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偶然の結果だ
「ヤクザから仕事を請けたって?」
オウム返しに、彼は怪奇探偵に尋ねていた。上総辰巳の喫煙仲間は、グラスの中身を飲み干してから生返事をした。
「金はもらってないから、請けたわけじゃない。ただ、『話を聞いた』だけだ」
「随分と人がいいじゃないか?」
「おまえは随分と人が悪いから、この『話を聞いちゃくれない』んだろうな」
辰巳はむずかしい顔をした。いや、もっとも、辰巳は大概不機嫌な顔でいるのだが。
辰巳がその話に興味を持ってしまったのは、草間興信所に話を持ちかけてきたというヤクザが、自分にも所縁のある組のものであったため。ヤクザは、『大事なもの』を保管している倉庫が最近物騒で困っているというのだ。
犯罪の片棒を担ぐのはごめんだ、喧嘩ならそっちの世界でやってくれと言った探偵に、ヤクザは食い下がった。
『あんたなら、話を信じてくれるだろう。バケモンだよ。映画に出てくるようなヤツが出てきて、若い衆を喰い殺しちまったんだ』
探偵は仕方なく、その『話を聞いた』のだった。
『わかった。ただし、倉庫の中身までは守らないぞ』
『あんたに、依頼をしに来たんじゃねえ。こっちは、東京にバケモンがいるってことを教えに来ただけだ』
「なるほど。調査員を選ぶ『話』だな」
辰巳は自分の酒の代金だけをカウンターに置き、席を立つ。
「僕も、一応『話を聞いた』だけだ」
探偵は、見送りもせずに、6本目の煙草に火をつけていた。
その日水城司のもとを訪れた老夫婦の依頼は、司が話を聞いているうちに、だんだんと怪しい方向に向かっていっていた。
息子の行方がわからなくなった――はい、人探しもやっていますよ。
わたくしどもの貯金を持って逃げたきりで――なるほど。困りますね。
実は、心当たりがあるのですが――はい、差し支えなければ、聞かせて下さい。
半年前から、どこそこの組に出入りしているらしく――ははあ。
育て方が悪かったのです、どうしようもない男にしてしまって――ははあ……。
司が『いま』居る業界ではよくある話で、正直彼は聞き飽きてもいるのだが、メモをとる手は休めなかった。自分は真剣に話を聞いているという意思表示であり、よく聞く話だからといって軽視はするなという自戒の意味もある。メモは重要な儀式のようなものだった。
老夫婦は、ある程度自分たちで情報を集めていたようだ。しかし、その捜査線上に、暴力団の影が現れた。素人が迂闊に手を出すべきではないと判断したのだろう。賢明な夫婦だと、司は内心で高評価を下した。
老夫婦が帰り、しばらくしてからのことだ。司のもとに一本の電話が入った。
草間興信所からのものだった――。
『人探しの話が入ってる。そっちに何か情報がないかと思ってな』
「今まさにこっちも人探しの依頼を受けたばかりでね、電話しようと思っていたんだ。……お先にどうぞ」
『ありがとう。……それがな、「あの筋」の男で、組織のほうからの依頼なんだ。こっちにはあまりそういうデータがないから――』
もしかして、と司は思わず苦笑した。
どうやら、かの興信所に入った依頼も引き受けてやることになりそうだった。
化物が現れ、若いヤクザが消えたのは、東京のはずれ。
海をのぞむ、錆びついた倉庫群なのだった。
打ち棄てられたかのような佇まいの倉庫の群れの中には、人影もなく、音さえない。生臭い東京湾の臭いが、そこかしこにしみついている。
古い南京錠が外れた倉庫がひとつだけあった。その中には、コンテナと、デンプンの袋無造作に積み上げられていた。
デンプンの袋のいくつかは破れ、白い粉が床に広がっている。
白い、粉。
ヤクザは果たして、デンプンを売り買いするだろうか。
床に散らばる白い粒子をすくい上げると、
ぎきき、
猿じみた笑い声が上がる。いや、或いは、威嚇の声なのやもしれぬ。
顔を上げると、視界に入るのは――コウモリのように、倉庫の鉄の梁からぶら下がる白い生物たちだった。ねじくれた身体の、化物だ!
ヒトのように見えなくもないその白い身体の胸で、剥き出しの白い心臓が、ばくばくと脈動しているのが見える。鼓動の速さは、ヒトのものでは有り得なかった。
ばくばくばばくばくばく、ばく、ばくばく ぎ、ききききき…… ばくばばくばく、
化物は、4体ほどいるようだ。
そのうちの1体が、デンプンの袋を抱え、中身を貪っていた。その口からこぼれ落ちる白い粉は、あやしい虹色の光を孕んでいた。
あれは、ただの白い粉では、ない……。
ぎ、ぎっ、
虹色の光をさえぎり、化物どもは動き、梁から飛び降りると、コンテナや袋の山の陰に隠れてしまった。
愛銃ベレッタをホルスターから抜き、上総辰巳は陰から飛び出す。
独鈷をコートの袖口から手中に滑りこませ、水城司が身をひるがえす。
ふたりの男は、そこにいた。
ものも言わずに、互いの得物を、それぞれの顔へ――。
互いの陰は、視界をかすめる敵影かと判断したのだ。この場には、自分と敵しかいないはずだと思っていたから。
しかし、すんでのところで、ふたりは得物を引いた。攻撃を仕掛けていたのが人間だったということに気づき、それも、顔見知りであることにも気がついたのだ。これまで特に親しくしていたわけでもないが、よく、草間興信所で見る顔だった――。
「おまえは……」
「驚いたな……」
殺すところだった、とふたりとも二の句を飲みこんだ。
さっ、と物陰へ身を潜める。
「人探しをしていたんだが」
司が肩をすくめた。
「僕は人だったものを殺しに来た」
辰巳も肩をすくめる。
「あれがまさにそうだ。俺が探していた人間で、おまえが殺そうとしてる人外」
「人間、な。どうしてそう断言できる?」
「『気』の流れさ。無理矢理歪められているが、間違いなく人間のものだ」
「裏があるな」
「あまり深入りしたくはないがね」
「深入りするつもりはない。僕は誰に何を頼まれたわけでもないからな」
辰巳は、ちら、と金の視線を司に送る。
司は辰巳の言い分に腹を立てることもなく、せせら笑いもしなかった。ただ、ふふ、と鼻で小さく笑っただけだ。まるで自嘲するかのように。
「ま、とりあえず、ここから俺たちを黙って帰してくれる奴らでもないだろう。俺もおまえに付き合うよ」
「……この化物、この4匹で終わりだと思うか? 倉庫の入り口には鍵がかかってなかった」
「こいつらはわざわざ外に出たりはしていないんじゃないか? ここには大好物が山ほどあるわけだし、それにときどき――」
「活きのいい餌が入ってくる……」
辰巳がようやく、にやりと笑った。
ふたりはそれきり会話を止め、
止めると同時に物陰から飛び出していた。辰巳は左へ、司は右へ。
まさにそのとき、ふたりが隠れていた陰に、跳躍した白い化物が奇声を上げて飛び込んでいた。
振り向きざまに辰巳がベレッタの引き金を引く。奇妙な銃声が倉庫を揺るがす。その咆哮は、けして火薬が鞭打たれたときのものではない。
銃口から飛び出したのは、光線のようだった――蒼く輝く気弾は、残像を引くほどの速さだったのだ。
気弾は白い怪物の首を撃ち抜き、
ぎいッ!
「1匹」
どさりと斃れる骸に目もくれず、辰巳は銃口を次の方向へと向ける。
「!」
ぎききききき、ぎききききききッ、
いつの間にか鉄の梁にぶら下がっていたものが、しゅん、と軽やかに辰巳に飛びかかってきていた。動きは、クモザルのようだった。デンプン袋の中に入っていたのは、人間をサルに退化させるような薬なのだろうか。
――そんな薬、誰が要る?
照準を合わせるには間に合わないというのに、そんな考えは脳裏を駆ける。しかし、白い猿は横ざまに吹っ飛んだ。網膜に焼きつくのは、梵字のひとつ。不動明王の炎!
辰巳の隣に、左手で印を結んだ司がいた。
ふっ、と彼が指に息を吹きかけると、カーンの梵字が揺らめき、消えた。
「2匹」
司がニッと笑みを浮かべて、
辰巳は礼も言わずに銃口を右へとスライドさせる。
司はそのとき、独鈷を振りかぶっていた。
3匹! 4匹!
投擲された独鈷と気弾に首を飛ばされ、白い化物どもは冷たい床に沈んでいった。
白の死体を一箇所にあつめ、その醜悪な姿に目を落とす。煙草を取り出しながら、司が乾いた声で呟いた。
「俺が本当に『死ぬ』のは、こうして化物になって、誰かに殺されるときぐらいかな」
「……?」
「意味不明だろ」
「ああ」
「気にするなよ。……おっ、と……待った待った」
同じように煙草を取り出し、一本くわえた辰巳に、司が急いでライターの火を差し出した。辰巳はすでに自分のライターをポケットから出していたが、だまって司の火を受けた。
「その火、もらうよ」
司が煙草をくわえて、顔を突き出す。
そのライターは何のためにあるんだ、という突っ込みを、辰巳は飲みこんでおいた。司は辰巳の煙草の火を、器用に自分の煙草へ移していた。
「さて、帰るか」
「ああ……待ってくれ」
辰巳は懐から茶封筒を取り出した。給料明細書が入っているものだ。あまりにも薄っぺらい明細書を封筒から出すと、辰巳は代わりに、虹色の光を放つ謎の粉を中にすくい入れた。
「……こいつを、興信所に届けておこう。誰かが成分を調べるさ」
「そんなのポストに入ってたら、彼、驚くぞ。色んな粉が混じっていそうだし」
「驚かせてやりたい気分なんだ。僕は『話を聞いた』だけなのに、死んでたかもしれないんだからな」
無表情でうそぶく辰巳に、司は笑っているだけで、野暮な突っ込みは飲みこんでいた。
――とか何とか言って、元凶を知りたいんだろう。知って、派手に仕返ししてやりたいんだろう。
「俺もだ」
30分後のふたりは草間興信所のポストにあやしい封筒を投函し、
40分後のふたりは、揃って夜の街に消えていった。
<了>
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