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<東京怪談・PCゲームノベル>


鏡面の花


 前に逢った時には確か、まだその姿に違和感を覚える季節だったように思う。
 姿というか――その、格好に。
 黒いコートに、黒い革の手袋、黒い鉢形の帽子。
 ……夏の真っ盛りにその格好はいかがなものか、と思った記憶がある。ということは、かれこれ半年近くもご無沙汰していたということか。
 その間に季節は移り変わり、今はすっかりその格好に違和感を覚えない季節だ。よく冷え込んだ時などははらはらと小雪が舞ったりもする。それだけきっちりと黒尽くめで防寒対策に勤しんでいれば寒くはないだろう。
「……まあ、霧嶋さんが暑さとか寒さとかを感じてるのかどうかはわからないけどさ」
 紫紺色の羽織の袖口に冷えた手をしまい込みながら、蓮巳零樹は隣を歩いている黒尽くめの背の高いj――霧嶋聡里という名の人形師を見遣った。
 表情は分からない。今日も帽子を目深に被り、余計なことは一切喋らない。機嫌がいいのか悪いのかも、よく分からない。
 しかし発されている空気はひどく静かで、人によっては居心地悪く感じるかもしれないが零樹にとってはむしろ居場所としてはいい感じだった。
 落ち着く、というか。
 それもまた、祖父の傍にいる感覚に似ているせいかもしれない。
 何かと祖父に似ていると感じる霧嶋の傍に居るのは、何だか懐かしいような気もして――ひどく不思議な気分になる。そんなに深くお互いのことを知り合っているわけではないのに、何となく、彼のことをよく知っているような気になるのは、随所に祖父と似ている箇所があるせいだろうか。
 そんな二人が肩を並べて歩いているのは、ゲームセンター『Az』から零樹が店主を務めている日本人形専門店『蓮夢』に向かう道である。平日の午後、商店街を行き来するのは主婦が大半だ。
 そんな中、黒尽くめの胡散臭い長身男と和服姿の秀麗な顔立ちの青年が並んで歩いていたら人目を引きそうなものだが、周りの人々が彼らに意識を向けなかったのか、それとも彼らが周囲に意識を向けていなかったのかはわからないが、何者かの視線を感じることもなく零樹の店に向かっていた。
 別に、今日零樹の店に行くという約束をしていたわけではない。
 だが前に逢った時「店にも遊びに来てよ」という零樹の言葉に「ああそうだな」と答えたにもかかわらず、霧嶋はその言葉どおりに店に訪れることは一度もなかった。
 そう、半年の間一度たりとも、だ。
 今は人形師としての仕事を殆どしていない、無職同然の霧嶋である。忙しいから店に出向いてこない、というわけでもないだろう。
 もしかしたら、ただ面倒臭かったからかもしれない。
 だとしたら多少強引にでもこちらから誘えばちゃんと来てくれるかも――そう思い、日々店主としての忙しさの中に身を置いていた零樹は、その身がどうにか空いた本日、迷うことなくさっさと『Az』へ向かったのだ。
 そして、いつもどおり店の隅っこの方にいた霧嶋につかつかと歩み寄り、
「霧嶋さん、今日ぐらい暇でしょ? さ、今から僕のお店に行こうよ。ほら、夏に逢った時、霧嶋さん、僕のお店に来てよって言ったら『そうだな』って言ったし。約束は守らなきゃね? さ、萌葱だけじゃなくて他の子たちも霧嶋さんに逢いたがってるし。ほらほら行こうよ」
 などと一気にまくし立て、反論の隙を与える間もなく腕に腕を絡めて店から引きずり出したのである。
 途中、白い燕尾服姿の――霧嶋がその手で作り出した「琥珀」という名の少年に「ちょっと霧嶋さん借りてくよ」と声をかけたが、何かに取り憑かれたかのように妙に熱心に床に向かってモップをかけていた彼に聞こえたのかどうかはわからない。道を歩きながら時々振り返って琥珀がついて来ていないか確認してみたが、それらしい姿は見られなかった。
 ……まあ、彼がその気になれば別に歩いてついて来なくても空間を一瞬で「跳んで」来ることが可能だから、何か有事があるまでは二人きりにしてくれるつもりなのかもしれない。本人もバイトで忙しそうだったし。
「……それで、お前の店はどこなんだ」
 まだ10分程度しか歩いていないというのに言外に「まだ歩くのか」という言葉を含ませつつ、霧嶋が低く声を発した。それに、零樹は前方を指差してみせる。
「ほら、あそこだよ」
 指し示されたのは、白壁の小奇麗な建物だった。出入り口の上に設えられた庇には瓦が使用されていてどこか和風な空気が生み出されている。ショーウィンドウの向こうには華やかな着物を纏った日本人形が展示されており、入口には『日本人形専門店 蓮夢』と流麗な書体で凸型彫刻により標された楠製の店舗表札が取り付けられている。
 それが、零樹の仕事場兼自宅だ。1階が店舗、2階が住居になっているのである。
「さ、早く早く」
 言うと、零樹は霧嶋の腕を引いて足早に歩き出す。それに特に文句をつけるでもなくおとなしくされるがままになりながら、霧嶋はふとその口許に微かな笑みを過ぎらせた。
 零樹は、どこか掴み所のない、けれども19歳にしては落ち着いた雰囲気を持っている青年なのだが、こういうところを見ると歳相応――いや、年齢よりずっと幼く感じられたりする。
 下手をすると、霧嶋が作った外見年齢14歳の人形「琥珀」よりも幼く感じられたりもして……、……などと本人に言うと心外だと言われるだろうか。
 彼の生み出す雰囲気とその掴み所のなさが、人によっては近寄りがたく感じられて敬遠してしまいたくなるかもしれないが、霧嶋はこれまで彼と幾度か接触をしてきた中で「扱いにくい」と思ったことは特になかった。
 それは、自分が「祖父に似ている」ということで、零樹が多少は気を許しているからだろうか?
 まあ、多少――というかかなり、……いや、随分と変わった青年であることは確かだが。
「……、何笑ってるの?」
 もっと早く歩けないかと急かそうと長い黒髪をさらと揺らせて振り返った零樹が、唇に笑みを乗せた霧嶋を見て怪訝そうな顔をしたが、それには答えず霧嶋は小さく頭を振った。


 店内は薄暗く、適度な気温と湿度に保たれていた。
 壁を覆うように置かれたガラス張りのケースにずらりと人形が収められている様は、見る者を圧倒する。様々な顔立ちと表情をした人形が所狭しと並んでいるというただそれだけで、なにやら不気味な空気を醸し出してもいる。
 そんな店内の一番奥――レジスターが置かれた台の傍に、零樹と霧嶋は居た。
 台の上にはレジスターの他、零樹が人形を修復する時に使用する彫刻刀ややすり、胡粉、和紙、そして修復を終えた人形の化粧直しのための紅差しなどが置いてある。
「散らかっててごめんね」
 机の上のものを横に除けながら、零樹は霧嶋に椅子を勧めた。それに頷いて答えながらも、霧嶋の顔は台の下に向けられている。
 そこには、修復しかけなのか、着物を剥がれた日本人形が置かれていた。身長は50センチほどで、かなり大きいし存在感がある。
「随分と年代物のようだが」
「ああ、永徳斎の抱き人形だから、江戸末期から大正くらいのものだよ。なかなか気品のある子でしょ?」
 茶の用意でもしようとしていた零樹は、穏やかな微笑みを浮かべてその人形の、髪をかぶせていないつるりとした象牙色の頭を撫でた。
 まるで愛しい我が子に触れるように、優しく。
「年代物だけあって、虫食いが酷くてね。ひびがたくさん入ってたんだ。そこを桐塑で埋めて和紙でパーツの補強もして、地塗りと大体の磨きが終わったとこ。後は化粧直しってとこかな」
「いい腕をしているんだな」
「そう?」
 どこにひびが入っていたのか一見するだけではまったく分からなくなっているその人形に顔を向けたまま言う霧嶋に、零樹は嬉しそうに微笑んだ。
「霧嶋さんにそう言ってもらえると嬉しいよ」
「瑪瑙が見つかった時にお前がざっと様子を見たと聞いた時にも思ったんだが、本当に……若いのにいい腕をしている」
 普段寡黙な男が口にするストレートな褒め言葉に、零樹はくすくすとおかしそうに笑った。そして人形から手を離して奥へと引っ込みながら、背中で霧嶋に言う。
「流石は蓮巳氏の孫だ、とか言わないの?」
 今まで零樹の腕を褒めた者は、言葉の後ろに決まってそんな台詞をくっつけていた。
 流石は蓮巳宗弦の孫だ、と。
 祖父が名の知れた日本人形師だというのは零樹自身、よく分かっていることである。祖父の腕前を褒められるのも自分の腕を褒められるのも嬉しいが、そんなふうに言われると、何だか自分の力ではなく祖父の力のおかげでいい腕をしているんだと言われているようで。
 ……高名な祖父を持ったのだから仕方ないと思う反面、いつになったら「流石は蓮巳零樹だ」と言われるようになるのかと思ったりもした。
「……ま、僕の腕がまだ祖父さんの域まで達してないってことなんだろうけどさ」
 だから、祖父の影の下から抜け出すことが出来ないのだろう。
 浅く溜息をついて呟く零樹のその背を見遣り、霧嶋は口許を歪めた。
 褒め言葉を、素直に自分への賛辞だとは受け取ってもらえなかったようだ。
「私は蓮巳氏ではなくお前の腕を褒めたつもりだったんだが、そうは聞こえなかったか」
「あ。ねえ霧嶋さん」
 棚の方に両手を伸ばして何かを取りつつさらりと癖のない髪を揺らせて肩越しに振り返りながら、零樹は少し悪戯っぽい色を宿した笑みを浮かべた。
「いい加減、僕のこと『お前』じゃなくてちゃんと呼んでよ。『零樹』ってさ」
 出逢ってから今まで一度も名前を呼んでもらったことがないのをしっかり記憶していたのである。
 その言葉に、霧嶋が小さく肩を竦めた。
「『蓮巳』では駄目なのか」
「『蓮巳』だったら祖父さんと被るでしょ? だから『零樹』。はい、言ってみて」
「…………」
「ほら、遠慮なく」
 黙り込む霧嶋にわざとらしいほどにっこりと微笑みかける。しかし霧嶋はそれに反発するように固く口を閉ざしてしまう。
 どうやら、言う気はないようだ。
「……ちぇ。ちょっとくらい愛情込めて呼んでくれてもいいのに。残念」
「用もないのに名前を呼ぶ必要もないだろう。ここには私とお前しかいないのだから、『お前』と言えば十分通じる」
「あ、そういうこと言うかなァ。じゃあ、これでどう?」
 無愛想なままの霧嶋の前に、棚から下ろしたものを大事そうに抱えて歩み寄る。
 それはまったく姿形の違う2体の人形だった。
 1体は、銀色の髪をおさげにし、白い浴衣を纏った翡翠色の瞳と白磁のような肌を持つ、少し洋風な雰囲気のある少女型の球体関節人形。
「こっちは紹介しなくても分かるよね、霧嶋さんの子だし」
 微笑みながら、零樹はその白い人形を霧嶋に差し出した。
「久々に逢えて喜んでるでしょ。彼女はずっと霧嶋さんに逢いたいと思ってたのに、霧嶋さんったらちっとも娘の顔を見に来ないんだもの」
 ほんの僅か、責めるような色を滲ませながら言う零樹に、霧嶋は口許だけで微かに笑った。
 すいと、黒革の手袋をはめたままの手で優しく銀の髪を撫でる。
 萌葱――それが、その白い少女の名。人形師である霧嶋が作成した人形の1つだ。
「大事に扱ってもらっているようだな、萌葱」
 その言葉に、零樹はもう1体の人形を腕に抱いて椅子に腰を下ろしながら笑みを零す。
「当たり前でしょ。僕を信頼して霧嶋さんと店長さんが渡してくれた子なんだから」
「……そうだな。ところで、それは……」
 霧嶋の意識は手許に抱いた我が娘から離れ、零樹の腕に抱かれた少女へと移っている。
 眉の辺りで切りそろえられた前髪、黒く円らな瞳、形のいい小さな紅の唇に、千代紙のようにあでやかな紅色の着物。
 秀麗な日本人形だった。
 彼女を作るその全ての配置が絶妙で、無垢な少女のあどけなさを感じる一方で、遊郭の女郎のような優艶さがある。
 それは、その人形の発する気のようなものがそう感じさせるというのもあるが、それ以上に――その顔にある焼け爛れたかのような赤黒い痣が、彼女をただ「美しい」という言葉だけでは片付けさせない雰囲気を作り出していた。
 人によっては、その痣を見て恐怖心を煽られるかもしれない。なまじ元の顔が美しいだけに、その傷は酷く際立って見える。
「……お前の祖父の作だな?」
「霧嶋さん。薊を見るのは初めて? 祖父さんの最高傑作とも言われている子なんだけど」
「アザミ……?」
「そう。この子の名だよ。『薊』――守りの花の名を持つ少女」
 言って、零樹は薊を台の上にそっと置いた。
 薊は、物言わぬ黒い瞳を霧嶋の方に向けている。
「……ふふ」
 何となくその薊の瞳を帽子の下から見つめ返していた霧嶋は、零樹の微かな笑声が鼓膜に触れたことで意識を彼へと戻す。
「何だ?」
「いや、薊がね、霧嶋さんが来て吃驚してるから。やっぱり、祖父さんと霧嶋さん、似てるんだってさ」
 まるで薊と話したかのように言う零樹の言葉。けれども霧嶋は不審を抱くでもなく唇に浅い笑みを浮かべた。
 言葉を持たないはずの人形と会話を交わすことが出来る。
 それが零樹の持つ力だと知っているからだ。
 そんな霧嶋の笑みに気づくことなく、零樹は薊の黒髪をそっと指先で撫でた。
「だから、本当によく似てるって言っただろう? これで分かってもらえた?」
『まさかここまでだとは思わなかったのよ。雰囲気から態度から、本当によく似ているわ』
 零樹の鼓膜に触れる薊の鈴を転がすような涼やかな声には、いつにない昂揚感が宿っている。
 いや、薊だけではない。
 この店内にある祖父に多少なりとも関わりを持つ人形の全てが、落ち着かぬげにざわついている。その何れもが「よく似ている」という類の言葉を発していた。
 やはり、自分の思い違いや錯覚だったわけではないようだ。
 祖父と霧嶋は、似ているのである。
 人形師としても――人としても。
 その雰囲気や思考の在り方、言葉を発するときの僅かな息のつき方や声の発し方、そして何気ない仕草などが。
「薊が似てると言うんなら、まず間違いなく似てるんだろうね。霧嶋さんが来てから他の子たちが落ち着かないのも頷ける」
『宗弦にここまで似てる人が現れたら驚くのも無理からぬものよ』
「そうだね。まあ、嫌な感じの驚きじゃないからいいか。萌葱が祖父さんを見たら、今の薊と同じ反応するのかな?」
『マスターと蓮巳さんのお祖父様がそれほど似ておられるのなら、私、蓮巳さんのお祖父様にお逢いしてみたいです。薊さんのお父様でもあられる方ですし、どのような方か興味があります』
『お父様……まあ、そうね。私を作り出したという意味では確かにそれで間違いはないけれど。宗弦は宗弦よ、お父様なんて私は呼ばないわ』
「薊が祖父さんのことを『お父様』なんて呼んでるの聞いたら吃驚するよ、僕は。どこかおかしくなったのかと思ってあちこち調べそう。そういえば萌葱は琥珀くんと同じで『マスター』って呼ぶんだね、霧嶋さんのこと」
『マスターはマスターです。私や琥珀のお父様にして、創造主ですもの』
「お父様にして創造主、か」
 どこか誇らしげな萌葱の声に、笑みを零す。薊も穏やかな笑声を零した。
『萌葱は、零樹の傍にいるよりも彼の許に戻りたいのではないの?』
「ここで『帰りたい』って萌葱に即答されたらちょっと傷つくなァ」
『蓮巳さんは私にもよくしてくださるし、ここはマスターの傍にいるのと同じくらい居心地がいいのでそんなふうに思ったりはしません』
「そう? それはよかった、実家に帰らせていただきますとか言われたら萌葱の扱いが悪かったんじゃないかって霧嶋さんに言われそうだし」
 笑う零樹の声に、霧嶋が右肩を僅かに持ち上げた。
「お前はいつもこんなふうにこの子たちと話しているのか?」
「え? あ、ごめん。霧嶋さんには薊と萌葱の声、聞こえないんだよね?」
 傍から見るとまるで独り言を言って笑っているかのような零樹の様子を黙り込んだまま眺めていた霧嶋に、苦笑を浮かべる。
 話に入りこめないからといって拗ねるような人ではないことはわかっているが、強引にここまで連れてきたのに放置されるというのは気分のいいことではないだろう。
 だが、霧嶋は緩く頭を振り、抱いていた萌葱を薊の隣にそっと置いて頭を撫でた。
「声は聞こえないが、お前の様子を見ていれば萌葱も楽しそうにしていることくらいは想像がつく。……お前の傍にいるということは、この子の裡に魂が宿るということなのかもしれないな」
「魂が宿る?」
『それは、人形作りを始められた時からの、マスターの願いでしたから』
 穏やかに告げる萌葱の声が聞こえたかのように、霧嶋が少し俯いた。深く被った帽子で隠されている眼は、もしかしたら伏せられているのかもしれない。
 そんなことを思いながら彼の様子を暫し見つめ、零樹はふと視線を落とす。
 ――人形に、魂が宿る。
 それは、零樹の能力を持ってすれば容易いことであり、何も難しいことではない。しかし、人に近い姿の『人形』を作ることを生業としている人形師が、より完璧に『人』に近しいものを作るためにその『器』に『魂』を宿したいという願いを持つのは、珍しいことではないのかもしれない。
 そして、それは普通、叶えられる望みではない。
 だが霧嶋は、自らが作り出した「琥珀」「瑪瑙」「玲瓏(現在はアッシュという名になっているが)」という人形に魂を宿すことができている。
(そういえば、どうしてあの3体にだけ魂を宿せたんだろう……?)
 訊けば、答えてくれるのだろうか?
 しかし、開いた零樹の唇から零れたのは別の言葉だった。
「というわけで。これでこの場にいるのは僕と霧嶋さんだけというわけじゃなくなったから、遠慮なく僕のこと『零樹』って呼んでね?」
 どうして本当に訊きたかったことを口にしなかったのかはわからない。いや、もしかしたら、訊いても霧嶋には答えられないのでないかと心のどこかで思ったのかもしれない。
 自分にだって、どうして魂を宿した人形を作り出せるのか、なんて答えられないから。
 そういう力を持っているから、としか言い様がないから。
 霧嶋も、それと同じなのではないかと思ったのだ。
「…………」
 何か他所事を考えながらしつこく名前で呼べと言う零樹を、霧嶋は暫し眺めているようだったが、結局特に何も言わずに視線を萌葱と薊の方へと向けた。
 どうやら、あくまでも名を呼ぶ気はなさそうだ。
 やはり祖父さんと同じで頑固だなあ、などと思いながら小さく肩を竦めると、零樹は次の瞬間、あ、と何かを思い出したように小さく声を零した。
「そういえばさ、この前――って言ってももう半年も前のお祭の時に話してた雑誌の記事のことだけど」
「記事?」
「『希代の若手天才人形師・霧嶋聡里。その魔法の手に迫る』ってヤツ。祖父さんのノートを漁ってたら見つけたんだよ!」
 ちょっと待っててね、と言い置くと零樹は一度奥に引っ込み、古びたノートを持って戻って来た。
「えーっと……あ、ここだ。ほら霧嶋さん、随分若いよね」
 ぱらぱらと日焼けと色褪せで茶色くなった紙面を数ページめくると、開いたところを霧嶋に向けて見せた。
 そこには、黒いスーツを纏い、こざっぱりとした髪型の切れ長の眼を持つ青年の写真付き記事の切り抜きが貼り付けられていた。写真の横には、先ほど零樹が口にした「希代の若手天才人形師」云々のタイトルが掲げられている。
「これ、幾つの時?」
「……22だな」
「22歳? ってことは、今からちょうど10年前の写真かあ。やっぱりこっちのほうが素敵じゃない?」
 今のように帽子を目深に被って顔を隠しているわけでも、無精髭を生やしているわけでもない。切れ長の眼は、けれども鋭い印象を与えるわけではなく、どこか優しさと穏やかさを感じさせられる。
 おそらくそれは、自分が作り上げた人形達に対する思い、なのだろう。
 しかし当の霧嶋はというと、素敵じゃない? と言われても特に何の反応を示すわけでもなく、ただじっと記事を眺めている。
「よくこんなものが残っていたな」
「祖父さんも霧嶋さんの人形師としての腕に注目してたってことかな? ジャンルは違っても、若手の腕のいい人形師のことはよく知っていたし」
 言って、零樹は何か思いついたのか、ずいと霧嶋に向かって身を乗り出した。
「ね、霧嶋さん。一度だけでいいから、その帽子取ってみてよ」
「……何?」
 唇の端を不機嫌そうに下げながら、霧嶋が記事から顔を少し上げて零樹の方を向いた。それに、ぱん、と軽く胸の前で手を打ち合わせて片眼を閉じる。
「ね? 一度だけ。お願い。僕は霧嶋さんが身を隠してるってこと知ってるし、ここにいることを誰かにバラしたりするつもりもないから、見せても何か霧嶋さんの不利になることはないよ? だからいいでしょ?」
「…………」
「……ダメ? 一度だけでいいのにな……霧嶋さんの顔、ちゃんと見てみたいよ、僕は。こっちの方が素敵って言ったのは、ちゃんと顔が見えてるからってことで……、……?」
 記事上の写真を指差しつつ言葉を重ねた零樹は、ふと、その写真に視線を落として僅かに眉を寄せた。
 何か――、……なんだろう? この、感覚。
(誰かに、似ているような……?)
 写真の中の若かりし頃の霧嶋が、自分の知っている『誰か』に似ている気がしたのだ。
 切れ長の黒い瞳。黒いスーツ。癖のない黒髪。
 祖父、というわけではない。そうではない。もっと別の、誰かだ。
(誰に――……)
『……零樹? どうしたの?』
 写真を見つめたまま黙り込んだ零樹に、薊が不思議そうに声をかける。萌葱も、そんな零樹の様子を伺っているようだ。
「……霧嶋さん……」
 さっきまでより強く、素顔を見たいと、思った。
 そしたら、きっと誰に似ているか分かるはずだ。
 記事から視線を上げ、翡翠色の瞳で霧嶋を見据える。
「取ってよ、帽子」
「…………」
 ふ、と溜息をつくと、霧嶋はそれ以上強固に拒む必要を感じなかったのか、ごくあっさりと帽子に手をかけた。そしてゆっくりとした所作でそれを、取る。
「――――……」
 現れた顔を見て、零樹は眼を見開いた。
 かなり痩せ細った上、歳を経てはいるものの、それは確かにノートに貼り付けられた記事に載っているのと同じ顔だった。
 と同時に、零樹はその顔が誰に似ていると思ったのかすぐに分かった。
「……ただの幼なじみじゃなかったの?」
 口をついて出た問いに、霧嶋が唇を歪ませて浅く笑う。
 霧嶋にも、それが何のことかすぐに分かったのだろう。
「それはあれが勝手に言っていることだ」
「一体どういう関係なの、……店長さんと」
 ――そう。
 霧嶋のその容貌。どこかで見たことがあると思ったら、Azの店長に酷似していたのだ。
 他人の空似、という言葉で片付けられないほど、あまりにもよく似ている。もし他人の空似だったにしても、これほど似ている2人がたまたま偶然知り合いだったなどということはありえまい。
「無関係じゃないよね?」
「双子だ」
 外した帽子の形を整えながら、霧嶋はそっけなく告げた。
「あれは私の、二卵性双子の妹だ」
 その言葉に、零樹は眼を瞬かせる。
「……妹……? でも、昔は霧嶋さんのこといじめてたって言ってたし……それに、妹ならなんで霧嶋さんのことを名字で呼んだりしてるの」
「昔から兄妹で仲が悪かったんだ。あれは私のことが死ぬほど嫌いだったらしくてな」
「死ぬほど嫌いって……そんな、仮にも双子の兄妹なのに?」
「あれが何を考えて生きているのか私には理解できん。よって、あれが私を名字で呼ぶ理由も私にも分からん。どうでもいいことだから放ってあるが」
 理解できんの一言であっさり片付けてしまうのかと突っ込みたくなる一方、だから店長は霧嶋や琥珀を店に置いてやっているのかと納得もできた。
 昔の話を知っているのも、ずっと――それこそ、生まれた時から一緒にいたからだ。だから、左眼に眼帯をつけなくてはならないような事態に陥らされても、店でその身を保護してやっているのだろう。
 理由は、「身内だから」。
 霧嶋の言葉にあるように『死ぬほど嫌いだった』というのは過去の話で、今はそんな感情には囚われてはいないのかもしれない。
 すべて憶測でしかないが。
 もしかしたら、今でも実は『死ぬほど嫌い』で、名前で呼びたくないから名字で呼んでいるのかもしれないし、『死ぬほど嫌い』だから、兄妹と言うのではなくさも血縁がないかのような「幼なじみ」という説明をしているのかもしれない。
 しかし、何にせよ彼らが兄妹だということに間違いはないようだ。
「……そうだったのか……。てっきり、霧嶋さんと店長さんって何かもっと深い因縁があるのかと思ってた」
 謎が解ければ「ただそれだけのこと」で片付けられる程度のものだった事実に、自然と入っていた肩の力を抜いて椅子にもたれかかりながら零樹は深く息を吐いた。それに、霧嶋は眼を細めて微かに笑った。
 その表情がまた、気難しい祖父が時折見せていた笑顔によく似て見えてしまい、思わず手を伸ばしてそっと革の手袋を嵌めたままの手に触れた。
「ずっと、帽子取ったままでいたらいいのに。その方がいいよ」
「……考えておこう」
「できれば前向きにね。あ、せめて今日、ここにいる間くらいはずっとそのままでいてほしいな」
 笑うと、霧嶋は眼を伏せるようにして穏やかに笑った。


 どれくらい時間が過ぎたのか――薊と萌葱を交えて話し込んでいた間に、外はすっかりと暗くなっている。
 それに気づいた霧嶋は、上手く話が途切れたのを見計らうと静かに椅子から立ち上がった。
「……長居して悪かった。仕事の邪魔をしてしまったな」
「え? ああ、そんなの構わないよ。大体、霧嶋さんを誘ったのは僕だし。……あ、そうだ、ちょっと待ってて」
 言うと、零樹は一度店の奥に引っ込んでから、手に小さな箱を持って現れた。
「はい、どうぞ」
「……何だ?」
 差し出された、綺麗な包装紙でラッピングされたそれに手を触れず、霧嶋は怪訝そうに零樹を見る。
 まるで得体の知れない物に遭遇したかのようなその表情。警戒心を露わにした態度に、零樹は笑って頭を振った。
「別にアヤシイ物じゃないって。今日は2月15日。ということは昨日は14日で、バレンタインデーでしょ? だからチョコレートを霧嶋さんにあげようと思って。本当は昨日渡そうと思ってたんだけど、どうしても仕事が外せなくてね、一日遅れってことで」
「……、…………」
 にっこりと微笑む零樹を、さっきまでよりもっと怪訝そうな顔で見る霧嶋。
 いつか見たような、その表情。
 それに、零樹は弾けたように笑い出した。
「あはは、そうそう、お祖父さんにチョコレートあげた時にもそんな反応されたよ! そんなとこまで一緒なんて、やっぱり本質的に似てるってことかなあ」
「……蓮巳氏と同じ反応をするか試してみたかったということか?」
「いや、そうじゃなくて。まあとにかく貰ってよ、霧嶋さんのためにわざわざ買ってきたんだから」
 霧嶋の手を取って包みを押し付けると、零樹は露わになったままの眼を覗き込むようにしてにっこりと再度微笑んだ。
「ホワイトデーのお返し、楽しみにしてるからね」
「……無理矢理押し付けておいて返しを楽しみにするというのはどういうことなんだ」
「まあまあそう言わず。3倍返しなんて言わないから安心して」
 げんなりした様子で呟いて出口に向かう霧嶋を見ておかしそうに笑うと、零樹はその後を追い、ドアから出たところで立ち止まってひらひらと手を振った。
「じゃ、またね。今度は僕が誘いに行かなくても、自主的に遊びに来てくれると嬉しいんだけどな」
 その言葉に、歩き出しかけていた霧嶋はふと肩越しに振り返った。
「……そのうち。零樹の仕事が忙しくない時に」
 帽子を被り直しながら告げられた言葉。
 予想していなかった言葉が含まれていたことに、零樹は眼を見開いてから一度瞬きし、それから嬉しそうな笑みを零した。
「うん、待ってるから」
「なるべく期待はせずに居てもらえるとありがたいが」
「……それって、本当はあまり来る気はないって言ってるように聞こえるんだけど」
「気のせいだ」
 短く言うと、霧嶋は闇の中に紛れ込むように歩き出した。
 その背が闇に溶け込むまで見送ると、零樹はくすりと密やかに笑った。
「やっと言ってくれた。『零樹』って」
 やはり、その声の響きも発音も、祖父によく似ていて。
 何となく、霧嶋聡里という者は自分の記憶の中にある祖父の像を映し出す鏡のように感じられた。
 それでも、霧嶋は祖父ではない。
 いつかはきっと、何か違う部分も見えてくるだろう。
 現れるのは、鮮やかな花か枯れた花か――。
「まあ、それもひとつの楽しみということで」
 そんな零樹を呼ぶ声が、店内から聞こえる。
 それは、この世に1つ、祖父が残した守り花――薊の声。
「うん、今行くよ」
 答えると、零樹は一度だけ霧嶋が去った方を見てから、冷たい冬の風を避けるように店内へと戻っていった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/能天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度はゲームノベル「白く醒める時」に参加してくださり、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 蓮巳零樹さん。
 いつもお世話になっております。
 このたびはNPC・霧嶋聡里に構っていただき、ありがとうございました。
 バレンタインのチョコまで頂いてしまいまして(笑)、重ね重ねありがとうございます。いつもこの無愛想な男に構ってくださる零樹さんの優しさに感謝することしきりです(笑)。
 今回、プレイングに書かれていた内容を反映させたことにより、霧嶋に関して伏せていた設定が1つ、明らかになっています。
 それから、今回異界にいらしていただいたことにより、零樹さんの階級が上がり、人形化の1つである「味覚喪失」の影響を脱しました。
 次回Azに来ていただいた時には、お茶等も味を感じることができますので。
 そして……内容、ギャグにしてもよかったのですが何となくシリアスで行ってしまいました……もしお笑い希望されていたらすみません(倒)。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきます。

 では、また再会できることを祈りつつ、失礼します。