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闇の対決
●突然の訪問者
窓を開けた途端、それは舞い降りてきた。
「こんばんわ……お嬢さん」
深い闇の色に染まった衣装を見にまとった男は、真紅の唇を無気味に歪ませた。
突然の訪問者に戸惑う因幡・恵美(いなば・めぐみ)。
大きな栗色の瞳を見開かせたままの恵美にさり気なく近付き、彼はゆっくりとその白いうなじに顔を寄せていった。
「恵美殿ー、朝食はまだ出来ぬのか?」
空腹にお腹と背中がくっつきそうだ、と文句を言いながら。嬉璃(きり)は台所の扉を開けた。
いつもならば、みそ汁の良い香りと炊飯器の蒸気に包まれているのだが、今日は全く火の気もなく、しんと静まり返っている。
「……まだ寝ておるのかのぉ」
時計を見ると、もう8時を過ぎていた。あやかし荘住民の通勤・通学組は既に家を出た後のようだ。テーブルには彼らがつまみ食いしていったのであろう、食べ残しの食事が散らかっていた。
ぽーん、と時を報せる音が鳴る。
「む、いかん。連続テレビ小説『かえで』の時間ぢゃ」
嬉璃はテーブルに乗っていたせんべいと麦茶を手に、テレビのある管理人室へと急いでいった。
管理人室に訪れた嬉璃の視線に映ったもの。それは息もなく床に伏せる恵美の姿であった。
「……恵美殿!」
いつも桃色に染まっている頬は白くこけ落ち、肌は氷のように冷えていた。ぐったりと意識なく瞳を閉じる彼女を見て、嬉璃は震えた声で呟いた。
「……魂が抜けておる……」
ふと、黒い影が恵美の首もとではためいた。掴もうと手を伸ばすと、鋭い痛みが嬉璃の指を襲う。指の皮膚を切り裂いた黒い影は、嬉璃の血に触れると、じゅうと音をたてて溶けていった。
「バンパネラどもの仕業ぢゃな……」
風の噂で囁かれる闇の一族、バンパネラ。人の生気を吸い取り、糧にする彼らを、闇を暗躍する者として耳にするものも多いだろう。
「いよいよワシの結界を破る闇の者が出てきた、ということぢゃな」
視界の隅で影が揺れた。嬉璃は素早くせんべいを影に投げ付ける。
力が込められたせんべいは影の眼前で弾け、その欠片で影の四方を突き刺した。
影はコウモリの形を象り、金切り声をあげてもがきはじめた。その叫びは誰かに助けを求めているようだった。
「……主を呼んでおるようぢゃが、ワシが寝付くまで外には届かぬ。それに、声が届いたところで……主には会えぬぢゃろうよ」
そうだ、こいつをおとりにして敵を誘いだろう。
あやかし荘には優れた術師が数多くいる。彼らに協力を求めれば、敵を排除することなど容易いことだ。
「ついでに恵美殿の命も返してもらうとするかの。ワシの大切な人を襲えばどうなるか、その身をもって知るが良い」
こうして。戦いの火ぶたは切って落とされた。
■招かざる客
横たわる恵美を見つめ、真名神・慶悟(まながみ・けいご)は細く息を吐き出した。
吐き出された煙草の煙は、ゆっくりと細い線を描いて立ち上り、やがて宙に掻ききえていく。
煙草の煙に、少々嬉璃が煙たそうな表情をさせていたが、とりとめて気にはしていなかった。
本当に嫌ならば嬉璃はきっぱりと文句を言う。
別段、口にしていないということは、特に毛嫌いをしているというわけではないのだから。
「今回はまた、厄介な相手が出てきたものだな」
「慶悟殿程の猛者(もさ)でも難しいと申すのか?」
「理に外れた生き物を相手にするのは、いささか面倒でな。だが、対策がない訳ではないさ。それに……一人でやるわけではない、心配はいらないよ」
恵美の魂は取り戻してみせる、と慶悟は心配顔の嬉璃の頭にぽんと手を載せた。
軽いノックの音とともに、扉が開かれる。
嬉璃からの話を聞き、駆け付けた高峯・狐呂丸(たかみね・ころまる)は静かに部屋に入ると、恵美の傍らに腰を下ろした。
「まるで、深い眠りにつかれておられるようですね……」
横たわる姿に、苦しみの表情は欠片もみられない。それが唯一の救いであった。
「琥珀さんは、まだお見えでないようですね」
「いや、来てるよ。精神を整えるために禊(みそぎ)に行ってる」
つまりは風呂だ。
「相手の出方が分からないんじゃ、対処の仕様がないからな。少々疲れると思うががんばってもらうしかない」
「行方を探すために結界を弱めるわけにもいかぬのでの。琥珀殿には申し訳ないのぢゃ」
しょんぼりとうつむく嬉璃。気にするな、と慶悟は苦笑いを浮かべながら告げた。
その時だ。
突然、彼らから伸びていた影が風もなく揺れた。
全員身構えて辺りの気配を探る。
「もう来やがったのか!?」
見張りからは何の反応も返ってきていない。
全てを見透かす彼らの目を、一体どうやって逃れたというのだろうか、
「慶悟さん、あそこ!」
窓越しに見える裏庭に、ゼハールの姿があった。
彼女は優雅に一礼すると、おもむろに大鎌を一振りさせた。
強い衝撃波が彼らを襲った。
慶悟と狐呂丸はとっさに結界を張るも間に合わず、飛び散ったガラスが矢のように彼らを切り裂いた。
「くっ……『蔦よ、大地より生え伸び緊縛せよ! 』」
慶悟は2枚の符を大地に投げる。途端、地面が雨を浴びたように湿り、そこから蔦が伸び出した。
蔦はぐんぐん伸び、あっという間にゼハールの体に絡み付く。
「……この程度ですか?」
薄ら笑いを浮かべるゼハール。鎌から放たれる瘴気にさらされた蔦は見る間に腐り、崩れ落ちる。
「なんて酷い『気』なんでしょうか……」
「まさか……っ!」
はたりと気付き、慶悟は廊下の柱を見やる。貼付けておいたはずの術符が見る影もなく腐り果てていた。
「おいおい……これじゃ使い物にならないじゃないか」
思わず符に触れようとした慶悟の手を、白い手が弾く。
「触れては、なりません」
いつの間に戻ってきたのだろう。
白神・琥珀(しらがみ・こはく)は庭にいる魔と符をみつめて静かに告げる。
「触れれば、たちまち毒におかされますよ。この毒は……触れるすべてを腐らせます」
新たな存在に気付き、ゼハールは表情を険しくさせた。
一気に詰め寄り、鎌をふりおろす。
呆然と見上げる琥珀の眼前に駆け寄り、狐呂丸は勢いを殺さないよう、器用に鎌を持つ手を振払い、ゼハールを突き倒した。
一瞬、仰向けに地に伏せるも、足を振り上げて身を起こし、ゼハールはすぐさま狐呂丸に刃を向けようとした。
ざわり……
風が変わった。
「ようやくの、お出ましのようですね」
琥珀の言葉とともに、ゼハールの影からひとりの男が現れた。
黄金色のやわらかな髪と蒼い瞳。つややかな白い肌ははかない程に透明で、艶のある美しさを持っていたが、まとわりつく悪意が全身の毛を総立たせ、欠片も惹かれる印象が持てない。
自然に出てくる冷や汗を拭い、一同は男をにらみ付ける。
「大勢で出迎えてもらえるとは歓迎だな。初めまして諸君、以後見知りおきを……」
一旦は宙に浮いていた男の足が地面に触れる。
途端、強い衝撃音が鳴り響き、目も眩む閃光が瞬いた。
「くっ……銀の力か……ゼハール、一旦ここは下がるぞ」
「はい、御主人様」
「待つのじゃ! 正々堂々と戦ってまいれ!」
嬉璃の叫び声も空しく、2人は深い夕闇の空へと消えていった。
■千里眼
「どうだ、見えるか?」
「……はい。ここは……教会……?」
琥珀は、全神経を集中させて、わずかに残る彼らの道筋を追っていく。
一行が見守るなか、琥珀は静かに1つの方向を指差した。
「この先にある教会の地下に、彼らはいるようですね。何か儀式をしておりました……結界を解くための技を手に入れようとしているのかもしれません」
はっきりと術式まではわからなかったが、天上界で似たようなものをみたことがある、と琥珀はいう。
「人が折角作ったものを、簡単に壊されては困るな」
再度、今度は先程より強化させた結界を張り終えた慶悟。彼らのでたらめさに呆れつつも、結界がうまくいかなかったことに苛立ちを感じていた。
「その場所をこれに伝えて下さい」
狐呂丸は一匹の白いカラスを差し出した。カラスの額に指を当て、琥珀は直接記憶を送り込む。
「場所はわかりましたね。さあ、お行きなさい」
ばさり、と翼をはためかせてカラスは夜空へ舞い上がる。
それと同時に狐呂丸は席を立った。玄関に向かおうとする狐呂丸を慶悟が制す。
「本当に1人でいくのか?」
「そうでなければ『囮』の意味がありません。大丈夫です、それほど私も弱くないですし……皆さんを信じております」
「僕達は悟られぬよう、数分ほどしてから追いかけますね。相手は手強いです、油断なさらないで下さい」
「はい。心得ております」
そう言って、狐呂丸は静かに扉を閉めた。
●敵を追いかけて
「ここを曲がった先です。急いだ方がよいでしょう……狐呂丸さんの気が弱まっております」
「狐呂丸は無事か?」
「ええ、まだ大丈夫ですね……ですが……長くは持たないでしょう」
「あの教会か。あそこなら、少々暴れても文句は来なさそうだな……っ」
慶悟は更にスピードをあげて駆け出した。走りながら、慶悟はあやかし荘の見張りに立たせていた神将達を何体かこちらに呼び寄せる。
「先に入り、狐呂丸を援護しろ!」
命令通りに神将達は教会内へ突撃する。
ちらりと、琥珀を姿を確認し、慶悟は半開きの扉に手をかけた。
「狐呂丸!」
大蛇に締め付けられてもがく狐呂丸の姿が慶悟の瞳に飛び込んでいた。
神将達の相手をしているのはバンパネラの使いらしいメイドだ。大きな鎌で次々と神将達を切り裂いていく。
まるで舞いを踊るように華麗に、全くの慈悲もみせずに刃を振るう姿は、さながら天使を彷佛させた。
「なんて奴だ……」
だが、あのメイドを倒さなければ、直接敵とやり合うことは難しいだろう。
そのためにも狐呂丸を救出しなくては。
「まってろ、今助けてやる!」
呪符を構え、慶悟は力ある言葉を発した。
「朱雀は南方より来れり! 邪を滅す炎を成せ!」
■崩壊
「慶悟さん、後ろに避けてください」
静かだがよく通る琥珀の声が響く。
言われた通り、慶悟はすぐさま後方へ飛び退いた。次の瞬間、大きな衝撃とともに、ぼこりと慶悟のいたあたりの床が抜け落ちる。
「外したか……」
ゼハールの背後にいた男がそう呟いた。
「卑怯だな。人の後ろにいなければ、何も出来ないのか?」
「私は争いが苦手でね。出来るなら、このまま静かに眠りにつきたいと思っているのだよ。私が貴殿達にいったい何をしたというのだね? 何故、私の食事の邪魔をする?」
「人の生脅かすものには罰を下す。それが俺の生き方なんでな。あと……あんたが先日襲った女性には少々恩がある。殺させるわけにはいかないんだ」
「そうか……貴殿らは惚れた女を助けるために、我を倒すというのか」
「いや、別に惚れてるというわけでは……」
「別に恥じることではなかろう、まあいい。どうあがいても貴殿らと我の考えは一致せず、だ。そもそも、人間などという生き物は力も弱く大した役目もない。言うなれば我らの食料ともいう存在だ……同族が死んでいくのを黙ってみておられず、戦いを挑みに来るとは麗しい話だな」
男はそう言って、高笑いをあげた。
と。突然、男の笑いが止まる。徐々に表情をこわばらせ、ぎろりと琥珀をにらみ付けた。
「なに……をした、貴様……」
「忘れ物をお返ししただけですよ。おや、その毒はあなたにも効果があるのですね」
琥珀の言葉を聞き、ゼハールがはっと後ろを振り返る。
男の体の中に入り込んだ瘴気は、あっという間に彼の体を蝕んでいった。
まずは左腕が。次に両足が崩れ落ちる。
「ご主人様……!」
「笑止! この程度で……我が朽ちると思ったか!」
音をたてて、男の肉体がちぎれる。肩より下が完全にない状態で、彼は宙に浮かび上がった。
「っ………」
その姿に狐呂丸は思わず視線をそらす。腐敗はまだ完全にとまってはいなかった。ちぎれた先からもぼとぼとと腐った肉塊が落ちてきている。まともな精神の者は見ていられぬだろう。
辺りにただよう醜悪な臭いに顔をしかめながら、慶悟は浄化の炎を命じる。慶悟の足下を中心に、青白い炎が床一面に広がっていった。
「慶悟さん、彼の喉の奥に……恵美さんの魂が見えます」
「よし、ならば喉を狙えばいいな」
神将達はもう頼りに出来ない、護身用のナイフに水銀の力を宿らせる。
「いえ、ここは僕に任せて下さい。一撃でしとめます」
すっと慶悟の眼前に歩み出て、狐呂丸は持っていた弓を身構えた。
「ご主人様を傷つけることは出来ません」
ゼハールの鎌が狐呂丸を襲う。だが、寸前のところで慶悟の術がゼハールを捉えた。
「そんな格好をして危ないモノを振り回すんじゃねえよ」
軽口をいうものの、術を返されないよう慶悟は必死だ。見えない鎖から抜け出そうと、ゼハールは身をよじってもがき出す。
「これで終わりです……!」
念で作られた矢が放たれた。矢は風を斬り、まっすぐに男の喉に突き刺さった。
「うぉおおぉおおっ!」
断末魔の声をあげて、男は矢の光に溶けていった。同時に、ゼハールの足下から、黒い手のような触手が幾重にものびてきた。
「……これまでですね」
無数の手がゼハールを包む。黒い固まりとなったそれは音もなく、影の中へ押しつぶれるように消えていった。
ほどなくして、影の中から小さな光があがってきた。
光は嬉しそうにふわふわと3人の周りをまわり、やがて、あやかし荘の方へと飛んでいった。
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「ん……」
ゆっくりと恵美の瞳が開けられる。呆然としながらも、身を起こす彼女に、嬉璃はひしりと飛びついた。
「あらあら、嬉璃ちゃん。どうかしたんですか?」
「よかった……本当に良かったのぢゃ……。これからはワシも強くなるからの、もう恐い思いはさせぬぞ!」
「はい、楽しみにしてますね」
一瞬、きょとんと目を瞬かせながらも、恵美はにこりと微笑みを返した。
おわり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢/ 職業 】
0389/真名神・ 慶悟/男性/ 20/陰陽師
4056/ 白髪・ 琥珀/男性/285/放浪人
4563/ ゼハール /男性/ 15/堕天使・殺人鬼・戦闘狂
4583/ 高峯・狐呂丸/男性/ 23/呪禁師
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■ ライター通信 ■
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この度は闇の対決にご参加頂きありがとうございました。
無事に、恵美の魂を救出(バンパネラの消滅)が成功して、ほっとしております。
敵・味方双方共に実力者の持ち主でしたので、半分は運の女神が味方しているのかもしれません……
見事に全員男性というのは、初めての依頼かもしれません。
まあ、戦いに男も女もないですし、戦の世界は実力の世界ですからね。
あやかし荘の結界は真名神さんの術の相乗効果で強まっているため、当分は安心できると思います。
ですが、また再びよからぬ輩が襲ってくるかもしれません。
そのときはどうぞお力を貸して頂けますよう、お願いいたします。
それでは、また別の物語でお会いいたしましょう。
文章担当:谷口舞
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