ――)
 突然こめかみに激痛を感じ、マリオンは座り込んだ。
(違う、私の父親ではない、少女の父親を……。――ユルサナイ、キル―― 違う。青年を)
 思考が侵食されている……。
 いつの間にか柄に右手をかけている自身に気付く。
 張り付いたように動かない『紅刻』を持った指が、マリオンの意志に反し鯉口を切った。
 まずい。
「くっ」
 全身の力を込めて、引き剥がすように投げ捨てる。
 嫌な汗で額が濡れていた。荒い息を整えながら、眼下の刀を見下ろす。
 やはり『ソウル・ファッカー』の結界下でしか、大人しい存在ではなかったようだ。
「……過去に低回したままで、どうするんですか、あなたは」
 そう『紅刻』に憑いた少女に向かって呟いたとき、蔵の表口の方に足音が聞こえた。
 時間的余裕はない。
 刀をその場に残し、木陰から飛び出して駆けた。


8.

 マリオンを見送った二人には、しばしの沈黙。
「……憎しみというのは実に割に合わない」
 それを破り、淡々と美童が語りだした。
「品格が落ちるどころか深遠に堕ちていく、あとに残るのは空しさのみ、など色々ありますがもっとも恐るべき点の一つは、憎めば憎むほど、その対象と縁を持ってしまうということですね」
「はあ……」
 きょとんとしている凪砂を尻目に、携帯電話を取り出す美童。
 どこにかけているのか何やら指示をした後、ご満悦といった表情で保管室を出ていく。
 流石に見咎めた凪砂が慌ててその背中を追いつつ声をかけた。
「あ、あの待っていなくていいんですか?」
「だから言ったでしょう。憎しみなんて割りに合わない。ほら、きました」
 程なくショップのドアが開き、修善寺家の人間であろう黒服が、続々と酒や鉢盛りを持ち込み始めた。
「ご指示どおりに致しました」
「ご苦労、帰っていいぞ。親父には適当に言っておいてくれ」
「はあ、しかし」
「本来ボクにボディーガードがいらない事ぐらい、親父も知っている」
「……では、失礼します」
 彼らは高級料理を置いて帰っていく。
 さしもの蓮も、唖然とした表情で黙って見ていた。あまりに意図が読めないので言葉が出ないらしい。
「要するに、パーティーの準備。憎悪の思念を決して寄せ付けないのは、生への賛美というわけです。ボクなりに彼を信頼しているのでね。だからこれから起こる事も想像がつきます。こういう用意でもしておかないと、その後、間が持ちませんからね」
 そう言って美童は意味ありげな微笑を浮かべる。
 常人の思考では付いていけないところまで先を見越しているようだ。
「ともかく、面白いことが起こりますよ」




9.

 急ぎ飛び出したものの、蔵牢の扉の鍵を壊そうとしているのだろう金属音が聞こえだし、マリオンは逡巡した。
 しかしすぐに冷静さを取り戻し、青年から死角になるよう蔵の裏手と塀の間めがけて踵を返す。
 息を整えながら壁に背を張り付け、慎重に首だけをもたげ母屋の方向を伺う。
 縁側の障子をゆっくりと開け、一人の男が出てくるのが見える。
 徐々に現れた男のシルエット、遠目から見るその手に黒い拵えの日本刀が握られている。
 足音を殺しながら、扉を破ることに夢中で周囲に気のいかぬ青年の背後へ忍び寄ろうとしていた。
 間もなく目の前で惨劇が繰り広げられる。考える暇は無い。
「……!」
 意を決してマリオンは走り、同時に男の背後に遠い別空間への入り口を開いた。
 正面から猛然と駆け寄る金眼の彼に、声を上げるよりも不意の驚きが先に立ったのか。
 そのままの勢いで硬直している男を突き飛ばす――
 背後にぽっかりと開いた空間への入り口によろめくように男は飲み込まれ、閉じられて消えた。
 
 
 ……背後に激しい足音を聞いた気がして、青年は扉を破る手を止めた。
 気付かれたのか?
 血族の暗黙の掟を破ろうとした者として、何をされても不思議はない。
 覚悟は、出来ていた。
 振り返る。
 しかし、誰もいない。
 やがて扉は開き、彼は少女に手を差し伸べる。
 
 
10.

「間一髪……慣れないことはするものじゃないですね」
 大きく息をつく。
 青年が辺りを伺うより先に、マリオンはアンティークショップ・レン前へと空間移動し、戻っていたのである。
 彼を背後から斬殺しようとしたあの男は、遠くに見えた山中にでも飛ばされたろう。
 まあ命を落としたということはあるまい。
 ドアを開け店内に入ったマリオンの目の前には、異様な光景があった。
 見事にならんだ馳走と高級酒の周りで、全員が首をかしげている。
「……あたし、何しにここへ来たんでしたっけ」
「なんかの、お祝いですかね。料理はボクが用意させたと思うんですが」
「なんでアタシの店でやるのさ……アンタ達、何か知ってるかい?」
 
 パラレルの、形成。
 美童が見越し、ほのめかしていたのはこの事だった。
 
 過去が変わったことで、こちら側に『紅刻』を記憶している者は誰もいなかった。
 いや、そもそも存在しなかった。
 瑞江という少女の怨念も、その根源の忌まわしい凶行も。
 自ら過去に介入し戻ってきたマリオンだけがそれを知っていたが、苦笑するに留めて言った。
「……ともかく、せっかく用意されてるんだし、飲みませんか」
 不可解に思いながら、一同座につく。
 酒も入り始める。
 やがては和やかに、夜が更けていった。
 
 
-end-


〜エピローグ〜


 その後建築文化財として蔵の移築工事が行われたが、その際に白骨化した遺体は発見されていない。
 或る時系列世界で『紅刻』と呼ばれた日本刀は、山中で腐食し村ごとダムに沈んだ。



 あの夜以来、リンスターの自分の仕事場で、マリオン・バーガンディは囁くような呼び声を聞く気がする。
 そしてそれはきっと、気のせいではない。
 もうひとつのあの世界から、少女の感謝の言葉が、確かに、かすかに。
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【4164 / マリオン・バーガンディ / 男性 / 275歳 /元キュレーター・研究者・研究所所長】
【0635 / 修善寺・美童 (しゅぜんじ・びどう) / 男性 / 16際 /魂収集家のデーモン使い(高校生)】
【1847 / 雨柳・凪砂 (うりゅう・なぎさ) / 女性 / 24歳 / 好事家(自称)】

【NPC1698 / 瑞江 (みずえ) / 14歳(当時) / 女性 / 憑依霊】