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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


頭痛


 ――頭が、痛い。
藤斗は天井を眺めながら漸くそこまで考えた。ため息をついて自分の酒臭さにうんざりとする。口元を覆いたくなる気持ち悪さは、果たして頭痛のせいか酒臭さのせいか、はたまた二日酔いのせいか。
 とりあえず起き上がって水でも飲もう。
慣れない酒がまだ抜けないなら、抜けるまで待つしかない。
「う」
 視界がぐらりと傾ぐ。体を起こそうとして藤斗は力なくもう一度横たわった。そして大きなため息をつく。
「なんだってこんな事に……」
 小さな呟きはそれでもずきずきと頭を痛ませた。


 昨夜、藤斗は数人の友人知人達とショットバーに行った。飯が美味いと聞いて行く事にしたのだが、それが間違いの始まりだった。
宴会になれば無理矢理酒を飲ませる輩の一人や二人、出るものなのだ。
「飲んでる? あらやだ、これ烏龍茶じゃない」
 奏子は断りの言葉もいれずに彼のグラスの中身を確認した。
この二人、どちらも飲んだら迷惑をかけるという点では大差はないが、最初の時点で大きな方向の隔たりがあった。酒乱と下戸。遠慮なく杯を空ける奏子と酒を遠慮したい藤斗。
そもそも相容れない方向性の二人がたまたま近くの席に座っていたのは不幸といえば不幸だった。
「……潰れて周りに迷惑をかけるよりはマシだ」
 そうとだけ答えると奏子からグラスを取り返してちびりと飲む。こうしていれば、水割りを飲んでるように見えなくもない。
「一人で辛気臭く烏龍茶飲んでたって、周囲の迷惑かもしれないじゃない。宴席で飲まないなんて同席した人間に失礼ってものよ」
「……宴席なんて大層なものか?」
「小さくても間違っちゃいないわね。――マスター! オーダーお願いしたいんだけど」
 エンゼル・キスなるカクテルを二通りのレシピで頼むと奏子はあっさりと藤斗に向かって言い放った。
「片方はあなたの分ね」
「……俺は酒が苦手なんだ」
「だーいじょうぶ。甘くて飲みやすいから、あんまりアルコールもきつくないしね」
 どこぞのメーカーから出ているカクテルを飲んだという人間が口を挟む。
「あ。あれ。チョコレートっぽいヤツ。ジュースだろ、軽いし」
「軽いのか……なら、いいか」
 藤斗は軽く肩を竦めた――奏子がこっそり浮かべた笑みには気付かないまま。
 程なくテーブルにカクテルが二つ並ぶ。どちらも一番上には生クリームの層があって、片方には上にチェリーが可愛らしく鎮座しており、もう一方は四層に分かれている。奏子がチェリーのカクテルを手に取った。
残りを受け取って一口飲んでみれば、確かに甘かった。アルコールをそこまで感じられない事に気を良くした藤斗は、杯をすすめて――潰れた。
 エンゼル・キス。日本でポピュラーなそれは実はエンゼル・ティブという名の軽いカクテルだが、実は飲めば天国に上って天使のキスをもらえるという由来の名前を持つ、口当たりの良い強い酒だったのだ。


「二度とあいつの勧める酒は飲まん」
 騙されてたまるか。
 苦虫を十匹ほど噛み潰しながら呟くと彼は寝返りをうつ。現状では寝る以外の何かを出来る訳もなくぐったりとする。
 こんな目に合うから酒を飲まずにいたというのに――この怨み晴らさでおくべきか。
 痛みに顰めていた唇から笑みが漏れた。
「……騙された返礼ぐらいはしても罰はあたらないよな」
 さて、どうしてくれようか。
 ピンポーン
 ひっそりと復讐を誓う藤斗の耳にドアベルの音が届く。
「まだ寝てるのかしら? でも、もうお昼もかなり過ぎてるしねえ」
 どこかで聞いたような女性の声がドアの向こうから響いて、今度はチャイムが三回ほど連打された。
 まさか復讐の対象が自分から彼に会いに来るとは思わなかった。それにこのままだと頭に響くチャイムをさらに鳴らされそうで、藤斗は立ち上がって声をかける。
「今、開ける」
 ドアを開くと予想通り奏子が立っていた。右手に花束、左手にはビニール袋。
「……おい?」
「あ、やっぱり寝てたのね。ごめんなさいね。昨日も酷い事しちゃって……お見舞いに来たの」
 幾分申し訳なさそうに彼女は言葉を続ける。
 ほら、昨日の様子からすると今日は二日酔いで辛いんじゃないかなって思って。
「どうぞ。しかし、俺の部屋に花瓶はないぞ」
「ああ、大丈夫、花瓶持って来てあるから」
 視線を落とせば袋の中にはリンゴと幾つかの食材と、クリスタルの花瓶が見えた。さぞや重かったのではなかろうかと思うと少しだけ感謝の念が沸いた。
「洗面台使うわね。あ、それからお台所も。作る気力ないでしょ?」
 気遣う言葉にさらにその気持ちが大きくなったのは言うまでもない。


 台所から響く水音を聞きながら藤斗は窓際に飾られた花瓶を眺めた。
「下をゴムで括ってあるから水だけ変えれば大丈夫。少し萎れてきたらゴムの下で切りそろえてね。そうすれば形が崩れないから」
 そう言って奏子はリンゴと食材を片手に鼻歌交じりに台所に消えて――今はリンゴを洗っているのだろうか。
しかし、花が一つあるだけでこうも部屋が違って見えるというのは意外な発見だ。殺風景な部屋が少し明るくなってはいまいか。
コップの水を飲み干すと藤斗はベッドに横になった。いくらしばらく耐えれば治るとは言え、こういう状態で一人きりなのは辛い。今は奏子の存在が有難かった。
 ――酒の事はともかくとして、悪い奴じゃないしな、あいつ。
 そんな事を考えて目を閉じようとした青年の耳に音が届いた。
 ざしゅ、ざしゅ
 一体何を切っているのだろうか、そんな音のしそうなものは持ってきていなかったし、自分が置いた覚えもない。聞かなかった事にしようにも一時になり始めると耳から離れない。ずきずき痛む頭に染み入る謎の音――。
ため息を一つ。
好奇心に負けた藤斗は体を起こして、台所へと向かった。
 奏子は一心にリンゴを切っていた。もっとも本人は皮をむいているつもりである。
やっぱり丸ごとのリンゴの皮をくるくるむいてと丸ごとのリンゴと格闘してみたが、これが中々曲者だった。
大きなリンゴは奏子の手に余り。
万能包丁もやっぱりその手に余り。
そしてゆっくりと弧を描くように細く等と抱く理想を果たすには皮に沿って添える指が切れそうで怖い。
結果、奏子はまな板にリンゴを押し付け皮を切ろうして――斜めに切ればいいものを垂直に降ろしていた。
「おっかしいわねえ」
 心底不思議そうな口調に覗きに来た藤斗は深くため息を付いた。
 どうしたらこんな無茶なリンゴのむき方が出来るのだろう。
「あら、寝てていいのよ」
「ああ。ところで何やってるんだ?」
「見ての通りリンゴをむいてるのよ」
「……どっちが食べる方なんだ?」
 こっちと指差したのは芯の周りにあるタネをも切ったリンゴ。
「どう考えてもむいた皮の方が食えそうだぞ。――貸せ」
 指を切られる前に包丁を取り上げておかないと大変な事になりそうだった。
「このリンゴちょっと生意気なのよ。辛いんだから寝てた方がいいわ」
 生意気なリンゴを奏子より余程慣れた手付きでむいていく藤斗の手をしばらく眺めて、真迫は諦めた。どうやらリンゴの皮向きには向いていないらしい。
「じゃあお粥でも作るわね」
「米は後の棚の中だ」
 包丁が使えないだけで他は平気だろう、そもそもご飯を炊くのに失敗を気にする必要もない。ましてや無洗米だ。
「お粥ってお米から煮た方がおいしいのよねえ。鍋借りるわね」
 鼻歌交じりに鍋に袋から無造作に米を流しいれる奏子。
「……おい」
 蛇口から勢いよく水を出して鍋の半ばまで一気に水を入れると漸く彼女は藤斗に視線を合わせた。
「どうかした?」
「計量は?」
「大丈夫。ほら、寝てなさいったら」
 本当に大丈夫なんだろうな。
 問い掛けたいのをぐっと我慢して藤斗は台所を後にする。
ちょっと不器用なだけで包丁はもう使わないから多分平気だ。多分。……本当に?
 ――頭が痛かった。多分二日酔いのせいばかりではなく。
「大丈夫だ、うん」
 自分に言い聞かせて横になる。
 目を閉じる。
 ついでに毛布なんて被ってみる。
 ――やっぱり、不安だった。
「大丈夫だ、まだ悲鳴も怪音も聞こえてない」
 もう一度言い聞かせてみた。耳をすませても聞こえるのは何やら動いてるような音だけ、危険な音はない。
 戦々恐々としながらその時を待ってみたが中々来ない。そして油断しかけた時にそれはやってきた。
「あつっ」
 カラーンと何か金属が落ちる音を聞いて藤斗は飛び起きた。先程よりも痛みを増した頭を抑えながら覗き込む。
 吹き零れて白い泡をあげている鍋。床に落ちた蓋。耳たぶを抑えている奏子。
少し視線をずらせば茶碗からはみ出さんばかりの量にふやけたワカメとか、多分一個持ち上げれば全部持ち上がりそうな白菜漬けとかが所狭しと並んでいた。
 鍋の蓋がガラスじゃなくてよかったな。
ひっそりとそう思い、盛大なため息が落とす。
 ――頭が痛かった。絶対に二日酔いのせいだけじゃなく痛かった。
「大丈夫。ちょっと吹きこぼしただけだから、安心して寝てて」
 絶対無理。
 思っても言わずに藤斗は首を振った。
「頭が痛くて寝付けないんだ」
 奏子が答える前に床に落ちた蓋を拾い、それを洗う。
「お粥を頼む。俺は漬物を切るから。……このワカメは味噌汁に?」
 返事を待たずにさっさと動き出した藤斗に、奏子は頷く。自分でもちょっとだけ手に余るとは思っていたのだ。
「お味噌汁を飲むと結構水分が取れて酔いが冷めるって言うから。それじゃ一緒にお味噌汁も作るわね」
「……ああ。頼む」
 どうせ自分が作る事になるだろうが、好意を無碍に断る訳にもいかず藤斗は曖昧な笑みを浮かべた。
 二時間後。藤斗は漸く食事にありついた。
 お粥と豆腐とネギとたっぷりワカメの味噌汁、各種漬物と塩水に漬け損ねて少し茶色くなったリンゴ。
 一人ではなく奏子と囲む食事は楽しかったが――頭痛だけは治らなかった。
 理由については当人の為にもあえて問わずに置くべきだろう。

fin.