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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


John!

 学校の帰り、瀬乃・伊吹は一匹の老犬に出会う。
 真っ白な毛むくじゃらの雑種犬。
 ちゃんと首輪をしているし、どこかの家の飼い犬だろう。
「大丈夫か?わんこ」
 伊吹は老犬の傍に膝をつき、顔を覗きこむ。ぐったりとしてしまって顔さえも上げるのが辛そうだ。それでも老犬は伊吹の声に応える様に小さく薄く吠える。
「んー…俺に伝えたい事でもあるのか?」
 伊吹は少し頭をかき、何かを思いついたようにぱっと顔を輝かせると、
「“お前は言葉を喋れる”」
 持ち前の言霊の能力を犬に向けて放つ。そして伊吹はまた老犬が吠える―話すのを待つ。
「ミサキ…ちゃん……」
 老犬の口から出たこの名前がきっと飼い主なのだろう。
「分かった、そのミサキちゃんを探せばいいんだな」
 老犬の望みを当てたつもりで問いかけるが、老犬はそんな伊吹の言葉など耳に入っていないかのように言葉を続ける。
「伝えなきゃ……」
 伊吹に声を掛けられ元気を取り戻したのか、ゆっくりと上腿を起こし始めた。
「その身体じゃ無理だよ。俺に任せときな」
 伊吹は老犬を抱き上げると、ぱっと思いついたある場所へと走り出した。


【迷い犬】


「で、俺のところに来た…と」
 顔の上に載せていた雑誌を机にほかって、草間・武彦は入り口で老犬を抱いて立っている伊吹に視線を向ける。
「ミサキちゃんを探して欲しいんだ。怪奇探偵」
 どうしてこんな子供にまで怪奇探偵などと言われなくてはいけないのだ。
「ここは、慈善事業所じゃないんだ――」
「兄さん、受けてあげましょう。この犬さんは……」
 言葉を続けようとした草間・零の言葉に伊吹は首を振る。
 そんな二人に、草間はあからさまに納得行かないと言わんばかりに頭をかく。
「仕方ない…零がそう言うならな」
「ありがとう!兄さん」
 顔を輝かせる零に、草間は照れたように肩をすくめ、伊吹の方へと顔を向ける。
「で、その犬はなんて?」
「名前、ジョンだって」
 老犬の(まかりなりしも)依頼の内容を聞いているのに、老犬の名前を答えた伊吹に草間はがくっと肩を落とした。
 そして、今日も今日とて草間興信所事務員として会計をほぼ牛耳っているシュライン・エマは自分用にとあつらえたデスクチェアから顔を上げる。
(あら?一人と1匹だわ)
 眼は帳簿と格闘して、バック音のように今日の来客の心音を聞いていた耳は、一人分の音しかキャッチしなかった。だが、顔を上げると草間と真正面から対峙する様に立っている伊吹とその腕に抱かれたジョンが居た。
「そうじゃなくてだ、その犬――ジョンは何て言ってるんだって聞いてるんだ」
 ジョンの鼻先をぐいぐい押しつぶしそうなくらいの剣幕で指を刺す草間に、伊吹は一回腕の中のジョンを見下ろす。
「ミサキちゃんはね、もうすぐ結婚するんだ。それで、ケンカしちゃって、だから僕は伝えなくちゃいけないの」
 人間に換算される年齢よりも幾分も幼い口調で、ジョンは告げる。
「ケンカって…」
「うん、男の人とケンカ」
 シュラインはデスクチェアに座ったまま、ジョンに向けて声を掛けた。
「ジョン、あなたの家族構成を教えてもらえる?」
 ジョンは草間に向けていた顔をシュラインに向け、答える。
「ミサキちゃんと、オトーさんと、オカーさん。ミサキちゃんはオトーさんとオカーさんの娘なんだ」
 オトーさんはお父さん。オカーさんはお母さん。ミサキ以外は名前ではない。
 何度かオトーさんとオカーさんの名前は何?と聞いてみても、ジョンは首を傾げるだけで結局ミサキ以外の名前は出てこなかった。
「その男の人はオトーさんじゃなくて、ミサキちゃんの婚約者…かしら」
 ジョンから聞き出した家族構成に男の人はオトーさんしかいない。もしミサキと喧嘩をしたのがオトーさんだった場合、ジョンは「オトーさんとケンカ」と言うはずだ。
「仕方ないわね、伊吹くんがジョンを拾った場所あたりの人の情報に期待しましょ」
 シュラインはデスクから地図を取り出すなり応接机の草間の荷物をぎゅーっと押しやってバサリと広げた。
「さて伊吹くん、ジョンを見つけたのどの辺かしら」
 シュラインが広げた地図を覗き込み、伊吹は少し考え込んで地図と格闘するなり、たぶんこのあたりと目星をつけて指を刺す。
「楠木町の林3丁目あたりね」
 伊吹は学校の帰り道にジョンを見つけたのだから楠木町の中であることは間違いない。だが、
「地図で見るとよく分かんないや。たぶん、その辺だと思うけど」
 との一言で、今回の証言に対する信憑性が低いものだと推測された。とりあえず、ジョンはぱっと見るだけでかなりの老犬で、1匹で出歩ける距離には限界があるだろうと、シュラインは林3丁目辺りで近所の人に聞き込みを行おうと、携帯電話を取り出す。ここ数年の携帯電話は簡単に持ち運べて小さい上に高画質デジカメ機能つき。電話なのかデジカメなのか分かりかねるものまである。
「あ、エマさん。ゴメ写真ダメなんだ」
 腕の中のジョンを数回撫でて、申し訳なさそうに顔を上げる伊吹。ふと、シュラインも首を傾げる。
「オッス、草間さーん。ハードボイルドしてるかい?」
 バタっと壊してしまうんじゃないかと思えるくらい大きな音を立てて開け放たれる草間興信所の扉。
 何事かと一同の視線が一気に扉に集まる。
「あ…あれ?どうかした?」
 視線を集めた事にきょとんとして草摩・色はその場で立ち尽くした。
 かくかくしかじかと掻い摘んで的確に事の状況を説明するシュライン。加えて草間からは「悪かったな、ハードボイルドしてなくて」などという皮肉の言葉が返される。
 シュラインの説明に、色はぱっと顔を輝かせると、両目のカラーコンタクトを外した。そして、神秘的とも思える銀色の瞳を覗かせる。
「任して任して!俺、そういうの得意だしさ!」
 うんうんと頷きつつ、そう宣言して色は伊吹が抱いているジョンに近づく。その背後で草間がやる気なさげに「頼んだ」と一言呟いた事に、シュラインは柳眉を吊り上げるが、草間のその姿は別段珍しい事ではない。
「お前のご主人は俺が絶対見つけてやるからな」
「私も、お手伝いしますね」
 色の決意に零も同意して、お互いがんばろうという雰囲気を作り出している。
 色はそんなジョンの白い毛を撫でようと、にっと笑って手を伸ばす。だが、何かを感じ取ったかのようにその手はジョンに触れる直前で止まってしまった。零は不思議そうに色の顔をb覗きこむと、その顔はいつもの飄々としたものではなく、真剣そのもの。
「伊吹…お前」
 ぷいっとそっぽを向いた伊吹に、色は腰に手を当てて仕方ないといわんばかりにため息を付く。
「エマさん、どうしても写真が必要なら俺が撮るよ」
「そうね、ジョンはやっぱり老犬だもの。連れまわすよりは写メの方が負担は少ないと思うわ」
 伊吹は手を差し出して、携帯を受け取るとジョンをソファの上に降ろし、角度を変えて数枚写メを撮る。
「じゃぁ取り合えず聞き込みの準備は出来たし、林3丁目に行ってみましょう」
 シュラインはメモ帳や携帯電話を手近なショルダーバックに詰め込み、興信所の扉を開ける。
「あのね」
 扉を開けて一歩足を外に踏み出したシュラインを止めるように、ジョンの声がかかる。
「ミサキちゃんとね、夕方何時も公園を二人で散歩したんだ」
 公園。ジョンの散歩コース。
 確かに、林3丁目には大きな公園もある。
 公園ならば、ジョンの散歩仲間が沢山集まっているかもしれない。それに、色の銀色の瞳はその場所の過去を見通すことが出来る。
「じゃぁ、俺は公園行ってみるよ」
 ジョンと縁のある公園に行けば、その光景からミサキちゃんの情報が掴めるだろう。
「そうね、後で公園で落ち合いましょう」
 一度ソファに降ろしたジョンをまた抱き上げている伊吹に、
「せっかく写メ撮ったんですのも、ジョンは少し休ませて上げましょう?」
 人間年齢還暦を軽く過ぎていると思えるくらい身体はガタが来ていると眼に見えて分かるジョン。そんなジョンを長時間連れまわすのは酷のように思えて、シュラインは息吹に問いかける。
「ううん。僕一緒に行く。早くミサキちゃんに伝えたい」
 自分で歩く体力さえも殆どないのに無理矢理伊吹の腕から抜け出て一生懸命によたよたとシュラインの後を追いかける。
「こうしよう、ならジョンは俺と公園でミサキちゃんの捜索だ!」
 ジョンの背後から色は手を伸ばし、それなりの大きさのジョンを抱き上げる。
―――やけに軽い…
 この軽さならば伊吹が抱いてこの興信所に来れたのも頷ける。だが、ジョンの犬の大きさからしてこの軽さは異常。
「これ、俺の携帯番号」
 ぶっきら棒に色に携帯の番号が書かれた紙を押し付け、
「ジョンに何かあったら、病院じゃなくて俺に電話ね」
 と、言付けて伊吹はシュラインの後を追いかけた。
「俺も行ってくるよ」
 じゃ、と片手を上げて興信所を後にしようとした色に、
「私も行きます!」
 と叫んで、零は慌てて色の後を追いかけた。


【シュライン&伊吹】


 楠木町林3丁目は結構昔からある家が多い住宅街だ。
「この辺かしら?」
 伊吹が指差した地図上の位置はだいたいこの辺りだと検討をつけ、シュラインは辺りを見回す。
「うん、この家の前で倒れてたんだ」
 表札が外されてその部分だけに歪にコンクリートの後が残る一軒家。その跡の古さに、この家に人が住まなくなってからそれなりの時間が経っているであろう事を連想させる。
 シュラインはコンクリートの門構え越しにこの家を見上げ、携帯の待ちうけを取り合えずジョンの写真に変えると、外を出歩いている人を探した。
 こういった聞き込みの状況で旨い具合に玄関先で水をまいているおばあさん。
 シュラインはありがちな状況もなんのその、おばあさんに近づくと、
「この近くにジョンと言う名前の犬を飼っているお宅ありませんか?」
 と、飼い主の名前がミサキであるという事も忘れずに付け加えつつ、携帯の写メを見せながら尋ねる。
「ジョンとミサキちゃん…」
 おばあさんは少々考え込み、ポンと手を打つと、
「吾妻さん所のジョンと美咲ちゃんかねぇ」
 思い出したように語るおばあさんはシュラインの後ろに視線を移動させると、
「そうそう、今あの子が居る場所のあの家に住んでいたんだよ」
 おばあさんに視線にあわせてシュラインは振り返ると、伊吹が門の前で庭を見つめて立ち尽くしていた。
 おばあさんは視線を戻すと、シュラインに話しを振られた事を皮切りに、自分が覚えているジョンとミサキの事を話し始める。それは、ジョンはとても賢い犬だったとか、ミサキちゃんも利発でいい子だったとか、そんな思い出話しばかり。現在の事は一つもない。それは一重にあの家で暮らしていたジョンとミサキは過去の話という事。
「今、ミサキさんはこちらには?」
「あぁ、吾妻さん夫妻は転勤とかで5年も前に引っ越したんだよ」
「え……」
 あまりの長話にシュラインの元に駆け寄っていた伊吹の口からもれる落胆の言葉。すぐにでもジョンとミサキを会わせて上げられると喜んだ伊吹の顔に一気に落胆の色が浮かぶ。
「どちらに引っ越されたかご存知ですか?」
「そこまではね〜でも、美咲ちゃんはたしか大学が決まっていたとかでこっちに残ったはずだけど」
 ジョンは一人暮らしを始めるミサキとではなく、転勤で引っ越した夫妻と共に、この地を離れたのだ。犬は群れ単位で行動するはずなのに、家に付くといわれる猫のように、ジョンは今この家に帰ってきた。
 逆に言えば、この家に帰りたい何かがあった。
「そうそう、最近ね若いカップルがこの家を見に来ていたよ」
 住宅地や団地における女性の噂を広げる速度と観察力の鋭さにはほとほと感心させられる。
 事に地域情報に掛けてはきっと警察官よりも詳しく知っていたりする。
 それじゃ〜と去っていくおばあさんに、シュラインはお礼の言葉を述べると、落胆する伊吹の肩をポンと軽く叩いて元気付けるように微笑みかける。
「もしかしたら、そのカップルがミサキちゃんと彼氏かもしれないわね」
 伊吹はシュラインを見上げ、元気付けてくれた事に申し訳なさげに微笑んだ。



 この家が現在空き家で、そんな家を見に来ている人間がいるということは、不動産屋から調べれば現在のミサキちゃんにたどり着けるかもしれない。
 家の住所手帳にメモして、シュラインはまず林3丁目から一番近い不動産屋へと足を運んだ。
「林…3丁目の物件、ですか?」
 不動産屋の男性はマウスを操り、パソコンに入力されている物件情報から、あの元吾妻家のデータを探す。
 「うちでは取り扱っていません」という言葉が出てくるまでゆうに数十分を消費しながら、何軒かの不動産屋を巡ってやっとたどり着いた不動産屋は、吾妻家からは少々離れてはいたが昔ながらの不動産屋といった感じで、ちょっと堅物な主人が出迎えてくれた。
「楠木町の林3丁目の物件を買った人を教えていただけないでしょうか」
「お客の情報を教えるわけにはいかないよ」
 予想通りの反応だった。プライバシー問題と守秘義務がある事は重々承知している。警察でもない一般人が簡単に教えてもらえるなんてテレビの世界のみだ。
 その為、策を変える事にした。
「どうしても、あの家が気に入ってしまったんです。直接ご本人と交渉したいのですが、教えていただけませんか?」
 この言葉には、主人もため息混じりにソファに深くもたれ掛かると、
「あんた、頭のいい人だな」
 そう言われてしまうと、不動産屋としては物件が売れればいいのだから、個人どうして相談して確実に買ってくれる方に売った方が利巧だ。仕方ないと言わんばかりに、
「どうして、あそこの物件を?」
「迷い犬の飼い主を探してあげてるんです」
 手に入れた情報を元に、そうそうと相手方と交渉を取り付けたシュラインは、伊吹と共にその場所へと向かう。
「あのさ、エマさん……」
 その道すがら、おずおずと伊吹は口を開いた。
「本当はさ、ジョンはもう…」
「伊吹くん」
 その先を続けようとした伊吹の言葉を遮るように、シュラインはその名を呼ぶ。そして、
「分かっていて、気がつかない振りをしていたのよ」
 弾かれたように顔を上げた伊吹に、シュラインは苦笑を浮かべる。
「だって、ジョンと伊吹くんの呼吸の速さ、心音、全て同じだったんですもの」
 シュラインは真剣な顔つきに戻ると、伊吹の顔を真正面から見つめ、
「ジョンには時間がない。だから、早くミサキちゃんを見つけなきゃね」
「うん!」
 力強く頷いた伊吹に、よしっと微笑んで二人は歩を早める。
 そうあの場所で、この事実に気がついていなかったのは、実は所長である草間・武彦だけだった。
 待ち合わせの場所である喫茶店では、一人の男性がシュラインの姿を確認すると軽く頭を下げた。
 あの家の契約者の名前は、西脇達也。
「あの家は彼女が小・中・高と過ごした思い出のある家らしくて、どうしてもお譲りできないんです」
 申し訳ありませんと頭を下げた西脇に、シュラインと伊吹は顔を見合わせ、こちらこそ本当に申し訳ないと言った感じで、
「彼女の名前は、吾妻ミサキさん?」
「どうして彼女の名前を?」
 困惑の色を浮かべる西脇に、
「私たち本当は、あなたの彼女である吾妻ミサキさんを探していたの」
 シュラインの隣で、事の動向を見つめていた伊吹が訴えかけるように話す。
「ジョンが、ミサキちゃんに何か伝えるために、1匹でここまで来てるんだ」
「あの犬が!?そんな事はありえない!」
「ありえない?」
「そうですよ!あの犬…ジョンは彼女の両親と一緒に今は九州に居るはずだ」
 九州―――
 たしかに、普通の犬だったらここまで出てくるまでに歩いたとしても何ヶ月かかるだろう。それに、不可能ではなくても、確実に可能とも言いがたい。
「貴方がありえないと思っても、ジョンが東京に来ている事は事実なんです」
「お願いだよ、ジョンをミサキちゃんに会わせて上げてよ!」
 西脇に食って掛からん勢いで叫んだ伊吹をなだめ、シュラインは西脇に問いかける。

 ミサキさんに連絡を取ってもらえませんか?


【色&零】


 色が抱きかかえるには少し大きいジョンを見下ろして、林3丁目の公園に足を踏み入れる色と零。
 色の銀色の瞳が公園の過去を見通す。
 沢山の犬や子供、大人達が遊んだり笑ったり走ったり転んだり。いろいろな記憶が色の瞳に映る。その中で一つだけ違う記憶がある。公園が覚えている記憶はどれも同じはずなのに、一つだけ鮮やかに軽やかな記憶がある。
 振り向いた彼女は、そのワンピースを夕日で真っ赤に染めて弾けんばかりの笑顔で「ジョン」と呼んだ。
 彼女が「ミサキちゃん」。
 ジョンが近くにいるせいだろうか、彼女とジョンの公園が持っている記憶だけが色鮮やかで軽やかで、そしてとても幸せそうに見える。
 公園が持っている記憶の中のミサキちゃんは大体自分より少し年上くらいの高校生くらいに見えた。
 でも、確かミサキちゃんは今年結婚で、ジョンはそんなミサキちゃんに何かを伝えるために、こんなよぼよぼの身体で1匹旅に出たのだ。
 そんなジョンの気持ちを無になんてしたくない。
 だから、色は隅々まで見逃さないように公園の記憶を見た。
「色さん?」
 名前を呼ばれて色はびくっと肩をすくませる。すっかりジョンとミサキの公園がもっている過去に引きずりこまれ、零の存在など忘れていたかのように見入っていた。
 同時に、我を思い出した事で、色は他人が触れてはいけない純粋な部分に触れてしまったような気がして、熱を帯び始めた顔を手で隠すように覆って空を仰ぐ。

 公園はジョンが微かに抱いていた恋心に気がついていた。

「ミサキちゃんに会えそうですか?」
 零は色を見つめ、首を傾げる。
「最近ミサキちゃんは、この公園に来たりしていますか?」
 自分が見た光景をどう説明すべきかと思いあぐねる。だが、明確に言えることが一つだけある。
「最近のミサキはこの公園には来てないみたいだな。それに、ジョンも」
「そうですか…」
 がっくりと肩を落とした零に、かける言葉が見つからなくて色は頭をかく。
 ジョンがもう歩くのさえもよたつくくらいの老犬になってしまったから散歩は控えてしまった可能性もある。零は気を取り直すと辺りを見回し、ジョンの散歩仲間になりそうな犬を連れている飼い主を探した。
「すいません!」
 そこへ一人、どっしりとした犬を連れ公園に入ってきた人を見つけて、声を掛けた。
「え?零ちゃん」
 いきなり隣で大声を上げた零に色は困惑して振り返る。
「行きますよ、色さん」
 零は眼を白黒させている色の服をひっぱり声を掛けた飼い主へと駆け足で近づく。
 そして、色の腕の中のジョンを指差し、
「この犬さんの飼い主さん、知りませんか?」
 詰め寄る零の言葉を補足するように色も付け加える。
「ジョンって名前なんすけど」
 ぐいっとジョンを差し出して、飼い主の言葉を待つ。
「いやぁ、覚えてないなぁ」
 首を傾げる飼い主を尻目に、その連れているどっしりとした犬は二人に向けて吠えまくっている。
「こら!止めなさい――」
「ミソ吉じゃん、久しぶり」
「「「!!?」」」
 二人に向かって吠える飼い犬を諌めようと叫んだ飼い主の声を遮って言葉を発したのは、色の腕の中のジョン。
 ぽかんとしている飼い主を尻目に、さーっと血の気が引いていく色と零。
「あっありがとうございまいた!!」
 ごまかすように大声でお礼を述べて、ばっと一回お辞儀をすると、その場を走り去る二人。
「そういえば、ジョンって喋れたんだったな」
 学校は違えど、あの後輩も役に立つんだか立たないんだか分からない事をしてくれるものである。
「ごまかせたかな?」
 色は焦った〜と、ありもしない汗を拭うような仕草をして、ちらりと振り返る。
「大丈夫ですよ。あの犬さんの方がよっぽど記憶力いいみたいですし」
 そう、ジョンがミソ吉と呼んだ犬は二人にではなく、色の腕の中のジョンに向けて吠えて――語りかけていたのだった。
 色は先ほどのジョンの言葉を思い出すと、顔と同じ高さになるようにジョンを両手で持ち上げる。
「おいジョン。久しぶりって事は、お前今まで何処にいたんだよ」
 ここ数年ミサキとは会っていなかったのだろうという推測意外ジョンが何処に居たのかという情報はまったくない。
「ここから凄く遠い所」
 ジョンは二人に語り始める。どうしてジョンがこんな暴挙に出てしまったのかを。



 数ヶ月前、ミサキが男の人を連れてジョンが今オトーさんとオカーさんと一緒に暮らしている家に来たのだそうだ。
 ジョンは久しぶりに会ったミサキが嬉しくて嬉しくてしょうがなくて、ミサキに甘えまくった。
「またあの家でジョンと暮らせるのよ!」
 そうジョンに言った日、ミサキと男の人がケンカしていた。
 ミサキから零れる涙。叫ぶ声。怒りの表情。
 ジョンはミサキに何時も笑っていて欲しかった。ミサキの笑顔が大好きだった。
 だから―――
「怒らなくていいよって、伝えたかったの」
 色と零は顔を見合わせ、ジョンになんて声をかけたらいいか分からずに息を飲む。
 色は軽く頭をかいて、機転を利かすような話題はないものかと思案をめぐらせる。
「ここには来てないだけで、他には行ってるかもしれないだろ?そっち行って見ようぜ」
 そんな色の提案に色に零は頷くと、ジョンが指し示す散歩道へと歩を進める。
 でも、こんなことをしていて、本当にミサキちゃんは見つかるのだろうか。
 内心そんな疑問を抱きつつも、色と零は今度はジョンが口にした川原へと足を運んだのだった。
 川原が覚えている記憶も公園と同じ、どこか温かい空気がして、甘酸っぱくて、切ない。
 これがクラスの女子が喚く初恋の気持ちって奴なのだろうか。
 記憶の持ち主である公園だけでなく、川原やジョンよりもなんだか恥ずかしい気持ちになってくる。だって、これはまさに温泉で女風呂を覗くのにうっかり成功してしまった時のような…じゃなくて、親友が彼女とキスしてる所をうっかり見てしまったような申し訳ない気持ち。
「お前…幸せだったんだな」
 頬をほんのり染めながら、色は川原を見つめ呟く。ジョンはそんな色を見上げ、あごをぺろりと舐めた。
「うっひゃ!いきなりなんだよジョン!」
 突然の行動で驚きの声を上げる色だったが、ジョンは答えない。ただシッポをゆっくりとパタパタと振っているだけだった。
 その後も、ジョンが指し示すままに散歩道を辿っていっても、やっぱり現在のミサキちゃんには辿りつける様なものは何一つ出てこない。見えるのは何時も高校生かそれ以下の年齢のミサキとジョンの姿ばかり。
 犬であるジョンに人間と同じような知識と感性を求めたのがいけなかったのだろうか。
 とりあえず、行き着いた結論は、ジョンはミサキちゃんが高校生のときまで一緒だった事。
 ジョンはミサキちゃんに淡い恋心を抱いていた事。
 とりあえず、ジョンの散歩道を辿る事で得た情報をシュライン達に伝えなくてはいけない。向こうは何か分かっただろうか?シュラインさんが一緒に居て何も分からないなんて事ないだろうな。なんて考えて、色は興信所を出るときに約束した公園へと戻った。
 そこへ一本の電話が入る。

―――今から、向かう。


【思い出の公園】


 ミサキ−吾妻美咲を連れて、シュラインと伊吹は色と約束した公園へと足を向ける。
「この公園、懐かしいです」
 思い出に浸る美咲を微笑ましく思いつつ、ベンチの上で座っていた色と零に気がつき、シュラインは声を掛けた。
 一番最初に反応したのは、ジョン。
「ミサキちゃん!」
 色の腕の中からもがくように飛び出し、よたよたした足取りで美咲に近づいていく。
「ジョン!?」
 突然腕の中から飛び出したジョンを心配するように立ち上がり、美咲の姿を見るなりその光景に思わず魅入られる。
「ミサキだ……」
 色の眼に映ったのは、公園が持っていたジョンと美咲の記憶そのものの、夕日で真っ赤に染まったワンピースを羽織った美咲。
「ジョ…ジョン!?」
 美咲はゆっくりと自分に向けて歩いてくるジョンに駆け寄り、軽い体を抱き上げる。
「どうしたのジョン!あなたどうやって此処まで来たの!?」
 美咲にとって今ここにジョンが居る事そのものが奇跡。そのせいか、どうしてジョンが話せるのかまでは気が回っていない。
「あのね…ミサキちゃんに、伝えなきゃいけないって思って…」
 もうすぐ、ジョンにかけた魔法が解ける。
 残された時間は少ない。
「本当はね、ミサキちゃんが帰ってきた時、僕強がってたんだ…動くの辛かったけど、ミサキちゃんが心配しないようにって、僕…強がってたんだ」
 僕、もう死ぬんだ。
 ジョンの口から語られる事実に、このジョンが魂だと気がついていたシュライン、色、零と、この迷える魂に仮初めの形を与えた伊吹も、ぐっと唇をかむ。
「そんな…事…ない!だって、ジョンは、あの家で、この公園でまた一緒に、散歩…するでしょう?」
 ジョンの口からはスースーと抜けるような音が漏れる。
「だから…僕のこと引き取るって喧嘩…しなくて、いいんだ」
もう、ジョンの耳には美咲の言葉も届いていない。
「…お願い……」
 ジョンを抱きしめる美咲の瞳から零れる宝石。
「もう…もう、喋らないでジョン!」
 美咲の膝が折れ、がくっと地面に座り込む。彼女の頬を伝って耳に零れる宝石を、ジョンはゆっくりと顔を上げ優しく舐める。
「泣かないで…大丈夫。僕はずっと一緒に居るよ…」
 一緒に居られるんだ……
 美咲の腕の中のジョンの輪郭が徐々に薄れていく。
「ジョン?ジョン!!」
 光と共に消えていくジョンの輪郭を崩さないように両手に乗せてて美咲は叫ぶ。
 美咲の声が空へと消えていく。

 〜〜〜〜〜♪〜〜♪〜♪

 場の空気を乱すように鳴り響く携帯の着信音。
「…え、あ……え…っ!」
 美咲の携帯にかかってきた実家からの電話。
 呆然としてる美咲の肩に手を置き、そっと支えるシュライン。
 色も見栄えがいいとは言いがたいハンカチを美咲に差し出す。
「あり…がとうっ!」
 それだけを搾り出すように呟いた美咲は、色のハンカチを握り締め、シュラインの胸に飛び込んだ。









これからはずっと一緒


だからキミが困ったときは



目には見えないチカラで






守ってあげる












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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2675 / 草摩・色 (そうま・しき) / 男性 / 15歳 / 中学生】

【NPC / 瀬乃・伊吹 / 男性 / 13歳 / 自称中学生】


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■         ライター通信          ■
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 今回は「John!」にお付き合いくださりありがとうございました。ライターの紺碧でございます。今回のJohn!の様なちょっぴり切ないほのぼのが実は一番得意だったり致します(関係ないです)。人から見れば小さな事だったかもしれませんが、ジョンにとっては重要な出来事だったのだと思っていただければ嬉しく思います。
 事にシュライン様は連続の発注ありがとうございます。飼い主探しというなんでもない依頼でしたがしっかりと書き込まれたプレイング感服いたしました。シュライン様と共にジョンを連れ歩く事が出来ず申し訳ありません。ですが、シュライン様がいなければきっと美咲には辿りつけていなかった事と思います。本当にありがとうございました。
 それではまた、シュライン様に出会える事を祈りつつ……