|
天より降りし白雪は 溶けて静かに天にかえる
とあるマンションの一室。
空は黄昏に暮れ、地面に影を落としている。
そのマンションの一室からは、片づける物音だけが、悲しげに聞こえていた。
部屋の表札には『寒河江深雪』と書かれている。しかし実際の住人は二人。
遙か昔から寒河江家に住みついている座敷童子。名を駒子。
「こっちのタンスと食器棚はリサイクルショップの人がとりにきてくれるから……」
祖母が急逝し、深雪は実家である旅館を手伝う為、八幡平に帰る事になっていた。
少し前まではお天気おねえさんとしてテレビに出ていた深雪も、今は内勤状態。それでも彼女の顔を覚えている人は少なくない。
「みーちゃん…」
橙色の着物姿で駒子は深雪を見上げる。しかし深雪はそれに視線をおろしたりしなかった。
最近は好んで着ていた幼稚園児のスモッグも、今は荷造りされている。
駒子はクマのぬいぐるみを抱きしめたまま、じっとその場に立っていた。
「東京での記憶は全て夢の中の出来事。甘い夢に酔うのは終わり。12時の鐘が鳴る前に現実に戻らなくちゃ」
ぽつりいった深雪の姿を、駒子は寂しそうに見ていた。
そしてふと本棚の整理に入り、アルバムに手をかける。
沢山の思い出がつまったアルバム。写真のどれをみても、つい昨日の事のように思い出せる。
つい先日まで、この時はこうだったね、と駒子と談笑しながら眺めていたもの。
それを開いて深雪は一枚一枚丁寧にはがしていく。
最近のものの大半は、デジカメによる電子画像のもの。
笑顔でうつっているもの。泣いてるもの。怒っているもの。
写っている人々は、自分たちも含め、人あらざる者が多い。
「ねぇ、みーちゃん、いいの?」
一番深雪の笑顔が輝いている写真。それをはがそうとした瞬間、ふと駒子が声をかける。
「…うん、いいのよ……。でもこのまま破棄するのもなんだから…誰かに処理を頼もうかしら……」
深雪の隣には最愛の人の笑顔。
それを無表情ではがそうとした瞬間、はらと真珠のような粒が写真の上に落ちた。
「ごめん、ねぇ?」
「わたしも、ごめん、ね」
口に出してはいけない言葉。
それでも互いの心中を想い、後悔が募る。
こんなに辛い思いをするくらいなら、誰とも出会わなかった方がよかったのかもしれない。
全てが夢で、醒めたら忘れられるようなら、ここまで胸をしめつける事はない。
アルバムに写っている人たちは、これから深雪達がどこにいくのかは知らない。
あえて知らせていない。
きっともう、誰にも逢えない……否、逢わない。
極一部を除き、こちらで得た家財は全て破棄する。一部リサイクルショップに売却。明日、彼女たちが去る前に取りに来てくれる事になっていた。
ほぼ破棄は終わっている為、部屋の中はガランとしていて、隅におかれている荷物だけがやけに目立つ。
みーちゃん、本当に言わなくていいの? という言葉を駒子は飲み込む。
深雪には大事な人がいた。しかしその人にすら行き先は告げない。
本当に、全てを夢にしてしまいたいかのように……。
「あした《なんじ》だっけ?」
「え…、明日は7時の新幹線で……」
「しちじ、か…いまが《ろくじ》だから、まだ《じかん》があるね」
「どうかしたの……?」
涙を拭きながら、深雪は駒この顔をのぞき込む。
「こまこ、みーちゃんに《ぷれぜんと》があるんだ」
「え?」
「でもね、そのためには《かいもの》にいってもらわないと《だめ》なの」
「かいもの?」
「うん☆ こまこがいま《いちばん》ほしいもの。それを《かって》きて?」
「駒ちゃんが一番ほしいもの……」
写真は重ねて封筒の中にしまう。それにテープで封をしてから、深雪は小首を傾げつつたちあがった。
「駒ちゃんが……」
「《いって》らっしゃい☆」
何をほしい、とはっきり聞かされず、深雪は駒子に追い出されるようにして部屋を後にした。
「いってらっしゃい、ってどこで何を買えばいいのかしら……」
マンションをでていく深雪の姿を、駒子はベランダの上から眺めていた。
なんともいえない、優しい笑みを浮かべながら。
深雪はあちこちを歩き、駒子が以前欲しがっていた物を思い出そうとしてた。
そして考えに没頭しすぎて前を見ていなかった。
ドン、と堅い衝撃を感じて、深雪は後ろによろめく。瞬間、自分が誰かにぶつかってしまったんだ、という事を自覚して、咄嗟に頭を深々とさげた。
「す、すみません! 考え事をしていたもので……」
「怪我はないですか?」
「え……?」
見上げた笑顔はよく知っている顔で。
深雪は戸惑いを隠せないようにその青年の顔を見つめた。
「ど、どうしてここに……お店は……?」
「何故か休みにしないと、と思いまして……」
「……駒、ちゃん……?」
ハッと後ろを振り返るが、座敷童子の姿はない。
「何を考えていらしたんですか?」
やんわりとした問いに、深雪は小さく首をふった。
「もう見つけたみたいです……。これからお時間、ありますか?」
決意の眼差しを向けられて、青年は頷いた。
深雪は微睡みから醒めて、起きあがった。
隣ではまだ寝息をたてている青年の姿。
それをみて微笑み、そっとその頬に唇をあてる。
薄ぼんやりとした空間に、浮かぶように見える時計の針は5時。
深雪は物音をたてないようにベッドからおり、着替え、部屋を後にした。
「さようなら」
小さな小さな、別れの言葉を口にして。
「《おかえり》みーちゃん」
玄関をあけると、駒子がにっこりと笑っていた。
「ただいま、駒ちゃん」
最後の荷造りをすませ、リサイクルショップの人が家具をとりに来た後、部屋の中は本当になにもなくなり、広い広い空間だけが広がっていた。
「そろそろ行こうか」
「うん☆」
ぱたん、とドアが閉じられる。
最後の施錠。
深雪は鍵を握りしめて空を見上げた。
普通の人なら寒くて身体をふるわせていそうなくらい、寒い日だった。
いつ雪がふってもおかしくない、そんな天気。
本性が雪女である深雪には心地よい日。
「さようなら」
「バイバイ☆」
誰に言うともなく呟いて、深雪と駒子は部屋に背を向けた。
|
|
|