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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


tear up

「雅高の嘘つき、嘘つき、嘘つきッ!」
両手を突っ張って、全身で不満を表す斎夜鳥に、久我雅高は額に手をあてて深い息を吐いた。
「仕方がないだろう……新潟まで行かなければならないんだ。日帰りは無理だ」
この妖……封じられた時間も換算すればゆうに七百の齢を重ねている筈なのだが、子供と同じで理屈が通じない。
「この間はそんなの言わなかった! 明日遊んでくれるって言ったのに!」
と、言うかただの子供だ。
「だから予定が変わったんだ」
「予定なら夜鳥だってちゃんとした!」
ずいと差し出すカレンダー……見れば所定の位置にかけられた壁掛けのそれは早々と来月に変わっており、半月以上、日を残した当月分は切り取られて雅高の目の前だ。
「ちゃんと予定してた!」
約束の日は大きく赤い○で囲まれ、到るまでの日々は黒々としたマジックで塗りつぶされている……幾度も重ねて消されたような文字は、それだけ心待ちにしていた気持ちを覗かせて哀れを誘いはするが。
「仕事は仕事だ。働かなければお前の大好きな馬車馬アイスも食べられなくなるだろう」
正確には『馬』でなく『道』なのだが。そのアイスに甚く執心している夜鳥にとって、絶大な効力を持つ印籠的な意味で引き合いに出す。
 見る間、黒目がちの大きな目に涙が盛り上がる……が、ここで折れるわけにはいかないと、雅高は毅然とした姿勢を崩さずにその眼差しを受け止めた。
 しかし、泣き出すかと思いきや、口元を引き結んだ夜鳥は鼻から大きく息を吸い込み、
「雅高の馬鹿ーッ!」
と、声を限りに叫んだ次の瞬間、黒鶫の姿に変じて軽い羽音で飛び上がった。
「夜鳥……こら夜鳥!」
部屋の中をけたたましい勢いで飛び回る小鳥の名を、強い語調で疾呼して漸く、夜鳥は欄間に足をかけて止まる。
「馬車馬アイスを頼んで置いてやるから、留守番をしていろ」
肩で息をし、円らな黒い瞳で雅高を見たまま、夜鳥は動かない。
「……明日でなくとも、来週中には休みを取って時間を作る」
夜鳥はちょん、と飛び上がると啄木鳥よろしく竜の彫刻に取り付いて雅高に背を向ける。
「お前の好きな所に連れて行ってやろう。馬車馬アイスの本店なんかどうだ?」
足の力でほんのわずかな彫刻の隙間に入り込み、そのままちんまりと座り込んで嵌っている……徹底的に譲歩策を無視する構えの夜鳥に、雅高はげんなりと肩を落とした。
「なら、いい。好きにしていろ」
足下に整えてあった旅装を取り上げて部屋を出る。戸口で一度振り返ったが、黒い小鳥は拗ねたまま、遠目、装飾についた沁みのように取り付いた位置から動かない……戸外で待つ主と同僚とをこれ以上待たせる訳には行かず、雅高は諦めの息を吐いて後ろ手に襖を閉める。
「雅高の馬鹿ーッ!」
玄関に施錠の音に紛れてもう一度、夜鳥の声を聞いた気がしたが、雅高は構わずにそのまま仕事に出た。


 ぐってりと机に懐いて、夜鳥はぐりぐりと油性マジックでいたずらに○を描く。
 カレンダーの厚みを持って上質の紙は、皺だらけによれて、ぐちゃぐちゃと黒いインクに塗りつぶされた日付の部分は見るも無惨な有様となっていた。
 こと、赤い○で予定示されていた三日前、の日付は休日に元より赤い数字と共に黒で塗り潰されて影も形も見えない……しかしその上部はピンと張った紙質もそのまま、印刷された写真の姿をきれいに止めている。
 カレンダー、それ自体は夜鳥の気に入りの代物である。
 月捲りのそれは一月毎に四季の風景を納めた写真が替わり、二月は冬枯れする事のない、常緑の木々に覆われた山々が雪に染まる様。
 そして緑の山裾を切るような谷の狭間から流れ出でる渓流は、山の命を溶かし込んだかのように深く澄んだ翠で、夜鳥はその色に深山の、濃く、甘いような精気を思い出す。
 天板に頬をつけたままでいるといつの間にか滲んでいた涙が零れそうで、夜鳥はこし、と和装の袖で目元を擦りながら身を起こした。
「夜鳥くん?」
障子の向こうに映る人影が名を呼び掛けるのに、ぴっと姿勢を正す。
「雅高が迎えに来たのか?!」
期待に満ちた夜鳥の声に、しかし答えは芳しくない。
「申し訳ありません、お昼にお呼びしようかと思ったもので……」
声の主は自宅で診療所を営む知人、突如夜鳥が転がり込むのはいつものことなのだが、懲りもせず何くれとなく世話を焼いてくれる有り難みを解っているものの、期待と違う答えにしょんぼりと肩を落とす。
「……食べない」
「いけません」
拒否は否定ににべなく一蹴される。
 音無く障子を開いた知人は、何処か甘みを帯びた生薬の香の染み付いた白衣の裾を捌いて夜鳥の前に座った。
「そう言って、朝も食べなかったでしょう。確かにあなた方は三度の食事で肉体を保持しなければならない種族ではないでしょうが、それを目的として命を下さった食材の方々にその理屈は関係ないではありませんか。箸も付けずに捨てられる、彼等の無念を考えてみて下さい」
とくとくと理を問われて、夜鳥はしゅん、と項垂れる。
「デザートにアイスもお付けしますから。食べて頂けますか?」
それでもアイス、の一言にぴくりと反応し、項垂れた首を更に深く下げて返答に代えた……夜鳥はがばりと身を起こした。
「雅高だ……」
唐突とも言える動きと呟きに、知人が驚く様を目にも止めず、夜鳥は黒鶫の姿に変じて障子紙を突き破り、外に飛び出す。
「夜鳥くんッ?」
制止の呼び掛けに一度、空にくるりと輪を描いて夜鳥はそのまま飛び去った。


 仕事の融通が効かない時は、成り行き的ながら主治医を務める知人の元へ身を寄せるよう、夜鳥には普段から言い聞かせている。
 雅高は自宅の留守電に吹き込まれた伝言に、その教育がきちんと生きているのを確認して診療所の駐車場に車を止めた。
 どうせこんな所だろう、との目論見に、土産と世話になった礼に購入してきた銘酒は米所だけあって種類も豊富で、酒屋のお薦めを絞った結果ですら、三本になっている。
 最も、知人があまり酒を嗜まないのは心得ているが、良い酒が手に入れば彼が想う御仁の所へ通う口実になるだろう、という穿ちすぎとも言える気配りに因る……実にその通りなのだが。
 割れ物注意、の為に助手席に鎮座した一升瓶に、雅高は外から助手席側に回って扉を開き、風呂敷で一纏めに包んだ結構な重量を腕力に任せてよいせと持ち上げた、瞬間。
 首が仰け反る程の勢いで、ベシリ、と黒い塊が額に張り付いた。
「……夜鳥」
黒い小鳥は翼を広げ、ふわふわと柔らかな羽毛を密着させてひしっとしがみついたまま離れない。
 クルル、と何やら文句を言っている様子で喉の奥を鳴らし続ける黒鶫に、雅高は肩で大きく息をつくと、その柔らかく艶やかな羽毛を掌で撫でた。
「ちゃんと此処に来てたんだな、えらいぞ」
言って漸く、夜鳥は額から接がれて差し出した雅高の指に止まる。
「丁度良かった」
小首を傾げる小鳥をそのままほいと車中に放り込んで扉を閉める……慌てた夜鳥がべたりと窓に張り付くのに小さく笑って、再び運転席に戻る。
「休みが取れたから、思う存分遊んでやろう」
狭い車中では飛び回れないのか、シートやフロントを足場にちょんちょんと、雅高の肩に飛び乗った夜鳥が再び首を傾げて、黒い真っ直ぐな眼差しを注いでくるのに目元で微笑み、雅高はギアを入れた。


 運転中に人型でしがみつくのは危険だと、重々諭されている為、夜鳥は黒鶫の姿のまま雅高の肩に乗ったままでいた。
 安心もあるが、走行中の振動に眠りを誘われて、雅高の背広にしっかと爪を立て、ふくふくと羽毛を丸く膨らませて目を瞑る……いつもなら助手席に座って車窓を流れる景色を楽しむのだが、この三日昼夜を問わず、診療所の前を車が通るだけで聞き耳を立てていた為、あまりよく眠れていないのだ。
 途中、飲み物を買いに車を停めた時にもそのままで居た為、随分長くそうしていた気がするが、「着いたぞ」という雅高の声と、沈黙するエンジン音に漸く目を開ける。
 眼前に、圧迫感する伴って拡がる峰の連なりに、夜鳥は滑り落ちるように雅高の肩から下りて人の姿を取り、その膝の上に座り込んだ。
「雅高、二月だ」
四季の風景を納めた写真を使ったカレンダー、その風景を俯瞰する位置……山の中腹に作られた自然公園の駐車場は、景観を楽しみつつ、且つ人が深く自然の懐内に踏み込めぬようにする配慮か。
「気に入っていただろう?」
濃い緑に映える雪白……澄んだ翠を湛えた淵は広く流れを作って川となる、フレームに収りきる筈のない風景の広さ、深さに見入ったまま、夜鳥はこくりと頷いた。
「日暮れまで短いが、遊んできていいぞ」
「ホントか? いいのか? 行ってきて?」
許可を得た途端にうずうずと、飛び出しそうな夜鳥に雅高は笑みかける。
「今日は近くに宿を取ってある。明日は朝からまた来よう……休みは明後日まで取ってあるから」
言葉の通り、存分に時間を作って戻った計らいに、夜鳥はぽすんと雅高の胸に背を預けた。
「……なら、いい」
今にも飛び出しそうに落ち着かなかった気配が途端に形を潜めたのに、まだ臍を曲げているのかと雅高は夜鳥の細い顎に指をかけて上を向かせ、その表情を覗き込む。
「どうした? 不服か?」
覗き込んだ瞳は濡れて黒く、夜の淵のように雅高の眼差しを吸い込んで捉える。
「明日があるなら今日はいい……夜鳥は今日は、雅高と一緒がいい」
顎を支える手に細い指が添えられ、首の後ろに腕が回される……黒い髪が喉元を擽って角度を変える動きを眼差しを逸らさぬままに追えば、雅高の正面を向く形に位置を変えて、夜鳥はきゅ、と首にしがみついた。
「雅高と一緒がいい」
本当に、子供のような。
 雅高は眼鏡を引き抜いて、耳元に吐息を寄せた。
「……朝までか?」
「朝までがいい」
素直な……というよりも何も考えていない、鸚鵡返しに似た返答に笑う。
「なら、朝まで」
「何かおかしいのか、雅高」
笑う雅高に不思議そうな夜鳥の問いを、触れた唇にその吐息と共に呑み込んで、雅高はもう一度笑みの形に口元を引いた。