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<東京怪談・PCゲームノベル>


その者の名、“凶々しき渇望” 【 第二話 】

 …葉月さんとは違って随分と頭の堅い刑事さんですね。
 そう、見せたいのでしょうか。
 それとも、それこそが本来の姿、とでも?



 …守秘義務に抵触しない範囲でお話ししますよ。そちらの参考になるなら良いのですが。
 ふわりと笑い、そうやんわりと釘を刺した上で神山隼人はホテルの一室でひとりの刑事と相対していた。相手の名前は佐々木晃。警視庁捜査一課強行犯二係配属の警部補でキャリア組。確かにそれに相応しいだけの能力は持っているのだろうと思う。事実、“凶々しき渇望”殺人事件の担当責任者でもあるとの事。けれど、この間の調査の後、シュライン・エマの言い出した、親しい人を亡くした高矜持高学歴の者は居ないか、それを葉月政人警部に確認した際に出て来た名前も佐々木晃。同じ名だ。同じ名であるだけでは無く同一人物でもあると確認も取れている。…確か姉が亡くなっているとか。『理由』はその辺りにあるのか。いや、姉が死んだからと言ってそれだけでは殺人鬼になる必要は何処にも無い。
 が。
 事前に放った不可視の使い魔――『目』で相手の手の内は読めてしまった。部屋の中に『魔法の鏡』のひとつ――『ソロモンの大いなる印』が用意されている。悪霊を使役する為に鏡に閉じ込め、任意に召喚する術のひとつ。『キプリアヌスの写本』にある印だったか。そんなものを必要とする人間が今この場の何処に居る? ここは警察に厳重に警備されている場所のよう。外部の者がその印を用意したと言うのは考え難い。ならば警察の者でこれを用意した者が居るのだろうか。逆なら――その術を、止める為の用意なら納得が行くが。
 この印を出されたならば、その目的は限られる。
 悪魔召喚。…悪魔と言っても悪霊でも怨霊でも何でも良い。とにかく、そんな…異界のものを喚び使役する。使役して何をするか。…考えてみれば良い。今私は何故ここに居る? 何の為にここに呼ばれた? 何の事件の事情聴取を? “凶々しき渇望”と名乗る者の手による事件について。『魔術を凶器に使用した殺人事件』について。連想出来るものはすぐにある。
 現状で『ヒトに害為す事の出来る儀式魔術』の祭壇が用意されてあるのなら、それは“凶々しき渇望”が用意したもの以外に何がある?
 それに。
 目の前の――頭の堅そう、少なくともそう見せるつもりの――刑事から、少々、意外とも言える気配がほんの僅かながら感じられる。意外。…それはこの刑事の言動を見る限りは、意外だ。
 そう。これ程までに超常現象を頭ごなしに認めない人間から何故、ほんの微かにでも…闇の魔力が感じられるのでしょうね?
 導き出されるべき答えは、隼人がこの部屋に入って――この刑事を直接目の当たりにした時点ですぐに出ている。むしろ否定する材料を探す方が大変だった。思ったまま、素直に結論付けて良さそうである。

 ――“凶々しき渇望”は目の前の刑事。

 なればこそ、こんなところに草間興信所の調査員――それも草間武彦を除いた――を集めていったい何をするつもりなのか、こちらこそが楽しみにしていると言うのに。ひとまず、自分より先に事情聴取を受けた調査員は何事も無いまま無事で戻って来ている。多重人格とでも言う気なのか。ジキル博士とハイド氏のように。今現在の彼はただの刑事で本当にただ事情聴取をしているだけ? それとも他に何か狙いでもあるのか。ともかく聴取の内容自体は…まぁ、少なくとも今のところはおかしくない。
 内心でクスリと笑いつつ、隼人は訊かれた事に答えている。現場に残された落書きについて何やら意味があるような事を言っていたらしいが――。そんな刑事の科白に何の話だか一瞬迷う。が、つまりは殺害現場に残されていた魔法円についての事らしいと気付き内心で苦笑した。表には出さない。
「…現場に残されていた魔法円は黒魔術で使う印形に近いようでしたね。やや我流に造り替えてはあるようでしたが、邪神崇拝系の…生贄を捧げるものである事は確かなようです。高位の邪神や悪魔の名を借りて、悪霊を喚ぶと言う建前のものですが」
 ああ、これは文献を持って来て調べれば誰でもある程度わかる話ですけど、詳しくお話ししましょうか? と、そこまですらすらと捲し立てた時点で、頭が痛そうな顔をして刑事は隼人の言葉を制止。それ以上は良い、それよりその黒魔術とやら言うものが効果あるとはとても信じられないのだがその辺りの科学的根拠はどうなんだとやや見当外れの事を問うて来る。ああ、これは俺の個人的な疑問なんだがとも付け加えられ。そこまでシラを切りますかと隼人は内心で肩を竦めるが、表向きは静かに微笑み、続けた。
 …黒魔術についてとなると、言わば他者を害する為の――と言うか攻撃的な魔術の総称になりますか。効力の程はさて置いて、そんな意志で行われる儀式です、と当たり障りの無い大雑把な評だけを言う。効果があるかどうか。それは施術者と被術者に寄りますねとそこでも濁すように。どう言う事だと問い返す声。それは効果のある人と無い人――それは本来、効果が大きい人か小さい人か、とも言い換えられる――が居るからですよ。残念ながら科学的に証明出来る事ではありませんね。魔術とは術と効果の因果関係が系統立てて説明出来るものではありませんから。経過はすべてブラックボックスの中。ですから纏めて、秘されるもの――オカルトとも呼ばれる訳ですよ。効果の程は信じる信じないが大きいんじゃないですか。信じられないのなら信じる必要もありませんし。
「…まぁ、科学的根拠と仰いますが、遠く歴史を遡れば魔術と言うものは科学や医療と同じような扱いのものでもあったんですよ? 理屈がわからない――知らない者が見るなら、科学的な現象だって有り得ない不思議な事が起きているように見える訳ですし。…そう説明すれば貴方のような方でもわかりやすいでしょうか?」
 隼人は敢えて相手の調子に合わせ、神秘的な意味合いはなるべくぼやかした言い方で語る。嘘では無いがそれですべてでも無い。ともあれ、この事件の犯人は――最低でもあの魔法円が『生贄を捧げる為に使われる』印形の魔法円、と言う意味だけは見る者に意識させようとしていたんじゃないかと思いますが、と試しに進言。この話の流れになれば思い付きそうな事。そうかもしれないなと刑事は素直に頷く。魔術的な効力は信じずともそんな由来の落書き、とだけなら納得が行く。その手のカルト集団でこの形の絵を好んで使う連中が探せばいるかもしれない。…刑事からはそんな反応が返って来た。
 隼人の進言を聞いた刑事は、ならば被害者を殺した当の凶器・鋭い刃物のようなモノの正体はなんだと思う、と続けて問うてくる。相方がその…魔法円、だったか? その落書きから呼び出された悪魔の可能性も捨てるな…とかバカな事を言っていたがそんな事が実際にあり得るのか? とやや困惑気味に確認する態度。
 それを一番わかっているのは貴方では無いですか――と言いたくはなったが、敢えて抑えて隼人も困ったような顔をし苦笑して見せた。…信じてらっしゃる方が居る以上、有り得なくも無いですが…今回の凶器はあくまで『鋭い刃物のようなモノ』、じゃないんですか? 実際の凶器が出なければ何であれはっきりとは言えませんよ、私が犯人な訳ではありませんし、と躱し、それより、と切り返した。
「佐々木さん…と仰いましたか、刑事さん、貴方のこの事件に関する見解はどんなものなのですか?」
 …こちらばかり手の内を明かすのは何だか不公平です。こちらも依頼があったからこそ動いていた訳なんですから、捜査に差し障りの無い程度の事くらい教えて下さっても構わないと思うんですが?
 じっ、と刑事の姿を見据えつつ、隼人。
 闇の魔力を感じたのはごく僅か。だが、人が持つには何処か異質でもあるその魔力の気配。
 けれど、この刑事が自分と同類――人の世界に紛れた悪魔とは到底思えない。それにしては迂闊過ぎる。…いつでも隙が突けそうだ。ただ反面、小物ならばここまで巧妙に魔力を隠せまい。何処か、変だ。
「俺の見解か? それは捜査上の秘密になる」
 話せんな。
「葉月さんはある程度教えてくれましたが。こちらもある程度捜査協力をしている訳ですし」
「………………どうしても超常現象絡みにしたいのか葉月は」
「?」
「ああ、あいつと俺では捜査方針が食い違っているだけだ。但し、この事件に超常現象などと言うあやふやなものの入る余地は無い事だけは言っておく」
「そうですか」
「ああ」
 面白くも無さそうに頷く刑事。と、そのタイミングで部屋の中の空気が変化した。瘴気とでも言うべきか邪気とでも言うべきか、そんなものが満ちて来る。刑事は――何の反応も見せない。…これは、なかなか。
「刑事さん」
「何だ」
「黒魔術の効果について色々と疑問をお持ちのようでしたが…実際にお見せ出来そうですよ」
「何?」
 訝しげな顔。随分と芝居が巧い。
 そんなやりとりをしている間にも、気配だけではなく実際に召喚霊の姿が現れる。とは言え一般人には視えまい。この手の事に余程慣れている者か、自覚が無くとも霊感が病的に強い者でもなければ視えるものではない。
 隼人は静かに立ち上がり、それとなく窺うように部屋を見渡す――振りをする。悪霊を吐き出す魔法円の位置。普通ならば視える事のない、鈍く輝いているそれの場所は部屋に入る前から把握済み。けれどそこまでわざわざ知らせる事もない。おい、何をしている、と椅子から立った事を咎められるが、こんな場合にただ悠然としていてはそれこそ怪しまれそうなものだ。葉月刑事と繋がりのある刑事である以上、ある程度は我々の事――草間興信所の事は承知であって然るべき。…幾ら無視しているように見せていようと、『怪奇探偵』と二つ名が付くその意味をわかっていない訳は無い。
 テーブルががたがたと揺れている。カーテンがはためく。鉢植えやスタンドが飛び交っている。凄まじい騒霊現象。隼人を目掛けても何やら飛んで来たが、それはあっさりと躱して対処。何事だ、と焦ったような声が椅子から腰を浮かせた目の前の刑事から発されるが、隼人は取り敢えず動かない方がいいですよ、と返しながら刑事に歩み寄り、その足許――刑事の座る椅子と自分を囲うように手早く魔法円を描いた。そして描き上げた隼人が何やら口の中で呟いた途端、その円もまた光を帯びる。
「ひとまず、この円から出ないで下さいね」
「何だこれは」
「略式の結界です。取り敢えずはこれで凌ごうかと」
「結界だと?」
「この円の中に居る限りこの騒ぎ――騒霊現象の被害は及びません。まともに魔術を行使しようと思うと用意に時間が掛かるので…まぁ、時間稼ぎのようなものでしょうか」
 そんな隼人の言葉通り、実際にその円を境として怨霊は中へと侵入できないようで円の中では何も起こらない。それどころか、有り得ない速度で飛んで来た電話が目の前――ちょうど円の境界、その真上に当たる平行線上の空中でがんと弾かれたように外側に落ちたのを見、刑事は目を見張った…ようだった。
「…」
 難しい顔をして刑事が黙り込む。それを確認しながら、隼人は相変わらず部屋の中を窺うような態度を崩さない。それでいて本当に確認しているのはすぐ側に居る刑事――佐々木晃の挙動。…少し、闇の魔力が強くなっていますか。『魔法の鏡』の発動とほぼ同じタイミング…間違いなくこの相手の魔力。但し――やはり人間としても悪魔としても、異質。魔力の質だけで見るならば明らかに高位体の悪魔。けれど、どうやら間違い無く、人間だ。
 少なくとも、『元』は。
 そして、その魔力から齎される、微かな腐臭。
 頭に浮かんだのはとある悪魔。…まさか、名を借りているだけではなく御大自らの手になる者とでも?
 俄かに湧き起こる疑念に、隼人は佐々木晃の様子を窺う事を止める。そして、たった今部屋の中に魔法円を見付けた風を装った。
「…魔法円がありますね。直接叩いてみましょうか」
 こう言った術は、媒体を崩すと効力が無くなるものですから。
 巧くやれば、術者にも返りますし。
 そう言いつつ、部屋の中を窺う風だった隼人の視線が一点に止まる。それは『ソロモンの大いなる印』が描かれている場所。悪霊を喚び出した源。
 そして隼人が動こうとした――直後。
 何故か――唐突に騒霊現象が止んでいた。たった今までそこに居た召喚霊が退いている。おや、と意外そうな顔をし隼人は目を瞬かせた。その姿に、どうした? いったい今何が起きたんだ!? と訝しげな佐々木晃の声が掛かる。…この後に及んで。わざとらしい。
「何だか良くわかりませんが退いたようですね?」
 …術者に返ると言う脅しが効いてしまいましたかね?
「い、今のは何なんだ!?」
「黒魔術の効果のひとつと思って頂ければ。…どうやら、口で色々言うよりも一番いい説明になりましたね」
 …術者によって、こんな事も起こせる訳です。
 あっさりとそう告げ、隼人はそろそろ構いませんか、と自分が描いた略式の結界――魔法円の印形を丁寧に傷付け無効にさせながら告げる。…構いませんか。それを言われた方は瞬間的に何の事だかわからない。が――ここに隼人を呼んだ本題、事情聴取の事だとわかるなり、我に返った様子でああ、と頷いた。
「…もう、戻って構わない」
「本当に?」
「…何?」
「何か他に、私に言いたい事があるように思えるのは気のせいでしょうかね?」
「…」
「――“凶々しき渇望”さん」
 隼人がそう言った途端、変わる室内の空気。目の前の男。ざ、と赤く染まる髪。金に色付く瞳。黒かった筈のその色。片手でぐしゃりと乱される、きっちりと上げられていた髪。表情すらも豹変していた。
 ち、と舌打つ音が静寂を破る。
「…ったく人が悪ィな。何処で気付いた?」
「強いて言うなら初めから、でしょうかね。こんな警備の厳重な場所に儀式魔術の祭壇を作れる人間がそうそう居るとは思えませんし、そもそも、貴方程度の魔力があるなら霊が視えない訳がないでしょう?」
 なのに、いっそ清々しいまでにきっぱりと黒魔術の効果を信じていませんでしたしね。霊と言う存在に心当たりのある方の自然な反応とは到底思えません。霊の存在を知っていて、それでもどうしても否定したいのでしたら――言葉の上では何と言おうと、態度に少しは怯えた風が見えるものですからね。心の強い方でしたら、逆に否定と言う壁を張らずに何がなんでも正体を見極めようとするでしょうし。そう簡単に引きませんよ。
 …人は『わからない』モノに対してこそ恐怖を覚えるものですから。
 貴方の態度は何処かちぐはぐでした。
「――っ」
 あっさりとした隼人の科白に、息を呑む佐々木晃――“凶々しき渇望”。
「てめぇ…」
「そもそも、初めから不自然な事が多かったですしね。それに、貴方の魔力の質が気になりました」
「…なに?」
「あまり普通では見掛けない魔力に思えたんですよ。ですから何か訳ありかと」
「魔力、ねぇ…。ンな事までわかるのかよ、てめぇ。…と、なりゃあ…ちょうど良いかも知れねェな。なぁ、兄さんよ…俺に手を貸す気はねぇか?」
「手をですか」
「そうだ」
「それが目的で?」
 この『事情聴取』は?
「細けェこたァ良いんだよ。協力するかしねえか、それだけ答えりゃ良いんだ」
「さぁ…どうしましょうかね」
 思わせ振りに返す隼人。
 その態度に、苛立ったように睨めつけて来る、“凶々しき渇望”。
「…しねえっつゥんじゃ、ここから帰す訳にゃいかねぇんだよ」
 低く言いながら拳銃を取り出し、返答を迫るよう銃口を間近で突き付ける。が、隼人は動じない。
「まぁまぁ、その話を受けないとは言っていませんよ」
「…なら」
 早く答えろ。
「そうですね、草間興信所に於ける貴方の事件の調査には邪魔にならない事を前提に、何でも屋のお仕事としてなら考えないでもありませんが」
「ふざけてるのかてめぇッ」
「至極真面目ですが。興信所も何でも屋も信用第一ですからね」
「俺の事件の調査と俺に手を貸す事が両立するとでも思ってやがるのかてめぇは!?」
「やり方によるかと」
「あン?」
「貴方が手伝って欲しい事…が具体的に何かに寄ります。興信所近くの公園での木村朋美さん殺害…のような殺人の手伝いと言うのなら興信所の調査に掛かりそうですから無理ですね。ですがまた別の事柄であるのなら話は違ってきますよ?」
 元々、仕事の合法非合法は拘ってませんから――殺人犯の依頼でも内容と場合によっては受けますが?
 相変わらずの落ち着いた微笑みを見せながら、隼人は涼やかにそう告げる。その指先がさり気無く拳銃をシリンダーごと掴み押さえている事に気付き、“凶々しき渇望”はぎょっとした。押さえられるまで気付かなかった。思わず拳銃ごと手を引っ込めようとするが、まったく動かせない事に更に焦る。シリンダーをがっちりと押さえたままの隼人に、どうせ一発目は空砲なんでしょうけど、と静かに囁かれ、“凶々しき渇望”はそれだけで人が殺せそうな凄い目付きで隼人を睨んだ。声も出ない――出せない。…どれだけ睨まれても隼人の態度は何も変わらない。初めから。人当たりの良さそうな優男。『そう見える』――だけの相手。
 …いつしか、“凶々しき渇望”の方が、この神山隼人と言う男に対し恐怖を感じていたのは気のせいだったか。
「ひとまず、そのお話の返答は後でも宜しいでしょうか?」
「――」
 呑まれ、声も出ないような相手の顔を見、勿論この件は他の誰にも言いませんよ、と隼人はにこりと笑う。
 囁くようなその科白を残すと、隼人はこれまたさりげなくシリンダーから指先を離し、何事も無かったように部屋のドアへ。退出の寸前振り返り、ちらと見られた瞳の色は、“凶々しき渇望”と同じ金色の――けれどもっと底知れない色で。
 …“凶々しき渇望”もそれ以上何も出来ず、後も、追えなかった。

 だん、と鈍い音がする。事情聴取の部屋の室内、“凶々しき渇望”が壁を思い切り殴った音。追えなかった自分、弄ばれたようなやりとり。完全に遊ばれた。そして事実今、外の警官が誰も中に入って来ない。…佐々木晃警部補イコール“凶々しき渇望”、そんな事が今この時判明したなら警官が部屋に雪崩れ込んで来て当然だ。その事からも、神山隼人が他の誰にも言わない、そう約束した言葉に嘘は無いとわかる。
 だが。
 だからと言って、気が収まる訳じゃない。
 むしろあの一方的な約束が守られた、その事実は――酷く矜持が傷付けられるものでしかなく。
 ――何なんだあの男は。
 ぎり、と唇を噛み締める。
 暫しそのままでいたかと思うと、やがて、部屋の外から佐々木警部補と声が掛かる。部下である年長の刑事の声。まったく普段通りのその呼び掛けと前後して、“凶々しき渇望”の――佐々木晃の髪と瞳の色は黒く戻っている。そして、ああ、と外に声を返したその時にはまた、僅かな髪の乱れ――以上は当初の鉄面皮な刑事の顔に戻っていて。
 その鮮やかなまでの変貌は、ただ、演技が巧い――それだけで済むものかどうなのか。

 …神山隼人が置いた『目』は、まだ、そこにある。



 部屋の外で待っていたセレスティ・カーニンガムの部下に案内され、神山隼人は聴取を受けたのとは別のフロアへ移動する。聴取を受けた他の調査員が待っているそのフロアの一室に到着すると、入れ替わるようにしてセレスティが聴取を受ける為に隣の部屋へ。…セレスティが要請した行動――セレスティの方でフロアごと借り切ったスイートで、警察の方に話を聞きに来てもらう――が通ったのは結局彼当人に関してだけ。そんな訳で、借り切ったそのフロアにある一室は、調査員の皆の待合室状態になっている。
 今までの聴取で皆が得た情報。神山隼人が戻り、セレスティを見送った後、セレスティが聴取を受けているだろう隣の部屋を気にしつつも調査員の面子は色々と情報交換を始めた。が、まず隼人に知らされたのはセレスティが聴取に向かう直前に齎された都市伝説めいたひとつの情報。…まだ確認途中の段階であるが、佐々木晃と同じ身体的特徴の人間が三ヶ月前に遺体で目撃されていると言う噂。
 それを聞き隼人はひとり自分の中だけで納得した。それは充分に有り得る話。あの魔力――御大が何かの理由で人間の死体を蘇生させ再利用している…と言う事もあるか。にしてはあの男は御大とは性格も随分と違う。意志もある――あの男の中に、佐々木晃と言う人間当人が残っている事は確り感じられた。ならばあの男は私に何を頼む気だったのか。ただの木偶なら主の判断を仰げば――主を頼ればそれでいい筈なのに、それをしない。…あの時、御大の気配は無かった。
 どうもあの佐々木晃と言う男は、随分と自尊心の高い、気性の荒い男のようにも感じた。あの気性では到底、木偶でいる事を潔しとしないだろう。反面、そんな人間の方が手の内で弄ぶには面白い――悪魔の視点で考えるならばそれも事実。…シュライン・エマが葉月政人に確認していた事項、ある意味では核心を突いているのかもしれない。
 と、なると。
 私に手を貸せと言った目的は――自らを弄ぶ御大そのものへの、意趣返し――報復?
 …それならば草間興信所の調査の邪魔にはならない。その上に隼人個人としても、面白そうには感じる話。

 当然ながらそれらの話を表には出さないまま、話せる範囲の事だけを隼人は調査員の皆に話して情報交換に入る。特に黒魔術に関して色々と訊かれたので殆どそれを。私が黒魔術に詳しいと言う事は知られていると判断したので、『本物』の事はある程度ぼかして、当たり障りの無い程度にその辺りを話しましたよ、とそれだけを。
 相手が“凶々しき渇望”当人であった事、協力の話を持ち掛けられた事は話さない。…草間興信所にあった遺族からの依頼は『死因を調べてくれ』と言う話。暗にそれ以上を求められているとは言え、実際に依頼された事柄はそれだけだ。そして、その依頼された件の調査ならばもう終了している。
 それに――それは今の時点ではまだ決めていない事だが、もし本当に“凶々しき渇望”に協力する事になったなら、それこそどんな由来で何故依頼されたか、そこから守秘義務になる。…これならば、草間興信所の依頼とも被る事は無い。
 どうも、話を聞く限り調査員の皆に散々怪しまれはしているが、ひとまず、あの男はセレスティへと事情聴取をしている今は何も出来ない。…それなりの魔力を持ち、魔術の素養はあるとは言えまだその能力はただの人間の範疇。何の準備も無いまま魔術を使用した攻撃をする事はできない。
 だからこそセレスティの要請をすんなり受けなかったのだろう。魔術を武器にしている“凶々しき渇望”であるなら部屋ごと変えられてしまえば丸腰になるようなものだ。けれどセレスティの社会的立場を考えればその要請を完全に無視する事も難しい。そんな話の流れになれば苛立つ理由もわかる。警察として虚仮にされた、と言うのもあるだろう。しかしそれ以上に不都合だと言う理由もある訳なのだから。
 それより――『魔法の鏡』を用意した上で、今この場に草間興信所の調査員を集めた目的は何なのか、そちらだ。隼人には仕掛けて来た。だが――どうやら坂原和真、海原みなも、天薙撫子は何事も無かったと言っている。和真に関してはやや微妙だが、少なくともみなもに撫子は腹に一物持つような性格では無さそうである以上、何も無かったのが嘘だとは思い難い。
 隼人の時とて、何か他に目的があり、図らずも正体が看破されたのならただ口を封じるなりすればいい。実現可能かどうかはともあれ試みるだけなら簡単だ。あれだけの殺人を犯せるならば今更躊躇う事も無いだろう。なのにあの男は正体がバレたと見るなりまず自分に協力を求めた…となると、この事情聴取は――協力を求める為、人物観察と能力の見極めでもする気でしている事なのだろうか。

 調査員同士で情報交換をしている中、携帯電話の着信音が鳴り出した。誰のものか――シュライン。相手は今ここに居ない草間武彦。何故居ないのか気になっていた。シュラインも同様だったのだろう。当然のように即座に出る。
 曰く、調査員の皆と連絡を取りたく電話を掛けたらしい。まずシュラインにだったのは草間武彦だからか。何にしろ、葉月が情報交換をしたいと言っている。今そちらに皆いるかと確認を取って来た。…汐耶さん以外は皆居る。事情聴取は受けたのか。坂原和真、海原みなも、天薙撫子、神山隼人の四人が済んで今現在セレスティ・カーニンガムが受けている途中。だったらお前と綾和泉はまだか。なら、今葉月と共に今そちらに向かっているから念の為到着するまで事情聴取を待て、どうしても駄目ならカーニンガムさんの話に乗るように、葉月の名前も出して構わない、と武彦。佐々木晃が“凶々しき渇望”を誘き出す囮として調査員に事情聴取を行っている可能性があると葉月が言っている。そこまで聞いて、こちらもまだ不確定だけど変な情報があったの、と返すシュライン。佐々木晃と身体的特徴が酷似した遺体が三ヶ月前に目撃されていると言う噂。それを聞き、だったら余計だ。何にしろ動くのは俺たちが着いてからにしろ。そう鋭く残されて通話は切られた。
 前後してセレスティの聴取が終わったと連絡が入る。その後、セレスティへの聴取をした帰り掛けなのか、調査員のたむろしている部屋に直接佐々木晃が顔を出し、次、と鷹揚に声を掛けてきた。そこでもう一度シュラインが、やはりこのフロアの部屋では駄目ですかと訊いてみる。戻るよりすぐ近くになりますし、それに今電話があったんですが、葉月警部もそうしろと――。と、言ってはみたが、くどい、と即決残されすぐに踵を返された。
 部屋のドアは閉めないまま、まだ聴取取ってない奴――シュライン・エマか綾和泉汐耶か、どちらでもいい、とっとと来い! と声が投げられる。皆が何事かと顔を見合わせる中、何だか荒れてますねぇと隼人は内心で苦笑。セレスティに更に何か言われたのか。
 部屋の前で、戻って来たセレスティとドアから外を見ていたシュラインが言葉を交わしている。少ししてシュラインが部屋を退出。聴取に向かったようだ。…警察の用意した部屋の方で。

 隼人はまだ聴取を受けた部屋に置いたままの『目』に意識を向ける。シュラインが聴取を受ける姿が視えた。依頼人個人の情報は守秘義務であるからと除き、更に一般からは特殊と思われる異能力等の情報を省いた、無難な程度の調査状況を明かしている。…ただ――何か思い立ったのか、怨恨の線は無いですかと逆に佐々木晃に質問を始めた。刑事さんはそんなにする程の怒りや失望感を感じた事は? 様子を窺うようにひとつひとつ、訊いている。佐々木晃の対応も何処か――今までより真剣だ。そう見えたところで『魔法の鏡』から霊が喚び出されている。…視てしまっている以上、いざとなったら彼女を助けて差し上げる必要がありますか。思いながら『目』を通し聴取の部屋の中を見続ける。
 シュラインは霊に気付いたか聖句を唱えているようだった。確かにそれで彼女当人には汚れた霊は触れる事が出来ない。聖句にはそれだけの力はある。だが――それだけだ。言葉自体の力だけでは汚れた霊を源から祓う事はできない。シュラインのしている事に佐々木晃は気付いている。が――何も反応を見せないまま程無く、召喚霊を自ら退けさせたようだった。何事も無かったように聴取が続く。途切れる前の話の続き。犯人に何か別の目的があると仮定しての話。『凶々しき』――悪と自覚の上で形振り構っていない、殺人は手段に過ぎない。『渇望』――亡くしたものへの渇え。その為に。佐々木晃の反応は。奇妙に静か過ぎる。
 が、シュラインを部屋から追い出した後の――声も出ないような、怒りに震える様子を見る限り。
 相当、痛いところを突付かれたと見える。抑え切れたのが不思議なくらいに感じられたのは気のせいか。
 …どうやら、彼にとっては御大と言うより…お姉さんの存在が大きいようですね?
 姉弟揃って御大の玩具にされている、と言う事なのでしょうか。そうなると、私に持ち掛けた話は――自分の為にと言うより、姉の為、と言う方が大きいのか。
 部屋に意識を戻す。シュラインが戻って来たところでセレスティの元に葉月政人が到着したと連絡が入る。前後して佐々木晃死亡の確認が取れたとも連絡が入った。…やはり。
 シュラインと何事か話し込んだ後、ほぼ入れ替わりで綾和泉汐耶は直接事情聴取の部屋に行っている。また意識をそちらの『目』に飛ばす。何やら具体的にはわからないが、汐耶は凄まじい力を秘めた道具を服のあちこちに隠し持っている。警戒は万全のよう。…その為に遅れたか。これならば、何か事が起きたとしても自分が手を出す必要は無いか。
 彼女の場合は『仕事』を遅れた理由に持ち出したせいかそちらから突付かれている。隼人同様、魔術に関してまったく知らないでは不自然な仕事。封印能力に関しても問われていた。申請者のリスト。渋りながらも見せていたそこで『魔法の鏡』が発動。汐耶は書物の頁と思しき紙を使用し、現れた召喚霊を撃退。
 紙から溢れた眩い光は退魔の力。それも相当強力な。佐々木晃は今度は召喚霊に自分を襲わせている――汐耶に隙を作らせようとでも狙っているのか。仕方無さそうな態度でそれも撃退しようとした汐耶。が――その時、先程どころでは無い強さの烈光が汐耶から生まれた。その烈光が齎した衝撃で半身吹っ飛ばされた形になる佐々木晃。隼人も軽く驚く。今のは何か。汐耶も茫然としている。佐々木晃が半身を起こす。殆ど朱に塗れた身体。それに平然と話しかけられ、汐耶の動きが凍り付くよう止まっていた。そこで朱に塗れた身体が汐耶に当身を食らわせている。汐耶の身体から力が抜ける。

 それを、見届けた――タイミング。

 聴取の部屋の、窓の外。
 部屋の中を窺っているような、腐敗の気配。
 隼人は現れた存在を確認する。

 …これはこれは。
 御大自らいらっしゃるとは――ベルゼブブ。

 佐々木晃に労るような声を掛けるベルゼブブの姿。激昂し荒げられた佐々木晃の声。だが――それでも最後には諦めたように佐々木晃の身体から力が抜けた。それで良いのだよと酷く優しく声を掛けるベルゼブブ。力が抜けたそのまま、バランスが崩れ倒れ掛かる佐々木晃の身体。ベルゼブブは当然のようにその身体を支え、何やらその耳に小声で囁いていた。
 直後、隼人が置いていた『目』を通し、ベルゼブブからの視線が来る。目が合う。向けられたのは不敵な笑い。敵と見たのか味方と見たのか――とても楽しげにそんな顔を見せた後、血塗れの佐々木晃を連れ、気絶しただけの綾和泉汐耶の身柄を無造作に捕らえて、ベルゼブブはその場から消えている。…同時に、『目』がひとつ潰された。ベルゼブブからの視線を隼人に送り届けた、使い魔の一体が潰された。
 隼人は自分含め調査員の皆が居る部屋に意識を戻す。ベルゼブブが去った、そのほんの少し後に葉月政人が聴取をしていた部屋に乗り込んだと連絡がセレスティのところに。部屋の惨状まで『目』を使うまでもなく殆ど実況中継で伝えられ、調査員の皆が現場へと急行し始めた。隼人もそこに付いて行く為、部屋を出る。

 …この事情聴取の目的は、能力者をひとり選び、攫う事?
 そしてそれは――今の出来事を見る限り、佐々木晃の単独行動ではなくベルゼブブも直接絡む事と見て良いだろう。そしてそう考えるなら――佐々木晃こと“凶々しき渇望”の行動原理がまた、見えなくなる。ともすれば、殺人を犯しているのも当人の意志ではなくベルゼブブの命令で、でもあるのか。
 消えていない自我、抵抗の余地、それは単なるベルゼブブの遊びの為か。
 今この場で殺そうとはしていない以上、綾和泉汐耶の身は――恐らく、少なくとも暫くの間は無事の筈。それだけは安心材料になる。
 だが。
 佐々木晃、彼が私に協力を求めたかった事は、何なのか。

 …さて、これは…いったいどうしたものでしょうかね?

【続】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■1855/葉月・政人(はづき・まさと)
 男/25歳/警視庁超常現象対策班特殊強化服装着員

 ■2263/神山・隼人(かみやま・はやと)
 男/999歳/便利屋

 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)
 女/23歳/都立図書館司書

 ■0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)
 女/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者

 ■1252/海原・みなも(うなばら・-)
 女/13歳/中学生

 ■4012/坂原・和真(さかはら・かずま)
 男/18歳/フリーター兼鍵請負人

 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、公式外の登場NPC

 ■佐々木・晃=“凶々しき渇望”
 ■ベルゼブブ

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          ライター通信
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 第一話に続き、発注有難う御座いました。
 …『その者の名、“凶々しき渇望”』第二話、漸くのお届けです。

 今回、色々と遅くなってしまいましたが…いえちょっとした…避けようが無かった(遠)行き違いのようなものがあって(泣)。もの自体は一週間くらい前にはほぼ何とかなってたんですが(くすん)
 しかも良く考えれば…それが解決したのが土曜日なので…オフィシャルの営業時間を考えるとお渡しが更に遅れる事は確実と(汗)
 って言い訳ですね。とにかく納品が遅れました。本当に申し訳ありません(土下座)

 今回のノベルはこんな感じになりました。
 …色々と私が暴走しまして(え)結果、殆ど全員個別です(汗)
 葉月政人様と綾和泉汐耶様以外は後半である程度共通部分が混じってもいますが。

 内容は…とにかくそんな訳で、綾和泉汐耶様が攫われてしまいました。
 何か色々と大変な事になっております。

 また、今回の話は、坂原和真様版→海原みなも様版→天薙撫子様版→セレスティ・カーニンガム様版→シュライン・エマ様版→綾和泉汐耶様版→葉月政人様版→神山隼人様版…と言った順番で読む事をお勧めしておく事にします。全体像が一番把握し易いようなので。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いです。
 では、また少し間を置いてになりますが、第三話もどうぞ宜しくお願い致します(礼)

 深海残月 拝