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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


【BABEL x climbers!!】

------<オープニング>--------------------------------------

 白い指が、闇の中で動いた。
 手首から先だけが闇の中に浮かび上がる。ほんの少し開いたカーテンの隙間から、月光が差し込んでいるのだ。それが、手首から先を闇から切り取って浮かび上がらせている。
 青白い肌と、ガラスのように磨かれた爪が青白く光る。指の関節には丸い玉がはまっており、自在に動く。
 動きを確かめるように手が開く。硬く引きつった動きで、指が曲がる。
 細長いレバーのようなものに、指が絡んだ。
 廻す。
 軋んだ金属音が、闇の中に静かに広がる。速さを確かめるように、ゆっくりとレバーを廻す。
 ディスクオルゴールの調べが、闇の中に広がってゆく。
 闇の中で、一対の光が閃いた。一つ、二つ、三つ。瞬きをする光はオルゴールの音楽に誘われるように増えてゆく。
「来たれ、魔界の住人たちよ」
 僅かに笑いを含んだ高い声が響いた。
 巨大なディスクオルゴールを廻す、黒いドレスの少女の人形が浮かび上がる。赤い唇を開き、笑みを浮かべている。
 少女人形のオルゴールは続く。
 闇の中が、光る魔物の目で満たされるまで。
 
 × × ×
 
 これほどの大男というのは、中々お目にかかれるものではない。
 冷え込み厳しい一月の下旬。西日で程よく暖まった草間興信所で優雅に昼寝をしていた草間武彦は、一人の男の訪問で目を覚ました。
 事務所の入り口を屈んで潜る。まさに偉丈夫と呼ぶに相応しい堂々とした肩幅の男だった。推定身長、二メートル強。
 踵まで届く赤いロングコートを着込み、革のパンツにブーツを履いている。黒いシャツを着て、コートに隠された腰と脇には恐らくホルスターが一つずつ。
 アルビノのような白い肌に、白い髪。長い前髪の下から覗く瞳だけが、青い。
 威圧感が服を着て歩いているようだった。
 口元の涎を拭き、なんと声を掛けたらよいか思案する草間の前で、男はポケットから小さな本を取り出した。
 黄色い表紙に、太く稚拙な絵で芸者と忍者とチョンマゲの侍、それから雷門と東京タワーが書いてある。「EASY」と書いてある後ろは読めない。
「Aー……」
 こほんと咳払いし、男は見た目よりはやや高くて色気のある声を出した。
「ボクノナマエ、ハ、ケルベロス、デス。ココハ、ジャパン、デスカ?」
 草間は椅子からずり落ちそうになった。
「AH...ココハ、ミスタ・タケヒコ クサマ、ノ、オフィス、デスカ?」
「い、いえす」
 草間は何とか立ち直り、取り敢えず立ち上がる。大男ーーケルベロスはにやりと笑い、こちらに歩いてきた。
 マイネームイズ・ケルベロス、と言いながら草間の手を握る。腕が痺れるくらいの大した握力だった。
「ボクハ、デビルハンターヲヤッテイマス」
 本を読みながらそう言い、その後困ったように首を傾げた。
「エイゴ、デキマスカ」
「ノーノーノー! アイキャンノット、スピーク、イングリッシュ!」
 カタカナ英語で答え、草間は手を振る。ケルベロスは英語で何か訴えてくるが、草間にはさっぱり意味が判らない。
「No...」
 数分一人で英語で喋り、ケルベロスは片手で額を覆った。
「あー、待て、待て。お前、とりあえず客なのか? えーと、あなたはミーのクライアント?」
 草間はカタカナを混ぜて問いかける。ケルベロスが大きく頷いた。
 来客の多い草間興信所だが、本格的にカタカナしか喋れないヤツはあまり来ない。そしてこんな日に限って、零も出かけているし、エージェントも尋ねてくる気配がない。
 草間はデスクに乗っかっているパソコンを操作し、ケルベロスをデスクに座らせた。
「いいか、見てろよ」
 
 翻訳ページを開いて日本語を打ち込み、それを見たケルベロスが再び英語を打ち込んで翻訳を草間に見せる。
 そんなこの上なくまどろっこしい筆談ーーもといパソコン談を繰り返し、たどたどしい日本語を要約すると、こうだ。
 彼はアメリカではちょっと名の知れたデビルハンターで、日本にやってきたのは仕事のため。先日ある悪魔を取り逃がしたが、それがあろうことか日本行きの貨物船に逃げ込んだのだという。ケルベロスは慌てて日本にやってきたが、右も左も判らない。草間興信所で会話のわかる人間とサポート役を見繕ってもらおうと思ってやって来たーーということだった。
「ああ、疲れる会話だったぜ! こんなカンバセイションは楽しくないな!」
 某アメリカ式サムライ映画を意識して言うと、草間は大きく伸びをした。これだけの会話をするのに一時間近くが掛かっている。その間、立ったまま前屈みになってキーボードを叩いていたのだ。腰が痛い。
 悪魔の逃げ込んだ貨物船は、日本の金持ちの集めた美術品を積んだ船だった。金持ちの名は、身安幹三郎。日本ナンバーワンの生命保険会社、身安生命の会長である。
「ミヤスっていえば、コレか?」
 草間はケルベロスの前にあるページを表示する。身安生命の本社ビルの最上階にある、会長私設の美術館の公式ページだ。
 明後日から始まるのは、西洋でかき集めたクラシックオルゴール展。著名な画家や彫刻家の美術品を集めては、美術館としてはかなり高額の入場料をふんだくるので有名な美術館だ。
 場所は東京新都心、西新宿。都庁を囲むように立ち並ぶ超高層ビル郡の中の一つである。展望台としても価値があるのだろうから、入場料が高いのは自然と考えるべきか。
 ケルベロスが草間に親指を立てて見せる。にやりと笑った。
 精悍な顔立ちの中、目だけがやけにぎらぎら輝いている。
「たって、この美術館は八時過ぎたらビルごと閉鎖だぜ。どうやって入るんだ、よじ登るのか? この寒いのに」
 草間は呆れて言う。椅子にかけたままの上着のポケットから煙草を取り出して火をつけた。
 ケルベロスがパソコンに向き直り、ぱちぱちと何か打ち込んだ。
 最後にーー
 
 持参した紹介状をあなたにお渡しします。
 
「そんなもんは最初に出せッ! 最初に!!!」
 草間はケルベロスの手から、きちんと折りたたんだ紹介状をひったくった。

------<Mission Start>--------------------------------------


 ケルベロスが手渡した紹介状の封筒には、「草間へ」とだけ書かれていた。
 草間は封筒の頭をハサミで切り落とし、大股で応接ソファに移動した。あたかもこの事務所の主人かのような顔で所長椅子に座っているケルベロスを横目で見ながらソファに腰を下ろした。
 紹介状を書いたのは、草間の学友でもあり悪友でもある鴉城洋介だった。事務所も構えず単身で探偵家業を営んでいる。先日、使い魔を使ってこの事務所のガラスをぶち割ってくれたトラブルメーカーでもある。
 紹介状の中身は短かった。
 「アメリカで著名なデビルハンターのケルベロス氏を紹介する。現在鴉城探偵は多忙につき、草間が仕事を受けってやって欲しい。あ、紹介料はサービスしとくな。成功報酬の3%で。振込先はこちら。では、よろしく」
 草間は丁寧に紹介状を折りたたみ、封筒に戻す。
「ふぅぅっざぁけんなああああ!」
 封筒を床に叩きつけた。
 踏みつけてやろうと足を持ち上げた瞬間、事務所のドアが開く。
「なあに、今の絶叫は」
 片手にファーストフードの紙袋をぶら下げたシュライン・エマが、呆れ顔で入ってきた。
「ただいま。はい、武彦さんにタマゴバーガー」
「コーラとポテトのセットな。サンキュ」
 シュラインは紙袋を草間の膝に乗せる。ケルベロスを見て首を傾げた。
「お客様?」
「アメリカ人のお客様」
 草間はケルベロスを指差し、床に叩き付けた封筒を拾った。シュラインに手渡す。
「英語しか喋れないし面倒だし、鴉城なんかからの紹介状持ってきたから、『帰れ』とか言ってくれないか? ゴーホームクイックリーだったったけか?」
 草間の言葉を聞きつけたのか、ケルベロスがじろりとこちらを見る。
 シュラインは肩を竦めた。
「草間興信所はどんな仕事もパーフェクト、じゃないの? 鴉城さんからの紹介なんでしょ? 断ったら後で厭味たっぷり言われたりして。その時地団駄踏まないでね?」
「断りたくないような口ぶりだな」
「いつでも経営は苦しいのよ、ウチは」
 腕組みしたシュラインの言葉に、草間はがくりと首を折る。
「じゃ、お受けしますって言って話聞いてくれ」
 草間はふて腐れてテーブルの上に肘を突いた。
 簡単に今までの経緯を話す。シュラインは優しく草間の頭を撫でた。
「ご苦労様。それじゃ私が通訳するからもう一回話を聞きましょうか。あの手の翻訳はアテにならないの」
 シュラインはケルベロスを応接セットに移動させる。
 見上げるほどに背が高い。ブーツの分も含めても二メートルは超えているのではないだろうか。手が大きく首が太い。コートの下の胸板は肉がたっぷりと詰まっていそうだ。
 長い足を邪魔そうに組み、頭の後ろで手を組んでケルベロスは話し出した。
「ああ、ようやっと話が通じるヤツが出てきたな。助かったぜ。お嬢さんにもう一回説明すればいいのか?」
「お願いします」
 シュラインは草間に通訳しながら言った。
「オレはケルベロス。本国じゃあ少しは名前の知れた便利屋だ。悪魔が絡んでりゃ何でもやる。一仕事請け負ったんだが、そいつが日本行きの貨物船に逃げ込んだんで追いかけてきたんだ。一度日本には来てみたかったんでね。後から調べたら、船の中身は全部身安幹三郎って男のモンだと判った。大分弱らせたから何かに潜って大人しくしてやがるんだろうと思ってるんだがな。美術品に潜ってるなら、ヤツはその身安の美術館にいるのは間違いない。大掛かりなことが好きなヤツだからな。早めにとっちめたいんだが、どうやって潜り込もうかと思ってな。通訳も兼ねてスタントなしの大立ち回りができるヤツがいたら紹介して欲しい」
 シュラインは草間と顔を見合わせる。
「私の通訳が要らなくて」
「悪魔相手に大立ち回りねえ」
 草間は膝に乗せたファーストフードの袋を脇に退けて立ち上がった。
「あいつらだな」

 × × ×
 
 四角いタイルの敷き詰められた路地を、木枯らしが吹き抜けてゆく。
 少し前まで窓ガラスを鏡にダンスの練習をしていた若者達も、少し前に一斉に姿を消していた。腕時計に目を落とすと、針は午前0時少し前を示している。
「寒いわね」
 ロングコートを羽織ったシュラインが、それほど寒くもなさそうに言う。コートの下は、全身をぴったりと覆う防寒スーツだ。そう寒くあるまい。
 寒いのは草間の方だった。いつもの恰好に分厚いコートを着込んだだけである。革手袋で手先は覆っているが、東京は二月が一番寒い。一月下旬ともなれば相当冷え込む。
 二人の間に、大剣を杖のようにしてケルベロスが立っている。こちらは寒さなど全く意に介しておらず、唇の端に笑みを浮かべて身安生命本社ビルを見上げていた。
 大人の身長ほどもあろうかという巨大な剣である。布を巻いてホテルに隠してあったのを持ってきたそうだ。得物は銃かと思ったら、肉弾戦もお得意らしい。
 身安生命本社ビルは、平たいビルの裾がスカートのように広がった変わった形をしている。地上46階、地下5階のノッポビルだ。美術館はここの45、46階の上下二階ワンフロアぶち抜き。かなりの広さがあると考えて間違いないだろう。
 草間はその高さにウンザリして溜息を吐く。潜り込んで階段を駆け上がるのは不可能だろう。
 新宿駅側から伸びてくる歩道橋のところに、人影が現れる。ケルベロスが目を光らせた。
「お、来た来た」
 草間は片手を上げ、軽く振ってやる。コートを着込んだ青年が二人と、ボディコンシャスな服に身を包んだ女性が一人。こちらへ歩いてくる。
 小さな羊を足下にまとわりつかせているのが龍ヶ崎常澄。そしてその隣で、女性の腰を抱いて歩いているのがリィン・セルフィスだった。
「お待たせ」
 常澄が草間とシュラインに微笑みかける。ついでに英語でケルベロスに話しかけ、握手を交わした。
 女性から口づけを受けてご満悦だった様子のリィンが、草間の横にいるケルベロスを見て動きを止める。ケルベロスも、ぴくりと片方の眉を上げた。
「紹介しよう。今回のクライアントのケルベロス氏。アメリカでデビルハンターを」
「草間」
 リィンが片手を上げて草間の言葉を遮った。
「悪いが、オレは降りる。こいつと仕事なんてしたくないね」
「はぁ!?」
 草間は驚いて声を上げた。ケルベロスが大剣の柄に手を添えたまま、大声で笑う。
「こいつは嫌われたモンだな。オレとお前の仲じゃないか、リィン」
「オレとお前の間にどんな仲も存在しないぜ。クライアントがお前だと知ってたら、オレは来なかった」
「ちゃんと言ったけど。依頼人はケルベロスっていうデビルハンターだって」
 常澄が呆れて言う。リィンが目を剥いた。
「その時お前はむーむーさんを膝に乗せてご満悦だったから、聞き漏らしたんじゃないか?」
 リィンが腰を抱いている女性を指差す。むーむーさんと呼ばれた女性が、色っぽく微笑んでリィンの胴体に腕を回した。
 豊満な乳房を誇示するような、身体にぴったりとした服を着ている。胸元が大きく開いており、谷間どころか上から乳首まで見えそうだった。青白い肌に、色素が薄くて瞳孔のない瞳。高く結い上げた髪に真っ青な唇。
 どうやら人間ではないようだった。
「夜魔ニュクスか。デビルハンターが悪魔と遊ぶのか?」
「人のことを言えるのか? お前の恋人だって悪魔だろ」
「嫌ってくれてる割には詳しいな」
 リィンとケルベロスの間に剣呑な空気が流れる。通訳をしていたシュラインが額を手で覆った。
「もう。知り合いだったなんて」
「そういうワケだ。同業者助けてやるほど暇じゃないから、オレは帰るぜ」
 リィンはひらひらと手を振り、むーむーさんと連れ立って踵を返す。
 草間は慌ててリィンの前に回り込んだ。
「待て待て待て! 帰るな! 仕事しろ」
「断る」
 リィンはきっぱりと言う。
「絶対い・や・だ・ね!」
「折角来たんだから、いいじゃないか」
 常澄が助け船を出す。足下を跳ね回っていた饕餮を抱き上げ、寒いと呟いた。
「とっとと仕事して帰りたい」
「リィンさんがいれば、きっと早く終わるわね」
 シュラインが愛想笑いして言う。ニュクスが手を伸ばしてリィンの顎を爪で撫でた。
「一回受けた仕事を降りるのか? 格好悪いぞ」
「気が進まない」
 リィンはぷいっとそっぽを向く。草間は眉間をごりごりと揉んだ。
「よし、こうしよう。オレと勝負しろ。負けたら仕事」
 ポケットに手を突っ込み、五百円玉を一枚取り出した。
「右手と左手、コインが入ってる方を選んだら、仕事だ」
 草間はコインを宙に放り投げる。手を交差させるようにして、受け止めた。
「お前、オレの動体視力をナメてるな」
「どうかな」
 草間は拳をリィンの前に突き出してにやりと笑う。
「自慢じゃないが、オレには勝利の女神がついてるんだぜ」
「ふぅん」
 リィンが馬鹿にしたように笑う。常澄とシュラインも、呆れたように肩を竦めている。
「それじゃ帰してやるって言ったようなモンだよ」
 常澄が小さく溜息を吐く。シュラインが声を出さずに「馬鹿」と唇を動かした。
「どっちかは判ってるけど、選んでやろう。eenie meenie minie moe,catch a tiger by the toe,if it hollers let him go(どちらにしようかな)」
 芝居がかった仕草で左右の拳を選ぶ。右の拳で、指先が止まる。
 すい、と左へ動かした。
 常澄とシュラインが小さく落胆の声を漏らす。
「こっちだ」
 リィンが自信たっぷりに言う。ニュクスがホホホと笑った。
「神様の言うとおりにするべきだったな? 仕事だ」
 草間はにんまりして手を開く。
 五百円玉が、しっかりと手の中にあった。
「何だと!?」
「どうやった!?」
 リィンと同時にケルベロスが声を上げる。シュラインと常澄が顔を見合わせた。
「いやァラッキーラッキー。ほれ、仕事」
 草間は五百円玉をポケットに放り込み、リィンの肩を叩いた。
「オレも動体視力には自信があるんだが」
 ケルベロスが言う。腕組みして顎を撫でた。
「どうやったのか、知りたいな」
「あー無理無理。こういうのは心の目で見るもんなんだ。ジャパニーズ・サムライの心意気ってね」
 草間はひらひらと手を振る。身安生命ビルを見上げた。
「それじゃ、サクッと片づけて寒さから解放されますか」
 親指を立て、夜空を差した。
 
 × × ×
 
「召還! 霊鳥ガルーダ!」
 タイルの上にチョークで魔法陣を描き、常澄が叫ぶ。魔法陣が青白く輝き、夜空を引き裂いて一条の光が突き立った。
 光めがけて、黒い塊が空から降ってくる。草間達の頭上で、巨大な翼を開いた。
 突風が一同の身体を打つ。草間はシュラインの腕を握って片手で顔を覆った。
 思い足音を響かせ、半鳥半人の悪魔が降り立つ。黄金の冠と装飾品で身を飾り、長い尾を揺らしている。
 常澄の前に頭を垂れた。
「よく来た、ぴよさん。ちょっとあの上まで飛んでくれるかい」
 常澄はガルーダの頭を撫でてやる。ガルーダが膝を突いて身を低くした。
「大物だな」
 ケルベロスが大剣をがちゃりと鳴らす。ガルーダの目が一瞬光る。常澄が手を広げてガルーダの前に立ち塞がった。
「そんな殺気ギラギラでぴよさんに乗るつもりか?」
「悪魔っぽいものは何でもぶった斬ってやりたい性分なんだ」
 ケルベロスはにやりと笑う。
「悪魔の背中なんてゴメンだな。オレは一人で登るぜ」
 シュラインが溜息を吐く。どうにもうまくいかないようだ。
「マイペースな人」
「頑張って登ってもらえばいいだろ」
 草間は気にせず言う。
「上から紐垂らしてやるから、登ってこいよ。草間とシュラインさんは乗って」
「これ、渡しておくわ」
 シュラインはコートのポケットから耳に装着するタイプのインカムを出す。一同に手渡した。
「用意がいいな」
「隠密行動なんでしょ!? もう。大声で喋りながら侵入するつもりだったの?」
 感心した草間の脇腹をシュラインが突く。
「全員と繋がるから。無線だから長距離は苦手だけど、ビルのフロア内ぶち抜きみたいだしまあ大丈夫だと思うわ」
「乗って乗って。人が来る前に飛ぶよ」
 ガルーダの背中によじ登った常澄が、草間たちを手招く。
 巨鳥の背中は暖かかったが、つるりとしていて人間の肌のようで余り気持ちのいいものではない。
 ニュクスとシュライン、草間の三人が乗り込むと、ガルーダが大きく羽ばたいた。
「行け!」
 常澄が命じる。身体がふわりと宙に浮いた。
 視界がぐるりと回る。空中で一旦旋回し、ガルーダは上を目指した。
「上空は流石に寒いな」
 身を低くして風を避けながら、草間が呟く。シュラインが片目を瞑って首を竦めた。
「ところでさ」
 常澄が後ろを振り向き、草間に顔を近づける。インカムの電源を切った。
「さっきの、どうやったんだよ。五百円」
「私も知りたいわ。見てたもの。確かに右手にコインが落ちたの」
 シュラインもインカムの通信を切って問いかける。草間はにやっと笑った。
「目がいいヤツばっかだから、引っかかってくれると思ったぜ。あれはな」
 草間はシュラインと常澄の耳元に囁いた。
「どっちを引いてもコインは入ってたんだよ」
 ぷ、とシュラインが吹き出す。
「もう、武彦さんったら」
「セコイ!」
 常澄がけらけら笑う。
「だから言ったろ。心の目で見るんだって」
「それは詐欺っていうのよ、武彦さん」
 シュラインがくすりと笑う。
 ビルの最上階が近づいてきていた。
 常澄が身体を戻し、空中に魔法陣を描いた。
「召還! 神獣マカミ!」
 魔法陣の中から、真っ白い紙のような悪魔が姿を現す。子供が作った神細工の犬のような、どこかおかしみのある悪魔だ。
 ひらひらと風に流されるようにビルの屋上に取り付く。
 その尾が、ぐんと伸びた。
 風に流されながらも、紙のような尾がどんどん伸びていく。暫くすると、ビンッとしなって真っ直ぐになった。遙か眼下で、その先端をリィンかケルベロスが掴んだようだ。
「リィン、ケルベロスさん聞こえてる?」
 インカムの電源を入れて常澄が言う。
「オレの悪魔傷つけたら、上から撃つから。登る時は気をつけて」
 コートの下から愛用のワルサーPPK/Sを引っ張り出す。がしゃんと上部をスライドさせた。
 インカムの向こうから、どちらが先に登るかで揉める二人の声が聞こえてくる。
「どっちでもいいから早く登ってきてくれ」
 草間は白い息を吐いて呟いた。
「上空は死ぬほど寒いんだ。凍る前に登ってきてくれよ」

 × × ×
 
 闇が降りてきた。
 リィンは上空から伸びるマカミの尾を握り、掌を眺める。マカミの身体を伝うように、黒い闇が降ってくるのだ。リィンたちの身体も、徐々に暗闇に溶け始める。
 上空では常澄の召還したガルーダがゆっくりと旋回している。常澄がニュクスに闇を作ってカムフラージュするように指示を出したのだろう。
「まさかお前と組むことになるとはな」
「奇遇だな。オレも夢にも思わなかったぜ」
 大剣を背負ったケルベロスが、舌を出して首を掻き切る真似をする。
「オレの足を引っ張るなよ」
「引っ張られるような足なんて捨てちまうんだな」
 リィンが吐き捨てる。
 二人の間でチリッと殺気が火花を散らす。
 次の瞬間、互いの額に銃口が突き付けられていた。
 腕を交差させるようにして、真っ直ぐに相手の眉間を狙う。
「あんまり可愛いコト言ってると、引き金引いちまうぜ? ハニー」
「奇遇だな、オレも今そう思ってたところだぜ。ダーリン」
 甘く囁いてやり、リィンは真っ直ぐにケルベロスの瞳を睨み付ける。自分よりもほんの少しだけ背が高いのも癪に障る。
『コラァ!』
 インカムから常澄の大声が聞こえてきて、二人はびくっと身体を震わせた。
『喧嘩すんな! 早く登ってこい!』
「おお、うるせえ」
 ケルベロスが片耳を押さえて首を振る。
「キリキリ登るか。アイツ、本当にモタついてると撃ってくるぞ」
 リィンはマカミの尾を握る。上を指差すと、大地を蹴った。
 壁に足の裏を打ち付けるようにして取り付く。マカミの尾をたぐり寄せるようにしながら、跳躍を繰り返してビルを登る。
 汗ばんだ身体に上空の冷気が心地良いぐらいだった。途中からマカミが尾を短くし、二人を引っ張り上げる。
 ガラス窓の内側はどれも真っ暗で、奥にひっそりと常夜灯や非常口の表示が光っているぐらいだ。人の気配は皆無。万一警備員がいるとしても地上に近いところにいるのだろう。よもや。
『こんなてっぺんから侵入するとは思わないんだろうな』
 草間がやや凍えて震えた声で呟く。
『寒いぜ。早くしろ』
「こっちは快適温度だぜ」
 リィンはやや息を上げながら言う。高さ約200メートル。中中ハードなロッククライミングだった。
 ガルーダがリィンとケルベロスのすぐ脇を掠めて飛ぶ。
 最後の跳躍で、45階の窓に取り付く。分厚いガラスの向こうは真っ暗で、常夜灯どころか非常灯の明かりすら見えない。
 ケルベロスがリィンの肩に手を置き、やや上のガラスに取り付く。グローブを噛んで外し、ガラスに触れた。
「チッ」
 小さく舌打ちする。器用に歯でグローブをはめ直す。
「ガラスが妖気でチリチリしやがる。中は相当楽しいことになってそうだぜ」
「ぶち割るか」
 リィンはホルスターに手を掛ける。ケルベロスが舌を鳴らして人差し指を振った。
「無駄弾使うな。凍えたガラスをこいつであったかくしてやるぜ」
 ケルベロスが腕を振り上げる。手袋がオレンジ色に燃え上がった。
「魔手イフリート。破壊にはこいつが一番だ。行くぞ」
 燃え上がる拳を窓ガラスに叩き付ける。
 ガラスが粉々に砕け散った。
 
 × × ×
 
 ガラスの破片が飛び散る廊下の中に、ガルーダが突入した。
 リィンとケルベロスを翼に引っかけるようにして回収する。屋上から剥がれたマカミが、ゆらゆらと落下しながら消滅する。
 砕けたガラスを踏み割りながら、ガルーダが通路に着地した。
 シュラインが真っ先に飛び降りる。ガラスの少ないところを狙って、草間もガルーダから降りた。
 展望のためか、窓側は通路になっている。オルゴール展のポスターが張り出してあった。
 室内の温度は適温に保たれているようだが、冷たいもので首筋を撫でられているような冷気を感じる。頬に鳥肌が立った。
「あれ、見て」
 シュラインが通路の先を指差す。エレベータホールと、美術館の入り口が見える。
 青黒いガラスの内側に、何かがべったりと張り付いている。暗くてよく見えない。
「凄いことになってそうだな」
 首筋を撫でて常澄が呟く。
「ガラスの向こう側、凄い妖気だ。隙間から漏れてるだけでこんだけ溜まってる。中はほぼ魔界なんじゃないかな」
「暴れ甲斐があるってモンじゃないか」
 リィンは両手に銃を構えて言う。
「モタモタしてると何か出てくるかもな。突入あるのみ、だぜ」
 大剣を引き抜き、ケルベロスが言う。
「あ、ちょっと」
 シュラインが三人に声を掛ける。
「怖かったらここにいな、レディ」
 ケルベロスがシュラインに投げキスをする。入り口に向かって走り出した。
 常澄もガルーダに飛び乗る。細い通路を一気に飛んでゆく。
 ガラスの割れる音が響き、三人が美術館内に飛込んだ。
「あーあ……もう。オルゴール殆ど壊されちゃいそうね。個人所有なんでしょ? 可哀そうに」
 シュラインが溜息を吐いて首を振る。
「とりあえず全員同じことしても仕方ないわ。私たちでサポートしましょう、武彦さん」
 
 × × ×
 
 美術館の入り口の向こうは、まさに魔界だった。
 床という床、壁という壁が赤くぬめっている。仄かに燐光を発しながら、あちこちに赤黒いこぶを作って蠢いている。あたかも、巨大な生き物の体内に潜り込んでしまったかのようだった。
 天井や壁から巨大な瘤が突き出しており、それが赤く輝いている。かなり暗いが、目が慣れれば十分見通せるだけの明るさがあった。
 ガルーダが低く滑空する。後を付いてきたリィンとケルベロスが口笛を吹いた。
 吹き抜けになった美術館内の天井は高く、オルゴールが整然と並べられている。オルゴールを抱いたオートマータが数体、天井からつり下げられている。その眼が赤く輝き、ぎこちない動きでこちらを見ている。
 濡れた音がして、オルゴールの隙間隙間から赤黒い鬼が立ち上がった。
 翼を持った赤い悪魔が常澄の目の前に飛翔する。
 常澄は躊躇せずにワルサーPPK/Sの引き金を引いた。
 それを合図にしたかのように、鬼どもが一斉に躍りかかってくる。
 口々に「エサだ」と「食え」と叫びながら、三人に殺到した。
「雑魚だな!」
 リィンが言い捨てて銃を乱射する。崩れ落ちた仲間の身体を喰いながら、鬼どもが向かってくる。
 オルゴールの音が響いた。
 歪んだような金属音が、軋んだメロディを奏でている。常澄は頭痛がして片耳を押さえた。
 地場を歪ませ、妖気を増幅させているのだ。頭痛と同時に気分が悪くなってくる。
 床に一本の線が走った。床が盛り上がって巨大なミミズになる。
 リィンたちはミミズの身体に弾き飛ばされた。
 ガルーダが飛び、リィンとケルベロスを拾う。ガルーダの足にぶら下がったまま、リィンとケルベロスがミミズに銃弾を浴びせた。
「濃度が上がりすぎてる。草間達が入ってきたらヤバイ」
 常澄は片目を瞑り、口許を押さえて言う。攻撃的な妖気が口や鼻から入り込んできて、内臓を弄り回している。酷く気分が悪かった。
「このオルゴールを、止めないと」
 頭を振って気分の悪さを吹き飛ばそうとする。ガルーダが天井スレスレまでに上昇し、大きく旋回する。
 仲間の身体を踏みつけて飛びつこうとしてくる鬼たちを、羽ばたきで叩き落とした。
 空中で、展示されていたオートマータが動き出す。自ら吊り糸を切り、床へと落下する。
 床にたたきつけられ、一部を欠けさせながら立ち上がる。
「何だ?」
 リィンが顔を顰める。
 全てのオルゴールが、全く違うテンポで様々なメロディを奏でだした。
「うわっ」
 常澄が耳を押さえて悲鳴を上げる。
 邪悪な音色が、不協和音を吸い込んで攻撃性を増す。ガルーダから転げ落ちそうになった常澄の身体を、リィンが片腕で抱き留めた。
 ガルーダの足にぶら下がったまま、ケルベロスがオルゴールを撃っていく。展示物や柱の隙間を、少年少女の姿をしたオートマータが走り回る。
 尖ったガラスの破片が投げつけられる。常澄を庇ったまま、リィンがそれを避けた。
「危ねえ! くそ、面倒だな」
「本体を探せばいい。言ったろ、派手好きだってな」
 ケルベロスが言い、ガルーダの足から手を離す。
 オルゴールの一つの上に落下する。四角いオルゴールがばらばらに砕け散った。
 
 × × ×
 
 通路を走っていたシュラインが、突然耳を押さえて床に転がった。
 半歩ほど後ろを走っていた草間は慌てて足を止め、シュラインの側に膝を突く。
「音が……」
 シュラインが耳を押さえて呻く。額にうっすらと汗が浮かんだ。
「音? 聞こえないぞ」
 草間はシュラインを抱き起こす。その腕に、何かが絡みついた。
 赤黒い触手のような物が、シュラインの足や草間の腕に絡みついている。
 振り返ると、ガラスの砕けた美術館入り口から、赤黒い蔓草のような物が縦横に伸びている。その数本が、草間達を絡め取ろうとしているのだ。
 触手の先が、ぱくっと口を開けた。小さな針のような牙がずらりと並んでいる。
 草間はシュラインの足に絡みついた触手を引きちぎる。腕に絡んでいた一本が、草間の肩を噛んだ。
「うわっ」
 激痛が走り、草間は悲鳴を上げる。シュラインが半身を起こし、ポケットから小瓶を取り出して中身を触手に振り掛けた。
 触手が異臭を放ちながら蒸発する。草間はシュラインの身体を抱き締めたまま、ほうっと深い溜息を吐いた。
「弱くて助かったわ。聖水でも効くみたい」
 耳を押さえてシュラインが立ち上がる。
「中も大変みたい。ノイズが多くて聞こえにくいわ」
 インカムの向こうに耳を澄まし、シュラインが肩を竦める。ふと顔を上げ、あたりを見回した。
「展示会用の地図とか、ないかしら? 照明ってそんな変わったところに電源置かないわよね」
「あるとしたらあそこ、だな」
 草間は触手が蠢いている入り口付近を指差す。小さなラックが並んでおり、冊子が入っている。
 目が慣れてきたため大分視界が開けてきが、冊子の内容までは見て取れない。
「ダメ元で、取ってみるわね」
 シュラインが防寒スーツのベストから小瓶を幾つか取り出す。ラベルを確かめ、一つを投げた。
 ゆるやかに弧を描いて飛んだ小瓶が、入り口の少し手前に落下する。あっさりと砕け、中身が床にぶちまけられる。
 蠢いていて触手が飛沫を浴び、ざっと入り口の奥へと引っ込む。
 シュラインが走った。
 滑り込むようにして冊子を掴む。後を追った草間が、シュラインを抱きかかえるようにして通路の奥まで走った。
 壁に身体を打ち付けるようにして止まる。草間は顔を顰めた。
「ここ、よく滑るわね。ワックス効かせすぎだわ」
 シュラインは擦った背中と肘を撫でる。ペンライトを草間に渡した。
「お前、ホントに用意がいいな」
「みんなが悪すぎるの」
 シュラインは草間の前に冊子を広げる。フロアの地図と、展示物の配置が書かれている。
「さっきの音、ディスクオルゴールだと思うのよね。それも大き……」
 シュラインの言葉の語尾をかき消すように、フロア中にオルゴールのデタラメな音が響き渡った。シュラインが冊子を取り落とし、悲鳴を上げる。
「何だッ!?」
「酷い音! 頭が割れそう!」
 シュラインがインカムをもぎ取り、両耳を押さえる。何かが壊れる派手な音が響き渡った。
 入り口から触手が吹き出てくる。オルゴールの音に鼓舞されているように、蠢きながら廊下を包んでいく。
 草間はシュラインを抱き上げ、触手のない方向へと角を曲がった。
 
 × × ×
 
 ケルベロスが大剣を振り回し、手当たり次第にオルゴールを破壊していく。
 リィンは常澄をガルーダの背に押し上げ、宙に舞った。
 落下しながら、背中に背負った剣を引き抜く。
 着地と同時に三つのオルゴールを薙ぎ払った。
 一体のオートマータが背後から飛びかかってくる。身体を捻りながら銃を抜き、頭蓋を狙って弾丸をたたき込んだ。
 飛びかかってくる鬼やオートマータを撃ち落とし、剣でオルゴールを破壊して回る。
 耳に痛い不協和音が、徐々に先ほどの歪んだメロディだけになっていく。
 一際大きな自動演奏式オルガンを叩き斬ると、その後ろに美しいオルガンが見えた。
「あれだ」
 気づかぬ内に側に寄ってきていたケルベロスが、リィンの肩を叩く。
 美術館の最も奥まった場所に、白く美しいディスクオルゴールが置かれていた。大きさはおよそ1メートル半。巨大な柱時計のようにも見える。
 そのオルゴールに寄り添うように、一人の少女が立っていた。オルゴールから伸びるハンドルに手を添え、柳眉をつり上げてこちらを見ている。
 大枠で他のオートマータと同様の人形に見えるが、間接の一部が溶け出して接合し始めている。生身に近くなっているのだ。
「しつこい男」
 少女は唇を尖らせて言う。ケルベロスが大剣を構えた。
「ビジネスでね」
 にやりと笑って言う。リィンは銃口を少女に向けた。
「そろそろ遊びの時間は終わりだぜ。お嬢ちゃん」
「あら、そうお。じゃあオトナの時間にしようかしら?」
 少女が大袈裟に肩を竦め、髪をさらりと撫でる。
 その身体が、頭頂部から真っ二つに裂けた。
 蛇のような身体がその隙間から姿を現す。腰から下は青黒い鱗に覆われ、くねる尾が今まで入り込んでいた少女人形の身体を弾き飛ばした。
 巨大な乳房が重たく垂れる。大きく仰け反り、顔を起こす。その眼窩から、細く黒い触手が伸びた。
「何ッ」
 ケルベロスの大剣を絡め取り、弾き飛ばす。
 もう片方の眼窩から伸びた触手が、ガルーダごと常澄を捕らえた。
「ううっ」
 触手に縛り上げられ、常澄が呻き声を漏らす。ガルーダが消滅した。
「常澄!」
 リィンが叫ぶ。蛇女に銃口を向けた。
「おっと。およしなさいよ。この子が死んでしまうかも知れないわよ」
 触手が蠢き、常澄の細い首に巻き付いた。
「頭が無くなったら人間は死ぬんでしょう?」
「悪趣味だぜ」
 剣を奪われたケルベロスが、ホルスターから銃を抜く。リィンが銃口の前に手を出した。
「撃つな」
「そうよ。そちらのお兄さんの言うとおりになさいな。悪魔は殺せても、人間は殺さないんでしょ? デビルハンターさん」
 蛇女がにやにやと笑う。ケルベロスが顔を引きつらせた。
「いいね。さっきより今の方がオレの好みだぜ」
 歯がみしながらそう言う。蛇女がけたたましく笑った。
「無粋な物は捨てて貰おうかしら。そのまま銃を上に持ち上げて」
 蛇女の指示通り、リィンとケルベロスは両手を挙げる。
 ケルベロスがリィンの方をちらりと見る。そのまま、蛇女の背後に視線を投げた。
 
 × × ×
 
 口を開いて伸び上がってくる触手に聖水を振り掛ける。
 ぐずぐずに溶け崩れる触手を乗り越えるように、新たな触手が伸びてくる。草間は面倒になって腕で触手を払い除けた。
 何かが砕ける音が立て続けに響いている。徐々にシュラインを苦しめる音が弱まっているようだ。
 一際大きな音が響き、微かに流れていたオルゴールのメロディが止まる。シュラインが草間の肩を掴んだ。
「もう動けるわ」
「大丈夫か? 顔真っ青だぞ」
 シュラインが頷き、襲いかかってきた触手に聖水を振り掛ける。
 ベストから引っ張り出した小瓶を投げつけた。
「そろそろタマ切れね。こっちの方向で正解よ、武彦さん」
 額の汗を拭い、シュラインが言う。
「音で場所を探ってたのよ。見てこの鳥肌。聞きたくない物に意識を集中するって疲れるわ」
 シュラインが腕まくりして素肌を見せる。汗ばんでいるのに鳥肌が立っていた。
「ガラスを引っ掻く音を一生懸命ずっと聞いてるような気分だったわよ。あのドア」
 シュラインが小さなドアを指差した。
「丁度音源の裏側くらいに出るわ。音自体が止まれば、こいつらは動かなくなるんじゃないかしら」
 飛びかかってきた触手を手で払い除けて踏みにじる。
「随分お疲れみたいよ、こっちも」
 あっさりと潰れた触手を見下ろして呟く。
 美術館を囲むようにぐるりと回る廊下に、赤黒い触手が溢れていた。入り口から溢れ出した触手が通路に伸びているのだ。シュラインが指差したドアの隙間からも、何本かの触手があふれ出ている。
 草間とシュラインはドアの前に張り付いた。
「この裏側に電源もありそうね。スイッチみたいな判りやすいのだと助かるんだけど」
「人間が管理するんだから、セオリーに沿った場所にあるだろうさ」
「開けるわよ」
 シュラインがドアノブに手を掛ける。
 そっと引き開ける。内側から、どろりと触手が溢れた。
「武彦さん……!」
 シュラインが草間の袖を引っ張った。
 のたくる尾をオルゴールに絡みつけた異形の女が見える。その向こうで、リィンとケルベロスが両手を挙げさせられていた。
 二人の前には触手に縛り上げられた常澄が見える。どうやら人質に取られてしまったようだ。
 ケルベロスが一瞬こちらを見る。シュラインは異形の女に視線を戻した。
「あの人達、こういうのは得意なのよね」
「そうだな。大得意だろ」
 草間が顔を顰める。
「おい」
 シュラインは小瓶を取り出して蓋を開ける。
「何とかしてくれるでしょ。信じるわ」
 ひらりと草間に向かって手を振る。
 ドアの向こうに飛込んだ。
 
 × × ×
 
 蛇女の尾がしなる。威嚇するようにびしりと床を叩いた。
「同時に銃を捨てなさい」
「なあ、お嬢さん」
 リィンが両手を挙げたまま声を掛ける。
「ここをこんなにして何をするつもりだったか、冥土の土産に聞いてもいいか」
「回復するのに磁場を歪めたかったのよ。そこのデビルハンターさんのお陰で、随分弱らせられちゃったから。でも、ここまで戻ったらもう大丈夫ね。下には餌が一杯詰まってるし、朝になったら全員貪り食べちゃいましょ。それを見ずに済むなんて、ラッキーじゃない? ふふふ」
 蛇女は舌なめずりをする。
「さあ、銃を捨てなさい!」
 蛇女が高らかに宣言する。リィンとケルベロスが、同時に銃を宙に投げた。
−−互いの方向に向かって。
 
「常澄くん!」
 
 シュラインの声が響く。蛇女の顔面に、ガラスの小瓶を叩き付ける。
 そのまま、蛇の尾を踏みつけて跳躍した。常澄の身体を抱き締める。
 一歩遅く入ってきた草間が、蛇女の身体に体当たりをした。常澄の身体を縛り付けていた触手が緩む。
 シュラインと常澄が床に転がる。
 宙を舞っていた拳銃二丁が−−
 交差して、リィンとケルベロスの手に収まった。
 
 二発の銃声が響く。
 
 蛇女の頭部が弾け飛んだ。
 
「シュライン!」
 蛇女の体液を浴びた草間が、顔を拭って起き上がる。
 常澄と共に転がったシュラインが、むくりと起き上がった。
 ぶるぶると頭を振る。
「あ痛ぁ……。おでこ打っちゃった」
「ううっ……」
 常澄も呻き声を上げる。横を向き、大きく咳き込んだ。
 喉を押さえ、荒い息をする。
「ま、マジで死ぬかと思った」
「常澄!」
 駆け寄ってきたリィンが常澄を抱き起こす。常澄が弱々しくピースサインを出した。
「……ま、結果オーライ」
「酷い目に遇ったぜ」
 草間は袖で返り血を拭い、溜息を吐く。
「これにて一件落着、かな……。とりあえず、ずらかろう」

 × × ×
 
 窓ガラスから、冷え切った空気が流れ込んでいた。
 かなりの強さで風が吹いている。飛ばされないよう足を踏ん張りながら、通路を抜けた。
「ちょっと待って。息整えないと召還出来ない」
 リィンの背中に担ぎ上げられていた常澄が力無く言う。リィンがそっと常澄を下ろした。
「ランク大分下げないと苦しいな……フォルネウス……か」
 常澄が息を整え、足でガラスを掻き分ける。口の中で呪文を呟きながら、チョークで魔法陣を書いていく。
「一時間も経ってないのに、凄く疲れたわ」
 シュラインが深く溜息を吐く。
「汗びっしょり。シャワーが浴びたいわね」
「夜景はかなりキレイだぜ。気分転換にどうだ?」
 リィンがシュラインに声を掛ける。割れた窓ガラスの向こうを指差した。
 眼下の道を、無数の車が流れていくのが見える。シュラインは深呼吸した。
 ぱきり、とガラスが割れる音がする。
「何かいるぞ!」
 ケルベロスが叫ぶ。銃を抜いた。
 黒い塊が、ガラスを砕きながら突進してくる。
 蛇の、身体−−!
 消滅した頭の部分から、無数の細い糸のような触手が伸びており、ちぎれながら廊下に跡を残している。復元しようとしているのか、髪の毛のような糸が伸びていた。
「逃げ」
 草間が声を上げた瞬間、蛇の身体が体液をまき散らしながら跳躍した。

「あ」

 糸が、シュラインとリィンの足に絡まり、千切れる。
 二人の身体が、窓から投げ出された。
 
「シュライン!」
「リィンーーーー!」
 常澄がチョークを放り出し、窓に駆け寄る。二人の身体が宙に舞う。蛇の身体も力尽き、落下していく。
 常澄が落ちていたガラスを握りしめる。指の間から、血が滲みだした。
 早口で呪文を唱える。額から汗が噴き出し、頬を伝う。
 リィンの身体が、白く輝いた。
 
 × × ×
 
 空中に投げ出され、リィンはシュラインの身体をしっかりと抱いた。頭が物凄い勢いで回転する。落下する速度が、ひどくゆっくりと感じられた。
 すぐ脇を、崩れながら蛇が落ちていく。剥がれ落ちた鱗や、足を引っかけた黒い糸のような物が顔に当たった。
 −−どうする……!?
 奥歯を噛み締めた瞬間、身体がカッと熱くなった。背中が熱くなり、身体が光り出す。
 正月に片づけて貰った翼が、開いた。
 何とか羽ばたこうとするが、落下速度が速すぎて上手く羽ばたけない。逆に羽根が折れそうになり、翼に激痛が走る。
 体勢を立て直さなければならない。体勢を−−
「くそォッ!」
 翼を開き直した瞬間、突然落下が止まった。
 目の前に、真っ赤な翼が広がっている。血にまみれたような、深紅の翼。
 蝙蝠のように広がるその翼が、ゆっくりと羽ばたく。
「やるじゃないか、相棒」
 シュラインとリィンを抱きかかえるようにして、悪魔が飛んでいた。
 硬化した顔に、金色に輝く瞳。シルエットは随分変わり果てているが、その声は紛れもなくケルベロスのものだった。
 翼を生やした魔人が、リィンを下から抱え上げたのだ。
 シュラインを受け取り、リィンから手を離す。翼に痛みが走ったが、何とか上手く羽ばたくことが出来た。
 巨大なエイのような悪魔に乗った常澄と草間が追いかけてくる。
 リィンのすぐ脇に付けると、腕を握った。
「良かった……」
 リィンの腕をしっかりと掴み、常澄が呟く。
 その手には、微かに血が滲んでいた。
 
 
------------------<Ending>--------------------------

 破壊されたガラスが復元されるのはもう少し掛かるらしい。ベニヤ板が張り付けられた窓を見て、シュラインはほんの少しだけ申し訳ない気分になった。
 身安生命本社ビルへの侵入から三日が経過している。殆どの展示物を破壊されてしまったため、新規展示は当分見送りという発表が成されている。ゴシップ雑誌が、身安生命への企業テロだとか騒ぐまでにはもう少し時間が掛かるだろう。
 今はインターネット上で摩訶不思議な事件として興味本位で語られているだけだ。
「テロってことになっちゃうのかしら」
「悪魔が暴れました、よりいいだろう。座りが」
「座りって……」
 呆れた感想を漏らした草間を、シュラインは軽く睨む。
 二人がいるのは、身安生命本社ビルから少し離れたところにある超高層ビルの最上階だった。こちらのビルの方が、身安生命本社ビルよりも四階ばかり高い。最上階のレストランフロアから、破壊された美術館が眺められた。
 後がどうなったのか眺めに行こう、と草間が言い出したのは午前中のことだ。ランチがてらと言ったのを、折角だから夜景を見てきたらいいと零が言ってくれたのである。今頃、事務所で電話対応に忙殺されていることだろう。
 この時間帯は、電話が切った端から鳴るなんて当たり前なのだ。
 午後七時。レストランフロアは混み始めたところで、シュラインと草間は何とか身安生命本社ビルを見下ろすことの出来る窓辺に陣取っていた。
「上から見ると、新宿も随分雰囲気が違うわよね」
「夜景は何でもキレイに見える」
 運ばれてきた料理に箸を付け、草間がウマイと唸った。
 今回の大元の依頼主が大変な金持ちらしく、ケルベロスは驚くほどの大金を振り込んで帰っていった。草間興信所に支払った分が必要経費で出るというのだから、実際ケルベロスの懐にはどれだけの大金が転がり込むことになったのだろうか。金額が提示されるまでぶつくさ言っていた草間だが、報酬を聞くと一気に相好を崩した。
「単独で動いてる探偵とか便利屋って、どうしてあんなに裕福なのかしらね?」
 シュラインは金額を思い出してひっそりと溜息を吐いた。
「武彦さんも自分で活躍するようになったら、凄く裕福になるかしら? そうしたらお嫁に行っちゃうかも」
「考えとく」
 草間は口一杯に魚を頬張り、気安く頷いた。
 全然全く、真剣に考えていない。
 シュラインはひっそりと唇を尖らせる。
 草間は魚を飲み下し、グラスのワインを煽った。
「お。電話だ」
 箸を置き、ジャケットのポケットに手を突っ込む。
「誰?」
「裕福な鴉城探偵」
 草間は携帯を持ったまま席を立つ。
「踏み倒してくる」
「頑張ってね」
 シュラインはひらひらと手を振った。
「まあ、零細企業でやりくりするのも楽しいわよね」
 ひっそりと呟き、草間にウインクした。
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所の事務員】
【4017 / 龍ヶ崎・常澄 / 男性 / 21歳 / 悪魔召喚士、悪魔の館館長】
【4221 / リィン・セルフィス / 男性 / 27歳 / ハンター】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました!
担当ライターの和泉更紗です。
今回は新宿新都心超高層ビルロッククライミングに御参加頂き、ありがとうございました。
<Ending>のみ各PC様の個別になります。
ご興味ありましたら、他のPC様の物にもお目通し下さいませ。
誤解、イメージ違いなどありましたら、ご連絡頂けますと今後の参考にさせて頂きます。

全編戦闘な上に負傷、ビルから落下など盛り沢山の内容にしてみましたが、如何でしたでしょうか。オルゴールについての描写など、細かいツッコミはしないで頂けるととても助かります(汗)勉強し直して来ます。

シュラインさんは今回非常に準備段階でのプレイングを丁寧に書いて頂きましたので、諸々のアイテムを配布して頂きました。クライアントの段階で脳みそがカラッポに近いので、とても助かりました。唯一の女性だったので、アグレッシブ&可憐とセクシー(謎)を目指してみました。楽しんで頂けましたらとても嬉しいです。

今後もお気に召しましたら是非よろしくお願い致します。

和泉更紗