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<東京怪談ノベル(シングル)>


ささやかな不思議をあなたへ


 今にも雨が降り出しそうなスコットランドの街中。
 セレスティ・カーニンガムは無口な使用人を車の中に置いて、ステッキを片手にゆっくりと外の世界に踏み出す。
 ちょっとした……けれどとても大切な買い物がしたくて訪れたこの国は、東京とさほど変わらない空気をまとって出迎えてくれた。
 こうして自分ひとりの足で市街地を見て回るのはどれくらいぶりだろうか。
 頬に当たる冷気が心地よい。
 瞳を刺激する強い太陽の陽射しも、冬の今は厚い雲の向こう側で緩やかに拡散していくだけだ。
 不自由な足で行動できる範囲はごく僅かとはいえ、やはり直に触れ合う世界は新鮮である。
 それに、出かけた先で起こるささやかな出来事もまた楽しみのひとつでもあった。
 街中が優しい色に溢れている。
「さて、彼には何がいいでしょうか……」
 誰かへ、特に自分の大切な人へと贈り物をする時には、やはり自分の足で探し、目で見、手で触れ、選びたい。
 寒がりな彼にはやはりマフラーがいいだろうか。それに揃いの帽子。スマートなデザインよりは少し可愛らしいくらいがいいかもしれない。
 今日も寒いですね、と挨拶代わりにそんな言葉を交わしあう人々の合間に覗くショー・ウィンドゥ。ふと指先の触れたそこに、聞きなれたブランドの文字を見つける。
「ああ、これはいいかもしれませんね」
 マフラーとしてだけでなく、ブランケットとしても使用できるという言葉に、贈るべきものとの『出会い』を感じる。
 思い描くのは、元キュレーターの小さな背中だ。
 財閥が所有する膨大な美術品を管理し、絵画の修復を嬉々として行う彼は、時折仕事の合間を縫ってサンルームに逃げ込んではそのまま転寝をしてしまうことがある。
 風邪を引くのではと心配になることもしばしばだ。
 何か羽織るものを用意させるにしても、やはり普段から彼が好んで持ち歩いてくれた方がいいだろう。
「こちらで選ぶことにしましょうか」
 くすりと小さく笑みをこぼし、緩やかなスロープを経てガラスの扉に手をかけた。
 途端、繊細なオルゴールの旋律が辺りに溢れ出し、店内を包み込む優しい香りがふわりと鼻先をくすぐった。
 同時に、その場にいた者達の誰もが一瞬息を呑み、言葉をなくして視線を向ける。
 それら全てを当然のように受け入れ、セレスティは口元に穏やかな微笑を湛えて近くに佇む女性へと声を掛ける。
「すみません。少々探し物をしているのですが」
「あ」
 まるで夢から醒めたかのように、彼女ははっとした顔で自身の職務を思い出し、
「いらっしゃいませ」
 そして優雅な身のこなしで恭しく頭を垂れた。
「贈り物なのですが、相談に乗っていただけますでしょうか?」
「かしこまりました。どうぞこちらへお越し下さいませ」
 彼女は微笑と共に頷くと、流れるような所作でスタッフ達に指示を出し、僅かの間に足の悪いセレスティのために奥の別室に席を設けた。
 まるでカフェを思わせるデザインテーブルに着き、サイドボードに置かれた紅茶とクッキーの香りに包まれながら、色とりどりの商品たちがショーケースから取り出されては並べられるのを楽しげに待つ。
 贈る相手のこと、受け取った瞬間の反応を考えながら選ぶ――そこから生まれる高揚感や期待感にも似た感覚が心地よかった。
「お待たせいたしました。こちらが……」
 軽く言葉を交わし、説明を受け、こちらの希望を伝え、そうしていくつものマフラーにじかに触れて確かめていった。
 スコットランドの伝統的な手法とデザインを守り続ける最高級の羊毛メーカー。そこから作り出されるニットウェアはどれも特筆に価するものばかりだ。中には有名なブランドのコレクションに名を連ねたものもある。
 あの子にはどれが似合うだろうか。
 髪と瞳の色に合わせて、暖色系の……例えば赤系のバーバリアン・チェックなどはどうだろうか。それも出来るだけ優しいパターン使いがいい。
 彼の背格好や普段の様子を店員に話し、多彩なデザインからいくつかに絞り込みを行っていく。
 贈り物を選ぶ過程。それに費やす時間。相手のことを思い描いて悩む幸せが、セレスティをほわりと温かくする。
 そのしなやかな指先が、ふと、もぞりと動く『なにか』に触れた。
 小さな声が上がったようにも思える。
 だが自分以外の誰もそれには気付いていないようだ。
 僅かに思案した後、セレスティは手をそのままに、店員を見上げて微笑んだ。
「ああ……すみませんが、このデザインの系統に揃えて、他の……そうですね、帽子や手袋などもまとめて包装していただけますか?贈り物にしたいので」
「かしこまりました」
 深く一礼して彼女たちが席を外すまで待って、セレスティはそっとマフラーを持ち上げ、
「おや」
 その目を興味深げに細める。
「んあ〜……?」
 掌に納まりそうな幼い小人がひとり、眠そうに目をこすりながらこちらを見上げていた。特徴的な赤い帽子が仕草にあわせて左右に揺れる。
 この店を住処にしているのだろうか。それとも、このマフラーにくっついて冒険をしているだけだろうか。あるいは………
「こんにちは、と言って宜しいのでしょうか?それともおはようございます、でしょうか?」
 偶然の出会いに驚きながらも、出来るだけ小さな声で話しかけてみる。
 そうしてのんびりと相手の返事を待っていたのだが、
「は、はひいぃ!」
 唐突に自分の置かれている状況を理解したらしい彼は、顔を真っ赤にしてわたわたとマフラーの中へ逃げ込んでしまった。
「すみませんすみません!ボ、ボクのことはどうぞ気付かなかったことにして下さい〜食べないで〜」
 まるくうずくまって謝り続ける小人は、果たして自分に何を見たのだろうか。
「そんなに怯えないで下さい。大丈夫。私は貴方を食べるつもりなんてありませんよ。でも……」
 皿からクッキーをひとつ摘み、お近付きの印にとそっと彼の前に差し出してみる。
「これなら貴方も食べたいのではないですか?」
 甘い香りが布越しにも伝わったらしい。
 初めはおしりを向けて隠れていた彼がつられるようにもぞりと動き、おそるおそるといった体ではあるがマフラーの中から顔を覗かせた。
「…………食べてもいいの?」
「ええ」
「本当に?」
「本当です」
「その後ボクを食べたりしない?」
「しませんよ」
「そっか」
「はい」
「じゃあもらう!」
 ようやく安心したのか、テーブルの端まで這い出てきて、セレスティの手からクッキーを両手で抱えるようにして受け取るとしゃぐしゃぐ頬張り始めた。
「おいしいですか?」
「うん。こんなオイシイのってはじめてだ」
 喋りながらもひたすら食べ続ける小人の姿を微笑ましげに眺め、
「紅茶はいかがですか?こちらのお店で出して頂いたのですが、優しい口当たりでそのお菓子とよく合いますよ」
 ティースプーンに掬い取った紅茶を彼の口元へ差し出してみる。
「ありがと……んぐっ!」
「あ、そんなに焦らずに……さ、これを」
 クッキーを喉に詰まらせて苦しそうに胸を叩きながら、小人はセレスティの手から紅茶をもらい、何とか飲み下す。
「ふはぁ〜ビックリした」
「ところで少しお話を伺っても?」
「いいよ。ただし、ボクで答えられることならね」
「ではさっそく」
 まんざらでもなさそうに笑う彼に微笑みを返すと、好奇心の赴くままに問いを重ねていった。
 小人の名前。生まれた国。どうしてここにいるのか。そして、今までどんなところに行き、どんな体験をしてきたのか。
 聞きたいことは山ほどあった。
 彼は冒険家なのだと言って胸を張った。元はフィンランドの森に住んでいたのだが、もっと色々な世界を見て回りたくなり、貨物車や風、時には鳥の背にのって旅を続けているのだという。
「森にはないものがたくさんあってさ、すごく面白い。でもちょっと怖いこともあったけどね」
 自分が見える相手はあまりいないのだが、見える者ほど掴まえようと追い掛け回してくるらしい。
 苦労話も交え、小さな身体で精一杯語ってくれるのが嬉しくて楽しくて、セレスティはつい引き込まれる。
 思いがけないティータイムは、不意のノックと共に終わりを告げた。
「おっと、いけない。じゃあね、人魚のお兄さん。いつかそっちにも遊びに行くよ」
「ええ、是非いらして下さい。きっとうちの研究員がとても喜びますから」
 ぱちんと手を鳴らし、小人は約束だけを残してキレイに消える。
「大変お待たせいたしました、カーニンガム様」
 それと同時に、店員がラッピングを施した大きな箱を抱えた男性を後ろに従えて扉を押し開く。
「………」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもございません。気のせいだったようです」
 彼女はほんの一瞬だけ何かを問いたげな表情を浮かべたが、セレスティに微笑みかけられ、すぐに仕事の顔へと戻る。
 小人との話し声が洩れてしまったのだろうか。それとも、誰かがいた気配、僅かな空気の変化を敏感に察知されたのか。
 彼女からも興味深い反応が得られたと、セレスティは密かに喜んでしまう。
「有難うございました。機会がありましたら、またよろしくお願いします」
 テーブルでラッピングの出来を確認すると、暇を告げ、その場でケイタイを鳴らす。
 迎えはすぐに来た。
 店の前まで見送りに出る店員からプレゼントを受け取ると、優雅にもう一度礼をして、黒塗りの高級車に滑り込む。
 手の中にある暖かなニットウェアに小人の冒険譚を添えたこのプレゼントを一刻も早く彼に渡したかった。
 元キュレーターは喜んでくれるだろうか。どんな顔で受け取ってくれるだろう。どんな表情で話を聞いてくれるだろう。
 想像しているだけで楽しみな気持ちは膨らんでいく。
「さ、急ぎましょう?」
 そして珍しく運転手を急かしてみる。
 冬の日のささやかな不思議を抱えて、セレスティを乗せた車は空港へ向かって走り出した。



END