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キミに酔わせて
何度通っただろう。
ふと狩野宴は目の前に静かに佇む胡桃の木を見上げながら思う。
欠かすことなく毎年繰り返される儀式。
それは60年以上経っても変わらない。
「ハハ、久しぶり」
宴は胡桃の木の幹に触れ、小さく呟いた。
「あら、やっぱりもう来てたのね」
黒猫を腕に抱いた妖艶とも言える女性が宴に声を掛ける。
「おや、沙耶さんもいつも通りだね」
高峰沙耶は笑い、宴の隣へとやってくると胡桃の木に触れた。
いつもなら会った途端、速攻口説いてくるはずの宴がおとなしいのは今日という日だからだろう。
沙耶の腕に抱いた猫が大きく枝を伸ばした胡桃の木を見上げる。
まるで沙耶の目となっているかのように動く猫の仕草。しかしそれに慣れているのか宴は気にした様子もなく一緒に胡桃の木を見上げた。
「毎年続けてきたことでしょう? 今更止めようと思って止めれるものじゃないわ」
「そうだね」
フフッ、と宴は笑みを浮かべて沙耶を見る。
優しげな宴の表情は見るものを虜にさせる。
それは今も昔も変わることはない。
見た目は美しい青年に見える宴。
高校でもたくさんの女の子の取り巻きが回りにいた。休み時間等、授業が終わればすぐに宴の回りに人だかりが出来る。
ボーイッシュな外見、そして滑らかに口から飛び出す口説き文句。
そして親しみやすさもあって、人が回りに集まりやすいのだ。
宴は休み時間に一人で居た試しがない。
憧れ、恋になりかけの想い。
少女時代特有の危うさで、それらが宴へと向けられる。
しかし悪い気はしないし、それはむしろ宴の望むところだ。
来るものは拒むことなく受け入れる。
女の子ならいつでも大歓迎、と宴は自分に取り入ろうとする女の子達に日々笑顔と愛を送っていた。
「懐かしいな」
「そうね」
宴が過去に想いを馳せていることに気付いているのか、沙耶は相槌を打つ。
「この子も取り巻きの一人だった」
「可愛い子だったわね」
「本当に」
可愛くて流石の宴も目を奪われた。
その少女が向ける愛らしい笑顔。
ずっと手元に置いておきたい位だった。
愛おしくて、騒ぎながら日々じゃれ合って。
傍にいることが幸せな日々。
しかしそれはまるで誰かに描かれた悲恋映画のシナリオの様に、突然悪夢へと変わる。
その少女が病に倒れたのだ。
宴にはどうすることもできなかった。
『神』とはいえ、全てに万能な訳ではない。
宴が何も出来ないままに月日は過ぎ、やがて病を克服することなく、少女はそのまま帰らぬ人となった。
宴の向けた笑みを受けてはにかむような笑みを浮かべていた少女。
その笑顔は二度と返っては来ない。
「気に入ってたんだよ、この子の笑顔」
「あら、奇遇ね。私もよ。あなたを見て微笑むこの子の笑顔、とっても可愛かったわ」
くすくすと沙耶が笑い始めるとそれが宴にも伝染した。
「やだなぁ、沙耶ちゃん。盗み見してたんだ」
「だって目立っていたもの。あなたとあなたを取り巻く子達。それになかでもひときわ目を掛けていたでしょう」
この子のこと、と沙耶は愛おしそうに胡桃の木を撫でる。
「そうだね‥‥そうでなきゃ毎年来ないかな」
命日にね、と宴は胡桃の木を軽く叩いた。
少女の亡骸は目の前にある胡桃の木の下に眠っていた。
毎年、宴は少女の眠る木の元へやってきては、少女との思い出に浸っていたのだ。
良質の酒に酔うように、ほんのりと宴の胸を浸す甘い感覚。
そして切なく狂おしいほどの愛惜の思い。
酒神である宴を酔わすような酒があるとしたら、きっとそういった過去の思い出とも呼べる大切な記憶などなのだろう。
「今日は持ってきてないの? まさかね」
沙耶が毎年宴が持参しているものを探しながら尋ねる。
「ハハ、忘れないよ」
丁度沙耶からは死角になっている場所に置いていた袋から、宴はワインボトルを1本取り出した。
本来なら一度口にした酒ならば湧かせる能力を宴は持っているのだが、それを少女の命日に使うことはない。
毎年購入してきては、胡桃の木の根本にそのワインを注いでいた。
「ねぇ、どうして毎年ワインを買ってるのかしら」
「なんでだろうね」
沙耶が宴に尋ねるが宴は笑って答えようとはしない。
しかし沙耶もどうしても聞きたくて仕方ないというわけでは無いのか、直ぐに引き上がる。
「まぁ、いいわ‥‥毎年どうしてなのか勝手に想いを馳せることにするから」
「‥‥そう」
軽く瞳を伏せて宴はワインボトルを開けた。
ポンッ、と良い音がして栓は抜ける。良い香りが辺りに立ちこめた。
「それもいかもしれない」
永遠の謎って言うのもね、と宴は艶やかに微笑み少女の亡骸へと注ぐように、ワインを胡桃の木の根本へと注いだ。
それをただ静かに見守る風の沙耶。
猫がじっとワインを注ぐ宴を見つめている。
「‥‥‥乾杯」
こうして毎年宴と少女は見えないグラスを合わせるのだ。
極上の思い出という酒を手にしながら。
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