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揃わない家族
あたたかい湯気が台所から居間に流れていく。
年越し蕎麦が三つ。
お父さんとお母さんとあたし――三人だけの大晦日。
……今年は五人で過ごせると思ったのに。
「今、何て言ったの?」
それは丁度、おせち作りのために食材のメモを作っているときだった。妹が好きな栗きんとんは外せないから……と思っていた矢先、その妹が大晦日から泊りがけで出かけると言うのだ。
その日にはお母さんとお父さんも帰ってくる――それなのに。
反対しかけたあたしを無視して、妹は部屋に戻ってしまった。楽しそうにスキップまでしながらも、あたしが何を言っても聞いてくれなさそうな、頑な雰囲気を残して。
大晦日からお正月にかけて居ないのは、お姉さまも同じだった。深淵の巫女としての大事な用事がある、と言う。
「そっかぁ。それじゃあ仕方ないよね。年明けには、また戻ってきてね」
他に何て言えばいいんだろう。
(お姉さまも忙しいもん)
ただ、二人が家を空ける本当の理由は――。
仕様の無いことだと判っていても、思ってしまう。
(何であたしたちは血が繋がっていないのかな)
あたしはお姉さまも妹も本当の姉妹以上に大切に思っているし、だから血の繋がりなんてどうでもいい。
でも二人は、あたしに対して遠慮している。あたしとお父さんとお母さんの間に入らないように、自分たちは離れて。
「“家族”でゆっくり過ごしてね」
お姉さまも妹も、そんな言葉を残して行った。
(二人とも、あたしの家族なのに)
血を理由に二人が離れてしまうのなら、いっそ本当の姉妹だったら良かったのに。
(どう言えばいいんだろう)
お姉さまはお姉さまなりに、妹は妹なりに、あたしを思い遣ってしてくれたこと。
たとえそれがあたしにとって寂しいことであっても、強く反対する勇気がない。
出かけることないよ――と気軽には言えない。
困惑しているうちに、お姉さまと妹は出て行った。片方は静かに、片方は笑顔でいながらもあたしと目を合わさずに。
今日の海原家はとても静かだった。
周りを驚かせるお姉さまの行動も、それを見て楽しそうに笑う妹の声もない。お父さんはどちらかといえば物静かだし、お母さんは大人しい性格ではないけれど、子供のようにはしゃいだりはしないから。
「蕎麦くらいなら私が作ったのに」
「いいの、いいの。それにもう作っちゃったもの」
「そう? じゃあ私はお茶でも淹れようかしら」
お盆を慎重に運ぶ。美味そうな匂いだね、とお父さんの声。
「これを入れてみるかい?」
お父さんが取り出したのは透明な細い小瓶に入っている、赤色の粉末だった。
(一味……じゃないよね)
「珍しい植物なんだ。数種類を乾燥させて、粉末にする。味に深みが出るだけで辛くはないから大丈夫だよ」
「試してみたいなぁ」
小瓶を数回振って、入れてみた。立ち込める匂いが変わった気がする。
だし汁を口に含んでみると、これが美味しい。
「何処で手に入れたの?」
あたしが目を輝かせているのを知ったのか、お父さんはフフと笑った。
「みなもは何か変わったことはなかったかい?」
「んー……。えっと……」
思い出してみると、変わったことは多かったけどここでは話せないことばかり。恥ずかしいので、咄嗟に「何もなかったよ」と答えてしまった。
「そうか」
お父さんは頷いていたけど、多分予想がついているんだろう。
「ちょっと見ない間に、どんどん可愛くなっていくわねぇ」
これはお母さんの言葉。
(嬉しいけど)
「何も変わってない気がするけど……」
「本人が気付かないだけで変わっていくものよ。女の子はそうでなくっちゃね」
嬉しそうなお母さん。
「そういうものかなぁ」
空いている席に目をやる。お姉さまと妹も、少しずつ変わってきているのだろうか。あたしが気付かないだけで――。
「あの二人の顔も見たかったわね」
お母さんがポツリと言った。お父さんも相槌を打つ。
(ほらね)
お母さんだって、お父さんだって、会いたがっているのに。
心の中で、水が広がるみたいに――寂しくなってくる。
(両親も大好きだけど)
三人だけでは家族が揃ったことにならないのだ。
(もしかしたら)
二人が出かける前に、そう言えば良かったのだろうか。
三人で除夜の鐘を撞きに行く。冬の夜はやっぱり寒くて、風が顔に当たって痛かった。
いつもは既に眠っている筈の時間に、外を出歩いているのは不思議な感じ。小さい頃は「十二時までおきていたいの」と言いながらも、九時半には瞼がくっつきそうになっていたというのに、今はこうして鐘を撞けている。
そして、醒めた感じがする。
家に帰って、家の電気をつけて――。違和感が喉のあたりまできている。休もう、と思った。
妹と共有している部屋。今居るのはあたし一人、近くで聞こえていた寝息も聞こえない。大掃除をしてしまったせいで、妹のスペースは整頓され過ぎていて生活感がなかった。
(今頃、どうしているのかな)
眠ってしまっているだろうか。それとも、普段と違う環境に興奮して、はしゃいでいるのだろうか。
(楽しんでいるなら、それが一番いいんだけど……)
ふわり、と眠気に襲われた。
起こされて、高台にある公園へ。
コートとマフラーに手袋。この格好でも風が吹けば震える。じっとしていると耐えられないから、時折手を動かしたり、足を動かしたり――。
魔法瓶に入れた紅茶を飲みながら、太陽が昇ってくるのを見た。
まだ暗い空の下の方から、トマトよりも深い赤色をした太陽が出てくる。
二〇〇五年――。
さっきまでの出来事は全部、去年のことなのだという実感が急に湧いてきた。
「お父さん、お母さん、明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとう」
「今年も宜しく」
もう少ししたら初詣に行こう、とお父さんが言った。
あたしの振袖は、お父さんが用意したらしい。
それはまるで一羽の鳥のような――下がふんわりと広がる羽になっていた。
「綺麗……」
でもあたしは着付けなんて……と言いかけたのを、お父さんが遮った。
「こっちへ来てごらん」
一体お父さんは何処で着付けなんて覚えたんだろう。慣れた様子で小物を並べている。
(でもお父さんにやってもらうのって、恥ずかしいな)
最初にブラジャーを取らなければいけないし……。
伊達締めを締めてもらうとき、やたらと恥ずかしくなって――ふーっと息を吐きながら待つ。お父さんはかがんで伊達締めを引っ張りながら、
「駄目だよ、みなも。力を抜いてくれないと、きつく締めすぎてしまうから」
と、あたしに言う。
(こういう体勢で自然にしようにも……)
淡々と進めていくお父さんと違って、あたしはドキドキしっぱなしだった。
お母さんが着るのは、赤の留袖。白い鶴の柄がよく似合っている。金色の髪もアップにまとめていて、あたしが言うのも何だけど、綺麗だ。
「みなもの髪も結んであげるわ」
「うんっ」
普段はずっとおろしているだけに嬉しい。
二つ結びにしたところに、羽を模した飾りをつけてもらった。
そして初詣へ。
普通、振袖を着ているととてつもなく歩き辛い。歩幅が狭いためで、階段の上り下りにも気を使うことになる。
でも今日のは広がる羽になっているから、いつもと変わらずに歩ける。足の指はどうしても痛くなってしまうけど、これは我慢、我慢。
お賽銭を入れて、手をあわせる。
(今年も良い年で――……家族五人で安らかにいられますように)
願うのは、難しいことではない、いつも傍にあること。
昨日から思っていながら、口には出さなかったことがある。
「あのね……」
神社から離れ、人ごみから遠ざかるとき――あたしは小さなため息と共に言葉を落とした。
「三人だと、寂しいね」
左右からフッと優しい息が零れてきた。
お父さんの手とお母さんの手があたしの頭を撫でる。
「すぐに帰ってくるよ」
小さく「うん」と頷いて、家に向かって歩く。
(二人とも、いつ帰ってくるのかな)
翌日、あたしは嬉しい声をあげることになるんだけど――これはまた別の話。
終。
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