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<東京怪談ノベル(シングル)>


黄昏

(変わった子だよね。付き合いもあんまりよくないしさあ、だいたいおかしいじゃない。あの古臭い手袋!)
(いつもしてるよね、あれ。授業のときもお昼のときも)
(はずしてるとこ、あたし見たことないよ。しかもいつも同じやつじゃない? 夏でも着けてるしさ、なんかワケありって感じ)
(ワケありって何よー?)
(うーん……そうだなあ、たとえば、すっごい大怪我の跡があって誰にも見せたくないとか……ほら、よく、手だけは整形できないって言うじゃない)
(そうお? でもそういう事情なら、先生とかは知っててもよさそうな気がするけど。ほら、こないだ、あの子、調理実習のとき、手袋はずしなさいって怒られてたじゃん。でも絶対に嫌ですって言い張って)
(家庭科の先生、まだ新任だし、泣きそうになっちゃってさ)
(あれは気まずかったよねえ)
(ま、どうでもいいけどさあ)
(帰りどっか寄ってく?)
(あたし駅ビルで服見たーい)
(あーあ、あたし明日の数学の課題全然やってないよお)

 放課後のつめたい廊下を、女生徒たちのさざめきが通っていく。窓のかたちに切り取られた琥珀色の光はひきのばされて、リノリウムのうえに細長く落ちていた。うつむいた視線の先にある自分のつまさきに光は届きそうで届かない。
 遠ざかる明るい声の輪の中に自分は入れない。
 自分を押し包むのは夕暮れのやわらかい光ではなくうすぐらい影の色。
 顔を上げられないままのろのろと教室に戻って、自分の席から課題のプリント類を取り出した。教室にはもう誰も残っていない。クラスメイトらの声はとっくに階段を下りたらしく、耳に届くのは校庭からの部活動の声だけだ。
 プリントをしまって鞄を閉じる自分の手にふと目がいった。見慣れた手袋に覆われている。
 目をそらすようにして教室を満たすしじまの中で窓の外を見ると、グラウンドを走る陸上部の姿が目に入った。
 どうしてだろう。
 ガラス窓一枚を隔てているだけだというのに、なぜだか世界じゅうから自分だけが取り残されたような気がしている。



 教室を後にして、階段を下りて、靴を履きかえて、校舎を出たはずだ。よく覚えてはいないけれど。考えないようにしようと自分に言い聞かせても、思いはどうしても、立ち聞きしてしまったクラスメイトたちの会話に向いてしまう。
(古臭い、かあ)
 確かにそう見えるのかもしれないと、未都は自分の手を見下ろしながらそう思う。
 調理実習のときの話は本当のことだった。家庭科の先生は彼女たちも言っていたとおり、まだ大学を出たての新任教師だった。実習に参加するなら、まず手袋を外してくださいといわれたのだが、それはできませんと断った。多分それがまずかったのだろう。
 教師のほうもまだ新米なので融通が聞かず、外せ、できません、の応酬になった。理由を聞かせてくれといわれても、未都が本当の理由を話して信じてもらえるとは到底思えないので、だんまりを決め込む形になった。しかし限られた実習時間を未都と教師の口論だけに費やすわけにもいかず、結局、未都は手袋を外せないので実習には参加しない、という形で決着がついた。
 家庭科の先生から担任の先生に連絡がいったらしく、そのあと職員室に呼び出しをもらっていろいろと説教されたが、未都は結局手袋をはずさない理由については口を割らなかった。しかし心の中にはひどくしこりが残り、好きなはずの家庭科の授業はいつのまにか気が重いものになった。
 たぶん先生がたの間では、自分は難しい生徒として見られているのだろう。

 だがいま心にのしかかっているのはそのことではなかった。
(どうでもいい)
 そう思われていたことが何よりのショックだった。
 電車が通り過ぎて踏切の信号が明滅をやめ、すこしでも早く線路を渡ろうと、人が津波のようにどっとあふれ返る。転ばないように歩くだけでも一苦労だった。帰宅の時間帯は、このあたりはいつもこうだ。
 未都はクラスの子たち皆と、できるだけ仲良くしたいと思ってきた。そのためにいろんな子と話したいと思っていたし、そうしていたつもりだった。だけど、彼女たちにはそんなことはなんの意味もないことだったのだろうか。
 どうでもいい――それはある意味いちばん手ひどい拒絶の言葉だ。

 踏み切りを渡ったあと、商店街を抜けて駅に出る。完全な夜に備えるかのように、そこかしこに電飾が光り始めていた。
「照亜じゃん。今帰り?」
 声をかけられて振り返る。
 クラスの女の子のひとりだった。同い年とは思えないほど、美人で大人っぽい雰囲気を持っている子だが、席が近いので何度か話したことがあった。学校によく化粧をしてくるので、教師からは白い目で見られているらしい。
「いつもさっさと帰っちゃうのに、珍しいね。まああたしも人のこと言えないけど」
「あ……うん。忘れ物しちゃって、一回取りに戻ってきたとこ」
「ふうん。何かあった?」
 どきりとした。何が? と聞き返すと、別に、と肩をすくめられた。
「そうだ。あんた今暇?」
「え?」
「あたし約束あったんだけど、どうもすっぽかされちゃったみたいでさ。せっかく着替えたのにこのまま帰るのも勿体ないし」
 いわれてみれば、相手は私服だ。派手ではないが、ちょっと高そうな格好だった。よく見ると化粧もしている。同い年のはずなのに、ずっと年上に見えた。たぶん、男の子と会うはずだったのだろう。
「友達も捕まらないし、あんたさえよければ、一緒にカラオケでもどうかなーと思って」
「い、いいよ」
「なんで?」
「……こんな格好だし」
 手袋だって、してるし。
「どうでもいいじゃない、そんなの」
 そんなに遅くまでいなければ、店の人だってうるさく言わないからさ‥‥そう言いかけてふと、大きな目が未都をまじまじと見つめた。
「どうしたの、照亜。そんな顔して」
「え? う、ううん、なんでも」
 そんなにびっくりした顔をしていただろうかと、未都はあわてて自分の顔をおさえた。
 そうか。どうでもいいのか。
「じゃあ……ちょっとだけ」
「よし来た。この間割引券もらった店があるからさ、そこ行こ。あんた、どんな歌が得意?」
「え? えーと……よくわかんない」
 本気で言ったのだが、吹き出されてしまった。
「やっぱ面白いなあ、あんた」
「そ、そうかな」
「うん。実を言うとさ、あたし、前からちょっとあんたに興味あったんだ……」

 黄昏どきの空に、星がひとつ、ちいさく光り始めている。