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<東京怪談・PCゲームノベル>


□■□■ 愛すべき殺人鬼の右手<3> ■□■□


 す、と頭を下げた鬼鮫は、草間と零を鋭い視線で一瞥した。零はきょとんとした顔をし、草間に至ってはそっぽを向いている。チッと小さく舌を鳴らしながら、彼は、応接セットのソファーに浅く腰掛けながら睨むような鋭い視線を向けて来た。

「先日、巣鴨の廃ビルで十一人分の変死体が見付かった」
「……!」
「勿論一般には伏せてある。と言うのも、これが超常能力者による殺人である可能性がある所為だ。この一件に興信所が絡んでいると聞いてな――俺はIO2のエージェント、鬼鮫と呼ばれている」
「IO2、超国際……オカルト隠蔽組織」
「ふん。まあ、いい。犯人がお前等でないのはアトラスとかいう編集部で押収した資料から判っているが――あの場所で、あれだけの変死体が出るという説明は、つかない」
「…………」
「死体は十一人分と言ったがな。パーツで言うなら、十二人分ある部位が、ある」

 鬼鮫は、一拍置いた。

「手首だ。誰かが両手首を切断されたまま、まだ生きている。そして残りの死体の全ては、皮をはがされて解体されている――お前等には、この意味も判るな? そして俺に協力しなければならない義務があることも判るはずだ。……付いてきて貰う」

■セレスティ/綾和泉■

「ああ、お帰りなさい……ご苦労様でしたね、綾和泉さん」
「いえ。それよりも、何だか大変だったみたいで?」
「ええ少々、厄介なことが」

 空港のロビー、短い旅行から帰った綾和泉汐耶は、出迎えにやって来たセレスティ・カーニンガムの苦笑にその表情を曇らせた。どうやら日本を留守にしていた少しの間に、面倒が起こってしまったらしい。詳しく聞きたい欲求を抑えながら、彼女はセレスティの車に乗り込んだ。膝の上に乗せたボストンバックからデジカメを取り出し、画像を呼び出す。
 そこには、掘り起こされた墓と、手首の無い男の死体が映っていた。

 妙な教団に目を付けられるのならば、何かの能力があるのかもしれない。死んだ後でも残るようなそれだったのならば、墓には何かしら封印の気配があるはずだろう――栄光の手の主がエドガー・ゲインであると蓮に知らされた汐耶はその考えをセレスティに告げ、彼の手の者達と共に渡米していた。期間は三日、無理なスケジュールでとんぼ返りして来たのだが、と汐耶は溜息を漏らす。走り出した車が緩く身体をシートに押し付ける感覚に覆われながら、彼女は報告を始めた。

「結論から言うと、封印の気配は皆無でした。極々普通に埋葬されているだけの状態でしたね。掘り起こされた形跡はありましたけれど、言い方が悪いんですが、手首を切断されているだけです。それ以外には何の痕跡もありません。少し土を持ち出されてはいるようですけれど、それは多分材料でしょうね。壷に入れて土の中に埋める、と言うのが、『栄光の手』の作り方ですから。無駄足だった、というところです」
「そんな事はありませんよ。少なくとも彼自身にそういった素養が無かったということは、安心できる因子ですからね。こちらは中々に、不穏ですから」
「……それで、どう言う……?」

 僅かに身を乗り出す汐耶に、セレスティは彼女が留守中の事を簡単に説明した。三下と零を助けるために連中が根城にしているビルに乗り込んだこと、そこで全員の身柄を確保したこと。三下と零は無事だったものの、件のカメラマンは死亡し、ビルからは無数の腐乱死体が発見されたこと。
 そして先日、セレスティが懇意にしている病院に収容されていたメンバー十二人全員が脱走し、直後に巣鴨の廃ビルで十一人分、部分的には十二人分の死体が見付かったことを。

 聞き終えた汐耶は、軽く眼鏡を上げる体勢のままで少しの間動きを止めた。振動の少ない車の中、低いエンジンの音だけが微かに身体に伝わっている。目を眇めながらデジカメの画像を確認するセレスティは、彼女が結論を出すまでの時間を黙っていた。そして期待する、その結論が、事実と対応するかどうかを。
 眼鏡から指を外し、汐耶はセレスティを真っ直ぐに見詰める。

「見付かった死体は、病院から逃げたメンバーのものですね?」
「ご名答です。カルテに残っていた特長と、合致しています」
「手の持ち主に関しては、何か?」
「現在確認がとれていないのは、両足を吹っ飛ばされた男ですね。魔術師格、サバトにおける悪魔役、おそらくは中心人物でしょう。ビルのオーナーは彼に口説き落とされてパトロンになったと、調査の結果は出ています」
「その、巣鴨のビルですけれど、持ち主はやっぱりメンバーの一人なんですよね。位置的な意味はあるんですか? 最初に三下さん達が潜入したビルと、彼らを捕獲したビルと」

 セレスティは微笑する。聡明な相手は、話しやすい。

「私もそれを考えまして、地図で場所を確認してみたんです。三つの物件は丁度、正三角形を描くようになっていましたよ」
「正三角形、ですか――ペンタグラムやヘキサグラムなんかは、三角形で構成できる図形、でしたよね。魔術的には基盤の意味を持つ、図形」
「そしてそれのみを使用する魔法陣もあります。ミカエルの魔法陣などは、サークルの中に三角形を描くのですよ。その中に、悪魔を召喚する」
「……範囲が随分広い、魔法陣になりますね。それだとしたら、ですけれど」
「ええ、まったくぞっとしません」

 汐耶にデジカメを返し、セレスティは小さく溜息を吐く。生身でも術が使えるほどの能力があると分かっていたのならばもう少し警戒もしていたのだが、少し油断をしていたかもしれない。まさか両足を吹き飛ばされて、それでも精神力を充分に保っていられるような在野の術師がいるとは思っていなかった。そして今は、両手首も切断されている。達磨に近い状態で一体どこにいると言うのか、誰か手助けをする人間がいるのか、それとも、悪魔がいるのか。どちらにしてもあまり考えたくは無い状況だった。

 窓の外を流れる景色を眺め、汐耶は想像する。両足を切断された男が這いずり回りながら次々と仲間達の皮を剥いで殺していく様子。そしてその両腕も、切断される。脚で切るのは不可能だろう、やはり第三者か、少なくとも『第三者の手』がそこにはあったはずなのだ。手。見付かってはいない、まだ回収されていない、栄光の――手。両手首を切断されたのならば、まず出血多量か失血性のショックに陥るだろう。そのまま放置されれば死に至る。

「セレスティさん」
「はい?」
「手首が切断されたら、普通は失血死の可能性がありますよね。そういう気配は、ありますか?」
「……いかんせん、血量が夥しいので、誰それのものと特定は出来ません。少なくとも第三者の気配は無いようなのですが、それにしても謎が多すぎます」
「そう、ですね――」

 ふる、と汐耶は頭を振る。
 少し馬鹿な想像をしてしまった。
 違う手首で詮をする、なんて。
 嫌な予感が僅かに背筋を駆け、彼女は眼を閉じた。

■七枷/鴉女■

「ふーん、随分な出血だよね。これは確実に死んでるよ、一人以上」
「実際十人以上死んでるって」
「ああそうだっけ。ん、誠、少し顔色が悪いね。どうかしたの?」
「……これだけの血のニオイがあって、気分が悪くならないわけないだろう……」

 ぺたぺたとどす黒い血の痕を叩く鴉女麒麟の背中を見下ろしながら、七枷誠は僅かに顔を背けた。その方向には鬼鮫が佇み、無表情に微かな苛立ちを浮かべている。人間外の能力を持つものが気に入らないのだと草間は言っていたが、それにしても、と思う――十七歳の子供相手にその態度は大人げないだろう。大体にして、そういうモノと関わらなくてはならない組織に所属している割に、随分と了見が狭い。

 思考をずらすのは、あまりにもその場所が異常すぎるがゆえだった。教室ほどの広さを持つ部屋の床一面に黒ずんだ染みが広がり、そして、鉄のニオイが充満している。生臭さは、そこに何があったのかを連想するに充分な因子だった。死体は運び出されていたが、鬼鮫に示された写真の凄惨さは脳裏に焼きついている。正直、あまり気持ちの良いものではなかった。

 皮を剥がされた男や女。
 筋肉組織の筋ばかりが目立つそれ。
 そして。
 剥がされた皮は、まるで干すように、壁に打ち付けられていた。

 誠は壁を見遣る、そこには勿論皮など垂れ下がってはいない。ただ、ペンキで書き殴ったような血文字が、大きく書かれている。一面に、まるで白い画用紙を与えられた子供がそれを汚すのを楽しむかのように、豪快に書き殴られた、それ。

「『NO BLESS』……祝福在らず、か」
「それって裏を返すと祝福を期待していたのに、って感じだよね。ふふふ他力本願なことだ、僕はあまりそういうのは好かないな。自分の事は自分で片付けて欲しいものだよ。人が死ぬのも自分が死ぬのも、そこに介在するのは神の意思なんかじゃなく、偶然や気まぐれだ」
「随分と、知った口をきくな。小娘」

 黙りこくっていた鬼鮫が不意に口唇を開く。くく、と軽く笑って、麒麟は立ち上がった。黒いワンピースの裾が僅かに広がって、重力に従いまた落ちる。誠はその様子に溜息を吐いた、どうやら、わざと挑発をしたらしい――好戦的なのは良いが、味方にまでそれを向けるのはあまり感心しない。
 草間はどうやら鬼鮫の妙な超常能力者嫌いの所以を知っているようだったが、勿論誠や麒麟にはそんなもの判らない。正直な所、IO2の存在と言うのも、噂で聞いた程度の御伽噺としか認識していなかった。そのエージェントのことなど、噂にも上らない。くすくすと笑いを漏らす麒麟の様子に、誠は溜息を吐く。この場を離れて、もう少し建物の中を検分していた方が良さそうだ。確か一緒に来た神山隼人もそうしていたはず、向こうに合流したほうが良いか――誠は、部屋を出ようと踵を返す。

「多分草間から聞いたと思うけれど、僕はまあ、キミの嫌いな超常能力者ってカテゴリに属するんだよね。この身体はすこぶる死に難いし、意思でもって辺りの温度を操作することが出来る。そこの誠だって、自分の言葉に意味を付けることで異形と戦う言霊使いだ。さて、そんな僕達を目の前に、キミはどうするんだろうね、鬼鮫さん」

 …………。
 俺を巻き込むな。
 七枷誠、心の叫び。

 笑いを収めない麒麟の様子に、押し殺していた鬼鮫の感情が沸点に近付いていくのがありありと判る。表情筋はひくひくとごく僅かに、だが確実に痙攣を起こしていた。今にも手にした刀を抜きそうな気配である。正直巻き添えは御免だが、ここで逃げて何かあっても困る。誠はうんざりとした溜息を吐きながら二人を見守る――不適に笑う少女と、悪人面の中年男性。なんともミスマッチな光景。そして呆然と佇む高校生という自分を絵に追加して、尚更にうんざりとした。

 仕方ない、とばかりに誠は辺りの様子に眼を向ける。先ほどまではその醜悪さに眼を背けていたが、いっそ今はこの光景の方が彼の精神に優しかった。所詮、ここは、『終わった場所』である。目の前で現在進行形とばかりに展開されている殺伐としたドラマよりはマシだった。
 床には特に染みの濃い場所がいくつかある。多分そこには死体が転がっていたのだろうと予想が出来るが、果たしてどのようにされていたのか。死体の写真は証拠として見せられたが、別段そういうものに親しいというわけではない彼には、詳しいところが分からなかった。ただ皮をはがされていた、人々。それを認識するので手一杯だったのかもしれない、瞼もなく空気に晒されて乾ききった赤い眼球や剥き出しの歯を観察するのも躊躇われて。思い出せばまた少し血の気が下りて来るが、それでも投げ出すわけには行かないだろう。関わってしまった、のだから。

「……えーと、鬼鮫さん」
「…………」
「その……皮を剥がされた手口とかは、判ってるんですか。例えば能力によって剥がれたものだとか、刃物――特定の何かを使った、とか」
「……凶器はナイフだと見られている。両刃のものだ。切れ味はそれほど鋭くはないが、犯人の手際が良いのか慣れているのか見事に剥がれていたな。凹凸の多い顔面もだ、写真は見せただろう」
「ああ、そうだったな」
「あれって結局どうしたのかな? 死体と皮と別々に遺族の手に渡すわけにも行かないだろうしね、くくくっ」

 真面目な捜査を切り出した矢先に再び麒麟が揶揄するように笑う。どうやら鬼鮫をからかって遊びたいらしいが、巻き添えは勘弁して欲しい。誠は深く長い溜息を吐く、草間が一緒に来なかったのはこうなる事を予測しての事だったのかもしれない。単に鬼鮫とは馬が合わないという理由も、確かに強くあったのだろうが。
 誠は今度こそ踵を返し、隼人との合流を図ることにした。

■ゼハール/神山■

 部屋の床一面に描かれたサークルの中央に、メイドが立っていた。
 死体発見現場のビルの中を歩き回っていた隼人は、開けたドアの向こうにその姿を見付けて一瞬絶句した。気配も感じず、何の気なしに開けたドアだっただけに、それは激しい。相手もこちらには気付いていなかったのか、少しキョトンとした様子で視線を向けていた。あどけない少女の顔をした、それでも、『彼』。
 隼人は浮かべた驚きを丁寧に笑みで覆い隠す。だが、いつでも攻撃への対処は出来るようにと適度な緊張感は持っておいた。相手――ゼハールは肩に掛けていた大鎌の刃を下に向け、ぺこりと頭を下げる。

 隼人が彼と対峙するのは、これが始めての事ではない。サークルを壊されたことで契約を破棄する結果に陥ったゼハールが、麒麟との世間話に花を咲かせているのを見たのは、ほんの三日前の事である。契約を遂行しなければ魔界に戻ることが出来ないのは召喚された魔物の制約だ、本性が悪魔である隼人も、それは知っていた。だから改めてサークルを書き、還したはず、だったのだが――。

「再びお目に掛かります、神山様」
「どうしたんです、ゼハール。私は確かに貴方を送り返したはずだったのですが」
「ええ、私も送り返されたのですが、この通り、また召喚されたのです」

 すい、とゼハールは自分の足元に広がっている魔法陣を指で示した。見覚えのあるそれは、先日違うビルで発見されたものと同じである。適度に複雑な文様、聖なる名前、ホーリーシンボル。列ねられているのは彼も知っている魔神の名前。ソロモンの魔法書に記述される、72柱の一 ――ゼパル。強欲の神が作り出した矛盾と性欲の、堕天使。
 ヘキサグラムを眺めながら、隼人は今だ警戒心を解かずに彼に相対していた。今はその鎌も下に向けられ、戦闘の意思はないように見せられているが、彼は麒麟と張るかそれ以上の戦闘狂である。いつ飛び掛ってこられてもおかしくはない、そういう性質の前では敵対関係や倫理観というものはまるで当てにならない論理でしかないのだ。

 明らかに訝しげな隼人の様子に、ゼハールは可愛らしく微笑んでみせる。

「そんなに警戒なさらないで下さいませ、神山様。私には現在戦闘の意志はございませんわ」
「……現在、というのがネックですか?」
「随分信用がございませんね」
「先日の麒麟さんのワンピースの様子を知っているだけに、その認識に関しての言及はご勘弁頂きたいですがね……」

 麒麟の話によれば、ゼハールは彼女の右腕と左肩を切断している。勿論ワンピースは所々に焦げや毒の染み、何よりも巨大な裂け目によって廃棄された。さらに、同族ならという何か理不尽な理由により、弁償は隼人に押し付けられてもいた。
 ワンピースの弁償も御免だが、スーツを駄目にされるのも出来れば遠慮したい。少し引き攣った隼人の笑みに、ゼハールは困ったように小首を傾げた。

「でも、私も困っておりますの、神山様」
「……と言うと?」
「この通り、サークルはあるのですけれど、呼び出した本人がおられませんから」
「ほう? ……あなたを呼び出したのは誰だったのですか?」
「両脚のない魔術師ですわ。顔形は、前回私を呼び出した男と同じ。本人かどうかまでは保障できません」
「彼はどうしたんです?」
「死にましたわ」
「死体がない」
「持って行かれました。誰かは存じませんけれど、必要ないので追いませんでしたわ」

 隼人は溜息を吐く。

「つまり、また、帰れないわけですか――貴方は」
「そうなります」

 くす、とゼハールは肩を竦めて苦笑をしてみせる。エプロンドレスのフリルが軽く揺れた。客観的には可愛らしいが、脚や腕の筋肉の付き方やラインが微かに男性を主張している。声も男女どちらとも付かない高さだけに、その倒錯はどうにも心地が悪い。落ち着かない、矛盾である。隼人は自分も肩を竦め、上着の内ポケットに手を入れる。そこには、魔法陣を書くための蝋やチョークが入っていた。
 白いチョークを取り出し、辺りを見回す。床には一面に召喚陣が書かれているのだから、召還陣は壁しか残っていないか。彼が壁際に向かうのを、ゼハールが止める。

「待って下さいませ、神山様」
「……別に何もしませんよ、ただ前と同じく魔界に帰すだけです」
「またとんぼ返りになったら、私が我が君様に疑われてしまいます。もう少し時間を稼ぎたいのですわ」
「と、言いますと?」

 ゼハールが浮かべる笑みに、隼人は僅かに嫌な予感を覚えていた。どうにも、何か嫌なことを言い出しそうな雰囲気がある。そしてそういう彼の勘は、中々に良い確率で当たる。悪魔だけに悪運が強い所為、なのかもしれない。
 重そうな大鎌を肩に掛け、ゼハールは隼人の腕に軽く自らの腕を絡めた。上目遣い気味になりながら、にこりと笑う。それは正しく、悪魔の微笑――彼は、堕天使だったが。

「暫くの間お世話して頂きたいんです。お手伝いも致しますわ、メイドですから。先日の探偵さん、草間様、でしたか? あの方の所にならばご厄介になれそうかと思いまして」

 隼人の何度目かの巨大な溜息に、ゼハールは可愛らしい笑みで答えた。
 嘘は吐いていない、いかなる質問にも嘘など吐かないし、どんな嘘も看破は出来る。それがゼハールの強みであり、弱味でもあった。だが嘘を吐けないと言うのは時にひどく不便なのも事実である。だから、長年の間に、どう誤魔化すかは、きちんと身に着けていた。
 例えば、真実を部分的に告げること。

 嘘は一つも吐いていない、自分を呼び出したのはあの魔術師で、事実彼は死んでいる。そしてその死体もも持ち去られた。彼は必要がなかったから、追わなかった。
 『彼』は命令したのだ、もしも敵がいるのならば、彼らについてその情報を報告しろと。それまでの戦闘も、禁じられた。召喚主の命令は絶対、そして、それは、契約。彼は死んだ、ただし、『彼』が生きている。そして、『彼』の命令は、絶対。
 隼人はゼハールの腕を解き、ドアに向かう。

「……付いて来てください」

 ゼハールはにこりと笑って、返事をした。

■鴉女/セレスティ■

「いちち。まったく、短気な大人をからかうのは面白いよ」

 興信所の応接セット、そのソファーに腰掛けて、麒麟は自分の腕を眺めていた。そこには薙ぐような傷が幾重にも走っていて、白い肌にはひどく痛々しさを感じさせる。セレスティは首を傾げ、彼女に尋ねた。

「どうしたのです、麒麟さん。その傷は……? 見たところ何かの魔具によって付けられたもののように察しますが」
「ああ、うん。あのオジサンをちょっとからかってみたんだけれどね、ふふふ、少しお仕置きをされちゃったって言うか」
「鬼鮫さんを、ですか? それはまた、剛毅なことをなさいますね」

 セレスティは半ば呆れたような笑みを浮かべ、デスクに向かって過去の調査書を確認している草間を見た。何か害を成そうとしている人物がいるかもしれない現状なので、なるべく他の不穏分子が進入してくる危険性は排除しておいた方が良い。セレスティの進言に、過去の依頼で自分を恨んでいる可能性のある関係者を漁っている最中の草間は、いつもにまして煙草の量が多かった。あとでまたここにやって来るだろう鬼鮫への嫌がらせなのかもしれない、パートナーとはもっと円滑な人間関係を進めるべきだろうに。二人とも優秀なエージェントではあるが、いささか私情に流されやすいのかもしれない。
 それでも二人はそれなりに、いつも互いの感情を抑え合っている。さてはて、ことポーカーフェイスや感情の押し殺しに長けているはずの鬼鮫に刀を抜かせるとは、一体麒麟は何を言ったのだろう――もしくは、何をしたのだろう。ほんの少しの好奇心が湧いて、彼は麒麟に視線で促した。彼女はくすくすと少し人の悪い笑みを浮かべて、軽く、傷だらけの手を翳す。

「ちょっとしたことだよ、一体誰を殺されたのかって聞いてみただけさ。異質の能力を憎む連中って言うのは、体外そういう能力によって誰かを殺されたってヤツが多いからね……どうやら何かの記憶に触れでもしたみたいでさ。腕が一気に六分割」
「……それは、また」
「刀を掴んで高温にしてやったんだけれど、どうも中々に良い業物だったみたいでね。半分ぐらいは無効化されちゃったんじゃないのかな、ふふふ、まったくまったく、この頃は本当に飽きない人種ばかりが周りにいるね。セレスティさんはどうなのかな、戦闘能力ってどんな感じ?」
「私には殆ど、そういうものはありませんよ。激しい運動も制限されますし、フットワークも軽くは有りません。出来るのは――」

 すい、と彼が指先を上げると、麒麟の前に置かれていたカップが揺れた。注がれていたコーヒーが飛び出し、空中で、小さな天使の形になる。数秒そのままに停止し、ぽちゃりと、またそれはカップに戻った。興味深げに目を見張り薄く笑む麒麟に、セレスティは微笑する。

「こんなことぐらいですね?」
「応用次第ではどうにでもなる、感じだけれどね?」
「あまり直接的な攻撃は好みませんから。私をいじめるのは、ご勘弁を」
「さてさて、どうしようかな?」

 くすくすと声を漏らし、麒麟は自分の腕を見る。綺麗に分割された傷だったので、肉片をパズルのように組み合わせれば簡単に大部分は接続出来たのだが――流石に、痕は残った。明日の朝には消えてしまう程度のものだが、それでも、自分の能力に遜色のない相手と戦闘が出来るというのは楽しい。
 単純な切断や骨折程度なら今までにも経験はあったが、さて、今回の事件のように皮を剥がされるというのはどういう心地なのか。死なない身体の持ち主である以上、もしも自分がその相手と対峙することになった場合、生きたままに皮を剥がされることになる。マゾヒストの気はないが、それでも、その感覚には少し興味があった。

「ああ、そうそう。誠が聞いていたんだけれどね、凶器は両刃のナイフだってさ。確かセレスティさんは気にしてたよね」
「ええ、……両刃のナイフ、ですか――」
「しかもそれほど鋭利なものでもないって。何か心当たりはあるものなのかな? 心理分析でも出してみる? 年の功でさ」
「そんなものは出せませんよ。……心当たりと言うほどではありませんが、そうですね」

 セレスティはカップを傾け、口唇を湿らす程度に紅茶を飲み込む。音を立てないようにソーサーへとカップを戻し、麒麟を見詰めた。

「魔術師は儀式で生贄を殺すための道具として、アメサイという両刃のナイフを使うんです。それは、基本的に『突き殺す』ものなのですよ。だから尖ってはいますが、刃にはそれほどの切れ味が有りません」
「ふうん。つまりは、生贄として連中が殺された可能性があるってことかな。それとも、その場にあったもので殺した――突発、何か、予測もされていない事態が起こった。とかね」
「まあ、現段階ではあまり予断は出来ませんけれどね。私は目撃談などを集めてみるつもりですが、宜しければご一緒にどうですか?」
「そうだね、人といれば迷わないし、セレスティさんの車は居心地が良い」

 くす、と笑って、麒麟は立ち上がった。

■七枷/ゼハール■

「それで、七枷様は何をなさっておいでですの?」
「……俺としては、あんたがどうして俺に付いて来ているのかを問いたいよ……」

 はあっと溜息を吐く誠に、ゼハールは可愛らしい微笑を向ける。
 ビルの中で行き合った誠に事情を説明した隼人は、そのまま彼にゼハールを託していた。もう少しビルの検分をするつもりならば、と。どうやら簡単に興信所に案内をするつもりはないらしいが、それでも、充分だった。排除されることはなく、取り敢えず、調査員と行動を共にしている。それは契約を履行している状態なのだから、何も問題はない。何一つも、問題は無い。

 コンクリートの壁に囲まれたビルの中を、誠は丁寧に見回っていた。だが、やはりこれといった発見は無い。死体が放置されていた部屋と、ゼハールの召喚円があった部屋以外には、魔術の痕跡も他の死体の気配も見付けられなかった。位置に意味があるのか、それともただ持っていた物件だったからなのか。誠は最後の部屋にも何も無かったのを確認してから、息を吐く。
 何かしらの痕跡が見付かることを、淡くだが期待していただけに、本当に何も見付からないのには困らされた。辺りで目撃情報を募れば何か出るかもしれないが、それを振り分けるのも少々面倒である。真実と間違いとからかいと、何か情報を募れば確実に、そういうものが付随する。

 誠はポケットに手を突っ込む。そこには、人の形に切り抜かれた紙が入れてあった。

 情報を引き摺り出す手段は、ある。言霊によって死人を呼び出し、その体験を語らせる。人形を人間に変えて魂を憑ける、その方法は、知っていた。だがそれは外法に近いものだし、死の瞬間までも追体験させてしまうことになる。あの殺され方を二度も味あわせるのは、正直気が引けた。それに、そういう外法に煩そうな人間も、まだビル中にはいる。ポケットに形代を仕舞い込み、誠は軽く首を回す。

「……七枷様?」
「あー……なんつーか、ちっと、手詰まりって感じだな」
「あら、そういう時には気分転換が必要なものですわ。ここは一つ興信所に戻られては如何でしょう、何か他の方々が情報を集めておられる可能性もございますし。少し頭を休めることも、大切かと存じます」
「……さっき寄って行ったセレスティさんの車で、麒麟が興信所に向かったはずだしな……今行くと、お前達は騒ぎ起こしそうだから、もう少し時間を置く。綾和泉さんも検分してる所だから、何か見付けられたかどうか聞いてからだ」
「あらあら、戦闘はしませんと申し上げておりますのに。本当に信用がございませんのね」

 ゼハールは肩を竦め、それとなく、誠の様子を伺う。
 年の頃は十代後半、少しきつい顔立ちをしてはいるが、整っている。意思も強くそれなりに聡明、言動も、悪くは無い。いっそ自分の能力で怠惰に落とし込み、利用するのも良いかもしれない。だが、能力の使用は許されるのだろうか――戦闘は制限されたが、他の能力に関しては、判らない。もう少し情報を引き出し、その上で都合のいい行動を取らせるためには、不可欠なのだが。
 去っていく前にもう少し詳しいところを聞くべきだった。ゼハールは、小さく肩を竦める。首から垂れた鎖が重い音を立て、コンクリートの中に吸い込まれていった。

 足のない男。手首の無い男。達磨の出来損ないが、蒼い顔で床を這い蹲り、彼を見上げていた。落ち窪んだ目には絶望が留まり続け、絶命が留まり続け。跪けば伸ばされた皺くちゃの手が、頬を、撫でる。

 男なのに、女なのに、矛盾している。面白い面白い、羨ましい。ああ、欲しい、その顔が、身体が。
 残念ですがこれを差し上げるわけには参りません、ご主人様。他の願いがあるのでしたらどうぞお申し付け下さいませ。私が全て、叶えて差し上げましょう。
 何もいらない、必要ない、それ以外には、何も、いらない。本当に、いらない。

 切断された手首。
 だけどそこにはしわくちゃの手があって。
 その矛盾が、少しだけ、楽しくて。
 興が乗って、だから、少しだけおしゃべりになって。
 そして彼は、命令を、下した。

「ゼハール」
「はい? 何でございましょう、七枷様」
「お前を召還した男を連れて行ったのは、誰だった? どんな特徴があった」
「……特徴は、ございませんでしたわ。目立ったものは、本当に。男か女かも判らない状態で」
「どんなだ、それは……」

 だって、手首だけなのだから。
 性別なんて判るはずも無い。

■綾和泉/神山■

「『NO BLESS』……ですか」

 セレスティの車で空港から現場に直行した汐耶は、現場である部屋を眺めて小さく呟いた。その背後には隼人が佇み、傍らの鬼鮫を警戒している。危害を加える様子は無い、らしいが、現場には新たな血痕も出来ていた。おそらくは汐耶に代わってセレスティの車に乗り込み興信所に向かった麒麟のものと察せられるが――どちらにしろ一度刀を抜いたのならば、まだ気が立っているのだろう。関わり合いになりたくない、少なくとも現在は。

 汐耶は膝を曲げて座り込み、ぺた、と床の血痕に触れた。殆ど床一面に広がった血の染みからは生臭いニオイが発せられているが、今更気にはしない。死体を見るためだけにとんぼ返りで渡米した後では、尚更だった。乾ききっているそれはコンクリートに染み込んでいる。

「……何か、書かれていたみたい、なんですけれどね……」
「と、仰いますと?」
「血で判らなくなってしまっているんですけれど、ほら、こことか……向こうにも、ですね。薄く、魔法陣か何かを書いたような痕跡があるんですよ。何かを呼び出したのかもしれませんね――神山さんには判りますか?」
「ああ――本当ですね」

 言われて、隼人は辺りを見渡す。部屋は一面血で穢れきっていたが、それでも、本当に微かにだが魔法陣の痕跡があった。残っている部分は少なく、ホーリーシンボルや聖名の表記は殆ど読み取れない。ちらり、視線を向ければ、鬼鮫も床を眺めていた。IO2も気付いていなかった――血で消された、魔法陣。

「多分チョークですね。血のお陰で固まって残っているみたいですけれど……鬼鮫さん、この魔法陣の分析は行われているんですか?」
「いや――俺も初めて気付いた。血の所為で殆ど目を背けていた所為かもしれんが、なるほど、中々に聡明なお嬢さんだな。あの探偵よりも観察力はありそうだ」
「それほどのものじゃありませんよ。惑わされずに、本当のものが見たい――ただの欲求ですから」

 汐耶は苦笑して見せる。基本的に堅気の人間には突っ掛かって来ない性格らしい、それには助かった。偏見が邪魔をして真実までの遠回りをすることになるのは御免なのだから――汐耶は軽く口唇を撫でる。指先はコンクリートによって冷たく体温を奪われていた。
 何かの魔法陣を覆い隠すために、血をばらまいたのか。それとも殺したら血がばら撒かれて、結果的に魔法陣を隠すことになったのか。偶然か必然か、恣意かそうでないか、本人に聞かない限りは判らないことだが、どちらにしてもこの魔法陣に意味はありそうだ。彼女は立ち上がり、壁を見る。祝福在らず、神を否定した言葉を眺め、鬼鮫に向き直る。

「取り敢えず、IO2の方々にもう一度この部屋を検分して頂きたいのですが、宜しいですか? 写真を撮ってコンピューターに取り込めば、画像の彩度を調整することで魔法陣が何だったのか読み取れる可能性もありますし。それと、見付かっていない一人ですが、やはり目撃談などは寄せられていないのでしょうか」
「一般からの目撃談はまだない。鑑識は夜にでも入れよう。他に何か気付いた点があるから教えて欲しいが」
「そう、ですね――あの壁の文字なのですけれど、何で書かれたものなのか、分析して教えて下さいませんか? 高さからして、両脚を吹き飛ばされた人間には書くことが出来ないと思うんです。それと、皮を貼り付けるのも、多分。この部屋に第三者が入ったのならルミノール試薬で足跡も追えるでしょうから」
「判った」

 ようやく捜査らしい捜査に向かいだしたのにホッとしたのか、鬼鮫は部屋を出た。おそらくは通信機を使って、連絡を取っているのだろう。今の内に、と、汐耶は隼人に耳打ちする。

「神山さん、蓮さんからカード預かっていますよね、貸して頂けませんか?」
「? 構いませんが、どうなさるので?」
「例の手の気配を追おうと思うんです。結界や封印なら私の専門分野ですから……鬼鮫さんの前では、あまり出来ませんし」

 苦笑する汐耶に、隼人は上着のポケットに入れられていたカードを差し出す。油を溶かしたようなフラクタル模様の、見ようによっては人の顔にも映る。その表面。
 彼女は眼を閉じ、そっと、カードの表面を撫でる。

「――あれ」
「どうしました?」
「……これ、何も入っていません……よ?」

 汐耶は瞠目する。
 彼女の手の中、魂を封じられたカードの中には、何の痕跡も無い。魂の気配もなければ、封印の気配すらも――そこには、存在していなかった。

■□■□■

 後日、殺人事件が発生する。
 皮を剥がされた女性の死体が、ゴミ捨て場に放置されていたというものだった。
 そしてそれは連日に及び――
 連続殺人事件が、始まった。


■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1449 / 綾和泉汐耶        / 二十三歳 / 女性 / 都立図書館司書
3590 / 七枷誠          /  十七歳 / 男性 / 高校二年生・ワードマスター
2263 / 神山隼人         / 九九九歳 / 男性 / 便利屋
1883 / セレスティ・カーニンガム / 七二五歳 / 男性 / 財閥総帥・占い師・水霊使い
4563 / ゼハール         /  十五歳 / 男性 / 堕天使・殺人鬼・戦闘狂
2667 / 鴉女麒麟         /  十七歳 / 女性 / 骨董商

<受付順>


■□■□■ 配布アイテム ■□■□■

これが勝利への鍵だ!
☆IO2の通信機(全員)


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 お待たせ致しました、『愛すべき殺人鬼の右手<3>』をお届け致します、ライターの哉色ですっ。今回はめっぽうに長くなってしまい……お疲れ様でございました(ぺこり) と言うわけで、殺人鬼編になりますっ。カードの中の魂や結社のメンバーの皮を剥いだ人間が誰なのか、推理や調査で少しずつ明かしていく予定となっております。今回はまた導入ちっくに話が動いていない状態ですが、次回からまたぐるぐる回転して、行こう、と……。
 長いお話ですが、少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。それでは失礼致しますっ。