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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Could you kill me?


○オープニング



「えっと…ここが草間興信所ですか?」

 ある雪のちらつく寒い日のこと、草間興信所に一人の女の子がやってきた。

「そうだけど…何か?」
「えっと、お仕事頼みたくて」
 笑顔の少女は、次の瞬間その発言で草間の顔を凍りつかせた。



「ボクのこと、殺してくれませんか?」



* * *



「ボク、『消してしまう』存在なんです」

 興信所のロビーへとまぬかれ、出されたコーヒーに口をつけながら少女は言った。
「…『消してしまう』存在?」
 よく分からない言い方に、しかし本能的に嫌なものを感じて草間は眉をひそめた。
「うん、言葉どおり何でもかんでも消しちゃうんです、ボク」
 あつッ、とコーヒーの熱さに顔をしかめながら少女は答えた。
「まぁ消すって言っても、その力が出るのは満月の日だけなんですけどね」
「…大体29日から30日周期でその力が?」
「うん、そういうことです」
 ふぅふぅとコーヒーを冷ますその顔には、何処か物悲しい笑みが浮かんでいた。

「原因は分かってるんです、多分あれしかないから」
 数分後、大分ぬるくなったコーヒーを飲み干し、カップを置きながら彼女が言った。

「ボク、小さな頃から実の父親に色々虐待受けてきたんです」
 こんな感じでね、と、彼女はその袖をまくる。そこには、大小様々な傷があった。中にはかなり古い傷もあった。
「父は酒飲みの甲斐性なしで、何時も何時も母が泣いてました。家に帰れば、聞こえてくるのは父の怒声と母の悲鳴…」
 しかし、そんなことをいう彼女の表情は凍りついたように動かなかった。瞬間、草間は理解する。あぁ、この子はそんなにも絶望するほどに酷い子供時代を送っていたんだな、と。
「知ってますか?親しか頼ることの出来ない子供が、他でもない親に全く愛されなかったらどうなるか」
 表情のなかったその顔に、自嘲気味の笑みが浮かぶ。
「…何もなくなるんです、本当に。喜びも悲しみも怒りさえも。
 それでも、心のどこかでは親がまだ自分を愛してくれてるっていう淡い希望をもっちゃってるんだから、悲惨ですよね。だから、余計に深い絶望に変わっちゃう」
 それは、紛れもない彼女の本心だった。分かりたくなくても、目の前の少女を見ていれば嫌というほどに分かってしまう。

「…ごめんなさい、話それました。
 それでも、ボクが生きてこれたのは、母がいたおかげです。母は確かに弱かったけど、ボクに対する愛情だけは本物だった」
 ふっと、優しい笑みが浮かぶ。少女にとって、母親の存在がどれほど大きいものかそれだけでよく分かる。
「…三ヶ月前、父が何時もと同じ様子で帰ってきました。そして、何時もと同じように怒声を上げて、母を殴っていました。
 母は、本当によく我慢したと思います。あの父に、それでも15年以上も付き添ってきたんだから。
 でも、それも我慢できなくなったのか、遂に母がキレました。手に包丁を持って、泣きながら父に飛び掛ったんです」
 その言葉に、草間の表情が再び硬くなる。
「…それで?」
「現実は、ドラマみたいにドラマチックじゃないんですよね。結局、父よりも大分力の弱い母は、その手を押さえつけられて、それで終わりでした。
 それに父が逆上しました。何時もより汚くて大きな訳の分からない怒声を上げながら、母を殴り始めたんです」
 ギリッと、少女の奥歯を噛み締める音がやたらとはっきりロビーに響き渡る。
「程なくして、母は気を失いました。それでも父は、あいつは、母を殴るのをやめなくて…。
 それで、我慢できなくなってボクはあいつを止めに入った…でも、やっぱり男のあいつには腕力で勝てるわけもなくて…。ボクは、母と同じように畳の上に組み伏せられた。逃げたくても逃げられなくて、そんなボクの上で、狂った目で手を上げて…あいつは…!」
 ガチガチと、少女の口が揺れ、歯が細かくあたる音がした。顔が真っ青になり、呼吸もどんどん荒くなっていく。
「分かった、それ以上は言わなくていい!だから落ちつけ!零、毛布と水を!」
「あ、は、はい!」
 草間は少女の肩を揺らし、すぐさま零に指示を飛ばした。

 少女に毛布をかけてやり、草間はとりあえず少女が落ち着くまで待った。
 数分たって、やっと少女の呼吸が落ち着き始め、顔色もよくなりはじめた。
『…最低だな』
 さっきの少女の様子から、父親が何をしようとしたのかは大方予想はつく。同時に、沸々と草間の中に怒りの感情が湧いてくる。
 何故実の娘にそこまでのことが出来る?理解できない、いや、理解したくもない。今すぐにでもその父親の元へと行って、殴り飛ばしてやりたくなる。
「…あの、もう大丈夫です、すいません…」
 と、少女の言葉で草間の意識がこちらへと戻ってくる。水を一口のみ、少女は大分落ち着いたようだ。
「…すいません、続き話しますね」
「いいのか?」
「…ここからが、大切ですから」
 心配そうな草間と零に、少女は小さく苦笑を浮かべた。
「ただ、外には満月が浮かんでいたことだけははっきりと覚えてます。その光に照らされて、あいつが何か持って腕を振り上げていました。
 そのとき、やろうとしていることがわかって、あぁ今すぐにコイツを殺してやりたいって、殺意だけが浮かんできました」
 少女の顔は、不思議なくらいにすっきりとしていた。父親に関しては、本当にその感情しかないのだろう。
「なんで、なんでボクがこんな目に?
 それはきっとあいつがいるせいだ、許せない、許せない、許せない、許せない――――絶対に殺してやる」
 そして、ぞっとするほどの冷たい表情が、少女の顔に浮かんだ。
「ボクの中が、その感情で一杯になった瞬間、あいつの腕が消えました。
 最初は、ボクもあいつも訳が分からなくて、でも、次の瞬間あいつが悲鳴を上げて…ボクの上から飛びのきました。
 不思議なことだったけど、すぐに理解しました。『あぁ、これはボクがやったんだ』って。
 なんでそんなことになったかは、別にどうでもよかったんです。だから、思いました。血すらも流れない、本当に消滅してしまったその腕を見ながら。『お前なんて、消えてしまえ』って」
 その後のことは、想像に難くはない。しかし、あえて草間は口に出した。
「…それで?」
「その瞬間に、消えました。綺麗さっぱり、見事なまでにそいつの全身が。この世から、消え去りました」
 何処か壊れた笑みを浮かべながら、少女は言い切った。

 少し水を飲み、少女はふぅっと息を吐いた。そして、また語りだす。
「夜が明けて、次の日にはその力は発動しなくなってました。不思議だけど、それでいいって思いました、だってボクが憎んでいたのは、あいつ一人だったから」
 少し寂しそうに言う少女に、草間は一つの事件を思い出す。
「…しかし、それだけじゃ終わらなかった、そうだな?」
「…はい」
 少女は、小さく首を縦に振った。

「こんなボクにだって、仲よくしてくれる友達はいたんです。少なかったけど、確かに」
「…消してしまったんだな、その友達を」
 草間の言葉に、少女の瞳から小さく光るものがこぼれた。
「はい…」

「その日、三人の友達がボクに遊びに行こうって誘ってくれました。ボクはそれが単純に嬉しくて、二つ返事で彼女たちと出かけました。
 カラオケ、ショッピング、何気ない談話…その全部が楽しくて、嬉しくて」
 少女は涙を止めることが出来ない。零がそれを拭ってやった。
「…帰る頃には、すっかり夜になってました。空には満月、あの日と同じ…。
 目の前の三人は、楽しそうに話しながら歩いてました。家庭のこととか色々楽しそうに。ボクには、それが憎くてしょうがなかった、それまではそんなこと思ったこともなかったのに…。
 あの日から、あいつにあんなことをされてから、満月はボクの憎しみの象徴になっていたんです…。だから、幸せそうな友達が憎くなってしまった。
 なんでボクが、ボクだけがこんな目に、嫌だ、こいつらは嫌いだ、って…そして、あの日と同じように思ってしまった…『そんなもの、消えてしまえ』って。
 次の瞬間、ボクの前から三人の姿がなくなってたんです」
『…やっぱりか』
 二ヶ月前に起こった、女子高生行方不明事件。被害者は三人。草間が思い出していた事件は、おそらくこの少女が起こしたものなのだろう。
 今目の前で涙を流す少女を見れば、その憎しみは本当のものではないと思える。ただ、満月が起因して、少女の奥底に眠るものが目覚めてしまうのだろう。

「…そして二週間前。母が、ボクの前から消えました」

 最後に少女は、それだけポツリと呟いた。





* * *



「これが、ボクを殺して欲しいっていう理由です。ボクが生きていても、もう何もイイコトはないから」
 そこまで言うと、少女の顔には笑顔が戻っていた。それが、少女の悲しみを表しているように思えた。
「それと、一つお願いがあるんです」
「お願い?」
 草間が言い返すと、少女は照れくさそうに笑う。
「殺して欲しいのは、満月の前の日。それまで、友達が欲しいな、って」
 予想外の言葉に、草間は驚きで言葉がでてこなかった。
「ほら、ボクの人生いいこと全然なかったから。せめて、死ぬ前に一つくらいはいい思い出欲しいなぁって。
 恋人とか友達とか、欲しいなぁって思うのは、変ですか?」
「いや、変じゃないが…」
 そんな草間の様子に、少女はまた笑った。
「殺して欲しいって言ってるのに、同時に友達とかが欲しいっていうのも、変なのは分かってるんですけどね」

「そう言えば、キミ、名前は?」
 そんな単純なことを忘れていたことに、少女の顔が少し赤くなる。
「忘れてました。ボク、蘇芳優香って言います」



* * *



 少女が帰った後、草間はロビーで一人考えていた。
「…どうにかできないものか」
 そして、少しだけ考えて、草間はロビーの受話器を手に持った。





○トモダチ



 ギリッと、誰かの奥歯を噛み締める音がはっきりと聞こえた。
「シオン、落ち付け。気持ちは分からなくもないが…」
「…すいません。しかし、どうしても抑えられなくて、ね…」
 草間に謝ったのはシオン・レ・ハイ。何時もは陽気に話す彼がほとんど喋らずただ歯を食いしばっている様子から、相当の怒りが感じられる。
 もっとも、それは今興信所にいる人間ほとんどに言えることだった。悲しみ、怒り、感情の種類は少し違えども。
「…まぁ兎も角だ。大変だろうが、頑張ってくれ。俺も頑張る」
 人の命がかかっている。それがどれだけ大変なことなのか、言葉にせずとも皆理解だけは出来た。

「あの、一つだけ、いいですか?」
 話が一区切りついたところで、綾峰透華が思い出したように切り出した。
「どうした?」
「えと…その、みんなに一つだけ約束してほしいことがあるんです」
「約束?」
 その言葉に、皆首を傾げる。一体何を?
「『頑張れ』って言葉だけは、絶対に気安く使わないでほしいんです」
「どうして?沙羅、よく分からない…優香さんには、頑張ってほしいよ」
 それは橘沙羅にとって本心の言葉だろう。そんな沙羅に、透華は少し苦笑を浮かべた。
「…『頑張れ』って誰かに言われること、物凄く辛いの。私も苛められたりしてたから、よく分かるんだ。
 例えば…えと、橘さんだっけ、優香さんの気持ち、分かる?」
 聞かれて、沙羅は少し顔を曇らせた。
「多分、分からないと思う…だって、沙羅には想像もつかないから。ただ、悲しくて辛いって…それくらいしか…」
「だよね?私たちは優香さん本人なんかじゃない、だからその気持ちなんて全部分かるはずもない。分かるはずもないのに、『頑張れ』なんて絶対に言えないよね?
 軽く言う『頑張れ』なんて、本当にただの同情でしかないから。きっとそんなこと言われたら、それこそ優香さんは追い詰められちゃう。だから、気安くそういうことだけは言ってほしくないの。
 『頑張れ』っていう言葉は、言う方にも言われる方にも問題があると思う。それだけは、分かってほしい」
 でもね、とさらに透華は続けた。
「気持ちや態度で応援するのはいいことだよ。何も言わないほうが、その人に想いが届くときもあるし。ただ、話を聞いてあげるだけでもいい。優香さんが『自分がこれだけ辛いんだ!』って不幸自慢するならならひっぱたいて、優香さんが気持ちを落ち着けるために、自分の気持ちを吐露するならゆっくり聞いてあげて欲しい。
 誰かが一緒にいてくれるって、ホントそれだけで嬉しくて、心強いものだから。
 今の彼女が出した答えは間違いなく真実。だけど、何でもないことで変わっちゃうこともあるしね」
 最後のほうは、透華は笑顔だった。きっと、自分の境遇なども思い出していたのだろう。それでも笑顔なのは、きっと今は彼女にとってかけがえのない人たちがいるから。
「そうですわね」
 黙って話を聞いていた海原みそのも笑顔を浮かべていた。
「『へびー』なお話だと思ってましたけど、だからといってわたくしたちが沈んでいてもしょうがありませんわよね」
「それに」
 みなの前にお茶を置きながら、話を聞いていた鹿沼デルフェスも笑った。
「新しいお友達が出来ることは、とても嬉しいことですわ」
「そうですね」
 先ほどまで怒りを抑え切れなかったシオンにも、笑顔が戻っていた。
 きっと大丈夫か、と、そんな彼らの様子を見て草間も小さな笑みを浮かべた。



 話が終わり、何人かロビーから出て行った。しかし、沙羅だけは少し暗い表情で座っていた。
「? 橘さん、どうかしたの?」
「綾峰さん…ごめんなさい」
 透華が声をかけると、やはり少し暗い声で沙羅は答えた。
「沙羅、深く考えないであんなこと言っちゃって…ホント、ごめんなさい…」
 言って、さらに深く沈む沙羅に透華は少し頭をかいて、笑った。
「まぁまぁ、全然気にしてないし。っていうか、私たちが沈んでもしょうがないって。私のことはもう終わってるし。
 橘さんのそういう優しいところ、ホントいいところだと思うよ。きっと、優香さんにもいいように働くと思う」
「でも…」
 そんな沙羅の肩を、透華はバンと叩いた。そして、その柔らかそうなほっぺをにょーんと伸ばす。
「橘さんは、さっきちゃんと考えるってことを知った。それでいいんじゃないかな?だからほら、笑って笑って。優香さんに会う前からそれでいいのかなー?」
「いひゃい、いひゃいよぉ」
 そんな沙羅の顔にもやっと笑顔が戻ってくる。透華はそれを見て笑った。
「ふふっ、そうやって笑ってるほうが似合ってるしいいわよ。それじゃ優香さんのところ、行こう」
「あ、うん。…あ、そうだ、今度から沙羅のことは名前で呼んでほしいかも」
「それじゃ私のことも透華でいいよー…そう言えば、沙羅さんって学年は?」
「んと、今二年だけど」
「えぇ、年上?」
 最後のほうは何でもないようなことを話しながら、二人は興信所を後にした。

「…歳が近い女の子同士というのはいいものですね」
「全くだ。…きっと今回はいい方向に転がるさ」
「えぇ、きっと」
 そんな二人を見送りながら、草間とシオンはロビーでお茶を飲みながら笑った。



* * *



 次の日、シオンを除く四人が向かったのは、草間から聞いた優香の通っている高校だった。写真はもらっているので、優香が誰かはすぐに見分けもつくだろう。
「どんな風に話しかけたらいいかなぁ…」
「普通に話しかければいいんじゃないでしょうか?『お友達』に、気を使うのというのも変でしょう?」
 そんなことをいうみそのの姿は、黒のブレザーだった。彼女曰く、「らしいから」とか何とか。

 しかし、校門で待つ彼女たちの前に、一行に優香は姿を現さなかった。透華がこのために六限目の授業をサボってきていたため、優香が校門から出てきていないことは分かっている。
 最初の一時間程度は何か用事があるのだろうと笑って待っていたが、二時間が経ち、出てくる生徒も疎らになり始めていた。
「…どうされたのでしょう?」
 デルフェスが少し心配そうに呟く。

 こうやって待ち続けていても埒が明かないため、透華が出てきた女子生徒のグループに声をかけてみた。
「あの…蘇芳優香さんはもう帰りましたか?」
 その名前を聞いた瞬間、女子生徒たちの顔に笑みが浮かぶ。どこか嘲るような、そんな嫌な笑みを。
「あいつ、ここ数日学校に来てないわよ。いい加減嫌になったんじゃないのー?」
 そして、その女子生徒たちは一斉に笑った。それだけで四人は理解する、優香の状況というものを。
 そのまま彼女たちは笑いながら立ち去っていく。それを、沙羅は泣きそうな顔で見つめていた。
「お気持ちは分かりますわ…。でも今は、優香様が先です」
「…はい…」
 そんな沙羅を、デルフェスはぎゅっと抱きしめてやった。



「あ、草間さんですか?私です、綾峰です。はい、ちょっと優香さんの住所を…はい…ありがとうございます」
 しばし草間と電話で話し、透華は携帯を切った。
「分かったわよ」
 彼女の家はすぐに分かった。ここからは然程離れてはいない。四人はすぐさま家へと向かった。

「ここのはず…ですわよね?」
 デルフェスが呟いた。確かに、草間の言った住所には小さなアパートが建っていた。小さくて古いながらも、人の生活というものが根付いたそれが。
 しかし、『蘇芳』とかかれた札がある部屋からは、全くといっていいほどに人の気配が感じられない。
 新聞や伝票など全てが無造作に置かれたままで、人が触った形跡などない。
「…どういうこと?」
 優香はここに帰ってきていない?嫌な予感が、沙羅の顔を曇らせる。

「…こっち、ですわ」
 そんなとき、みそのが歩き出した。その目は硬く閉じられたまま、何処かへと歩いていく。
「みその様、何か心当たりでも?」
「いえ…少し、『感じた』だけですわ」
 デルフェスに聞かれ、みそのは少し微笑んだ。それは、<モノの流れ>を操る彼女特有の感覚と言えばいいのだろうか。
 兎に角、何かを感じ取った彼女はそのままアパートの階段をおりていく。他の三人も彼女に続いた。

 アパートから少し歩けば、そこには小さな公園があった。
 この時期、寒さからか遊ぶ子供たちはいない。木々からも葉が全て落ち、申し訳程度に立つその中、女子高生が一人ブランコに座っていた。
 キコ、キコと少し錆びた鎖の音が寂しそうに響く。ずっと地面を見つめる彼女の心境を表すように。
 顔を見ずとも、それが誰かはすぐに分かった。
「蘇芳優香様…ですわね?」
 彼女の前に立ちながら、みそのが聞いた。すると彼女は顔をあげ、ただ一言。
「…誰?」
 そう、呟いた。



「ごめんね、家にいなくて」
 説明を聞いた優香はただそれだけ言って、苦笑を浮かべた。
「優香様は何故、家に帰られないのですか?」
 デルフェスに聞かれると、その苦笑は一層強くなった。
「辛いんだ、あそこにいるのが。あそこで、ボクはあいつと母さんを消したから」
 それ以上の言葉は必要なかった。どうしようもないほどの重い沈黙が公園を包み込む。

「カラオケに行こう!」
 そんなとき、手をパンと叩いてその雰囲気を壊したのは透華だった。
「あの、透華様何を…」
 いきなりのことに、透華以外は全員固まっていた。おずおずとデルフェスが透華に問う。
「いいからカラオケ行くんです!はい、沙羅さん草間さんに電話して、草間さんとシオンさん呼び出して!」
「あ、は、はい!」
 言われ、沙羅は言われた通りに携帯を取り出し、電話をかけ始めた。

 そして、一分後。
「了解、とれたよ」
 沙羅の声に、透華の顔が笑顔になる。
「よーし、今日は一日歌って歌って歌いまくりましょー♪ほら、優香さんも立って立って!」
「え、あ、ちょっと…」
 透華に強引に手を引かれ、戸惑いながら優香も歩き始める。沙羅たちも顔を見合わせ、その後を追った。



『それでは、これより親善を深めるための大カラオケ大会をおこないまーす!』
 で、結局草間とシオンも呼び出され、カラオケへと集合していた。
「…なんでいきなりカラオケに?」
「えと…透華様が…」
 あまりの進行の早さに、透華以外のメンバーは戸惑いを隠せない。しかし、そんなのはお構いなしで音楽が始まる。
『トップバッターは草間さん!』
 草間にマイクが手渡される。かかった曲は、二十年ほど前にはやったロボットアニメの主題歌。
『まさか歌えないなんていわないですよね!あの草間さんが!』
 その言葉にむきになってしまうのが草間という男。ムッと眉根を寄せると、マイクを握り締める。
『幾らでも歌ってやろうじゃないか!こいつは俺の十八番だ!』
 そして、熱唱。

 小さなステージの上で、拳を握りながら熱唱する草間をよそに、透華は優香の隣に座った。
「次は優香さんね」
 はい、とその手にマイクを手渡す。それを、優香はどうすればいいか分からないような瞳で受け取った。
「あの…」
 そんな優香の頬を、透華はみにょーんと伸ばした。沙羅にやったように、思いっきり。
「暗い顔ダメ!辛いときは、無理してでも笑うの!笑う門には福来る、ってね」
「いひゃ、いひゃい〜…」
「分かった?返事は?」
「ひゃ、ひゃい〜」
 発音のよく分からない返事を聞くと、透華はその手を離した。優香はその柔らかそうな頬をさする。
「…話は聞いたけどね、だけどどうこうなんて言えないから。だから、私は優香さんを笑わせるの。そうするって決めたの。
 事情とかどうとか関係ない、今日から私たちは友達、いい?」
 それは、透華の心からの言葉だった。ただ一人の人間として、友人として、彼女と接していこうと決めた彼女の。
「じゃあ、わたくしたちも今日からお友達ですわ♪」
「わぁ!?」
 透華の言葉を聞いて、みそのが少し言葉を失っていた優香の背中に抱きつく。
「わたくしは海原みその、みそのとお呼びください♪」
 そして、それに続き他の三人も。
「橘沙羅、沙羅でいいよ」
「鹿沼デルフェスと申します。優香様、改めてよろしくお願いいたしますわ」
「シオン・レ・ハイと申します。ハイは返事のハイ、元気よくどうぞ、はい!」
「あ、は、はい…」
 最後はシオンにつられ、優香は思わず返事をしてしまった。
「あ…名前で呼び合うのがお友達の第一歩と聞いておりますわ。今まで自然とお名前でお呼びしていましたが、お名前で呼び合うこと、よろしいでしょうか?」
 そんなみそのの言葉に、やっと優香にも少し笑顔が戻ってくる。
「うん、勿論」
 優香が返事したそのとき、丁度草間の歌もクライマックスを迎えていた。
『…ガー!!
 ふー…どうだ、俺の歌唱力は!』
 しかし、草間などお構いなしでボックス内は笑いに溢れていた。そして、やっと思い出したようにデルフェスが草間のほうを向く。
「申し訳ありません…お話に夢中で聞いていませんでしたわ」
「…俺の一世一代の大熱唱が…」
 それを聞いて、草間撃沈。そして、また笑い声が溢れた。

 いじけてしまった草間はボックスの端へ。歌うもののいなくなったステージの上、また新しい曲がかかる。少しだけ前に流行った、生きることがどんなにいいものか歌ったアイドルグループの歌だった。
「この曲ならわたくしも知っていますわ、優香様、ご一緒してよろしいですか?」
 普段はクラシックなどしか聴かないデルフェスでも、流行の歌は何処かしらで耳をする。有名なアイドルグループのものになれば、それはなおさら。
「うん、いいよ」
 優香はステージの上に躍り出る。デルフェスもそれに続く。
「それじゃ沙羅も一緒に」
「わたくしも一緒に歌いますわ♪」
 沙羅とみそのも前に続き、ステージ上には四人の女の子が勢ぞろい。華やかに、賑やかに。皆笑顔で、その歌を歌った。

「では、次は私の番ですね」
 シオンがマイクを手に持ち、ステージへとのぼる。
「シオンさんってどんなの歌うんだろ?」
「うーん、プレスリーとかビートルズとか、なんかそんなイメージあるなぁ」
 まぁ黙っていればシブいおじさんなのだ、そんなイメージを優香が持つのも仕方がない。
 で、次の瞬間そのイメージは見事に崩壊する。
「よ〜さ〜」
「演歌かい!」
 思わず全員からツッコミが入っていた。

『ふふふっ…さぁやってきました私の番が!皆、私の美声に驚くんじゃないわよ!』
 透華が前に出れば、軽快な音楽が始まった。それにあわせて少し踊って見せたりする透華。そして…。
『ぼえ〜〜〜〜〜〜〜』
 まさにそう表現するしかないような、凄まじく外れた歌声が響き渡った。

 まぁ。ちょっとおかしなことはあったけど、楽しい時間が過ぎていったわけで。





「はー…楽しかったー♪」
 寒空の下、優香が思いっきり背伸びする。既に日付が変わる時間、彼女たちは思いっきり歌い倒した。
「少しヤバイ場面もあったけどね」
「さすがにあれは」
「きつかったですわぁ…」
 沙羅が言えば、デルフェスとみそのが間髪いれずに言葉を続ける。
「透華の歌声は殺人兵器だな、全く」
「ははっ、まぁそういうのもまた一興、ということで」
 草間に言われ落ち込んだ透華を見ながら、シオンがフォローをいれる。

 あれほど沈んでいた優香の顔には笑顔が溢れていた。楽しそうに話す優香を見ながら、草間は少し微笑む。
 これからどうなるかは分からないが、きっといい方向に進んでくれる。皆そう信じて。

「そうですわ、どうせですから、今日はみんなで一緒に草間さんのところにお泊りいたしませんか?」
 思い出したようにみそのがポンと手を叩く。
「おいおい…俺のところはお前らの溜まり場じゃないんだぞ?」
「いいじゃありませんか、楽しい夜になるでしょうし」
 そう言われると返す言葉がない。これを頼んだのは自分なのだから。シオンに苦笑しか返せない草間を見て、また皆楽しそうに笑った。
「それではわたくしは、少し準備がありますから一旦帰りますわね。後からちゃんと行きますから、もう寝ていらしたなんてことはやめてくださいまし」
 分かってる、と草間が手を振りかえす。
 みその以外は、興信所に向けて歩き始めた。彼らを見送りながら、みそのも手を振り歩き始める。その顔から、笑みは消えていた。



* * *



 帰ると言って皆と離れたみそのは、優香の家に来ていた。
 幸いというべきか、鍵はかかっていなかった。おそらく優香が飛び出してきたままだったからだろう。
 誰もいない静まり返った部屋に、みそのは堂々と上がりこむ。時間も時間だけに、それを咎めるものもいない。
 さして広くもない間取りから、優香たちが何処でどのように生活したのかは大よその見当がつく。みそのは、そのまままっすぐ居間へと歩いていく。

 居間は、やはり静まり返っていた。酒瓶などが無造作に置かれている、おそらく“あの日”以来優香はここへは帰ってきていないのだろう。
「さて…」
 小さく呟き、みそのはその場に座り込んだ。今、そして過去。ここで起こったものの『流れ』を感じるために。
 有を完全に無に帰することは難しい。そこには、必ず何かしらの証拠が残るはず。
 しかし、この場にその『証拠』は一切残っていない。完全な消滅、それが現実だった。
「何か…何かあるはず」
 じっと意識を流れを読むことに集中させる。ほんの少し、何かが分かれば――。

「……っ!!」
 と、そのとき、その場に残った感情という気の流れを敏感に察してしまい、思わずみそのは呻いた。

 イヤだ、嫌、こんなのヤだ、イヤ、なんで、なんでなんで、イヤだ、そんなの殺してやる、絶対に殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる死ね死ね死ね死ねシねシネシネ――――!!

 怒り、恐怖、そして――あまりにも大きな憎しみ、純然たる殺意。
 果てのない大きなそれが、流れを感じ続けたみそのの中に入り込んできたのだ。
 常人ならば、そんなことが起きればそれだけで精神の崩壊を起こしかねないほどのものだった。みそのだったからこそ、耐えることが出来たというべきだろうか。

 荒くなった息を、みそのは整える。
 これほどの憎しみを、人は抱くことが出来るのか。先ほど笑っていた優香を見ているだけに、余計に信じられないものがある。
 だがしかし、その中で、みそのは一つのものを見つけていた。
 鋭い感情の中に、有が無に帰す瞬間を感じ取ったのだ。
「これならば…なんとかなるでしょうか…?」
 みそのは、月のない空を見上げながら呟いた。



* * *



 興信所の時間は、ただ賑やかに過ぎていった。
 みそのも合流し、カラオケの時のような楽しい時間が再び訪れ、そして今は静まり返っている。
 ソファには遊び疲れた透華や沙羅、みそのがもたれかかり静かな寝息を立てている。デルフェスも少し離れたところに座っている。
 時間は、既に深夜というよりも夜明けに近い時間。
 シオンは、彼女たちの少し乱れた毛布をかけ直していた。そして、そこに一人いないことに気がつく。
「デルフェスさん、優香さんは?」
「先ほど、少し外の空気が吸いたいと言われて出ていかれましたわ」
 聞かれたデルフェスは、また少し乱れた透華の毛布を直しながら答えた。
「そうですか…」
 それを聞いたシオンは少しだけ考えて、ロビーから出ていった。

 夜明けが近い時間といっても、まだまだ暗く寒い。
 そんな闇の中で、優香は壁にもたれながら何をするでもなく地面を見つめ、石ころを蹴飛ばしていた。
「優香さん、どうかされましたか?」
 優香が振り向くと、そこにはシオンが立っていた。
「ううん、別に何も…」
「そうですか。隣、いいですか?」
 優香は言葉もなくそれに頷く。そのままシオンは隣にもたれかかった。

 それから数分、特に何か二人は話す訳でもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
「今日は」
 優香がまた一つ石ころを蹴飛ばしたところで、シオンが口を開く。
「どうでしたか?」
 そう聞かれ、優香は少し笑みを浮かべる。
「とっても楽しかったよ。ホント、凄く」
 噛み締めるように、優香はゆっくりと言った。その顔には、楽しいときとは違う、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「そうですか」
 それ以上の言葉は特に必要なかった。優香が本当に楽しかったというのは、ただその態度を見ただけでも分かる。
 それが、シオンには嬉しかった。この少女が泣くところなど、見たくはない。
「明日、何処か行きましょうか?」
「え?」
 聞き返す優香に、ニコリとシオンは微笑んだ。
「行きたくない学校なら行かないほうがいいです。嫌々行っても、意味などないですからね。
 ですから、学校はサボってしまって何処か行きましょう。大丈夫、とても楽しいですよ」
 そして、少しだけ間をおいて。
「うん」
 頷きながら、優香はまた笑った。





「おはようございます〜…」
 沙羅が眠そうな目をこすりながら、洗面所から戻ってきた。
「おはよう沙羅さん」
 既に他のメンバーは顔を洗い、朝の準備を済ませていた。そして、何処からか漂ってくるいい香り。
「今朝の朝食は、シオン様と優香様が用意してくださるそうですわ」
「あ、そうなんですか…」
 どんなのが出てくるんだろうかと思いながら、沙羅は椅子に座った。

「あ、優香さんそちらの塩を」
「はーい」
 卵をときながら、手早くそれをシオンに手渡す。
 既に朝食は大部分が出来上がっていた。玉子焼き、豆腐の味噌汁、鮭の切り身に漬物――和食がずらり並ぶ。優香が和食の方が得意なのだという。
 その一方で、透華や沙羅に持たせるためのお弁当を作っていたりもする。こちらにも定番のメニューが並んでいた。
「シオンさんって料理上手なんですね」
「まぁそれなり、ですけどね」
 そうなんですか、と言い終ったところで焼いていたウインナーにいい具合に火が通る。
「では、皆さんのところに持っていきましょうか」
 それを綺麗に弁当箱の中に盛り付けて、二人は皿を持ちロビーへと歩いていく。

『いただきまーす』
 朝食は和やかな雰囲気で進んでいった。二人の作った朝食は美味しいと皆に評判で、普段おかわりをしないものまでおかわりをしていた。
 そして、透華と沙羅に手渡されるお弁当。
「あ、今日は優香さんどうするの?」
「ボク?シオンさんとちょっとお出かけ」
「学校サボっちゃうんだー悪いんだー」
「いいなぁ…沙羅も一緒に行きたい」
「沙羅の学校、有名なお嬢様学校でしょ?それはダーメ」
「むー…」
 少し拗ねたような沙羅を見て、皆笑う。
 昨日とは違う、笑顔に溢れた朝。何気ない一日が、また始まる。





○ココロ



「うーん、本当にいいのかなぁ…?」
 真新しいコートを翻しながら、優香が呟いた。
「いいんですよ、何度も言ってますが」
 少し明るめの色調が彼女によく似合っている。それを見ながらシオンが言った。
 うーんと少し困ったような顔を優香が浮かべる。まぁそれでも、本心では喜んでいるのは今までの笑顔を見ていれば明白だった。

 二人は今日一日を遊び倒していた。
 優香のために服を買い(悪いからとコート一枚だけになったのだが)、映画を見て、そして一緒に食事をして。何も知らない人からすれば、仲のいい親子か親戚のように写っただろう。
 事実、入った店で二人は親子ですか?と聞かれていたりする。そして、シオンは店員にきっぱりと『えぇ』と答えていたりした。
 優香はそれをイヤだとは言わず、むしろ親子だと言われたことを少し楽しんでいたりした。だから今も堂々とシオンと腕を組んでいる。

 気付けば夕方。入ってきたばかりの給料を使ってしまい、シオンの懐も空気と同様に寒くなってきたところで、二人は興信所へと帰ることにした。
 その帰り道、シオンの少し先を歩きながら優香が呟いた。
「あーあ、もう夕暮れ…楽しい時って、ホントすぐに終わっちゃうなぁ…」
 その顔は、シオンからは見えない。ただ、何か悲しそうな、そんな感じがした。
「…お父さんが…」
 その後は、小さすぎて聞き取れなかった。



* * *



 それから数日、皆を送り出すことが優香の日課になっていた。
 シオンにも色々とバイトがあるし、他のものにも仕事やら何やらが色々とある。さすがに毎日は一緒にいられないのだ。
 そういうときは、草間の仕事の手伝い(という名の野次馬)をしたりして暇を潰すのだが、それも毎日は出来ない。

 優香は一人ボーっと空を見上げていた。何処までも空が高く青い。一人でいると、どうしてもあのときのことを思い出してしまう。
「…このまま飛んでいけたらなぁ…楽になれるんだろうけど」
「そんなのダメ!」
 ボソッと呟いたとき、いきなり声をかけられ優香はビクッと体をすくませた。
 声のするほうをむくと、そこには沙羅が立っていた。少し泣きそうな顔に、優香はバツの悪そうな表情を浮かべた。
「…沙羅は学校、どうしたの?」
 しばしの沈黙の後、何か話さないとと優香が口を開く。
「学校、サボった…」
「え?」
「優香ちゃんと今日は遊ぶって決めたの。だから学校はサボってきたの」
「決めたって…」
 有名なお嬢様学校へと通う沙羅。きっと、今まで学校をサボったこともないだろう。
「でも、それじゃ」
「一日くらいならいいの!今は優香ちゃんの傍にいたいから…」
 それは、沙羅の素直な優しさだったのだろう。優香は少し頭をかき、照れたように笑った。
「…ありがと」
 その言葉で、やっと沙羅が笑った。
「あら、奇遇ですわね」
「で、デルフェスさん?」
 少し驚く沙羅の後ろからデルフェスが出てくる。
「わたくしもレンのお仕事、サボってきてしまいましたわ」
「デルフェスさんまで…」
 ホントにいいの?と思わず苦笑が優香の顔に浮かぶ。
「…それじゃ、今日は一杯遊ぼう!」
「うん♪」
「はい」

 元気な優香とは違い、どちらかと言えば静かでのんびりしている二人は、自然と優香に引っ張られる形になっていた。
 しかしそれを嫌がるわけでもなく、彼女たちは優香に付き合い、傍で笑い楽しんでいた。
 そして数時間、遊びつかれた三人は興信所へと帰ってきていた。優香は疲れたのか、ソファの上、デルフェスの膝にもたれかかって眠っていた。
「…優香ちゃん…」
 何事もないような、静かな寝顔。
「きっと、大丈夫だよね?」
「えぇ、きっと」
 呟く沙羅に、その頭を撫でながらデルフェスも答える。
 それにうん、と頷き、沙羅は歌い始めた。遠く離れた、外国の古い子守唄を。
 ゆっくりとゆっくりと、静かに、優しく歌い上げていく。何時しかデルフェスもそれを歌い、興信所は歌声で包まれた。
 色々な想いを込めた歌声は、そこで働いていた草間や零にも届き、幸せな気持ちをもたらす。
 そして、眠っている彼女にも届いたのだろうか。デルフェスの膝の上で、優香は一つ涙を流した。





* * *



「ボク、明日学校行ってくるよ」
 何時ものように、興信所に皆が集まった夜。優香がそう言った。
 優香がいじめらていることは、既に周知の事実。
「…大丈夫なのですか?」
 みそのが聞きかえす。何が、とは言わない。それに、優香はにっこりと笑い返した。
「うん、大丈夫。このまま逃げっぱなしって、悔しいからね」
 そして、もう一つ。
「だって、最後の一日だもん」
 その言葉に、皆ハッとなる。
 あまりに楽しい時間が流れていた。優香に何があったのか忘れるほどに。
 草間がカレンダーに目をやった。あの日から、既に12日――。



 夜の街、静まり返ったそこを、二人は言葉もなく歩いていた。
「透華ちゃん…私、どうしたらいいのかな…?」
「分からない…決めるのは優香さん…だけど…」
 それ以降言葉は続かなかった。
『…だけど、それは本当に?私たちじゃ…理由になれないの?』
 空には、少しだけいびつな円をえがく月が輝いていた。



 みそのは、また優香の家に来ていた。
 相変わらず誰も入らず、荒れ果てたその居間の中に座る。
 既に流れを感じ取ったここに、来る理由は特にない。だが、何故か足を運んでいた。
「みその様もこられていたんですか」
「…デルフェス様?」
 ドアが開いたかと思えば、そこからデルフェスが顔を出した。
「えぇ、なんとなく」
「そうですの」
 その堅く閉じた瞳の中で、みそのは何を考えているのか。それはデルフェスには分からない。
 ただじっと座るみそのの横で、デルフェスはゴミ袋を開く。
「? 何を?」
 聞いてくるみそののすぐ傍にあるゴミを、デルフェスは拾い上げた。
「お掃除ですわ。優香様が帰ってこられたとき、綺麗な部屋だと喜ばれるでしょうから」
 それを聞いたみそのは、少し驚いたように黙り込み、そして笑った。
「…そうですわね。わたくしも手伝いますわ」
「えぇ、お願いいたします」
 きっと、彼女はここに帰ってくる。そう思いながら、二人は掃除を続けた。



 興信所、既に光が落ちたそのロビーで、シオンは一人ソファに座っていた。
「シオンさん?どうしたの、一人で」
「優香さん…いえ、少し、ね」
 それ以上のことは何も言わなかった。そのシオンの隣に優香は座る。
「優香さんこそ、一体どうしたんですか?」
「ん?…ちょっと眠れなくて」
「そうですか」
 それから二人は、なんでもないことを話した。明日のお弁当はどうしようか、シオンは普段何をやっているのか、実は何故か国語よりも英語の方が得意だとか、そんな、本当になんでもないことを。
 1時間ほど話したところで、優香は自然と眠ってしまった。シオンの肩にもたれかかり、静かな寝息を立てている。
『この短い時間で、私に何が出来たのでしょうか…』
 その頭を撫でながら、そんなことを彼は考える。



 それぞれの思いを胸に、最後の夜が明けた。





○そして、最後



 優香が最後と言ったその日も、極々普通に進んでいった。何か違うことがあるとすれば、優香が学校へ行ったくらいだろうか。
 高校の正門。そこにみそのとデルフェスが立っていた。
 時間は既に夕刻。そろそろ優香が授業を終えて出てくるはずなので迎えに来たのだ。透華と沙羅はまだ学校が終わっていないのかきていない。
 そんな彼女たちの耳に、チャイムの音が聞こえた。そして、少し経って一斉に帰途に着くために生徒たちが出てくる。その中に、見慣れた姿を彼女たちは見つけた。
 優香は彼女たちを見つけ、小走りにやってきた。
「ごめん、待っててくれたんだ」
「優香様…その頬」
 デルフェスが小さな異変に気付く。優香の頬が赤くはれていた。
「あぁこれ?」
 優香が少しそれをさする。
「実はさ、はつられたの。今までいじめらてたの、知ってるよね?今日はちょっと逆らってやったんだ」
 そして、ニコッと笑う。
「そしたらあいつら、生意気だって思いっきりはつってくれちゃって。でも、やられっぱなしっていうの、イヤだったから数倍にしてはつり返してやったよ」
「それでこそ優香様ですわ♪」
 ちょっと誇らしげな優香に、ギュッとみそのが抱きついた。



 そして、学校の帰り道、三人は透華と沙羅、そしてシオンと合流した。
 最早そのメンバーが当たり前のように、優香は軽やかな足取りで進んでいく。
 そして、辿り着いたのは、皆が出会った小さな公園だった。
「はー…楽しかった」
 優香はぴょんと小さく飛んで、最初座っていたブランコに手をかける。今までのことを思い出すように。
「皆、今までありがとう…ホント、楽しかった」
 そして、彼女は振り返った。
「それじゃ、約束どおり、ボクを殺してください」
 その顔は、笑顔だった。

 しかし、だからと言って動けるものはいなかった。殺せと言われて殺せるほど、彼らは割り切れていない。
「優香さん」
 シオンが一歩歩み出た。
「その気持ちは、今も変わりないのですか?」
 その顔は真剣だった。それを見て、彼女は少し苦笑を浮かべる。
「うん…だって、それがボクの願いだし。だから今まで、沢山思い出を作って、悔いのないようにしてきたの。
 明日になったら、またボクはボクじゃなくなって、誰か消しちゃう。そんなのもう、耐えられないから」
「それ、本当?悔いがないなんて、本当?」
 沙羅は、既に泣きそうになっていた。
「沙羅、優香ちゃんと離れるなんて嫌だよ…折角友達になれたのに…こんな別れ方はやだよぉ…」
「沙羅…」
 優香は、そんな沙羅に困ったような顔しか出来なかった。

「それに、方法ならありますわ」
「デルフェスさん…」
「満月になるたびに力が発動するのならば、優香様にはその間石になっていてもらえばいいんですわ。それなら…」
 そこで、優香はデルフェスの言葉を止めた。
「それじゃダメなの。結局ボクは他の人に迷惑かけることになるし、やったことはもう変えようがないから」
 少し自嘲気味に呟く。
『パン!』
 そんな優香の頬を、みそのの手が叩いた。
「甘ったれないでくださいな。やったことが変えられないから、だから逃げると?
 本当に悪いと思っているのなら、その分優香様は生きなければならないでしょう!」
 滅多に見せない怒り。それが、みそのの本当に気持ちなのだろう。

「だって…」
 優香の身体が震える。その瞳から光るものが溢れた。
「だって!ボクが生きてたら…今度はきっとキミたちを消しちゃう…そんなの、そんなのボク耐えられないよ!」
 この二週間、たったの二週間だったけれど、それでも何時しか一番の友達になっていた。
 その友達を手にかけてしまったとき、優香がどうなるかは想像に難くはない。
「ボクじゃ、何度自分で死のうとしてもダメだったのに…」
 と、そこまで言って、何かを思い出す。それは、誰にとっても考える限り最悪の選択。
「そうだ、ボク自身がボクを消えるように望めば…そうすれば、誰も悲しまずに済むんじゃ…」
 何処か壊れたような笑みが、その顔に浮かぶ。
 そんな優香を、ギュッと透華は抱きしめた。壊れたようなそれが、驚きでなくなっていく。
「大丈夫。大丈夫だから」
 もう、それ以上何がとは言わなかった。
 ただそれだけで、もう感情を止めることなど出来なくなった。
 シオンも何も言わず、優しく抱きしめてくれた。
「何か殺したいものがあるとするなら…私は、あなたのその憎しみを殺したい。無理ですか?」
 顔を上げれば、シオンは穏やかに笑っていた。
 沙羅も、みそのも、デルフェスも。皆が優香を見つめていた。皆の想いが、優香を包む。
「あ…ぁ…う…あぁ…あぁぁ…――――!!」
 優香は、ただ声を上げて泣き続けた…。





* * *



「可能性は半々ですが、もしかすれば、優香様のお母様たちも助かる可能性がありますわ」
 そう言ったのはみそのだった。
「なんとなくですが、優香様の力のことは感じることが出来ましたわ」
「…本当に?」
「えぇ」
 不安そうな優香に、みそのは力強く頷いた。
「なら…ボクは、母さんたちを助けたい…たとえ半々だったとしても…」
 そういう優香の顔には、迷いの色はなかった。

「優香様の力は、おそらく別次元への扉を開くものだと思われますわ。それならば、有が完全な無へと帰することの説明がつきます。
 何かしらを消すとき、同次元の場合ほぼ例外なく残りカスが残ります。ですが別次元に何かを送る場合、カスが残る道理はありませんわ。何故なら、『同次元内で消滅するのではなく、違う次元から違う次元へと送り込む』のですから。
 優香様の力は、それを可能にするもの、といったところでしょうか。相当強い力ですが、それ故に不安定で、強い感情が発露する満月の夜に開けてしまうものと思われます」
 みそのの説明を、優香はよく理解できていなかった。少し混乱したような顔で悩みこむ。
「ということは、優香様が強く想い、力を制御できればその別次元への扉も開く、と?」
「そういうことですわね」
 デルフェスの問いにみそのが答え、さらに言葉を続ける。
「先ほど可能性が半々と言いましたのは、別次元が一体どうなっているか全く分からないということですわ。
 お母様たちがその次元へ送られた瞬間、亡くなられる可能性も十分に考えられますから」
 そう言い切って、みそのはあらためて優香と向き合う。
「優香様。それでも、救いたいと思われますか?」
「うん。…ボクは、大丈夫だから」
 その閉じられた瞳を見つめ、優香は力強く頷いた。





 空には、真円の満月が浮かんでいた。雲ひとつない、ただ満月に照らされた夜。優香は、ただその月を見上げていた。

「優香ちゃん…大丈夫かな…?」
「きっと大丈夫だよ。私たちが信じないでどうするの?」
 その優香から少し離れて、不安そうに沙羅が呟き、それを透華が励ました。
「きっと大丈夫ですわ。優香様はご自分で大丈夫だと言われましたから」
「そうですわ。きっと、きっと大丈夫」
 それを見つめるデルフェスの瞳には、ただ信頼だけが宿っていた。それは、みそのも同じ。
「優香さん…」
 絶対に見届けようと、ただシオンは見つめ続けた。



 そんな彼らの前で、優香は祈るように膝をつく。そして、手を合わせた。
(神様…)
 この二週間のことを思い出しながら、優香は祈る。
(もし会えるなら…また会わせて。色々と話したいことが、謝りたいことがあるんだ…)

 皆のために料理を作った。皆で料理を食べた。服を買ってもらったこともあるし、皆で一緒に歌ったこともある。
 父親のようなシオンと一緒にゲームセンターにだって行ったし、妹のようなみそのと一緒に眠ったこともある。
 お姉さんのようなデルフェスの膝は気持ちよかったし、もう何年も付き合いのあるような透華と沙羅を見送るのも楽しかった。
 誰一人として同情などではなく、ただ友達として、家族として。そうやって接してくれた。
 そんな、なんでもない、でもかけがえのない時間を皆がくれた。
 今まで、自分の人生なんて碌でもないだなんて、投げていたところもあった。でも、そうじゃないんだって、気付けた。
 ただ、誰かが傍にいてくれるだけで、こんなにも強くなれるんだって気付けた。
 だから、もう一度会うことが出来たなら、それを話したい。

 強く強く願う彼女に、何か扉のようなものが見えた気がした――。





* * *



「くーさーまーさん♪」
 明るい声が興信所に響いた。振り向いた草間は、その顔を見て少し笑みをこぼした。
「なんだ、今日はどうしたんだ?」
「ん?ここにくれば、また皆くるんじゃないかなぁって」
 あの日と同じように、出されたコーヒーを飲みながら少女は答えた。
「お前なぁ…ここはガキの溜まり場じゃないんだぞ?」
「えーいいでしょー?ちょっとくらいなら文句言わないの」
 少し呆れたような草間に、優香はまた笑った。



 結局、優香は別次元への扉を開け、その中から母親や友達、父親を助け出すことが出来た。
 幸いだったのは、こちらと別次元では時間の流れが全く違い、向こうではほとんど時間が停止していて、そのおかげで母親たちは特に消された記憶もなく生きていた。
 問題は父親だった。優香にまず右手を消されたことはちゃんと記憶として残っており、それが彼に恐怖をもたらしていた。それが原因で、彼は目覚めてすぐに逃げ出してしまったのだ。
 しかし、優香はそれでよかったと思っていた。彼がいれば、また同じような悲劇が繰り返されるかもしれないから。元々距離を置くことは考えていたらしい、彼女の顔はそれでもすっきりしていた。

 それから一ヶ月。また何もなかったかのように時間が過ぎていった。
 あの日以来、優香の力が暴走することもなくなった。今は、あのアパートで母親と二人暮しをしているらしい。
 母親を助けるために、バイトも始めたのだそうだ。そこで、また新しい友達が出来たらしい。
 今日は偶々バイトがオフで、またここに皆に会いにきたのだそうだ。

「あ、優香さんだ♪」
「優香ちゃん、今日はバイトないんだね?」
 彼女の思惑通り、まずは透華と沙羅が興信所へとやってきた。
「あら…皆様お揃いなんですね」
「それでは、わたくしはお茶を淹れてまいりますわ」
 そして、みそのとデルフェスが。みそのは優香と出会うたびに抱きつくことが日課になっている。
「おや、皆さんお揃いで」
 シオンもやはりやってきた。
「ね?皆きたでしょ♪」
「お前らなぁ…ここを溜まり場にするんじゃないんだぞ!」
 溜息をついた草間に、優香はにっこりと微笑んだ。

「ねぇシオンさん、お母さんに会ってみる気ない?」
「はい?」
「ほら、ボクシオンさんみたいな人がお父さんだといいなーって思ってるし」
「あはは、それいいかも」
「楽しそうだね」
「中々いいご提案かもしれませんわ」
「ちょっと…皆さん!」
「お茶が入りましたわよ」
「待ってましたー♪」



 そしてまた、何気ない時間が進んでいく。死を望んだ少女が、その中で笑っていた。





<END>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1388/海原・みその(うなばら・みその)/女性/13歳/深淵の巫女】
【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女性/463歳/アンティークショップ・レンの店員】
【2489/橘・沙羅(たちばな・さら)/女性/17歳/女子高生】
【3356/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/男性/42歳/びんぼーにん(食住)+α】
【3464/綾峰・透華(あやみね・とうか)/女性/16歳/高校生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、へっぽこライターEEEです。今回はご参加ありがとうございました。

 今回の依頼に関しては、色々と思うところがあり、大変でした。
 重いOPに、どんなプレイングがくるのか少し心配だったのですが、皆さん本当に素晴らしいプレイングで、見ているだけでホロッときていたりしました。
 今回、どれだけ自分の書きたかったことが書けたかは分かりませんが、書くことが出来てよかったと思っています。

 実際、今回は優香が死ぬということも十分に有り得たため、彼女がこうやって変われたのも、幸せな終わり方を迎えられたのも全て皆さんのおかげだと思っています。
 本当に、本当にありがとうございました。
 多分、個別で後書きを書き始めるときりがないと思うので、今回の後書きは全員共通ということにさせていただきます。

 それではもう一度だけ。本当にありがとうございました。
 また機会があれば、よろしくお願いします。